Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2008-03-30

さくらにぶれる


 桜が咲いた。この日付の頃はもう満開、盛りを過ぎた頃だろうか。つとめ先近くに大きな桜の木が一本あり、それが新宿でのわたしの標準木になっている。住まいのある板橋の標準木は、家近くの小さな公園にある二本の桜。というのは同じ都内でも、温度差があり、三日位は開花がずれるから。ともかく開花宣言二三日の後、月曜日、新宿の桜をみる。もう六分ほど咲いている。二二日の金曜にみたところ、つぼみは柔らかそうだったが、まだ咲いてはいなかった。桜はこんな風に、いつもいつも突然にやってくるのだ、と去年やそれ以前のわたしをまた体感する。わたしは毎年、この突然さにおののいていたのだった。見上げる。桜に焦がれているわたしがいる。それは何十年分も重なったわたしでもある。そのわたしは桜を前にして、いいがたいもの、けれどもきっといわなければならないもの、を思っている。とどかないもの、とどきそうなもの、そんなものを花びらに感じている。ということもふくめて、桜に焦がれる、ぶれたわたしがいるのだった。火曜日はほぼ八分咲き位。板橋の標準木は火曜の夜に見た。電灯にてらされ、ほの明るい。まるで桜自体が発光しているようだ。こちらは六分咲き。
 「ダーヴィンの説によれば、感情の表われ方は人類共通で、遺伝子に書きこまれているものだという」(イアン・マキューアン『愛の続き』)。新宿の標準木の元にいると、その折々、わたしと同じようなことをしている人に何人も出会う。桜のまわりをぐるぐるしたり、ただじっと見上げていたり、携帯で写真を撮ったり。きれいだねえと声をあげて子どもに注意を向けさせる若い母親もいた。その行為自体はわたしのものではないが、ことばはわたしが口に出さずに発したものに近しい。「人間の多様さを見るのは楽しいが、人間の共通性を見るのも楽しいものだ」(同掲書)。それは、ぶれながら過去と再会するように、彼らと共有することからくる楽しさ、郷愁にみちた、親密なものだ。わたしたちは過去からはなれ、彼らともはなれた存在だから。
 水曜朝、両方の標準木を見る。板橋は六分咲き、新宿は九分咲き位だが、満開になる前だというのに、もう花が散っている。地面に散った花に誘われ、別の場所の桜を、別の散り行く花の情景を思いだした。二重三重にぶれる花びら。桜は、こんな風にほかの場所のそれすら、そこに連れてきてくれるのだった。
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2008-03-25

知ることのかたまり


 古本屋で『迷宮美術館』(河出書房新社)を買った。巻数はついてないが、おそらく一巻目(現在四巻まで出ている)。これはNHKとBSで同じタイトルで放映しているものを単行本化したもの。といってもB5版と大ぶり、すべてカラー頁で、絵も多いし、画集のような代物だが。絵にまつわるドラマや背景を、迷宮と称して設問をして、謎解きしてゆく。スーラの絵が評価されなかったのはなぜ? 点描画なので、一定以上の距離を置かないと絵がわからない。答えは展示スペースが小さかったから、等。テレビのほうも割と見ているし(NHKは金曜午後八時〜、BSは家では映らないので判らない)、一二〇円と安価だったので購入したが、この手の知識はなぜだろう、あまり身につかないような気がする。雑学と称するものもそうだ。知ったと思っても、ほとんどすぐに忘れてしまう。感動がないからだろうか。心にひっかかりがないのだ。苦労して得た知識や感動したことは忘れない。細部は忘れても何かが残る。あるいはそこにわたしをからめることができた知識は。感動もまた、わたしにさざ波が立った、ということだから。
 「芸術には進歩も発展もない、それらはただ科学のなかにあるだけだ、と言われる。また一人ひとりの芸術家は、みな自分のために個人的な努力を一から再開するもので、だれであれ他人の努力は、なんの助けにも妨げにもならない、と言われる。(中略)しかし、芸術がいくつかの法則を明らかにするかぎりにおいて、その法則が工業によっていったん大衆化されてしまうと、従来の芸術は過去にさかのぼっていくぶんその独創性を失うものであることは、認めなければならない」。
 マルセル・プルースト『失われた時を求めて』(集英社文庫、鈴木道彦訳、4巻、三〇九〜三一〇ページ)の、このことばをわたしはずいぶんと前、十数年前から知っている。はじめて読んだときに、心に刻まれたものだ。
 だが、わたしはこれを自分なりに咀嚼してしまったせいで、長らくすこし主旨を違えて覚えてしまっていたのだった。わたしは、芸術は個人的な努力の産物で、その良さは変わることがないが、絵は科学や時代と連動しているのだ、といった主旨の文だとずっと思っていたのだった。この意味だと、「両者は分かたれているが、浸透しあい、影響しあっているのだ」と、三月五日の日記に書いていることともつながっている。同時代における社会(あるいは科学)と芸術は、無関係ではけっしてないのだ、ということ。ともあれプルーストのそれは、ひっかき傷のようにわたしに食い込み、今ではほとんどうすらいだ傷跡としてだったが、わたしのなかにずっと残っていたのだった。あるいは、それが噛み締められたかたまりのすべてだった。
 幾分思惑を外れたかたちでだったが、ともかく、こうしたことばは残る。感動というよりも、自分のなかで咀嚼し、のどにひっかかった傷となって存在しつづけていたことばたちの一端として。
 『迷宮美術館』が、だがそれではかわいそうだ。ここにあったことば、背景、謎たちは、それでも、わたしの古傷を思い出させるための一端を担ってくれたのだから。それにこれは知識を吸収する、わたしの側に問題があるのかもしれないではないか。
 ともあれ『迷宮美術館』に戻ろう。印象派以前、具体的には一八七〇年代位まで、油絵での屋外制作は極めて困難だったという。「野外制作を可能にした発明とは?」答えは、チューブ絵の具。食品用の缶詰の発明、金属の圧延技術の発達により、気軽に持ち運べるチューブ絵の具が生まれ、戸外制作が可能になったのだという。それ以前は豚の膀胱を絵の具入れにしていたが、内臓も中に入れた絵の具も硬くなるので新しいものにすぐ変えないとならなかったのだとか。そういえば、この頃、鉄道の発達により、画家たちは都市から近郊へ、あるいは近郊から都市へ、絵を描きに出かけている。日本美術、工芸品の紹介もこの頃で、それにより、ジャポニズムの波もおこった。すべては連関しているのだ。
 このチューブ絵の具の発明、というところを読んで、わたしはプルーストを思いだしたのだった。絵は彼がいったように、こんな風に科学や時代と連動しているのだと、戸外で描かれはじめたそれの、新鮮な明るさとともに、吸い込む思いがしたのだった。
 前掲のプルーストの文章は、このあと、登場人物である画家(エルスチール)の絵に見られる斬新さ、新しい技術について触れている。だから、元々の主旨に近いものだと、『迷宮美術館』では、セザンヌの構成ということばについて触れてあるところだろう。《リンゴとオレンジ》(一八九五〜一九〇〇年)について、「セザンヌは従来の遠近法のように、ある一点から全体を描くのではなく、さまざまな視点から見たものを一枚の絵のなかで「構成」していたのだ。(中略)そのために、セザンヌの静物画からは、現実にリンゴを見たときと同じような感覚を得られるのだ」。この新しい遠近法の独創性により、従来のそれは独創性を幾分かうしなうのだということ。ちなみに、この多角的な「構成」を、わたしはほとんど気にかけたことがなかった。そうと認識せずとも、セザンヌの絵には惹かれていたが、知ったことにより、なにか惹かれるために、さらに後押しされるような気がしてきた。こうして知識はまたわたしにからんできてくれるのだ。
 そうした観点にたつと、『迷宮美術館』は、またわたしにさざ波をたててくれるのだった。たぶんそんな風に知ればいいのだ。そんな風に、添えられた手や杖として、ここから知識を得ればいいのだ。
 この本には、以前この日記で触れた、フェルメールの『牛乳を注ぐ女』(一六五八〜六〇年頃)についても言及があった。「(牛乳をそそぐ女性の足元、右下辺りに)洗濯かごが描かれていたが、のちに別のものに描き換えられました。それはなんでしょう?」。洗濯かごを描くというのは、「食事の準備に洗濯という、召使いが抱えている家事の種類がわかる説明的な絵だったのだ」という。この頃、象徴的なモチーフによって描くのが常識だったが、フェルメールは「そのような“絵画の記号化”に疑問を感じ、即物的に絵を見せることをやめてしまう。『牛乳を注ぐ女』も、そんな束縛から解かれた彼の傑作の一つ」。で、答えはストーブ。ストーブを描くことで、オランダの冬の厳しい寒さ、冷たい空気感を画面に伝えようと思ったのだ、とのこと。「ストーブを描くことで記号的に説明するのではなく、鑑賞者に想像力を広げる楽しみを与える絵が生まれたのである」。わたしはこの絵の明るさにひかれたものだったが、そういわれてみると、たしかに凍てつく空気がそそがれたことにより、画面からそれが滲んできているような気がした。明るさに、冷たさが交じっていたのだと感じている。あるいは、あの絵からうけたさまざまな印象たちのひとつに、冷たさという名前を教えてもらった、といったほうが近いだろう。パズルのピースがはめこまれたように。
 このフェルメールもまた、プルーストのいう、法則をあきらかにした独創者であるだろう。これを書いていて気づいた。
 ともあれ、知識はこんなふうにかたまりに寄り添ってくれるものでもある。間違って覚えてはいたが、自身のなかにかたまりをつくり、育てるためにあるのだ。絵に出会う、ことばに出会う。そのさざめきが感動である。この感動がかたまりを作っている。それをとおしてしか、人は出会えないのではないか。このかたまりこそが、出会いのすべてである、といっていいと思っている。人であれ、ものであれ。
 もう、桜も開花宣言が出たが、先日、ほんの少しだけ北のほうへ行き、満開の梅林に出かけてきた(埼玉県・越生梅林)。二階建ての物見台が作られているので登ってみる。梅林ばかりでなく、梅干し農家で作っている梅の花とともに、山裾、道路の向こう、家の影、おちこちに、けぶるような淡い白さをおいている。梅林のなかで寝ころび、空を見上げると、まるで雲海のように、梅の花が広がっている。あたり一面にひろがる匂いとともに、こうしたかたまりとして、梅たちは、わたしにまた出会いにきてくれたのだった。
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2008-03-21

春の花


 少しだけ、車で郊外に出掛けた。車窓から、道路の端、畑か野原のようなところに、赤紫のかたまりが絨毯というほど一面ではなく、アクセントラグのように見える。通り過ぎる、また見える、また。まるでわたしたちに気づいてくれ、といわんばかりに赤紫の色をつきたててくるので、なんだろうと思って降りてみたら、ホトケノザだった。葉が、仏様が座る蓮のように見えるからこの名がついたとか。小さい花だが、春先にあざやかさを感じさせてくれて、昔から好きな花だった。車に乗る、その花に気づいたとたん、わたしのかつてもまた、しばし、わたしのまわりに集ってくれたのだった。

 こちらも、空色のかたまりとして、車窓から見えたもの。オオイヌノフグリ。これは降りるまでもなく、花の名前がわかった。こちらも、まぶしいほどの青に、昔から惹かれている。ホトケノザのそばに咲いていた。再会をやさしくうなづいてくれるように、晴天の空とともに、温かかった。

 今日、休日。家の近くでも、同じ花たちを見た。通勤路から少しだけ離れた道沿いだ。わたしはたぶん、もっと、いろんな意味で、寄り道したほうがいいのだ。
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2008-03-15

肌という景色



▲上 《ぶらんこ》、下 《陽光のなかの裸婦(試作、裸婦・光の効果)》(ともにルノワール)

 そう、陽射しが明るくなってきた。会社へ行く途中の散策路に、森の小道のように見えるところがある。長く続く道に、木々から落ちる影と光で、道が時に縞模様に、波紋のように、蜘蛛の巣のように彩られる。温もりのような日だまりたち。ここを通るたびにいつも、印象派の画家たちの描いた風景を思い出し、眼前のそれと重ね合わせてみるのだった。
 「ルノワール+ルノワール展」(二〇〇八年二月二日―五月六日、Bunkamuraザ・ミュージアム)に行った。画家のオーギュスト・ルノワールと、その息子(次男)で映画監督のジャン・ルノワール、二人の展覧会。具体的には、父ルノワールの《ぶらんこ》(一八七六年)と、息子の映画『ピクニック』(一九三六年)のぶらんこをするシーン、《狩姿のジャン》(一九一〇年、これは十六歳の頃のジャン・ルノワールその人だ)と、『ゲームの規則』(一九三九年)の狩猟シーンなど、父の絵画世界にインスパイアされたもの、類似している映像などを並べるかたちで、展覧が構成されている。この映像のなかでは、『草の上の昼食』(一九五九年)が目をひいた。陽光あふれる池に、豊満な裸の美女が泳ぐシーンだ。対応する父の作品には、《陽光のなかの裸婦(試作、裸婦・光の効果)》(一八七五―七六年)があげられていたが、『草の上の昼食』(Le Dejeuner sur l'herbe)というタイトルは、マネの絵のそれと同じものだし(但し、こちらの訳は《草上の昼食》で、映画と区別されているようだ)、どちらかといえば、ルノワールだけではなく、印象派的なもの、その時代へのオマージュ、といった感じがあった。さんざめく光りと、水の反映、そして描かれはじめた人間そのもののの裸体(それまでは、人間の裸体ではなく、女神などの裸体として描いていた)、それらのはなつまぶしさへの讃美、といった感触があったのだった。
 けれども、映画のワンシーンばかりが流れているのは、この場ですべてを上映するわけにはいかないだろうから、仕方がないといえばしかたないのだが、尻切れとんぼの感があった。それと、会場内で、絵を見るその横で、映画の台詞、音楽があちこちから流れているのは、すこしばかりわずらわしく感じた。絵を見るときに、集中力が乱されるのだ。
 わたしはジャン・ルノワールの映画は、『大いなる幻影』と『どん底』しか見ていない。この二つは、展覧会にはない。多分、父ルノワールと、あまり関連づけて語るところがない作品だからだと思う。二つとも、総じて暗いのだ。だから、ここで『恋多き女』や『フレンチ・カンカン』の明るい映像(この二つは、どちらも父ルノワールが生きた時代、一九世紀末を扱っている)に、新鮮さを感じたし、これらも含め、会場で流れているほかの映像にも、父作品からの影響を確かに感じ取ったような気もしたが、実はあまりそのことにはひかれなかった。展覧会の性質上、当然なのだろうが、なにか片手落ちなような気がしたからかもしれない。父と息子の展覧会と称しつつ、父へのオマージュ、父からの影響という面ばかりがクローズアップされ、映画監督ジャン・ルノワール個人への言及が少ない、結局は画家ルノワールを照らし出すばかりとなったことへの均衡を欠いた感覚に、戸惑ったからかもしれない。例えば晩年の父の絵のモデルをしていたデデという愛称の女性が、ジャンの最初の妻で、初期のジャンの映画にカトリーヌ・ヘスリングという名で何本か主演している。ここでも、そのなかの一本、『女優ナナ』の映像が流れていた。観たことがない映画をこういうのは何だが、これら妻の出た映画(妻にせがまれて作った映画でもある)は、すべて失敗作に類するものだという。映画会社は、ついにカトリーヌ・ヘスリングを出演させないことを条件に(彼女は演技力もなかった)、彼と契約を結ぶのだが、彼の監督としての実績、本分はここからはじまる。つまり、父からの影響という点(ほとんど呪縛である)では、『女優ナナ』は流すに値するのだろうが、それ以外の、芸術性という面では、いただけないものなのだ。つまり、この展覧会では、息子が父に影響を受けつつ、そこからどう変貌し、変成していったのかが、見えにくいものとなっているか、言及されていなかったといえると思う。ここではジャン・ルノワールとしての美が伝わりにくいのだ。
 とはいえ、画家オーギュスト・ルノワール展としてだけ見ても、画業の全体を網羅した、秀逸な内容だったと思う。オーギュスト・ルノワール(以降、ルノワールとだけ称する)は、十代の頃、家計を助けるために、磁器工房で働いていた。あの白い絵の具に、重ね塗りをしたような肌の質感は、この磁器絵付け体験から来ているとどこかで読んだことがある。ここでも陶器が展示されていた。ルノワールのものと勘違いしていたが、息子のジャンが作ったものだという(桐田真輔さんが後日教えて下さった)。果物などが描かれた皿で、そこに父の影響などは見受けられなかったが、磁器全般の持つ、重たい質感、色合いに、興味を惹かれた。陶器の塗りこめた感触に、なるほどルノワールの肌の痕跡を見たと思った、そして会場内の、《レ・コレットの農家》(一九一五年)の木立に囲まれた白い壁の農家、その葉の重なり、その壁の輝きに、陶器のつるつるとした質感が見出されるのが、なぜか嬉しかった。
 《母子像》(一九一六年)という、ブロンズ彫刻作品があった。着衣の豊満な女性が、赤子を抱いている。色合いはもちろんブロンズで、肌色をしているわけではないのに、そのふくよかさ、肉感から、ルノワールのあの女性たちの肌の質感が、そのままたちこめてくるような気がしたものだった。そう、磁器、彫刻、絵画と、連綿と流れるルノワールの何かに、ひかれたのだった。息子ジャンにながれる父の連綿としたものには、ほとんどひかれなかったというのに。
 さきにもふれた《陽光のなかの裸婦(試作、裸婦・光の効果)》は、草や木々とともに陽光をあびた裸婦の肌が、木漏れ日にまだらになっている。それは人物というよりも、ほとんど風景のようだ。人も草も、等しく陽光を甘受している、その瞬間のきらめきが、印象派にふさわしい明るさだと感じた。わたしはどちらかというと人物画は好まないのだが、ルノワールのそれ、とくに裸婦にひかれるのは、そうしたことによるのだろう。肌の瞬間が生として凝縮してそこにあるのだ。それは時間の凝縮といってもいい。うつろうものたちへのオマージュ。ちなみに、当時の批評家が、ルノワールの描く裸婦の肌は、腐肉のようだと批判したと聞いたことがあったのだが、それはこの作品をいったものであるという。
 豊満な裸婦たち。それはほとんどくずれんばかりの肉を持っている。この意味で、腐肉というのは、一理あるかもしれない。自然へ戻ろうとする肉の瞬間。その肉の、大地への欲望を具現化したような重みに、日だまりのもつ鮮やかさが描き込まれている。ルノワールは印象派から離れるが、それはやはり自然との瞬間の出会い、欲望なのだ、と裸婦たちが無言で語りかけてくれるような気がする。
 陽射しが明るくなってきた。


「ルノワール+ルノワール展」公式HP:www.ntv.co.jp/renoir
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2008-03-05

冒険へのいざない


 日経新聞、スティーヴン・ミルハウザーの小説『ナイフ投げ師』紹介文に、「著者はあるインタビューで「小説とは冒険にほかならない」と述べている。この場合、「冒険」とは、読者を日常生活のくびきから解き放つ「危険と隣り合わせの驚異の世界」への誘いのことだが、赴くところは世界の果てとは限らない…」とあり(越川芳明氏、三月二日)、小説について、なんとなくだが似たようなことを感じていたので、興味をひいた(ミルハウザーも好きな作家なので、そのうち読むつもり、今回のこれは短編集だそうだ)。
 少し前に、『遊びと人間』(ロジェ・カイヨワ)を読んでいた。遊びを定義づけ、考察している優れた本だが、その中で、大雑把に言ってしまうと、遊びはまず現実と境界を設けた上で行われること(競技、賭事、演劇空間)、歯車の「遊び」について、「厳密正確のさなかに残さるべき自由を意味する」、また、境界が設けられてはいるが、遊びと現実の間、「両者のあいだにはある関係が保たれている」という。例えば競争の遊びは、現実の競争社会との関連がある。また例えば「偶然と組み合わせの遊びは、数学のいくつかの展開の源泉であった」等、両者はわかたれているが、浸透しあい、影響しあっているのだ。けれども、「遊びは仕事の準備訓練ではない」。
 これらのことを、芸術との関わり合いとして読んでもみていた。もっとも遊びを競争、偶然、模倣、眩暈と、四つに区分けする際に、模倣の中に演劇を入れているのだが。
 境界をひいた中で、「規則の限界内での自由な反応を即座に発見し、創案せねばならぬ、そこにこそ遊びがある」。
 “jeu”、「すなわち、芸術家の「演技・演奏(ジュ)」あるいは歯車装置の「遊び(ジュ)」」。
 また、遊びの危険性について述べられたことにも、芸術との関連を見いだした。「遊びは贅沢な活動であり、余暇を前提としている。飢えている人は遊びはしない。」「遊びは虚構の障害である」が故に、現実認識が抽象的になってしまう可能性がある。けれども、事態はいつも両刃の刃であるのではないか。「これは遊びの本性に由来するものであり、もしこの欠陥がなければ、遊びは豊かな創造性をも同時に失ってしまうであろう」。
 わたしは、ずっと飢えとのこの問題を、重石のように感じていた。飢えている人は遊びをしない。だが、だからといって遊びを責めるべきではない。飢えていることを除くことが問題なのだ。「人はパンのみに生きるにあらず」ともいうではないか、と、自答してみるのだが、重石はずっと残っている。いや、たぶん残っていていいのだ。そうしたことを担いながら、境界線を持たなければならないのだ。遊びがなければまた生きられないのだ。と声を立ててみるが、まだその線はあやふやだ。だが、現実と遊びは、均衡を保っているのではないかどちらか一方だけの世界とはありえないのではないか。そんな風に思ってみる。どちらも境界をたもちながら、浸透しあってともにあるのだ。「遊戯者は日常生活から遠ざかることを求めて遊ぶのである」。この遊戯者は、どちらの世界にも属しているのだ。江戸川乱歩は、ポーのことばを好んで使っていた。「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」。だがどちらもまた、わたしたちの体験なのだ。あるいは夢が昼にとって必要であるように、昼もまた夢にとっては必要なのだ。
 小説を読むこともまた、なにか境界をひいた世界をかいま見せてくれるものだろう、遠ざかることを求めて、かどうかはわからないが(そうかもしれない)、文章はわたしを現実とは位相の世界に確かに連れていってくれる。ということを、冒頭でも書いたが、思っていたのだった。くびきからはなたれても、わたしたちは、また現実にもどってくる。たがいに行き来することで、世界は影響しあって、均衡をたもっているのだ。
 この一年くらい、なぜか小説を読むことが難しかった。詩集、詩誌は読んでいたのだが、小説の世界に入ることができなくなっていた。詩誌は仕事の必要もあって読んでいたのだが、おそらくそのせいだろう。詩もまた現実に依拠しながら、別の位相から世界を見つめるものだ。あるいは境界そのものから発生する裂け目のことばだ。わたしはこの裂け目に入りすぎていた。ここからまたさらに小説の世界に入ることができなかったのだ。たぶん、いや、わからない。
 先日、久しぶりに小説を読んだ。正確には戯曲。中野美代子『鮫人』(日本文芸社)。桐田真輔さんが「断簡風信」で好意的に紹介されていたので、読みたくなり、お借りしたもの。鮫人(コウジン)とは中国的な人魚のこと。阿片戦争のすこし前の中国が舞台の幻想的な戯曲「鮫人」と、チンギス・ハーンの頃の蒙古帝国の宰相、耶律楚材の一代記「耶律楚材」の二つの戯曲からなる。会話としてのことばや独白としてのことばたちが綿に水がしみてくるように、景色、風俗、心理の錯綜、時間、もろともをまきこんで、どんどんはいってくる。わたしはまたこの小説のめくるめくいざないの世界にはいることができたのだ。均衡をたもった冒険、注意ふかく綱をわたるようにして。「両者のあいだにはある関係が保たれている」。
 三月に入り、陽差しがやわらかくなってきた。去年のようにまたあちこちの梅を見に行こう。あまやかな匂い、わずかに黄がかった花びらが、陽差しをうけながら虫を誘う。冒険は背中あわせにあちらこちらで手招きしているのだ。それはときに胸がいたい。


(写真は2枚とも新宿御苑、散策路の梅)
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