Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2008-04-25

つなぐもの、そして ─詩誌お礼など



 イアン・マキューアン『黒い犬』を読み終えた。その日、帰宅途中だったが、黒い羽根が空から降ってきた。ゆっくりとくるくるとまわりながら。黒い毛。楽しい偶然だと思った。地面に落ちる前につかんだ。神秘主義者と現実主義者の物語。どちらでもないのが語り手だ。つまり、ある意味では両者をつなぐものだろう。柔らかい黒い毛。『黒い犬』の本に羽根をはさんだ。

 桜はもはや、若葉をたたえ、桜の木としかいいようがなくなっている。それはほとんど、ケヤキとか、椎の木とかと同じニュアンスをもった緑の木だ。ここにいつも不思議な違和を感じたものだった。桜の花だったことをおくびにもださないで、と。なにか狐につままれたような気持ちが、春のやわらかな陽射しに、たゆたうようなのだった。いつからだろう。そこには、桜の花のほとんど幻想的なまでの鮮やかさを惜しむ気持ちが多く含まれていたのだが、だんだんとそれが減ってきたように思う。もちろん、桜の印象はぬぐいがたいが、今眼前にある桜の木の、そのままの姿、葉のやわらかい色合いに、なにか頷いてしまうような、そんな気持ちへと変化していったように思うのだ。
 新宿御苑脇の遊歩道を毎朝通って出勤している。二月位から、梅、ハナニラ、スミレ、桜など、花が変化してゆく。今は八重桜、花みずき、ヤマブキ、馬酔木などが咲いている。後を継いだように、と思ったりする。なにか手渡しするように。カラスノエンドウ、ホトケノザ。
 「桜は散ってしまいましたが、八重桜、ヤマブキなどが後をついだように咲いております。そんな花たちを毎朝眺めて出勤しているのですが、何か若葉のやわらかい色とともに、心をほぐしてくれているのでした。/ どうぞご自愛、ご活躍下さいますよう、心よりお祈り申し上げます。かしこ」
 最近、頂いた詩誌などのお礼状に、こんなことを書いている。こうした時候の挨拶は、ずっと以前なら、ただの手紙を書くうえでの約束事にすぎなかった。前略や、拝啓、陽春の候、ご清祥などといったことばは、まったくリアリティのない記号にすぎなかった。そのことも、だんだんと変化していった。今書く時候の挨拶には、かなり何かしらの実感、印象がこもっている。そして遠い所に住んでいる人には、状況を想像してもらうよすがにしてくれればと思ったりするし、近い人には、季節をわかちあいたいと思っている。いや、どちらにしても、なにかを共有したいと思っているかもしれない。時間を、季節を。とりまく何かを。

 三、四月に頂いた詩誌のお礼状から。宛名(但し個人詩誌は記載)、かしこ近辺等は省略。これ以前のものは、手書きだったため、手元に残っておらず、載せていません。

四月四日
『ガニメデ』42号をありがとうございました。
 鴇田智哉さんの『手がひらく』、あることとないこと、影のあわいからことばを五感として集中させ、実体を確かめてゆく、その所作が切実でした。高岡修さんの『透死図法』にたゆたう死と花たちの踊りにもにて、生を照らしてくるようでした。鈴木孝さん、『単細胞が蠢く街がある』の生々しい生のありかた、吉野令子さん『ふゆのーと』のしずかな息づかいからたちあらわれてくる真摯なものに、久保寺亨さん『白状/断片』垢留宙的に広がり、また収縮された、生と死のおりなす硬質な情景、藤本真理子さん『おやすみ』では、ひとつの音のもつ力に気づかされました。野村喜和夫さん『ルリ大街道』のねじれた道、篠崎勝己さん『声の向かうところに 私たちは在ろうとするのだろうか』の、遡るように進むねじれに、ひかれました。ほか、小林弘明さん、佐伯多美子さんに。
 そして武田肇さん『非天』。題名にまず、ひきこまれます。天と天でない場所という、すべてをまきこんだ線、或いは“てん”(点)を彷彿とさせます。山人の縊死と藤がおのおのの在り方を諒解している場所、瀧を吸う場が、溺死者たちの声を天の川の音に共鳴させている場所として、季節の渡りを見つめる場所として、非天は屹立して、痛みを吸ってあるようなのでした。

四月四日
『馬車』no.38号をありがとうございました。春木節子さん『M海岸駅』は、列車が世紀をまたいで、場所をまたいで、詩と現実をまたいで、進んでゆくのが、「かすかな光がちらちらとあつまって」いることと重なり、日の射す、海面のようにちらめいて、宝石のように思えました。その美しさに、詩の力を見せつけられるようでした。
 馬場晴世さん『池に向かって歩いていくと』は、内なる池と、外の池の共鳴するさまに、ひたむきさを感じました。田中順三さん『白梅』は、夢と現実の接点にある梅が、天神さまという言葉からも、平安の時代をもそこに漂わせ、凝縮した詩空間を醸していると思いました(桜もすきですが、桜よりも早く春を知らせてくれる梅、その静けさも好きなのです)。臺洋子さん『猫の名前』は、名付けることによる所有ということを、やさしく包むように考えさせてくれました。山本みち子さんの『はまなし摘み』は音と触感がありありとつたわってまいります。「言葉の味」が印象的です。本多寿さん『果樹園日乗・抄』は、自然と共にあることの共鳴からつづられた生死の、その淡々とした息づかいに、ひきこまれそうです(『続・対話を求めて』、また御詩集を頂きました。ありがたいことです)。そして新延拳さん『D51の汽笛』も汽車という列車ですが、こちらは日常をまきこむ力強い音で、男性的に突進してくるのが、印象的でした。久宗睦子さんの『山茶花』。花と、歌詞と、両方から、痛み、時間をやわらかく真摯に差し出してくることに、『冬薔薇』の、屹立する薔薇のような姿に対する共鳴に、現在として存在する批評性に対して、目を瞠る思いでした。

四月七日
『すてむ』vol.40をありがとうございます。
甲田四郎さん『広場』は、淡々と描かれた日々から、まず虹のたとえが自然と向き合う姿勢を考えさせてくれました。「生活のいちばん基本的な行動が/いちばん孤立無援に見える」ことにはっといたしました。こうした共有もあるのだと。そうして日々からずれてゆくものたちを、詩のことばが辿ってゆかれますこと、わたしたちの日常をも巻き込んで、共鳴いたしました。間に合わなかった淋しさとして。
 他に、松岡政則さん『那魯灣渡暇飯店備忘録』の水平的な空間にひろがる生の息づかいに、青山かつ子さん『むろ』の、静かかつ深淵な死をみつめるありかたに(“むくろ”が“むろ”に通じている姿などに)、水島英己さんの『私はどのような戦争をしているのか』の硬質な視線の貫くありように、心ひかれました。

四月七日
『交野が原』64号をありがとうございました。新井豊美さん『二月』の、私達を取り巻く自然、そのサイクルにまじわってゆく詩のことばの美しさに、平林敏彦さん『屋上から』の、景と硬質にむきあうことばの痛さに、田中国男さん『木を見る物語供戮痢¬擇箸里佞譴△Α語りあう、その屹立とした所作に、一色真理さんの『太陽』の、不思議なリアリティに、岩佐なをさんの『自然光』の、音と物質の共鳴のもたらすあやうい空間に、相沢正一郎さんの、『わたしはいま、何ページ目にいるんだろう』の、物語と日常の境目の出来事に、瀬崎祐さんの『湯治場の話』のわたしとあなたのねじれ、物語のねじれに、原田道子さんの『祈ぐまなこの そんな朝に』の静謐さをたたえた、囁きの確かな力に、川上明日男さんの『湖』の話し言葉のもつ可能性と痛みに心ひかれました。
 そして金堀則夫さん『土』。土の周辺で(そこでは空という空間的な広がりも隕石により出会っています)、土の中から、連綿と続くもの、営み、孤独(「子はどこにいる」)、土に還るわたしたち、ということも含め、つめたいようなやわらかい土の触感とともに、まざまざと生を、死を、土から広げ、差し出してくれるようでした。『石の森』143号もありがとうございました。金堀則夫さん『架け橋』の星たち、高天原と石器とを出会わせて、またたいているのが、それにたいする共鳴する視線が、降ってくるようでした。
 少し話しがそれますが、じつは、『交野が原』というのは、最初、地名ではないと思っていました。ことばや人、様々なものが交わる場、としての原、ということで詩誌名をつけられたのかと勝手に思っていたのです。けれども発行のご住所をみますと、交野市(しかも星田という美しい名前)。交わる野という地名、ともあれ惹かれております。こちらでは桜が散っております。どうぞご自愛下さいますよう、心よりお祈り申し上げます。

四月七日
三井喬子様 『部分』36号をありがとうございました。
 寄稿の作田教子さん『春の家族』は、春という始まりであり、終わりである季節と、生死をからめ、自然との関わりのなかでの営みを鋭く対峙させていると思いました。
 三井さんの『星落』の鳥という飛翔と、星の落下、灰と煙、水面と夜空、水平的なものの出会いのなかで、魂の痛み、孤独が、精緻に奏でられていると感じました。『憧憬―花』の圧倒的な遠さ、そして希求と表裏をなしている、邪悪なもの、その接点からの視点が、切実でした。

四月八日
『repure』 5、6をありがとうございました。5号の足立和夫さん、『一瞬の宇宙』『枯れ草宇宙』は、壮大さと小ささとの接点で生成する詩が、共鳴を呼び込んできました。たとえば「宇宙は/いずれ終わる」、わたしたちも又。各自の孤独さのなかで、体験をとおして、わたしたちは連なっているのだ、といった感銘。
 以下6号です。足立さん『空から撃つ声にくるまれて』は、言葉と言葉にならないもの、叫びとのあいだで、精神と肉体を、生と死を、空と地をからめて、たちあがってくる詩のことばに圧倒されました。「いきなりからだが斃れた/青空が壊れていた」この同時性に、やはり共振に似た痛みを感じて、印象的でした。
 小川三郎さん『肌流花抱』は、題名も素敵ですね。花とわたしたちの間をたゆたう生、そして死が、にじみ、共鳴し、はがれてゆく、性をたたえた生のありかたが、うねるように、ある種なまめかしく、わたしたちにふるえ、ほとばしるようでした。
 高田昭子さん『耳の音』は、小泉八雲的に、かそけきもののもつうつくしさ、悲鳴にも似た小さなさけびを繊細にあつかっていると思いました。さけびからあらわれる生命のひびきが三半規管をとおしてつたわってくるようでした。
 他に、小網恵子さん、白井明大さんが、印象に残りました。

四月九日
『視力』5号をありがとうございました。3人の、緻密な詩的空間が、心地よく胸に広がってまいりました。
 亀澤克憲さん『池袋駅』、ふるさとのなさについて、共鳴できるところがあると感じました。わたしは東京生まれですが、生まれたところは賃貸で誰も住んでいなかったりで、ふるさとがありません。『屋敷跡』は、『池袋駅』で描かれた世界と、パラレルに接点をなし、土地の痛みをひらいて見せてくれるようでした。ここで描かれた「庭」は、あるいは、いま立っている場所ということで、ふるさとのなさを支えている場所であるかもしれません。わかりません。それはともかくとして、あたりの景が、まざまざと、うつくしいものとして、こちらにさしだされてきました。「イヌフグリ」「ハクセキレイ」「桜の堅い蕾」…。「世界は美しい誤謬で満たされている」、降るように印象的でした。
 本多寿さん『ゆびがはしゃいでいる』、ことばで、ことばでないものを描きとることの真摯な態度からくる描写の強さに心ひかれました。それはあとがきの『魚眼』で描かれた「言葉をもって創造された自然によって初めて大いなるものと向き合うことが出来るのである」ということと、深い意志で結ばれた態度であると感銘いたしました。

四月十一日
『gui』83号を、ありがとうございました。國峰照子さん『蓋』は、音を通して、他者と、ほとんどその精神的底とまで、関係しようという、深い意志が鮮やかでした。萩原健次郎さん『角ばったもの』、四角さにこめられた大地との接点を鋭利にことばで彫っているような痛みがありました。濱條智里さん『始まりは、ここから』、草花におみくじのように寄り添わせたのか、あるいは花びらが途中から紙になっているのか、草花と紙の関係が、書く行為と、書かれるものとのつなぎめをきりとってこちらに差し出してきてくれるようでした。そして奥成進さんの『北園克衛『郷土詩論』を読む(四七)』、貴重なお仕事と、丁寧に読ませて頂きました。様々な角度から捉えられること、私たちにリアルなかたちが伝わってまいります。

四月十四日
『紙子』15号をありがとうございました。清野雅巳さん『プロモーション』、宣伝という行為により現実が脅かされる、あるいは架空が現実を突き破っている、その瞬間の放つ奇妙なリアリズムがありました。國重游さん『冬の花火―十二の三行詩』、ここにいる者と、いない他者のあわいを、詩行の空白が、手をそえるかのような、距離のかもす抒情が美しかったです。たなかあきみつさん『冬の一五の瞬間』、ショスタコーヴィチの交響曲について書かれたものの翻訳(ドミトリィ・バヴィリスキイ)ということですが、音とことば(ここにはロシア語から訳された日本語ということで、あいだをよこたわる溝からこぼれた、限られた自由、訳による創造ということも含まれます)のからみあった、生と死のはざまにつきたてられた散文詩だと思いました(「威力は増大する、(…)音の皮下出血まで、包囲する全空間をみずからさえぎる音響の浮腫にまで。」)。詩の『(空地を遮光瓶に捕獲せよとささやく…)』は、アレクセイ・チタレンコの写真を扱っていますが、場所を硬質に切り取った感触に写真が重なり、そこからぶれつつ押し寄せてくる、実在の渦に目眩を感じました。萩原健次郎さん『外地』、艸という文字の形(草が二本生えているような)、双児、光と影、清浄と汚濁、ふたつの間を分かつ、あるいは繋げる場所で、詩がふるえつつ、わたしたちをもまたふるえさせ、そうすることで艸を生きさせてくれるようでした。

四月十四日
中村恵美様 前略 この度は『帆布』5号をありがとうございました。帆船のような、画布のような表紙だと思いました。『耳を拓けば、ふいに舞い降りる、とうめいな音楽』、そのままに、声が、さえずりが、あいさつが、つまり他者たちの動き、としてのことばが、場所(庭であるかもしれない)に、おりてくる、そこから共鳴してゆくようでした。それは『寂しい声、地球』にも連なり、響いてくるのでした。人と人のあいだを声がわたる…。どうぞご自愛、ご活躍下さいますよう心よりお祈り申し上げます。かしこ

四月十六日
『tab』no.9をありがとうございます。
 近藤弘文さん『蜜蜂』、「誰もいない蜜蜂」というかそけき謎から、言語に色彩がこぼれおちてくるようでした。
 後藤美和子さん『ダンス』、「指紋をふさいでゆく」律動、営みが、あざやかでした。
 高野五韻さん『声と街路』、「ことばではない声/粗く湿ったみえない物質」、このあわいにこそ、詩はあるのだと、景をもまきこんで語りかけてくれました。
 石川和広さん『はじまりの焦慮』、「食器棚がどうしようもなく死んでいる」、日常と架空の間の違和を、いたましい絵本のように開いてくれました。
 野村龍さん『桃』、彼にしてはおどろおどろしいですね。それは単純に、一見した感想にすぎませんが。こちらも架空の「青髭公」(モデルはいますが)が出てくることによって、その残虐な行為を知っているわたしたちに、美しい景色(「燕達の虹の翼」)に隣り合わせになった狂気を、見せつけてくれます。青髭公からの手紙が届いているということが、架空が現実に食い込んでいる確かな証しとして、物語と現実との繋がりをも教えてくれました。
 倉田良成さん、『―私の小倉百人一首から』は、コロンブスの卵のような、ありそうでなかった斬新なコラボだと思いました。「とまをあらみ」の作者が見た世界と、対極にある「己」の世界を通して、つまり行為における各自の感じ方の違いに焦点をあてることで、世界の本質が浮き彫りにさらけ出されていると思いました。ここには現代と過去という時間の問題もたくしこまれています。

四月十六日
『鰐組』227号をありがとうございます。
 村嶋正浩さん『風立ちぬ』、きっちりと矩形におさまった散文詩が、「水はまだ冷たくて逃げ水とは絶えず逃げる水のこと関東平野に風立ちぬ」の冒頭とあいまって、なにか逃げる水、逃げることばの一瞬を切り取った永遠のようだと思いました。その水、「逃げる海」には、様々な日々が、浮かび上がり、沈んで、私達につきつけるようにコラージュを差し出してくるのでした。
 小林尹夫さん『棲息35』は、「白い葉書」に書かれた丸という小さな接点を通じて、ことばと虫たち、あるいは心の穴といったもののかそけきふれあいの場面にひかれました。シミがひろがってゆくように。
 仲山清さん『手品師みたいに』は、自然の営み、春の訪れに「樹皮の裂け目につきたてる」、楔のようにうちこまれた謎のもの(者かもしれないし物かもしれない)が、わたしたちの決して知り得ない、けれども知ろうとしなければならないことどもを如実に示してくれるようでした。「……と呼んでくれ/だれにも聞きわけられない名前をつげる」が、名付けられえないもの、所有できないもの、けれども知りたい、関わりたいものを立体的に醸し出していると思いました。

四月十六日
木村恭子様 『くり屋』38号をありがとうございました。
 寄稿の秋島芳恵さん『ある別れ』、「約束もなく掴んでいるその接点を見届けなければならない」という真摯な意思表明に惹かれます。ここでは落ち葉が落ちる瞬間ですが、そうした場で、ことばは紡がれるべきだと思うからです。「触れることはできなくても/きこえてくるコトバはあるのでした」は、私たちは、分かり合うことがないかもしれない、けれどもことばを使わなければいけない、そうしないと、なにもはじまらないのだ、ということをあらためて教えてくれました。
 木村恭子さんの『仮りの名・かな』、「ふくをぬ」う、それらがひらがなであることによって、「ひも」が「くるくるよじれてひらがなになり/みじかいことづてになってゆく」のが、リアルに伝わってきます。「ふるいおるごおる」が「りるろんりりろん りるらろり」と「おんがくのひらがな」になることも、ああ、そうなのだ、おとのつぶとなって、音楽はことばとはべつのしかたでわたしたちにやってきてくれるのだ、そのことを、かなだからこそ、よく響かせてくれました。仮の名、というのは、変えられることもあるかもしれない、ある意味、固定されていない、自由な文字です。そこに詩のことばとの関連をみたりもできるかと思いました。
『卵』も不思議な作品でした。「女の人」が「スケッチ」する卵、「絵の中の卵が転が」ることは、なにかマグリットの絵を見ているようでもあります。キャンバスに描かれた海浜風景が、窓の外の実際の海浜風景と繋がっている、といったような(《人間の条件》)。それは過去のことで、今ではべつの町にすんでいるのにも関わらず、「今朝の目玉焼は、こちらに転がってきた女の人の卵です」といって閉じられていることも、どこまでが現実で、どこまでが絵という架空(これは、小説や詩におきかえてもいいです)なのか、ありきたりな言い方ですみませんが、メビウスの輪のような、そんな空間のねじれを、詩が形作っていると思いました。

四月十七日
前略 『現代詩図鑑』2008年春号をありがとうございました。
 表紙の来原貴美さんの《悲しみのマリア》、少女のようなそれですが、特に目が、遠くを見ているのか、黒目がちなそれが何か穴のように見えて、中に向かっているのか、あるいはその両方であるのだ、と開かれているようで、惹かれました。
 倉田良成さん『秋の歩行』は、単純に、わたしたちが普段見過ごしがちな街の景色から、詩的空間を立ち上らせ(「純銀のティアラ」の、「メアリ・スチュアートのような女郎」蜘蛛の巣、「赤く熟れて銃弾みたいな格好で枝先に装填されている」ハナミズキの実)、「この驟雨のようなもののむこうに、きわめて華やいだ冬の祭りがあるようなのだ」といった、詩と現実の融合した、祝祭的場、一日に誘い込んでくれることが、うれしいような発見を伝えてくれました。
 山之内まつ子さん『流れる少女』は、一行目の「ブローチとは肉化した温点である」から、その性的かつ生的な世界にひきこまれました。あるいは聖的な。「少女は聖を捨てきって流れる」。「ジュレ状の誤読へと/少女は融けきった」のが、固体と液体の間で、境界/接点から語られた叫びだと思いました。
 眞神博さん『言葉の素肌(惜別)』、言葉の素肌、ということばにまずひかれました。ひりひりとした、痛みのような祈りだと思いました。「見えなくなっても/空が続いていることが悲しい」、その空、冬の空から魂のようにやってくる蝶、雪、「そこに言葉を一つだけ持って行くとしたら/「水」という言葉を持っていこう/もし何も持って行けないとしたら/自分の事をどうやって説明しよう」、静謐な祈りと、深く感受性をえぐるような「言葉の素肌」でした。
 春木節子さん「小児科にY先生を訪れる」は、病院の描写が淡々と語られているだけですのに、読んでいるうちに、だんだんと不気味な気配のようなものを感じてしまいます。そこに事件は殆ど起こっていないようですのに、泉鏡花の短篇のような、ひそやかなおそれのようなものが満ちてくるのです。生よりも死の存在が濃密にたちこめているかのような。「患者も医師も看護婦も/順々に飾られている/この世からいなくなっているであろう人々」。
 支倉隆子さん『未知ゆき』は、「道行き」を変化させたものなのでしょうが、なにか道行きの意味を音によって残しつつあることで、セーターを編んだ毛糸をほぐし、また別のマフラーかなにかを作ってゆく、そんな毛糸のようなことばを思いました。それは「軽々と。/光るヒモ。/かさこそ。」から連想したのかもしれません。「葉葉葉×未知ゆき…」ことばが、ほぐされ、セーターだった感触を記憶しながら、変化する、生成のリズム、律動をおぼえるのでした。「ササン。/光る数字。」

四月二二日
支倉隆子様 『南へ。』一号、創刊号に、拙作を載せて頂き、光栄でした。
 表紙の、「草市まで。草市まで。」と草たちが続くそのなかでひとつ、鮮やかにルビーのように光る、「苺市へ。」の文字が、とても甘やかで、果肉の質感まで手渡してくれるようでした。

 さて、頁をひらきますと、拙作の『南、十字へ。』が右頁、支倉さんの『遊星発生』が、右頁と、並んでいるのをみて、びっくりいたしました。私のは、“南十字星”を、支倉さんのは、“遊星”“南”を、この繋がり、ほぼ偶然(だと言われていましたが)が、とても嬉しかったです。
 けれども私のそれは放っておいて、『遊星発生』です。「(大田公州 多情食堂」「(星雲/(必敗の甘美さ/(コトバコトバコトバコトバコ…」、「(竹生庵、そば良し。大阪駅地下、(中略)」、これらが、一見ばらばらでありながら、いえ、ばらばらなことにより、「遊星発生」として、新しい宇宙を創り上げてゆくのが、壮大でした。その宇宙は、わたしたちのいる世界を反映させてもいるから、リアルなのでした。あたかも「(コトバコトバコトバコトバコ…」が、コトバをのこしつつ、ちがう可能性をやさしく示唆してくれるように。反歌があるのも、ほのかな香りのように日本を(ほのかといったのは、「必……その美しさよ/敗……その美しさよ」は、反歌っぽさがあまりなく、あたらしい試みだからです)、時間的な流れとしても、呼び起こさせてくれました。
 あと「多情食堂」、ことばの音というか、出会いにひかれました。最後の頁の〈うっとり軟膏〉とともに。
 次の『〈ベラミ・ラ/上野界隈〉』でも、宇宙的な世界がふんだんにとりこまれていますが、うってかわって、雑多なもの、キッチュなもの、「ロボット」「かけうどんやらトースト」「大道芸人」、「国立上野博物館」「東京都美術館」の「グッズ」が、猥雑に、新鮮な輝きをもって、わたしたちを誘ってくれます。「贈 菜花組!」「マチュピチュマチュピチュ」の不思議なリズムが、“青かなしい”宇宙をひきこんできてくれるのでした。
 小さい詩篇たち、旅行記や日録との混交のコラボレーションからくる広がりもにも惹かれましたが、『ソレ・カラの唄』が特に好きでした。「ソレカラ/オソレカラ/ソレル/ソレイユ ソレイユ//ジュリアン・ソレル//「そして物語の舞台は水辺へとうつった」」
 “それから”“怖れ”“太陽”ことばたちが繁殖してゆき、“それる”さまが。そこから、粘着テープみたいに、たくさんのものが付着してゆき、可能性を感じさせてくれるのでした。個人的に、ジュリアン・ソレル登場にも、わくわくしました。
 裏表紙の“詩集「カンブリア」”の写真、ぜひ開きたくなるような鮮やかなピンクの本。あるいは、少し開かれたそれは扉のようで、『南へ。』1号をも含みつつ(“カンブリア”をもちろん含みつつ)、その白い道、空白に、わたしたちの物語をも読みとっていいのかもしれない、などと思ったりしました。
 そして、写真の脇に書かれている「小放浪の記憶」、特に「日本(?)華道学園のわびしい物干(P)長ジュバンが一枚タラーンと」が、“わびしい”光景が目に浮かぶようで、にんまりとしました。なにかノスタルジックでもあります。

 八重桜、先日、ふと触ってみました。その花のかたまりに。初めてか、記憶にないくらい、遠い過去以来でした。それはびっくりするほど、しっとりとしていて、以前支倉さんが仰られていた「人肌のぬくもり」を思い出させてくれました。どうぞ、ご自愛下さいますよう、心よりお祈り申し上げます。かしこ

 時間を、季節を、とりまく何かを。
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2008-04-15

重なる虫たち


▲花器「茄子」

▲脚付杯「蜻蛉」
 「ガレとジャポニズム展」(二〇〇八年三月二〇日〜五月十一日、サントリー美術館)に行った。ここは二月に出かけたロートレック展と同じ会場だが、ガラス器や陶器の展示ということで、総じてその時よりも照明が暗い。作品たちはガラスケースに収められていて、台の底からライトを当て、照らされているのだが、それがときにガラスのランプのように見え、暗がりに点在する明かりのようで、特に端や通路の真ん中に置かれた作品は、夜の海に点在する、小島の灯火のようでもあり、ここちよい空間を醸し出していた。鳥かなにかのようなわたしたちが島から島へとわたってゆく。そのライトは、計算されつくしているのだろう。作品たちを、その質感、あるいはガラスの中に描かれたものが、表面から透かしてみる作品などを、よく見せていた。こう見えてほしい、という作者の想いを、くみとっているようでもあった。家にあったとしたら、ここまで完全に見ることは難しいのではないか、とも思ったが、どうだろう。それはそれで、別の趣があるのかもしれない。朝日によって、夜の灯りによって、時間と共に変化してゆくガラス器たち。
 エミール・ガレ(一八四六―一九〇四)。「ガレとジャポニズム」ということで、日本的なものたちが数多く出品されている。花器「鯉」、鉢「蓮に蛙」、花器「草花に蝶」、「獅子の煙草入れ」、「梅に鳥」、「雪中松に鷹」、花器「富士山」、「竹」。ざっと名前だけを連ねても、たぶん日本的だという、その雰囲気は伝わるのではないだろうか。花器「魚籠」(一八八〇年代)などは、編んだ魚籠(びく)そのものを模した茶色の陶器に、海草が這っている。折り紙形花器「富士山」(一八七八年頃)は、富士山や桔梗、蝶が描かれた陶を折り紙に見立ててあるのが、珍しく思え、興味をひいた。多分ガレには、魚籠や折り紙が珍しく、面白いものとして映ったのだろう。その新鮮な驚きが伝わってくるようだった。
 だが今名前を連ねたものは、出来上がった作品に対して、こういうのは気がひけるが、習作のようなものだろう。一八六七年のパリ万博で、二一歳のガレは初めて日本美術に触れる。一八七一年のイギリスでの万博を機に、ガレは日本美術の収集をはじめ、一八七八年のパリ万博で、自ら作ったジャポニズム的な作品を出品する。「この頃のガレのジャポニズムは、(…)装飾を、形態を、そのまま写す段階に留まっている」。それはそうだろう。対象のスケッチから始めるように、模写から始まるのだ。外観どおりに写すこと。対象との出会い、つきあいはそこから始まるのだ。ガレはそうした模写時代を経て、虫や鳥などの小動物や、鳥たちとの距離をせばめてゆくようだった。展示作品をみて、なんとなくだがそう感じた。そこに距離があったとしても、その距離をせばめる意志のようなもの。蝶や蜻蛉、虫たちはヨーロッパでは「人よりも劣る存在として、美術品にはあまり登場しなかった」ものだったが(こうしたことを聞くと、神を頂点としたヒエラルキー的な考えが浸透していたのだろうかといつも感じる)、日本美術の影響で、彼らはそうしたものたちへ視線をむけるようになったという。ガレもまた、蝶や蜻蛉を好んで使っているが、それは徐々に日本からの影響、模写をくぐりぬけ、自らの作風へと、昇華してゆく。
 そうしたものの登場は大体一八八九年頃(この年、またパリ万博があった)からだ。蓋付杯「アモルは黒い蝶を追う」(一八八九年)は、「悲しみの花瓶」シリーズだそうで、黒っぽいガラスに、弓矢をもったアモル(エロス)が、プシュケ(霊魂)の化身の黒い蝶を追っている。題名どおりのことばがガラスに彫られている。これなどは、神話を取り込んでいるからばかりではなく、もはやジャポニズムといえない。それは肉体と精神の対話の物語であり、ガレの独自の、悲しみをうたった詩としてそこにあるのだった。一八九〇年の花器「翡翠」は、淡黄色、淡青色のガラスに、コウホネ、オモダカなどのしげる水辺にカワセミ。これは、一九〇〇年の香水瓶「沼地」の深い緑の瓶に、貝が乗っている姿や、一九〇〇年頃の、花器「貝殻・海藻」の貝が付着した、海から引き上げられた古代の壷のような姿と重なる。一九〇四年の花器「海ユリ」の海ユリとは、ウニやナマコに近い生物だそうだが、水中の生物と、花を合体させたようだが、水をたたえていることで、「翡翠」と通じる。それはたとえばもぐること、といったつながりかもしれないが、翡翠やオモダカなど日本的なものをモティーフにしているにせよ、彼独自の、彼の作り上げた水の世界としてわたしたちに語りかけてくるのだ。コウホネは、海ユリや海藻とともに、彼に直に響いてくることがあったのだ。それは彼独自の作品なのだ。
 こうしたジャポニズム云々を抜きにして、心ひかれたのも数点あった。花器「茄子」(一八九〇─一九〇〇年)は、頸が茄子のヘタで緑のガラス、胴が茄子の実という形態で、ガラスの黄色い実に、薄紫の茄子の花が描かれている。茄子の実と、花で、茄子という存在を集約、凝縮している。そこには時間までもたたまれてあると思った。茄子の花は、小さなユリのようでとても可憐だ。ナスのそうした状態をもまた、この作品は気づかせてくれた。花器「蜉蝣」(一八九九─一九〇〇)年は、コップのような形で、器の内側にカゲロウ、外側にもカゲロウを飛ばせ、水辺の様子を、空気のふるえや、立体感を出している。島のようなガラスケースをぐるりと回る。角度によって、光りの加減で見え方がちがう。羽根が光でふるえ、本当に飛んでいるようなのだ。カゲロウははかない命の象徴だが、彼はそれを知っていたのだろうか。たぶん。生命をいとおしむ、いつくしむ感触が、静謐さを湛えて、そこにあったと思うのだ。脚付杯「蜻蛉」(一九〇三─一九〇四年)は、大理石の質感をもつ白濁したガラスに蜻蛉が立体的に浮き彫りにされているが、内側から、羽部分に茶色い色が影のように重なっているので、やはり角度によって、光によって見え方が変化する。ガラスの裏側に、蜻蛉をかたどった文字で、Galleと彫られている。最晩年の作品だからか(この同一作たちは、形見のように近しい人に配られたそうだ)、なにか痛いような哀しみを湛えているといった印象をうける。ガレは蜻蛉を特に好んだそうだ。ある作品には、「うちふるえる蜻蛉を愛する者 これを作る」と彫ったとある。日本では、勝虫、益虫として、またアキツシマと称して、親しまれてきた蜻蛉だというが(実はこうしたことを、わたし自身はつい最近まで知らなかったのだが)が、ヨーロッパでは、不気味な不吉なものとして、むしろ忌み嫌われていたとある。この展覧会では、「ガレと「蜻蛉」」というコーナーを設けて、机、カップ&ソーサー、小物入れなど、様々な蜻蛉を見せており、ガレの蜻蛉に対する思いが窺えたが、蜻蛉は、彼にとって混沌とした生として映ったのではないかと思った。それは、日本的な親しまれ方と、西欧的な不吉さをあわせもった両義的な存在として、彼に映り、だからひかれたのではないか、そう思った。その融合の存在を受け入れるとは、日本と西欧の接点に立つことでもあるかもしれない。ヨーロッパ人としての彼が、自らのアイデンティティーを保ちながら、他国の文化と出会った、ある種融合の証し。蜻蛉に自らの姿を重ねていたのではなかったか(こう考えると、自らのサインを蜻蛉を模していたことは象徴的でもある)。ともかく脚付杯「蜻蛉」は、混沌とした生として、痛ましくもそこにあった。それは、プシュケとしての蝶、はかない蜉蝣をもあわせもった姿として、不安げな色彩とともに、照らし出されてあったのだ。
 こう書いていて、ガレの蜻蛉は、わたしが蜻蛉に抱いてきたイメージとは全く違うと気づいた。わたしのは“トンボ”である。童謡「赤とんぼ」の世界であり、夏の暑さのなかで、立秋のように秋の訪れを告げてくれる者であり、トンボの眼の前で指を回し、捕まえることができるかとどきどきした、幼少の記憶を共有してくれる者である。彼らは、勝虫やアキツシマとも全く違って、わたしには親しい者として存在している。この“トンボ”を、会場ではまるで思い出さなかった。まるで、目の前のそれがトンボではないかのように。それはドラゴンフライであり、蜻蛉だった。いや、なにか新しい、融合としての虫だった。あるいは混沌のなかに、わたしのトンボを隠し持っていたのかもしれない。
 ジャポニズム云々を抜いて、と書いたが、結局その近辺に戻ってきている。島の灯めがけて浮遊する、蝶や蜻蛉たちのように。そういえば離れて置かれた、まるで離れ小島のようなガラスケースに「ひとよ茸」(一九〇二年頃)のランプがあった。暗がりに生える三本の茸たち。赤い笠が光っている。それは明るすぎない。まるで地下の暗さを知っているかのような灯りだった。その誘うようなランプにひかれ、わたしはその場を離れがたくなっていた。まるでわたし自身が虫であるかのように。そうわたしは鳥ではなく、虫のように、そこに、灯りを放つ島に釘付けになっていたのだ。蜻蛉に自らを重ねること。

▲脚付杯「蜻蛉」
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2008-04-05

花を渡る、あるいはナイフを投げる



 千鳥が淵の桜を見にゆく。満開で人が多い。堀に沿った緑道を四列ぐらいになってゆっくりと進む。緑道の真ん中に桜並木、堀の向こうに桜。晴れた日ならば、堀に桜が映る。人が多いのに閉口するかと思ったが、そうでもなかった。彼らは概ね静かだったからかもしれない。静かに桜を眺め、写真を撮る。緑道も少し進むと、列が乱れ、ゆったりと歩いたり、すこしは立ち止まったりできるようになってくる。まるで混雑する展覧会のようだ。絵の前で、あまり長くはいられない。わたしは人の頭の上の方や、堀、その向こうの桜たちを眺めながら歩いていた。だから人を気にしなくなっていたのだろう。桜並木、堀に映った桜、対岸の桜。気にしないどころか、ほとんどわたしの前から人がいなくなってしまった。岸につながれた小舟のように。なぜなら連れが二人いたから。二人のことはもちろんどこかで気にしていたので、つながれたままの小舟が岸から離れてゆく、そんな感覚があった、というよりも、だからこそ安心して、水にはいっていったのだろうが、ともかく、わたしから桜以外のものがなくなってしまった、わたしという小舟に桜の海が静かに押し寄せてくる、桜ばかりが…、そんな状態になっていた。こんな感覚はほとんどはじめてだった。桜、桜、桜、わたしは桜におぼれ、のまれてゆくようだった。いっぽんの綱のうえに花びらがかかっていた。それはほとんど隠れてしまっていたので、綱がないようだった。実際はあるからこそ、花ばかりになっていたのだが。なければ、人々のなかで、孤独を思い、桜にわけいることはなかったろうから。ともかく、桜、桜、桜にのまれていた。それは数秒だったかもしれない。気が付くと桜に酔った自分がいたと、むせそうになっていた。それはそうとは気づかないで、ある境界をわたったようなものだった。境界のこちら側に帰ってきて、そう気づいた。わたしは瞬間だったが、たしかに桜のほうへ渡っていたのだ。こんな風に、あちらとこちらは連綿とつづいているものなのだ。だが注意しよう。踏み出した一歩がわからないまま、帰ってこれなくなることもあるのだから。
 スティーヴン・ミルハウザーの短編集『ナイフ投げ師』(白水社)を読んだ。三月五日の日記で、この小説への日経新聞の書評のことを書いた。「読者を日常生活のくびきから解き放つ「危険と隣り合わせの驚異の世界」」が冒険で、「小説とは冒険にほかならない」のだと。
 だが、この日常生活と冒険のあいだにひかれた線は、見えにくいものなのだ、だからこそ注意しなくてはいけないのだとも、この小説は随所で語っていると思った。わたしたちが小説を読む、その行為自体は易しい。だが、冒険とは危険と隣り合わせなのだ。表題作の「ナイフ投げ師」は、ナイフ投げという芸をつきつめるあまり、殆ど殺人者と区別がつかない場所までくる。「ナイフ投げ師はやり過ぎたのだと私たちは感じずにはいられなかった。(…)このような芸が奨励されたりしたら、私たちみんなの安全すら危ういではないか?」。「自動人形師」、「パラダイス・パーク」も、それぞれ自動人形、遊園地を、突き詰めすぎてしまった芸術家の物語だ。「この新しい芸術は優しい芸術ではない。その美はほとんど耐えがたい烈しさをたたえているのだ」(「自動人形師」)。一線を越えてしまうと、もはや破滅しかないこともある。「極端な奇想のあとではもう、全面的な破壊のもたらすいかがわしい戦慄しか残されていなかったのだ」(「パラダイス・パーク」)。だがこの一線は見えにくいものでもある。「出口」では、軽い情事だったつもりが、気がつくと、生死にかかわる自体となる。連綿と気づかないうちにつながっているのだ。
 だが、わたしは、わたしたちは、こうした恐怖、危険にも関わらず、それでも、冒険にひかれてしまう。「ある訪問」では、「私」は蛙と結婚している友人の家に訪問する。それは一見尋常なことではないが、その行為自体は、ここでは、ほとんど瑣末なこととして綴られる。私と友人の違いは線を越して、さらに手綱をひいてられるのか、その違いであるかのようだ。友人夫妻には「空中での混じりあい、和やかな溶解」がある。「私の暮らしに欠けているのは、まさにこうした調和なのだ」。ここでは、友人が冒険を生きていることに対する羨ましさが感じられる。すれすれの場所で手綱をとって生きてゆくことに対しての。
 こうした解釈の発端、取っ掛かりは、ある時、ある箇所で、ふっと花びらのように降りてくるものだ。『ナイフ投げ師』を、最初から、こんな風に線を越えたかどうかで読んでいたわけでなかった。「協会の夢」では、遊園地のような百貨店が描かれている。そこでは小川、滝、洞窟、鍾乳洞、古代遺跡までもが売っている。「私たち」は、こんな「新しい売場に一種奇妙で不可解なものを見る思い、ほとんど何かの侵犯を感じとるような気持ちは次第に薄れていき、代わりに、実は私たち自身の認識の方こそ間違っているのだという確信が強まっていった。これら新しい売り場は、慣れ親しんだ世界への異物の侵入どころか、その親しい世界の延長にほかならない」。それは「購入可能なものの境界線を一気に拡張した」だけで、「合成素材が多用され、古風な玩具や有名な絵画や年代物の家具の高級複製品がいくらでもあるこの世界にとって、少しも異質ではない」のだから。これら境界は、こんな風に難なく越えられてしまうのだ、あるいは境界ごと、世界は動いてしまうのだと、この文章こそが境界線をたずさえて、わたしに降りてきたのだった。注意しないといけないもの、そして、だが、奇異なものではなく、そこここに満ち溢れてあるものでもある、ということ、小説を読むように、それはあちこちで開かれているのだと。
 『ナイフ投げ師』の最後に置かれた短篇「私たちの町の地下室の下」は、ほとんど散文詩のように読んだ。「私たち」は、町に、迷路のようにいりくんだ通路をもつ地下室をもっている。それは信じるものだけがもっているものであるかもしれないし、無意識と意識の物語かもしれない。「結局のところ、通路に降りていくときに私たちが感じるのは、何か内なる圧迫が突如はち切れるかのような、拡張の感覚なのである」「ここで初めて、地下に戻ったところで初めて、高さへの真の高揚を──地下から想像された町それ自体を──味わえるのではないかという気になる」。地下はノスタルジアではない。なぜなら、その暗がりには、「消え去った暮らし」が伝えられているわけではないから。また、地下に移り住むことはできない。もしそうしたら、「私たちは新しい、より深い通路を掘りはじめるに違いない」。バランスをとった一線たち。その際で、見られたものは、いつもとても惹かれるべきものなのだ。現実と幻想の間、日々と夢の間、日々と冒険の…、ことばとことばでないものの。
 桜が散っている。朝、ベランダに桜の花びらが落ちていた。ベランダからみえる限り、桜はいない。だが、こんな風に一輪、やってきてくれることで、繋がっているのだと思った。連綿と。注意ぶかく見つめること、受けいれること。
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