Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2008-05-25

灯ることの温もって


 そうだ、わたしは夜景が好きだった。高層ビルから広がるネオン、家の灯、電光掲示板、街灯、白く光る蛇か龍のような電車たち、遠い港の灯、灯台のサイン、点滅。それは夜、道を歩くだけでも良かった。街灯、テールランプ、家の灯。雨が降るとなお良かった。滲んでみえる灯りが、こちらに溶けだしてくるように思えたものだった。それは十代終わり位だった。夜の灯りたちに、なにか温かいものを感じていたのだ。たぶん人の生活、人の温もりのようなものをそこに投影していた。星にまったく興味を持たなかったのは、そういうことだ。そこに人は関係しない。溢れるばかりの夜の灯り。彼らが車に乗り、電車に乗り、家に帰って灯をともす。ビルやホテルからの灯りもまた、部屋のなかからだったから、眼にうつるそれは、家の灯だった。眼の前に、灯がともっている。そこには幾分かの疎外感もあった。わたしはその家の灯から離れていたから。その頃のわたしは、事情たちが重なり、家族や家庭的なものから立て続けに引き剥がされたばかりだったので、知らずと夜の灯りに、かつて自分がいた場所であるとか、団らんであるとかを見ていたのだろう。わたしはそこにいない。だがそれでも灯りは温かい。
 当時のわたしは、あたまのどこかでそれに気づいていたが、断じてそれを認めようとしなかった。認めたら、なにかがくずれてしまいそうな気がしたのかもしれない。かろうじて立っていたのだ。ともかく、よくビルの上に登ったり(高層ビルには、たいてい無料展望所がある)、埠頭から対岸の街を見に行っていた。海に灯が滲む。雨にぬれた道路のようにそれは、滲みながらこちらに、足元までやってきてくれるのだった。
 こんなこともあった。車で何人かで海に行ったことがある。夜出発だった。首都高から京葉道路だったか。街の灯に、車の連なるライトと、道路を照らす灯とが、一面に広がって見える。わたしは後部座席に座っていた。隣に座っていた男がいう。わたしとこの景色を見たかったのだと。男はそれまで、彼氏でも何でもなかったし、別の車には、その男の恋人が乗っていた。だが、その瞬間から恋がはじまった。道を流れる灯りたちが、わたしたちめがけて飛び込んでくるようだった。それは同じものを同じ思いで見ているという共有による、幸福感に照らされ、美しさを倍増された夜の景色だった。そこに疎外感はなかった。灯りを共有しているのだから、それは家に入ったも同然だったのかもしれなかった。だが、わからない。
 ここでもわたしは間違えてしまう。その場の景色が良かったのだと、それから、夜の道を走る機会があるたびに(車の免許をもっていないので、乗せてもらってだが)、窓の外を見た。だが、あの灯は二度とやってこなかった。わたしに飛び込んでくることはなかった。一緒に見る相手がいたからなのだ、と間違いに気づいた。「月やあらぬ春や昔の春ならぬ」だ、仮にあの道をまた走ったとしても、それはもはやけっしてわたしには灯らないだろう。
 多分こういうことはつながっている。温もりであるのなら、わたしはいまでもきっと欲している。だが、あの時、わたしに灯らないということを知って、夜景の魔力からから少しずつ逃れていった。夜の灯への郷愁に似た想いが薄れていった。決定的だったのはこんなことだ。二四、五歳になっていただろうか。高層階にあるバーで夜景を見ながら飲んでいた時だった。その時に尊敬している人から、こうした景色は、見下ろしているようで好きではない、と言われた。じつはここでもわたしは間違えていたのだ。彼はそう考えている。だがわたしがそう考えなくてもいいということを理解していなかった。わたしは彼のように、彼と同じように考えたかったのだ。それが共有だと思ったのだ。彼は、眼下に広がる夜景に、見下ろすことをせず、水平に物事を見つめることを投影していた。だが、わたしには夜景は眼下にあるものではなく、眼前にあるものだった。その意味なら水平だが、わたしのそれは家の灯を投影したものだった。その違いをもっとつきつめればよかったのだが。ともかく、そのことばを機に、わたしは夜景からほとんど遠ざかってしまった。平行して、家族にまつわる傷がいえるにつれて、灯は、郷愁にみちた家族にまつわるささやきを発することをやめていった。夜の道路を歩く。ネオンたちは雑踏の喩としてうるさい。街灯や家の灯がない、夜の暗がりを一人歩くのは不安だ、ただそれだけだった。雨に濡れた舗道ももはや語りかけてくることがない。それを悲しむまもなく、わたしは忘れてしまったのだ。さらに夜の景色は日常になってしまった。東京で暮らし、東京で働く。夜の景色は帰宅途中の景色にすぎなくなる。あるいはそれは温もりであることをやめたのだ。わたし、いやわたしたちは温もりを欲している。ならば、かつての夜景から、たぶん対象が代わっていったのだ。そういえば、夜の景色が遠ざかった頃から、植物たちにひかれるようになった。緑の景色だ。それはビルの群れが、日常のたとえになるなら、自然は、非日常のそれである、ということも含まれるだろうが(休みになると、四季折々花を見に行った)、植物たちが生きていることに気づいたからだ。それもまた温もりだった。あるいは窓の桟を額縁にあてはめてみると、窓景は絵画に取って代わった。わたしはほとんどいつも、画家の温もりをそこに見る。拒絶であれ、叫びであれ、死であれ、絵画に生を見つめるのだ。それのもたらす感動こそが、わたしに灯るということなのだ。夜景から緑景、窓枠から額縁へ、夜景に代わったのは、こうしたことだが、灯ることでいえば、読むという行為もそうだろう。あるいは映画を観る、音楽を聴く。灯るというのは、共鳴の謂でもある。
 ここ数年、例えば先日のように、美術展の会場に隣接した展望室で、といったことでしか夜景を見ていない。それらに何か感想をもつとしたら、ほとんど懐かしさでしかなかった。こうしたものが好きだったわたしに対しての。それは、別の自分を見つめるようで違和感があった。この景色を前にして、わたしは惹かれることはない。だが、かつてのわたしはきっと飽くことなく見つめていただろう、その間に距離を感じてしまうのだった。といっても、その距離を淋しく感じたことはなかったが。
 だが、今回、これを書いたのは、自転車乗りだったヴラマンクが、その後の彼の絵のなかに認められるように、わたしの夜景も、その後のわたしに何か…、と思ってみてのことだったが、わたしのそれも、ヴラマンクのように姿をかえて連綿と息づいていることがわかって、やはりすこしうれしかった。そのことが、距離をまたいでいたのだと。灯ることの温もって。

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2008-05-15

これだ、これだと感触がさわぐ


《オーヴェール=スュル=オワーズの雪》
 『没後五〇年 モーリス・ド・ヴラマンク展』(二〇〇八年四月一九日─六月二九日、損保ジャパン東郷青児美術館)に行った。初期から最晩年まで集めた大きいものとしては、一九九七年四月にBunkamuraで開催されたもの以来だろう。去年、鎌谷大谷記念美術展でヴラマンク展があったが、ここでは二三点しか出品されていなかったから。そこに行った折に書いたが、九七年の展覧会には行かなかったので、私にとっては初めての回顧展。ようやく。九七年当時、電車の中吊りだったと思うが、ポスターを見て、ヴラマンクという名前などもおそらくはじめて知った。そこに載っていた絵に惹かれたが、展覧会には行かなかった。後年、一枚、数枚と、ヴラマンクの絵を観て触れるたびに、行かなかったことを悔やんだ。この時の経験から、近場の美術展にはなるべく行こうと決めたといっていいかもしれない。一期一会。次にいつ来るかわからない、一生観れないかもしれないのだ。ヴラマンクは十一年待った。それでも会えてよかったと思う。
 モーリス・ド・ヴラマンク(一八七六〜一九五八年)は、ヴァイオリン奏者や競輪選手として身を立てながら独学で絵を学び、一九〇〇年頃からゴッホの影響のもと、絵を描きはじめ、マティスやドランとフォーヴの中心人物として活躍(フォーヴ時期自体は短い)。その後、セザンヌの構図と色彩に影響を受け、一九二〇年頃から、渦巻くようなスピード感、厚塗りの、重厚な色彩の独自の画風を展開。風景画、花が多い。ざっと略歴をあげるとこのようなもの。こんなことも今回、はじめて知った。大まかにわけて、三つの時代があったということ。初期、セザンヌに影響を受けた中期、そして二十年代からの後期、晩年に連なる独自の世界。展覧会では、これらを系統だてて、陳列してくれていた。わたしがそれまでしっていたのは、殆どが後期のものだったので、初期と中期のものを初めてみることになった。その感動はあったが、絵としてはさしてひかれなかった。ゴッホっぽい厚塗りだな、セザンヌっぽい色と面をもっているな、それは分析であって、感動ではない。あまりにもひかれないので不安になったくらいだ。ヴラマンクにわたしは興味をもっていたのではなかったか、それは錯覚だったのか。だが一九二〇年代に入り、突如、空が変わった。《教会》(一九二〇年)の、厚塗りの空自体が何かを語るような暗い色彩、雲の荒々しさ、木々のうねるような暗緑色、対して静かな十字の墓の群れ。それはゴシック・ロマンのようだった。《オーヴェール=スュル=オワーズの雪》(一九二四年)、あるいは《雪景色》(一九二五年)、《雪の道》(一九三四年)の、雪道の泥土のまざったような荒々しい汚さにも圧倒されるが、道の脇に生える冬枯れの木のまわりだけ、特に空が茶色にくすんでいるのが、なにか木々の念、木々の生命が叫んでいるようにみえるのに、いつまでもその叫びを聞いていたいような気になり、画面から離れがたくなっていた。《踏み切り、パリ祭》(一九二五年)の、荒れ狂う海のような空、だがそこには祭りの華やかさがない(祭りだとは、三色旗が出ているのでわかるにすぎない)、そのアンバランスの醸す不安。これらの激しさ、重さは、油彩のみならず、インクとグワッシュで描いた《ネルの通り》(一九二三年)においてもそうなのだ。灰と黒と茶色で、濁流のように描かれた道の色、足早に通り過ぎようとする空の感触。たとえばこの空に惹かれたのだろう、と感触たちがうるさいほどにささやきはじめる。それは言語化しにくいささやきだが、しいていえば、これだ、これだ、といった追憶をもふくんだささやきだった。
 このうねり、荒れ狂う空の感触は、年を追うごとに強くなってゆくようだった。《花束》(一九三六―三七年)は花瓶に入った花の絵だが、それは静物ではない。厚く塗られた花びらが熱く呼吸をしているようで、むせそうになる。背景は空のような荒い壁だ。まるで壁のうえを風がふきすさんでいるような。《鯉》(一九三八年)は、おそらくテーブルに一匹置かれた鯉なのだが、黄色と黒で毛羽立つようにぬられたそのテーブルは、ほとんど夜に黄ばんだ川の流のように見える。鯉は腹をこちらに見せており、かつて白かったはずの腹は血がにじみ、死の重みを伝えてくる。ほとんど黒いかたまりとしての鯉のほかの色とともに。《窪んだ道》(一九四二年)は、田園に伸びた道を歩く帽子をかぶった男が小さく見える(彼は人物を殆ど描かないし、描いてもこのように風景の一部としてしか人物を現さない)。文章だけでみると、牧歌的な暖かさがイメージされるかもしれない。《積み藁》(一九五〇年)も、モネなどの柔らかなイメージが浮かぶだろう。だが、この絵たちは、それらとほとんど対極的なのだ。まるで台風のなかで描かれたように木は叫ぶように黒く流れ、道は黄や緑や赤が塗りたくられ、生き物のようにうねる。藁はてんでばらばらにそよぎ、すべてが生である、そしてすべてが充満なのである、と声なく、だがとてもはげしい息づかいで語りかけてくるのだった。それは《雷雨の日の収穫》(一九五〇年)とほとんど対をなしているからそうみえるのかもしれないが。《下草と夕日》(一九五四〜五五年)も、下草が火事にあったか火山が噴火したのか、そんなふうに赤く黄色く騒いでいる。太陽は黒ずんだ空のなかで心臓のように脈打って見える。骨のような木々がそこに立ち続けることを宣言しているように枝をしならせている。この絵に、とくに、これだ、これだと思った、あるいはささやきが聞こえてきた。わたしがかつてどこかで見たヴラマンクの絵らしさを具現している絵は。そう気づいたら、会場中から、ささやきが聞こえてくるようだった。最後は文字通り《作家が最後に制作した十二点の連作グワッシュ「春」によるリトグラフ》(一九五八年)。ここでも油彩の厚塗りではないにも関わらず、引き裂かれるようなさけびがあふれていた。黒ずんだ雪、おどるような枝、雲のいそがしいさま、空の嵐。これだ、これなのだ。
 ヴラマンク展示の次は、常設作品になる。ゴッホの《ひまわり》を久しぶりに見る。一九〇一年、この《ひまわり》を含むゴッホの個展がパリであり、そこではじめてゴッホを観たヴラマンクは圧倒され、そして影響を受けたのだという。今観ている《ひまわり》を、ヴラマンクが観ていたということが、なにかつながっているようでうれしかった。向日葵の厚く塗られた色彩、絵の具の線で、花びらをあらわす、その筆遣いに、たしかにヴラマンクと通じるものを見たと思った。それは《ひまわり》のもつ圧倒的な力に、わたしとヴラマンクを出会わせてくれたことで、さらに照射するように花をみせつけてくれるのだった。
 会場を出るとすっかり夜だ。高層(四二階)にある窓の外から夜景が広がる。私はこうした景色が、以前とても好きだった。地上にも星があるのだと思ったものだった。それは天と地の奏でる光の歌だった。多分、その私と同じ時期、二十歳前後のことを、ヴラマンクはその回想録で、「僕にとって世界の発見は自転車によってもたらされた。(…)幾つもの村や、都市や、田園を走り抜け、埃が口のなかでざらつき、雨にさらされ、風と闘った(…)。大きな街道を走った在りし日に、僕は最も強い感動を覚えた」と書いている(カタログより)。この景色の流れ、風との闘いが、彼の絵に影響を与えているだろう。荒い息づかいのような筆にたしかにそれを見たと思った。では、わたしの夜景が、そうとはしらずに、わたしのなにかを暗示しているのだろうか。
 ヴラマンクの小さな複製額絵をミュージアムショップで買った。こうしたものを買うのは十数年ぶりだ。ようやく会えた記念に。額絵は、見つめるたび、これだ、これだと、家で小さなささやきをあげつづけている。

《下草と夕日》

http://www.sompo-japan.co.jp/museum/
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2008-05-05

思いがけなさ


ラリック《カマルグ》
 少し高原に出かけてきた。東京から中央高速道。気がつくと道が少しづつ登っていた。新緑の色がそれにつれて少しづつ、本当に少しづつ変化していった。濃い緑が、黄色みを帯びてくる。その最中にいると、なかなか気づかない。まだ葉すらつけていない木々が増え、黄緑から、冬の木立の茶色へ。大分目的地に近づいたあたりで、ようやく、景色が変わったことに気づく。散ったはずのソメイヨシノが葉桜になっている。スギナがツクシになり、さらに登ると、ソメイヨシノが満開になっていた。時間が逆行しているようだと一瞬思ったが、それとも違う。植物たちはおおよそ三月下旬から四月上旬位のものが咲いているといっていいが、厳密には、これは逆行からは離れていた。藤や山吹、紫蘭などは、殆ど東京と同時期か、せいぜい一週間ずれている位だったから。三月から、四月下旬まで、つめこんだ季節の花束たち。それにもまして、気温が違うのだ。高原についたのは午前中だった。三月末や四月上旬よりも、もっと暖かかった。半袖でもいい位だった。その感覚も、湿度が少ないので、下とは違う。つまり独特の場所なのだ。夜になれば、きっともっと冷えるのだろう。川端康成の小説の中で、都道府県ごとに空が違うのだと、女教師がいっているものがあった。だから、それをすべて見てみたいと、空を見上げていたのだった。多分空気も違うのだ。すうっと澄んだものがはいってくる。空は東京よりもはっきりと、夾雑物がないように感じた。ソメイヨシノは満開だ。それはぽつんと一本、たまに生えている程度だ。レンギョウや山吹のように、あるいは木々を形成する、一員として、決して花見の宴の標的になることなどなくそこにいる。宿に入る前にコンビニに寄った。お菓子売場に、「ここは標高千メートルと高い位置にあり、気圧の関係で、菓子類の袋物が膨らみます。容量を多くみせるための偽装ではないので、ご理解ください」とある。標高千メートル。家から持ってきたポテトチップスも確かにパンパンに、風船みたいになっていた。これもまたゆっくりと膨らんでいったのだろうか。わたしたちをとりまく風景の変化のように。思いがけなく。

 旅行の目的は、清里北澤美術館だった。北澤美術館はガレの収集で有名で、諏訪と清里両方にある。今回清里に来たのは、こちらのほうで、好きなラリックを常設展示しているとのことだったので。来るまでは、水が好きなので、諏訪湖畔にある美術館に、ラリックが多ければよかったのに、清里は水がないので(ダムはある)物足りなく思わないだろうか、などと思っていた。だが予測したことはたいてい裏切られる。よくもわるくも。思い通りにいかない、思いがけない驚きがあるのだ。ポテトチップス風船、満開の桜。「鹿に注意」の標識のすぐ後で、道路の端に鹿が見えた。白樺の幹で組み立てた身体に枝の角をつけた鹿だった。八ヶ岳の山々に雪。それは静かな驚異として、淡々と空に向かって伸びていた。
 泊まったのは乗馬ができるペンション。といってもぽくぽく歩いただけだが。チェックインしてすぐに乗馬。生き物と接するのは思い通りにいかないのだと改めて思う。手綱を引いて停まらせる、曲がる、腹を足で打って早く進ませる等、基本を習ったのだが、実際、馬はほとんど自発的に停まったり曲がったりと動いてくれる。馬の意志。何もしないでいいのだろうかと思っていたら、いきなり飼い葉おけに頭をつっこみ、食べ始め、手綱をひっぱっても言うことを聞かなくなる。馬の意志。外乗の時、枝に首を伸ばし、木の芽を食べ出した馬もいた。私たちはそれぞれに考えをもっているのだ。最後に、降りるときに馬の首をかるく撫でてあげて下さいとインストラクターの人にいわれる。馬に感謝の意味をこめてだ。袖触れ合うも他生の縁。
 泊まった部屋の窓から、小さな牧場が見える。牧場の中に一頭、そして脇に厩が並んでおり、そこにさっき乗った馬がいる。厩を洗ったり、餌を運んだり、馬を拭いたり、どこかに連れていったり、何人もの人が世話をしているのも珍しく、ともかく窓の外、馬たちをずっと見ていた。牧場にいた馬は白かったので、夜になっても、ぼうっと白いかたまりとして見える。明け方、鶏の声ならぬ、馬のいななきで眼が覚めた。覚醒した刹那、どこにいたのかわからなかったが、いななきを聞いたことを思いだし場所が判明する。そのことが旅情を感じさせ心地よかった。もう少し眠ろう眼をつむる。またいなないた。多分別の馬だろう。朝食の後だったか、一晩中立っていた白い馬が、気が付くと四肢を腹の下に折り曲げ、座っているのが見えた。初めてみたので、珍しく思い写真を撮る。そのうち今度は首まで地面に横向きにつけて倒れてしまった。猫の眠りのようだと思ったが、その体勢は長く続かなかった。思い返したように、ぶるぶるっといいながら、さっさと立ち上がり、何事もなかったように(実際彼にはなにごとでもなかったのだ)、ぐるぐると歩きまわっていた。

 名残惜しいが、昨日乗った馬に挨拶をして宿をはなれる。お目当ての北澤美術館へ。こちらも思っていたのと違う。美術館が小さかったこと、そのせいもあるだろう、ラリックの展示作品が少なかったこと、だが写真撮影が可能だということ。といっても本来、わたしは鑑賞するための集中力がとぎれてしまいそうなので、美術館で撮影したいとは思わないのだが。けれども図版カタログには、ガレやドームしか載っていないことを知っていたので、仕方なく、撮ってまわることになるのだろう、そう思った。だから最初は写真を撮らずに観てまわった。もう一度回り、今度は写真を撮った。思ったとおり集中力が…ではなく、思いがけず、撮っているうちに最初に観た折の小さなさざめき、感動が、よみがえってくるのだった。シャッターを切る。さざめきまでもが保存されたようだった。それは実際保存されたということではなく、そう感じただけだが。思い描いたことがずれてゆく。写真を撮ること自体が、さざめきになってゆく。三回目に回る。ここではおもにメモ帳に作品名と制作年を書きとめてゆく。こちらは写真のキャプション、ただそれだけの行為のはずだったが、今こうしてメモを開くと、その折にうけた印象が、ふっと香りのようにたちのぼってくる。まるで名付けること、のように。名付けることで所有すること、そうまではいかないが、そのまわりをなぞるように、そこから。「セイロン 一九二四年」はガラスの花器にインコの浮き彫り、「ブルリス 一九三三年」もインコだが、たくさんの小さなインコが一本のバイヤステープのように、花器のまわりにめぐらされている。「孔雀 一九一〇年」は、白いガラスのランプ、四角い笠に、黒い線で描かれた孔雀が浮き彫りになっている、「カマルグ 一九四二年」は、ガラスの壷で、プロヴァンスの馬が浮き彫りになっている、「ナイアド 一九二〇年」は、人魚の小さな像、オパールセント・グラスの七色の輝きが、外光を透して、変化する。書き忘れたが、ガレやドームと違い、ラリックの展示は、外光のみで、室内の灯りに照らされていない。「バッコスの巫女たち 一九二七年」のオパールセント・グラスの花器、乙女たちの乳白色に七色の色彩の、その繊細な色合いが、外光により鈍い肌になって見えていたのが、最初は軽いショックだった。これは好きな作品で、暗がりで照らされてあるのを、他で何回か観ていたので、質感が充分に花開いていないことを残念に思ったのだ。ほかの、初めてみる作品たちも、なにかかわいそうな置かれ方をしていると思った。だが観ているうちに、そのことも気に掛からなくなっていった。外は明るい。三面がサンルームのように窓になっていて、木々に囲まれているので、「ユーカリ 一九二〇年」のユーカリの葉が、「すずらん 一九三一年」のスズランの花が、木々と呼応し、別の歌を歌っているようなのだ。「ねこ 一九三二年」の、猫の立像が、ブラインドと、木々を透かして立っている。カーマスコット「勝利の女神 一九二八年」の、横顔の女神の頭像が、まるで木立に車を呼び寄せたように、在りし日の姿、車のボンネットの上に君臨していた姿を想起させてくれもしたのだった。
 実は、これらは、写真に頼らずに書いている。名前から観た印象が、記憶が蘇ってくるのだ。思い通りにならない、思いがけなさ。

▲ラリック《ナイアド》

▲ラリック《勝利の女神》
 その後で牧場にいった。晴天だった。なだらかな牧草地の向こうに、南アルプスや八ヶ岳が見える。雪の残った山肌の色と、雲の色が、共鳴しあうようだった。それはだが静かなささやきだ。ささやきが、空に白さをすっと塗りつけてゆく。隣り合った県ですら、空はちがうのです、とあの女教師はいってなかったか。隣り合った時間ですら、思いがけないことが起こるのだ。隣り合った人の意志。牛、山羊、羊、ポニー。柵のこちら側で、多分そこにいてはいけないであろう羊に出会う(他の羊は柵の向こうにいる)。牧草ではなく、雑草を食べている。へばりついたタンポポかもしれない。空気が渇き、澄んでいる。合鴨が水のないところで、まるで小さな羊かなにかのように牧草を食べている。思いがけなさ。

 帰路は、当然ゆっくりと下ってゆく。今度は緑の変化を気にとめていようと思った。まだ桜が満開だ。木々が冬木立のようになっている。黄緑がしばらく続く、葉桜になってゆくのはわかった。桜に関してはそれからすぐ見えなくなる。というのは、もはや、桜なのか、ほかの木なのか、車窓からは判別できなくなってしまうから。変化はゆっくりで、やはりどこからかわったのかわからない。大月、八王子、山にまだ囲まれているが、気が付くとだいぶ緑の色が濃くなっていた。思いがけなく。土産に買ってきたスモークチーズは美味しかった。こちらは思ったとおり、だが、白ワインは酸っぱく不味かった。思いがけなく。藤が咲いている。梅の実が実っている。撮ってきた写真を見る。宿の窓から撮った写真が特に、窓から下を眺めていた気持ちを呼び起こさせてくれる。眠る馬、乗馬した馬、写真は体験と離れてしまうとずっと思っていたのだが。思いがけなく。木々が濃い緑になろうとしている。この空は、夾雑物がまじったように青いのだ。

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