Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2008-06-25

お祭り電車


 六月十四日に地下鉄副都心線が開通した。埼玉の和光市駅から池袋、新宿、渋谷を結ぶ線。和光市駅から池袋までは従来からある有楽町線と併用。和光市駅から二つ目の地下鉄赤塚駅がわたしの最寄り駅、勤めが新宿なので、この開通で一本で行き来できることになり、かねてから待ち望んでいたもの。
 正確にいつから準備されていたのかわからないが、わたしが赤塚に住み始めた九年ほど前から、できるという話は知っていた。有楽町線に池袋駅と別に、埼玉方面から二股に伸びるかたちで新線池袋駅というのがある。これが今は終点だが、将来的に明治通りを通って、新宿渋谷に伸びるのだと聞いていた。だから日々有楽町線に乗るたびに、「新線池袋」という名前が、新しい線が出来るということを思い起こさせていたのだが、それが日々連なることで、感慨が鈍くなって行く。いわば新しい線が出来るということが、日々に付帯し、付着してゆき、その総体が、日常と化していったのだった。それは待ち望むということとどこかで分かれていたことだ。
 数年前から、新宿あたりでも、「地下鉄を作っています」として工事が行われているのが目につきだした。新しい線という存在が、少しずつ具体性を帯びてくる。今年に入り、ニュースや広告など、メディアでも副都心線のことが取り上げられているのが目につくようになってきた。そして特に五月末位から、地下鉄赤塚駅でも、行き先案内が変わったり、電光掲示板が新設されたり、枠組みだけの掲示板(時刻表)が置かれたりと、加速度をまして、変化が目に見えてきはじめた。副都心線の文字があちこち白い紙で隠されたり、テープで隠されたりしているのが物珍しい。隠されていない場合は、「副都心線は六月十四日開通予定です」と但し書きが貼ってある。日々に付着し、沈殿していたそれが、賑わいをおびてくるにしたがって、日々自体を日常から離してゆく。また、こうなると、待ち望んでいた筈の気持ちに、何かが失われてゆくような、それをさびしく思ってしまうようなノスタルジーも混じってくるのが面白いと思う。
 新線池袋駅でも、開通半月前の六月にはいって変化が多い。試運転と称して、副都心線らしきものがしょっちゅう走っている、駅名が今まで「新線池袋」だったのが、「池袋」と表示が変わっている、電光掲示板に渋谷行きの文字が表示されているが、上から「調整中」の紙が貼ってある。まさに賑やかに飾られているようだ。こうしたものは、短い期間にだけ起こることだから、もはや日常ではない。また、それは一過性だから珍しいのだろう。なんでも過ぎてしまえば戻らないが、特に見えやすいものだから、もの珍しく、この開通までの中途半端な表示を、惜しむ気持ちすら生まれてくるのかもしれない。日常が賑やかであることは、非日常なのだ。それはたいていは時間とともに日常となり、静かになってしまう(だが、そうでなければ、生活はしにくいのだが)。惜しむ気持ちは、この賑やかさにも端をもっているのかもしれない。鉄道ファンの方だろうか、いま挙げた、開通までのほんの半月ばかりの出来事の痕跡たちをカメラに収めているのを多く見かけた。それは祭りを惜しむ気持ちのようにも思えた。シャッターを切る人を見かけるたびに、軽く親近感をおぼえたりもする。
 開通前日の十三日、会社帰りに新宿駅で副都心線の定期券を買う。まだ走っていない電車の定期券を買うのは、考えてみればはじめてだ。パスモ式(触るだけで改札を通れるタイプ)は、開通前なので買えないとのこと、改札で差し込む磁気式を買う。こうしたことも開通前ならではと珍しい(開通してからパスモ式に交換した)。新宿駅でJRに乗り、池袋駅へ。このルートもこれからはあまり使わなくなるのだろうと感慨が。そして有楽町線の池袋駅ではなく新線池袋駅へ。新線池袋という名前も今日で最後なのだなと、余韻のようなものを感じる。カメラを構えている人がこの日も多い。今日だけの光景。いちいちが祭りの最中のようで、どこかさびしい。
 十四日は土曜日だった。この日は有楽町線には乗ったが、副都心線に用がなかった。地下鉄赤塚駅では、剥がされたテープたちの下から、「副都心線」にまつわる新しい表示たちがあちこちで見えている。そして他の地下鉄各駅で、「混雑により、副都心線に遅れが出ています」の表示を見た。まだ実感がわかないが、いよいよ開通したのだと思った。それは自分に言い聞かせるような響きがあった。テレビのニュースなどで、開通にまつわる混雑の様子を知らせている。夜中から始発に乗るために待っていた人たちの映像も映し出していた。新宿三丁目駅では記念グッズも売られていたらしい。本当にお祭りだ。
 十六日の月曜日。副都心線で会社に向かう。少しどきどきする。まだ祭りの最中として、日常から浮かび上がっている気分が続く。地下鉄赤塚駅では、有楽町線新木場行きの他に、副都心線渋谷行きの表示がされているのが、土曜も日曜も見たはずなのに新鮮だ。おそらく自分が使う電車としてはじめて乗るからだろう。銀座線の新橋―上野区間が開通されたのが、地下鉄のはじめてだったというが、新橋駅で電車を待っているところを描いた古いポスターを思い出した。開通したばかりの電車に乗るということで、自分をそこに重ねたのだ。
 ただ、こうしたことも思ったとおりにはいかない。思い通りにならないということも、また面白いといえば面白いのだが。開通してから数日の間、電車がしょっちゅう遅れた。理由は、混雑のため、急行を通すところを各駅を通してしまったり、一カ所で集中して停車させたためにブレーカーが落ちたりなど様々だ。また、電車の日常(わたしの日常ではない)が非日常的になっている珍しい光景が見られた。川越市行きとアナウンスが流れた直後、「あれ、和光市行きがきちゃったよ」と駅員があわてている光景もみた。通勤急行に乗ったのに、各駅停車に変更になってしまったり、「渋谷行き」に乗ったのに途中で「新木場行き」になってしまったり。
 通勤に使うには多少難があったが、これらの出来事も、一過性なのだ、きっと時刻どおりに来るようになり、それにつれ、日々に埋もれてしまう通勤電車になってしまうのだろう、そう思った。すると、不便さも、一過性の賑わいとして少しばかり名残惜しいものとなるのだった。ともあれ、この出来事も楽しもう。見えやすい変化、もう少しで過ぎてしまう祭りなのだと。開通から一週間近くたち、ようやく電車は遅れなくなった。これを書いている今(二四日)、そのことがまだいまいち信じられないのも面白い。どこかで遅れるのではないかと思うことで、彩りをはなっているのだ。
 そうして日常から浮かび上がった祭りは少しづつ、その姿を日々にまた埋もれさせてゆくだろう。ほんとうに少しずつ。だが、これまで通勤に使っていたということで、ほとんど埋もれてしまった駅、池袋や地下鉄赤塚、新宿三丁目という存在を、賑わいにおいて引き上げてくれることにより、名前をもつものとしても、それは思い出させてくれた。あるいはそれらを埋もれさせているのは、わたしのほうで、それらはいつもそこに存在しているのだ、ということをこの祭りは思い起こさせてくれもした。
 昨日(二三日)、会社帰りに都電荒川線に乗るために副都心線「雑司ヶ谷」駅で降りた。こちらはこのたび新しくできた駅だそうだ。真新しい地下鉄の駅、出口から、都電荒川線の線路、駅と、小さい商店街の風景。少しずつ沈んでいった祭りたちが、またぞろもたげてきた。新鮮で、どきどきした。こんな風に日々とむきあえばいいのだ、とどこかで思った。
 そういえば新宿三丁目駅界隈の地下街も、副都心線の開通で、随分と変わった。今まで工事中で閉ざされていた出口たちが突如顔を出したかたちで、真新しい地下道が、蜘蛛の巣をはりめぐらしたように、あちこちに伸びている。「芸術都市パリの100年展」で紹介されていた、一九〇〇年頃の「オルセー駅」完成に湧いたパリ市民を想ったりもする。長年新宿にいるので、多少土地勘があるのだが、白い蜘蛛の巣道の各々が、地上だとどこにあたるのか、まだよくわかっていない。このことも新鮮だ。少しずつ、発見すればいい。通勤にかかる時間も、乗り換えがなくなった分、短縮された。そのことにもまだ慣れない。慣れなさを楽しんでいる。これも発見だろうか。
 日々のなかに、たぶん新鮮さは、いつも顔をだしているのだ。この祭り、副都心線祭り、お祭り電車は、時間は流れているのだから日々、すべてが変わっているはずなのだと、ささやいてくれもしたのだった。紫陽花が日々、色をかえている。


▲副都心線開通前の池袋駅(新線池袋駅)で。六月十四日までは 終点だったので、渋谷方面の行き先が隠してある。
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2008-06-15

つながる生のめまい




▲上から、《カリアティッド》(一九一四年)、《ピエール=エドゥアール・バラノフスキ》(一九一八年)、《少女の肖像(ユゲット)》(一九一八年)

 モディリアーニ展(二〇〇八年三月二六日〜六月九日、国立新美術館)に行ってきた。家に複製画のあったロートレック、テレビなどで知っていた池田満寿夫のように、彼もまた割と早い時期からその存在を知っていた一人だった。中学生の頃、テレビで映画『モンパルナスの灯』(一九五八年)を見た。モディリアーニの一生を描いたそれにより名前を知ったのだ。映画はモノクロームの映像が美しく、悲しい映画にしつらえられた秀作だったと思うが、それと彼を結びつけることはなぜかしなかった。映画に感動しなかったからではないと思う。当時のわたしは監督の名前ではなく(ヒッチコックは別にして)、俳優の名前によって映画を選ぶことがあった。映画が気に入ると、それに出演していた役者の別の作品を見るのだ。つまり『モンパルナスの灯』主演のジェラール・フィリップの作品として、『肉体の悪魔』『赤と黒』『パルムの僧院』『花咲ける騎士道』などをほぼ同じ時期に見ているので、映画として気に入っていたのだと思う。もしかするとモディリアーニを役柄として捉えていたのだろう。また、ある時期まで(今もその傾向がある)、その人のしてきたことと、その人の作り出す芸術作品の関係性にそれほど関心を持たなかったが、そのことも関連があるかもしれない。その人のしてきたこと、というのはモディリアニでいうと(映画でのエピソードも含めて)、浮き名の多さとか、酒や麻薬におぼれ、とかそういうことだ。彼が結核で亡くなった翌日、身重の妻ジャンヌが投身自殺を遂げた、というのはとても不幸なことだが、そのことと彼の芸術との関わりを見出すことがむつかしいのだ。だが芸術はもちろん、作者と密接に関わっているものだ。たとえば彼がイタリア系ユダヤ人だったこと(ピカソやカンディンスキー、藤田嗣治のように、故郷と距離をもって生きたこと)、イタリアの古代遺跡に惹かれたこと、コンスタン・ブランクーシに惹かれ、影響を受けたこと、その頃紹介されはじめたアフリカ彫刻に感銘を受けたこと、こうしたことは関係があるものとして、たぐりよせなくてはならないだろう。とは、この頃ようやく気づきはじめたことなのだが。
 前置きが長くなってしまった。軌道を修正してゆこう。アメデオ・モディリアーニ(一八八四―一九二〇年)。それでも映画をとおして知った人物として、心の片隅にずっと残っていたのだろう。それがどうということでもないが、エコール・デ・パリ関連の展覧会などで、彼の作品を一点、二点と見る。長い首、青一色や黒一色で塗りつぶされた目を持つ肖像画たち。そのたびに条件反射のようにどこかで、かすかに『モンパルナスの灯』というかたまりが揺れるのだった。関係がないといいつつ、妙に関係をもってしまっているのだった。だが、それは小さな波紋のようなものだ。ほかの大半は画について感じている。それがなんであるか、いうのが難しいが、暗さのようなもの、深みのようなものを、いつもその絵から感じてきたと思う。
 まとまった展覧会としては今回が初めてだ。アフリカや東南アジアのプリミティヴ美術や古代イタリア美術を分析し、自らの作品に昇華してゆく、そこにもスポットをあてたと、宣伝などで見たので、楽しみだった。以前、どこかで彼の彫刻をみたことがある。そこで知ったのだが、彼は彫刻家を目指したことがあったが、肺が悪かった関係で、あきらめたらしい。ともかくわたしがみたのは彫ることで、生を静かに顕していったような、長い顔だったが、その生の調べに、おどろいたものだった。それは肖像画家としての彼と連綿としたつながりをもってはいるが、なにかがちがうのだ。たとえば、彫刻では生が明るいといったことかもしれない。
 展覧会では、残念なことに彫刻作品は展示がなかった(ミュージアム・ショップにレプリカが売られていた)。だが紙に描かれたの《カリアティッド》(たとえば一九一四年)の作品群。カリアティッドとは、古代建造物の柱のモティーフ、女性像が多いのだが、アトラスが天空を支えるかのような膝をまげて支える女性のその姿に、彫刻のもつ明るさを見た。それはほとんど土偶に対したときに感じるような、大地の母的な生をたたえていた。《大きな赤い胸像》(一九一三年)の、アフリカの面のような長い顔に長い鼻。大きなアーモンド形の目が顔の中心からこめかみにまで達している。その胸像の赤い色から、呪術的なイメージもあるが、なにか太陽と血をあらわしたような躍動が感じられるのだった。明るい生。それは原始や異郷へのあこがれもこめられていたのだろう。そういえば「モディリアニはこれらの彫刻像を想像上の「美の神殿」に立つ「繊細な柱」と呼んだという」(『アメデオ・モディリアニ』ドーリス・クリストフ、TASCHEN)。
 展覧会では、このあと「仮面からトーテム風の肖像画へ:プリミティヴな人物像と古典的肖像画との統合」として、肖像画群に移る。それまではわたしのなかで彼の彫刻と肖像画の繋がりがつかみにくかったのだが、こうして眺めているうちに、その連綿とした糸の振動が伝わってくるように思えた。わかりやすいところでいえば、アーモンドのようなかたちの目、長い首、ほとんど無表情であるところなどだ。だがそれだけではない。明るい生が、影をもつ存在としてそこに見出されるようになった、といえばいいのか。肖像画は暗い生だと書いたが、その暗さは明るさと密接に繋がった生なのだ、と気づかされたというべきか。
 古典的肖像画と章題があるが、実際、この当時の肖像画は写真の浸透により、モデルに忠実に現さなくてもよいものとなっていた。その意味では古典から離れていっただろう。それはアフリカのお面や、古代彫刻からインスパイアされて作品を作るように、写すということから離れて、モデルにインスパイアされて作品を作ることでもあったのだろう。個人的には、たとえば《ジャンヌ・エビュテルヌ》(一九一八年)のように白目と黒目がはっきり描かれてあるものより、《少女の肖像(ユゲット)》(一九一八年)の黒一色で塗りつぶされた眼、《ピエール=エドゥアール・バラノフスキ》(一九一八年)の、空色か灰色の白目ばかりの人物のほうが、心ひかれた。なにか孔のようで、そこからわたしたちがはいってゆけるような接点として感じられたのかもしれない。会場で、奥底をのぞきこんだような感覚、みつめることでつながりがおしよせてくるようだった。それは暗さではあったが、おおむね心地よいものだった。
 ミュージアム・ショップでは、アフリカのお面、人形の形をした薬入れ(呪術につかったらしい)などが売られており、モディリアーニに対する影響が確かにほのみえて、参考になった。それは目眩のような生の動き、だったかもしれない。

展覧会ホームページ http://modi2008.jp/
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2008-06-05

都市、緑の水を求めて




▲上から、オーギュスト・ロダン《ボードレールの肖像》、ギュスターヴ・モロー《レダ》(制作年不詳)、アンリ・ルソー《粉ひき小屋》

 「芸術都市パリの100年展」(二〇〇八年四月二五日〜七月六日、東京都美術館)に行った。特にだれが目当てというのでも、パリという街が目当てというのでもなかった。副題に〈ルノワール、セザンヌ、ユトリロの生きた街1830―1930年〉とある。おそらくその時代のいろいろな画家の作品が展示されるだろうから、なにかしら出会いもあるだろうと思ってのことだった。
 展示は五章に分かれる。一章でエッフェル塔やオルセー駅の完成など、古きものと新しいものの共有する都市の姿を、二章で肖像や写真にみる市民生活を、三章で小説と絵画の関わりを(フローベールとセザンヌ、ユイスマンスとモローなど)、四章でロダン、マイヨールなど彫刻家と小説などの関わりを、五章で都市からみた自然へのあこがれをとなっている。一章は、今のパリの町並みに至る過程を(目玉はエッフェル塔の建設だった)、二〜四章は、それまで貴族のものだった芸術作品の市民への移行を、五章では、自然へのノスタルジーを、絵画や写真、彫刻作品を通じて浮き彫りにしてゆく。
 そのなかで、二章から四章では、肖像の対象が、それまでの王侯や貴族から市民へ移行するのだが、そこから小説家、詩人、女優、など文化人の肖像へ、また挿し絵やポスターなど、文学と絵画の交流が見られるようになってきたのが面白いと思った。垂直的な特権階級のものだったそれらが、水平に広がることで、さまざまな場所で、相互交流し、浸透し、影響しあっていったのだ。
 また肖像の対象が、必ずしも注文した雇い主ではない、なかには作家の自由意志によるものも含まれていただろう、友人や知人たちのあいだで作られたものもあるだろう、こうしたことを考えると、彼らの新しい試みからくる熱が伝わってくるようだった。熱をとおして新鮮さを共有しているみたいな気がしてくるのだった。ともあれ後者の友人同士では、シュザンヌ・ヴァラドンのサティの肖像があげられるかもしれない。エメ・モローのユゴーの肖像、ウジェーヌ・カリエールによるアナトール・フランスの肖像はどうだろうか。前者のうち、オーギュスト・ロダンの作品に特に心惹かれた。《ボードレールの肖像》(一八九二年頃、ブロンズ)は頭像。ロダンはボードレールに会ったことはなく、ボードレールに似ている人をモデルにして、作品を創り上げたというが、彫刻という立体によるものか、いや、人の手により創り上げられたことで、頭像にまるでピグマリオンのように息吹が通ったとのだろうか、そのボードレールはとても生々しかった。神経質そうな表情をたたえたブロンズの肌は、燦然とそこに生を主張していたのだった。わたしはなにかまるでボードレールその人に初めて会ったような気がしたものだった。尊敬する詩人を間近に見る。それはとてもうれしい出会いだった。続いて《修道服を着たバルザック像》(一八九三年頃)。高さが一メートルにも満たない小さな全身像。ロダンはバルザック(一七九八〜一八五一年)の服を作った仕立屋を探しだし、同じサイズの服をモデルに着せて制作したという。こちらも威風堂々としたバルザックの姿、少し上向きになった顔、つきでた腹、自信に満ちあふれた彼の外観から、今にもこの場を歩き回るのではないか、と思われるほど、生を放出しているのだった。
 三章、四章では、ほかにポール・セザンヌ《聖アントワーヌの誘惑》(一八七七年頃、油彩・カンヴァス、オルセー美術館)の、青っぽい肌をもつ裸体の女性の誘惑の姿のなまめかしい生に、世紀末のファム・ファタール的なものを見出し、うれしくなった。彼の景色、静物に惹かれることは多かったが、人物に惹かれるのはほとんどはじめてだったからかもしれない。ユイスマンスが、『さかしま』を書くにあたってインスパイアされたということでギュスターヴ・モローの作品が割と多くあるのも嬉しい驚きだった(五点。ほかの作家の絵画作品は一点か二点が殆ど)。《レダ》二点(制作年不詳と一八六五年)。白鳥が殆ど裸体になったレダに寄り添っている。白鳥はゼウス=ユピテルの化身だから男性であるはずだが、細い白い首のせいか女性的である。またレダのほうは胸の膨らみも小さく、腰のくびれも少なく、中性的である。性をうやむやにしたアンドロギュノス的な二人が、ひそやかに濃密に、幻想に誘ってくるのだった。
 五章は「パリから見た田園へのあこがれ」。解説によると、〈十九世紀の産業革命や都市改造によってパリは近代的な都会へと生まれ変わ〉り、同時に〈都市文明に疎外された市民の感情は「麗しき田園」「自然と人間との調和」のイメージを求めることにな〉ったという。〈室内装飾絵画のコンセプトも十九世紀中頃に大きく変わり、それまでのギリシャ神話の神々や単なる寓意像から「自然と調和した人間の営み」がその主題となって〉いった。ここでは〈フォンテーヌブローの森を描いたコローの風景画や、バルビゾン派の画家たちの活動、そしてその後継者である印象派の画家たち〉の作品が展示されている。これをふまえながら作品をみてゆき、ふと思ったのは、多分、それまではさして自然にノスタルジーを感じなかったはずなのにということ、また、これは今の東京でもいえることなのではということだった。東京はもちろんビルは林立しているが、意外に緑が多い。公園が多いのだ。と、これは特にクロード・モネの《テュイルリー》(一八七六年)の庭園風景を見てぼんやりと思ったのだった。明るいテュイルリー宮内の緑と影、噴水からの水の反映。そこから新宿御苑とか、皇居とかを思い浮かべたのかもしれない。どれも城や屋敷跡なのだから。わたしたちは肉体的にだけでなく、いろんな意味で、多分緑を欲しているのだ。また、室内装飾絵画のコンセプトが、「自然と調和した人間の営み」へと移行したというところで、アール・ヌーヴォーの植物たち、動物たちを思った。多分そうなのだ。都市と自然の共生のひとつの形として、アール・ヌーヴォーは出てきたのだろう。
 この五章では、アルベール・マルケに出会えたのがうれしかった。ここでも何回か書いているが、ヴラマンクらと一時一緒に活動していた彼に、わたしは惹かれている。個展は残念ながら見たことがないが(ここ三〇年位開かれてない)、こうしたところで一点、二点と出会うたびに、いつもなにか懐かしいような、人肌にふれたような親密さを感じてしまう。《ポワシーのセーヌ河》(一九〇八年)はぼってりとした質感、厚塗りの不透明な水なのに、透明性を湛え、緑の反映を滲ませながら、こちらに清冽さとしてそそぎ込んでくるのが不思議だ。マイナスの二乗がプラスになったような不透明の鮮明さ。だが厚塗りのそれは重たさとなり、心のなかに重さとして残るのだった。心に水をそそぎ込んでいったように、それが井戸となって、いつまでもたぷたぷとあり続けるかのように。アンリ・ルソーにも、別の感触だが、こうしたところで出会うと、親密さを感じる。大切な友人にあったような、ほっとした気持ちになるのだ。そこには幼年をしっているものへの共鳴もまじっているだろう。やはり五章にあった《粉ひき小屋》(一八九六年)は、池か湖のほとりに粉ひき小屋がたち、岸辺からは森がひろがっている。いびつな遠近法、小屋の四角さの歪みが、わたしを彼の森へ近づけてくれる鍵となる。彼の幻想の森、だが実在しているそれへの、希求が、わたしに差し出されてくる、この感触が親密なのだった。
 会場を出ると、ミュージアム・グッズを売っているコーナー。通常のものよりも、絵はがきの種類が少ないのが残念。特にマルケが欲しかった。モローとルソーを買う(ルソーはそういえば、見かけたら必ず買う。買ってルソーの画集にはさんでおく。画集に絵がさらに増えて、わたしの画集となってゆくのだった)。
 建物を出ると、上野の森のなかだ。そうだ、ここも森だったのだ、緑のなかだったのだと改めて思う。緑のなかに矩形に広がる噴水広場。噴水は、もう時間が遅いからか、水を吹き上げていない。「都市文明に疎外された市民の感情」とあったが、疎外しているのは、わたしたち市民であるだろう。都市文明をつくり、緑を疎外しているのだ。桜の咲く時期は、うるさいほど混雑をしているであろう桜並木を抜ける。すっかり濃い緑の葉となった桜の木たち、右側に、不忍の池がちらっと見える。ぼってりとした水、不透明なそれの上に、蓮の葉ばかり。もうすぐ蓮が咲くだろう。わたしたちは疎外している、けれども緑を、水を欲している、どうしようもなく。出口付近で、小さな噴水が見えた。石のカエルの口から、ささやかながら吹き上げる水、そのしぶき。雨がすこし降ってきた。

http://www.tbs.co.jp/event/paris.html
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