Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2008-08-25

“絵具をいくつも積み上げて…”構築された謎―フェルメール展

 「フェルメール展―光の天才画家とデルフトの巨匠たち」(八月二日―十二月十四日、東京都美術館)に行った。ヨハネス・フェルメール(一六三二―一六七五)の絵は、現存するのが三十六点位といわれているが、そのうちの七点も出展されている。内訳は初期の《マルタとマリアの家のキリスト》(マウリッツハイス王立美術館)と《ディアナとニンフたち》(スコットランド・ナショナル・ギャラリー)、中期の《リュートを調弦する女》(メトロポリタン美術館)と《ワイングラスを持つ娘》(アントン・ウルリッヒ美術館)、現存する二点の風景画のうちの一つ《小路》(アムステルダム国立美術館)、晩年の《ヴァージナルの前に座る若い女》(個人蔵)と《手紙を書く婦人と召使い》(アイルランド・ナショナルギャラリー)。過熱気味な反応を疑問視する声もあるけれど、所蔵先の散らばっているこれらを、日本にいながら観れる機会はめったにない。宣伝にも今世紀最初で最後とうたってある。一期一会と素直に出会えることを喜びたい。
 ネットなどで平日行っても混んでいたと見かけた。何人待ち、何十分待ちなど、以前行ったなにかの展覧会の混雑ぶりを思い浮かべ、そのことは気に掛かっていたが、思ったよりは混んでいなかった。悪いほうに考えるのはわたしの悪いくせだが、日曜の夕方で入場制限もない程度というのは、わたしでなくともうれしい誤算なのではないか。それでもゆっくり画面を見るのには難しい、人の頭ごしに見なくてはなかなか進めない程には混んでいるが。
 会場に入ると、ヤン・ファン・デル・ヘイデン、カレル・ファブリティウス、ピーテル・デ・ホーホなど、フェルメールの同時代のオランダ・デルフト画家たちの絵が並ぶ。風景、室内画、肖像画、どれもフェルメールと時代や場所を等しくするので、似た匂いをかもしているが、あまりひかれるものはない。人の頭越しに見ることに少々辟易気味で、真剣に眺める態度を些か欠いていたこともあるだろう。総出展数が四〇点なので、半分以上の二十五点を過ぎて、ようやくフェルメールたちが並ぶ一角にたどりつく(その他の出展は、フェルメールの構図に似かよったもの、彼の絵に出てくる楽器(ヴァージナル)を弾いているなど、参考といったニュアンスが強い)。
 さてフェルメール。人混みもここからはなにかニュアンスがちがって感じられる。やっと…ようやく…ためいきまじりの人びとの賞賛が空気となってみなぎっているようなのだ。まるで夜会が催される大広間に案内されたかのように、メインイベントが行われつつあるそこに通されたかのように。




 順を追ってみることにする(記念に、思い出すために、そしてだれかのために)。1《マルタとマリアの家のキリスト》(一六五五年頃)が最初期のものだからか、はじめにあった。素人目にはフェルメールらしさがあまり感じられない。聖書に主題を採っているが、それが家の中のことであること、マルタとマリアのスカートが青いこと、テーブルの白さと籠が細部まで丁寧に描かれていることなどに彼の片鱗を感じたような気もするが。次はやはり初期の2《ディアナとニンフたち》(一六五五―一六五六年頃)。神話がテーマで、狩りの女神ディアナの出した足をニンフの一人が洗う。左側から光が差し込み、座った犬やディアナの黄色いスカート(衣装はギリシャというより、当時のオランダのもののようだ)を明るく照らしている。こちらもフェルメールらしさがまだ…と瞬間思った。だがディアナの足元にある黄金色の水盤が目に止まる。水盤は光を帯びてやけに生々しい。それは浮き上がってすらみえた。なぜこれほどまでに絵具で金属が表現できるのか、明るいのか、そう思ったことが呼び水となったのか、左側からの光がわたしに差し込んできた。これはまぎれもないフェルメールだった。《牛乳をそそぐ女》のミルク壷の光沢、光にふるえる大切な道具たちでもって、存在を、静かだが確実にみせつけてくるのだった。
 3《小路》(一六五八―一六六〇年頃)は、フェルメールの現存する二枚の風景画のうちの一つ。もう一枚は《デルフトの眺望》で、こちらはマルセル・プルーストが「あの絵画を見て、私は世界で最も美しい絵画を見たのだと悟った」と語ったものであり、以前も日記に書いたが(二〇〇七年五月二十五日、日記八)、『失われた時を求めて』のなかで、死の間際の作家ベルゴットに「こんなふうに書かなくちゃいけなかったんだ、おれの最近の作品はみんなかさかさしすぎている。この小さな黄色い壁のように絵具をいくつも積み上げて、文章(フレーズ)そのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ、庇のついた黄色い小さい壁、黄色い小さい壁」といわせた作品だ。画集でみるかぎり、二つの建物の壁の色、そして空は、とても似通っていたので楽しみにしていたものだった。


 さて《小径》。正面から描かれたレンガで出来た建物たちの間から雲の浮かんだ空が見える。正面からなので遠近感があまりなく、書き割りのようでもあるが、道路にはいった縞の線、敷地内奥に見える、角度を持った白い壁で奥行きが生まれている。この壁と空なのだとまず思った。ひびわれ、よごれの細部までもたどれる壁、壁自体が息をしているようだ、壁そのものが価値を持ち、雲の多い空から光を受けている。だがそれだけではなかった。絵には洗濯をしている女性、道端に座る二人の子供、針仕事をする女性が小さく描かれている。人々の息吹が伝わってくる、まるで壁、空、人の三位一体となって、絵からあふれてくるようだ。壁そのものだけが価値を持つのではない、すべてが価値をもって緊密に生を伝えてくる。こんな風に積み上げなくてはならないんだ…。ベルゴットのことばがこだまのように響いてくる。


 4《ワイングラスを持つ娘》(一六五九―一六六〇年頃)。右から顔だけをこちらに向けた横向きに座った女性、ワイングラスを持った手に手を添え、かがみこんでワインを勧めているかに見える男性、頬杖をついて関係なさそうにしている男性、そして左端のステンドグラスの窓。フェルメールの絵は、左側から明かりが差し込むものが多い。最初は、このステンドグラスに惹かれた。ステンドグラスの絵柄は、節度を表わす女性なのだそうだが(つまりこうした小道具を含め、絵は物語を構築しているのだ)、それには気づかず、厚いガラスの質感、光を透過させる際のやさしい温かさなどがまざまざと伝わってくることにひきつけられた。次に、女性の朱色のスカートの圧倒的な柔らかさ、折り目につけられた陰影に。ふうわりとしたふくらみから生地の質感が感じられ、まるでそのスカートに触ったような錯覚すら感じられた。この質感に気づいてしまうと、テーブルの白いクロス、媚びをうるような男性の髪の毛にも同じ様な触感が感じられてきた。つまりリアリティということだが、なぜフェルメールに限っては、これほどまでにリアルなことがなにかを訴えかけてくるのだろうと不思議だった。写真にもリアリズムの技法にもさして感動をうけたことがなかったというのに。


 そして5《手紙を書く婦人と召使い》(一六七〇年頃)。右手に手紙を書いている婦人、中央にそれを待っているような召使いが、壁にかかった《モーセの発見》の絵の端に立ち、やはり左にあるステンドグラスのある窓のほうを眺めている。婦人の書き物机の下にある、丸められた書き損じの紙がわたしに投げ込まれる。召使いの顔と、うつむいた婦人の顔や袖に窓からの光があたっている。カーテンの折り目、書き損じ、婦人の胸元、ペン、壁にかかった絵もおそらくそれを助長しているのだろう、つまり寓意、物たち、物語、それらすべてが積み重なり、絵のなかで現実を構築しているのだった。いくつも積み上げて、現実の豊かさを差し出してくれている。もうすぐだ、だからモノたちのはなつリアリティが…。
 と書いているが、じつはこうしたことを考えたのは、家に帰ってきてからだ。会場では強烈なリアリティ、圧倒的な光、そして静かな謎にみちた感動をおぼえただけにすぎなかった。それは正直にいってしまえば、ピロスマニに感じた衝撃にはかなわなかった。ただ静かに、わたしにさしだされ、そして光りをおびて、わたしにしみこんでくるていのものだった。
 残りの二枚に先にふれてみる。これらは音楽に関するものだ。6《ヴァージナルの前に座る若い女》(一六七〇年)は個人像で、長らく真偽が問われていたもの。黄色いショールをかけた女性が、青い椅子に座ってヴァージナル(チェンバロの一種。箱型で、絵がほどこされている中にピアノのように鍵盤が付けられている)に手をのせ、弾いているのかもしれないが、こちらをむいているのでそれはわからない。めずらしく壁に絵がない。白い壁が、剥き出しのようになって質感をたたえている。窓も絵にはないのだが、左から光りが当たっている。そして7《リュートを調弦する女》(一六六三─一六六五年頃)。こちらは左に窓があり、光りがさしこんでいる。窓のほうを、まるで何かが聞こえたかのように見やりながら、リュート(弦楽器)を調弦している若い女性。この壁には世界地図がかかっている。この二つは、こちらを見ているか、窓のほうを見ているかで、ちがいがあるが、どちらも楽器から眼をそらしている。これらは、音を出しているのか出していないのか、そのどっちつかずのあいだで、たゆたい、そのことにより、楽器のみならず、まわりの音をも響かせてくるだった。また、《ヴァージナルの前に座る若い女》は、《ワイングラスを持つ娘》のように、横向きになりながら、わたしたちのほうを向いているのが、心地よい。まるでわたしのリクエストをきいてくれるかのようだ。そして《リュートを調弦する女》は、《手紙を書く婦人と召使い》の召使いのように、窓に注意をむけているが、壁にかかった世界地図(ちなみに世界地図はフェルメールの他の作品、《絵画芸術》や《天文学者》などにも使われるおそらく重要なアイテムだ)。音の存在をふりまきながら、物語性をもって、わたしたちに構築をさしだしてくる。音、光り、地図(あるいは壁にかかった絵画)、これらは水盤や書き損じ、《牛乳をそそぐ女》のストーブのように、実在をゆさぶるようにそこにあるのだった。「絵具をいくつも積み上げて、文章(フレーズ)そのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ」。ともあれこの二つからも、会場では画面から音と光を感じただけだった。音は、他の五枚の絵のように、積み上げられたモノたちの一部だったのだが。




 家に帰って、会場で買ったフェルメール展のDVDを観た。この中にはフェルメール全作品のほか、今回の七点の詳細な解説や、デルフト派の画家たちの紹介も含まれている(だからカタログは買わなかった)。画像を眺め、音を聞いているうち、美術館で作品解説の音声ガイドサービスをうけているような気がしてきた。もっともあちらは絵と向き合うことに集中できなさそうで受けたことがない。個人的に、絵の声を聞きたい、なんの固定概念もなく、先入観もなく、絵と向き合いたいのに、それが阻まれてしまいそうだから。だが、DVDから流れる声は、いちど展覧会で、個的に向き合っている後なので、フェルメール展を追体験するようで心地が良かった。リュート、ヴァージナルの演奏もあった(特にヴァージナルは、絵が描かれた箱を開いて、演奏するものだからか、絵画的かつ音楽的かつ家具的な要素も高いから、日常的で、それらが重なって美しいものとして心に残った)。フェルメールの絵。額縁にはいった、それを映す角度がかわる。それはまさに展覧会におけるわたしたちの目線のようで、画集をめくるよりも臨場感があるのだった。
 フェルメール展、フェルメールのDVD…その後、わたしは眠りについた。フェルメールがそこここに残っていたらしい。夢のなかでフェルメールのことを考えていた。映像に映し出された絵画の角度についての小さな感動が、夢の理論に精彩をあたえていた。「彼は、遠近法に必ずしも忠実だったわけじゃない。《小径》は、真正面から見ているはずなのに、へんに角度をつけられ、あきらかに無理がある。だがこれは、わたしたちの目線なんだ。わたしたちが右から左へ視線をうつす、あるいは通り過ぎる、そうしたことを交えた風景なのだ。セザンヌが様々な角度を果物に含ませて描いたように、フェルメールはわたしたちの日常における視線をも考慮にいれたのだ」。そしてもうひとつ、水盤、書き損じの紙、窓、カーテン、スカート、あれらのモノたちについても考えていた。夢のなかで、わたしはそれらのモノたちの構築するなにかがわかったと思っていた。それはフェルメールがわたしにさしだしたなぞなぞであり、それを解くことで、わたしは彼の共犯者のような友人になっていた。夢のわたしはメモをとれといっている。目覚めたわたしに伝えるために、彼女はどうせ忘れてしまうだろうから、と。メモをとれと夢のわたしがいう。目覚めに近いほうのわたしは、いまここで暗記するからと首をふる。暗記はもちろんできなかった。モノの構築のかかげた答えは大部分が去ってしまった。なぞばかりが残った。だが、あれらのモノたちは、現実を別の角度から照射することで、わたしたちに現実の豊かさを突きつけてくれるものだったとだけは、教えてくれたようだ。あるいは光りをおびて、モノたちは、存在の真の姿を垣間見させてくれたのだ。まるで美しい文章のように。「こんなふうに書かなくちゃいけなかったんだ、おれの最近の作品はみんなかさかさしすぎている」。
 そうして、数日たった真昼、電車の車窓から、レンガ色をした建物が見えた。《小径》の壁だ。入道雲、明るさ。フェルメールは黄色い小さな壁からうまれた蝶のようにわたしのまわりをたゆたっている。

展覧会公式HP http://www.tbs.co.jp/vermeer/
朝日新聞社 http://www.asahi.com/vermeer/

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2008-08-15

獅子の眼、鹿の眼。周縁を恋が近づく―ニコ・ピロスマニ


《座る黄ライオン》

《キリン》

《小鹿のいる風景》

 画集『ニコ・ピロスマニ』(文遊社、2008年3月刊)を開いている。これはグルジア国立美術館所蔵のものが多く、年譜、作品リストなどの資料提供も、そこに依拠しているらしい。カラー一八九点、白黒二八点、総数二一七点(解説に、現存している作品数は二百枚位とあったので、ほとんど全てだろう)収められた画集で、十五人の解説も、丁寧に彼をすくいあげて紹介している。初の画集としては、とてもまじめな、ありがたい仕上がりになっていると思う。
 と、わたしは彼に近づくために周縁をなぞってみるのだった。《座る黄ライオン》が、最初の頁にある(ほかにもライオンを描いた作品は多い)。かたちのいびつな足、長い胴、多すぎるたてがみの黄金色のライオン、その眼は赤みをおびた月のような輝きをもち、怖さよりも、寂しさをたたえてみえる。なぜ寂しく悲しげなのか。《月夜の熊》(一九一三―一四年)は、殆どモノクロで、しかも白よりも黒ばかりを使って描かれたもの。横たわった太い幹の上にたつ月明かりに照らされた、黒光りする熊は、その単純な線から、狼にすら見えるのだが、たぶんそれでいいのだ。見るものが見たい動物をそこに重ねればいいのだ、共有ということなのだと思う。《天使の舞う復活祭の祭壇と子羊》(一九一五年)は、白い子羊が、白い川から水を飲む(たぶん、白さは純潔であるとかなのだろう)、その奥が森なのだが、十字架にかけられたキリストが、墓のように土に埋まっており、その森では、かもめのような鳥たちにまじって、人間の顔をした鳥たちがあやしく飛んでいる。キリストの墓と羊の近くに、赤いワインと、赤い卵の乗る白いテーブル。羊は、つぶらなひとみで、純粋そのもののようだ。それはあたうるかぎりの聖性をになわされたものであるだろう。羊のやさしいまでの無垢さに、くらむような想いがつのる。《キリン》(一九〇五年)は、ほとんど身体が白黒で、こわいような眼をしてこちらをむいて一頭で立っている。そのこわい眼に、キリンではない、ほかの動物のような感じを、あるいは人間のまじった、キマイラのような感じを受ける。孤独さをたたえ、耐えているようでもあり、意志のような態度を白黒により放っているようで、痛いくらいの屹立なのだ。いや、こんな風に並べていっても、わたしは彼に近づけない。というよりも、彼になぜ惹かれたのか、その理由に近づけないような気がしている。《小鹿のいる風景》(一九一三年)の、雪をかぶった山、青い空を背景に、一頭の雄鹿がこちらを見つつ、目をそらせている、その平面的なしぐさ、視線に、なぜ心がざわめくのか…。牛、豚、ロバ、ラクダ、こうして動物たちを羅列していってもきりがなく、理由のまわりを同心円状にまわるだけのようなもどかしさがある。
 《野兎を捕らえた鷲》(一九一四年)、《熊狩り》など、彼らの死を描いた作品も多い。《ツングースの河》は、大鹿に乗った狩人の放った銃に、熊が血を噴出している。彼は、生の両面を眺めている、そうしたことが画からにじんでいる、だからこそ、といえるだろうか。わからない。モネなら、瞬間への触れ方、フェルメールなら、光りと、重ねられた構築、マグリットなら、哲学的な詩がたちこめて…と、理由の一端がわかるのだ。そこに名前のような語句をつづることができ、ことばにより一端がわかったような気になることがでlきるのだ。だが、なぜピロスマニだけわからないのだろう。
 「青春のロシア・アヴァンギャルド」展は、モスクワ市立近代美術館所蔵作品で構成されているが、画集の国立グルジア美術館所蔵のほうでも、似たようなモティーフ、ちょっと見には殆ど同じといっていい絵が多い。《雌鹿》、《小熊を連れた白熊》、《雄鳥と雌鳥とひよこ》、《タンバリンをもつグルジア女》、《イースターエッグをはこぶ女》、そして《祝宴》をはじめ、酒宴を描いた絵の、無機質な、楽しそうでは決してない男たちの賑わい。酒袋(ブルディグ)がテーブルの下に丸焼きの豚のように転がり、ギターに似た弦楽器タールやタンバリンが立てかけられているのだが、彼らは音のない世界にいる者として静かだ。グラスや杯をかかげている彼らのその表情が読めない。あるいは、宴とか祭りであるとしたら、その寂しさの部分だけを体現しているようだ。おのおのの孤独のなかから、わたしたちを見据えている…。ページをめくるうち、ロバ、駱駝、キリン、鹿、どうやらわたしは、特に彼の動物画にひかれているようだと、今さらながら気づく。理由の縁をめぐるうち、そんなこともなかなか気づかなくなってしまうほど、迷路にはいってしまったのだった。図版頁をひととおり終えて、解説を読む。特に、やはりというか、それまでも好んで読んでいた、山口昌男の文章がしっくりとした。読んでもわたしの理由を理解するにはいたらなかったが(しつこくも)、彼の文章により、少なくともそこに少しは近づくことはできたような気がする。以下、山口昌男の文章を紹介してみる。
 ピロスマニの平面的な絵。あるいはプリミティブと称されることについては、こんなふうに書いてある。
 「(「古代の文化の痕跡と絶賛した文章について」)、「古代の文化」というのは決して誇張した言い方ではない。スキタイの動物模様を象った造形感覚や時間空間感覚は、グルジアの中世壁画の中に蘇り、そして中世壁画の感覚はピロスマニの画風の中に再現したと言えるからである」
 また、グルジア美術館館長サニキーゼ氏のことば、「彼が描く人物が平面的で、硬直化して動きが少いということ、そしてときにみられる人物の解剖学的構造や遠近法(の無視)、空間内での事物の関係の無視、つまりアカデミックな規範からの逸脱は、彼の作品の形象の構造の中では極く自然に見えるのである」を引用しながら、山口昌男は「つまり、ピロスマニが引き出そうとしたのは、万物呼応のアニミズムに近い世界感覚であり、世界のあらゆるものは、限りなく近い関係であるとともに、また限りなく離れているということなのである。従って、ある特定の事物がプロポーションを欠くほど極端に大きく描かれても、それは心の奥底から投影される視線の前では極めて自然な状態に置かれているといえよう」といっている。
 これは、ルソーの絵について述べられたことにも似ている。そこでは、ルソーの不自然さは、子どもが興味あるものを大きく描くのと同質のことであるといわれていた。
 「ピロスマニにとって、目前の現実は、より大きい実在の影のようなものであるから、彼は、むしろその影をつくり出す源のようなものを写し出そうとしたとも言える」
 彼の独学の手法については、こうだ。
 「ピロスマニは、物の表層を反射するという「カンバス」絵画の伝統を一度拒否するために、あえて細部を無視する「プリミティヴ」の手法を導入している。つまり、エントロピー(へたくそらしさ)を介在させることによって、カンバス派が前面に押し出しつつあった写実性(うまさ)にワン・クッションを置き、なおかつ、共同主観性を導入するきっかけとして民族的類型を使うという手法をピロスマニは使ったのである」
 は、どうかわからないが、アカデミズムから逃れることで、新鮮な共鳴を起こすことになったのは、興味深い。
 動物について。
 「彼の描いた数多くの動物は、他の多くのモチーフの作品同様、黒い地のカンバスの上に造型されている。(略)この漆黒は、はじまりの世界の闇の豊饒性を表していないとは必ずしも断定はできないであろう。
 彼はまた、動物世界を二項対立の相において見ていた。「この世に存在するあらゆるものには善と悪という二面性がある。白は愛の色である、黒は戦争を意味する。(略)鷲は皇帝の鷲であり、小さい兎は…我々である。」こうしたナイーヴな二元論は、彼が人間の世界に対して抱いた恐怖感の現れとしては適切な表現であった。(略)クズネツォフは、ピロスマニの描く動物の眼が人間のそれに似ていると指摘されてきたことに言及しつつ、ピロスマニの描いたライオン、鹿、キリンは、実を言うと彼自身の自画像であり、(中略)つまり、ピロスマニは、動物を現実の自然界から切り離し、(略)ヒエロニムス・ボッスの如く、動物と人間が同じ位相に生きる架空の世界を作品中に築き上げたと言いうるのである」
 同じ位相にあるのはわかる。彼の描く動物は、孤高の存在であるかもしれない。獅子ですら、悲しげなのは、だが何故なのだろうか。
 「饗宴またはどんちゃん騒ぎのモチーフ」については、やはり、その静けさに言及している。
 「ピロスマニの描く祝祭世界は、極めて静かな空気に包まれているようだ。(略)人々の視線は一定の方向に向けて固定され、杯を持った手は同じように挙げられている。(略)この祝宴の光景がこの世のものを直接写したものでなく、彼の心の奥底にある遠い世界の反映であることを意味しているかのごとくである」とある。遠い世界というのは、彼と彼らを隔てた世界、ということかもしれない。彼はここにいるが、彼らはむこうにいる。彼らの声は聞こえない…という孤独感が内在しているのかもしれない。
 また、道化を愛する山口昌男らしいのだが、周縁性についても語られている。
 「彼はあらゆる意味で周縁性を選びとった画家であったということができる。
 モスクワよりトルコに近いという意味で、グルジアはロシア国内の地理的周縁つまり辺境に属する。農村に生れて都市に住んだが、結局は定住を拒み、非定住を貫いた。(略)アカデミーによる教育を拒絶し自己流を貫いたから、カンバス派の絵画伝統に対しても自らを周縁化したといえる。」このあと、生まれ育った農村に郷愁を覚えつつ、農村を画題にしなかったこと、都市に住みながらも、都市を描かなかったことをあげ、こう続けて締めくくる。「彼が好んで描いたのは都市でも農村でもない、都市の外延の行楽の場という宙吊りの場所であった。
 このように彼は、自らにとって親しい空間から自らを疎外することによって、自らを外部性によって補強していったと言える。このような不断の努力によって彼は、この世の時間・空間・物語性の支配から自らを解き放って、彼のみに可能な精神の力学を構築し、その力学に基づいて世界を彼の精神の深淵に再構築しえたのであった。それ故、今日ピロスマニを語ることは、我々の精神の座標軸を、一度放擲して、この世ならぬものとの対話を通じて再構築することを意味する」
 引用が長くなってしまった。わたしがピロスマニに惹かれる理由を、この文章に求めることに、まだためらいがあるからだ。こうしたことはいちいちとても頷けるのだが、ここから理由をひきだすのが難しいようなのだ。たとえば、わたしもまた周縁性を帯びた者に惹かれるということもかなりまじっているのだろう。それは匂いのように、放たれるものなので、理屈ぬきで、嗅いだものはひきよせられてしまう、だが、それが理由だとは断言できないのだ。それも理由かもしれないが、それで理由がわかったと、話をまとめてしまいたくないのだ。あるいは、彼の周縁をまたなぞっている、そこからずれてしまうことによって、彼の周縁をまたおいかけることになるのか、メビウスの輪のように、彼をそうしていつまでも追いかけていたいのだろうか。
 『ニコ・ピロスマニ』をまた開く。動物たち、あるいは《酒袋をかつぐ人》《樽をかつぐ人》などの、重そうな酒袋や酒樽をもつ人たち(彼らはひとりだ)を眺めていると、悲しくなってくる。獅子がやさしい。わたしはまるで恋をしているようだと思う。携帯電話の待受画面をピロスマニにした。画面を見る度に、恥ずかしいような嬉しさがある。「青春のロシア・アヴァンギャルド」展も、実はもう一度行って来た。前回も書いたが、日本でピロスマニが紹介されたのは、一九八六年の西武美術館での個展以来、二十二年ぶりだとのこと、次はもうこないかもしれないから。画集と展覧会の絵の十点が殆どだぶっていないようなのでカタログも買った。きりがない、これでは本当に日記だ、恋をしていると、その周縁で熱を帯びているものの独白だ。恋愛に理由がほとんどないように、わたしはあるいは…。画集でも、よくみるとわかるが、ピロスマニの絵は、看板や、居酒屋の壁用に描かれたものなので、痛みが目立つものが多い。作品は、板や布に紙を貼った上に油彩などが多く、キャンバスに描かれたものもあまりないようだ。傷があったり、やぶれている。こうしたことに気づいてしまうと、なにか恋する人の傷をみるようで、つらくなる…。
 わたしはここでもなんども書いてきたが、いままでずっと、芸術家としての人物の実人生については、あまり興味をもたずにいた。だがちがうのだ。好いてしまったら、彼を、彼の全てを知りたくなるのだ。実人生は、芸術とはちがう。だが、ひかれることの理由を構成する一端はたしかにになっているのだから。恋しい彼の破片でもいい、それをあつめること、あつめたいということ。作者の実生活を知ることを追い求めるのは、彼らの作品への愛ゆえなのだ。そこからひかれる理由をたぐろうとしているという面もあったのだとあらためて思った。細かな年譜の作成、書簡集。恋愛のように、周縁をたどりつづけていること、理由がわからないが、それはそれでもとてもやさしい。獅子の、鹿の眼。

『ニコ・ピロスマニ』
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2008-08-05

名前をさがすように―ニコ・ピロスマニ




▲上から、チケット(ニコ・ピロスマニ《ひよこを連れた雌鶏と雄鶏》)、ナターリヤ・ゴンチャローヴァ《あんずの収穫》、シャガール《家族》

 「青春のロシア・アヴァンギャルド―シャガールからマレーヴィチまで」(六月二一日―八月一七日、東急Bunkamuraミュージアム・渋谷)に行く。二〇世紀初頭、ロシア革命前後からスターリン台頭の二〇年代まで、プリミティヴ的なものの見直しから始まり、キュビズムなどを取り入れ独自の前衛的な芸術運動をくりひろげたロシア芸術の紹介で、モスクワ市近代美術館所蔵作品で構成されている。
 副題の“シャガールからマレーヴィチ”だが、実はこの二人に興味がないので、行かないつもりだった。だが先日、展覧会を観てきた知人が知らない作品に出会えたことがうれしい、シャガールですら今までのものとは違っていたと、穏やかだが熱のこもった表情で話すのを聞いて興味がわいたのだった。なにかそれは夢みるような真摯な表情だった。またこの美術館は夜七時(金、土曜は九時)までやっているので、会社帰りに気軽に行けることもあった。もうひとつ理由があるが、それはあとで書く。この時は理由としては思い浮かばなかったことなので。
 展覧会場に入る。最初のテーマは「西洋の影響とネオ・プリミティヴ」。入ってすぐにあったナターリヤ・ゴンチャローヴァ《あんずの収穫》(一九〇八年)は、ネオ・プリミティヴの代表なのだろう。ひまわりが咲く中、あんずをもいでいる女性がゴーギャンのそれのようにやさしく力強い。平面的なふとい手足、血潮を思わせる赤い服、あんずをもぐことに集中している黒目の簡単な描き方、技巧を凝らさないそれが、生を踏みしめつつ、大地母神的なやさしさ(地底に通じる怖さもあるだろうが)を醸し出していると思った。
 シャガール作品もその側にあった。展示はほぼ年代順なので、これは彼がロシアにいたのが初期だったことによる(あとはパリにいってしまったから)。西洋の影響ということで、キュビスムをとりいれた人物や背景を面で描いた作品《家族》(一九一一─一二年)が展示されている。左半身が女性、右半身が男性。だが右の男は右向きで、横顔だが、左の女性はほぼ正面。つまり、鼻と口が各自の分、ふたつある。家族とはこんな風につながりながら、けれども別々の存在なのだ、と思わせるものがあった。というか、そんなふうに考えさせてくれる自由さが作品からにじみでていた。わたしはシャガールがどうもすきになれないのだが、この絵にはわりといい印象をもった。
 次のテーマは「見出された画家ピロスマニ」として、グルジアの画家、ニコ・ピロスマニの十点の作品が壁の三面を使って紹介されている。
 室内に入る際、ピロスマニの簡単な略歴が掲げてあった。カタログを買わなかったので、記憶とほかの書物などから大体を書く。「ニコ・ピロスマニ(Niko Pirosmani、一八六二―一九一八年)、グルジアの画家。グルジア東部のミルザーニ出身、後にトビリシに出て、グルジア鉄道で働き、また自分の商店を持ったが、体が弱いことや、人付き合いが苦手だったためか長続きせず、独学で習得した絵を描くことに専念、グルジアを放浪しながら、居酒屋の壁の絵や、看板描きをして日銭を稼いで暮らす。彼はプリミティヴィズム(原始主義)の画家に分類されるが、運動に関わったのではない。一度はロシア美術界から注目されるが、そのプリミティヴな画風から新聞などに幼稚な絵だという非難を浴び、一九一八年、貧困のうちに死去。死後グルジアで国民的画家と称される」
 もっともこうしたことは、絵を見てからでないと気にしないものだ。はじめは略歴をナナメ読みしただけ、馬耳東風のように、眼からどこかに文章が逃れていったままに、予備知識なしに絵と向き合ったのだった。
 最初のものは、《宴にようこそ!(居酒屋のための看板)》(これ以下、すべて一九一〇年代とあるので、以後省略)。黄色い葡萄が実るなか、黒い服、白いエプロンの給仕のような男性が、どうみても大きすぎるワインとパンなどが乗った盆を持っている。背景は葡萄の他は空だ。寡黙そうな表情がなぜか悲しげに見える。居酒屋の看板にしては淋しい絵だなと思ったのかもしれない。だがやさしさがにじみでるようだと思ったのかもしれない。と、推量しがちなのは思うまもなく惹かれたからだ。理由はわからなかったし、今もまだわかっていない。書きながら、それをたどっている面がある。次の《イースター・エッグを持つ女性》は、赤い小さな卵を持つ白い服を来た女性。白すぎる顔、太い眉毛(この太い眉毛も彼の特徴らしい)でまっすぐにこちらを見つめているのが、なにかひたむきさがあり、こちらもきちんと向き合わなければいけないような気がして、真剣に見返してしまうのだった。視線をかわすこと。そうだ、理由の一端はそんな風に、わたしの何かと絵の何かが通いあったことによるだろう。


▲《宴にようこそ!(居酒屋のための看板)》、《イースター・エッグを持つ女性》

《コサックのレスラー、イヴァン・ポドゥーブニー》、《タンバリンを持つグルジアの女性》。そこに描かれた人々を見ているうち、アンリ・ルソーにすこし似ていると思った。実際、この二人は比較され、俎上にのるようだが、ひとつには二人がどちらも独学で絵を習得したことによるのだろう。小さすぎるか大きすぎる動物や人、人物の顔の描き方―おそらくプリミティブな描き方といっていい―に、どことなく似た感じがあるが、ピロスマニのほうが、ルソーよりも洗練されていない(いい意味でつかっている)。ありのままというのではないが、作意的な面が少ない気がするのだ。
 だがこうしたことも観ながら思ったわけではない。感じたことを今ここで翻訳しようとしているといったほうがいい。だが感じたことはすぐに逃れてしまう。ことばでいいあらわすことのむつかしい感覚的なざわめきがたしかにあったのだが。まるでうしなわれた名前を見つけるためのように、突き動かされるように、略歴を見に戻り、そして絵の前にまた立つ。なぜこんなにさわぐのか、見つめてしまうのか、理由に対して名前が欲しかった。そして略歴を読み返してのち、ルソーと対比したのだろう。ピロスマニのそれは、幻想をたたえたルソーよりも、より日常に近い気がする。もちろん日常に埋没しているということではない。距離を置きつつ、対象を眺めていることからくる、生々しさというべきか。あるいは、そこにいないからこそ、日常に客観性をたたえた絵となっているのか。たとえば彼は放浪者だから…。日々の糧を絵で得ながら、日々からは、人々からは一歩退いていること。そこには孤独ということばも混じるだろう。だがこれはその場で思ったことではない、似たようなことを感じたのかもしれないが、ただただ絵にひかれていただけなのだ。
 十点展示のうち、六点はほぼ人物。ここでまた解説が掛かっていた。彼は動物も多く描いた。善なすものの象徴として、悪のそれとして。とあったと思う。順番通りにあげると、《ロバにまたがる町の人》、《雌鹿》、《小熊を連れた母白熊》、《ひよこを連れた雌鶏と雄鶏》の四点。最初に黒いロバの表情に惹かれ(こちらを親しいもののように、懐かしげに見つめているその表情に)、次を見ようと思った時、丁度次の絵の前で立ちどまったままの人があったので、その次の《小熊を連れた母白熊》を観た。黒っぽい背景の森に母白熊が、二頭の子供と一緒にいる。この絵を観て、ようやく、ここに来た理由のもう一つをまざまざと思い出した。この絵は地下鉄の電車の中の広告で見かけたものだった。ドアの上にテレビCMのように映像が映し出される。食品や演劇の宣伝などが繰り返し流れる。わたしは本を読んでいたから、殆ど眼をやらなかったのだが、もうすぐ降りるとかだったかで、ふとドアのほうを見た。丁度、画面に熊の絵が出てきた。なんとはなしにひかれるものがあり、意識的に画面を見始めた。絵は簡単なアニメーションになっていて、母熊は頭の下にいた小熊の首を口でくわえて、画面の外に去ってゆき、「青春のロシア・アヴァンギャルド―シャガールからマレーヴィチまで」と出てくる。それは薦めてくれた人との会話の後だった。絵も画家の名前もわからなかった。だがやさしくもさびしい熊の親子が印象的だった。こんな絵があるのなら行ってもいいなと漠然と思い、そのまま視線を本に戻し、忘れてしまっていたのだが、そのことを、絵の前でまざまざと思い出したのだ。そうだ、このために来たんだ、この画家に会うためにここにやってきたのだと、まるでそれがここに来た全てであったかのように思って(実際、殆どそうなってしまったが)、絵のまえではしゃぎたいくらいだった。これもまた名前たちがあわさった、ということだった。あれはニコ・ピロスマニ《小熊を連れた母白熊》だったのだ。
 CMで見るよりも、母熊の顔はもっと複雑だった。優しそうでもあるが、威嚇しているかのような怖さをも兼ね備えて映った。矛盾するものを兼ね備えた自然として、畏怖と慈愛をこめた眼でみたありのままとして、熊は描かれていたようでもあった。


▲《小熊を連れた母白熊》

 そしてひとつ前の絵に戻って《雌鹿》。暗い森(ここで見る限り、彼の背景は総じて暗いようだ)の水たまりか小さな泉から、茶色い雌鹿が頭を落とし、水を飲んでいる。熊やロバもそうだったが、その姿は平べったい。これは後で知ったのだが、こうした遠近法を使わない描き方は、ロシア正教などで使われるイコン画の影響らしい。平たさにより、見る者に、肉をつける自由さをあたえてくれるようでもあった。こんな風に見る人が立体的にしていいんだと、余地を残してくれるような。あるいは遠近法は、神を人間と同じ地点に置いて見つめることから初めて生まれたとどこかで読んだことがある。それ以前は神はまぶしさのなか、見上げるだけだったから、二次元的だったのだと。そんな平面的なものに、なにかしら悲哀にみちた優しさを感じるのだが、そうしたものたちに少し通じるものを動物から感じる。《雌鹿》の鹿の眼には睫毛まであり、つぶらで愛らしい。どこか遠い昔に見た鹿のでてくる絵本のような。信じ切った表情でもある。わたしはこの絵を前にして、なぜか泣きたくなってきた。そうした感情の動きに自分でも驚いた。絵を見て泣きたくなるのははじめてだったから。今も理由がわからない。だがわからないまま哀しさがしみいるように心地よかった。哀しさを通じて、ピロスマニとどこかで近づいたような気がしていたのかもしれない。


▲《雌鹿》

 続く部屋は、「マレーヴィチと抽象の展開」、「一九二〇年代以降の絵画」だが、もはやピロスマニにあまりに心を奪われてしまい、彼以外の作品を見る気がなくなってしまった。見るには見たが心に少しも入ってこない。そのまま出口まで行ってしまったので、またピロスマニの部屋に戻る。中央にソファがあったので座って見てみる。ここで彼の絵に囲まれて暮らしたいとまで思った。ミュージアムショップでピロスマニを探し、また絵のほうに戻る(ショップまでが美術館内なので、とがめられない)、それを繰り返す。いつまでもピロスマニの近くにいたかったが、七時閉館が近づいてきたので仕方なく出た。ショップではカタログは買わず、『ニコ・ピロスマニ』の画集と、彼の絵はがき、《雌鹿》の絵のタイルのコースターなどを買った。もう会えないかもしれない(十点は日本初出点、彼の展覧会としては二二年前に一回開かれただけで、評判にもほとんどならなかったらしい)。だがこの一期一会はとてもやさしい。
 帰りの地下鉄内のCMで、また《小熊を連れた母白熊》の絵を観た。買ったのが大判の画集だったので、車内で開くのが慮られたこともあり、繰り返し繰り返し流れている画像をじっと見ていた。名前のわかった、その熊たち、ニコ・ピロスマニの白熊たちを。

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