Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2008-09-25

ガラスのつける名前たち


▲ルネ・ラリック《彫像 タイス》(一九二五年、写真は伊豆ガラスと工芸美術館で撮ったもの)
 「ガレ・ドーム・ラリック アール・ヌーヴォーからアール・デコへ〜華麗なる装飾の時代〜展」(横浜高島屋ギャラリー 九月一〇日〜九月二十三日、巡回展 http://www.nhk-p.co.jp/tenran/galle_daum_lalique/index.html)へ行ってきた。場所は横浜駅、駅の反対側にある横浜そごうは展覧会を観に何度かいったことがあるが、高島屋ははじめて。エスカレーターでのんびりと上の階へ行く。天井が低い。二メートルちょっとではないだろうか。昔の建物は天井を低くして、階数を増やしたのだという。いつ作られたのかわからないが(おそらく昭和三十年代)、その低さ、そして低さゆえにすぐに次の階へついてしまうなか、脇から商品が並ぶのを見ていることからくる、狭苦しいような感覚、狭い空間にものをつめている感覚が、雑多なようで、何か懐かしい。おもちゃの国にきたようで、それは幼少の頃に感じた楽しさに通じるものでもあるが、作られた時代を感じてのことでもあるだろう。
 さて展覧会場へ向かう。間違えて七階で降りてしまうが、ここにも画廊があり、上の催しと連動しているのか、エミール・ガレの花器やルネ・ラリックの皿が売られている。ラリックはオパールセングラスの大皿が目をひく。女性が皿の中でおよぐように肢体をくねらせている。この色だ、海をとじこめた色だ…。店員が寄ってきて説明してきたので、わずらわしく思い八階へ。
 ガレ・ドーム・ラリックとあるが、この三人を並べると、お気づきかもしれないが、まっさきに惹かれてしまうのは、ラリックだ。ガレもドームももちろん好きなのだが、ラリックに対しては、ほとんど恋にちかい懐かしさがそこには混じっているのだった。だがそれは置いておこう。
 展覧会は、アール・ヌーヴォー、ガレ・ドーム・ティファニー、アール・ヌーヴォーの女性たち(化粧品、衣裳など)、アール・デコ(ラリック、化粧品)とわけられている。化粧品が多いのは、ポーラ化粧品、ポーラ美術館所蔵作品が中心だからだろう。
 アール・ヌーヴォー期では、ボタニカルアートで描かれた花の細密画も参考として展示されている。《ケマン草文花器》に、ケマンソウの絵など。イヌサフラン、マツムシソウ、ブドウ、フジ、タンポポ、スイセン、マムシグサ…。花の実際の形状がわかり、親切だと思った。もっとも細密画はどうも心ひかれない。実際そうしているわけではないのだが、何か解剖してそれをスケッチしている印象、細密画に生を感じない、とはいいすぎだろうか。日本画にみられるような花の息吹がないように感じてしまうのだ。もちろん、ここにあった植物たちの花器、ランプは濃密な輝きを、匂いのようにはなっていたのだが。ここでは特に《木の葉文蓋付花器》(ドーム兄弟、一九〇一年)に目をとめた。病葉、落ち葉、朽ち葉、水にぬれてほとんど腐りかけているような色の葉たちに、鮮やかな赤い実、緑の虫が、立体的にほどこされている。塗れたじゅくじゅくとした死んだ葉の感覚が、踏んだ足の裏から伝わってさえきそうな強烈さに、対極的にあざやかな虫と果実の生があった。それは、ほとんど死にみちた世界からの息吹だった。あるいは腐ったという醜から発せられる美だった、つまり美醜、生死の均衡のうえになりたつ鮮烈さを放っていたのだった。

▲ドーム兄弟《木の葉文蓋付花器》
 またドームの《薔薇文花器》(一九一〇年頃)が四点出品、そして《薔薇文ランプ》が一点、計五点の同じシリーズの薔薇たちが出品されていた。こちらはうってかわって、薄いピンクの地に、同系色だがもっと濃い薔薇一輪。先日みたガレの薔薇が、毒に似た生々しさをはなっているとしたら、こちらは日本画に通じるような、繊細な生、風にさえふかれているような景色を感じた。朽ちた葉とひそやかな薔薇の、そのギャップ、その裂け目がうれしかった。

▲ドーム兄弟《薔薇文花器》
 さてアール・デコのコーナーへ。といってもガラス工芸作品はラリックのものしかない(所蔵は大村美術館、北澤美術館など)。後はポスター、衣裳、ジュエリーなど服飾品の紹介。ともかくいきなりの、いよいよのラリックたち。ただ展示されている壁が白で、特に照明も凝ったものではなかったので、彼のガラス素材がはなつ色が、存分にひきだされていなかったのが、少々残念。だがなぜこうもラリックはわたしに甘やかな風をはこんでくるのだろう。オパールセングラスの《彫像 タイス》(一九二五年)は、久しぶりにみる作品だ。ヴェールをまとった女性が、手をのばしている。目を閉じた恍惚とした顔と裸体が、なまめかしいというよりも神秘的なのは、そのオパールのはなつ複雑な色合いによるのだろう。色たちが、謎をふくんでささやいてくる。《花器 テレプシコール》、《花器 ナイアド》もオパールセングラスで、裸体の女性たちが、肌の内側からさまざまな色を発していて、それが謎の答えだとでもいうように(その謎はだがけっしてことばとしてわかることはない)時間性すらたたえて、永遠のように存在しているのだった。

▲ルネ・ラリック《花器 テレプシコール》(一九三七年)
 《ランプ カリアチード》(一九二〇年)は、ランプの胴の部分が、古代建造物の柱のモティーフの女性像だ。モディリアニのところで(六月十五日)に紹介したが、彼のそれがアトラスのように体をまげて柱として空と地を支えているのに対して、ラリックのカリアチードは、何人もの着衣の女神が、胸に両手を近づけ、祈りをあらわしている。祈ることで、空と地が出会っているのだ。そして長すぎる足が人間性を薄めたその分、神々しさを増しているようだ。これはオレンジ色のつや消し加工をしたガラスだが、そのオパールセングラスよりも派手さをおさえた色、質感が、時間の経過によりくすんだようで、古代への夢想をかきたてる。また、上で灯っている電球に照らされ、うっすらとあかるくなった女神たちの姿も、やさしさをこめて立っているようでもある。
 さて展覧会のポスターやHPでも目玉となっていた《花器 つむじ風》(一九二六年)。これはガラスを鋳型で成型して半円のような幾何学模様を作り出しているものなのだが、実はここで見るまでそれほど興味がなかった。もしかするとラリック美術館などでみたことがあるかもしれないが、それも覚えていないくらいなのだ。だがネット上で、この作品が良かったと書いてあったのをみて、なんとなく注意して作品の前にたった。うずまくような形たち。風の凝縮。目に見えない風をガラスに閉じ込めていることのすごさを感じた。見えないものを見えるものにする、その行為に、羽ばたく想像を感じた。といっても、やはり女性や、鳥などのほうが、好きだが、それでもラリックのべつの側面からの出会いをすこしだけ受け取れたことは、あまくうれしいことだった。

▲ルネ・ラリック《花器 つむじ風》(一九二六年)
 ここまで、ラリックのガラス工芸は十四点、ジュエリーは《ガラスとエナメルのネックレス》(一九〇三年頃)の木の実と、《ネックレス 頭を上げた雀》の雀たちの二点。例の高価な材料だからといって使うことがない、材料には資産的なものではなく、審美的な価値しか求めない、彼らしいデザインとガラスの出会いがつめこまれたもので、こうしたものにまた出会えてうれしくなった。彼の信念にふれたようで。
 このあとで、衣裳や櫛やビーズのバックなどのコーナーになり、ああもうラリックは終わりかと残念に思いつつ歩いていると、化粧道具、香水瓶のコーナーになる。形はちがうけれど、《カリアチード》のようなオレンジ色のガラスの小瓶に、ポーズはちがうけれど、やはり《カリアチード》のような女神が横向きに、うなだれ気味に何人か浮き彫りになっているもの。作品は《香水瓶「アンバーアンティーク(古代の琥珀)」》(コティ、一九二〇年)、そしてもちろんルネ・ラリックと書いてあった。軽い予感(期待)のようなものが働き、急いで解説を見にもどる。「すでに宝飾デザイナーとして活躍したルネ・ラリックは目には見えない香りを表現した香水瓶を数多くデザインしている」。これは《つむじ風》で感じたことだとうれしくなったが、それよりもラリックの香水瓶が数多く見られるのだということがわかって、うれしくなる。まだラリックは展示されていたのだ、まだラリックと向き合えることができるのだ…(ちなみにこれらの所蔵は、やはり化粧品会社が母体のポーラ美術館、ポーラ文化研究所が多い。ほかに大村美術館)。

▲ルネ・ラリック《化粧瓶「ダンカン」》(一九三一年)
 小さなガラスの壜たち。あるものは蓋に細工がしてあり、あるものには胴体に、あるものには小さなプレートに、色ガラス、透明なもの、それは大きな作品とまったく同じ意思を込めてつくりあげた凝縮の世界だった。ガラスの花器やランプたちに感じたのとまったくおなじものが、ぞくぞくするほど目に飛び込んでくる。《香水壜「ラ・フランベ(燃え上がる炎)」[ドルセー]》(一九一〇年)は、蓋がひらたい三角形になっており、それが蝉(あるいは蝶かもしれない)になっている。ガラス作家以前の、ジュエリーデザイナー時代のそれを彷彿とさせる、虫のささやき。《香水壜「ダン・ラ・ニュイ(夜中に)」[ウォルト]》(一九一〇年)は、ほぼ球体で(底部は平たい)、蓋もコインのような丸。色は胴体も蓋もラピスラズリのような青で、小さな星がちりばめられている。まるで天体儀のようだ。これが夜の香りなのだ。《化粧瓶「ダンカン」》(一九三一年)は、四角い壜の中央に、縁取られたような按配に裸体の女神たち三人が浮き彫りになっている。その世界に引き込まれるようで、ここちよい。それは何度もいうが、ガラスの花器に感じたのとおなじ引きつけられかたなのだ。《四つの香水瓶(アンサンブルウヒガン)[ウヒガン]》(一九二八年)は、円形の薄桃色のサテンが貼ってある箱のなかに、一瓶あたり九〇度の角度にして、四つの香水瓶がちょうど円のなかに納まるようになっている。その蓋が二つあり、内蓋が同じサテンのもので、外蓋は、縁まで覆うようになっているのだが、それがオパールセングラスだった。そこにはバラに似た架空の花が一輪、渦巻くよう咲いている。こんなところでオパールセングラスに出会うとは思わなかった。花の中央あたりが、色をゆらめかせ、神秘的な穴のように存在している。これに続いて、小さな蓋物たちが展示されている。こちらは白粉でも入れたのだろうか。ピンク色の曇りガラスに、《二人の天使と香炉》(一九一〇年)が浮き彫りになっているものなど、やはり花器の世界があざやかにたちこめているのだった。
 そして《テスター「ドルセーの名声」/「ドルセーの花」(ドルセー)》は、横長の長方形の透明なガラスに、葉のような透かしが彫られていて、上に五つ、花びら形の蓋が並んでいる。ちょうど五輪の花が咲いたプランターのようだ。テスターだから、この五つに、別々の香りをこめて使ったのだろう。そしておそらく店におかれたものではないだろうか。ともあれこれはわたしの思い浮かべる試供品(ただ“試供品”“テスター”とシールや、紙がセロテープで貼ってあるもの)の世界観とはまるでちがった繊細なものだ。日常にありながら、足を置きながらもかつ同時に幻想の世界にひきこんでくれる美の存在に心打たれる。 白粉を塗る、香水をつける、こうしたなかにも想像の世界は羽ばたくことができるのだと、ラリックはやわらかく真摯に伝えてくれるのだった。
 名残惜しいが、こんどこそ出口へ。けれども特に瓶の宇宙にひたされるようで、その息吹がわたしに吹き付けられ、あるいはあたりにとりまいてくれた、やさしい充実感があったので、楽しく外に向かう。わたしたちは出会えたのだから、彼の見えないものをあらわしたかたちに触れたのだから。他に、花の香り(自然の物質だけという意味だったと思う)、ビクトリア王朝時代の香り、アール・ヌーヴォーの頃の香り、アール・デコの香りと、四つだったか、香りを再現してあるコーナーがあった。それぞれ蓋をあけて嗅ぐ。うまくいえないが、それらの香りがすべて今のものと違うことに、時間を感じて心地よかった。かつての香りたちは、よくもわるくも濃厚かつ濃密なのだ。むせそうというのではたりない、ほんとうに窒息しそうなくらい、濃い花たち。あるいは今のほうが洗練されている、整理されている、といった感じもした。ともあれ、「アンプリュダンス(軽率)」、「レクテ(願い)」、「サン・アデュー(さよならも言わないで)」、「ジュ・ルヴィアン(再来)」…(すべてラリックの香水瓶の名称)。たとえばこんな古い香りたちにラリックはかたちを与えたのだと、嗅ぐことでかれの体験を追ってみるのだった。「ラ・フランベ(燃え上がる火)」、「アンバー・アンティーク(古代の琥珀)」…、それは名づけ得ないものたちを名づける行為にも近しい。
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2008-09-15

鳩と海石


 この頃、ネットオークションをよく利用している。きっかけは好きなルネ・ラリックを検索中、オークションに出品されているラリックを発見してのことだった。利用といっても、顔も現物も見れないネットを介してのことに一抹の不安が残るからか(悪質な出品者や落札者には、それなりにかなり対応措置がとられているが)、三五〇円の展覧会チケット、千円、三千円のラリック社やラリックの香水など、ささやかなものばかりだけれど。
 このオークションで、“ラリックモデルのニナ・リッチ、レール・デュ・タンの香水”、“アンティーク、ラリックモデル香水ニナリッチ、一羽鳩”などの出品をよく見かけるので、おや?と思った。[レール・デュ・タン]、以前にも日記に書いたが、好きな香りで、丸いくすだまのような瓶、とくに蓋にあしらわれた二羽のフロストグラスの白い鳩(いまはプラスチック)が、ラリックに似ているなあ、きれいだなあと思っていたのたが、ラリックは一九四五年に亡くなっており、香水は一九四八年発売なので、両者の間に関係がないと思っていた。また、ラリックはコティで作った香水が有名だが、今のコティではデザインをしていないし、香水はラリック社ブランドのものとして作っている。そのことでもニナ・リッチと関係づけることをしないできた。ともかく“ラリック・モデル、ニナ・リッチ”という言葉を不思議に思って、調べてみたら、もともと[レール・デュ・タン]は、デザインをラリック社、ラリックの息子のマルク・ラリックに依頼して作ったものだとあって、びっくりした。ラリックが好きだったのに、今まで知らなかったことに、恥ずかしさもあったが、それよりも、わたしの愛用している香水[レール・デュ・タン]が、ラリックデザイン(息子だが)だったこと、知らなくてもラリックぽいなあとずっと思っていたボトル、つまり香りとラリック、それらが知ったことで合体し、結び付けられ、あらたな魅力をはなったことにうれしい驚きがあったのだった。
 オークションに出るニナ・リッチのラリックは、通常二羽の鳩が一羽になっているもの、蓋に細工がなくボトルに鳩を浮き上がらせているものなど、古いデザインやレアデザインのものが多い。あるいは発売当初から一九七〇年位迄のアンティークと呼ばれるもの。値段は三千円から十万と、幅がある。たまに今のデザイン、普通に店頭で買えるもので、ラリックモデルのニナリッチというのが出てくる。価格は安売り香水店よりも少し高い位。こうなると、封を切っていない中古品なので高いことがおかしい。オークションはこうした怖さもある。逆に、ラリックに思い入れのない出品者からだと、製造中止になったデザインのものでも安く購入できることもあるが。ともあれ、わたしが日常的に使っているものに、ラリックを結びつけるきっかけを作ってくれたのはありがたい。
 じつは、わたしはミニチュア(おそらく5mlぐらい)だし、通常のデザインのものだが、二十五年位前の[レール・デュ・タン]を持っている。従姉が海外旅行のお土産にくれたものだ。そのわたしはまだ子どもだったし、この香りの良さがまったくわからなかった。母のおしろいの匂い、化粧水、そういった大人のお化粧の香りとして、ぬくもりはあるが、自分で使うには関係ないものたちといっしょくたにして、香り自体はずっと記憶からはなれていってしまったものだった。後年、香りに魅せられて使うようになったときも、このボトルとあまり結び付けて考えていなかったくらいなのだから。だがそのボトルデザインは最初から気に入っていたのでずっと取っておいた。小さな二羽の鳩たちは引越しの度にわたしについてきてくれた。それは、もうそれだけである種の宝物だ。なくしてしまいそうな小さな瓶なのに、四半世紀もの間、わたしと思い出を共有しながら、羽をひろげているのだから。そして、この小さな瓶に、また大切な名前が加わったのだと、机に飾ってあるそれを見つめてみる。大好きなラリックと関係している、ラリックモデルだったのだと(ちなみに親ばかめいた自慢になってしまうが、今売っているミニチュアボトルよりも、二羽の鳩の羽の線などが克明に刻まれ、より通常サイズの鳩に造りが近いものになっている)。
 ところで、ルネ・ラリックは、オパールの輝きをもつオパールセン・グラスの作品に特に惹かれるのだが、それはわたしが元々オパールが好きだったことも関係している。そのオパールについても、[レール・デュ・タン]と似たような赤面まじりの発見があった。
 立ち読みした冊子のなかに、オパールは石のなかに海を閉じ込めている、海底でできる宝石だとあった(これは主にオーストラリアの乳白色のオパールやブラックオパールの場合で、メキシコのオパールはファイヤーオパールといい、火山のなかでできるとあった。こちらは色もオレンジ色で、本当に火の石だ)。
 以前オパールについても書いたが、プルーストの文章のなかで、夕闇の水面がオパールのようだという箇所があり、その光景を実際伊豆の海で見たことがあり、それ以来、海が好きだったこともあり、オパールが特別な石になったのだった。わたしはオパールに海石と名前をつけて呼んでもいた。そのオパールが水を含んだ、ほんとうに海の石だったとは。
 ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB)でも調べてみたが、オパールは珪酸鉱物で、「火成岩または堆積岩のすき間に、珪酸分を含んだ熱水が充填することでできる。そのほかにも、埋没した貝の貝殻や樹木などが珪酸分と交代することで生成されたり、温泉の沈殿物として生成されるなど、各種の産状がある」とあった。貝などで生成されるものが、海の石なのだろう。また「成分中に一〇%ぐらいまでの水分を含む」「オパールは宝石の中で唯一水分を含む」ともあった。唯一水を含む石なのだとうれしくなる。ちなみにこの水分が光を受けて、虹色に色が変化する。これを遊色効果という。このことも、まるで海の水のようだ。水が光りを受けて色を変えるのだから。それに関連して、「オパールは光の入射角により色調と色の階調の幅が大きく変わる宝石のひとつである。(略)オパールはあたかも指紋のような石である。世界に同じ石は存在しないからである」とあるのも、興味をひいた。このことも、海のことをいっているようではないか。光により、色調が変わる海、そして絶えず波打つその姿は、ひと時もおなじ姿でいることはない。プルーストがいっていることを、ここでもだれかが別の角度からいってくれている、その同質性に、心ひかれたのだった。この石が水を含んでいたことを、彼は知っていたのだろうか。
 ラリック、ニナリッチ、オパール、海石、プルースト。一見関連のなさそうなこれらが、わたしのなかでワルツでも踊っているようだ。わたしの無知によっても、そして不思議な彼らの個性によって。二羽の鳩たちが舞っている。

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2008-09-05

出会いの風景─那須高原、エミールガレ美術館を中心に


 那須高原にちょっと行ってきた。いる間ずっと雨だったのが少々残念。高原の青空と、空気、そして星を感じたかった。道の駅(黒磯)に明治時代の西洋式の建物があった。那須は御用邸などがあることからか、毛利家、乃木家などの別荘が数多く建てられたそうで、現存している建物も七軒ある。わたしが訪れたのは青木別邸(青木周蔵子爵)。柱、バルコニーなどに木が多く使ってあり、畳の部屋もあるせいか、大正期の洋館(鉄筋コンクリート)よりも、やわらかい感じがする。狛犬が二体で家を守っているのも、日本の洋館ならではと心地よい。こうして折衷しながら、文化を取り入れてゆくのだ。庭のむこうにひまわり畑があった。実は、このひまわりに会いたくて、青木別邸に来たのだった。あたりは雨まじりの曇り空だが、花のまわりだけ明るい。


 エミール・ガレ美術館に行く。ここは那須に行くことに決めて、観光案内などを見てはじめて知ったものだったが、知ってしまうと、なにか最初からこのために来たのではなかったのか、といった軽い記憶のゆらぎが起こる。当初は五月に清里高原におとずれ、高原の心地よさを知ったから、というのが主な理由だったはずだが、清里の北澤美術館に行った、今度は那須のエミール・ガレ美術館に行こう、といった意味合いがそこに発生してしまいもするのだった。
 はいってすぐに“ガレ風”の商品のならぶミュージアムショップが出迎えてくるのは、少々閉口した。なぜなら“風”とつけてあるガレの模造品たちは、一万円前後からあちこちで売られているのだが、“風”とつけるのが失礼なほど、似ても似つかないガラスたちだから(もっとも、後でわかったのだが、ここでは奥にアンティークとして、本物のガレ、ドーム、ラリックなども販売していた)。
 しかし展示室に入ると、そのときに感じた波はひいてしまう。ガレたちがそうした不安を一掃し、ガレらしさをそそぎこんでくれるのだった。
 《ローズ ド フランス》(一九〇〇年)は、黄緑の花器に、濃いピンクの薔薇が一輪、うつむく様にある。盛り上がったその姿が、生々しく、芸術と日々の境界上で咲く花として、芳香すらたたえてあるかのように映った。また、この薔薇に似たガレのほかの作品を、どこでだったろう? 見たことがあったので、その薔薇が、ああ、またガレに会った、という感慨にリアルさをまして重なるのだった。それははじめての作品を見る場合にも感じるものだ。ガレの個性にまた出会った、そう想い、なにかうれしいような感覚が呼び覚まされる。そのときに以前見たものや、それに似たものと再会すると、個性に出会った、そのことに、わたしもその一端で関わっているような気持ちになるのだった。
 《夜のとばりのぶどう文花器》(一九〇〇年頃)は、コルネット型という、上と下が若干広い、細い筒型の透明のガラス(下のほうは濃い紫の闇)に、赤葡萄と白葡萄が一粒一粒、生を内包したカラーストーンかビー玉のように盛り上がって配置されている。これははじめて見る作品だ。下方の闇の色のガラスが、とばりのようで、奇妙に夜をてらしだしてみえる。そこに置かれた葡萄の粒の質感に、なにか心ひかれた。眠りにつく粒の、生き生きとした形態の瞬間が、宝石のように輝いていたのだった。
 《聖杯》(一九〇〇年頃)は、高さ五三センチとかなり大きい聖杯。脚部がかなり長いが、その青を基調としたところに赤ぶどうの臙脂、杯の乳白色のガラスに白葡萄。こう書くと、巨大なワイングラスのようだが、たぶんそのニュアンスも含んでいるのだ。ミサで使われる聖杯は、葡萄酒を入れるものなのだから。けれどもグラスというよりも、やはりもっと意志をもった存在感があった。それは敬虔であるとか、崇高であるとかいった類のものかもしれない。見るこちらにやわらかな敬意を、賛同のように求めてくる、といったらいいのか。
 そしてここではコレクションを所蔵する館長の田口東孝氏の好みなのだろう、文学と関わりを持つものたちが、目立つような展示がされている。マラルメ、ゴーティエ、ローデンバック、ボードレールほか。数は多くないが、そうしたものたちの紹介が、特に念が入っていた。それはおおむね、うれしいような賛同をひきだす体のものであったし、初めて見るものが殆どだったので、つまり文字とガラスの出会い、作者同士の出会い、オマージュたちに、新鮮な喜びを感じるものだった。
 他でも引用したが、ミラン・クンデラは『ジャックとその主人』(みすず書房)でディドロの小説を戯曲にするにあたり、これは「ディドロを主題とする変奏曲(ヴァリアシオン)」であり、「ディドロへの賛辞(オマージュ)」だといっている。それはけっして縮尺でも書き直しであってもならない。それは「小説への賛辞」でもあるのだから、「劇作家としての」彼が発見しえなかった形式の自由を、自らの独創をもって組み入れることが変奏曲なのだ、と。あるいは「この「変奏曲=賛辞」は、二人の作家の出会いであり、ふたつの世紀の出会い、そして小説と演劇の出会いでもある」と。
 これは詩人とガラス作家との間にもいえるのではないだろうか。《燕文両耳付鶴首花器》(一八八九年)は、テオフィル・ゴーチェの詩「La Pluie au bassin fait des bulles/Les Hirondelles sur le toit/Tiennent des conciliabules/Voici l'hiver, voici le froid!」(水たまりに雨、水面は泡立ち、/屋根のつばめたちは/ひそひそ話にかかりきり、/冬が始まる、寒さがくるよ!」を、ビードロのような首の細い透明な瓶にカマイユという手法で黒く、墨で描いたように引用している。透明な瓶は、特殊な技法(ガレは「美のフランベ」といっているそうだ)で、あまたの気泡が込められ、それが水たまりであり、雨でありという風に水たちを閉じ込めている中に、やはり墨で描いたような無数のツバメたちが電線に止まり、あるいは飛び立っている。賛辞と変奏。詩の情景をガラスで歌いながら、情景にとどまりつつ、そこから自由になり、文字の墨と、燕の墨色でハーモニーを奏でるのだった。墨といっているが、これはガレが日本的なものへの賛辞もそこに込めていることによる。賛辞もまた重層的になり、そのことで、複雑な凝縮も生まれるのだろう。個人的には、燕の愛らしさもひかれたが、雫たち、粒たちに心をとどめた。水が空気と出会っている、その繊細な瞬間たちに。

《燕文両耳付鶴首花器》

 そして《トリステスの花器》(一八九二年)。これは百年間所在がわからなかったもので、十年ほど前、個人で持っていたのが唯一発見されたものを、こちらで購入したもの。詳細はわからないが、多分、今でもこの美術館にあるものだけが唯一見られるものだろう。それはともかく、コルネット型の青い地に、オダマキを線で浮き上がらせ、下部から水蒸気をたちのぼらせ、上部の花に、金、銀、玉虫色で装飾をほどこしている。下部の水蒸気に彫ったような感じで筒状に字が描いてある。解説を読むと、ボードレール『悪の華』の二四が引用だとある。「Je t'adore l'egal de voute nocturne,/O vase de tristesse, o grande taciturne,」(夜の天球にも等しく私は君を崇める、/おお悲しみの壺、おお丈高い寡黙な女よ、) 。これはボードレール没後二十五年位の時期に作られた彼への賛辞だという。それを知って、壺が天球の色をしていることに気づくのだった。壺が悲しみであることに気づくのだった。また、わたしはここで解説を読むまで、ガレが「オダマキは悲しみを隠そうとしない」といっていることを知らなかった。つまりここでオダマキを使ったことで、ボードレールにオダマキを重ねた、あるいは『悪の華』の世界を悲しみとしてとらえたことを、花器のなかで屹立させていたのだった。だが、それを知らなくても、その青い色、すっくとのびたオダマキの姿から、悲しさというのではないが、寂寥のようなもの、寂しさのようなものを感じる。そうして知ったあとでは、空と地にふれあう詩人への賛辞、そして入れ子細工のように、ガラスへの賛辞、ガレの創造が、幾重にもガラスに内包され、内包され、青い花器を、世界との和解への入り口のように、その接点のように、そこに強烈に存在させてやまないのだった。

《トリステスの花器》

 ほかステンドグラス美術館、トリックアート美術館、南が丘牧場、那須どうぶつ王国などへ(こちらは省略)。ずっと雨が降っていた。宿では、庭に小川が流れていた。晴れていたなら、せせらぎが聞こえたのだろうが、聞こえてくるのは雨音ばかりだ。わたしはそれを残念に思っていた。はげしい雨により、景色が味わえないのだと。いや、それはわたしの側の問題だろうが。ただ、植物、葉の緑の色が東京で見るそれと違うような気がした。東京の八月の緑は、もっと深い青だ。高原のそれは、緑がもっと薄い。五月くらいの、初夏の色、晩春の色に近いのだ。ここではこうして春から秋になってしまうのかもしれないとふと思った。では夏は? 宿にくる道の途中、女郎花があちこちで黄色い花を咲かせていたことを思い出す。ヒマワリの黄色、女郎花の黄色、夏と秋が黄色により手をつないでいる。夏は下よりも、春や秋に近しいものであるのかもしれない。
 帰ってきて東京は、ねっとりと湿度が高かった。そうだ那須では、雨ではあるが、湿度が体にこびりつく感覚はなかったなと、降りてから気づくのだった。
 そして、食べ物。わたしはあまりこうしたところで食べ物について触れないが、那須で食べたものは、どれも美味しかったと書いておきたい。牛肉(栃木和牛だそうだ)、野菜、パン、ソフトクリーム、牛乳…。そして枝豆、きゅうり、チーズ、ウィンナーを買って帰り、十日間くらいで食べつくしたのだが、口に入れる度に美味しいことに驚いた。そして食べる度に、那須が少しだけ、わたしに触れてきてくれるようで、心地よかった。あの場所と、出会いがわずかだがあったのだ。
 ステンドグラス美術館で、ウイリアム・モリス(あるいはモリス社)のステンドグラス、《Twoエンジェル》(一九〇〇年)のコピー商品であるサンキャッチャーを購入。モリスの壁紙の模様などが昔から好きだったのだ。まるいガラスにふたりの天使がいる。家に帰って早速窓にかざった。買ったときの印象よりも、かわいらしい。とくに昼間、光りが当たっているとやさしい表情がより鮮明にあふれだしてくるようだ。那須の晴天はどんなだったのだろうか。わたしはそこにそっとこちらの青空を出会わせてみるのだった。 
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