Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2008-11-25

屍体公示所から生が響く


▲シャルル・メリヨン《プティ・ポン》一八五〇年以降

 『都市の表象と心象─近代画家・版画家たちが描いたパリ─Paris Passages』展(二〇〇八年十月二十五日〜二〇〇九年一月十八日)を観に、ブリヂストン美術館(http://www.bridgestone-museum.gr.jp/)に行ってきた。久しぶりの美術展。引越しなどによる雑用、事務的手続き、会社の残業などでばたばたしており、なにか息がつまりそうになっていた。埃っぽいものでいっぱいになり、あたりがぼんやりとしてきた。心がだんだんちぢこまり、うごきが鈍くなってゆく。そしてそんな状態、心がふるえなくても、手続き、作業がすすんでゆくことに、違和をおぼえた。ふるえなくとも生きられるのだ、ということがさびしかった。ともかく、窓をあけるように、美しいものに会いに行きたくなったのだ。ブリヂストン美術館は平日は夜の八時まで開館しているので、仕事帰りにもゆける。時間もちょうど出来たので、かけこむようにでかけた。
 けれども、企画自体には、あまり期待していなかった。「十九世紀のパリの写実的な風景、あるいは非現実的で不思議な心象風景を紹介」とある。だが、もうパリはいいと(パリを描いたものに対して、何か食傷気味になっていたのだ)。ただ、ここのコレクションには好きなものが結構あるので(モネ、ルドン、ルソーなど)、殆どそれが目当てだった。
 企画展示の室内に入る前に、常設の彫刻が出迎えてくれる。ここではブランクーシの《接吻》が目当てだったが、隣のオシップ・ザッキン《母子像》(一九一九年)にふと目が行った。今まで何度も見てきたはずなのに、なにか優しいものが、伝わってくるようだ。こんなことは初めてだった。セメントに赤茶色で着色してあるので、特にその質感が、素焼きの鉢のようで、そのことにおそらく温もりを感じたのだ。もうひとつ、ザッキンで《ポモナ》(一九五一年)という女性のトルソがあったが、それは黒檀でできていた。こちらも女性の肌から木の質感がにじみでてきて、植物と共にあることを静かに祈っているような荘厳さを感じた。美術展に貪欲になにかを求めているから、いつもは気づかないものにも、こうして出会うことができるのだろうかとも、ふと思った。

▲シャルル・メリヨン《屍体公示所》一八五四年

▲シャルル・メリヨン《ノートルダムの揚水機》一八五二年以降
 さて企画展の部屋へ。風刺画、懐古と称された風景、近代都市生活としてマネ、ロダン、ドガ、ロートレックなどの絵。そしてその間を縫うようにして銅版画の風景たち。わたしはあまり今まで、こうした風景画にひかれたことがなかったので、最初はほとんど素通りしていたと思う。だが、サブリミナル効果のように、展示されているもののなかから、銅版画が執拗に現れてくるのだった。なにか見ることを強いるように追いかけてくる。そのサブリミナル効果のせいか、素通りしがちだったことを反省し、せっかくきているのだからもっと見ようという気になっていた。さて、その銅版画たち。緻密な綿密な線が施され、強迫的な執念さえ、そこににじませ、伺える建物たち。わたしの目が少しづつ開いていったようだ。そして、決定的に開かされたのは、こんな一枚だ。とりたてて特徴のない大きな建物が、川岸に建っている。川には舟が浮かんでいる。舟の中には洗濯物がかかっており、日々の生活が感じられる。そして岸には、左端に小さく、裸の男を運ぶ姿。左端は陰になっていて、不吉さが漂う。この絵に、強烈にひかれた。次にタイトルを見てみる。“屍体公示所”。ではこの建物は屍体公示所で、裸の男は死体だったのだ。名前により、絵から強烈さがさらにまして、訴えかけてくる。死の傍らで、生活が営まれてあること、川が流れていること。生と死が、ここに混在し、わたしたちに語りかけてくる。それこそが、日々なのだと。ことばにすれば、こうしたようなことを、絵を前にして想った。そして、こうした衝撃があって、はじめて、作者の名前もまた、意味を持ち始めるのだった。さきほどからサブリミナル効果として差し込まれていた作者の名前、そして絵。つまり、シャルル・メリヨン《屍体公示所》(連作「パリの銅版画」一八五四年)。この絵の隣に、《ノートルダムの揚水機》(連作「パリの銅版画」一八五二年以降)もあった。こちらは川にかかった揚水機で、そんな機械を見た事はないのだが、護岸工事などで、似たようなものを見た気がする。つまり、こうした生活、日々の風景が、丹念な筆致でここに現れるときに、美が生ずることに単純に感銘を覚えた。それはなぜか、もっと奥行きのあるもの、深いものを漂わせているのだった。たとえば、水の底から、なにかをひきあげてくるような。昼のなかかからとほうもない闇をにじませてしまっているような。そうして、もうサブリミナル効果としてではなく、シャルル・メリヨンの絵として、気づいてしまったわたしは、展示の最初に、夢見るように戻ってゆく。《プティ・ポン》(連作「パリの銅版画」一八五〇年以降)の、精密かつ、緊張感あふれる建物、そして、橋の下で、作業をする人々に。橋桁の影が、奥の建物に、偶然だろう、人間の横顔のように写っている。精緻と偶然と日々の三位一体。これはもろい一瞬だ、この均衡をやぶってはいけない、これはぎりぎりの接点なのだ、とげんきんなわたしは(なぜなら最初はほとんど素通りしていたのだから)つぶさにながめ、酔いしれるのだった。
 企画室の最後は「IV 空想と願望そして夢」として、現実と非現実の境目に焦点をあてている。ここでは、好きなオディロン・ルドンの作品、《神秘の語らい》に会えたのがうれしかったが、それよりもやはり、と思ったのは、メリヨンの作品群。《アンリ4世校》(一八六三〜六四年)は、二枚かかっており、一枚は現実のアンリ四世校の俯瞰図で、同じくもう一枚はその右上端に、忽然と海があらわれ、船や海鳥、鯨が見える。彼はかつて船乗りだったそうで、こうした海は、そこからも来るだろう。つまり過去と現在が、この一枚で出会っているのだ。そして《海軍省》(一八六五年)。画面左半分に十五世紀様式の歴史的建造物である海軍省がそびえたち、右半分のおおむね空に、巨大な魚たちが鳥のように飛び、馬にひかれた馬車が飛ぶ。まるでアポロンでものせているように。
 版画の下に、海軍省と書かれ、横の括弧のなかに“空想と願い”と文字が書かれている。均衡、接点、ということばが、絵を前にして浮かんだ。生と死の均衡、現実と空想の接点、現実と願いの接点、過去と現在の…。そして、この空想と関わる展示の場に、幻想を科学的な眼をも携え、貫いたルドンとともに飾られてあることに、深く頷いたものだった。だからわたしはひかれたのだと。彼の風景画には、風景にとどまらぬ、深さと闇、絶望と希望が緻密にからみあい、交錯しているのだ、だからこそ、と。

▲シャルル・メリヨン《海軍省》一八六五年

▲シャルル・メリヨン《アンリ4世校》一八六三〜六四年

 企画展示はここで終わり、コレクション展に。ここのことは、あとで書く。さて、先にメリヨン。ここでは十五点出品されていた(後でわかったのだが、この十五点は水戸市芸術財団の吉田光男氏から買い入れたすべてのメリヨン作品のようだ)。図録にはそれらがすべて載っており、彼についてもかなり書かれてあったので、買う。こんなふうに、絵から、作品からなにかをうけとってからでないと、名前に付随してあるものをさぐろうとしないのだ。図録からは、いろいろわかって頷き、興味深かったが、そのなかから二点だけ。まずは略歴(といっても、重なることが多かったので、略歴は、三重県立現代美術館のHP(http://www.pref.mie.jp/BIJUTSU/HP/)からコピーさせていただいたが)。「Charles Meryon(パリ一八二一─シャラントン一八六八) メリヨンは一八二一年一一月二十三日パリで、イギリス人の医師とオペラ座バレエ団との踊り子との間に生まれた。三七年には海軍兵学校に入学、三九年から四六年にかけて軍艦でニュージーランド、ブラジル、タヒチその他の各地を訪れている。その間多くの素描を手がけた。四八年に退役後、ウジェーヌ・ブレリ(一八〇五─一八八七)に銅版画を学ぶ。レイニエ・ノームス、通称ゼーマン(一六二三頃─一六六四)などの模刻を経て、一八五〇年から五四年にかけて最初のオリジナル版画《プチ・ポン》を始めとした連作『パリの銅版画』にとり組む。しかし五〇年代なかば頃から被害妄想など不安定な精神状態を示すようになり、五八年五月から翌年八月までシャラントンの精神科病院に入院した。退院後も制作活動を続けるが、一八六六年一〇月には再入院、六八年二月一四日同地で永眠する。」
 絵にこうした現実を重ねるのは、よくないことかもしれないが、あの緊張感あふれる銅版画をみて、つい、こうした彼の生を絵に重ねてしまいたくなる。「自らの深淵を覗き込む画家の絵筆は、ときに自らの悲劇の前兆をも描くのか。(中略)深く風景と交感することで掴み得た、暗示に満ちた心象によって、彼の作品は通常の具象画を超え、風景画に新たな局面をもたらしたのである」(図録、気谷誠氏)
 また、ボードレールが、メリヨンを高く評価していたことを知る。
「巨大な都市のもつ自然の荘厳さがこれ以上の詩情(ポエジー)をもって表象されたのを、私は稀にしか見たことがありません。積み重ねられた石の偉容、指で空を指し示す鐘楼たち、天空へ向けて彼らの煙の連合軍を吐き出す工業のオベリスクたち、修復中の記念建造物(モニュメント)の驚くべき足場が、建築の堅固な本体の上に、かくも逆説的な美しさをもったその透し細工の建築をあてがうさま、怒りと怨恨をはらんで騒ぎ立つ空、そこに含まれる劇(ドラマ)のすべてを思わせることによっていよいよ深みを増す遠近法の奥行きなど、文明の悲痛で栄光に輝く書割を構成する複雑な要素のどれ一つとして、忘れられてはいませんでした」(図録より、「一八五九年のサロン─風景画」阿部良雄訳『ボードレール全集』筑摩書房所収)
 ボードレールはメリヨンの「パリの景観」連作を買い集めていた。また手紙などでメリヨンと親しくしていたらしい。わたしは、じつはボードレールが好きだ。ボードレールがパリに感じたであろう、愛憎のまじった複雑な混成の街、「不気味な首都の陰鬱な威厳」(『ボードレール全集』筑摩書房)として描いたパリが、メリヨンの様々な接点、均衡と、共鳴しあい、呼び合っていることが、うれしかった。知らずうちに、わたしもまた、この共鳴にひかれることで彼らに呼応していたのだ。
 さて、もう一度、ブリヂストン美術館に戻ろう。企画展示が五十三点、コレクションが一四八点とある。結構な数だ。そのコレクション展示。いつものモネの前にくる。彼も好きなのだが、今回は、見るまではもういいと思っていた。何回も見て、もうあきていると。だが、激しいまでにオレンジに染まる黄昏を描いた《黄昏、ヴェネツィア》(一九〇八年頃)が、ひさしぶりだったか、はじめてのように飛び込んできた。こんな夕景の色に似たものを、わたしの実人生のなかで、一度ぐらいは見たことがあるような気がした。それは見た気がするだけかもしれない。つまり現実に見た黄昏と、わたしの描いた黄昏の混成、それらを合わせ鏡のように映して、モネの絵は輝いていたのだ、にじんでいたのだ。これは接点だ、メリヨンのような、ボードレールのような、共鳴なのだ。
 そして、どこかでまた思っていた。町並み、夕焼け、雨(《黄昏、ヴェネツィア》の隣に同じくモネで、《雨のベリール》があった。波に落ちる雨、その雫たちに実際の雨を注いで見ていたのだ)、景色にひそむ、美しいものがもたらす、深い闇、ふれてはならないぐらいの圧倒的な境界。それはわたしたちの日々にももちろん心底ありつづけるのだ。たとえば絵はわたしにとって、そうした境界にさわらせてくれる、琴線なのだ。共鳴して。これがあるから、わたしは息ができる、生きられるのだ。
 美術館を出て、東京駅に向かう。ビル群にメリヨンの街を重ねる。まるで映画を見た後のようだ、こうした接点もまたうれしかった。街はいつもより近しく闇をさらけだしてくれている。
00:01:00 - umikyon - No comments

2008-11-15

そでのふれあうえにしたち



 引越しをするので、片付けをしている。古い文芸書、絶版になっている文庫などは古本屋さんに、コミック、比較的新しい本は新刊古書店(ブック〇フ)にそれぞれ取りにきてもらった。後者は古い本は買い取ってくれないが、最近のものは比較的高価で買い取ってくれる。前者は新しいものは、ほとんど値段がつかないが、絶版物などはとくに高価に買い取ってくれるなど、両者ともに買い取ってくれるものに違いがある。
 古本屋さんが、買い取れないと文学全集をのけている(こちらは逆に代金がかかることもあるとのことで、持っていってくれない)。世界文学全集、古典全集のたぐいだ。中には神田かどこかの古本屋で五千円ぐらいで買ったものもあったので(パヴェーゼ、ソレルスなど)、不思議に思って聞いたら、いま文学全集はまったく売れないので…と言っていた。では詩集はどうですか?ときいたら、「詩集も売れないので、うちでは買取しておりません」といわれた。多分そうだろうなと思って、最初から詩集は殆ど売るものに入れてなかった。だが、そうか文学全集と詩集は同じなんだとふと思った。
 古いワープロも取りにきてもらった。正確には着払いで、中古ワープロ専門店に宅急便で送ったのだが。説明書などがそろっていて動けば、五千円位になるという。たとえばテレビやオーディオは製造後五年以内のものに限るといった店も多いのに、ありがたい話だと思った。ワープロは富士通オアシスLX9500SD(親指シフト。四年半前まで、これでせっせと打ち込んでいた)。今日、押入れから取り出してみたら、意外に新しく平成十年発売のもの。といってももう十年は経っているのだが。
 ワープロも使わないのに、売ってしまった本ももうずっと読んでなかったのに、いなくなって、寂しく感じている自分に気づく。なくすことでなにかがふえるのだろうが。そして、モノにはじつはそんなに心はやどらないはずなのだが。
 着ない服もかたづけた。こちらは古着屋(リサイクルショップ)に持ち込む。着れる服は一キロ一八〇円、着れない服はキロ1円で買い取ってくれる。結果は微々たる値段だったが、捨てるよりはいいと思ってのことなので、こちらもありがたい。ただ、押入れ四分の一と、四五×九〇×一八〇センチの洋服ダンスにつまっていたものだけだったのに(そして、そのスペースのかなりのものは、今も着ている、つまり売らないものなのだったはずなのに)、四五リットルの袋十一袋にもなったのには驚いた(古タオルや虫クイなどでゴミとして処分したものも別に十袋もあった)。今までどうやってはいっていたのだろうと、つみあげられた袋を前にして不思議に思った。
 服に関しては、この驚きがメインで、無くなる寂しさはほとんど感じなかった。やはり本がいちばん寂しかった。友人と別れてしまったような、穴の小さな疼き、痛みがあった。それはある意味ただしいだろう。わたしのある時を共有してくれた友人たちなのだから。彼らとは読むことをつうじて、共有が、共鳴があった。ワープロは大切な筆記具だった。それは心ととても親しい。だが服はわたしのある時間をともにしてくれたが、心までにははいってこなかった。
 いや、わからない。服たちは、押入れやたんすに上手に隠れて、今までもあまり見えなかったものなので、ちょっと見たところ、あまり変化がない。中をのぞかない限り、服たちはまだそこに置かれてあるようなのだ。それにくらべて、本は見事にごっそりいなくなった。押入れはもとより、部屋の三畳分はごっそり山積みになっていたものが、なくなったので、見た目にもいなくなったことが実感された。服は、たとえばたんすをある日ひらく、そこに入っていたはずのものがない。こうしたときにふっと寂しさがうまれるのかもしれない。
 というわけで、ごたごたしていて、この頃、美術館にいっていない。といってもまだ三週間位か。だが、このこともどこか寂しい。これはだが、失われるものに対してではない。いや、やはりそうなのか。日々の小さな穴から、さらさらとうつくしいものが流れ続けている、そんな小さな喪失感が寂しさを形成しているようなのだ。日々の穴をうつくしいものが縫うようにしてあふれてゆく。それはいつもそうだ。だが、たとえば美術館は、絵は、そうしたものの存在に別の仕方で、気づかせてくれるものなのだ。あふれるものたちにふれさせてくれる、そんな橋渡しをしてくれるものなのだ。それらに気づいたからには寂しくはないのだ。すくなくとも一瞬でもであったのだから。こう書くと、本との別れにたいしてもいえるだろう。一度はひもとき、出会ったものなのだから、と。袖のふれあうえにしたち。
 十一月五日が私の誕生日だった。妹からプレゼントとしてシャンパンのモエ・エ・シャンドン ブリュット アンペリアル(Moet & Chandon Brut Imperial)をもらったので飲んだ。ミュシャがこの会社のものを一八九九年にポスターやメニューを手がけている。ミュシャ好きとしてはそれがまずうれしかった。こんな風に日々とうつくしいものとやさしさが交錯してゆくのだと。
 通常のスパークリングワイン(シャンパンとは、シャンパーニュ地方で作られたスパークリングワインだけが名乗れるもの)よりも瓶が重い。厚いのだろう。大事にたくさんのものを護っているのだ。そんなことを思う。そして味。発泡する泡のあいだから、花のような香りと、木の香りが立ち込めるので、驚いた。そしてそこからにじむようにコクがあふれだし、喉をつたう。私はワインが好きで、そちらは好んで飲むのだが、スパークリングワインは、たまにしか飲んだことがないし、シャンパンはほとんどはじめてだと思う。白ワインのような深い味わいに魅了された。その泡のなめらかさとともに。ますますミュシャが語りかけてくれるようだった。
 こうして別のしかたが、そっと同意してくれることもあるのだ。日々からのがれてゆくものは、うつくしさばかりではなかったのだ、ともそれはつげているようだった。にがいもの、あまやかなもの、ひっかからないもの、そでのふれあった、そして寂しいものたち。
00:01:00 - umikyon - No comments

2008-11-05

すきまをそれでも想像が


ロッソ・フィオレンティーノ《音楽を奏でる天使》

 河合隼雄が、『おはなしの知恵』(朝日文庫)で、言語表現と映像表現の違いについて述べている。ここでは、「おはなしが言語によって表現され、それを聴いている場合は、いろいろなイメージは、自分で心に描くより方法がない。(中略)自分の心のなかのイメージである。従って、それは「おはなし」であるにもかかわらず、自分の内界がかかわっていることが感じられる。それに対して、それらを映像で見せ、それをいわゆる外的現実に近いものにすることによって恐怖感を高める効果を狙ったりすると、それは、自分の責任を離れた「現実」のように見えてくる。しかも、それをビデオなどによって見ていると、自分がその現実を「操作」し、時には「再現(リセット)」することができるような錯覚を起こすことも考えられると錯覚を起こすことも考えられる」と、「歪んだ現実感をもつ」ことにたいして警鐘を鳴らしているのだった。これはゲームなどの世界でもいえることだろう。「その人あるいは子どもが、他の人間との関係が薄いとなると、ますます、歪んだ現実感をもつのではないだろうか」。
 このことの縁のほうをすこし考えてみたい。「自分で心に描く」というのは、想像力の問題だろう。想像し、わが身にあてて考えることで、物語に想像力のはいるすきまをあたえている。そのすきまにはいった想像力により、物語とわたしたちは親密になる。上とはすこしずれるが、映画もそうなのだ。映像のくらがりに、わたしたちの想像をまぜる。感情移入する…。それは、あるいはどこかしらかけているから、わたしたちがそこにあてがう、といったこともあるだろう。読む物語は映像が欠けている。映像の世界は書き言葉や立体的なものが欠けている。その欠けた箇所に、わたしたちがはいる余地がある…。欠けてないかもしれないが。
 二十代の頃、よく旅行にいった。その時、写真は殆ど撮らなかった。写真に写ったそれは、なにか旅行とは別のものに思えたから。その場で感じた思い、その場で見た景色にたいする思いを写真は写し出さない。そのかわり、旅先で日記を克明に書いた。景色を見てことばにならないわきあがるものがあるとしたら、その近辺でことばをつづった。景色をことばでスケッチしているのだと思っていた。そしてこれは「自分の内界がかかわっていることが感じられる」ものだった。わたしはことばでスケッチすることで、景色と街とかかわったような気がしたものだった。街たちとふれあったような心持がしたものだった。「自分で心に描」いたことばによるスケッチで、彼らと出会うことができるのだった。
 これは映画の感想、書評、絵画展の感想などでもそうだろう。書くことでふれてくるなにかがある。やはりわけもわからず感動した一枚の絵がある。この感動がしりたくて、ことばで感動をなぞる。感動がしりたいというのは、その一枚の絵にそのことにより、もっと近づきたいからだ。それは勝手にリセットすることができない、大事な瞬間の出会いなのだ。
 だが、ビデオなどの画像は、想像力のはいるすきを失わせている、といったこともまた実際問題としてあるだろう。文字を見て、情景を想像する、音を想像する、そうしたことを、画像を前にしてはほとんどしなくていい。それは、実はそこにあるものとわたしたちの間に距離を置くことだ。わたしたちは想像することで、そうしたものたちと関係をもつ。想像でしか距離をまたげないのだ。わたしたちは他人の痛みは想像することしかできないのだから。薄い関係は、人間との間だけでなく、映像との間にでも希薄になるのだ。
 だがニュース画像が事実を伝えてくる、そのことをまた想像しなくてはならないだろう。殺人が起こる。私たちは日常で殺人を目撃することはあまりない。だが殺人ということを、伝えてくれるニュースにより、そうしたものを想像しないとならないのだ。わたしは亡命者ではない。だがニュースで伝えられる亡命者のことを想像することはできるのだ。こう書くわたしは、ディートリッヒ(彼女は厳密には亡命者ではないが)を、そして近頃(今頃になって)チェコ時代の密告者として告発されたミラン・クンデラを想起している。ディートリッヒはナチスドイツを嫌って出てきた故国ドイツに帰ることなく(六〇年代に帰ろうとしたらドイツ国民の間で暴動が起きた)、活躍したハリウッドでもなく、パリで生涯を終える。クンデラはチェコから亡命し、パリ在住。想像は自分に置き換えることができる。生まれた国から中傷(わたしは告発はほとんど中傷だと感じている)される、あるいは故国に二度と足を踏み入れられない状況は十分に想像できる、それは想像を絶することだから。「他人の身に自らを置くとどうなるかを想像することは人間性の核である。それは同情の本質であり、道徳の始まりである」(イアン・マキューアン、『ガーディアン』紙、二〇〇一年九月十五日)。
 河合隼雄の文章は、ずっと心に残っていたが、これを思い出したのは、クンデラの事件を知る前、じつは『のだめカンタービレ』(二宮知子、講談社)のテレビ放送を見た時だった。これはくせのあるピアノ科の音大生のだめこと野田恵と、その周辺の人物(指揮者千秋真一他)を描いたコミックが原作。こんなに笑えるクラッシック漫画があったか?とどこかでキャッチフレーズとしてあったが、もちろん笑えるが、音楽の世界を、演奏者の思いを垣間見せてくれる、しっかりした本だと思う。いや、根っこがしっかりしている、だからこそ、はじめて笑えるのかもしれない。ともかく、三年ほど前に原作の半分ほど(日本の音大〜パリ留学まで)がテレビドラマにもなった。こちらも見たが、コミックの世界を引き出しつつ、独自の解釈、想像をまじえ(つまり、ここでも想像がかかわってくるのだ)、賛美による面白い作品にしあがっていた(ただし、続編のパリ編はいただけなかったが。例えばパリに留学しているのに、まわりがみんな日本語をしゃべっているのはリアリティがない)。数年前に、アニメ版も原作の前半、日本編が放映され、DVDにもなっているようだが、こちらは見たことがない。そして、この十月からはじまったのは二部というか、やはりパリ編。
 なにが悪いというのではない、アニメをわたしは受け付けないようになってしまっているのだろう。「いろいろなイメージは、自分で心に描くより方法がない。」漫画は、絵がある分、映像と物語の境目にあるものかもしれないが、それは印刷物であり、動かないものであるからだろうか、小説、物語により近い、二次元に留まっているものだと思っている。アニメは、二次元にありながら、動く奇妙なものだ。コミックのままの姿でテレビで動く、音を出してしまうと、たぶんそこに想像の余地がなくなるような気がするのだ。余地というのは、わたしが距離を縮める努力ということでもあるが、漫画の人物たちを、実際の人間として想像することで、リアリティをもたせるということだ。想像のなかで実際の人物として動いている。生身の人間として、そこにいる。その想像された生身の人間こそが、作者とわたしたちの距離を縮めるのだ。だがアニメは、漫画のまま動くから、何か生身の人間ではなく、生の漫画の人物、といった感じがしてしまうのだ。いわば漫画の世界が、動き、音を出したことで、漫画の世界を充足させただけで終わってしまい、人間の世界と通路を閉ざしてしまっているような気がしてしまうのだ。それは錯覚だろうが。
 テレビドラマになるのなら、それは小説と映画の関係のように、わけて考え、また、別々に想像をさしこむことができる。だがコミックとアニメの間では、そうした関係をわたしのほうで打ち立てられないのだ。初回をみて、二次元のまま、平たいまま、登場人物が動き、声をだしていることに違和感を感じた。動き、声を出すなら、わたしたちの想像で、それでなかったら、かれらの想像とのコラボレーションである、ドラマで。
 ただ、コミックのなかでたとえばラヴェルの「鏡」を弾くシーンがあるとしたら、テレビではもちろん、音が流れ、ああ、この曲だったのか、とわかるのが良かったような気もしたが。それも本当は自分で調べたほうがいいのだ。そうした手間がささるのだ。想像のように。といいつつ、これはズルかもしれないが、「のだめカンタービレCDブック」など、漫画でつかわれた曲の入ったCDはかなり売られていたので、こちらを何枚か買って、これはあの場面か…と思い出すことをした。といっても、それはもはやべつべつのモノになってしまい、もっぱら曲だけを楽しんでいることも多いが、それでも、たぶんそのほうがささったといえるのではないだろうか。わたしたちの心で。手間をかけたほうがいいのだ。だいいち、アニメで「鏡」が流れたとしても、それは数小節だけではないか。別にCDで、まるごと聴いたほうが心に描かれるものは圧倒的にあるのだ。
 『のだめカンタービレ』のアニメは、だから一回見ただけでその後を見ていない。想像はそれでもすきまをほんのすこし埋めることができるのだ。想像すること。想像だけが彼と、彼らと出会うことができる術なのだ。
00:01:00 - umikyon - No comments