Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2009-05-25

ルオーの祈り+絵画と版画展、混在の瞬間が強くもろい


ジョルジュ・ルオー《横向きのピエロ》(1925年頃)

 「ルオーの祈り+絵画と版画展」(二〇〇九年四月十一日─六月十四日、町田市立国際版画美術館)に行ってきた。場所は東京町田。ここは私が住んでいるところから乗り換えなしの電車で二〇分ほどのところにある。ミュシャ、デューラー、レンブラント、ピラネージほか浮世絵作品など版画専門に集めている美術館だということは、どこかで聞いていたので、一度は行ってみたいと思っていたところだった。
 降りるのもはじめての駅。階段を上ると、突然デパートの入口に着いてしまったので、すこし驚く。案内の地図には、公園の中の美術館とあったので、もっとのどかな場所だと勝手に思っていたのだ。駅前はデパートのほか、ショッピングセンター的なビルが立ち並び、商店街も多いようだ。駅におりれば、きっと緑がこんもりしげった場所があり、そこを目指せば美術館に着くだろう…と思っていたのですこしあわてる。緑が見えないので、方向音痴なわたしとしてはどこを歩いていいのかわからなくなったから。おまけに駅周辺は、歩道橋が蛸足にはりめぐらされている。だが、まだ時間はある。この状況を楽しめばいい。
 緑はとつぜんやってきた。幾分下り坂になっていたので、駅からみえなかったのだ。花壇があり、池があり、噴水があり(残念ながら水が入っていなかったが)、広場がある。もちろん木々に囲まれている。風景をスケッチしたり、キャンバスに描いている人たちが何人かいる。静かだ。知らない鳥が、足元までやってきた。慣れているのか。
 そして美術館も突然現れた。森のなかなので、ここでも少し方向がわからなくなり、もう一度曲がって歩くとばかり思い込んでいたのだ。
 さて、ジョルジュ・ルオー。去年の七月二十五日の日記(http://www.haizara.net/~shimirin/on/umino_02/poem_hyo.php?p=21)にも、『ルオー大回顧展』に行ったときのことを書いている。私は、彼がどうも好きらしい。
 ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault、一八七一年五月二十一日─一九五八年二月十三日)。十四歳で、ステンドグラス職人に弟子入り。彼は後に、ステンドグラスも作っているし、彼に特徴の黒い太い輪郭線も、ここからきているかもしれない。後、エコール・デ・ボザール(国立美術館)に入り、マティスと知り合い、ギュスターヴ・モローの指導を受ける。ルオーはモローへの敬愛が強く、モローもまた、彼の才能を暖かい眼で見守っていたらしい。その関係で、一九〇三年、モロー死後に出来たモロー美術館の初代館長となっている。作風は、骨太の輪郭線とあざやかな色彩。後期油絵においてはそれが肉厚になってゆく。画壇や派などとはほぼ無関係に絵を描いていた。画題には、キリストを描いたもの、娼婦、道化、サーカス芸人など。そして風景。また版画家としても『ミセレーレ』『受難』『悪の華』『流れ星のサーカス』など、数多くの作品集を残している。
 ギュスターヴ・モローも好きなので、彼とルオーのつながりが、なんとなくうれしい。好きといえばボードレール。ルオーは彼の詩にほれこみ、『悪の華』に寄せてリトグラフを作っている(ルオーの死後、娘たちの手で出版されたそうだ)。この展覧会ではこのリトグラフのほかにも、『回想録』(一九二六年)から出品があり、これは彼が影響をうけた人物などを描いたものであるそうで、もちろんモローもあったが、ボードレールもあった。彼の、例のぎょろりとした眼の肖像だ。ここには《自画像機佞箸靴董▲襯ーのそれも出品されていたのだが、こちらの眼もぎょろりとしていて、全体的にボードレールと似ているのに驚いた。写真などを見ると、二人は似てないはずなのだが。たぶん、それほどまでに好きだったのだとやはりうれしくなるのだった。

『〈悪の華〉のために版刻された14図』のうち《眉目美わしく、姿あでやかな女なり…》(1927年)(←残念ながら、自画像とボードレールは探してこれなかった)

 今回の展覧は、絵画と版画とあるが、版画美術館ということで、版画が圧倒的に多い。『ミセレーレ』『受難』『流れ星のサーカス』シリーズは、こちらの所蔵。
 会場では、まず《夕暮れ》(一九四二年、油彩、カンヴァス、ポーラ美術館)に出くわし、眼をむけさせられた。彼は夕暮れの画家だと、どこかで聞いたことがある。ほとんど夜に近い、暗さのなかで、オレンジ、緑、青、灰色、さまざまな色が、空と道にたゆたっている。道は一本で、奥にゆくにしたがい、二等辺三角形のようにせばまっている。その二等辺のあわさるところに、教会かもしれない、筒型の建物がひとつ。道のひろいところ、画面下方には、キリストらしい長髪の人物と、二人の人物の後姿。これは、このしばらく後で見た、『受難』のなかの《出会い》(一九三六年、町田市立国際版画美術館所蔵)のエッチングに着彩された作品とも、構図がとても似通っている。ふたつともひかれたのだが、それはまずその夕闇の多彩さのせいだっただろう。さまざまな色の夕方、ほとんど夜にちかい暗さを、数多の色が、暗さの中であざやかに彩っている。それは暗さと賑やかさ、寂しさと明るさ、こうした混在を矛盾することなく、あらわしている。そうなのだ。夕暮れが、明るさと暗さの混在であるかのように、わたしたちもまた矛盾した存在ではなかったか…。だから黄昏にひかれるということもなかったか…。道もまた、空と同じようにオレンジ、緑、空色、灰色をもちながら伸びている。人もまた、同じ色合いで。そしてそれらをくっきりと分かつように、黒い太い輪郭。同じようでいながら、分かたれて、独りであること。

《夕暮れ》(1942年)


『受難』より《出会い》(1936年)

 もうひとつは、その遠近法により、せばまってゆく道の細さにだったと思う。このことにはモノクロームの『ミセレーレ』より《孤独者通り》(一九二二年、町田市立国際版画美術館所蔵)を観て気づいた。街。四角い白い(だがくすんでいる)、叫ぶためにあけた口のような戸口をもった家がならぶ。一本の道。遠近法の果ては人がもはや通れないのではないか、というくらいの点である。なぜこれを「孤独者通り」というのだろう…。それはひとりしか、その道を通れないからだ、と思った。こんな道を、わたしたちはおそらく歩いているのだ。

『ミセレーレ』より《孤独者通り》(1922年)

 風景画。《秋》という作品が二点出品されている。ひとつは一九三三年、リトグラフに着彩(町田市立国際版画美術館)、裸の女性たちが、何人も立っている像。肌は夕焼けか紅葉のようにオレンジ。たわわにみのった、大地母神のようだ。それはゴーガンの描く肉と神の混在のようでもある。たわわにみのった女性たち、たれさがった乳房、そしてどっしりと地につけた足。ゆたかさと寂しさが混在している。

《秋》(1933年)

 もうひとつの秋は、一九三八年で油彩(群馬県立美術館所蔵)、女性ではなく、幹が林立している。その林立のむこうに、山が見える。幹のこちらがわに、白い服のキリストらしき人物と、数人。時間はわからないが、おそらくこれも夕方だろう。晩秋なのだろうか、幹と枝ばかりが目立つ。眠りに入ろうとしている秋、空の賑わい。豊かな眠りのまえの、暗い山の色。寂しさと賑わいがここでも満ち溢れている。

《秋》(1938年)

 だが。たぶん、わたしは彼の油彩画のほうが好きなのだ。特に後期のあの彫像のように、あるいは彫刻のように、どっしりと塗られた絵具たちの放つ、混在、凝縮が。もりあがった頬、もりあがった口たちに、私たちの生の矛盾を感じるのかもしれない。今回の展覧会では、特に人物を描いた版画たちには、そうした厚みが感じることが少なかった。これはもちろん彼のせいではない、わたしの好みの問題だ。

 チラシやポスターになっている、《横向きのピエロ》(一九二五年頃、埼玉県立近代美術館)は油彩画だが、初期のものなので、絵具はこそげとられている。そうすることで、透明感を追求していた頃の作品だ。好みではなかったが、眼をとじた、横向きのその顔は、やはり凝縮としての美をはなってみえた。演目を終えたばかりであろう、眼をとじているその顔は、演じることと、そうでないことのはざまにあるようだ。眼をあけることとつむることのはざまであるかのような。
 『流れ星のサーカス』の道化師、曲芸師たちは、着彩されているが、やはり版画なので、あの色の厚みはない。だが、《曲芸師》(一九三四年)は、鮮やかな黄色い衣裳で、ジャグリングをする、女性の、その姿がどこか、なにかを耐えているようで、重いものがある。同じシリーズの《眠れ、良い子よ》(一九三五年)は、ダンサーのような女性が、籠にはいった眠る赤子に手を添えながら優しく見つめている。これには聖母子のような印象をもった。サーカスにはいつも寂しさと賑やかさが並存してあるのはなぜだろうか。賑やかさが一瞬だからか。肉体の極限を垣間見せてくれる限界がもたらすめまいだからだろうか。ルオーの描く彼らは、寂しく強い。もろく優しい。両者とも、オレンジの、夕方のような肌の色だ。

『流れ星のサーカス』より《曲芸師》(1934年)

 好みではなかった、と書いたが、それでも、それらの混在が、私たちの生を、ある種鏡のようにみせてくれる、そのことにそこでひたった。
 企画展を見終わり、常設へ。だが、常設コーナーも、企画のように、その時々で変わった展示を行うようで、残念ながらミュシャや、ピラネージには会えなかった。絵ハガキだけ、見かけたのでそれを買う。
 そして、また森をぬけて帰る。森が《秋》のあの幹のように見えた。敬虔な気持ちがふっともたげる。それはいきとしいけるものにたいする、混在への共鳴だ。また、知らない鳥が近づいてきた。緑は、行きとルートを変えたのだが、同じように、唐突に終わった。繁華街たち。何故か、献血をして帰る。自宅最寄駅についたら、はやくも夕方になっていた。だが、今時分は、だいぶ日が暮れるのが遅くなっているので、まだ昼のような夕方だったが。一本の道をとおる。梅だろう、たまに緑の大きな実が落ちている。ほかにしらない黒い実たち。道を通る。こんなところでも、混在しているのだ。私の道にルオーの道が。肌をふっとみる。まだオレンジには染まっていない。
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2009-05-15

日本の美術館名品展、予想と手のとどかない、とるにたらぬもの


エゴン・シーレ《カール・グリュンバルトの肖像》

 「日本の美術館名品展」(二〇〇九年四月二十五日〜七月五日、上野、東京都美術館)に行ってきた。これは、日本全国の美術館連絡協議会に加盟する公立美術館一〇〇館の所蔵作品を同会の創立二五周年を記念して一堂に集めたもの。西洋絵画五〇点、日本近代洋画七〇点、日本画五〇点、版画・彫刻五〇点の計二二〇点。チラシにはエゴン・シーレが載っていた。彼の絵画は久しく見ていないので、まずそれで興味を持った。それに多分、チラシに載っている以外にも、知っている好きな画家の作品、知らない画家の作品との出会いがあるだろうと思ったのだ。こうした漠然とした予想、期待は裏切られない。モネ、ゴッホ、ルドン、ヴラマンク、ルソー、ルオー、イヴ・クライン、速水御舟、佐伯祐三、ブランクーシ、私の好きな画家たちでいえばこれらがあった。他にピカソ、ウォーホル、カンディンスキー、ダリ、デルヴォー、黒田清輝、藤田嗣治…、多分、美術に興味ある人ならば、行けば一人は必ず自分の好きな画家、彫刻家の作品と出会うことになるだろうと思う。
 展覧会は、ルーヴル美術館展に続いてまた上野だ。国立西洋美術館を通り過ぎる。雨あがりで、暗くなりつつある緑の色が明るい。土と草のにおい。これらも桜の花だったのだと、しげった葉の桜並木を通る。太った鳩、ぬれてぼさぼさになった鳩たちが歩く。
 さて会場。また平日だった。ルーヴル展よりは空いているだろうと思っていたらこれも予想どおり。それでも平日にしては人が入っていたが、混み具合は気になるほどではない。そして予想外のこと。ネットなどでも同じ意見を見たことがあるが、どうも平日のほうがマナーの悪い客が多いような気がする。具体的には年配の婦人たちの、絵を前にしてのおしゃべりがうるさい。土日は混んではいるが、相対的に皆もっと静かだ。絵を前にして、解説を読み上げるだけのおばさん、彼女たちのなかの誰彼の話、聞きたくないので、そこから離れ、ほかの絵をみたり、ソファにすわってやり過ごすと、別のおしゃべりおばさんたちがやってくる。きりがない。だが、しかたないので同じ方法で、なんとか声から逃れる。声を縫うようにして、絵の前で静けさをもとめる。絵からの声を聴くために。そうこうしているうちに、女子高生二人組が近づいてきた。またか、うるさいなと思ったがこちらも予想外。一人が言う。「わあ、なんだかわからないけれど、これ好き」。こうした素直な感動は聞いていて心地よい。なつかしいような新鮮さがある。絵との会話はここからはじまるのだ。
 予想からこぼれるものたち。いい面とわるい面。これはわたしたち各自の内面あるいは外面にもいえることではなかったか。「一個の人間というものを構成している資質が、いかに雑多なものであるか、私にはよくわからなかったのだ。いまだから私は、卑小と壮大、残忍と寛容、憎悪と愛などが、同じ一個の人の心の中に肩を並べて生きうるものだということも、ようやくわかっている」(モーム作・阿部知二訳『月と六ペンス』岩波文庫)。ゴーギャンの生涯をモデルに描いた、この小説はバルザックを想起させる人間観察が懐かしくも興味深い、おまけに物語でぐいぐいとひきつける(これも十九世紀をいい意味で踏襲した手法だ)、とても感銘をうけた作品なのだが、この言葉を思い出した。予想からこぼれる雑多たち。おしゃべりのくだらなさと、みずみずしさ。題名の『月と六ペンス』も、解説によると「「月」には「手のとどかぬもの」という意味がある。「六ペンス」は、世俗的な取るに足らぬねうちしかないもの、というほどの意」だとある。

 展覧会の作品たちとの出会いに移ろう。最初は西洋絵画・彫刻の展示。予想からこぼれて。入ってすぐにあったオノレ・ドーミエ《ドン・キホーテとサンチョパンサ》(一八五〇─五二年、伊丹市美術館)の油彩。薄茶色の影絵のような、長い剣を持った痩せたドン・キホーテとあとに続く太ったサンチョパンサが、それぞれ馬とロバに乗っている。顔や服などはまったくわからない。霧のなかを歩いているようでもある。
 わたしは風刺版画家としてのドーミエしか知らなかった。これらにはこれまであまり惹かれたことがなかったので、この絵を前にして、嬉しい驚きがあった。いや、まず寂しいと思った。つぎに優しい共鳴だと思った。彼らの姿が静かでもの悲しい。わたしはいつからか、もしかすると幼児の頃から、ドン・キホーテに尊敬に似た共感を感じている。物語と現実の境界をなくすことはある種とてつもなくうらやましい。そしてそれはある種悲しい。境界をなくすことは、境界を設けて生きる私たち、他者とも生き方を断絶することだから。それは狂気を生きるということにどうしたってなってしまうことだ、だが…架空であることはそれでも絶対に必要なのだ。境界をつけながら。この絵からは、わたしがドン・キホーテに感じている共鳴と同質のものがにじんでいた(解説にも、ドーミエの共感は書いてあった)。まさに絵の霧にけぶるようににじんでいたのだ。それは境界のにじみのようでもあっただろう。影絵のような彼らが行く。出展元の伊丹市美術館は、国内有数のドーミエ・コレクションがあるそうだ。

オノレ・ドーミエ《ドン・キホーテとサンチョパンサ》

 そして、サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ《フローラ》(一八六八─八四年、郡山市立美術館)。フローラはローマ神話で、花と春、豊穣を司る女神。画では、中庭のようなところで、緑の長いストールと、桃色の薄い服を着た美しくもしっかりとした臀部を持つ女性の全身像を横向きに捉えている。ストールがたなびいているので、彼女は小走りなのだろう。左手からは無数の種が粉のように落ち、落ちた先から花が咲いている。バーン=ジョーンズは、ラファエル前派の画家。元々ラファエル前派に興味を持っていたのと、丸紅所蔵の彼の風景画《夜明け》に惹かれていたので、この絵との出会いは単純に、予想に違わずに嬉しかった。ロセッテイの影響を受けた、だが彼独自の透明感あふれる女性の顔、現実的な、つまり緻密な描写で描くローマ神話、現実と幻想が、ここでは境界を保ちつつ、共存しているのかもしれない。そのことにたぶん惹かれたのだ。そして、その手からこぼれる種の、点々としたかがやきに、花々の咲き乱れる春を感じた。そのこぼれる種は、春のあたたかな日差しをもそこにこめていたのだった。季節、現実、幻想、雑多なものたちが、絵からこぼれでている。

サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ《フローラ》

 ピエール=オーギュスト・ルノワール。わたしは彼をそれほど好きではない、はずなのだが、いつもなにかしら予想に反して気にかかる絵に出くわしてしまう(前回も彼の絵に触れていなかったか?)。もちろんこれはいい意味で予想がうらがえるのだが。好きではないと思いつつ、まず遠くからルノワール独自の色づかいに気づく。その時は、やっぱりここにも来ていたかと、知人に会ったぐらいにしか思わない。そして今回は二点きていたが、そのうちの一点《庭で犬を膝に抱いて読書をする少女》(一八七四年、吉野石膏株式会社、山形美術館寄託)。題名どおりに青と白のストライプのワンピースを着た少女が黒っぽい犬を膝に乗せて青い装丁の本を読んでいる。あたりはほぼ一面の草、そして小さな花のなか、陽だまり。地面にも草が生え、座っているあたりにも草花たち、そしてふりそそぐ陽光。少女の服、肌、それらも日をあびて、植物たちとそのことで共鳴しあっているようだ。彼女の金髪も日にすけて、小さな枯れ草か花のようにみえる。植物の生と少女の生が対立することなく、均衡を保ちながらやはり境界をにじませているのだった。
 わたしは思い出す。夏の盛り、木漏れ日をあびた自分の肌をみるのが、とても好きだったことを。葉陰が肌のうえで波のような文様をつくる。木漏れ日だというのに、じりじりと肌に暑さを感じる。この暑さが、葉と太陽、ふたつともにわたしに注いでくれるということなのだ。地面にも、草地にも葉影が映っている。自分がこれらとともにまだらになっていることがうれしかった。汗だくになりながら、わたしはとても幸せだった…。
 絵のまえで、そんな肌のやけつくような日差しを感じた。草たちはとても明るい。

ルノワール《庭で犬を膝に抱いて読書をする少女》

 エゴン・シーレ《カール・グリュンバルトの肖像》(一九一七年、豊田市美術館)は、今回の目当てのひとつ。黒っぽい背景のなか、白いシャツの男が座っている。彼にしては静かなイメージだが、シャツも肌も青灰色のズボンのしわも、そう、衣服までもがうねうねと生をたぎらせている。予想にたがわず、うれしい出会いだった。
 そして、これは予想に反してなのか。どちらかといえば好きな画家たちであるモネ、ルソー、セザンヌ、ルドンは、どれも違う展覧会でみたことのあるものだった。もちろんそれでも出会えてうれしかったが、たぶんそれぞれ、日記に感想を書いているので、省略する。
 そして彫刻では二点。まずヘンリー・ムーアの《弦のある形》(一九三九年、広島県立美術館)。こちらは聖杯を重ねたようなブロンズにくぼみがあり、そこに弦が張られている。音との出会いを、ものいわぬ彫刻が切望している、その緊迫にひかれた。ブロンズの奏でる音のない演奏。そしてフランソワ・ポンポン《シロクマ》(一九二三─三三年、群馬県立館林美術館)。大理石の肌理のなめらかさをいかしたシロクマがすっと歩をすすめた状態で静止している。それは崇高さとかわいらしさを混在させてあるように見えた。こうした雑多も存在するのだということを、静かに教えてくれるのだった。

フランソワ・ポンポン《シロクマ》

 このあと日本の近現代洋画、日本画・版画・彫刻に移る。村山槐多《自画像》(一九一六年、三重県立美術館)の荒々しくも、複雑な顔色、その眼光の異彩に、雑多さをひそめた生を感じたし、ほかにも古賀春江、松本竣介、靉光など、足をとめたものが多々あったが、後は数点のみここに挙げる。野田英夫《牛乳ワゴン》(一九三六年、福島県立美術館)。無蓋の馬車で牛乳を運ぶ姿を真正面からとらえている。御者台に座る父親と娘のまっすぐな視線がどこか重く、やはり悲しい。野田英夫(一九〇八─一九三九年)は、カリフォルニアで生まれ、三歳で日本で教育を受けさせたいという両親の意思で、熊本の父方の叔父に預けられ、十八歳で単身渡米、二十六歳で画家として認められるようになったが、三十歳で死亡しているという。二重国籍を持つ彼は、誤解をおそれずに言えばよそ者ゆえの透徹した視線で、生をやさしくえぐるようにとらえることで、彼らと出会おうとしている、生を受け止めようとしている。絵を見ているときは、彼にまつわるこうしたことたちを知らなかったが、この貪欲かつ寂しい重さに釘付けになったのだった。真摯な眼差しのもつ悲しくやさしい重みにとにかくひかれた。
 長谷川潔《時 静物画》(一九六九年、町田市立国際版画美術館)は版画。黒っぽい背景。羽をたたんだ鳥のまわりに花、砂時計、葉、小さな玉などが並べられ、鳥の後ろに白い線で輪が描かれている。ほかは具象なのに、この輪だけが抽象だといえるだろうか。だがわたしはなぜかすぐに思った。あの白い輪は、時間なのだと。あるいは、その輪から紡ぎ車を連想したのだろう、運命の輪、ギリシャ神話のモイライたち(運命の女神、糸を割り当て、紡いで、切ることで、人の寿命を決める)を想起した。実があり、葉があり、花があり、また葉があるのだが、それは見た目はわからないが、枯れているように感じてしまう。つまり、植物の一生が描かれてあるのか、とも思う。鳥は告げるものかもしれないし、無言であるままなのかもしれない。飛ぶものとしてではなく、地面に足をつけていることも、無言のゆたかさを助長する。背景の暗がりは、上から中央にくると、すこしだけ明るくなる。時がうっすらと灯っているのか…。あの玉は魂か? 想像は間違えているかもしれないが、そんなふうに、時のまわりで、いろいろと考えさせてくれるのだった。

長谷川潔《時 静物画》

 熊谷守一《兎》(一九六五年、天童市美術館)。どこかで、たしか絵葉書なのだが、《白猫》の単純化されたいびつな線をみて、なんとなく気になっていた画家かもしれない。こちらの《兎》もやはり単純化された線で、赤い不恰好な目がこちらを見据えているのだが。その顔、表情がとてもおだやかで、ウサギに対する愛情と、そしてウサギそのものの生を、くっきりときわだたせてあると思った。彼に関しては、後日書くことがあるかもしれない。たしか個人美術館が豊島区にあったなと思い、家で調べたら豊島区立熊谷守一美術館というのが確かに存在していたから、そのうち行ってみるつもりなのだ。

熊谷守一《兎》

 ほかに、高村光太郎の《手》(一九一八年、呉市美術館)、ブロンズ。これは写真で見たことがあるし(教科書とかにも載っているほど有名な作品だから)、似たものをどこかで見たこともあるが(例えば、この近くの国立西洋美術館にもあるそうだ)、手だけであるのに、存在感を表わしていることにまた驚いたのだ。またというのはほかの手を見たときに思ったことだからだ。その手は、観音菩薩の「施無畏」印を組んでいるので、ある種神々しいものでもあるが、荒々しくもごつごつしたさま(作者自身の左手がモデルだという)は力強さでもあり、何かを求める願いのようでもある。「同じ一個の人の心の中に肩を並べて生きうるもの」。観音菩薩と高村光太郎がそこにいるだけではない。雑多な構成たち。

高村光太郎《手》

 カタログは買わなかったのだが、絵はがきなどと『美連協加盟館ガイドブック』(美術館連絡協議会発行、三五〇円)を買った。こちらは全国の加盟美術館一二四館のアクセス、紹介などが載っている。購入した理由は、いつか訪れるために、というのはもちろんだが、旅雑誌か何かのように、情報を見たことで行った気になる、予想というより想像するため、というのも大きいだろう。あるいは今日見た絵の写真が載っているかもしれない、という思いもあった(実際、気に入った作品で、かつ絵はがきにない作品などが載っていることがあった)。行ったことのある美術館の説明も載っているのではないだろうか、という思いもあった。一度でも行った美術館は、わたしにとってはもはや友人のようなものなので、彼らの消息を知ることは何となくうれしいのだ。まだ達者でやっているのか、こんなことをはじめたのか、などなど。ガイドブックを買うことにも、こんなに理由があるのだ。雑多な。
 『月と六ペンス』は、七月三日からゴッホ展が始まるにあたって(東京国立近代美術館)、読み直してみたもの。ゴッホ展にどんな予想をたてるのだろう。予想がたがえたことがどんなに雑多にはじけるだろう。そういえば、この本自体、中学生か何かで読んだのだが、当時は良さが全くわからなかったもので、そのうちにモームはわたしのなかで、たいして面白くない作家として、可愛そうに押しやられ、長らく忘れ去られてしまったのだった。予想をたがえて、今読むととても面白い。小説を読むときの、ひきこまれそうな惑溺を、彼はひさしぶりに思い出させてくれる。今は同じく彼の『人間の絆』を読んでいる。この先、どんな予想が雑多に手に届き、また取るにたらないものになってゆくのだろうか。
 
日本の美術館名品展公式HP
http://museum-islands.jp/
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2009-05-05

ルーヴル美術館展のAとB─光景



 ルーヴル美術館展─十七世紀ヨーロッパ絵画─展(国立西洋美術館、二月二十八日─六月十四日)に行ってくる。平日だった。渋谷での用事がちょうど十二時ぐらいに済んだ。このまま家に帰っても気がめいりそうだったので、さてどこに行こうかと思案した。ルーヴル展…。会期前に手に入れたA4見開きのチラシを持っている(現在は配布されていないようだ)。これには七十一点すべての出品作が二×二・五センチの写真付きで掲載されているのだが、フェルメールしか観たいものがない。わたしは十七世紀、十八世紀はどうも苦手なのだ。こんな風に行く前からチラシなどで展示されている絵がわかってしまうのは、親切かもしれないが、それにより何が観れるのかという謎によせる期待が薄れてしまうのではないか、それに私のように証明写真のようなそれを見て行かないことに決める人もきっといるのではと余計な心配もする。小さすぎて、絵の本物の像を思い描くのに、かえって不利になるということもあるだろう。画集ですら実物と違うのに、こんな履歴書写真のようなもので、見た気になってしまったら、かえって展覧会に来ることを阻んでしまうのではないだろうか…。だがフェルメールの《牛乳をそそぐ女》が来た時も、あれ一点のためだけに観にいったではないかと思い直させようとする。なんだか私のなかに二人の人物がいるみたいだ。でもネットなどの情報では平日も混んでいるとあるから…と、乗り気でない私Bがぐずる。それでも土日よりはましだろうと行くことを勧める私A。とりあえず展覧会に行くにせよ、家に帰るにせよと、渋谷駅に向かっている。お金もないしなあとB。フェルメールだし、一期一会だよとA。そして? 国立西洋美術館ということばが、AとBのあいだに、ふっと浮かび上がった。わたしは常設展の松方コレクションが大好きなのだ。戦前に一コレクターとして私財を投じて集めた膨大なコレクションの数々(今あるのは、その一部だ)、ロダンの地獄の門の出迎え、モネの絵の名前を冠したレストラン「すいれん」…。国立西洋美術館ということばからは、こうしたものたちが、付随して浮かび上がってくる。そして大切な昔からの尊敬してやまない友人に対するような、甘い懐かしい想いがにじみでる。Bはこうなるともう我を張らなくなってしまう。気がつくと、山手線に乗って上野方面に向かっていた。
 ロダンの彫刻《カレーの市民》などが屋外に展示されているあたりに植え込みが作られている。ちょうど何か花が咲いていて(次に述べるのが理由で、近くまで行かなかったので、何の花かわからなかった)、入れ替わり立ち代り、ロダン作品と花をバックに写真を撮りあっている。ここには何度か来ているが、こうした光景は初めてみた。今、ル・コルヴュジェの設計した建物として、美術館と前庭が世界遺産候補に推薦されていることも関係しているのだろうか。
 さてルーヴル美術館展へ。さすがに平日なので、待ち時間は0分だったが(というような案内が入口に出されているのだ)、それでも会場内はかなり混んでいた。一つの絵ごとに人だかりがものすごく、もし最前列で見ようと思ったら、並ぶようにして人だかりの流れにしばらく体をまかせていなければならない。わたしは今、実は失業中なので、平日に来れるのだが、ここにいる他の人々はどうして来れるのだろうか。老若男女、土日に見かける人々とそれほど変わりはない。土日はもっと混むのだろうけれど、それにしてもまるで土日のようだと、いささか辟易する。土日に来て混んでいるのなら仕方ないと思うのだが、平日の混みようには、不思議と仕方ないと思えないのだった。わたしAが待ち時間がなかったのだからいいじゃないとなだめる。土日だったけれど、もっと芋の子を洗うようでいらいらしたときもあったじゃないと。どの絵の前も人だかりだ。最前列に出ることを、最初は試みたが、そのうち面倒になってきてしまった。わたしBが跋扈しだす。第一フェルメール以外は、元々好みではないのだ。王女の肖像は見合い写真だし、室内で描いただけの、型にはまった風景画は光が感じられないし、町の人々を描いたものもどこかうそ臭い(これは実際のそれを描いたというよりも、宗教的モティーフとして描かれていることにもよるらしい)、ほかは観光写真で、異国での見聞を描いたものや…眺めている最中、Bの不平しか出てこない。ともかく最前列をあきらめ、四列目ぐらいの位置から、頭ごしに作品たちを観てゆく。アブラハム・ミニョン《ジョウビタキの巣》(一六七〇年頃)。森の中だろう、ヒナのいるジョウビタキの巣を中心に、餌を運んでくる親鳥二羽、右上に罠にかかり、枝からぶらさがっている死んだ血まみれのリス、巣の下に死んだ魚、まだ息があるかもしれない魚、左下の葉の間から顔だけ見せているやはり生死が微妙なリス、それを見つめる蛙たち、そしてあちこちにマーガレットその他、花、花がちりばめられている。雌の親鳥が乗っているのは、よく見ると銃身だ。精密な静物画だが、これらが描きこまれた中心が、そこだけ発光でもしているかのように光り、あやしく人を惹きつける。生と死の混在に、はっと息をのまされてしまう。祭壇のようだとも思う。それは食べる行為を含めての生への祈りなのか。そこでは生と死がほとんど違いがない。

アブラハム・ミニョン《ジョウビタキの巣》

 この作品の前には、多分それほどひとだかりがなかった。遠巻きに眺め、積まれた森の魚たちや死んだリスと、《ジョウビタキの巣》という題名のギャップにひきつけられ、よく見てみようと思っただけで、最前列にすんなりといけた気がする。そして、その近くに、いよいよお目当てのフェルメール《レースを編む女性》(一六六九〜七〇年頃)が。絵を遠巻きにでも眺めるまえに、人だかりのすごさで、多分フェルメールだろうと思った。《牛乳をそそぐ女》のときは、三列で見るようにロープが張られてあったと記憶するが、こちらは何もない。Bが刹那、あの人だかりを待って最前列に行くの? といいかけるが、Aの反論をまたずにすぐに同意する。これを見るために来たといっていいのだし、第一、思っていたよりも絵がとても小さいのだ。フェルメールに限らず、画集などで見る作品は、絵の持つ力なのだろう、たいてい大きく感じてしまう。だから寸法が載っていても、あまり注意をひきつけない。《レースを編む女性》はだが二四・五×二一センチしかなかった。元々、フェルメールの絵(に限らずオランダの十七世紀のもの)は、市民の家に飾られるものが多かったため、小さいものが多いのだが、これは最も小さいフェルメール作品の部類に入るらしい。A4が二一〇×二九七センチ、B5が一八二×二五七センチだから、その間位。ともかく並んでいる途中で垣間見えるそれは、他の絵たちとの大きさの違いにもよるのだろう。A5版(一四八×二一〇センチ)ぐらいに見えた。二列目、三列目あたりは並ばないで、人だかりが開いたところにすっと入る感じで、最前列だけ並ぶようなシステムができているようだ。また、絵の前に立つ時間に制限はないが、こちらもおおよそ一分ぐらい立つと、次に譲るような雰囲気になっていた。誰がきめたわけでもないだろうに、そのことが奇妙だった。だんだん絵が大きくなってくる。やっと来た。

フェルメール《レースを編む女性》

 机に置かれた台にかがみ込んでレースを編む女性。両手のあいだの細い白い糸、左下に置かれたクッション(裁縫道具がしまってあるらしい)からはみ出た黄色と赤の糸の束が、やけに生々しいのは、顔も二つに結んだ髪も、うっすらとぼやけているから。つまり糸に焦点が合っているようなのだ。まるで人間が見ることそのもののように。わたしたちは一点を注視するとき、周りのものはある程度ぼかしているのだから。ともかく二点の糸のあざやかさにひかれた。いや、それよりも先に、絵の前に立ったとき、この絵の光にひきつけられた。画面右上からうっすらと光があたっているのに気づく。右半分の薄茶色の髪の毛、顔、そして白い襟、そしてレースを編む両手、これらの明るさが、その光を教えてくれる。そのことがまず、なにか嬉しかった。それは《牛乳を注ぐ女》に近づいた時に、やはり感じた光だった。これらの明かりは、画集からはあまり感じられない(だが、一端気づいてしまうと、もはやその絵は光に満ちてしまう)。明るいことがなぜ嬉しいのか。“光景”ということばが浮かび上がる。それは時代や土地を貫いて、わたしたちに届く光景なのか。テーブルの足、手の甲、左の頬、左の髪、これらの影がよけいに光をいとしくもこちらにあふれさせてくれるのだった。
 そして、というかルーヴル美術展出品作ではあと一点のみなのだが、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《大工聖ヨセフ》(一六四〇年頃)。かなりの暗がりで、キリストの養父で、大工の聖ヨセフが、幼子キリストの照らす蝋燭の明かりの元で、身を屈め、梁に穿孔機で穴を開けようとしている。この板の穴は、キリストの磔刑を彷彿とさせるらしい。だがここでもやはり光にひかれた。なんだか光に集まる虫のようだ。ほんとうにまた人だかりの向こうのその絵の中に、ひとかたまりの明るさを感じて、それに吸い込まれるように、たどりついたのだ。一本の蝋燭。はじめはその蝋燭にのみ、釘付けになった。そこからは、明るさから暗さへ、煙までたちのぼっている。蝋の匂いや芯の熱さまで感じられる。その質感におどろいた。次にキリストの横顔の明るさ、ヨセフの禿げ上がった額の輝き、片腕の表面、蝋燭のまわりでのみ、明るいそれらの光に、暗がりの必要性をまざまざと感じた、というより教えられた。当たり前のことなのだが、影があるからこそ光があるのだと。フェルメールの光が、日常のふっとした光景の繊細な凝縮として、わたしたちに差し出してくれるものだとしたら、ラ・トゥールのこちらは、光をもっと崇高なものにしようとする、宗教的な願いのように感じられた。数年前に日本でやっていたラ・トゥール展などにわたしは行かなかったので、今回、ほとんどはじめて見たのだが、この光の画家(夜の画家と呼ばれているらしい。つまり、夜に灯った光の画家なのだ)との出会いは貴重だと思った。こうして少しずつ、大切な画家が増えていくのだ。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《大工聖ヨセフ》

 企画展を後にして常設へ。企画展会場にはあんなに人が多かったのが嘘のようにこちらは人がいない。ただ五月まで作品保存、展示環境改善のために新館改修工事をしているとのこと、いつもより展示が少ないのが残念だったが。美術館開館当初(一九五九年)は、フランス近代美術が多い松方コレクションが母体だったため、コレクションもそれが主だったが、今はルネサンス以降の西洋美術の流れを俯瞰できるように作られているとある。ルーブル美術館展との関連でいえば、ヤン・ブリューゲル(《アブラハムとイサクのいる森林風景》)、クロード・ロラン(《踊るサテュロスとニンフのいる風景》)、ルーベンス(《眠る二人の子ども》)、カルロ・ドルチ(《悲しみの聖母》)、ラ・トゥール(《聖トマス》)などがここでも見られる。そう、ラ・トゥールは《大工聖ヨセフ》を見た後でなければ、もしかすると見過ごしてしまったかもしれない。先にあちらと出会えてよかった。こちらが悪いわけではないが、あちらのほうが、光に集まる虫としては、インパクトがあるのだ。こちらの《聖トマス》(十七世紀前半)は、キリストの十二使徒の一人で、頭が禿げ上がり、髭を蓄えた壮年の人物として描かれている。彼は槍を注意深く、胡散臭そうに見つめている。この場面は、十字架上でローマ兵の槍に突かれて絶命したキリストが、復活した際に、トマスはそれを疑い、脇腹の槍傷を触ってようやく納得したという聖書中の記述に基づいているとのこと。あるいは後年、聖トマス自身が槍につかれて殉教したことも含んでいるらしい。それよりもやはり光だ。こちらは先程の《大工聖ヨセフ》が夜の絵だとしたら、昼の絵に属するらしい。なるほど暗闇はこちらのほうが少ない。だがヨセフのようにまたも禿げ上がったトマスの頭と、手に持たれた槍が、光り輝き、これら二つの光が、集中して、絵の物語を照らし出しているようなのだ。光る槍、不信に満ちたトマスの頭の光…。虫がまたさわぎだした。光がみるみるあふれだしてくる。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《聖トマス》

 そして、近代フランス西洋画だ。何度か書いているけれど、ここのモネの《睡蓮》(一九一六年)に、衝撃をうけたのが、ほとんど絵画との出会いの始まりだったかもしれない。絵を通した圧倒的な共有の至福…。二十二、三歳だった。今では《睡蓮》を前にしてもそんな体験はもちろん感じられない。けれども、殆ど大切な思い出として、この絵に親密な何かを感じているので、絵を遠巻きにでも見かけると、それだけで心が穏やかに騒いでしまう。そうして、またこの池の前に立つ。そう、何も感慨がない。もっといる。離れてみる。水の揺らぎがわずかに起こった。空を映しこんだ池の波紋が震えてやってくる。ちいさなめまい。それはめまいによる共時性だった。画家だけではない、画家の絵を見ていたかつてのわたしのふるえをも含んで、その波紋は伝わってきたのだった。

モネ《睡蓮》

 常設にくると、いつも何かしらの発見がある。保有作品数が多くて、展示しきれないから、その都度、見たことのない作品と出会う、ということもあるが、見るこちら側の気持ちの変化もあるだろう。ゴッホの《ばら》(一八八九年)は、多分何度も見ているのだが、今回はやけに眼にとまった。これはゴーガンとの諍いの翌年の一八八九年に入院したサン=レミの精神療養院の庭のバラらしい。丈の低い白いバラが、他の草、花たちにまぎれて咲いている。右側には、日があたってまだらな模様になっている小道。激しさと静謐が見事に同居していると思った。荒々しいまでのタッチが、画面から慟哭のように伝わってくる、と同時に、バラの静けさ、穏やかな晴天が、見事に調和して伝わってくるのだ。

ゴッホ《ばら》

 ほかではルノワールの《木かげ》(一八八〇年頃)とモネの《黄色いアイリス》(一九一四─一七年頃)。《木かげ》は、林の中の一本道といった感じで、葉や道に陽射しがちらめいて明るい。《黄色いアイリス》は、題名のとおり黄色いアイリス(キショウブ)で、モネの自邸の庭のもの。これら二つは、感動したというよりも、どちらも家の近くで、ちょうど今頃見れる風景だから親近感を覚えたのだった。この《木かげ》に似た場所を、散歩の折に見つけて、ひそかにお気に入りになっている。初めて見たとき、既視感に似たものを感じたものだった。木に囲まれた細い道が下っている。下りながら、木々にとけてゆく…。それは待ち望んでいた風景だった。それは日々のなかに美があることが眼前から降り注いでくれるものだ。ここは崖になっているのだが、その崖を降りてしばらくすると、また別の公園がある。小さな池と小川(用水路の復元だそうだ)があり、その小川の一角に黄色い菖蒲がまさに満開となって花開いている。《木かげ》と《黄色いアイリス》は、わたしの景色にまぎれこんでくれ、たぶん何かを共有させてくれるだろう、それは日々の注がれた光たちがからまっている。光をともなった光景なのだ…そう思いながら、外に出た。AとBは、おとなしくまた、わたしのどこかにまぎれてしまった。眠るようにおだやかに。


ルノワール《木かげ》、モネ《黄色いアイリス》
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