Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2010-09-25

重なって、たたまれた、ひとつの…(香水瓶の世界、東京都庭園美術館)

 東京都庭園美術館「きらめく装いの美 香水瓶の世界展」(二〇一〇年九月十八日─十一月二十三日)に行く。だが香水瓶たちにはさほど興味を持っているわけではない。ではなぜきたのだろう…。
 港区白金台にあるこの美術館は、旧朝香宮邸で一九三三年に建てられたもの。アール・デコ様式の建物。正面玄関ガラスレリーフと大客室、大食堂のシャンデリアが、好きなルネ・ラリックの作品である。たしか日本では唯一受注によって造られたラリック作品だったと思う。他(というかこちらのほうがメインなのだろうが)、主要室内はアンリ・ラパン、基本設計は宮内省内師寮。
 わたしはこの建物の室内(暖炉、香水塔、階段の手すり、踊り場)がなのか、ラリックのガラス、特に正面の女神のレリーフが好きなのか、それらがあわさってなのか、ともかくもう十数年前になるが、初めて来たときから、この場所にとても惹かれている。
 だからこの室内に足を踏み入れたくて展覧会に来た、ということもある。そして香水瓶といえば、ラリックが一九〇八年にコティ社の香水瓶を手掛けたことで、それまでのジュエリーデザインから、ガラス工芸の世界に足を踏み入れた契機となったもので、その香水瓶のデザインは群をぬいて斬新だった…。そうしたことからも、きっと展覧会の瓶たちの中にまじっているだろうし、ラリックの女神が正面で出迎えてくれるような場所なのだからきっと彼の作品があるだろうと思ったということもある。他にもあるかもしれない。美術館に来るという行為自体にも、こんなふうに、いろんなことが重なっている。個人的なこと、そして普遍的なことも、そこにはたたまれてあるはずだ。そうだ、大事なことを忘れていた。何度も書いているが、こうしたところにくることは救いになっているのだ、ということも出かける理由の一端をになっている。
 これを書いている現在、まだ暑いが蝉の声がまばらになってきた。蝉の声にまじって秋の虫、コオロギや鈴虫の声が足元のほうから聞こえる。もともと夏は好きな季節だったが、勝手なもので、今年のように厳しい暑さだと、そうした気持ちがくじけてしまう。だが、夕方からの風の清涼、雨の冷たさなどを感じると、これもまた勝手なもので去りゆく夏をさびしく思ってしまう…。といったことを、庭園美術館に来る途上にも、ちらっと思っていた。美術館のすぐ近くの舗道に桜の大木がある。早い葉はもう落ちていたし、ついている葉もだいぶ黄葉している。何を感じていようが、気付いても気づかなくても季節は変わってゆく。ならなるべくなら気付いたほうがいい。そんなことも思っていた。
 さて庭園美術館。正面玄関、ラリックのガラスレリーフ。羽、そして樹、その両方を後ろに生やし、身体だけ浮き彫りになって正面を向いている四体の女神たち。ガラスのセピア色に近い色合いと、中の黄色がかった照明のせいで、懐かしいような優しい色合をかもしている。あるいは歓待のために優しさで誘いつつ、すっくとたったその肢体により、居住まいを正すことを無言で告げている、そんな女神たち。ここに来たのは一昨年に来た以来だろう。その時は特別に館内の写真撮影が許可されていた。カメラを持って出かけたが、写真を撮ることと観ることを両立させることは難しい。二つの間でやじろべえ状態になっていたことを思い出す。だが、今これを書くにあたってその時の写真を探してみた。こうして手元にあることは、やはりそれでも何かしら温かい。館内、入ってすぐの大きな香水塔(ここでもてなすための香りを流していたのだ)、大客室のラリックのシャンデリア、これもとてつもなく温かい。どこか初恋の人にあったような気持ちになる。いや、ほとんど初恋であるかもしれない。世紀末から二十世紀初頭、そんな古い時代に対する想いを、気付かないまま、そして最初のきっかけではなかったにせよ、具現して、今も思い出すたび、わたしのなかで奏でてくれているのだから。


  「香水瓶の世界展」のことに少し触れてみよう。展覧会としては古代エジプト、ギリシア辺りから、二十世紀までをほぼ年代別に展示されている。
 「「香水(perfume)」の語源をひもとくと「煙によって」とあるように、当初は芳しい薫香を神に捧げ、願いをその煙に託すものでした。その後、王侯貴族が貴重品であった香水や練香を愛用しました。香りを納めた豪華な香水瓶は上流階級の人々にとって、いかに香水というものが重要であったかを示しています。香水じたいが芸術的な創造物であり、入れる器にも上質な美が求められたのです。香水瓶もまた時代ごとのさまざまな装飾が施された芸術作品であるといえるでしょう。
 本展では古代の石材やガラス製の香油瓶から、セーブル、マイセン、チェルシーの磁器、バカラ、ラリックのガラス、そしてディオールなどの服飾メゾンの香水瓶までを、海の見える杜美術館(広島)所蔵の作品から厳選した約二八〇点で構成いたします。(…)
版画、絵画等も加え、総計約350点により、香りの文化と歴史をご紹介いたします。」(美術館HPより)

 古代ガラス、チェルシー窯で焼いた小さな陶器の人形の香水瓶、そして水晶製の香水瓶など、興味をひかれるものもあったが、さほどではなかった。だが十九世紀末、二十世紀に入る。するとやはりあった、ラリックだ。ほっとする。香水瓶《アンブル・アンテシーク(古代の琥珀)》(一九一〇年)など、コテイ社のものが何点か。ニンフのような女性たちが、透明に琥珀めいた色あいで浮き彫りになっている。館内、天井を見上げればラリックのシャンデリア《ブカレスト》《パイナップルとざくろ》。上と下でラリックたちが視線を交わしあっているようだ。香水をつけるという日常、客室、あるいは食堂という日常。これらが美と密接につながってあること。ここで何度も書いているけれど、このことはわたしにとって、絶対必要な何かである。そうして香水瓶から古代幻想が立ち現れる。そして頭上の蝉と足元のコオロギ。


▲《ブカレスト》《パイナップルとざくろ》

ルネ・ラリック《アンブル・アンテシーク(古代の琥珀)》

 次にラリックのものとしてまとまって展示されていたのは、コテイ社の《スティクス(冥界の川)》、後はラリック社のもので《三匹のスズメバチ》《四匹の蝉》《蝉》…。香水にこれらの名前はかなり意表をついている。この辺りに置かれてある他の作家の展示作品は、ヤグルマギク、白スイセン、バラなど、花の名前が主だったので、ラリックのそれは特に名前を面白く感じた、わくわくした。特に蝉が面白い。ちょうど蝉のことを考えていたからだろうか。いや、それは符牒のようでうれしかったが、そのことを抜きにしても、その奇抜さに魅了されたと思う。特に《四匹の蝉》(一九一〇年)。これは細い長方形の瓶の四辺に蝉が浮き彫りになっている。それらは隣合わせに羽が触れ合っているが、その羽が滝のよう、いや香水の流れる溝のよう、ともかく羽とは別の模様であるようなのだ。ちょうどこの建物、入口のガラス・レリーフの女神の羽が樹でもあるかのように。おまけに彼女も四人、蝉も四匹、色も両方ともセピアがかっていて、つまり瓶のほうは蝉色で。わたしがこの蝉にひかれたいちばんの理由は、おそらく、美は異質さからくるものでもある、ありえない結び合わせによる、ふいうちからもくる、そのことをすっくと立って教えてくれているからだろうと思う。羽の樹の女神たちの館で。
 展覧会に戻ろう…いや、もうこのあたりからは、どんなに他の香水瓶たち、他の作家のものたちを眼をこらしてみようとしても、気がそぞろになってしまう。ラリックにしか眼がいかない。《蛇》が丸いガラスにとぐろを巻いている、ガラス製の《サクラガイ》が横たわるのではなく、すっくと立ち上がっている。ラリックのシャンデリアのもとでラリック作品を見るのはとてもしっくりとするとまた思う。どこからか香水の匂いがほのかに香っている。それは幻想と日々のあいだをゆききする、そんな親しげな香りだった。
 この場所で、ラリックについ惹かれながら、わたしがこの室内たちを初恋のように思っている理由の一端がわかったような気がした。日々と幻想が殆ど蜜月を送っているように見えること、日常と非日常が互いに行き来しあっていることの具現として、この場はわたしの肩を抱いてくれる、そんなふうに感じていたからではなかったかと。ラリックについて、わたしがほとんどそんなふうに思っているように。それは単に古い時代へのノスタルジーというばかりではなかったのだ、生活に燦然と輝く美たち。あるいは時代そのものが美と日常をどこかしらで呼び合っていたと感じられるのかもしれない…。
 その蜜月、美と日常の抱擁には、けれどもどこか居住まいを正すようなところがあるが。それはたとえばわたしがこうして書いているときの状態に似ている。居住まいをただす、というのは、ふたつの間にあることに気付いているということだ。気付きながら、バランスをとること、やじろべえになって、両者に向き合うこと。
 展示ではなく室内装飾として、二階の居間だか寝室の棚に現代のラリック社の花瓶《バコーントゥ》が飾られている(室内には入れないようになっている)。これは一九二七年のオパールセントグラス製のものをリメイクしたもので、現在はクリスタル製だろう。ほぼ透明になっている。わたしはオパールの輝きをもって花瓶をとりまく裸体のバッカスの巫女たちが好きだった。現代のそれは姿は同じだが透明でオパールの輝きをもっていないので、同じ形だというのに、いまいち興をひかれないのかと思っていたが、多分それだけではないのだ。オパールセントグラスのバッカスの巫女は、一九二七年から時間をひきつれてわたしのまえにある。それだけできっと連綿とつづく何かを付与して存在しているのだ。だからこそ惹かれるのだ。現代のものも、時間でいえば同じデザインということで経過を内包しているが、そこには経年による汚れのようなもの、傷のようなものがない、くすみもない。古さをたたえたこれらは、まるで現実の時間たちが長年積み重なって美に付着している…すくなくともわたしにはそんな風に感じられるのだ。浮世絵がそうであるように。復刻版のものは、とても鮮やかで今まで見落としていた繊細な刷り具合も再現され、おそらくこちらのほうが当時のままのものを見ていることになるのだろうが、黄ばんだ、折れた、模様もぼやけてしまった当時のものに、やはりどうしたって惹かれてしまうのだった。

《バッカスの巫女たち》(一九二七年)

 最後のほうの展示で、一九九八年から二〇〇八年までに出た限定品のラリック社の香水瓶があった。この殆どが《バコーントゥ》がそうであるように、過去の作品のリメイクだと思う。そっくりそのままではなく、あるいはかつて皿やマントルピースを飾った置物であったものなどを含めて。
 そこにあったなかの二点《シルフィード(風の精)》(二〇〇〇年)、《レ・フェ(妖精)》(二〇〇二年)。前者は楕円形の透明の瓶に両手で髪を抑えた裸体のシルフィードが浮き彫りになっており、その楕円の瓶から、羽のように、着物の振袖のように、両脇からオパールセントグラスが広がっている。後者も丸い透明なガラスを、根元のほうから羽というか植物の葉、花びらでくるんでいる格好なのだが、そのくるんだものがオパールセントグラスである。
 わたしはこの二つをみてさまざまな意味で驚いた(驚きはたぶんいつだって沢山の理由から成っているのだ)。これらは十数センチのものなのだが、家にそのミニチュア、数センチのものがある。六年ほど前にやはり限定品として、三つセットになったものを買ったのだ。それも驚きのひとつだった。ミニチュアはとても精巧なのだが、瓶はガラス製、白っぽいところはプラスチックである。そして驚きの大半をしめるのは、家で小さなそれらを眺めていたとき、プラスチックの白濁した部分は、オパールセントグラスなのだろうか、だったらいいなと、かねがね思っていたのだが(わたしはオパールが、その輝きが好きなのだ)、その答えと願望がいきなり眼前にあらわれたことによる。そうだ、やはりオパールセントグラスだったのだ…。光の加減で線の表情が肌色に青色に桃色に、白っぽさを背景にしてしずかに変わる、たたえている。それは海のうつろいであり、日々のうつろいであった。
 そして家にあったものが…という驚きにまた帰っていくのだが、家にあるものとここにあるものが、少なからず繋がりをもっていることも驚きだった。日常と美がつながっている、それはわたしの部屋でもそうなのだ(うちのミニチュアはこうして机に向かっているとき、一番見える場所に飾ってある)、つまりわたしと部屋との間でも当たり前なのだが、それはあるのだが、そのことを外部からやさしく伝えてくれたということ、それこそが展示されているシルフィードたちとの繋がりだった。ひいては、わたしの部屋でおこっている繋がりが、この展示室の空間とも、やはり少なからず繋がってあることにまで想いを馳せさせてくれる。こうしたうれしいような連なりもまた驚きの一端をふうわりと担っているのだった。
 だが、矛盾するようだけれど、こうしてわたしの好きなオパールセントグラスであるのに、やはり古い時間を通ってやってきたからではないからだろう、どこかしら感動がさびしかった、どこかしら、わずかではあるが、薄れて感じているのだった。浮世絵のように、バッカスの巫女たちのように。そして? それでも二〇〇〇年当時、限定でこれらの香水瓶たちが九万いくらかで販売されていたと書いてあるのをみて、その時に知っていれば、無理してでも何とか手に入れたのに、などとも思ってもいた。ひとつのことたちが、ひとつ以上の理由でつながれている。

《シルフィード(風の精)》(二〇〇〇年)

 家に帰って、ラリックのミニチュア瓶たちを今よりももう少し見えやすいように並べてみた。現実と想像。ひとつの出来事に、ひとつの行為に様々なことたちが絡み合っていることや、繋がりたちを、思いださせてくれるための、これはお守りであり、体現であり、やさしいぬくもりだ。そして壊れやすいもの、注意深く居住まいをただして、書くための、見つめるための。わたしはどこを向いているのか厳密にいえなくなる。ラリックなのか、室内なのか、想像なのか…。これらが幾重にも重なった場を見ているのだ。

(ちょうど左端が《レ・フェ(妖精)》。)
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2010-09-15

影から現実が確かに手渡されて。(皆川博子『少女外道』)

 とうとう『少女外道』(文藝春秋)を読み終えてしまった。八月五日の日記に書いた皆川博子の最新小説、短編集、そして私にとっては、手に入る限りの彼女の著作の中での、最後の本。もうこれを読んでしまったら、彼女の本では、他に読むものがない。
 私は最後をひきのばしてきた。たいていは同じ作者の本は続けて集中的に読むのだけれど、彼女にはなぜか間をおいた。珍しいことだ。頼んでいた本が届くまでに間があいてしまった、というのもある。けれども、なるべく彼女とは長くつきあっていたかったのだ。現実と幻想と二つに分かれていることを知っている彼女と。知っているだけではなく、痛いほどに意識している彼女に。彼女はどちらかといえば寡作であるようだ。その前は多分、二〇〇五年発売の『蝶』、この裂け目を痛切に知っていると惹かれた最初の本である『蝶』だ。これを読み終えてしまったら、次はいつ会えるだろう?
 『少女外道』にゆく前に。わたしはこんなところでも、引き延ばしているのだろうか。
 「私の中に巣喰う狂気が、さまざまな夢を見させる。文字に定着してしまえば、未だ寒々と貧しい世界。いつか華麗な狂気の世界を、文字の上にもあらわしたいと、一枚、二枚、書きつづけています。戒めなくてはならないのは、視野が狭くひとりよがりになりがちなこと。現実の社会をよくみつめ、ディレッタンティズムに陥らないようにしなくてはと思っています」
 これは昭和四十八年、「アルカディアの夏」で第二十回小説現代新人賞を受賞した際に語った言葉であるという。こちらの小説は思春期の少女が主人公。彼女は母と自分の家庭教師だった男が関係を持っているのをしっている。そしてコノハズクを自室で放し飼いにし、鼠を生餌として与え、その鋭い嘴で皮膚に傷をつけられるのを求める。簡単な鍵をかけ、雨戸もあけない、掃除もしない、生臭い、鳥の糞尿まみれの密室という闇を母親は気付かない(気付きたくない)…。部屋は少女にとってアルカディアだった。気付いたのは、元家庭教師だった男だ。現実をみようとしない母親をせきたて、部屋を空ける…。このなかで、通常でいう日常というものはほとんどないのかもしれない。どこかしら、だれかしらゆがんでいる。娘の闇を見抜けない母、母親の恋人に恋心を抱きつつ、コノハズクをもらうために、同級生に身体を与える娘、そして母親の恋人のところに、パパと遊びに来る少女を、受け入れる男、彼らは闇を抱えている。そして闇を抱えた男が少女の闇をあばくのだ。楽園追放。部屋を開け放たれてしまった少女は、死のうかと迷ったがとりあえずそこから旅立つ。
 他の本の話になってしまったが、彼女のスタンスは一貫している。狂気という幻想と、それと対峙する現実。「現実の社会をよくみつめ」るのは、それは幻想と表裏一体だからだ。光が正しくなければ、影もまた正しくなくなるのだ。光が狭まれば、影もまた…。
 けれども、たまに必要以上に、現実が描かれすぎているものがある。気持ちはわかる。そうしないと、影のリアリティが薄れてしまうと思うのだ。いや、影は影のまま、濃くあるのだが、それをわかってもらえない、と。影を必要以上に腫れもののように扱ってしまう…。影と光、この表裏一体を表現しようとするとき、ことばは難しい。現実を書きこみすぎると、どうも逆に絵空事っぽくなってしまう。どこかで見たことがあるテレビドラマの設定のようだと思う。そこにリアリティーは希薄だ。
 現実を描きこみすぎてしまうのは、そうしないと狂気だとレッテルをはられてしまうから、と必要以上に身構えてしまう、ということはないだろうか。
 わたしは残念ながら(というと語弊はあるが)狂気を自分には感じていない。ただ幼いころから自身と世界の間に違和を感じている。他者を含めた世界と自身の間に、磁石の同極同士の反発のようなものを感じている。そしてそんなことは感じていない、そういうふりをしてずっと過ごしてきた。だから人々と過ごすととても疲れるのだ。疲れないのは、ほんの一部の、たいていはそのときどきの恋人か、あるいはおなじような異物感を背負っている人にだけだ…。異物は、自身が異物であることからくるのかもしれない。その異物が、他者という世界から、反発を生むのかもしれない。それが気のせいだとしても、どうしても、空気抵抗のような、空気が押し返してくるような感触をもってしまうのだ。わたしはこの異物感が狂気だとは思えない。だが狂気にどうしても惹かれてしまうのは、それもまた異物、影であるからだろう。
 そろそろ『少女外道』にもどろうか。表題作となった「少女外道」は、幼女のころから血に隠微かつ甘美な快感を感じる、戦前から平成を生きる五十過ぎの画家、久緒の話。美術学校に通っていた頃、自分と似た、繋がりを感じた阿星という日本画科の女学生が自殺した。「阿星が自殺したと知ったときから、血と傷を偏愛する自分を認めまいとしてきた。口蓋裂傷を〈聖痕〉と崇める阿星は、自分を狂死にまで追いつめた。狂うことが死より怖ろしくて、久雄は普通に生きようとつとめた」。
 影にひかれながら、影にのまれまいとする久緒。彼女と阿星は紙一重だ。そもそもこうしたことにほとんど違いはないのだ。幻想と現実には…。いや、それらは違いがある。だがその境界をまたぐのは思ったよりも難しくないのだ。なにせ表裏一体なのだから。問題は、現実に身体を置きながら、影をまたぐことなのだ。影でも夢でも幻想でも想像でも創造でもいい。それらは現実と繋がりながら、別のものたちなのか…。影にとりこまれないように。影ばかりでは人は生きることが出来ないから。つい、ここで残念ながら、とまた入れてしまいたくなるのだが。光と影があるように、影にも二面性がある。それは善悪や美醜をも含んでいるだろう。たとえば、だ。それでも影はぞっとするほど手招きだ。
 『少女外道』は、若いころの作者の作品よりも、淡々としている。奥にこもって、なりをひそめながらも、狂の闇が息づいている。好みもあるかもしれないが、わたしはこちらのほうがしっくりする。光と影は、ここではほとんどたがいを認め合っている。それはなれあうことではない。絵空事ではない、光と影の物語たちを、どこかしら痛く展開してゆく。現実でかわされた、なにげなさをよそおった会話が、彼らの闇をひきずっている。たとえば「巻鶴トサカの一週間」。遠い親戚の火葬の場に居合わせた遠い親戚同士の男女。女はエゴン・シーレと師であるクリムトを彷彿とさせるような絵を描く画家である。「死と表裏のエロス」の世界。男はそんな画家を若いころから知っていて、ずっと追っていた。親戚だとは知らなかった。火葬の場ではじめて知って、最初は落胆する。「画風から、もっとエキセントリックな女を彼は想像していた」のに、普通にあいさつをする親戚のおばさんだったからだ。けれども、女はさして有名でもない自分をどうして知っているのだろうと、ふと男に質問する。「笹尾玲のおっかけなんです、僕は」この何気ない言葉から闇があふれだしてくる。「それじゃ、生き辛いわね」「ええ」
 ここから名前まで変わる。女は親戚のおばさん、辛島苗子だったのが、笹尾玲になるのだ。本名が現実に根ざしているとしたら、画家としての名前は幻想の闇に根ざしている。だが、どちらもおなじひとつの肉体を持っている…。
 他に、わたしに個人的に驚いたのは、「少女外道」のこんな言葉だ。
 「──一日の終わりを世界の没落のように激越に感じるのは、あながち、幼かった自分だけではないのではないかと久緒が思うようになったのは、後にルドンやムンク、シーレなど、十九世紀から二十世紀初頭にかけての画家たちの絵を画集や美術展で見たことによる──。」
 これは、ほとんどわたしだった。そうして淡々とした描写で、夕景が赤い血になってゆく。ルドンやシーレの血だ。そこにはわたしの空の色もどこかで反映されていた。
 こんな世界と離れてしまうのか…。それはどこにでもあるといえばある。だが皆川博子という個性とは、しばらくおさらばだ。
 『少女外道』「隠り沼の」には、小さい頃、何らかの宗教団体の集まりに両親に連れていかれた少女が出てくる。彼女はまわりの子供たちとどこか違う。浮いている。教訓話のどこがいい話なのかわからない。知っている歌を歌えといわれ、周りの子が童謡などを歌っているのに、運転手がこっそり聞いているレコードから覚えた、やけに大人びた流行歌を歌ってしまう。
 ここにも、わたしは個人的に、自分の子供時代を重ねて、驚いたが、それはさておき、ここに、別の小説がでてきた。集まりの中で孤独な少女が窓をふと覗くと、操り人形が手招きしている。それが彼女が「はるか後年」読んだ(その当時は翻訳されていなかった)ポール・ギャリコの『七つの人形の恋物語』の世界だった。「孤独と絶望からセーヌに投身しようとしたムーシュ(蠅というあだ名)に、七つの人形が、かわるがわる話しかける」、そのことでムーシュは自殺を思いとどまる。はじまりはそんなだ。この小説に出てくる人形のようなものが、少女の覗く窓の外から救いのように現れる。だが、それはそれだけで終わり、現実の彼女は、母の激しい怒りにさらされ、どこかこわれたまま大人になってゆく…。幻想と現実の通路がどこかでこわれていたのか。
 『少女外道』を読み終わる前に、次に何を…とふと自室の本棚を見る。『七つの人形の恋物語』があった。いつか読もうと思いながら、中々手をつけずにいたまま、すっかり忘れていた本だ。操り人形の手招きのようだと思った。現実に手渡された本だった。幻想から、だろうか。わからない。本棚にあったことは現実だ。だが皆川博子の作中人物が託してくれた本だった。ページをめくる。一冊読んでしまう。今、次のポール・ギャリコを読んでいる途中だ。気に入りつつある。とくに『七つの…』は、やはり二つに分かれた世界たちの物語で、とても響いた。こうして、何かが手渡されていくのかもしれない。
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2010-09-05

「アールヌーヴォーのポスター芸術展」、有用と無用の間で仇花のつけた実


グスタフ・クリムト《第一回 ウィーン分離派展(検閲前)》(一八九八年)

 「アールヌーヴォーのポスター芸術展」 (京都からの巡回展、八月二十五日─九月六日、東京・松屋銀座、十一月二十七日─十二月二十六日、名古屋・松坂屋美術館)に行った。松屋銀座八階。少し時間があったので、ひとつ下の階の七階での美術画廊を先に見た。正式な名前は忘れた。西洋骨董市とか、そんな名前で、十九世紀〜二十世紀の陶磁器、ガラス、食器などを展示即売していた。ガレ、ドーム、ラリック。わたしの好きな彼らがいた。ただし展示即売なので、店員が寄ってきて解説や注釈をしてくるのに辟易したが。買うつもりはない。というより、独りでゆっくりみたいのだ。けれども、アール・ヌーヴォーのポスターと時代はほぼ重なる。展覧会の前に、空気を吸うにはぴったりだと思った。
 そして展覧会を催している八階の催事コーナーへ向かう。八階についたら、まず目に入ってきたのがビスクドール、次にアンティークジュエリー。ビスクドールは現代創作ものであったが、アール・ヌーヴォーの匂いをはなっている。歩をすすめると、アンティーク雑貨として、ビアズリーの版画、銀の食器、古い瓶、缶、十九世紀のヴィクトリアン様式の絵ハガキ、陶磁器、ゴブレット…。ここにも、あちこち、ガレ、ドーム、ラリックが売られている。「ヨーロッパ ヴィンテージ雑貨&創作作家フェア」として、いろんな店が出店していたのだった。その端、奥で展覧会が行われていた。遊園地のお化け屋敷のように、完全にしきられた、暗がりを秘めた空間、外からは見えない空間のなかで。だが、通常のミュージアムショップにあたるコーナーは、見えない空間の出口にあたる場所、八階の一番奥に、もう見えていた。というよりも、ヴィンテージ雑貨、ちょうどガレやラリックが置いてある店と隣り合わせの場所になっていて、しかもクリムトの「接吻」をプリントしたカップだの、ミュシャのポスターが確認できた(こちらは展覧会を観た後でゆっくりと思っているので、この時点では奥まではいっていない)。陸続きになっている、現代と世紀末近辺がこの場で混在している、あるいは展覧会に入る前から、とうに時間的錯覚のうずにひきこまれてあるようで、ここちよいめまいがあった。展覧会会場の入り口が、暗いトンネルを作って、端に見える。その暗さが、今いる明るさと地続きにあるようだったのだ。それはわたしのこのごろの関心からいえば、現実と想像、日常と非日常の地続き、雑貨市は、さらにそれを助長してくれるかけ橋といえるのだった。
 さて展覧会。チラシやHPなどから、ミュシャとロートレック、そしてクリムトがあるのは知っていたのだが、それ以外はあまり面白くないかもしれないと思っていた。
 展覧会から少し日が経ってからこれを書いているので、うろおぼえなのだが、最初はミュシャだったと記憶する。これは出迎えに、よく知られたものを、といった感じだったのではなかったか。《ジョブ》、髪の毛が煙草の煙になっているポスターだ。つぎにウィーン分離派展のポスター。クリムトが初代会長だったこの団体は、十九世紀末に主流だったウィーン造形芸術家組合から脱退して造ったもので、芸術と生活を一体させようという理想が、まさにポスターと響きあうものだ。あるいはイギリスのウィリアム・モリスらの運動と。
 で、まずはクリムトだ。《第1回 ウィーン分離派展》(一八九八年)の検閲前と検閲後として、二枚が並べて展示されている。画面の上四分の一で牛頭の怪物ミノタウロスと戦う裸身のテセウスが描かれている。下四分の一が文字で、中央の四分の二が空白のまま。ただし、今度は画面を縦に分割したとして、右三分の一、端に横向きのパラス・アテナが、テセウスを静かに見守るように描かれている。この中央の空白が、ぎりぎりのバランスだと思った。今でも空白はかなり目立つが、あと少しあったなら、もはや構図としてはくずれてしまうだろう。そしてあと少し、空白がたりなかったら、平凡な構図となってしまうだろう。もどかしいぐらいに何も描かれていないそこに、居心地が悪くなるようなのだが、絶妙の均衡がそうしむけるのだった。
 そしてパラス・アテナの円形の、ゴルゴンの顔である盾は大きく、彼女の上半身を全く隠している。女神の横顔が、まさしくクリムトの描く女性的で、そのことにまずひかれた。そしてあの金色の甲冑に身を包んだ、真正面を向けた顔の官能的であり、理知的である、前進と頽廃を兼ね備えた《パラス・アテナ》を想起するのだった。いや、想起するのはあたりまえだったらしい。家に帰って、《パラス・アテナ》について書かれた文章を読んでみると、この絵は“第一回ウィーン分離派展”に出品されていた、つまりポスターと同じ展覧会だったのだ。どちらもウィーン造形芸術家組合への皮肉が描かれてあるというが(ポスターではミノタウロスが、倒すべく旧体制として、《パラス・アテナ》では、盾のゴルゴンの顔が舌を出しているところ)、それは美であることと抵触していない。美でありながら、皮肉であるのだ。このことはポスターという芸術にもいえることではなかったか、などと思う。美でありつつ広告であるポスター。だが、このポスターは検閲前と後で、何が違うかといえば、検閲後では、テセウスの横向きの裸体の局部を樹木の枝のような、植物か昆布のようなもので、隠しているところ。これはもちろん仕方ないことなのだろうから(そうしないと展示できない)、検閲後のものは蛇足にみえる。このことのほうが幾分か美に瑕というほどではないが、それに近いものをつけている。ポスターの広告性や皮肉ではそれを感じなかったのに。
 実際はどうなのかよくわからないけれど、検閲前の本来の作品のほうは、ポスターとして使われることはもちろんなかったけれど、ウィーン分離派の機関紙『ヴェル・サクルム(聖なる春)』の表紙や宣伝に使われている。やはりこちらのほうが、クリムト、或いは彼らの意にあっていたのだろうと思う。
 クリムトはこのシリーズではもう一点、《第十八回 ウィーン分離派展》(一九〇三年)のポスターがあった。長細い、巨大なしおりのようなもので、上部の四角に、兜でおおわれた顔が、丁度銀杏の葉のように縁取りされていて、その中に葉のような目、葉のような唇がつけられているなど、かなりシンプルにデザインされたパラス・アテナ、画面の中央はまたもや絶妙の空白になっていて、下部に文字が書かれているといった構成。ここまでシンプルなパラス・アテナなのに、不思議なことにクリムトの作品だと一目でわかる。それがうれしかった。多分、これも均衡のたまものなのだろう。空白のバランスと、極限まで線と形にされたパラス・アテナ。
 《第四九回 ウィーン分離派展》(一九一八年)のポスターはエゴン・シーレだった。この回は、非会員たちの展覧会で、シーレも非会員だったという。L字型のテーブルを囲んで、椅子に座って本を読む人々。背景が暗いせいか、本を読むのでうつむいているせいか、どことなく暗い。ごつごつとした太い輪郭線で身体を描いているのがシーレらしくて、やけに気にかかる。Lの上部、画面奥に座っているのがシーレで、画面一番手前の椅子(遠近的に、一番大きく、目立っている)には誰も座っていないのだが、それは、この年に亡くなったクリムトの席であるという説もあるらしい。そうかもしれないと思う。画面をつつむ黒が、どことなく死を思わせる。目立つ空席の椅子というのも、年長の友人であったクリムトに向けられた敬意のようでもある。だが、それであってもなくても、どちらにしたって美なのだ。

エゴン・シーレ《第四九回 ウィーン分離派展》(一九一八年)

 ウィーン分離派の展示では、クリムト関係の展覧会で必ず眼にするコロマン・モーザーのほか、知らない画家たちの展示も多く、興味深かった。次のコーナーは、「市民生活の夢とポスター機廖兵腓鳳薹爐覆鼻法続いて兇痢幣ι淵櫂好拭次砲任△襪、こちらもロートレックやミュシャ、シェレ(彼が石版画ポスターをパリで広めたこともあり、近代ポスターの父と呼ばれている)のほか、本邦初公開、はじめてみる名前が沢山あった。これらも含めて、展示されたポスターたちはまさしく美だった。サロン・デ・サン、劇場、演劇、展覧会のポスターたちなら、それもある意味当然だろう。それらは美の場所だからだ。本の宣伝、表紙、そして雑誌、印刷会社のそれも、近しいだろう。まさしく花のような女性たちが、舞うように描かれている。散りゆくまえのさんざめきだ。だが、ガスランプ、水道会社、宝くじ、海上輸送、テニス、自動販売機、牛乳、マスタード、自転車、こうなると、もう美と生活という対峙よりも、美と宣伝、という対峙があるはずだが、それでもこれらはまぎれもなく美である。それがどうしても実感としてわからない。美と日常が蜜月を送っているのだ。美が生活と可能な限り連動している、宣伝とすら結びついていられる、この状態というのが、なぜ起こりえたのかがわからない。ここいらの当時の状態を、なるべくかいつまんで、ここに記しておく。


スタンラン《ヴァンジャンヌの殺菌牛乳》(一八九四年)

 先にちらっと書いたが、十九世紀半ば、リトグラフ(石版画)技術の発達により、多色刷りのポスターが容易にできるようになった。時は、産業革命による機械化、資本主義による市民社会の成熟、市民の娯楽の多様化といった頃。<大量生産による新しい商品、製品が市場にあふれ、宣伝の必要性が増大したこと>、<大衆社会の出現と(…)これにともなう大衆文化の出現>、これらがポスターを必要とした。そこまではわかる。だが、なぜそれが美なのか。それにはウイリアム・モリスやウィーン分離派の<生活の美化、生活と一体化した芸術>的志向が、関わってきただろう。ハイ・アートという高尚なもの、とマイナー・アート(小芸術)の壁を取り払うこと。美と生活という壁を取り払うこと。<アール・ヌーヴォーとはこうした“有用な美術”の理念から生まれたものであり、そこで求められたのは一部の趣味人が楽しむような“書斎的”な芸術ではなく、日常生活に密着した芸術であった。(…)ポスターとアール・ヌーヴォーとの接点があるとすれば、この点である。>ポスターは<巷の芸術>、街角の芸術だからだ。
 だが、生活の中の美、タペストリーや食器と違う点は、同じ用の美でも、ポスターは<特定の目的に奉仕し、最大限の宣伝効果を挙げる>という枷があることだ。これはかなしい枷でもある。展覧会に行ったすぐ後の放映のNHK『日曜美術館』「ポスター誕生 パリジャンの心を盗め!」(八月二十九日、再放送九月五日)では、ポスター芸術はアール・ヌーヴォーの終焉というよりも、宣伝効果をあげるというまさにそのことで、第一次世界大戦時に戦意高揚、プロパガンダとして使われたことで、ほぼ終わりを告げていると紹介されていた。(< >内は図版カタログ、千足伸行「ポスター:ビルボードから“芸術”へ」より)
 わたしがわからないといっているのは、体感ができない、実感がわかないからかもしれない。今の宣伝物はどうだろうか。一生懸命に見れば、良さがわかるのかもしれないが、現在の街のポスターには、ほとんど美は感じられない。日曜美術館では現在のポスターについても語られており、仕事としては興味深かったけれども(商品を宣伝するための効果的なデザイン)、わたしの求める美とは離れている。
 わからないなりに世紀末近辺をここでさらにうろついてみる。ポスターが美として輝いていたのは、アール・ヌーヴォー、アール・デコの期間、一八八〇年代から一九二〇年代代位までであろう。例えば今回の展覧会は、その黄金期のポスターを多く所有するチェコ国立プラハ工芸館、チェコ国立モラヴィア・ギャラリー所蔵のものだというが、美術館が収蔵するということ自体、考えてみれば奇妙なことである。ポスター黄金期は期間にして四十年。終わりをつげたきっかけはさきに書いたプロパガンダだったろう。だが有用の美ということにも限界があったのだ。残念ながら。生活のなかに美はなくてはならない。だが、それは生活となれあうことができないのだ。それは生活にうがたれた異国であるかもしれない。
 わからないなりに、わたしがアール・ヌーヴォー、世紀末、このあたりにもうずっと惹かれ続けている理由のほうは、ふっとわかった気がした。日常と非日常、現実と想像、幻想…わたしはこのふたつの空間のなかでいったりきたりしている。いや、そうではない。日常はこわいぐらいにわたしを埋没させようとする。それに抗うためにそうでないものを絶対的に必要としている。それは対立するものなのだろうか。いや、夕景にはいつだって美がある。駐輪場のフェンスにほとんど雑草のように咲いている朝顔にも。だがわたしは人との関わりに美を感じるだろうか…。それは幻想を通じた他者との関わりであるのなら…。わたしのなかで、生活のなかの美というのは絶対に必要であるけれど、それはどこかで乖離している。世紀末という時代は、おそらくそんなわたしの眼に、そうとは自覚していなかったのだが、生活と美が蜜月を送っているように見えていたのだったし、今でもそう見えているのだ。<生活と一体化した芸術>、<日常生活に密着した芸術>。それだけではないだろう。ラリックやガレ、ミュシャやロートレックに惹かれるのはそうだろう。ではモネ、アンリ・ルソー、ピロスマニ、クリムト、ルドン、モロー、あるいはクノップフなど有用の美と対極にあったという象徴派の彼らに惹かれるのは?…。有用の美と、無用の美…だが、多分日常と芸術、それらの融合を目指した人々と、それらの乖離をどうしたって気付いてしまう人々、彼らは実はとても近しい場所にいるのだ。なぜなら、わたしがこの融合を求めながら、乖離にも気付いているから、この間にほぼ宙ぶらりんになって、どこかでしびれたままである。ピロスマニは店の看板などを書いて歩いていたが、有用の美である。だが、彼はどうしたって、どこかで引き裂かれていたはずだ。
 あるいは、そんなわたしにいちばん親しげに映るのがあの時代だからなのか…。
 展覧会会場のおわりのほうで、ビデオ上映を見せるコーナーがあった。ポスター全盛期に造られたポスターを掲示する円筒形の装置が、今でも使われている。そこに貼られた現代のファッション雑誌などの写真を使ったポスターが、ミュシャやシェレなどのポスターに切り替えられる。街のほかの風景は現代のままだ。今だって遜色ない…それは美としてはそうだ。だが有用の美としては違和感だ。あるいは時代のずれもあるかもしれないが、街に貼られたポスターとしては、違和がある。そのことがわずかにさびしかった。
 図録は、強くひっぱると一枚ずつはがれるようになっている。小さなポスターたち。これは楽しい。宝物たちだ。だがわたしははがさないだろうけれど。
 ポスターは日常に咲いた、実をつけない仇花であるかもしれない。有用の美が無用の美になってゆく。いや、その狭間でさんざめいている。実をつけないことがまぎれもなく美なのだ。仇花のつけた実がただれそうにたわわになっている。
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