Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2010-12-25

見えない旅の入り口…(映画ノルウェイの森)

 映画『ノルウェイの森』。期待を裏切らなかった。なぜなら期待していかなかったから。わたしが出かけたのは村上春樹に敬意を表してだ。あるいは小説『ノルウェイの森』に敬意を表してだ。これはわたしにとって大切な作品だから。思い出す度に悲しくなるシーンがいくつもある。小説が好きだというのなら、そのためにだけでも行くべきだ。脚色ではなく変奏曲(オマージュ)を、とディドロの『ジャックとその主人』を劇作するにあたり、ミラン・クンデラは言った。『ノルウェイの森』はあらすじをなぞっただけ、脚色もなかったかもしれない。だが原作のある映画で、原作と同じかそれ以上だと思ったものは殆どない。『ゴッド・ファーザー』(こちらは映画のほうが良かった。だがそれでも原作のないパート3は、まったくひどい代物だった)、『太陽がいっぱい』、『惑星ソラリス』、『贖罪』、『めぐりあう朝』。ぱっとおもいつくのはこんなところだ。そういえばミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』と『ノルウェイの森』は、映画を観終わったあとの印象が似ていた。映画という時間を考えればある程度は仕方がないが、エピソードをはしょっているから、登場人物がどうしてあんな行動をするのか、わからない。かれらに共鳴できない。わたしは『ノルウェイの森』の永沢さんが好きだった。主人公ワタナベの、大学時代の唯一の友。傲慢な彼とやさしいワタナベとはじつはよく似ている。ネガとポジのような双子なのだ。永沢自身もそう言っている。だから彼もワタナベとだけはつきあうのだ。映画は彼らのその関係がまったくわからない。だからただ永沢さんはほとんど傲慢なだけの男で終わっている。ワタナベと直子との関係、緑との関係も、エピソードが少ないというよりも、大切な何か、その関係がわかるようなエピソードをつかっていないから、やはり彼らがどうしてこういう行動にでるのかわからない。いや、行動は予測不可能なものだけれど、感情移入できないのだ。直子と緑もまたポジとネガなのだ。直子が死に近いとしたら緑は生に近い。「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」。これは小説の中の言葉だが、ワタナベは生と死の境に立ちながら、生のほうへ向かうのだ。映画ではレイコさんのエピソード(過去、傷)も殆どないから、これもなぜ最後にワタナベと寝るのか、必然性がわからない。レイコさんも境に立つ人だから、つまり彼らはその意味では似ている、そうした二人が死から生へ振り子をほんの少し揺らして生きるための必然として、寝るということもあるのだが、あるいは直子という共通項のためにということもあるだろう、そうした背景がまったく見えないので、ただワタナベ君はだれとでも寝る男とうつってもしかたがないのだった。
 映画の中の景色たちもふしぎとわたしにひびかなかった。日本海や兵庫県の砥峰高原、行けば素晴らしいところだとは思うのだけれど、そしてとくに高原には行ってみたいとは思ったが(ススキに風がざわめく、雪原のやりきれなさ)、映像としての美しさがつたわってこなかった。それは映画全体をつうじての感想に似ていた。登場人物のだれも、その良さがつたわってこない。だが、ほんとうはそうじゃない、彼らをよく知っているとはもちろん、いわない。それこそおこがましいだろう。だが、彼らはすくなくとも、こんなことをいったし、あんなこともしたんだと、わたしは小説で知っている…。小説のあらすじをなぞっただけ…、けれども失望はなかった。傲慢かもしれないが、映画は多分こんなものだろうと思っていたから。
 悪口ばかりでは申し訳ないので、そうでないところを。配役はわたし的にはほぼイメージ通りだった。ワタナベ君、永沢さん、永沢さんの恋人のハツミさん、直子…。緑もしゃべらなければ。彼女はセリフの棒読みが気になった。
 そして、それでも映画館で映画を観るのはひさしぶりだったから、上映終了後、頭がぼうっとして心地よかった。映画は映画館で見るべきです。そうわたしに教えてくれた人のこと、遠い昔のことを思い出す。自分が映画の登場人物になったような宙にういた気分。ただ、感動した映画とかだと、自分が主人公など(男女の区別がない)とだぶるのだが、今回はそうではないので、なにか自分が自分の映画のなかにはいったようだった。バッグのなかからたくさんの指輪をはめた手が定期入れを取る。その指の動きを画面で見ているみたいな錯覚があった。最近通っていない道から駅へ向かう。青いイルミネーションで飾られた街路樹たちの、クリスマスツリーたちのつくる青い街。それはどこか現実ばなれしており、わたしの足取りにふさわしいものだった。同時に、映画の時代が一九六七年〜六八年だったからだろう。正確には数年かそこいらのずれがあるだろうが、たとえば寺山修司が描いた新宿の街の描写、デモがあったり、新宿の母(占い)がいたり、スタジオアルタが二幸だった頃の、新宿の街をひさしぶりに思い出してみた。それはわたしの幼年時代への記憶にもつながる。小さいわたしは親に連れられてよく新宿に出かけていたから。寺山修司の新宿と、わたしの過去の新宿が、現在の新宿、特に青いツリーとまぜこぜになって、駅へ向かいながら、わたしはそんな映画を観ているようだった。観ながらにして出演者として演技している…まぜこぜのまま歩いていたのだ。
 いつもの最寄り駅の駐輪場。もう十時近く、夜の張り詰めるような冷たさが、駅前にも拘らず、森閑とさせていた。自転車は159、イコクにとめてある。駅に近いほうが1番で、異国までは若干歩く。わたしは今日も異国へ向かうのだ、と思う。そして異国へたどり着くまで、まだ映画のなかにいた。人はまったくいなかった。広い駐輪場にわたしひとりだった。異国に置いてある自転車が、一点遠近法的に、三角の頂点にあるように感じられた。夜のなかで、それは手招きのようにそこで待っていた。
 異国にあった自転車の鍵をあけ、乗る。冷たい風が澄んでいた。住宅街がひっそりとしている。ここでもわたしはひとりだった。小津安二郎の映画で、原節子が自転車をこぐシーンがあったなとぼんやりと思う。映画の彼女の風をきる感触と、わたしの風が重なる。また高台の公園まで帰ってきた。坂の下が、木の間ごしに夜景となって広がる。もっと絢爛だったけれど、この光景は、神戸の六甲の中腹から観た景色を思い出させるなと、いつも思う。あそこではうっそうとおいしげる木々の間から、街がすぐ広がっているのだ。そのすぐ向こうには海。海と街と山がおどろくほど近い。生と死が近いように。海と山が生死で、その間の街がそれをつなぐ何か、人であるような。(そういえば村上春樹は神戸にゆかりがあるのではなかったか)
 映画を観ることは、旅行のようだとも思った。ひとり旅行に出かけたのだ。それはわたしへの旅行だった。わたしという物語、わたしという映画への旅だった。街が、夜が、異国として、同時に映画としてわたしにやってくる。わたしへの旅。だれもいない、けれどもわたしだけは存分にいる、郷愁をふくんだ、わたしへの。
 翌朝になると、さすがに旅の印象はだいぶ薄れていた。けれども、この時期の澄んだ空気のなかでだけ見える富士の山が、くもり空のために見えない。「あるはずのものが見えない」、そうつぶやく。それは現実感がない、というよりも映画の続きへの入り口を照らす言葉のようだった。あるいは旅への。あるはずのものが見えない。だがそれはいつでもそこにあるのだ。
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2010-12-15

モネとジヴェルニーの画家たち展、虚像と実像、木立ちに絡まる睡蓮の花



 「モネとジヴェルニーの画家たち」展に行った。十二月七日〜二〇一一年二月十七日、Bunkamuraザ・ミュージアム。金曜・土曜は夜九時まで開いているというので金曜に。美術館は地下一階だが、一階の入り口付近には、花屋、雑貨屋などがある。花屋にはモネの庭をイメージしたブリザードフラワーが売られていて、どこかほほえましく思い、たちどまったが、一階でのお目当ては雑貨屋のほう。こちらは絵画のポストカードやアート小物というのだろうか、ダリやゴッホの人形、紙製のステレオビューワー(眼の位置に開いた穴から中を覗くと絵画が立体的に見える)、ドイツかどこかの木製の玩具、ビクトリア朝風のステーショナリーなどが売られている。こうした小物たちは遊びと懐かしさにみちている。この場合の懐かしさとは、ぬくもりという意味だ。ステレオビューワーでゴッホやブリューゲル、北斎、モネ、ドガの踊り子などを見る(覗く)。乱歩が描いたのぞきからくりとはこんなだっただろうか、箱をのぞくとフランスがあった(らしい)とか、そんなことを思い出す。こうした雑貨をみるのはいつでもたのしい。
 その日はクリスマス関連の小物が多く売られていた。オーナメント、くるみ割り人形、クリスマスカード、クリスマス・ピラミッド(四隅に蝋燭を立て、その火で温まった空気でプロペラをまわし、人形たちを動かす木製の玩具)…。ナティヴィティというのだろうか、キリスト降誕をあらわしたカード、置物、オルゴール。馬、マリア、キリスト、ヨハネ、羊飼い、天使、三博士…。
 雑貨を見る楽しみと関連してだが、クリスマスのこうした小物たちを見るのが、いつからかわたしにとっては特別なものとなっていった。楽しみというよりもなお重たい。クリスマスになると、好きな雑貨たちがいつもよりも多くでまわるから、ということもあるだろうが(ビクトリア朝のクリスマスカードをモチーフにしたコースターなど)、やはりクリスマスがすきなのかもしれない。そこには寂しさのまじった、子供時代の思い出が作用しているかもしれないし、冬のさむさのなかで、ふっと息をつく温かさであるように感じられるからかもしれない。木々もだいぶ葉を落とし、街は紅葉の華やかさからも遠ざかってゆく。そんななかでクリスマスの飾りつけや、おもちゃ、ポインセチアやツリー、リースの鮮やかな色合いは、冬に咲いた明るさのように街街を彩っている。
 ずいぶん前から少しずつではあるがクリスマスの雑貨を集めている。半分に割ったくるみのなかにヨハネとマリアと籠にはいった幼子キリストというナティヴィテイ、ペルー製の5センチ位の木の家でできたナティヴィテイ、ヨハネ、マリア、天使、羊と馬。古いクリスマスカードの図柄のコースター、丸い小さなホーロー、スノードーム。そうだ、そういえばスノードームのガラスのなかにこめられた世界が好きだ。これは物ごころつく前から好きだった気がする。ここにありながら、手のとどかない夢の場所。それだけで充足している場所。水のなかで雪が舞う。だが、雪を舞わせるためには、わたしの手が必要なのだ。そうやって関わることができる。そうしてそれを見ることで。それだけが関わりだ。
 連れと待ち合わせをしていたが、なかなかこないので、この雑貨屋にずいぶんいた。マッチ箱のかたちをしていて、あけると小さな街がでてくる。オルゴールになっており、曲が流れると、雪に覆われた街が回り始める。クリスマス・ツリーを中心にして、馬車が動き、犬や人も歩く。曲とともに街が活気づくのだ。オルゴールのねじを回す。マッチ箱をひらく。そうすると街がわたしにあらわれてくれる。こちらもその世界は完結しているかもしれない。だが水で閉ざされていないぶん、世界はわたしに近しくうつった。連れがやってきたので、クリスマス・プレゼントとして買ってもらった。これを書いている今、まだ手元にない。連れが持ったままだ。クリスマスにプレゼントしてもらうのだ。
 さて展覧会。概要は「クロード・モネが晩年に移り住みアトリエを構えたジヴェルニーは、パリから西に約八〇キロほどのセーヌ川の右岸にある風光明媚な小さな村。モネの噂を聞きつけて一八八〇年代半ばにやってきたアメリカ人画家たちの滞在をきっかけに、芸術家のコロニーが形成されました。(…)それはまたアメリカ印象派誕生の軌跡でもありました。(…)本展はモネの作品に加え、日本で殆ど紹介されることのなかったアメリカ人画家の油彩、約七十五点で構成されます。」(HPより)といったもの。モネの作品はおおよそ十四点。
 わたしとしてはモネ以外の絵には対して興をもつことがないだろうと思っていた。ただモネが見られればいいと。実際はどうだったか。「第一章、周辺の風景」として、展覧会の会場、入り口すぐのウィラード・レロイ・メトカーフの一連のジヴェルニー付近を描いた作品にすこしざわめいた。だが、それは水を描いていたからかもしれない。わたしはどうしてこんなに水がすきなのだろう? と会場でも自問していた。そしてこのざわめきは、わたしが公園や庭園で緑や池に出合ったときのざわめきに近いと思った。それは絵としてではなく、風景に対するざわめきだったと思う。ジヴェルニーという土地に対するなにかだったのかもしれない。ああ、こんな光景を野川公園で見たな、三丁目緑地で見たなと、わたしは思い出していた…。特に五月頃、緑たちが一番鮮やかな頃。ジョン・レスリー・ブックの積みわらの習作として、同じ構図で時間や日時が違うものが十二点展示されていた。空の雲のちがい、積み藁の影の出方の違いが眼をひいた。「どれもさんざん目にしてきた。(…)だがそういう考え方は、それらの事物が刻一刻変わるものだという事実を見落としている。光の強さや角度によって、物はつねに姿を変える。(…)さらに重要なことに、同じ煉瓦でさえ、決して同じではない。(…)煉瓦は少しずつ崩壊していく。(…)すべての生物は死につつある。(…)分子たちの激しく狂おしい運動、物質のたえざる爆発、さまざまな衝突、すべての物の表面下で煮えたぎる混沌」(ポール・オースター『ムーン・パレス』柴田元幸訳)。それはわたしにこの言葉を思い出させてくれた、そうして冬になり、家のベランダや富士見橋の上、崖の上からよく見られるようになった富士の姿を想い浮かべた。夕方の富士、ほとんどかすんだ富士、快晴の日のはっきりとした富士…。つまりこれらの絵はそうしたものを思い出させてはくれたのだが、それだけだったような気もする。あるいはそれも感動だったのだろうか。たしかになにかが動いたのだから。
 モネは第一章と二章(村の暮らし)の間、「ジヴェルニーのモネ」と、四章(ジヴェルニー・グループ)の後の「〈睡蓮〉の習作」にまとめて展示されていた。数点見て、心が動いた最初はポーラ美術館所蔵の《ジヴェルニーの冬》(一八八五年)。高台から一面の雪景色、冬木立ち、丘やふもとの家、教会がちいさく描かれている。空はうすぐもりなのか、暮れが近いのか、さまざまな色を内包していて、それが雪と呼応している。雪も一面の白ではないのだ。わずかに青みがかり、茶いろだったり、桃色だったり。雪景色は鮮やかなのだ。そこは光と時間によってさまざまな色彩をもったものなのだ。この多様性にひかれていた、彼の色彩がふるえるようにやってきた。それは終わりに近づいていただろう。それは運動の凝縮そのものだった。そしてたぶんそこから春ははじまるのだ。


 次は《ジヴェルニー付近のセーヌ河》(一八九四年、上原近代美術館)。画面の下半分が川面で、上半分は岸、空、木立ちなどが描かれている。時間はやはり夕方かもしれない。淡い桃色や茶褐色、えんじ色などがうっすらとでありながら、おおむねの基調をなしている。川面に岸や空や木立ちが反映している。この水にくぎ付けになった。それは空と木々を、空気や時間をふくんだ水だった。それを描く画家の目をもひたした水だった。それを見つめるわたしの目をあらう水だった。あるいはわたしの水すらそこにあったような気がしたのかもしれない。この絵の前から去りがたかった。川がわたしにそそいでいた。その川をいつまでも感じていたかったのだ。


 そして連作である《積みわら(日没)》(一八九一年)の一枚。川面のように、画面右半分を占めた積みわらは、夕焼けの空を反映しているようだった。積みわらが空のように夕焼けに染まっていたのだ。空を吸い取った絵筆のような藁だった。黄色、橙、桃色、肌色の空、そして刈り取られたばかりの大地もまた、空を映して夕景だった。この夕景がとてつもなく目にしみた。


 今回、睡蓮たちの中では《睡蓮、水の光景》(一九〇七年、ワズアース・アシニアム美術館、二月七日までの展示)が印象に残った。水面しか描かれていないのだが、反映として空と木立ちが見える。反映の上に睡蓮の葉と花たち。木立ちの上に睡蓮、空の上に睡蓮。こう書いただけだとありえない組み合わせが、見ていても違和をもたらす。空に咲く睡蓮、木立ちにからまる睡蓮の葉。この違和がここちよかった。水はすべてを映す。ということは違和をもまた内包するのだ。
 図録を購入しなかったので、うろおぼえなのだが、この絵のキャプションに、虚像と実像、時間、空、すべてが水に映っている、といったことが書かれていた。虚像と実像、空想と現実。モネの描くものと、モネの描いたもの。それは想像と現実の接点を差し出してくれる貴重な瞬間だった。いわば接点を反映した水として、わたしをひたすのだった。

 今、これを書く合間にスノードームを手にとって見た。ゆれる水、そこでとじている水。だが揺らすだけでなく、指をガラス越しに映しこむこともできる。指の手前に雪が舞う。指を背景にしてもみの木が、雪だるまが存在する。虚像と実像、空想と現実。クリスマスは空想がほんの少しだけ、いつもより街にあふれてみえる、そんなこともクリスマスにひかれる理由のひとつかもしれない。
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2010-12-05

昼が夜をのみこむまえに、まじないをする



 昼の仕事を食べるためだけのものだとは多分思っていない。それは傲慢というものだろう。とは、この頃になってようやく思えるようになった。若いころは詩を書くことだけが本当の仕事だと思っていた。実際の仕事を軽視していた。二の次だった。今も昼と夜(という創作の時間)のあいだで、均衡はとれていない。
 だから昼のことがどうしても書けない。というよりも、夜に昼のことを思い出すのがいやなのだ。昼がわたしをのみこんでしまいそうになる。忙しく、連夜のように終電で帰ってくる。昼が夜を侵食する。夢にまででてくる。時間がもったいないと思う。傲慢だろうがなんだろうが仕方ない。夜をもたなければいけない。真昼に夜を。…という日々がしばらく続いた。今は小康状態。夜を浮上させるために、こころをならしている。
 朝、駅まで自転車でむかう。愛着のある公園をとおる(この公園も遠回りになるので、昼が忙しいときは、ほんの少しの朝の睡眠のために断念していた)、冬になり、鴨たちが池にふえてきた。通年見かけるカルガモ(彼らは留鳥で、渡らない)の他にマガモたちが休みにきている。よくわからないけれども、すぐ近くの野川にいるよりも、野川から水を引き込んでいる人工の池である、こちらのほうがおそらく居心地がいいのだと思う。冬になり、ずいぶんと密集している。温泉地の入浴のように。川にはこれほどまでにはいない。

(写真は、薬師池公園にて)

 わたしは鴨や家鴨をみるのが昔から好きだった。毎朝、野川か池でカルガモを探す。一羽でも見つけられたら、今日はいい日になるのではないか、縁起がいいのではないか、とつい思ってしまう。いつからか彼らはわたしにとってまじないのような存在にもなった。雨の日以外はたいていどちらかで見つかる。見つからない日は、コサギか鯉を見たらいいことにする。鯉は野川だ。普段は浅い川なので、鯉の背びれが水面から出ているのがみえる。それがうっすらと波紋をひろげて泳ぐ姿をながめる。川がおそらく、このときいつもよりもわたしにかかわってきてくれるのだろう。
 桜やモミジの紅葉に眼が行く。藤の木も黄色に色づいているということにはじめて気付いた。この頃はブナやナラなどの落ち葉がおびただしい。自転車で、ワシャワシャと踏んでゆく。枯れた感触がやわらかい。雨がふるともうすこし重い。わずかにねばつくような感触だ。
 だがこれらに、なかなかこころがひらかない。ふだんなら、もっと痛いぐらいに何かを無言のままかたりかけてくれるのだ。昼がおそらくまだくらいついたままなのだ。ゆっくりと、ここからのがれなければならない。
 まじないといえば、公園や野川をすぎて駅にむかうために坂をのぼる。病院坂だ。坂は三丁目緑地というこれも公園になっているところに面しているが(前に書いたような気がする)、坂をのぼりきって、横の公園に入り、坂下のほうを見ると、竹藪の下に湧水が見える。銀の色をして流れている。これも毎朝かならず見るようにしている。冬になり、下草が枯れてきたせいだろう、銀の流れが見える範囲が広がってきた。それがすこしうれしい。銀のながれをみながらこころを銀に集中していないといけない。昼の仕事のことに気を取られてしまうことが多々あった。そのまま時間がないので、自転車でゆきすぎる。そうすると流れにすまないような気がしたものだ。同時に自身がふがいなかった。
 まじないというのだろうか、ジンクスというのだろうか。すこしちがうかもしれない。それは彼らにふれるための作法だ。かれらと接することを、夜へのように欲している、そのことと関係している。自転車置き場は六列あり、各列1から250位まで数字が並んでいる。そのうち1列目は、時間貸の駐輪で、あとは月極である。月極のほうで、わたしが使うのは159(異国)。数字が若いほうが駅に近く、便利といえば便利なこともあり、あいていれば105(入れ子)。だが雨の日以外、入れ子は開いていないので、圧倒的に異国に停めることが多い。数字をみながら、わたしは異国にいるのだ、異国にいながらにしてここにいるのだ、アンリ・ルソーを思い出したりしながら、つぶやいている。これもジンクスというよりも、夜を欲する行動だろう。のまれないために。


 ここ二週ほど、夜に戻るてっとりばやい方法のひとつ、絵を見に行くことがなかった。昼にのまれすぎていると、活字を追う頭もにぶくなってしまう。絵のほうがわたしを救い出してくれるのだ。あるいは眼からはいるものが。先週は、町田の薬師池公園に紅葉を見に行った。はじめてゆく公園だった。池、鴨、家鴨、そして紅葉たち。個々をとればはじめてみるものではないが、新鮮なやわらかさが、色づいた葉、鴨、家鴨たち、鯉、波紋、風の音、いちいち感じた。色彩となって、わたしにさわってくるのだ。そして二週目。何かないだろうかとネットで美術館スケジュールをふっと検索していたら、「東京都埋蔵文化財センター」(http://www.tef.or.jp/maibun/)を見つける。多摩センター駅にあるここは、多摩ニュータウンから発掘された遺跡(おもに縄文時代)を保存、展示するところで、遺跡庭園として「縄文の庭」も併設されているとある。多摩センターは車だと家からさほど離れていないとのこと、土曜日に出かけてきた。
 常設展示で、旧石器、縄文前期から弥生、平安、近世にいたるまでを、発掘された出土品で解説、紹介している。なかでも縄文。黒曜石の矢じり、土器、土偶、弓、貝などの食べ物…。土器の破片や貝(ハマグリなど)、黒曜石は実際にさわれるものもある。縄文時代のスコップ、土をほる道具もあり、土掘り体験もできた。土器の模様、土偶の表情、これらにあうとほっとする。それはわたしのまじないにつうじる何かだが、かれらのほうがもっと厳粛な祈りだ。思いに満ちた慈しみだ。過酷な環境のなかで? わからないが真摯な思いから生まれた何かだろうと思う。土器の模様が夜そのものだった。あるいは昼と夜が共存している。土器のかけらに触れたことがうれしい。それはやさしい感触があった。ちからをもらえるぬくもりがあった。
 展示スペース以外に、粘土板があり、縄や貝、棒で、土器の模様を自分で作れるコーナー、板と棒と紐でつくられた火起こしの器具(これも体験していい)、自由に着てよい縄文時代の服、丸い石でドングリなどを砕いて粉にできるコーナーなどがあり、体験もほほえましく楽しかった。遺跡庭園でとれた木の実(くるみ)もくれた。さわると土器のようなやさしさがあった。


 併設した遺跡庭園では、敷石住居、竪穴住居が三つ、復元されている。庭園内の森は、縄文当時にこの場所に生えていたであろうクヌギ、コナラ、トチノキ、クリ、クルミなどを植えてこちらも再現している。住居の一棟のなかでたき火をしていた。ほかにここでは火起こし体験、土器の野焼き体験なども行っているらしい。秋、というか冬の日射しのなかで、萱の屋根が、まわりの木々と呼吸しあって、たたずんでいたのが心地よい。
 帰り道に、買い物の途中で寄った駐車場からみた紅葉(黄葉と書くべきかもしれない)がずいぶんと痛かった。日暮れに近い頃で、かたむいた日射しと、黄色く色づいた木のコントラストが絶妙だった。それはこの時間、この瞬間にしか姿を見せない色たちだった。なんという木だかしらない。カメラでおさめようと思ったが、それよりもその色をみたかったので、目にとどめるだけにしておいた。買い物を終えて駐車場に戻ると、もうその色の祭りは終わっていた。残念であったけれど、黄色い痛みを感じられたことはそれでも力だった。夜がこんなふうに少しずつ戻ってきてくれているのだ。


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