Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2011-02-25

孤独な言葉と絵が、モノ達に近づく夢(シュルレアリスム展、『絵画を読む』他)

 『イメージを読む』に引き続いて、若桑みどり『絵画を読む』(NHKブックス)を読んでいる。こちらもイコノロジー入門と副題があり、読みやすいながらも、絵を見つめるための、真摯さに満ちた内容になっている。本文は十二章に分かれ、十二枚の絵を取り上げているのだが、口絵にそれぞれのカラー図版が載っており、イメージしやすい。
 だが、ここからすこしそれて、印象に残った箇所を挙げてみたい。
 芸術を作る人が、頭で考える等を軽蔑し、知識で創造するものではないという考えに対して、「イメージについての知識は、創造性を増すものである。過去のイメージは創造のための無尽蔵の宝庫である。なぜならば、それらはみな人間の想像力が生み出したものだからだ。」とある。
 これは詩を読むこと、そして書くことにつながる話だ。知ることは、創造をあとおししてくれるはずのものだからだ。
 そして、西洋、ラテン語で書かれた聖書(俗語訳は長らく禁止されていた)を読めない一般人への布教活動として、宗教画は絵解きとして重要な役割を果たしていたのだが、それに関して、ドメニコ会修道士ミケーレ・ダ・カルカーノの説話集から、「聖人たちの物語について耳で聞いても信仰心の湧かない人であっても、絵のなかで実際に存在するかのような姿を見ると心を動かされるだろう。というのも、われわれの感情は、聞いたことよりも見たものによって湧き起こるからである。」とあった。これについて本文ではさらに「文字や言葉よりもイメージのほうが感情移入しやすい。(…)実際の映像を見るほうがはるかに恐怖を感じる(…)理性ばかりではなく、感情を動かす、というまさにそこにイメージの力がある」と続けられる。
 言葉よりも映像のほうが心が動く…。これに関しては、言葉をあつかう者としては、簡単に、はいと頷いてはいけないだろう。わたしは言葉による感情の動き、心のざわめきを信じているし、実際に体験している。だが言葉を読むのにかかる時間よりも、映像のほうが短いことも事実だ。絵ならば数秒で、心が動かされることがある。
 そうして、わたしは思いいたるのだ。一月二十五日の日記に、美術館で絵を観ることで、日常のもたらすヒダ的な無感動の状態から、詩のほうへ立ち帰ってくるということを書いている。それについて、言葉はそんなヒダのなかでも、書き続けていたが、それにより、日常に近しくなっていること、そして美術館に出かけること自体が、日常ではない、旅に似ているとも書いているが、それだけではないのだった。絵は、それを前にした瞬間、わたしの心を動かすからだったのだ。静謐さではあるのだが、それは一瞬の暴力だ。そうしてわたしは言葉にもどってゆく。それは自分が書く言葉に戻るだけではない。彼らの書いた、様々な言葉の海へ、泳ぎにゆく力をもらうのだ。言葉を観る。言葉をそして感じる。言葉による感動には、多分、絵よりも自分がよりふかく介在しているかもしれない。観ると感じるの間に、自分という繋ぎ手がいる。そこからなにがしかのイメージを浮かべることで、共鳴するから。言葉に自分の言葉に似た何か、イメージをたゆたわせることで、感じるから。絵は見られるものとして、もはやイメージを差し出している、その場で感じるもの、という面がある。もしかすると、言葉による感動のほうが長く残るかもしれない。苦労したもののほうが忘れないように。だが、どちらかに優劣をつけているわけではない。どちらも真底必要なのだ。

 「シュルレアリスム展─パリ・ポンピドゥセンター所蔵作品による─」(二〇一一年二月九日─五月九日、国立新美術館)に行く。
 『アンダルシアの犬』(一九二八年、ルイス・ブニュエル監督、脚本、出演、サルヴァドール・ダリ脚本、出演、美術、上映時間十五分)を展覧会会場内で流していた。冒頭、月にナイフのような雲がかかる。月のような女性の眼が、ナイフで切り取られ、目玉から水晶体があふれだす…。有名なこの冒頭のせいで、今までこの映画を観たことがなかった。何故か眼にまつわるこうした映像、だけでなく聞いただけでも、眼が痛くなってしまうから。子供の頃からそうだった。これを書いている今も目が痛くなる。心が動く、感情が動くというよりも、肉体が動いてしまう…。だが観れてよかった。ブニュエルとダリ、二人の夢の話から、映画をつくることになったらしい。眼のシーンはブニュエルの夢、ダリは手のひらに蟻が群がっている夢で、このシーンもすぐ後に出てくる。腐敗したロバの死骸、切り取られた手をつつく少女、男の持った二冊の本が二丁の銃になる…、夢たちが出会い、脈絡がないまま、だが少しだけ関連や関係をとりつつ、交錯してゆくのが、それでも心地よい。


 と、こんなところからはじめてしまった。わたしはシュルレアリスムは、じつは展覧会自体にはあまり感動しなかったのだ。興味をもったのは、ジョアン・ミロ(一八九三─一九八三)、そして、例によって、マグリットだった。ミロから先に書くと、彼の「夢の絵画」と総称されるらしい、白や青のモノトーンの地に、四角い羽根やら、不思議なかたちが浮遊するものたちにひかれた。展覧会では、特に《シエスタ》(一九二五年)。灰色の地に、長針と短針ににた線、羽、点線の円、その他、言い表せない形状の図形が浮かび上がり、長針の先には、“12”が浮かんでいる。12は十二時、シエスタの時間なのだという。夢をみる時間にふさわしい、浅い夢たちの踊りだった。それは内的な情景であることがわかった。内的でありつつ開かれている。クレーの世界に通じる、幼児をしっているもののイメージだった。それは「天才とは自在に取り戻された幼年である」(ボードレール)というときの幼年だ。シエスタは新鮮なゆらぎに満ちていた。

ジョアン・ミロ《シエスタ》

 そしてルネ・マグリットだ、またしても。ちなみにミロもマグリットも、厳密にいえばシュルレアリストではないのだが。ともに一時期参加しただけだから(後者にいたっては殆ど喧嘩別れをしている)。
 日経新聞の「美の美」という連載(二月六日、十三日、二十日)、マグリットを扱っているのだが、二月十三日の欄に若いマグリットがジョルジョ・デ・キリコの《愛の歌》との出会いにより、「世界から切り離されたような孤独感や不安を絵として表すことができると気づ」き、そこから彼の画家としてのキャリアがはじまったとあった。《愛の歌》は、建物と接する一枚の大きな板に、ギリシア彫刻風の石膏、大きな赤いゴム手袋が、くっついており、地面らしきところに大きな緑のボールがころがっている。向こうに影となった小さな建物群、ひとかけの雲。

ジョルジョ・デ・キリコ《愛の歌》 

 わたし個人としては、切り離されたゆえの虚無感はあったかもしれないが(それも文章を読んで、そう思ったにすぎない)、それほど《愛の歌》に感動はしなかった。けれども、なるほどその絵は、マグリットに似ていると思った。いや、マグリットが似ているのだが。マグリットもまた、石膏像を多く描いている。それはキリコへのオマージュもふくんでいたのだろうか。それは孤独ではあるかもしれないが、もしかすると個々、自由であることでもある。言葉と絵が違った絵を、マグリットは描いていなかったか(例えば《夢の鍵》、帽子の絵には〈雪〉と字が書いてある…)。言葉と絵たちはむすばれていない、別の存在だ。一人であること、それゆえの…。

 この展覧会にもキリコの絵が何枚かあった。そのうちの一枚、《ギョーム・アポリネールの予兆的肖像》(一九一四年)は、石膏像がサングラスをしている。長細い白い板に、貝かなにかと魚が並んでいる。緑の地のむこうに黒い横向きの影、あとは緑のほかは何もない。これが《愛の賛歌》とイメージが似ていた。孤独というより屹立。ひとつの絵のなかにありながら、彼らは個々である。

ジョルジョ・デ・キリコ《ギョーム・アポリネールの予兆的肖像》 

 展覧会では、マグリットの絵のなかでは比較的有名な《赤いモデル》(一九三五年)。一足の紐靴のようなものが板塀の前に置かれている。紐靴のつま先あたりは完全に裸足だ、あおざめた指がある、つまり、くるぶし付近の紐靴が降りてゆくにつれ、だんだん裸の足になってゆく。複製や葉書などでよく見かけている絵だったが、ここではじめて実物を観て、足のほう、浮き出た静脈のふくらみに気付いた。靴の紐と静脈は、とても似ており、それらは呼び合っているようだった。孤独たちの叫び。

ルネ・マグリット《赤いモデル》

 ほかの作家のものも、何点か響いたものがあった。マルセル・ジャン《ホロスコープの娘》(一九七〇年)、これは首のない腰までの布製の女性マネキンの大部分が青く塗られている。腰からウエストにかけて、両脇に宇宙からみた地球のように島が描かれている。つまり青は、海なのだ。アバラ骨も描かれているのだが、それは島とも骨ともいえない。大地母神的なものと、宇宙からみた地球という映像をまたなくては、むすびつきえなかった作品の、壮大な時間を想う。それはミクロとマクロの交接でもある。後は名前だけになってしまうが、イヴ・タンギー《夏の四時に、希望》(題名も詩的でいい)。

 ところで『芸術新潮』二月号、特集が「シュルレアリスム、そうだったのか宣言」。会場出口のミュージアムショップに売っていたので、図録代わりに購入した。赤瀬川原平と南伸坊の対談で、南伸坊の言葉として、こんなことが載っていた。「ところでマン・レイの写真かな、こんどの展覧会にあの例の「手術台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会い」(注2)をモロに写真にしたのがあったでしょう。あれ写真にしちゃうとなんでもないですね。あれはイメージのものっていうより、やっぱりコトバですよ」
 言葉のほうが、感情が衝撃をうけることがたしかにあるのだ。聞いたことで、感情がうごく。もっとも、これはすぐ次に赤瀬川が特に日本語の蝙蝠傘という漢字だからいいといっている。画数の多さが、あたかもマグリットの《夢の鍵》、コップの絵と嵐という文字のように、実物の蝙蝠傘から離れ、漢字だけで、独り歩きしてしまいそうに見えるのかもしれない。書道家たちの作品が、その文字、言葉を離れたとしても、うつくしい絵としてとらえられるのにも、すこし似ている。蝙蝠傘という字は字で、何かべつのイメージを作っているように感じられる。ローズと薔薇だと、思い浮かべるイメージが違うように。字を観ることで、言葉を聞くことで、心が動く。それは実物のものとも、距離があるものたちでもあるから。
 (注2として、対談に解説があるので、それもここにあげておく。「ロートレアモン「マルドロールの歌」に出てくるフレーズ。ものを意外な文脈に投げ込む、シュルレアリスムを代表する手法「デペイズマン」をイメージさせる象徴的な言葉」)

 ミュージアムショップに複製画を売る一角があった。マグリットの《光の帝国》(一九五四年)他、マグリット作品がかなりあり、それらに会えたことがうれしかった。ほぼ展示物のように見れたことが。といっても、それらはわざと絵具の厚みをだしているので、かえって嘘くさいものになってもいたが…。かつてみた《光の帝国》は、衝撃的だった。この絵により、わたしは彼を好きになったのだ。空は昼、地である水面に、街灯の明かりが映る夜。静かな光と闇。《光の帝国》については、日経新聞二月二十日の「美の美」に、マグリットが愛読していたルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』との類似を挙げていた。「お日さま、ぎらぎら、海の上。/ どこもかしこも、ぴかぴかだ。/(略)/そいつは変だぜ、だって時刻は─真夜中だ!」(河合祥一郎訳)
 「イメージについての知識は、創造性を増すものである。」は、単に「知識は創造性を増すものだ」、と言ってもいいかもしれない。あるいは言葉とイメージは、別のものであるからこそ、共鳴したがっている。共鳴が、モノたちに届くだろうか。『アンダルシアの犬たち』の、ふとした交接。絵画により言葉が創造性をうけとる。言葉により絵画に創造性をうけとる。それこそが、つながれた夢なのだ。夢がモノたちに近づいてゆく。

ルネ・マグリット《光の帝国》
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2011-02-15

梅によるイコノロジー(若桑みどり『イメージを読む』、酒井抱一《紅白梅図屏風》等)

 ひさしぶりにこれを書く。前回はツィートやメモなどでお茶をにごしてしまった。ここは十日置きに更新だから、二十日ぶりの計算だ。十日だと、平日は詩を書き、土日にこれを書くような感じなので、ほぼ一週間のサイクルに近い。それが開いてしまったので、今から思うと、たしかに何かが欠けていた。リズムが狂うだけでない、何か、ことばが足りないのだ。多分ここで書いていることと、詩はそれでもつながりがある。そのつながりの糸のかたほうが、いない。詩をかくときに、ここのことを思い出したり、思い浮かべたりしたのだが、それがないから、なんとなく具合がわるいのだ。といっても、それは気になるほどではないのだが。それがあってもなくても詩は詩としてことばたちがうごめく。いや、そのかわりにツィッターでつぶやいていたからかもしれない。糸の片方には、詩にちかしい散文があってほしいのだ。
 小島きみ子さんの詩誌『エウメニデスII』三九号は、エル・グレコの特集だった。その散文では、若桑みどり『マニエリスム芸術論』(ちくま学芸文庫)をテキストにしながら、たとえば「「神が自然を造った」ように「人が芸術作品を作る」、その創造の夢を見ることができるのは芸術家だけだとダンティ=ツッカロは考えていた。この考えは、「現代に通じる。「霊性」とは人間の内なるものの表現だから」、(クラウディオロ・トロイメイと、レオナルド・ダ・ヴィンチの手記を引き合いに出し)「人工的自然とは芸術の創造にほかなりません」と、絵画と詩を違うものとしてとらえながら(それは男と女が違うように)、けれども芸術という枠のなかで、ともに通じ合うものとして、言葉を重ねてゆく(男と女が違いながらも人間であるように、あるいはだからこそ求めあうように)。その姿勢にとてもひかれた。絵画と詩は接している。詩と散文も接している。『エウメニデスII』に載っている小島さんの詩「凍える文字」の「声に、光があたっています」、「顔に触れる声です」が、なぜか心に響いた。それは文字と声が、ことばと肉体のようでもあり、芸術のなかの絵画的なものと詩的なもの、言葉のなかの詩とそうでないもの、『自然とアルテは共にまざりあい、いずれのわざともわからない』(クラウディオロ・トロイネイ)ようなそんな境界、ゆらぎの一瞬から、発せられた声であるからだと思った。
 ここでは他に若桑みどり『イメージを読む』(ちくま学芸文庫)も載っていた。ジャン=リュック・ナンシー『神的な様々の場』も面白そうだ。だが若桑みどり。ずいぶん前に『薔薇のイコノロジー』(青土社)を読んだきりだが、好きな本だった。『イメージを読む』がすぐに新古書店で手に入ったので、今それを読んでいる。副題が美術史入門とあり、講義を基にしたものなので読みやすい。ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、デューラー、ジョルジョーネ、それぞれの絵に即しながら、イメージを読んでゆく。言葉を読むように。「芸術とは、はっきりいいますが、作るにせよ、享受するにせよ、きわめて思想的なことなのです」「芸術はわれわれの存在や生活と無縁でありえない」「芸術と聖なるものはその根源において密接な関係があります」…。わたしに必要な言葉たちにあふれ、心地よい。と同時に耳が痛いこともあった。わたしこれまであまり、図像学的(イコノグラフィー、「表現されている個々の図像の主題と意味を解明する方法」、例えば聖書のどの部分を描いたか等)なもの、図像解釈学的(イコノロジー、「人類の総合的な歴史のなかに芸術の歴史を関連づける方法」)なものを、ここまで真剣にとらえてこなかったから。勘のようなものに頼っていた面が強かった。だがどうだろう。長いが引用してみる。
「芸術は感覚で作られ、感覚で理解される感性の文化だと思う誤解がゆきわたっているからです。たしかにわれわれは一目でこの芸術に圧倒され、戦慄さえおぼえるのですが、その理由を知るには知性を働かせなければならない。芸術にいちばん似ているのは人間です。人間を一目見ただけでその威厳や美しさに戦慄することはよくあることです。(…)人間は外観であると同時に複雑な意味の発信体なのです」
 詩を書く時、やはり感覚というか勘というしかないものが、確かにわたしのなかで跋扈する。それは他者のなかにあっても、世界のなかにあっても、つまり、なにをするにもある(具体的に例を出すと、私は多分これからも詐欺にあわないだろうと思う。状況や辻褄を分析したりする前に、直観的にそれを行う人物に胡散臭さを感じてしまうから)。勘はだが思考的なものの積み重なりと密接なつながりがある。明確に意識はしていなかったが、どこかで気づいていた、ということがよくある。それは勘であると同時に思考的なものが靄のなかで発生していたということではなかったか。詩と散文が近しいということ。わたしのこの二十日間あまり、散文から離れていた間、詩のことばが出にくかったこと。そして図像学も図像解釈学も、これまで惹かれた作品に対しては、知らずと気にしていたのではなかったか…。絵と言葉。詩と散文。


 この冬初めての雪。雪がふると、部屋の芯のようなところまで冷えてしまうのだと、今さら思いだした。そして外は静かだ。雪の日は、窓の外を見なくても、雪だとわかるものだということも思いだした。そこにどこかしらなつかしさがあったのは、それらを味わったかつてのわたしがそこにいるからだ。
 雪の中、出光美術館に、一部に続いて『酒井抱一生誕二五〇年 琳派芸術─光悦・宗達から江戸琳派』の二部(二月十一日〜三月二十一日)を観に行った。二部のほうが抱一作品が多い。
 《八ツ橋図屏風》(六曲一双、絹本金地着色)。これは尾形光琳の絵を写したもの。六曲一双の横長の金の地に、道のような細く階段状にまがった小さな橋をほぼ真ん中に配して、数多の杜若を描いたもの。光琳のそれ(メトロポリタン美術館所蔵)は、展覧会会場に写真があった。色合いの違いなどは分かりにくかったが、抱一のほうが、カキツバタが整然と並んでいた。橋がななめになっている、それに寄り添うようにして、カキツバタも直線的に植わっている。そのまっすぐさが、心地よく思われた。ちなみにここには同じく尾形光琳(彼も俵屋宗達のそれをモデルにしたのだが)をモデルにした《風神雷神図屏風》もある。わたしは正月に丁度光琳の《風神雷神図屏風》を東京国立博物館で見た。あまり感慨は起きなかったし、抱一のそれを見ても、感動まではしなかったが、抱一のほうが、風神と雷神の表情がより人間に近く、ユーモラスですらあると思った。
 話がそれてしまった。《八ツ橋図屏風》は『伊勢物語』第九段を題材にしている。京を離れ、東に向かう途中、三河の八ツ橋(河が蜘蛛の手のように分かれているところに橋を八つ渡したのでこの名がある)で咲いていたカキツバタを各句の頭に織り込んで読む。「からころも着つなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」…。わたしは『伊勢物語』が好きなのだ。伊勢物語を想わせるものは満開の、一面に咲いたカキツバタしかない。だがまっすぐに整然と並んだカキツバタたちが、空にむかっている、空にむかって、旅を思う、京を思う、そんな心持を抱かせて、拡がりを放っていた。そうかこれがイコノグラフィーとイコノロジーなのだとどこかで声がしていた。実は絵としてだけなら、畠山美術館やここでもあった《十二カ月花鳥図》の五月の菖蒲、また後でここで見ることになる《燕花図屏風》のほうが響くものがあった。厳密にいうと、菖蒲とカキツバタは違うが、それはおいておき、後述のこちらの花や葉は、濃淡で影や光を表している、そこに一瞬の永遠を感じて、心地よいものがあったが、《八ツ橋図屏風》のカキツバタは、べったりと花も葉も描かれていて、濃淡がない。にもかかわらず、カキツバタたちが、“旅をしぞ思ふ”ものとしてせまってくるのだった。花や葉の濃淡のあるなしは、自然の中に置いたもの、光琳や伊勢物語に比重を置いたもの、その違いであったかもしれないが。

酒井抱一《八ツ橋図屏風》(右隻)

酒井抱一《燕花図屏風》

 会場は三室四章に分かれている(三室めが三章、四章)。《風神雷神図屏風》《八ツ橋図屏風》は一室め、章でいうと〈第二部 一章 琳派の系図〉、《燕花図屏風》《十二カ月花鳥図》は、三室〈三章 抱一の美〉にあったもの。間に二室〈薄明の世界〉がある。展覧会HPには「この章では江戸琳派の絵師たちが好んで制作した銀屏風を特集します。清浄な白い輝きを放つ“銀”の薄明の空間に、独自の艶美な世界を表現した酒井抱一(一七六一〜一八二八)。(…)弟子・鈴木其一(一七九六〜一八五八)。宗達や光琳の金の世界とは異なる、眼の裡(うら)にゆっくりと浸透するかのような、静粛な輝きを放つ銀屏風の魅力をご堪能ください。」とある。東京国立博物館にある《夏秋草図屏風》(一八二一年)、銀地に川が天体のように右上端に青く流れ、下のほうに、風に吹かれ、茎や葉をしなやかに曲げた秋草たち、という図があるが、それの草稿。草稿とはいえ、紙本着色、色があるので、かなり実物を感じられる。というより、草稿ではなく、これだけで作品であるかのように風が吹いているのを感じる。草稿ではない方は、先に触れた尾形光琳の《風神雷神図屏風》と表裏をなしていた。表が金で、空を描いているのなら、裏が銀で、地の情景である。空で神が雨や風を起こしている、その結果、大地では、草花が風に吹かれている…。右上端の川の青は、天体と大地を結ぶ水であるようだ。それは酒井抱一と光琳をつなぐ水でもあるのだ。展覧会会場で、草稿と、やはり写真で紹介されていた《夏秋草図屏風》を見ながら、つながりによる拡がりを感じた。一室にある抱一の《風神雷図屏風》も絡めながら。

《夏秋草図屏風》(東京国立博物館蔵。草稿ではないほう)

 銀の地というのは、月光に通じるとあった。月明かりは薄墨の明るさなのか。二室・二章・薄明の世界に入って、まず目を引いたのは、入り口から右手に曲がる感じで奥のほう、銀にうっすらと浮かび上がる、白梅だった。銀に白なので、ほとんど目立たなそうだが、月光が花を照らすように、静かに光っていた。いやまだだ、くぎ付けになりそうだったが、気をおちつけなければならない、まだ手前の赤というより茶褐色にすら見える、紅梅をちゃんとみていないのだから。絵はチラシにもなっている酒井抱一《紅白梅図屏風》(六曲一双、紙本銀地着色)。一月二十五日のここで、光琳の《紅白梅図屏風》の金のそれを見たときに楽しみにしていると書いたものだ。だが、そう書いたというのに、そして握りしめていったチラシにも載っていたというのに、ほとんど忘れていた。後から、というよりもこれを書くにあたってそのことを思いだした位だ。だから見たときはほとんどふいうちだった。ひとしお、静かな衝撃が走る。左隻が>の形に曲がった枝の白梅、右隻が<の形に曲がり、白よりも花を多くつけている鈍い赤の紅梅。枝も白梅よりもごつごつしている。白梅のほうについ眼がいってしまうが、白梅のほうのしなやかで繊細な枝ぶり、銀に照らされ、幻想と言っていいほどに鈍い光を帯びた花びらが、空や死に近いとしたら、ごつごつとした力強い枝と、多くついた花びら、土を想わせる花の色、これらは大地や生に近しいものとして、咲いているのだと思った。だからこの絵はどうしても二つそろって、ここになければならなかった。天と地、生と死。幹や枝の曲がり具合も、ちょうど一端は双方に近づこうとしているのだが、それぞれが反対方向の空を目指していることで、絵に広がりがあるようだ。そこにはわたしたちがいる空間がある。空がある。この前にいつまでもいたかった。心がふるえた。ここまで惹きつける作品はあまりない。この絵の前に一生居れることは幸福だろうか。どこにもいかないで、絵のまえにいるのだ。白梅の幻想と紅梅の現実がつくる境界に居続けられたら…。あきてしまうのだろうか。あきるのとはちがう。だが、美とは一期一会のようなものだと思っている。川の流れにふっと胸がさわぐ。満月があかるいことを思い知らされるたびにうたれる気配がある。去年みかけた花が咲く。この絵の前でうけた感動は、一期一会だ。わたしが絵のまえにいたいと思うのは、絵から感じる美しさと接していたいからではある。だが、風はぬける。月は陰る。一期一会だからこそ美しいのだ。だが絵を観たときの感動を書きとめることは可能だろう。そんなふうにして感動を覚えておくのだ。銀に照らされた白梅の前に立ち、銀にくっきりと浮かぶ紅梅の前に立つ。何回かそれをくりかえしたのち、名残惜しげに展覧会会場を後にした。

酒井抱一《紅白梅図屏風》

 ここには前回も書いたが、お堀が見える展望休憩スペースがある。粉雪が降っているが、積もってはいない。ただ雪のせいで、世界はかすんでみえた。雪と梅。そういえば酒井抱一の《十二カ月花鳥図貼付屏風》(六曲一双を掛軸にしたもの、絹本着色)が十二カ月、十二枚出品されていた。東京国立博物館(所蔵は宮内庁三の丸尚蔵館)で見たのとも、畠山記念館のそれとも、似ているが、微妙にちがう。たとえば宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の十二月は檜とキツツキだった(畠山記念館のは、前回の展示になかったので不明)、またインターネットで見かけたのには、竹とオシドリのものがある。今回のこちらの十二月は梅とオシドリ。薄桃色の梅に、綿のように雪がつもっている。綿というより、やわらかな、魂のけはいのように梅の花や枝によりそう感じだ。つがいのオシドリは、梅の下の地面にいる。そのすぐ下が緑の水。オシドリたちも羽がやわらかく描いており、心がぬくもる。《紅白梅図屏風》を観た後でこの梅にあったので、よけいにその違いが新鮮だった。白でも紅でもない薄い桃色に、銀ではない、雪が明かりのようにそっと照らしているようだ。窓の外に降る雪を眺めながら、やわらかな十二月の雪と梅を、そうして月明かりの梅を想っていた。
 次の日、雪は止んだ。また降ったが、時にみぞれまじりだ。もうあちこちで梅まつりがおこなわれている。梅は好きな花だ。毎年、あちこちに梅を観に行く。それは大切な毎年の儀式だ。その日は買い物などの関係で、近場の生田緑地の梅林にいった。一帯は丘陵なのだが、その中で一段と小高い山をのぼった一角に梅林がある。平地では殆ど雪が積もっていないのに、うっすらと積もっている。この冬初めての梅林。紅と白、そしてしだれ梅の薄桃色の梅たちが二分から三分咲きぐらいだろうか、咲いている。雪の白さに梅の幹たちはよく似あった。コントラストがはっきりするからだろう。こ中学生の頃から訪れている越生梅林が白梅ばかりだった。その印象が強いので、基本的に白梅のほうが好きなのだが、前日にみた《紅白梅図屏風》や《十二カ月花鳥図貼付屏風》の十二月の薄桃色の梅の印象がまだ記憶に新しいので、梅林の紅、そして薄桃色の梅たちに親しみを覚えた。白梅はもちろん別格なのだが。それは昔からの親しい友人との再会に似ている。ともかく、紅や桃の梅たちを新しい眼でみれたことがうれしかった。幹や枝が、越生の梅林のそれや、昨日みた絵たちの梅のそれとちがい、おとなしい。うねうねとした曲がりがすくないのだ。種類がちがうのだろう。こんなふうに眼前の梅を観ながら、絵たちを思い起こすことで、私に居てくれるのだと思った。境界はわたしのまわりによりそってくれているのだ。いつだって。
 梅林の周りの雑木林で、聞いたことのある声で鳥が鳴いている。ツーピーツーピーと高い所から声がする。姿は見えない。家に帰って調べてみたら、四十雀の鳴き声だった。一月や二月に大きな声で鳴いているとある。抱一が描いたのは梅と鶯だった。今これを書いている今日は月齢一〇。上弦を過ぎ、だいぶ満月に近づいてきた。銀の照らす世界。こんなふうに、あの絵たちをつむぐこと。これは逆イコノロジーだ。「わたしの総合的な時間のなかに芸術の時間を関連づける方法」。わたしの時間を絵に関係させること。



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2011-02-05

よせあつめて、夢でつなぐ

 今回はどうしてか書くことが見つからなかった。いや書けなかった。小さな理由はたくさんある。それらが積み重なって、書く気をおこさせなくしてしまったのかもしれない。たとえば美術館に行かなかった…。いや、こんなことは理由にはならない。行かなくても今までなら書いていたではないか。積み重なったからではない。小さいながら理由についていた、少しの棘のせいで、心がささくれだってしまったのだ、多分。今回だけだ。次回、十五日から、ちゃんと書く。
 今回はそれゆえお茶をにごしておく。この二カ月ぐらい、ツィッターでなんとなくつぶやいている。それやら、何やら。順を追って、ここに。

 暮れにみた夢(2010年12月)
 ベランダから原っぱが見える。親戚たちと後で別の場所で落ち合うことになっているのだが、それまでの時間、わたしはひとりでその部屋にいるらしい。ベランダに置いてある椅子に座り、なにかしている。詩を書いているのかもしれない。絵を描いているのかもしれない。そういうことだ。
 そのうち原っぱの中央から煙がわきあがってくるのに気付く。煙のでる箇所をみると、大地に四角い穴がふたつ開いている。火葬している煙だと気づく。煙がたなびいている。わたしのほうまで匂いがやってくる。死の匂いがわたしをつつむ。幸先が悪いなと一瞬思うが、これもまた受け入れなければと思う。親戚の男から電話がかかってくる。もう行かなくてはならない。


ツイッター

2010年10月27日
 アンリ・ルソーにとって飛行船と飛行機が飛ぶ空、スカイツリーよりも驚きであったはずのエッフェル塔、ジャングルは、すべて共通していた。つまり、どれもが19世紀末になって現れたもの。そしてどれも大衆紙の写真やイラストに載っていたのだ。

10月30日
 ポール・オースター『オラクル・ナイト』読了。物語内物語たちの緻密な連なり。小説が小説の中に入れ子細工になっているばかりではない。それらがすべて神託的に関係しあっている。「言葉は現実なんだ」。それは救いであり絶望だ。

12月2日
 朝、通勤で駅に向かう途中に野川と川と国分寺崖線から連なる湧水のある公園を通る。野川付近で鴨を見たら、今日は縁起がいいかも、とつい思ってしまう。そして坂下に湧水の銀の色、銀に光る流れを必ず見ることにしている。ただのジンクス。だが銀の水の流れは、鴨と共に私にいつも優しい力をくれる。

12月6日
 明け方の夢。恋愛をしていた。肩を抱かれながら階段を上っている。私は以前彼と夢の中で会っていた。夢の中で再会したのだ。「夢に出会いさえすれば行ける(…)あのなかの何ひとつ現実には起きはしなかったし、あのなかの何ひとつ今後も起きなくても」(ポール・オースター『ティンブクトゥ』)

12月6日
 夢の男と夢の中で再会した。階段を肩を寄せ合いながら歩いていたが、一か所、彼は難なく足をかけたのだが、私にはどうしても登れない階段があり、そのことを寂しく感じた。夢の男の生い立ちは私に似ていた。ああ、この街のこの場所も前に夢で訪れた場所だ。私は夢の中で別の生を生き続けているのだ。

12月18日
 スノードームのガラスのなかにこめられた世界が好きだ。ここにありながら、手のとどかない夢の場所、それだけで充足している場所。だが雪を舞わせるためには、わたしの手が必要なのだ。あるいはその世界を見つめる。それだけが関わりだ。

12月21日
 Pオースター新作『オラクル・ナイト』「言葉は現実なんだ」。そしてデビュー作『シティ・オブ・グラス』。主人公と彼の物語中の探偵との関係。「彼がこの世に生きているとすれば想像上の人物を通してに過ぎない。彼の探偵は絶対に実在しなければならなかった」…最初から彼は言葉を必要としていたのだ

12月24日
「私がいないところでは、私はいつも幸せだ」1)。それは「世界にないどこか」2)、「一度も存在したことのない、ただの願望」3)の、だが「目を閉じてしかるべき夢に出会いさえすれば行ける」4)、想像と創造の場所での事だ。(1ボードレール、2、4ポール・オースター、3バーン=ジョーンズ)

12月26日
 久々の休日。本屋とツタヤに行く。途中、喜多見不動の滝という、最寄り駅と隣駅の間の小さな滝を見る。夏に行ったきりだったが、今日は滝壺(というほどでもない池)に紅葉が散っている。紅葉と錦鯉が静寂の中で鮮やかだ。夏よりも冬の今のほうが水量が多い。水の生命が強いようでそれがうれしかった。



2011年1月1日
 いちおうほぼ毎日机に向かい詩を書いている。どんなに遅く帰ってきても。言葉がむずかるように出てこない日と、ふっと出てくる日が交互にやってくる。今日は後者だ。新年早々なので、喜びがひとしお。ことばが出てくる方で2011年がはじまったことに。

1月6日
 今日が仕事始め、いきなり午前様帰宅。駅に向かう途中崖を登る。崖の一角が竹林。竹林越しに下を見ると湧水。毎朝崖の上から湧水を覗く。この季節の竹は緑のままだと初めてのように気付く。湧水もジャノヒゲか何か、常緑の下草を這うように流れている。冬枯れのなかで緑のままの空間というのは奇妙で心地よい、冬に開いた季節の穴のような。



12月2日、1月6日の湧水と竹、季節の穴。

1月15日
 ひどい風邪。先週休日、徹夜で原稿を書き上げ、メールとファックスで送信したとたんに高熱が出た。終了まで風邪が待っていてくれたらしい。あるいは気力でもっていた? ちょっとえらいぞわたし、と自分をほめながら、ふとんに入った。ほぼ一週間後の今、その校正をファックスで送る。まだ風邪中。

1月15日
 熱で寝込み中、『別冊太陽 北斎 決定版』を開いた。元気な時は春画の美醜の同時性に感嘆、今回は肉筆画の水に。水の流れを表す一本の線が境界となり、光や影、空と水底を同時に表す《鯉図》等。

1月22日
 風邪のしわ寄せで残業が続く。それは本当にヒダのようなしわで、私をくるんでしまう。時間の殆どがヒダとなる。私はヒダ越しにそれでも詩を書く。だが詩の言葉も薄皮一枚隔て、どこかよそよそしい。破り、他者の真摯な何かに触れることが必要なのだ。突破口はこの頃はいつも絵だ。彼らの一枚一枚が言葉との間のヒダを破いてくれる。

1月25日
 昼仕事残業が続くとヒダヒダの時間が私をくるみ詩との間に膜を張ってしまう。膜を破る手段の一つは展覧会。今回は酒井抱一関係のを二つ。軽やかな生があった。ヒダも取れた。又言葉と向き合える。

1月27日
『ユリイカ』2月号に私の詩が。特集は〈ソーシャルネットワークの現在〉。私は特集の内容を知らずに書いたので偶然なのですが(こういう偶然は心地よい)、そしてこれは編集の方も仰っていたのですが、どこか特集と響き合うものとなっています。詩はツィッターで呟いた言葉※を基調に書いたものなので。 (※12月24日のもの)

1月27日
 昨日は死んだ父親の誕生日だった。ということに今気付いた。

1月29日
 この頃ハクセキレイによく会う。尾がすっと伸び、スマートで、白と黒のコントラストがいい。地面すれすれに羽ばたき、羽ばたかないを交互に繰り返し、波打つように飛ぶと図鑑にはあったが、飛ぶ、落ちるを繰り返しているように見えた。飛びながら落ちている。落ちながら飛んでいる。

1月31日
 正午近く。雑居ビルが立ち並ぶ、細い道、細い空。その空が一瞬まだらになった。黒い水玉のような無数の影が過ぎていったのだ。道と私に点をうがって。多分ムクドリか何かの群れだったのろう。小さい空に姿はもう見えない。だが影に貫かれたようで心がざわめいた。

2月2日
 駅前の駐輪場。自転車は必ず159(異国)に停める。レーンの溝に車輪を乗せる時も細心の注意を払う。だって今から異国へ渡るのだから。毎朝「この異国を忘れないこと」、とつぶやいてから仕事に向かう。ジンクスだか決意なのかわからない。おそらく両方。休日は105(入れ子)に停めてもいいことにしている。入れ子細工…と呟きながら。

2月5日
 そしてジンクス。以前は朝、鴨をみれたら今日はいい日だったが、この頃はハクセキレイ。おまけに今朝はホオジロもみた。ラッキーだと思った直後、自転車のチェーンが外れ、転倒。膝をしこたま打った。夜の今もかなり痛い。だがそれでもハクセキレイとホオジロが見れたのはうれしい、いい日だったのだ。


…またある日の夢。
 わたしがいま住んでいるマンションの近くに、昔の男が別宅(仕事部屋)を持つという。マンションの一〇〇三号室、百階になる。いつか遊びにいきたいと、こっそり探しに行くが見当たらない。高い塔のようで目立つ建物のはずなのに。川が近いと言っていた。川をわたる風の匂いが、まとわりついた。畑を越えたら川はすぐそこにあるはずだ。彼に会いたいと思う。
00:54:50 - umikyon - No comments