Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2011-08-25

ひまわり、地面を照らす太陽たち、往夏

 八月の十日ぐらいだったろうか。テレビのニュースで東京のひまわり畑、というかひまわり迷路を紹介していた。ひまわり。昼顔という名前を聞いたり、花を見るとルイス・ブニュエル監督(カトリーヌ・ドヌーヴ主演)の『昼顔』の映画を思い出すように、ひまわりを見ると、またヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ひまわり』を思い出す。ヘンリー・マンシーニのさびしげな曲とともに。あのひまわりは明るい花ではなかった。延々とつづく寂しさだった。ソフィア・ローレンの生命力のある悲しさに、花はよりそうようにあった。


 それもあるが、ひまわりという花には、先日もちらっと書いたが、小さい頃からなじみがあるのだ。小学校で自由研究したのではなかったか。だが学校は苦手だったので、それを思い出させるすべてのものに、あまりいい記憶がない。だからひまわりについては、それとはべつの思い出がある。小学生だった頃、家で飼っていた鳥の餌にひまわりの種を使っていた。それを鳥と一緒に食べた記憶のほうが残っている。ピーナッツのようでおいしかった。家には植わっていなかったが、隣の家に植わっていた。こうしたことが少しづつ、わたしに積み重ねられていったのだ。そして夏はわりと好きな季節だ。今はそうでもないけれど。汗をかく、それは太陽が流してくれる何かだった。じりじりと肌をやくような暑さが、太陽を感じさせてくれる…。そうか、わたしは夏というより、太陽が好きだったのか。その季節に、日射しのように咲くひまわりを見るのが、ここちよかった。太陽を追って花の向きを変える(実際はつぼみの頃までだというが)、汗ばむような黄色い花。ゴッホの《ひまわり》もきっとそこにはある時から混じってきた。かれの絶望をふくんだ憧れの一端を垣間見せてくれる、花びらの一枚一枚が厚くかたどられたその花、その彼にとっての異国の色でみちたひまわりの花が。


ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ《ひまわり》1889年 損保ジャパン東郷青児美術館蔵

 ニュースでみたそれは、西東京市としか出ていなかったが、インターネットで検索をしたらすぐにわかった。だが残念、大学の敷地内にあるので、平日しか開いていない。そのまま調べていたら、〈ひまわり畑ネット〉(http://www.himawaribatake.net/)というサイトをみつけた。全国のひまわり畑を紹介している。関東を探すと、なんとうちのすぐ近くにひまわり畑があるとあった。バスの停留所でひとつ隣。といっても駅と反対方向だし、通りからちょっとはいったところで分かりにくいところにあるのだが、それにしても、こんなに近くにあって今まで知らなかったことに驚いた。同時にうれしくなった。暑い盛りの土曜日にゆく。だが、もう花がおわっていた。うなだれ、花びらがしぼみ、種になりつつあるものばかりだった。残念だと思ったが、うちの近くにあるということをこの目で確かめられたよろこびが残念に思う気持ちをうすれさせていた。来年また、はやい時期に来ようと思う。思っていいのだろうか…。どうも来年の花のことをいってはいけない気がどこかでしている。「毎日をこれが最後の日だっていうふうに暮らしたいわ」、映画の『雨の朝巴里に死す』のヘレン(エリザベス・テーラー)の台詞だ。映画のなかの意味とはおそらく違うだろうが、どこかでこの言葉がずっと残っている。来年をあてにしてはいけないのだと。



 話がそれてしまった。ひまわりは夏じゅう咲いているような印象があったが、意外と花の時期は短いのだと、うなだれたひまわりたちの畑をまえにして知った。花びらがぱさぱさになってしわだらけになっている、そのちょうど一週間前は、見ごろだったというから。花期が長いと思ったのは、あちこちでひまわりが咲いているのを見ているからだろう。どこかしらに植わっている。繁華街の交差点ですら。こちらが終わったら、あちらの小さな花壇、点々と、連綿と。どこにいっても暑い。暑い日射しのなかで、ひまわりは似合いすぎて、とけこみすぎている。日射しにさくひまわりは、日射しのようにそこに、ここにある。暑さにぼんやりした頭に、黄色がとびこんでくる。きがつくと、ずっともう。それはぎらぎらする色ではなく、疲れたようなひたむきな色だった。そこここで。だから夏じゅうさいていると思ってしまった。いや、思いたかったのだ。
 次の週まで、咲いているひまわり畑が神奈川にあるという。ネットをつうじて友人も教えてくれたのだが、土曜日は用事があるので、最初はゆかないつもりだった。だが日曜日に出かけた。
 一週間でどうしてこんなに気温がちがうのだろう。その前の週はうんざりするほど炎天だった。日曜は雨もよいの肌寒いほどの気温だ。ひまわりをみるのには似あわないかもしれない。
 座間市、相模川近くのひまわりたち。早咲きの会場(栗原地区)はもう終わりだが、わたしがいった座間地区はちょうど見ごろだった。正確には、同じ会場内でも、もううなだれかかっているひまわりたちの畑と、ちょうど開いたばかりの畑、そしてまだ青いつぼみの畑(それは青い握りこぶしのようだった)、みっつにわかれていたのだが。
 だからつい、開いたばかりの畑に足をとめてしまう。多くの観光客もそうだっただろう。ラベンダー畑がそうだったように、ひまわりにもミツバチが多い。同系色の蜂がとまっている姿は、花から分かれた何かが帰ってきたように見えた。あるいは花の一部が飛ぶために蜂になったようだった。まざりあう、黄金色たち。



 会場にいる間、ほんの少し雨も降ったのだが、ひまわりの畑をみていると、なぜか太陽があたっているかのような錯覚をおぼえてしまう。その黄色い太陽のような花のせいだろう。近くで女性が「空がこんなに曇っているのに、ほら、まるで晴れているみたい」と、携帯で撮った写真を隣にいた誰かに見せて話している。わたしのデジカメで撮った画像に写る空もたしかにそうだ。日射しにとけこむばかりではない、ひまわりはそれ自体がやはり日射しなのだ。それは月よりもなお輝く色をはなっているのだ。とはいっても、写真にうつる曇り空は、あたりまえだが輝くばかりの晴天ではない。どこか造られた晴れた空、幻想の晴れ間のような気がする。幻想というのは、つくりあげた晴れ間ということだ、ひまわりが作っている…。それはどこか異界じみてここちよい。ひまわりをめぐって歩きまわるうち、肌寒いくらいの陽気だったのに、すこし汗ばんできた。ひまわりの熱気にあたったのだろうか。地面から生える太陽たち。






 もう夏もおわりだろう。ひまわり畑から戻ってきたら、あちこちのひまわりたちは、確実にうなだれ、種になりつつあった。地上の日射しも輝きをしまいはじめた。茶色くうなだれたひまわりは、太陽の記憶のようだった。夏がゆく。そうか、まだゆく夏を惜しむほどに夏が好きだったのだ。つくつく法師が鳴いている。

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2011-08-15

ハレがケに流れつづける…「香りをイメージする香水瓶展」『大鹿村騒動記』




 (写真は以下の文章と関係なく。ベランダの朝顔と、ちかくのひまわり畑にて)


 水曜日、レディス・デーなので仕事帰りに映画を見に行く。銀座だ。電話やインターネット予約がない所だったので、早めにいってチケットを買う。真ん中の席が取れる。ところでいつから映画館といえば、全席指定ばかりになったのだろう? 上映まであと一時間あった。これは予定どおりで、あるいて5分位のところ、ポーラ・ミュージアム・アネックスで「香りをイメージする香水瓶展」(七月十六日─九月十一日)をやっているので、そちらに行きたかったのだ。向かう途中、まだ頭の切り替えができていない自分を不安に思った。職場から直行したからだ。同時に違和を興味深いものに思ってもいた。銀座の街を歩く自分にどこかリアリティがなかったから。展覧会会場はかなり空いていた。無料なのに。それよりも、まだ頭の切り替えができていない、仕事のことが頭にうかぶ。さっと払う。払えるだろうか…。会場はほのかにアロマオイルのにおいがしていた。そして、思いがけずルネ・ラリックの香水瓶たちのたくさん。殆ど、どこかで見たことがあるものばかりだったが、彼の作品にあえることはいつもうれしい。スカラベや芥子、蝉に蛇。ガラスの蛇が、香水瓶をとりまくのがよく生えている。芥子はどこか危なげだ。人魚(シレーヌ)、エヴァ、三美神、海の女神(アンフィトリテ)。おなじみの夢みるような女性たちが瓶を温めている。
 一八九〇年代のフローラル、一九〇〇年代のオリエンタル、一九一〇年代の合成香料、これらを再現したといって、三つの小瓶が展示されていた。なかにコットンが入っている。そっと嗅ぐ。フローラルはまさに花だった。沢山の花を室内に持ち込んだような香りだった。かつノスタルジックな白粉のにおいが混じっていた。香りがまさに時代をまたがせてくれたようだった。続くオリエンタルは、お香のにおいがした。それも日本のではなく、もうすこし煙っぽい、いがらっぽさがある。あるいは煙草の香りのようだと思った。合成香料は、花にフルーツの香りをまぜたようだったが、いまいちだった。どこかうそくさいのだ。ともあれ香水瓶たちの時代の風を感じさせてくれるようで、心地よかった。
 ちょうどいい時間になったので、映画館に向かう。映画は『大鹿村騒動記』(阪本順治)だ。主演の原田芳雄が先日亡くなった。わたしはあまり彼の出演した映画を観ていないのだけれど、八十年の『ツィゴィネルワイゼン』。これにいたく感動した。それまで古い洋画ばかり観ていた私が、はじめて出会った美しい幻想の邦画だった。私にとって記念碑的な映画だったし、『大鹿村騒動記』には、『ツィゴィネルワイゼン』に出ていた大楠道代も出ている、試写会で車いすに乗って登場した原田芳雄(公の場での最後になってしまった…)、そのやせほそった姿にショックを覚えたこと、そして観た友人の評判もすこぶる良かったので、敬意をこめて観に行くことにしたのだった。
 映画は最初、村歌舞伎の場面から始まる。映画という虚構に、更に虚構である村歌舞伎の舞台が入る。わたしはこういう始まりに弱い。虚構に虚構が重なることで、虚構が現実になる、そんな風に思っているから。そうして虚構により現実が変わる。虚構が現実と関わりあう。「仇も恨も是まで是まで」…。
 あらすじを簡単に。長野県大鹿村では、三百年続く「村歌舞伎」の伝統がある。その花形役者は、鹿肉料理の食堂「ディアイーター」を営む風祭善(原田芳雄)。定期公演を間近に控えた時、十八年前に幼なじみの、当時は親友だった能村治(岸部一徳)と駆け落ちした妻の貴子(大楠道代)が戻ってくる。治曰く「最近、記憶もなくて駆け落ちしたことも忘れてんだ、どうしようもなくて、ごめん、だから返す」と。善は激怒するが、結局、二人を自宅へ泊める。その後、金のない治は旅館の下働き、貴子は善の家に落ち着く。村歌舞伎の仲間の間でも、リニアモーターカー誘致をめぐって対立があった。善はそんななかでなだめすかし、村歌舞伎を行おうとするが、貴子の記憶障害がひどく、蚊取り線香まで食べようとするので、芝居なぞやってられないと思うが、貴子は善と共演した村歌舞伎の台詞だけは覚えていた。そんな中、かつての貴子がやっていたその役をやるはずのバス運転手、女形の一平(佐藤浩市)が暴風雨の時に車ごと谷へ転落し、命に別条はなかったが、舞台に立てなくなる。貴子は暴風雨の中、何かを思い出したらしく、台風の中、独り飛び出してゆく…。
 興味深かったのは、冒頭からも予見できたことだが、村歌舞伎というハレが出演する彼らの実生活というケにしみこんでいることだ。虚構と現実が密接に関係しあっている…。リニアの件での意見対立から舞台を降りるといった農家の柴山(小倉一郎)は、にも関わらず畑で白菜をもちながら台詞をしゃべっている。長年の癖なのだそうだ。善も食堂の庭などで台詞をしゃべっているが、それだけでなく、治が帰ってきたときに「目玉をくりぬいてやろうか」というのだが、これは善が演じる平家の落ち武者「景清」の大事な見せ場にあたるのだ。源氏の世を見たくないと自ら眼をくりぬく…。芝居の台詞だけ覚えている貴子のことを、町役場の職員の美江(松たか子)は、「それなら舞台にたって、終わったら、記憶がもどってるかもしれないじゃない」と確信をこめて言う。それは芝居と現実がつながっているということではなかったか。新しく村にきた、ディア・イーターの店員(すこしワケアリ)の雷音(富浦智嗣)も、いつか歌舞伎の舞台に立ちたいと願いはじめる。このようなエピソードはほかにも沢山ある。そして村歌舞伎の演目は『六千両後日文章 重忠館の段』というのだが、この最後の台詞もまた景清を演じる善、そして何故か黒子になっている治、そして道柴を演じる貴子(結局彼女が演じることになったのだ)、彼らに深く関わりをもったものとなっている。村歌舞伎のハレが、ケとしての日常に密接に、連綿と繋がりをもちつつ、時を重ねてきたのだ。
 後日、わたしがこうしたところになぜ惹かれるのか、すこしわかった。自分の現実と詩との関わり合いを映画に重ねているのだと。あるいは重ねたいのだと。現実にいながら、幻想(村歌舞伎、そして詩)と関わっている…。
 治と貴子を殆ど許してしまっている善、三人の関係、というか治と善が二人で一人のようなその在り方も面白いし、脇の人々の関係も芝居を軸に絡み合っていて、求心的な力をもってまとまっていると思った。大楠道代は、久しぶりに見たが、魔女か妖精のようで、わたしが知っている彼女そのままでうれしかった。とてもかわいい表情もする。もちろん、主演の原田芳雄の、武骨で、かつ優しい、存在感も、痛いぐらいだった。そしてこれは映画そのものの感想ではないかもしれないが、ちょこちょこ笑えるシーンがあって、わたしが笑うその度に、客席からほぼいっせいに笑い声が聞こえてくるのが、心地よかった。こうした共有の感覚というのは久しぶりだったから。
 気持ちよく見れた映画というのはほんとうに久しぶりだった。時間があっというまにたち、ひさしぶりに映画を観た、という感じになった。もっとヒットしてもいい映画なのに、そのことを残念に思う。もう原田芳雄を見れないことも。そして、平日になんと満ち足りた時間を過ごしたのだろうと、そのことにもぼんやりとした感慨を持ちながら、帰路につく。これはケを心地よくゆさぶるハレなのだ。地下鉄に乗った。座れたので(しかも一時間に一本位しか来ない直通電車が来たので、乗換なしに一本で帰れる)、パンフレットを開いて読んでいた。〈原田芳雄が疎開先で村芝居をみたことが原体験になっていると書いてあった…、大鹿歌舞伎を仕事で実際に見て、接して「素朴だけど原始的なパワーがみなぎっていた。(…)芸能本来の姿に触れた気がしました」…これらのことから阪本監督にモチーフとして提案したのが、『大鹿村騒動記』の出発点になった、など〉。
 気がつくと相互乗り入れの駅で、しばらく電車が止まっていることに気付く。急いで帰らなくてもいいので、気にせずにいたが、社内アナウンスが聞こえた。「シカと接触したため、只今、運転を見合わせております」え? まさか。小田急線沿線のどこに鹿がいるのだ。デイア・イーターの庭で飼われていた鹿たちが一瞬よぎる。ぼんやりと聞いていたから、多分聞き間違えだろうと、耳をすましていたが、もうそのことについては触れなかった。「お待たせいたしました。まもなく発車いたします」。けっきょく何だかわからなかった。けれども鹿と接触したままにしておきたかった。鹿が無事だといいのだけれど。
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2011-08-05

げんじつの“げん”は、げんそうの“げん”(日本画どうぶつえん、山種美術館)

 どうぶつ。どこかでもらったチラシ。背を向けつつ毛づくろいをしている最中の猫。背中あたりをなめつつ、こちらに上目づかいに緑色の眼をむけている絵。これを中央に、兎やひよこ、鴨や猿などが部分図として、というか背景などから動物だけをくりぬいて載せている。中央の猫は、印刷物でなら何度もみたことがある。エメラルドグリーンの高貴な瞳に吸い寄せられる。やわらかな毛並、しなやかな猫。絵は竹内栖鳳《斑猫》(一九二四年)、チラシは「日本画どうぶつえん」展のもの(七月三十日─九月十一日、山種美術館)。この斑猫、重要文化財だからだろうか、所蔵作品なのだが、あまり展示されることがない。今回も展覧会の前半だけ(八月二十一日迄)になる。ほかのどうぶつにも会いたかったが(なにが展示されるか、あまりしらべなかった、しらずに出会うのがいいのだ)、ともかくこの斑猫に会いたかった。山種美術館はなんども行っているが、まだ実物に会ったことがなかったので。


 展覧会会場では、一番最初に《斑猫》が展示されていたのでちょっと驚いた。心の準備が出来ていなかったので。紙本彩色なのだが、額装してあるのも意外だった。勝手に掛軸だと思っていたのだ。ガラスの中で猫が見つめている。だが彼女(性別はわからないが)はこちらなぞ眼中にない。動いたものにちょっと眼をむけただけなのだ。猫はこれほどに高貴な存在だったろうか。それはわたしが知っている猫ではなかった。わたしが知っている猫は日常に属する。身近にいるもの、家族としてずっとそばにいてくれたものだった(今はいないのだが、それはもうずっと…)。どういえばいいか、だからわたしは猫を詩に書くことができないのだが。その猫は非日常に属していた。いや、境界にいるものだった。日常と非日常の中間地点にあるものとなっていた。ふっとそこに訪ねてきて、また絵の世界へ帰ってしまう…。ところでわたしにとって大事なことを、いま書いてしまった。といっても、いまだにわからない、どこかで引っかかり続けていることなのだが。なぜ猫が詩に書けないのか。フライパンも書けないが、それとはちょっと違う。日常的に使う言語が、詩ではないこと、それは言葉をせばめてしまうもので、そこにしか行かない、詩はもっとそうした意味では日常から逸脱している…こうした詩論と関係しているのだが、それともすこし違う。社会現象や会社という日常と猫という日常はちがう。猫にはもっと親密なものを感じているから。それはわたしにとってたとえば妹とかにちかいものだ。好きだから書けないのだ。ことばをそこから飛び立たせること、あるいは降りてゆくことができない。身近すぎる猫という囲いのなかで、おわってしまうものである。だから書けない…。花は好きでも書けるのに不思議だ。花のほうが共鳴が少ないからだろうか。猫とは共鳴、共振を感じることがある。花とはそれが少ない分、近しくない、遠いのか。いや、無言の手招きを、絵のように差し出してくれるものだからかもしれない。花は日常にありながら、絵のように非日常を背負ってみえる。
 《斑猫》に戻ろう。高貴と書いたが、魔をも秘めたまなざしだった。竹内栖鳳は、はじめてこの猫を見た時、徽宗皇帝の猫を思い浮かべたという。それがどういうことか、はっきりとはわからないけれど、幻想や非日常に通じるものだ。その猫には近寄りがたい遠さがある。そこにたどり着きたいという欲望を抱かせる、境界からの眼差しをもって。


 同じく竹内栖鳳で《鴨雛》(一九三七年)もあった。《斑猫》から十三年後のそれは、技法からいうと幾分簡略化された線である。濃密なゆっくりとした描写が薄れ、はやく描いたような、かわいた作風といっていいか。どちらがいいとかではない。だが《鴨雛》は、わたしには可愛らしすぎた。おなかをこちらにむけた無防備な雛などは、美ではなかった。親密な愛情からくる日常だった。それは遠さをもたないものだった。だがこれはわたし個人の感じ方にすぎない。鴨もまた、わたしにとって、すきな、身近などうぶつだから(といっても育てたことはないのだが)、公平な判断ができないのだ。
 この展覧会は、副題として〈夏休み企画〉とついている。動物園にゆくように美術館へ、「動物が人々に愛されているのは、美術の世界においても例外ではありません」「絵画の中に描かれた可愛い動物たちに囲まれて“お気に入り”の一点をぜひ見つけてください」とチラシや案内にあるように、なるほど愛らしい、親愛を抱かせるものが目につく。特に最初の第1章は、文字どおり「動物園 〜愛しきものたち〜」だからよけいだったかもしれない。何度も書くが、わたしにとってそれは日常だ。そしてわたしはそうしたことには、実はあまり惹かれないのだ。非日常的な拡がりがないから。やっかいなことをまた書いている、愛情はうすっぺらなものではないが、○○が可愛い、○○が愛しい、だと、それしかささない、そこでおわってしまい、囲いのそとにやはり、ゆけないようであるから。すくなくとも、美術館で、可愛さや愛しさはもとめない。
 展覧会は、だから、ちょっとしまったかなとおもいはじめていた。どうぶつ、好きなんだけどなあ、好きだから展覧会、楽しみにしてきたんだけど、(兎、犬、仔鹿、リス…)可愛いだけだなあ、感動はないなあ…。《斑猫》見れたからいいか…。
 (ところで、この心の中の感想、つぶやきは矛盾している。この好きは、愛着をもっているとか、そうした囲いのなかの話だからだ。いや、好きだからこそ、囲いの外に、どうぶつたちが渡ってゆくことをどこかで望んでいたのだろうか…。)
 だが、黒い仔牛がいた。藁の上に足を曲げてすわりながら、こちらの方をみている。だがその眼とわたしの眼があったかどうかはさだかではない。牛舎かなにかの板が仔牛の背後にある、右側から柵ごしに外がみえる。あかるい空と樹の葉。明るさが藁や仔牛をそっと照らす。明るさは、オーラのようにそれらを包み、日常から非日常へいざなう、鬼火のようにすらみえてしまう。日射しと鬼火は似ているのだ。日常と非日常は隔絶したものではない。繋がりをもって、わたしたちをとりまいている。だから詩を書いているのだ。ともかく、牛は可愛い姿かもしれない。そんなことは忘れてしまった。牛の生がげんじつでありげんわくだった。作者は山口華楊、絵は《生》(一九七三年)。山口華楊は、《幻化》(一九七九年)ではじめて知って、気にいった画家だった。「緑の背景というかみわたすかぎりの緑の草原を二匹の狐がはねている。草たちが近くにあるのに遠いように感じられる。草たちが雨か霧にけぶるように、かすむように描かれているからだ。それは夢幻の空間といってもいい。(…)“幻化”の名前のように、それは幻の世界とわたしたちのいる世界をつなぐなにかだった。狐のただよう一瞬が、わたしをただよわせるのだった。遠くて近い草むらが、幻が近くて遠いものだと告げてくる…」そんなことを、二〇一〇年十一月二十五日のここで書いている(http://www.haizara.net/~shimirin/nuc/index.php?itemid=4677)。そのぼうっとした鬼火的な明るさが《生》にも共通項としてありありと感じられた。ところで幻想をまとってしまうと、その姿はさびしげになるのはどうしてなのだろう? 非日常をまたぐとどうして孤独をもったようにみえてしまうのだろう? いや、もともと孤独なのかもしれない。それがいっそう、むきだしにされた? わからない。さびしげなピロスマニの動物を思い出す。《生》の仔牛に可愛いという言葉が思いつかなかったのは、その寂しさのせいでもある。そうだ、ピロスマニの動物だって、今気付いたが、たぶん、可愛いという言葉はあてはまったはずだ。あてはめることを忘れていたし、あてはめたくなかったけれど。可愛いということばは、なにかをせばめてしまうから。日常の枠のなかでのみ使用されることばのように感じてしまうのだ、わたしは。


 山口華楊(一八九九─一九八四)。そう、《幻化》で気にいったので、古い図録などを購入したりしたが、実物をみるのはこれが三点目。今回も連綿とした鬼火を感じてうれしかった。名前を見る前から、あれはもしかすると山口華楊ではないかしら、と思わせるほどに鬼の火だった。動物画が多い。若い頃、竹内栖鳳の私塾にも通っている。
 もう一点、《木精》(一九七六年)も「第二章 鳥類園 〜翼をもつものたち〜」に出展されていた。こちらは鳥たちを集めたものなので、ミミズクが描かれてはいるが、その姿は小さい。それよりもミミズクが止まっている大木の根元、うねうねごつごつした姿がぼうっとともった鬼火だった。それはもはや動物ではなく森の暗い明るさだった。ほとんど縮尺がおかしいぐらいに小さなミミズク。だが、それがいないとダメなのだ。龍の眼のように、幻想ではなくなるのだ。


 鳥類園に移ってきたので、速水御舟《鶴》(一九三二年)を眺めよう。足を水に浸した、足元が見えない鶴一羽。絹本墨画彩色、丹頂鶴を墨と胡粉で、鶴のまわりの地隈に銀泥を配して、きらめきを出しているらしいが、それもまた鬼火の一種だ。背に嘴をつける鶴。足元が見えないのが、地に足をもたないかのようで、幻想を強めている。波紋が枝のような細い脚にからまり、また逃れてゆく糸のようにもみえる。そしてやはり、しんそこ寂しい。凛としつつさびしさがあふれている。こちらも勝手におふねさんと呼んでいる、速水御舟、好きな画家だ。


 実はこれ以降、展覧会ではもはや速水御舟の作品しか響かなくなってしまった。鳥から「第3章 水族園 〜水の中のいきものたち〜」の魚、最後の「第4章 昆虫園 〜小さきものたち〜」の虫。魚は《春地温》(一九三三年)。うっすらとした金泥の波紋を黒い鯉が泳ぐ。波紋は金がかすかにまじるが、ほとんど灰色で、鯉の黒と均衡をたもっている。まるで鯉からとけだした色のように。左端から上にかけて夢みるような細い桃の花枝。春の温かさ、だろうか。けれども鯉のいる水は冷たそうだ。ただ桃がぬるさをつたえる。とけだしたような波紋のかそけき渦がひろがりだった。あるいは渦が水底へつれてゆく。


 虫といえば実は速水御舟《炎舞》、蛾が炎に踊るそれがこの美術館の目玉のひとつなのだが、これも重文なので、あまり展示される機会が多くない。けれどもこの展覧会で《斑猫》と入れ替わるように、後期から出展される(八月二十三日〜九月十一日)。《炎舞》は大好きな作品だが、何度かここで見ているので、見たことがない《斑猫》の展示がある、前期にきたのだった。
 最初にあまり下調べしないできたと書いた。虫の展示は別室になっていて、鳥や魚のように、続いていないので、何があるのか、そこにゆくまでは見れない。《炎舞》はないんだよな、なんだろ? いきなり蜘蛛の巣が眼にとびこんできた。黄土の地に、白、おそらく銀がまじった、きらめきを放った、あやしいまでに最期をかざる、大きな蜘蛛の巣の美しさ。その中央に夢のように白い蜘蛛が手招きをするように鎮座している。画面上全体に拡がるヤツデの緑が残酷なほどあざやかだ。それは死をいろどるヴェールだった。蜘蛛にとっては生だろうが、死へのいざないとしての装束のようにきらめいていた。絵はやはりおふねさん、《昆虫二題(葉陰魔手)》(一九二六年)。


 この絵は対になっていて(元々は双幅の軸装として制作されたものだそうだが、今は額に入っている)、もう一枚は隣にあった。《昆虫二題(粧蛾舞戯)》。赤黒い地、中央上寄りが朱色をおびた光で、そこに色とりどりの蛾が向かっている。どちらも求心的なものがある。そして死を帯びている。蜘蛛の側からの死、死に向かってゆく蛾、真昼と暗がり。後者は《炎舞》の世界に近しい。光と火の違いはあるけれども、蛾の死に至る踊りだった。前にもエッセイとして書いたことがあるが、虫たちが光に惹かれるのは、太陽や月などの自然光を基に自分の位置を知ろうとする習性のためだそうだ。それが人工のものだと、自然光では絶対にあり得ないほどに光源に近づくことができてしまう。その結果、方向性がわからなくなり、眩しさに目が眩んで、光の中に飛び込んでゆく。彼らは死ぬために光を求めているのではない、生きるために光を求めているのだ。だが死の間際の踊りであることに変わりはない。天に昇る蛾たちのあざやかな舞。どちらも幻想だった。そしてそれはげんじつに根をもった幻想として、力をもって…いや、げんそうは、はなから力なのだ。囲いや表面からあふれ、ひろがりをもった、それこそがほんとうは非日常(というげんそう)ではなく、日常(げんじつ)なのだ。じつは、いま、わざとひらがなで書いている。げんじつの“げん”は、げんそうの“げん”であってほしいから。それははじまり、囲いの外のものがたりのはじまり、詩の場だから、あるいは、死と生がゆきかう場所。よそおう蛾たち、こどくな蜘蛛。さびしさが、あざやかだ。

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