Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2012-04-26

次から、またたそがれの、あのはざまのなかで

 気がつくと季節がだいぶ変わっている。はずだ。私の大好きな公園がある。桜が終わったと思ったら、突然、鯉のぼりが現れた。そういえば、毎年、田圃の上をメザシのように泳ぐのだ。向こうには満開の枝垂れ桜…。これを書いている今日にはもう、その枝垂れ桜もほぼ花を終えているのだろう。季節が変わっている、はずだ。染井吉野はもはや、葉桜ですらなく木になっている。だがまだ地面には名残の花びらが乱れるように咲いていて。





 季節が変わっている、はずだ…。そんなふうにあいまいに書いたのは、この数日、ほとんどそれを感じることなく過ごしてしまっていたから。このところ、週末ごとに人中に出かけることが続いたので、少し疲れてしまった。実は集まりに出るのが非常に苦手なのだ。たぶんそう見えないだろう。見せないようにしている。人々に気をつかいすぎるのかもしれない。わからないが、帰ってきたあとにともかくものすごく落ち込む。そのまま鬱状態になる。ただただはやくその状態から逃れたいと思うのだが、無気力になり、なにもせずにその状態に身も心もうばわれたままになってしまう。あるいはだんだんからっぽになり、そのまま、くらさのなかにたゆたってゆく…。
 今回は、風邪も併発したから、よけいその状態が長引いている。出かけるのはおろか、書くのも読むのもおっくうだ。
 だがそうもいってられない。ところで、どうしてなのだろう? いつからなのだろう。明確に意識しだしたのは、詩をかきはじめてからだ。いや、そうではない。書き始めてからは、勤めとか以外は出かけることは殆どなくなったから。そのもっと後、詩人たちの集まりに出るようになってからだ。それも微妙に違うかもしれない。どんな集まりに出ようと、多分、たいていは疲れてしまうのだろうから。詩人だからどうというはなしではないのだ。たまたま、そうしたところにしか、出かけることがないというだけだろう。これが親しい人たちばかりが集まってなら、それほどでもないのだけれど。なにが一体そんなふうにさせるのだろう。何かがあったわけではない。ただ、いちいち、人の眼を気にしている。自意識過剰といわれてもしかたないし、ほぼ妄想なのだろうが、なにか、わたしは仮面をかぶっていないと、すべての人から嫌われるにちがいない、と思っている、といったらいいか。それを隠すために、微笑んでいる。いちいち気配りをしている。それが仮面なのだ。
 「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ」(吉本隆明「廃人の歌」部分)…。
 はじめてこの詩を読んだ時、こんなふうには思わなかったが、衝撃をうけたものだった。全世界というのではないが、あなたに感じたこれを言っては決してならない…、他者に対してそんな塊を覚えたことからくるのかもしれない。それは言葉にならない図星のような塊だった。確かに妄想だっただろう。それは触れられたくない傷のようなもの、あるいは裏面、片面というべきものに近かった。それを前にして、わたしは口をつぐんでしまう…。
 突然この詩のことをここに載せたのは、どこか今のこの感覚と、この詩にわたしが共鳴した、そのときの印象が似ているから。わたし「廃人の歌」の僕のようには、今も昔も思ってはいない。なぜなら真実を口にすることはできないと思うからだ。せいぜいそれに近いことを、書くだけだと思っている。だが、なんといえばよいか、仮面を被って、彼らに接する、そう思う、隠していると思っている、なにか、その塊が、「廃人の歌」の妄想として、わたしにのしかかっているようなのだ。妄想から瘴気のように発生したそれらがわたしを包む。他者はそれを写しだす鏡だった。わたしは隠すことで、鏡をみせつけられたような気が…。
 わからない。こうして書いていくことで、少しづつ脱却しようとしているのかもしれない。以下、すこし前に書いたこと、こうなる以前に綴った文章を直したものを載せる。直すうちに、瘴気が晴れるかもしれない。

 テレビ東京『美の巨人たち』四月十四日の放送は、奥村土牛《醍醐》だった。綿臙脂という珍しい顔料(カンパリにも使われるコチ二ールという虫の紅色色素を綿にしみこませたもの)で、塗り重ねてゆく。それは油絵のように厚塗りになってゆくのではなく、奥へ奥へ、吸いこまれてゆくのだという。重ねることで、奥行きがましてゆくのだ。
 虫が奥へ静かにはいってゆくようでもあった。
 醍醐寺のしだれ桜。重なった花びらたちが、一本でまるで何千本もの桜の花を集めたかのようにある。そのなかで、幹がどっしりと根をはやし、生をはなってみえる。画面の三分の二は幹で、上三分の一に、桜の花が見える、その全貌ではない、花の両端も、上端も見えない、つまり幹に焦点をあて、後の花は切り取ったような構図なのだ。
 私は何度も見ているのに、そのことに気づかなかった。ずっと桜の木の全体像を見ていると思っていたのだ。
 それは切り取ることで、外部に余白をもたせる効果なのだという。その余白を想像することで、圧倒的な桜を感じることができる…。つまり、私たちそれぞれが上や右左の花を自ら思い描く共有のなかで、絵の花は、合わせ鏡のように、花びらをますますふやしてゆくのだ。だから、私は長らく桜の全体像をみていると思っていたのだった。もちろん、わたしが抜けているからということもあるだろう。番組の中で醍醐寺の見事な実物のしだれ桜の映像も紹介していたのだが、それをみても、ああ同じ桜だ…(けれど《醍醐》のほうが迫るものがあるな…、実際に現地で見たらまた印象は違うかもしれないが)ぐらいしか思わなかった、切り取られた構図であると、まだ気づかなかったのだから。
 開き直りのようだが、それはそれで、われながらほほえましい間違えだと思う。桜の生に、奥村土牛とともに、たちあうことで、それらが、生じた、といえる面もあるのだから。わたしたちは同じ醍醐寺の桜を、彼によって、みつめることができたのだ。彼の残した外部の余白に、視線をおくことで、彼と同時に、観る事が。つまりそれは共鳴だった。

 桜はとうにおわってしまった。川面に浮かんだ桜の花びらも、どこかへとうに流れてしまっていった。
 桜の花筏。別にハナイカダという植物もあるらしい。ネットで探したら、葉の上に小さな筏のような花が乗ってみえる花だった。葉が川で、花が筏、葉の川を花の筏が流れる…。ところで桜のほうの花筏。室町時代の、蒔絵師幸阿弥家の花筏蒔絵までは遡れるとある。そして花筏の由来は川に流された骨壷が筏から外れた姿からきているのだとか。筏にくくりつけた骨壷を流す。紐がほどけて川に落ちると早く極楽にゆけるという言い伝えがあった、花は骨壷に添えられたもの…。梶井基次郎を引き合いにだすまでもなく、桜には死の影がどうしてもまといつく。わたしはこれを聞いて、しずかに納得した。




 花筏を調べているとき、ネットで、こんな言葉をみつけた。
 『世間にたそがれの味を、ほんたうに解して居る人は幾人あるでせうか。多くの人はたそがれと夕ぐれを、ごつちやにして居るやうに思ひます。夕ぐれと云うと、夜の色、暗の色と云ふ感じが主になつて居る。しかし、たそがれは、夜の色ではない、暗の色でもない。と云つて、昼の光、光明の感じばかりでもない。昼から夜に入る刹那の世界、光から暗へ入る刹那の境、そこにたそがれの世界があるのではありませんか。(中略)世界の人は、夜と昼、光と暗との外に世界のないやうに思つて居るのは、大きな間違ひだと思ひます。夕ぐれとか、朝とか云ふ両極に近い感じの外に、たしかに、一種微妙な中間の世界があるとは、私の信仰です。』 (泉鏡花:「たそがれの味」・明治41年3月)
 だから私は黄昏がすきだったのだと思った。それは狭間の世界、境界だ。現実と非現実。物語世界と現実世界。空想と現実。非日常と日常。境にあるそれは、どちらも含んで、そして、それでも現実にもともかく見えるものなのだ。だからこそ、それはあれほどまでにうつくしい…。わたしはどんなに夕暮れがすきだったろう? それはわたしがいようとする世界だったのだ。

 昼と夜、空といえば、どこかで書いたかもしれないが、思い出す文章がある。
「不変の虚空を飽かずに見あげる人びとが、その大いなる地上で倦み疲れぬよう、われは空に絵をかこう。日びがつづくかぎり、一日に二度絵をかこう。一日が夜明けの庵をたつと同時に、われは空を青にいろどろう、人びとはそれを見て歓喜するだろう。そして一日が夜のなかに沈む前、人びとを悲しませぬために空をふたたび青にいろどろう」(ロード・ダンセイニ『ペガーナの神々』のうち「リンパン=タンのことば」訳・荒俣宏) 。
 リンパン=タンとは愉悦と吟遊詩人たちの神のこと。
 わたしはこの言葉が好きだったが、長らく少し思い違いしていた。 一日に二度、空に描く絵は、どれひとつ同じ絵ではない、毎日、違う、そうも言っていると思っていたのだ。それは、わたしが実際に空をながめ、海をながめ、思った印象だった。一秒後ですら、雲のかたちが違う、空に同じ模様が留まることがない、海もそうだ、波しぶきは、刻々、その青い動きを変える、今みた波は、唯一無二の波なのだ…。そうした思い違いは《醍醐》の桜のあの外部の余白のようなものだ。自身が感じたことを貼りつけることで、共鳴としてわたしのなかで、ダンセイニを咀嚼した、ほとんど友情のような思い出になっているのだった。

 印象に残っている文章で、こんなふうに、わたし自身が感じたこと、つけたしたことと元々の文章でアマルガムみたいになっているものはほかにもある。
 村上春樹『ノルウェイの森』の主人公ワタナベと彼の友人永沢さんの会話、というよりもほとんど永沢さんのそれ。
 「ワタナベも俺と同じように本質的には自分のことにしか興味が持てない人間なんだよ。傲慢か傲慢じゃないかの差こそあれね。自分が何を考え、自分が何を感じ、自分がどう行動するか。そういうことにしか興味が持てないんだよ。だから自分と他人とをきりはなしてものを考えることができる。(中略)ただこの男の場合自分でそれがまだきちんと認識されていないものだから、迷ったり傷ついたりするんだ」「俺とワタナベの似ているところはね、自分のことを他人に理解してほしいと思っていないことなんだ」「そこが他の連中と違っているところなんだ。他の奴らはみんな自分のことをまわりの人間にわかってほしいと思ってあくせくしてる。でも俺はそうじゃないし、ワタナベもそうじゃない。理解してもらわなくたってかまわないと思っているのさ。自分は自分で、他人は他人だって」。そしてワタナベ…「僕はそれほど強い人間じゃありませんよ。誰にも理解されなくていいと思っているわけじゃない。理解しあいたいと思う相手だっています。ただそれ以外の人々にはある程度理解されなくても、まあこれは仕方ないだろうと思っているだけです。(中略)」「俺の言っているのも殆ど同じ意味だよ」「本当に同じことなんだよ。遅いめの朝飯と早いめの昼飯のちがいくらいしかないんだ。食べるものも同じで、食べる時間も同じで、ただ呼び方がちがうんだ」「でもワタナベだって殆ど同じだよ、俺と。親切でやさしい男だけど、心の底から誰かを愛することはできない。いつもどこか覚めていて、そしてただ渇きがあるだけなんだ。俺にはそれがわかるんだ」
 わたしはこのワタナベ君が自分に似ていると思った。彼の傲慢ではないところが。そして親切でやさしいところが。そして残念ながら他者にたいする考えが、だ。にていると思ったわたしは、もうひとつ、朝昼飯をつくってしまい、永沢さんとワタナベ君のご飯の間においたのだった。つまり、勝手な描写をくっつけてしまって、それとともにずっと覚えていたのだ。外部の余白に。それはこんな描写だ。
 〈ワタナベが誰にでもやさしいのは、自分のテリトリーに近づいてほしくないからにすぎない。俺の傲慢さがそうであるようにね。あるいは自分のまわりに波風たてずにいたいだけなんだ。波風たてずに、渇きをみつめること〉…。そうして思ったのだ。渇きをみつめることでだけしか、他者と関わりがもてないのではなかったか。それはつまりワタナベ君と永沢さんの関係だ。自身の渇きをみつめることでしか、共有することはできない…。(ところで、今頃気づいたが、ワタナベ君と、永沢さん、そして永沢さんの恋人ハツミさん、この三人の関係は、高校の時の友人キズキ、キズキの恋人だった直子との関係と重なっていたのだ。)
 この誰にでもやさしい、八方美人な態度は、今日の冒頭で感じた仮面に繋がるかもしれない…。波風をたてない、立てまいとして…、ではなぜ、ほとんど傷ついたようになってしまうのか、わからないが、このことたちと密接なかかわりはあるのは感じられる。感じられ、そして自分のなかでなにかたちが、うなずきあったところで、中途半端なようだけれど、このことに関してはひとまずこれで。次回からは、またたそがれのなかで。

03:23:45 - umikyon - No comments

2012-04-15

桜の瞬間に恋をふめ



 今年は家の近所だけれど、桜をよく見て回れた。この辺りは三月三十一日が開花宣言が出たのだったか。
 四月一日だったか…。開花宣言の後、縄張りをチェックする猫のように見て回った。まず開花宣言よりも前に何故か毎年咲いている、川沿いの公園の二三本の桜。彼らがどうなっているか。、今年も早い彼らは他が一分咲き位なのに六分咲き位で。ほかも少しだけ。けれども全体的に、まだ一分から二分咲き位なので、例年感じていた、うんざりとうっとりとする幻想はなかった。それでも、つぼみの枝たちで沢山なのは、散ってしまったそれをみるよりも、ほっとするとどこかで思った。咲いている花の数が同じだったにせよ、これから咲くであろう、それを見ることは。
 近所の桜の開花が進むにつれ、桜廻りの範囲は増えていった。満開に近づく度、むせそうな、胸のどこかがきしむような眩暈が強くなってくる。私は今まで、長らくの間、ほとんどそれは過去の私と出逢うことからくるのだと思っていた。過去桜をみている自分との再会を、今年の桜に見ているのだと。それが連綿と続き…。だが去年、3・11が起こった後で、桜を見た時に、それは違うと思った。あのとき、桜を感じることが、むせる眩暈を感じることがなかった。どこかがしびれていた。心が重かった。けれども、今目をしている桜との関係は、私との出会いではないのだと、しびれる頭のなかで、気配のように感じていたのだ。そして今年。桜を前にして、せつない恋のような感情が、だが静かにたちのぼってくるとき、わたしは過去から連綿と続く桜の瞬間に立ち会っているのだと思った。それは桜そのものの生の瞬間だった。その瞬間に立ち会うことが、桜が生きていることが第一で…。あるいはそうした桜に今年もあえた喜びこそが。そこに私がいたとしても、それは二の次なのだ、私が桜と関係できるのは、その瞬間にたちあうことでしかない、そんなことを桜を見ながら漠然と思った。むせそうな、それはほとんど恋だった。









 四月一日の日曜日、去年の秋(二〇一一年)の再放送らしいが、NHKの日曜美術館〈雨の夏草、風の秋草〜坂東玉三郎、酒井抱一を読む〉を流していた。
 酒井抱一『夏秋草図屏風』(重要文化財、この絵は尾形光琳の『風神雷神図屏風』の裏面に書かれたものである)をメインに取り上げたもので、酒井抱一は、もちろん好きだが、ゲストの坂東玉三郎。こちらも、最近シネマ歌舞伎などでみてすっかりひいきになっているので、録画して見たのだった。酒井抱一のこの絵については、以前にもここで触れたので書かない(二〇一一年二月十五日(http://www.haizara.net/~shimirin/nuc/OoazaHyo.php?query=%B2%C6%BD%A9%C1%F0%BF%DE%D6%A2%C9%F7&dummyInput=%A4%A2%A4%A4%A4%A6%A4%A8%A4%AA%C8%FD%C9%FD&amount=0&blogid=3)…ご興味のある方は、そちらを見て下さるとうれしいです)。ここでは坂東玉三郎の言葉で特に心に残ったことのうち、今日の文章と関わりのありそうなことを抜粋してみる。

「沢山の修業をした中で無心になって、音楽でも絵でも、書いたときには宇宙から波がもらえて、非常に自然の草花のバランスと同じ作品ができるって、考えているんです。
 ですから自然を何度みても飽きないし、深いし、慰められるじゃないですか。ですから充分な修業をして、それが一番大事なんです。
 しかし、技術が見えたのでは、ダメなんですね。本当にこう、遊びながら描いたんじゃないかと思わせる、気楽さが表面に出てきながら、裏づけは、もう命をけずる修業をしていなければいけない、しかしその中で色々に自分が苦しんだり、楽しんだりする、思いの中で無心になれたとき、天からの声がして、それが手をうごかし、楽譜を書かせるんじゃないでしょうか。」

 私が桜に対して感じた瞬間の生とは、たとえばこうした「自然の草花のバランス」そのものを、一つの美として見ていたことによるのではと思ったのだ。それを作品とは呼ばないけれど、だからこそ、美に焦がれるように、心がざわつき、ひきよせられたのではなかったか。
 この自然の草花のバランス、という言葉を聞いたとき、景色たちにしみいるような思いを抱く自分に、なにか一つの名前をつけられたような気もした。

 四月四日〜六日。いつもの崖の湧水の近くに山桜のように咲いているそれ、古民家や田圃がある公園の桜、野川沿いの、駅向こうの住宅地の中の桜並木、あちこち見て回ったが、やはり仙川、岸辺に面した桜並木。水に映ったそれのせいか、やはりここにいつも特別惹かれるようだ。この辺りに越してきたのは四年前だが、八年前からほぼ毎年来ていた。だが、その前に。というか、その後、四月九日(七、八日は、お弁当を持って、こっそりお花見をしたのだった)。
 いつも通りすぎていて、気になっていた、道路に面した崖、小さな林のある公園の桜…。道からは桜並木のように見えるので、今回初めて訪れてみた。ところで先の湧水は国分寺崖線上にある。これは多摩川が十万年以上の歳月をかけて台地を削り取ってできた段丘で、湧水や樹林が多い。今回、訪れたのも、やはりこの崖線上にある。崖線というから段差がある。道はだいぶ登っているので、道からこの崖線を降りる感じで進む。すぐ団地があるのだけれど、樹木が多いので、山を降りているような錯覚がおきる。降り切ったところにやはり湧水の池があった。私は水が好きなのだ。どうして湧水にこれほどまでに惹かれるのかわからない。澄んだ水にカルガモ。それだけでバランスだった。ところで桜は、道からは並木というか、桜の森のように見えたけれど、道に面したところにだけ咲いていたようだ。だがそれでもよかった。思ったとおりではいつもない。彼らはいつもたいてい、私の思惑から外れてくれる。彼らはわたしが思い描いた世界ではないから。彼らは自立したバランスで世界として存在している。そしてその姿で、時に、私の世界と接してくれる。接して、交差したときに、彼らの世界に触れさせてくれる。私の世界と彼らの世界がつかの間重なり合う。湧水池から、桜がやはり山桜のように、ひっそりと、けれど緑の中で、あわい桃色の花は、月明かりで照らされた夜の中の、雲のようにみえる。スミレやムラサキケマンが咲いている。シジュウカラに混じって、知らない鳥の鳴き声を聞いた。あるいは思いがけなさが、彼らと私を繋ぐ生なのだ。降りてきた細道と違う細道、比喩ではなくほんとに山道のようなそれを登ってみる。来た道と九十度は方向がずれている。どこにゆくのだろうか。小さな冒険のようでわくわくした。登り切ったそこは団地の敷地に面した場所だったけれど。大きな桜の木。





 その公園から、仙川沿いの桜並木までは割と近い。公園からいつもの道にでて、登ってきた坂を下れば、五分もいかないうちに川とぶつかる。そこを曲がれば桜並木だ。

 九日。仙川の桜はほぼ満開だ。ただコンクリート護岸してあるからか、水がどぶ臭い。いいこともあれば悪いこともある。けれども不思議なことに、すぐ近くの護岸されていない野川よりも、鴨の数だけは多い。それもまたいいこと、なのだろうか。



 岸辺の道、橋などに人が多いが、彼らは概ね写真を撮ったり、愛でにきているだけなので、気にならない。というのは、シートを敷くスペースがないので、酔客の五月蠅い花見客がいないから。橋から両脇の桜を眺める、延々と連なってみえるそれに、水面にうつった桜が加わる。だから橋の上は桜を眺める、カメラを撮るのに人気スポットだ。自転車を引いて、足を止めて桜を見上げる初老の男性。前の籠には、橋のたもとのホームセンターで買ったのであろう、小松菜の種が一袋、入っている。あるいは桜と一緒に撮って下さいと、カメラを私に差し出してきたOL風の女性。もう一枚撮りますね、といったら、はにかむような、やさしい表情をしていた。
 ところで実は湧水のある未知だった公園に向かう前にも、ここ仙川に来ていた。二時間は経っているのだが、その時に見かけた犬を散歩させながら桜を見ていた女性にまた出逢った。私のように、ここにまた惹かれてきたのだろうか。多分そうだ。
 橋の上で川面に映った桜をみて、「きれいね」「水に映ったほうが綺麗だわ」と、何人もの人々の声をきく。咲いている桜が現実だとしたら、川面に映ったそれは幻影だ。水に映ったほうが綺麗だとは思わない。二つがあわさった、その姿が美しいのだろう。そしてそれは現実と幻影が同じように美しいということではなかったかと思い、心がふるえた。



 そうだ、家の近くのお寺の、見事な桜を書くのを忘れていた。一本の大木。見上げる度に力を感じる。せつなくなる。近くといえば、そうだ、小学校の桜もあった。学校にはフェンスにもたれた案山子がいる。私は彼のことは殆どいつも忘れてしまっている。桜の時期と、選挙の時にだけ思い出すのだ。学校は投票所なのだ。案山子と校舎の間に、桜が四五本植わっているので、彼はそれをみあげているように見える…。一人で、悠然と。今年も再会したのだった。
 また話がそれる。湧水に関してだからだ。学校の正面に湧水があると、数日前の花見の時に知った。うちから歩いて数分のところだ。わくわくしながら学校のまわりを探したが、一周しただけではわからなかった。二周しようとしたとき、それが人の家の庭にあたるところではなかったかと思い到る。その庭を垣根越しに見る。庭の一部が裂けたようになっている。多分それが湧水なのだろう。その裂け目にジャノヒゲが植わっていて、確かめられない。以後、毎日、遠巻きに確かめるが、もしかするともう枯れているのかもしれない。垣根の一方は小さな用水路。これは百メートル位で野川にそそぐ。下水と昔の用水路の名残(このあたりは田圃だったから)かと思っていたが、そこにはもしかすると湧水もまじっていたのだろうか。



 四月十日、晴れ。野川の早い桜は、だいぶ散っていた。そして仙川沿いの桜。昨日まで、花びらは降っていなかったのに、もう散り始めていた。思ったとおりではいつもない。まだ満開のそれに出逢えるとばかり思っていたから。花吹雪が静かに水に落ちてゆく。水面に桜が映る…ばかりでなく、水面に花びらが浮かぶのだ。見上げれば現実の桜。川面には幻影の桜が映り、幻影ではない花びらが流れていた。その真ん中で、しきりに花びらが舞っている。言葉遊びのように、待って、と言いたくなる。むせそうに恋のように桜の生と終わりが、現実と幻影が迫ってきた。







 天気予報では、桜は今日まで、明日は花散らしの雨となるでしょうといっている。
 この日は、駅向こうの住宅街の並木のほうにもいった。山吹が咲いている。雪柳、花ニラ、タンポポに、花びらが降っている。タンポポの葉や根元におちた花びらは、なにかちいさな植物のようだ。タンポポや花ニラと一緒に小さな桜が咲いている。

 四月十一日。天気予報どおり、風そして雨。ただ日があるうちは雨はそんなにひどくなかったのでフード付きのジャケットを着て出かけた。心が重かった。前日にはもう散っていたから、この風と雨で、あらかた散ってしまっているのではと。この日も仙川沿いの桜…。散った花びらが目に染みた。けれどももっと散っているかと思ったが、そうでもなかった。桜は満開のままのように見える。ただ川面に浮かぶ花びら、橋や根元や道端に落ちている花びらは多かったが。彼らは思ったとおりではいつもない。思いがけなさが彼らを近づけてくれる。だがこれが今年はおそらく見おさめになるだろう、だから、今のうちに見ておこう…恋情でせつなくなりながら、何度も岸辺沿いに往復した。ぱらつく雨、天候のせいか、今日はほとんど人がいない。花びらがひときわ降り積もったあたりにきた。そっと花びらを踏む。そこは雪よりもあえかな柔らかさがあった。足元に小さな生の最後の温もり。花吹雪と雨の雫の混ざって。



 四月十二日。花散らしの雨の時は、まだ桜は迫ってきてくれていた。そして朝の天気予報でも、意外にも(そうだ思ったとおりではないのだから)、花散らしの雨は、桜をそこまで散らすことがありませんでしたから、週末までなんとか花見ができそうです、と喋っていた…。だから、この日も、きっと迫ってきてくれる、恋を募らせてくれると思った。まず、古民家のある公園…。花があらかた散ってしまっていた。だが変わりに枝垂れ桜は八分咲き位、ほぼ盛りにソメイヨシノよりも濃い桃色の花を垂れていた。御簾のようだ。空をここから見上げること。空色と桃色はとても仲がいい。知らないうちにだいぶ鳥の種類が増えたようだ。だが…。桜はだいぶ散っていた。もともとここの桜は少しだけ開花が早いから、仙川はまだ…。期待のなかにだがどこかさびしい了承もあった。前日、わかれをつげていたから。



 仙川沿いの桜。橋から連なる桜を見る。何かが違う。迫ってくるものがない。白い鳥が影をたずさえて飛び去ってしまったような気がした。目の前の桜たちは、次の季節への脱皮を図ってしまったみたいに見えた。それは現実への完全なる移行のように見えた、幻想性をあらかた脱ぎ捨ててしまったように見えたのだ。申し訳なくどこかで思ったが、それはもはや恋ではなかった。恋の残像だった…。それでも写真を少しだけ撮って帰った。お寺の一本のおおきな桜はまだほぼ完全に満開だった。思いを寄せるように見上げる。案山子に挨拶にゆく。こちらの桜は、もっと散っていた。葉がかなり目立ち始めていた。別の生が生きられ始めていたのだった。
 写真は夜中にようやくパソコンにおとした。期待もせずに画面で開いた。その中ではまだ桜は満開、ほぼ脱皮前に見えることに驚く。思ったとおりではいつもない。脱皮の現実と満開の映像、狭間にて。



四月一三日。この日は、駅のほうまでゆく用があったから、また仙川を通ろうと思えば通れた。だけれど、前日に桜ともう別れをかわしてしまったように感じがして、気のりがしなかった。仙川沿いの道は、遠回りであったり、どぶ臭いこともあり、実は桜の時期しか通らないのだ。
 野川沿いの公園はそれでなくとも好きな公園なのでそちらはうきうきと通る。葉桜になっている。花びらが舞う。地面には踏まれ、雨にぬれ、泥をかぶった花びらたちが満開だ。用水路に蜘蛛の巣が橋のようにかかっていた。花びらがその上に載っている。
 不思議なことに、この日は、桜がよそよそしくなかった(昨日はそうか、よそよそしいとも思っていたのか)。思ったとおりでは、いつもない。花びらが舞う。桜は舞うことでさよならをつげてくれているようだと思った。脱皮がだいぶ済んだ桜たち。彼らは昨日はそれで忙しかったのだろうか。紫陽花の新芽がやわらかい色で、葉桜になった桜となにかを交代するように、芽吹きだした。


 駅からの帰り道、仙川を通ったが、現実のほうで少し気にかかることがあり、彼らとはあまり…。
 家の近所のお寺の見事な桜は、ほぼ満開だった。ようやく花びらが散り始めて。彼をうっとりと見上げる。別れをうけとるように、静かに。また来年も恋をするから。
 明日は大切な友人の結婚式だ。

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2012-04-05

相反するものを橋が渡す…(ボストン美術館 日本美術の至宝)

 三月のおわりに「ボストン美術館 日本美術の至宝展」(二〇一二年三月二十日〜六月十日)を観に、上野の東京国立博物館へいった。
 三月二十日から四月十五日まで「博物館でお花見を」として常設展をやっている本館のほうでも(ボストン…は平成館での特別展)、たのしそうな展示があった。わたしは、桜が、というか、花はわりとすきなのだ。それに花見というだけで、なにか心がはなやぐではないか。とはいっても、たくさん集まってのどんちゃんさわぎは苦手だが、博物館でお花見を、だ。まさかそんなことはないだろう。しずかに収蔵品たちが咲いているのを楽しむのだ。
 でかけて、はじめて気付いたのだけれど、この期間と、秋のわずかな期間に限り、敷地内の庭園も開放しているらしい。でかけたのは、まだソメイヨシノが咲く前だったが、表の庭園では、河津桜、寒桜が咲いていた。とくに寒桜は、ソメイヨシノととおい親戚でもあるので(どちらもオオシマザクラが混ざっている)、色も姿も似ている。ひとあしはやく、さっそく花見をたのしめたようで心がさわいだ。しかも場所も上野だ。この分だと、来週ぐらいだろうか、きっとソメイヨシノが咲いて、そうしたら、きっともっとたくさん、人がおとずれるのだろう、そう思いながら、まずは平成館「ボストン美術館 日本美術の至宝展」のほうへ。



 ボストン美術館に、なぜ国宝級の作品たちが沢山渡っているのか…。かいつまんでいうと、江戸幕府瓦解後、粗略に扱われた伝統工芸品、美術品の保護、収集にあたったのが、日本政府のお雇い外国人として日本に渡ったアーネスト・フェノロサ(一八五三─一九〇八年)で、帰国後に就任したボストン美術館の東洋部長という職から、散逸をふせぐためにも日本美術品をコレクションに加えていったという。さらにその役を継いだのが岡倉天心(一八六三─一九一三年)で、日本および中国の美術コレクションの充実をはかる。そして、大森貝塚を発見したエドワード・シルベスター・モース(一八三八─一九二五年)、彼の後輩であるウイリアム・スタージス・ビゲロー(一八五〇─一九二六年)の日本コレクションも、ボストン美術館に譲渡されている。
 東京国立博物館のHP(http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1416)から。
〈アメリカのボストン美術館は、"東洋美術の殿堂"と称されます。一〇〇年以上にわたる日本美術の収集は、アーネスト・フェノロサや岡倉天心に始まり、今や一〇万点を超えます。海外にある日本美術コレクションとしては、世界随一の規模と質の高さを誇ります。
本展は、その中から厳選された仏像・仏画に絵巻、中世水墨画から近世絵画まで、約九〇点を紹介します。
修復を終え、日本初公開となる曽我蕭白の最高傑作『雲龍図』をはじめ、長谷川等伯、尾形光琳、伊藤若冲などの手による、かつて海を渡った"まぼろしの国宝"とも呼べる日本美術の至宝が一堂に里帰りします。〉
 さて、展覧会会場へ入ろう。残念なことに仏像、曼荼羅図、狩野派、刀剣にはどうもひかれることがほとんどないので、展覧会のほぼ七〇パーセントは、なんとなく過ぎてしまった。絵巻はもうすこしみたかったが、平日の昼間だというのに、とくに絵巻の前は列をなして、並んでいたので、人の頭ごしに、なんとなくみるだけで去ってしまった。着物の類も以前ほかで見た時は、心に留めたものがあったが、人が多かったからかもしれない。こちらもなんとなく。だんだん不安になってきた。もう六章あるうちの四つまでみてしまった。わたしの感性がにぶっているのではないだろうか。ちなみに六章あるうち、最後の六章が刀剣なのだが、もうすでに順番でいうと四番目位に見てしまったので、残りは四章、五章の二つである。まず四章へ。目当てのひとつ、長谷川等伯《龍虎図屏風》(六曲一双、紙本墨画、一六〇六年)。等伯晩年の作らしい(彼の生没は一五三九〜一六一〇年)。十二月五日のここで出光美術館の「長谷川等伯と狩野派展」のことを書いているが、その時も、《竹虎図屏風》についてひかれたものだった。《龍虎図屏風》(一六〇六年)は、左三曲に虎、右三曲に龍。古来、虎は咆哮で風を呼び、龍は雨を降らすものとして描かれてきたらしい。左の虎と右の龍が目を交わしている。間には雲だろうか、あるいは風だろうか。おそらく両方。風と雨が出逢っている。緊張感のなかに、どこかしらユーモラスな表情がみうけられる。首をかしげたような虎のなかに怖さと笑いが見られるのだ。龍のさけたような口元に笑いがうかんでいるようなのだ。緊張と笑いが、風と嵐のように、判別できなくなる、あるいは両者をふくんで、そこにあるのに、ひきこまれる。


 そしてやはりお目当てのひとつだった、伊藤若冲(一七一六─一八〇〇年)《鸚鵡図》(一幅、絹本着色、十八世紀後半)。茶色の背景、装飾的な赤が基調の止まり木に白いオウム。花鳥画の集大成ともいうべき代表作「動植綵絵」群より以前に制作されたものだという。
 その白い羽根。レース編みのようだ。それはレース編みのように繊細だ、という意味でもあるけれど、レースごしに見たように、ほんとうに向こうが透けてみえるのだ。背景の茶が、うっすらと身体をとおして見える。止まり木は透けない。リアルに緻密に描かれながら、透けている、そのことが心地よかった。今気付いたのだが、それを心地よく思ったのは、現実と非現実のはざまを描いているからなのだった。透けることで現実から浮遊してゆく。けれどもまぎれもなく実在として描かれたオウムの姿が、現実につなぎとめられている。あるいは止まり木にとまっている部分だけが、透けていない、そのことが。


 そして第五章、順番でいうと最後の「鬼才 曽我蕭白」へ。曽我蕭白(一七三〇─一七八一年)。伊藤若冲、長沢蘆雪とともに辻惟雄『奇想の系譜』(一九七〇年刊)で取り上げられたことで、〈奇想の画家〉と呼ばれるらしい。エキセントリックで幻想的…。これが奇想ということで、ながらくきわものあつかいされ、忘れ去られていたのが、この本刊行後に、この三人は注目、評価されたらしい。蕭白はとくに実生活も奇矯で、丸山応挙にライバル心をもち、奇抜なパフォーマンスで…。どうもこうしたことを書くのが苦手だ。ところで苦手な理由がようやくわかった。わたしは自分の現実についてほぼ無関心だから、他人のそれについても、あまり興味がないのだ。たとえ辛いことがあったとしても、それは文学的にか、美的にか、つまり非日常的に、せまってくるものでなければならない。それこそがほんとう…。あるいははざまにいることを望んできたから。あとでそれについて書くかもしれないが(書かないかもしれない。今、あらかたいってしまったので)、いまはともかく絵にうつろう。絵は十一点の展示と、こうした展覧会での個人の展示としてはかなり多い。一章まるごとつかってでもあるし。
 最初は《龐居士・霊昭女図屏風(見立久米仙人)》(一七五九年)だった。「特別展ボストン美術館 日本美術の至宝」の公式HP(http://www.boston-nippon.jp/highlight/05.html)から。<中国唐代の隠者龐居士とその娘霊昭女を描いたとされるが、その好色的な眼差しは、女性の脛に見とれて法力を失った久米仙人とも見える。曽我蕭白の皮肉な眼差しが読み取れる。制作年のわかる蕭白最初の作品としても貴重。> 川が流れ、岸辺には風になびく草があり、うねる樹の幹があり、景色はとても静かである。そこに、河辺に腰を下ろした美女の、片足を流れにひたしたその足の、なまめかしさ、好色というよりもほとんど妖怪の笑いのような不気味さすらたたえた仙人のまなざし。景が静だとすると、人物の揺れが動だとおもった。ちょっと興味をそそられた。
 《風仙人図屏風》(十八世紀)は、画面左端に、黒い塊となった、池に住む龍、そして中央に、風を起こし、龍を天へ向かわせ、干ばつを救おうとする仙人、右下に、たおれ、風にふきとばされそうになっている従者。あれくるう池の波、きみょうにうねる植物、木々の枝、仙人のひるがえる衣など、風が感じられるのが面白い。こちらには動ばかりがある。そして静は、絵のなかにはないかもしれない。だが静と動を感じた。それはあれくるう風、水の龍の、音がしないからだ。それが静だった。
 そして《虎渓三笑図屏風》(十八世紀後半)。滝があり、ちいさな橋があり、たもとに三人がくっついて、笑ってそこにいる。またHPから抜粋しよう。<廬山に隠棲した東晋[とうしん]の僧慧遠[えおん]のもとを訪れた陶淵明[とうえんめい]と陸修静[りくしゅうせい]。話に夢中になった慧遠が俗世に通ずるとして渡らぬと決めた橋を越えたことに気付いて三人で大笑した場面が描かれる。蕭白にはめずらしく穏やかな画風がうかがえる楽しげな作品。>
 もしかすると、この絵にいちばんひかれたかもしれない。笑いが動きであり、静かだった。狭間に関しての絵であることも興をもった。橋のこちらがわであろうとあちらがわであろうと、じつは大差がないのだ…と漠然と思う。滝がきよらかにまっすぐ、布のようにそそいでいる。狭間を越えることが非日常と日常のそれであることにつながっていると思っていた。橋はつねに往還されねばならない。あるいは橋こそがバランスなのだと。


 そしてチラシなどでも使われた、巨大な《雲龍図》(一七六三年)。その大きさに驚きはしたが、実はそれほどは…。等伯の《龍虎図屏風》のほうが、その表情におかしみがあり、というか先にもかいたが、こわさとおかしさが感じられ、ひかれた。そうか、蕭白のそれに、わたしは静と動を感じて、興味をもった。等伯のそれにはたとえば怖さと可笑しさを。そうした相反する二つが同時にあることに、なにか物語でも感じるように、引き寄せられたのだった。ちょうど、非日常と日常の狭間にあることを思うように。それも相反するものではないけれど、別物だ。つながってはいるけれども。その両者をつなぐ狭間が、たとえばそこにある絵だった…。《雲龍図》には動はあるが静が感じられなかった。だから、いまいちひかれなかったのかもしれない。


 《鷹図》(十八世紀後半)は、足や胸と反対方向に首をねじった鷹と、岩場、木の幹。鷹が緻密で、そのねじった肢体に、獰猛さとか用心深さとか、動きが感じられる。対して、大きな木の幹、岩場にはえる小さな草の殆ど静かな生…。こちらはだが鷹もまた静かに息をつめている感じでもあるのだが、緊張感がみなぎっているというのか。ふたつの間で均衡をたもっているふうにみえたのだった。


 とはいえ、ここにはこんなふうに蕭白について書いたけれど、ざっと十一点を見た限りでは、若冲はもちろん、等伯ほどの感動はなかった。どこか技術が画面に出ているとか、奇をてらった態度とか、そんな美とは関係のないものがすけてみえるような気がしたので(そこにはおそらく競争心とかがはいっていたのだろう、と後で知った)。技術も同じ時代なら抱一、もっと前なら等伯のほうがわたしは好きだ。ほんのすこし、下ったら、やはり北斎。圧倒的に北斎。あとで本館のほうで買った雑誌に、《雲龍図》の波が《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》の波を彷彿とさせるとあったがとんでもない。北斎の波の力がない。飛沫の見つくされ、そのあと解体され、彼独自の波となった、あのうつくしい努力の果ての行為がない。もっとも、これはわたしの北斎びいきがいわせることかもしれないが。

 そして常設、本館の「博物館でお花見を」展へ。縄文土器の時代から明治位までを20室に分けて時代別に展示してあり、桜をモチーフにしたものを収蔵品の中から、選んで企画展示している、という趣向になっている。全部が桜というわけではないのだが(それでいったら火焔式土器とか土偶なぞは展示ができなくなる、それは淋しい)、あちこちに桜が咲いているのが、どことなく楽しい、それに、企画展であれほど混んでいたのが嘘のように、とても空いている。息がつけた。スタンプラリーをやっているらしい。チラシに、五か所押すところが区切られている。二十室あるなかの五室にスタンプが設置されていて、全部集めると何かがもらえるらしい。人も少ないし、やってみることにした。なんだかわくわくする。
 桜たちは、目を楽しませてくれはしたが、ひきこまれたのは、数点だ。ひとつは仁阿弥道八作《色絵桜樹図透鉢》(十九世紀)。わたしが陶器にひかれるのは珍しい。鉢の外にも中にも桜の木が描かれている。下は緑の大地に桜の幹。そして縁のほうでは、透かしとして、器に穴が開いており、まるで花びらのつくる穴ごし、枝越しに、向こうの、別の桜の花を見るような心持になる。つまり内側の桜を見るわけなのだが。向こうまで延々とつながる桜並木を、そしてその穴から風を感じた。


 そして浮世絵の部屋。実はここにくる前から、あることを知っていたのだが葛飾北斎(一七六〇─一八四九年)《桜花に鷹》(十九世紀)。派手な垂れ幕のついた木の桟に、鷹が止まっている。背中から描かれているのだが、首をひねって、それが天を向いている。桟と鷹の向こう、すぐ近くに桜の花、桜の枝。背中の鷹の羽は、ほとんど意匠化されている。というかデザイン化されつつ、生身の羽のような質感がある。波のような鯉の鱗のような半円たちがやはり均衡をたもっているのだ。鷹の表情の、精悍で、かつ、どこかくりっとした目が愛嬌があり…。どこか(たとえば二〇一一年十月十五日のここ)で書いたが、私は北斎の鷹が好きなのだ。今回の絵は、うれしいことに、実物を見るのは初めてだったが、彼の描く鷹は、表情がいつもおなじだ。みる私たちとあわさない目だからこそ追いかけたくなってしまう。そして、今回は桜だ。桜が、最初、なんだかモクレンのように花びらがふっくらして、厚みがあるようにみえた。よくみると、花びらが重なっているのだ。八重桜なのかもしれない。ただ八重桜にしては、一輪の桜、おおむねひらべったいそれ、紙のようなそれを重ねただけのように見えもする。どこかおかしいのだが、あつまったそれを見ているうちに、だからこそ桜なのだと、だんだんおもえてきた。遠目にみると、とくに、これこそ桜なのだと、思ってしまう。それは桜たちが重なりあった姿なのだと思う。むこうの桜が、あるいはかつての桜、わたしたちのそれぞれがみる桜でかさなりあって、だからこんなふうにかさねってあるのだと。わたしはなんて北斎が好きなのだろう? それがまた確認できたことがうれしかった。


 スタンプラリーもすんで、景品をもらった。じつは期待していたものよりも?なものではあったが、それでもたのしかった。ずいぶんいてしまった。午前中から来ていたのに四時近い。庭園は四時半までだったのでいそいで庭園へ。そして不忍池へ。わたしは水が好きなのだ。キンクロハジロがいた。頭と背中が黒く、頭の後ろの毛が少しはねている。冬鳥なので、もうすぐどこかに渡るのだろう。くる途中で、ちいさな桜の木にであった。うつむいて咲く。かよわい枝で、すこし桃色。名前がかけてあった。「【サクラ】オカメ」とある。多分、オカメだけでは、この木の名前だと思われないだろうとの配慮から、サクラと括弧してそえられていたのだろう。寒緋桜と豆桜の子供だと、あとで調べて知った。名前を知ると、これからはそれを名前で呼ぶことができるから、いつもうれしい。がオカメ…少々そぐわない気がした。はかなげで細い枝がよわよわしくさえある。けれども、来年からは、みかけたらそれでもよぶことができるのだし、インパクトがあるから忘れないだろう…。結局朝から夕方まで出歩いていたことになる。



 うちの近くで、もう残照だった。だいぶ日がのびた。普段とおらない道をとおったときに発見した河津桜が満開だ、もう盛りをすぎるか過ぎないか、ぎりぎりか。均衡。
 もうすぐ桜が咲くだろう、とその日は思った。そして四月五日の今日だ。桜はうちのあたりではほぼ満開だ。また均衡がうけつがれてゆく。
04:01:42 - umikyon - No comments