Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2012-05-25

金環日食と金色のクラゲ

 二〇一二年五月二十一日の金環日食。日本ではかなりの広範囲で見られる現象だということで、数カ月前からあちこちで日食観測用のメガネを目にした。五月二十一日というか、数分のためにメガネを買うのか、おまけに雨だったらまったく役に立たないのではと、だいぶ長いこと迷ったけれど、これがないと見るにあたって目を痛めてしまうとのことなので、結局買うことにした。正確には『2012年5月21日 金環日食観測ノート』(太陽日食メガネ付・旬報社)。
 冊子という形式なので、ありがたいことに、いろいろ説明が載っている。それによると、金環日食とは、地上から見える太陽に月が重なって見えるのが日食だが、月の軌道は楕円形なので、見かけの大きさが一割以上変化する。「小さく見えるときの月が太陽と重なるとき、月は太陽をすべておおいかくすことができず、太陽のふちが細いリングになって見える」ことなのだという。ちなみに月が大きく見えるときに重なるのが皆既日食。そして私が住む東京では二十一日は朝の六時十九分頃から日食が始まり、金環日食になるのが七時三十二分から三十七分の間だとある。

 前日までの天気予報では二十一日は曇り。雲の合間に見れるかもといっている。前日の雲は多い。見れないかもしれないと、ほとんどあきらめていた。それにしてもメガネ。ためしにあててみると、サングラスよりももっと暗い。何にも見えない。すこし不安になるが、説明書に、サングラスや煤のついたガラスなどでは決して見ないこと、と書いてあるので、多分この暗さでいいのだろうと思いなおす。
 前日の晩にアラームを六時十分にセットした。起きれるか心配だったが、遊びに出かけるときははしゃいで目をさます子供のように、アラームが鳴るよりも先に眼をさまし、元旦に初日の出を見ていたベランダにゆく。雲におおわれて太陽がみえない。残念に思い、数分おきにみにゆくが、とくに雲は東から南にかけて厚くおおっているようにみえる。テレビでもやっているが、墨田区では雲のすきまから日食が見えている…。またベランダに出る。そこから見える空よりも、なんだか後ろ、見えない空の側のほうが明るいような気がする…。玄関から渡り廊下へ。空をみあげる。はずかしいことだがしらなかった。冬と夏では太陽の出る位置が違うのだ。なるほど雲におおわれてはいるけれど、太陽が隠れてあるだろうあたりは明るい。メガネをつける。黒いばかり…。いや、たぶん雲のむこうにあった太陽は、わたしが思ったよりも、もっとまぶしいもの、目にわるいものだったのだろう。残像がのこって、黒いなかに、ぼんやりとした明かりが泳ぐ姿がみえるばかりだ。そのうち目がなれてくる。ぼんやりとしたものが一点に集まったようだった。テレビでみえたものとおなじかたち。黒にうかびあがった黄色い太陽の右上がかけている。見えるとおもわなかったので、びっくりした。また厚い雲にかくれてしまう。そのあいだにカメラや携帯電話(おもに時間を知るために)を取りに家にはいる。雲が隠す、また見える、そうして一時間ぐらいいただろうか。太陽がどんどんかけてゆく、空がなんともいえない暗さになる。夕方でもない、朝でもない、ましてや曇り空の昼でもない、得体のしれない暗さだ。




 いよいよ金の環になる…。環にはなったが、まだ右側が若干細い。七時三十三分ぐらいだ、くっきりと中央で環になった瞬間。なることはわかっていたのにびっくりした。わたしがつくったわけではないのに、なにかが完成した、合致した気がした。そうして、なんといったらいいか、メガネごしに見ているというのに、テレビでみるそれとはちがう、生の体験だと感じた。オペラグラスをつかってコンサートを見るのと、テレビで見るのがちがうように。たぶんひとことでいえばおどろくほど感動したのだ。そしてこれは夢のようだと一瞬形容しそうになった。どこかにはこばれてゆくようだった。じゃあ、夢こそが、こんなに美しいものなのだと、わたしは思っているのだ。幻想こそが美しいのだと。けれども今みているそれは現実なのだ、現実はこんなにも美しいのだと、なきそうになった。現実と幻想の間で、わたしはいつもとまどっていたから。あるいは環になった瞬間に、幻想と現実の合致をも重ねていたのかもしれない。走馬灯のように、金環のまわりで、想いがぐるぐるまわりだした。そうして、その二日前にでかけてきた『フェルメール 光の王国展』、まったく残念におもったことが感覚的にわかった気がした。あれはなまの体験ではなかったからなのだ、なまの絵をみて、作者のなまの声をきくように、なまの光をかんじることができなかった、筆触をみること、フェルメールのなまの絵を見なかったからなのだと、光の環をみながら想いをめぐらしていた。まさに光を、こんなふうにと。



 ここで少しだけ、銀座のフェルメール・センターへいったときのことを。『フェルメール光の王国展』、ひとことでいえばフェルメール全作品(三七点)のレプリカ展。いや、リ・クリエイト作品展。最新の印刷技術で再構成したものらしい。額も大きさも本物に準拠している。本物が一堂に会するなんて、ありえないが、こうした形ならそれがかなう。時代を追ってみれるので、画家の作風がどう変わっていったかわかるだろう。だが、ゆく前から期待はしていないはずだった…。これはほんものではないのだからと。それにフェルメール作品、日本でだけでわたしはおそらく十点位みている。三分の一近く。わたしが、というよりも、日本、どんだけフェルメール好きなんだろう? それはともかく、今回は、今までみたことがあるそれらとの思い出にひたれるだろうと思っていた。画集などでみるよりも、大きさも額縁も本物に近く、色合いも美しいはずだから…。
 だが、期待していなかったはずなのに、全くの期待はずれだった。なるほど、色合いみたいなものは再現できていたと思うのだけれど、なんというか偽物にみちているように思えた。がっかりした。筆触や質感みたいなものがないからか。以前みた作品で窓や衣服の影から感じた光たちが、展覧会会場では、まったく感じられないのだ。帰ってきて、すぐの晩、それより以前に、本物の絵の展覧会で、買った絵葉書をみたのだが、それをみたほうが、よっぽど光がわかった、思い出せた。《牛乳を注ぐ召使い》《紳士とワインを飲む女》《手紙を書く女と召使い》《デルフトの小路》ほか、ほか。同じ作品をみているにもかかわらず、その日の会場では、べつの絵をみているようなきがしたものだ。絵葉書と同じ絵をみたというのに、どこに光をかんじたのか、思い出せないぐらいだった。正直、不愉快なぐらいだった。あれは、ああいうものだと、心していったほうがいいとどこかで書いてあったのを思い出す。

 また金環日食の日に話を戻そう。光の環をみた余韻のなかで、ほんものと複製品について考えていた。というかフェルメール、むろんほかの画家もそうだけれど、うちにある沢山の絵葉書、あるいは画集、図録。これらはみんな複製品であるはずなのに、部屋に、机近くにかざってあるそれらは、わたしにとてもやさしいのはなぜなのだろう? それはなまの絵を見た記念、思い出の品である。これらと、あのリ・クリエイト作品が違うのは、印刷の質のせいなんかでは決してないのだ。多分、うちにあるもののほうが、そうした技術面では、劣っているはずだ。それでも絵葉書たちに本物を感じるのは、それがわたしが確かに、かつてこの本物を見たことがあるという、そうした思い出がつまっているから、つまり、作者のなまの絵をみて、感銘をうけたことからくる、作者との出会いを、うちにあるそれらは、わたしにいつまでも、ささやきかけてくれるから、思い出を共有して、ここにあるからなのだ。対して、「フェルメール光の王国展」には、ほんものを見たという思い出の共有がない。きりはなされてそこにある。なのに、ほんもののふりをして、展覧会として、そこにあるように感じたから腹がたったのだ。はじめから本物ではないと、うたってあるのだから、腹をたてるのはむろん、筋違いなのだけれど。それは文具店などでうっている絵葉書、あるいはポスターに、殆ど惹かれることがないのとおなじことなのだ。きりはなされた本物でないものたち。

 金環日食はすぐに終ったが、九時二分まで、日食自体は続くので、ひきつづき外にいた。余韻でぼうっとしながら、別れを惜しんでいたのだ。さらに、金環日食用に買ったメガネ、というか、観測ノート、これもあってよかったとつくづく思っていた。それがなくては、こうしてみれなかったということも、もちろんだけれど、買ったことで、図録や絵葉書のように、今見たことを思い出すよすがになる、これを見る度にやさしい気持ちになるだろうから。金環日食のあの瞬間、現実のなかの幻想、いや現実と幻想のはざま─それが現実だとしても、お祭りのように、数百年ぶり、めったにないことだ、ということもあるからだ─で、環がひかっていた、それに加担してくれた品物なのだと、共有してくれるから。さらにこうして環のまわりで、わたしが思うことで、なにかが共有できた、そんなことを目撃の証人として、ありつづけてくれるだろうから。




 雲が多かったので、明らかに日食がメガネにうつらない時間が多々あった。そんなとき裸眼で、おそるおそる空を見上げた。奇跡のように雲のむこうに欠けた太陽、月と重なった太陽の一瞬が見えた。ヴェールをかぶった抱擁、御簾ごしの重なり。台風の空を思い出す。
 そういえば、ずいぶん昔に日食をみたような気がしてならなかった。あたりが暗くなって、太陽がかけて…。調べてみたが、小さい頃までさかのぼっても、東京近辺でみれる日食の記録はない。空の暗さはたとえば、嵐、台風の時の空の記憶だったのかもしれない。雨雲が出ているのに空が明るい。天気雨の速度がはやい。さっきまでたたきつけるような雨で、真っ暗だったのに、もう明るい…。小学生だった。全校閉鎖となり、急いで帰ってきた空の暗さと明るさ。それと月食がまざっているのだろう。月食なら何回かみているから。けれどもなぜか、日食にはノスタルジーが感じられた。前世のとか、そんな話ではない。小さいころ、部屋の電気を一心にみつめたあと、瞼をとじる遊びをよくしていた。まぶたをとじると、残像がまなうらをおよぐように移動する。金色のクラゲのようだった。わたしはまなうらの生き物をみているのが好きだった。とじた目の海をおよぐそれをいつまでもみていた。メガネごしにみるそれは、あのまなうらの世界に似ていたのだ。みえるだろうかと暗い視界にひかりをさがす、わくわくする感じも。だからノスタルジーを感じたのだった。

 金環日食の翌日は雨。またその次の日はよく晴れていた。明け方、外に出てみる。朝なのに夕景のようだ。日食のときの暗さとは違うが、まだ暗さがのこっている。暗さと明るさが混ざっている。朝と夕方がまじっているように。それはどちらも昼と夜がかさなりあっているからだ。月と太陽がかさなるように。重なり合うことで私たちが似ることがあるように。
 またその夕方に近い夜。岸辺で蝙蝠が飛ぶのをみる。蝙蝠をみるとなぜか心がさわぐ。夜のなかで飛ぶ生き物だからかもしれない。鳥でも獣でもない…、イソップだったかの寓話を思い出す。どちらでもありどちらでもないものとして、嫌われてしまう。いや、嫌われるようなことを蝙蝠がした、というのが物語の筋だったけれど。はざまにいるそんな蝙蝠がどうにもきにかかった。境目ということば、そこにあることに、いやおうなくひかれるから。夜にとぶ鳥としての姿が、そして鳥とちがう飛び方が、どこかにつれていってくれる…。小さい頃、蝙蝠が家のひさしに巣をつくっていたような気がする。というか、親がそんなことをいっていたのだ。夜になると、家のまわりをとびかう蝙蝠…。そんな小さい頃の映像が蘇った。そして、街の灯がすきだったこと。外から、あるいていてだったか、どこかの家の窓にともったあかりを見る。それはいつも黄色いかんじだ。わたしはそのあかりにぬくもりをかんじたものだった。まるでとおくにありておもう、ふるさとのように。こうした小さい頃のことを思い出させてくれたのも、あの金環日食の金色のクラゲのせいだろうと、やさしく思った。はざまにあることとともに。
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2012-05-15

聖俗への探検、は、いつもそこここに(東洋絵画の精華、静嘉堂文庫美術館)

 相変わらず、調子があがらない。ますます出かけるのが苦痛になってくる。…なんだか私小説のようだ。その日は、人と会って話をしたからかもしれない。献血したからかもしれない。人混みのなかを歩いたからかもしれない。そのどれもが理由なのだろう。たとえば散策したり、美術館にいったり、そんな疲れなら、書く元気は起きたはずだ。…疲れから回復するのに二日かかった。何も書く気がおきなかった。前回も書いたが、こうしたことは書いていてもつまらない。書く気を起こすこと。

 疲れの前々日、自転車で少しだけ探検をした。家から数キロの所に、美術館があると知ったのだ。砧にある世田谷美術館よりも近い。二子玉川へ向かう途中にある。隣には岡本公園民家園があるとのこと。こちらも多分初めてゆくところだ。多分…というのは、随分前に、もしかしたら、電車か何かで来たことがあるかもしれないから。




(リーフレット表紙 酒井抱一《絵手鑑》のうち「蓮池に蛙」)

 美術館は、静嘉堂文庫美術館という。緑深い丘陵の高台にある。展覧会は「受け継がれる東洋の至宝 Part機‥賤粒┣茲寮魂據縮症覆任燭匹詒の軌跡―」(四月十四日〜五月二十日〈珠玉の日本絵画コレクション〉、五月二十三日〜六月二十四日〈至高の中国絵画コレクション〉。展覧会概要及び美術館説明を、チラシやHPから。
「静嘉堂文庫美術館には、岩彌之助・小彌太父子二代によって蒐集された、およそ一〇〇〇件の絵画コレクションが所蔵されています。中でも、中国絵画・日本絵画は、時代・ジャンルも多岐にわたり、質量ともに国内有数のコレクションと高く評価されています。 特別展「受け継がれる東洋の至宝」Part気砲△燭詼榲犬任蓮国宝・伝馬遠「風雨山水図」や重文「平治物語絵巻 信西巻」をはじめ、初公開作品を含む、選りすぐりの中国・日本絵画の名品、約七〇件を展示いたします。 岩彌之助・小彌太父子による東洋文化財の散逸を防ぐとの高い志のもと、この地で守られ、後世に伝えゆく至宝の数々を、この機会にぜひご覧ください。」
 この前期のほう、日本絵画へ行った。酒井抱一があるらしい。それだけでもよかった。これは美術展のせいではなく、私の好みのせいなのだが、日本美術といっても、絵巻も焼物も狩野派も良さが分からないので、多分たいして感動ということでは期待ができないだろうと思った。けれども家の近くだ。隣は岡本民家園だ。木々の緑、なにか花も咲いているかもしれない、美術館以外でも、発見があるだろうと思ったのだった。
 地図で見ると、随分と敷地が広いが、わりとわかりやすい場所だ。すぐに緑のうっそうとしげった場所に出たので、それがそうとわかる。けれども建物が見えない。長細い緑の森の縁にそってしばらく行くようだ。上り坂になる。山道のようだ。ゆけども建物はみえない。崖のような場所、木々。合っているのか心配になる。頂上のようなところに、ようやく建物が見えた。庭園内、というか殆ど森ばかりのようだったけれど、工事か整備、何かをしているらしい。トラックが数台。そして作業をする人たち、お昼休みらしい。シートを敷いてお弁当を広げている。不謹慎かもしれないが、花見のようだとちらっと思う。 展覧会へ。最初は絵巻や仏画。やはりどうしても良さがわからないので、目玉であろうそれをぼうっと行きすぎる。ところで以前も思ったのだけれど、平日の観客のほうが、総じてマナーが悪いような気がする。たいてい、二人ぐらいで来ているのだが、話し声がうるさいのだ。男女問わず。空いているのはいいのだが、彼らの声が会場の隅まで響いて、絵に没頭できない。この日、特にうるさかったのは、夫婦ひと組、そして年配の男性二人組。しかたがないので、ビデオ上映を見たりしてやりすごす。
 もどって、「華麗なる江戸絵画」のコーナーへ。
 円山応挙(一七三三〜一七九五)《江口君図》(一幅 絹本着色 江戸時代 一七九四年)小さな象の上に美女が座っている。謡曲〈江口〉では、遊女江口の君は普賢菩薩の化身であり、乗っていた舟が象に変わって西方浄土の空へ去って行くのだという。この謡曲の紹介に、「穢いものにこそ美しいものが秘められている」とあるのも眼にとまった。仏教にはうといのだけれど、泥から咲く蓮の花、というイメージと重なるのだろうか。「きれいはきたない」。聖性と俗性が同時に存在する。わたしはこうした二面の同時性に弱いのだ。この接点にこそ大切な何かがある…。
 絵は、青い打掛をはおったというか、ほとんどしどけなく、肩から落ちた女性、帯は前帯、おそらく髪型なども、遊女のそれなのであろう、だが表情が神々しいまでに優しい。そして静かなのだ。だが最初に心ひかれたのは象の眼だった。身体にくらべて小さな目が愛らしい、そして優しい。いや、おそらくこの眼たちは、どちらも優しさでつながっているのだ。優しいというのはもしかするとちがうのかもしれない。慈愛にみちた、とかなのかもしれない。そしてとてつもなく静かなのだ。ここには衣服などにしか俗にあたるものが感じられなかった。いや、江口の君と象、両者の表情が、合わさって、聖をさらに強く見せていたのかもしれない。



 そして渡辺崋山。多分、小学生の頃に偉人伝で読んだのだ。一七九三〜一八四一年、画家、蘭学者、三河・田原藩家老。蛮社の獄で切腹。教科書でも彼の弟子が描いた肖像だけしかみたことがなかったと思う。今回、ここでは二点、作品があった。《芸妓図》と《遊魚図》(一幅 絹本着色 江戸時代 一八四一年)。特に後者。上下に波頭が描かれ、中央に鯛や鯵などの魚の泳ぐ姿。鯛が身をひねらせて泳ぐ姿が、桜色の鱗とともに、ひときわ目につく。そしてその目たち。生き生きとしている、というか、どれも生を放って見えるのだ。まるで泳いでいるところ、そのままを描いているように(死んだ魚を描いているはずなのだが)。若冲っぽいリアルを感じた。魚の眼はどれも光りがあった。これは西洋画の手法をまねたのだという。



 お目当ての酒井抱一…のまえに、彼の弟子にあたる鈴木基一(一七九六〜一八五八)《雨中桜花紅楓図》(二幅 絹本着色 江戸時代・十九世紀)を。雨が灰色の筋となって描かれる。一幅のほうは、輪郭のない、濃淡だけで描かれた、鮮やかな楓。紅葉なのに、雨に立ち向かっているかのような力強さすら感じる。だからだろうか、雨も激しくふっているように見えるのだった。もう一幅のほうは、桜。葉と一緒に咲く、一重の桜なので、オオシマザクラかなにかかもしれない。こちらは色が薄いせいだろうか、隣の楓に比べて、たおやかというかよわよわしい感じがする。いや、雨が春雨なのだ。春の弱い雨のなかで、うなだれているようにしたをむいた花なので、弱さを感じるのかもしれない。実はこのあとで、花は枯れてしまうが、葉を茂らせ、植物の一年のなかでは、盛りを迎えるはずなのだけれど。雨の描き方はほぼ二つとも変わらない。植物の描き方で、強い雨と、春の弱い雨だと、知らせてくれる。しかも枯れ行く紅葉の派手さ、春の盛りの静けさ。これもまた死と生の二面を現前させてくれているのだった。



 そして酒井抱一(一七六一〜一八二九年)。残念なことに眼玉である《波図屏風》の銀色の波の展示は五月六日迄で、もう終わっていた。月夜だったのだろうか…。デザイン化された波の銀。
 《絵手鑑》(一帖・全七二図 紙本絹本・着色墨画)のみ展示があった。これは折り畳んだ画集のようなもの。色紙大の紙が折り畳まれて、一冊になっているていをなす。ひろげられていたのは、そのうち、十点ぐらいだったか。ただ隣に小さな画面で、全図のビデオ上映があった。虎、風景、虫、花、鳥、人物、龍、様々である。全図、展覧会上で見たかった。ここにあったのでは、<蟻>と<蓮池に蛙>が良かった。蟻の緻密な描写。そして蓮池の蓮の花の繊細さ、蛙ののびやかなおよぎ、さらに波紋をつくるゲンゴロウ(タガメかもしれない)の、その水の音楽のような動き。そして、「青緑山水」。木々と川。緑と白。そうだ、川というのは実は白いのだ。あるいは透明ということは白いことなのだ。うねうねと木々の影のような白い雲。雲と川がおなじ白であること。そうだ、二つとも水でできているのだから。



 実は展示は七〇点だと、やはり少しばかり少ない感じがあるのだけれど、思ったよりも楽しめた。先程避難したビデオ上映の場所には、無料で飲めるお茶のサービス。テレビが三菱製なのは、なるほどと思う。
 ところでこの美術館、最初に、8頁からなるカラーのリーフレットをくれた。主要作品が紹介されていて、ちょっとした図録のようだ。気にいった作品もかなり載っているのでありがたい。
 美術館を出て、庭園内をと思ったが、狭い林道のような道の入口にトラックが停まり、作業が開始されたのだろう、何やら喧しい。そのまま帰ることにする。帰りは、のんびりと坂をくだる。 
 行きにも気づいたのだけれど、降りてゆくその脇は、静嘉堂の敷地内ではないらしいが、世田谷区に貸しているらしい、静嘉堂緑地とかいう公園があった。湧水が見える。まるで先程みた酒井抱一《絵手鑑》の「青緑山水」ではないかと思う。木々、道、そして水。絶妙のバランス。



 下りきって、隣、といってもけっこう離れて感じるのだけれど、岡本公園民家園へ。藁ぶき屋根の古民家と白壁の土蔵がある。
 ここも、隣の静嘉堂も、やはり国分寺崖線にあった。多摩川が十万年以上の歳月をかけて武蔵野台地を削り取ってできた段丘で、その周辺は樹林や湧水などが多く残っている。崖線とあるように、高低差があるため、住宅地としての開発からまぬがれている箇所が比較的多い。私の家から駅に向かう途中でも、この崖線沿いにある三丁目緑地を登ってゆくのだが、そこにも湧水が…。いや、岡本公園民家園に移ろう。こちらも木々が多く、やはり湧水からなる池があり、それが丸子川にそそいでいた。立ち入り禁止になっていたが、湧水の小さな流れのどこかで、ホタルも育てているらしい。丸子川もまた細い、用水路のような川だが、その岸沿いに、黄色い菖蒲と青い菖蒲、姫シャガが咲いている。酒井抱一も菖蒲を描いていたっけと思い出す。いや、あれはカキツバタだ。《燕子花図》。



 ここから一度だけきたことがある図書館までは近い。寄って、何冊か本を借りる。地下にあったかしら。皆川博子『猫舌男爵』が特にうれしい。好きな作家の知らない本だ。久しぶりだったので、色々と説明をうけた。パソコンで期間延長や、借りたい本の予約ができるようになったらしい。親切できさくな職員さんだった。そういえばここではなかったけれど、おなじ世田谷の図書館、借りるときに、不機嫌そうで不愉快な応対をうけたのだ。それでなんとなく図書館にこなくなっていたのだった。
 ところで、今きている図書館、知らなかったのだが仙川沿いにある。丁度裏手にあたるところが川だったので、以前来た時は、気づかなかったのだ。ここから数キロ上流のそこには、岸沿いの桜並木を見に出かけていたのだが、この辺りは初めて。今日は探検なのだから…川に沿って上流に向かって家のほうへもどることにする。また湧水のある公園を見つけた。仙川自体はコンクリート護岸されているのだけれど、周りには緑が多い。シジュウカラがよく鳴いている。川の流れる音。目をつぶると、どこか郊外に小旅行に来ているみたいに思えてくる。風もここちよい。川の向こうに桜並木のある場所ちかくにあるスーパーの看板が見えた。いつも出かけているスーパーだ。現実に帰ってきたような気がする。あるいはこれもまた接しているのだ。桜はすっかり緑になっている。先程までみていた緑と重なる。川面に桜の緑の葉が映っている。
 力強い桜の緑。花が散ったときは儚いとすら思ったのではなかったか。鈴木基一《雨中桜花紅楓図》。そういえば強いと思った楓、今の季節、やわらかい緑のそれは、小さな生の始まり、まさに儚げではなかったか…。
 そして二日後。買い物の帰り。公園の田んぼは水を張っているが、まだ苗は植わっていない。このところ、水を張っては、水を流すのをやめる、のくりかえしなので、池のようにもみえ、水たまりのようにもみえ。儀式のように、きっと必要な行為なのだ。その池と水たまりの間ぐらいに見えるその日、水面に空や木々が映っていた。珍しい光景だ。この時期ならではの。夕方近かったので、西日がまぶしい。地面がまぶしいのだった。こんなことを思ったのだが、身体が、というよりも頭がふらついて、言葉にできないでいた。地面がまぶしい。若い楓がはかなげだ。木々となった桜が若葉といえない緑をしげらせている。「きれいはきたない」。わたしは二面性の縁にまた立たなければいけない、あるいはそこにいつだってあることに気づくこと。

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2012-05-05

水しぶきを飲むことで通えるだろうか?多分(ホノルル美術館所蔵「北斎展」)



 変わらず、なのか、身体や心がだるい。雨がつづくとますます、なのか…。なにもするきがおきない。だれともあいたくない…と、こんなことを書いても、読み手にはつまらないだろう。ハローワークに行くために、街に出たので、以前にチケットを買っておいた展覧会へ。
 三井記念美術館。日本橋、というか三越前駅にある。いつも地下道を通ってゆくので、外観がどうなのか、いまいちよくわかっていないのだが、日本橋三井タワー内、三井本館七階に美術館専用エレベーターは木製の扉、メーター式の階数表示で、重厚で、クラシカルな造り。ここに入るだけで、なにか準備ができそうな気がする。いわば境界へゆくための心の準備だ。ちなみに館内も古い木のぬくもりが感じられ、ここちよい。絵を保護するためということで、若干照明が暗いのだが、それもまたどこか洞窟へむかうような感触がある…。
 展覧会は <ホノルル美術館所蔵「北斎展」葛飾北斎生誕二五〇周年記念>(前期四月十四日〜五月十三日、後期五月十五日〜六月十七日)。




 チラシなどから。
「アジア美術の収蔵で世界的に知られるホノルル美術館は、約一万点もの浮世絵版画を収蔵しており、歌川広重などそのクオリティの高さには定評があります。しかし、葛飾北斎の作品が、体系だてられた世界有数の優れた収蔵内容を誇っていることは、一般にあまり知られていません。
 このたび、葛飾北斎生誕二五〇周年の記念事業の一環として、ホノルル美術館外で初めての「北斎展」を開催する運びとなりました。本展は、大きく二部で構成されます。北斎デビュー当時の春朗と名乗っていた時代の作品から、最晩年の八十九歳時の作品「地方測量之図」までを年代順に陳列し画業を概観するセクション。そして、北斎を代表する「冨嶽三十六景」、「諸国名橋奇覧」、「諸国瀧廻り」、「琉球八景」、「詩哥写真鏡」、「百人一首姥か絵説」のシリーズを紹介する画期的なセクションです。以上を約一六〇点で網羅する一大展覧会となります。」

 北斎は一七六〇年生まれ(一八四九年没)なので、二〇一〇年が生誕二五〇周年だった。この展覧会は、本来、去年、行われるはずだったが、3・11の為に、開催が丁度一年延期になったもの。前期と後期で作品が総展示替えというので、まず前期をみようと思った…。他の画家のなら、どちらかひとつだけとかになることもあるのだけれど、北斎に関しては迷うまでもなかった。最初から両方見ようとチケットを二枚買ってあったのだ。
 チラシなどにも若い頃から晩年までとあるので、年代順にあるのかとおもったのだけれど、最初が「輝ける晩年期の揃物」で、「冨嶽三十六景」(一八三〇年〜一八三二年頃)からの展示だったのがうれしい驚きだった。ホノルル美術館のコレクションの中核をなすのがジェームズ・A・ミッチェナー氏の寄贈作品だそうだが、そのミッチェナー氏も、「北斎が六十歳で死んでいたら」「職人に近く、見事な構図や大胆な冒険の領域にはほど遠かった」、つまり七十歳台から始まる晩年の二十年を評価しているのだが、というか、多分、私を含む多くの者が、そう感じるだろうと思う。「冨嶽三十六景」「千絵の海」「諸国名橋奇覧」「諸国瀧廻り」も、それに肉筆画の殆ども、七十歳を越して描かれているし、だいいち、北斎自身が「富嶽百景」の跋文で、自らそんなふうに書いているのだから。
 ともかく最初にもう「冨嶽三十六景」。何度も見ているから、いいかげん興味をひかれないのでは…とも思うのだけれど、いつもそうした予測をなかば裏切ってくれるのがうれしい。以前興味深いと思った絵であれば、別の視点から囁いてくれることがあったり、以前さしてひかれなかった絵なら、あらたにはじめてのように袖をひっぱってくれる絵もあるから。
 《冨嶽三十六景 江戸日本橋》は、日本橋の上を立ち位置に、消失点のほうにある小さな富士を見つめている。橋の上には沢山の人々、川の両岸に蔵がたちならぶ、舟もうかぶ。橋をとおる人たちは、さまざまなものをもっている、多くは働く人々だ。顔をこちらにむけているものも多く、表情などでも賑わいをあらわしているのだろう。前に見たときは、遠近法をつかっていて、技巧が面白いなとは思ったけれど、それ以上はべつになんとも思わなかった。なにかしらいつも発見がある。
 この絵の特色は、普通、橋と名前がつくからには、橋を描きこむのだが、そうではなく立ち位置を橋にしたところが独創的なのだという。それは「冨嶽三十六景」というのに、多くの作品では、富士が小さく描かれてあることと通じるだろう。だが、それもすごいことだとは思うけど、それよりもたくさんの人と蔵と川と富士…。なんというか景色も人も彼のなかでは、まったく同列のものとしてとらえられているのだと気づき、すこしばかり驚いたのだった。それは絵を構成する大切な一要素であり、それらの集まりが、緻密な調和として、そこに存在するのであった。
 こう書くわたしは、景色を写真に撮るとき、なるべく人が入らないようにしてしまう。人は邪魔だった。景色だけを収めたい…。そう思うことが多いので愕然としたのだった。なぜ人を写さないようにしているのだろう? 人との関わりは日常に属すると思っているからかもしれない。人との関わりは書物や絵を通してのみ、非日常に…。これは間違えた考えだろう。なぜなら日常と非日常はもっと自由に行き交うものだからだ。だが人との関わりは、私にとってこのところ、かなり苦痛だ。とても疲れてしまう。楽しげに会話をしただけで、別れた直後からとても疲れ、鬱状態に陥ってしまうのだ。もちろん、そうでない人もなかにはいるのだけれど(彼らはおそらく、境目にいる人々だ)。ちなみにこのところの落ち込みの原因のひとつはそれもある…。すこし人と会いすぎた。


 と、つい話がそれてしまった。こうしたことにかかずらっているからか、よけい心ひかれたのだった。それは以前にもここで触れたことがある《冨嶽三十六景 隠田の水車》でもそうだった。隠田というのは、今の原宿あたり。前回も往時の田園風景と、今のにぎわいの変化にびっくりもした。また、水車から落ちる水のうねり、波の意匠化された美しさのリアリティにひかれたし、今回もその水にやはりうっとりとなったものだが、水車小屋に穀物の袋を運ぶ男性、用水路で洗い物をする女性、彼らが、遠景に見える富士とともに、そこにあることに今さらながら驚いたのだった。


 それは前回も書いたけれど、坂東玉三郎氏がNHKの日曜美術館〈雨の夏草、風の秋草〜坂東玉三郎、酒井抱一を読む〉で語っていた「沢山の修業をした中で無心になって、音楽でも絵でも、書いたときには宇宙から波がもらえて、非常に自然の草花のバランスと同じ作品ができるって、考えているんです。」というときの、バランスにみちた作品だった。そこでは自然と人とが同じバランスになっており、さらにそのバランスと同じ作品がそこに存在するのだった。絶妙なバランスで。
 そして《冨嶽三十六景 東都駿台》。今の千代田区駿河台のあたりらしいが、丘陵地帯、というよりほとんど山の中腹のような道から、江戸の町の屋根、そのさらに向こうに富士が見えるかっこうで、その中腹の道を人々が歩いている。坂になった道の左は木々や草の豊かな緑、道の右側には建物の屋根。ここでは、人よりも(というか、多分、人が描かれてあることへの感動の確認は、自分のなかではもう済みつつあったのだ)、緑の描き方にひかれた。木々は松かもしれないが、その若い青、そして下草の柔らかな黄緑たちの這うように、うねうねとのびる色たち。それはちょうど今の季節のような、新緑にみえた。緑の色、そしてつぶつぶとした葉の感触。わたしはそこに、やはりバランスを感じた。というよりも、そこに、私が住まいの近所でみかける公園などの新緑を想起したのだ。そこで感じる、美しいものに囲まれ、そこにあることへの柔らかな喜びを、ここに重ね合わせたのだった。公園と絵が交接している、それは日常と非日常が接しているということをやさしく見せつけてくれたようでもあった。やわらかな緑たち。


 「冨嶽三十六景」、そして揃物シリーズは、だいたい半分づつ、前期と後期でわけているようだ。《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》《冨嶽三十六景 凱風快晴》も今回あった。何度もみているのに、その度にまたひかれてしまう。波のうねりに、そして富士の静けさに。
 続いて「諸国名橋奇覧」(一八三三〜三四年)。ここでは《諸国名橋奇覧 足利行道山くものかけはし》。山道の右端が行道山というらしい。道を挟んで左に小さな断崖がある。右の山の浄因寺の本堂と断崖の上の茶室に天高橋という細い橋がかけられている。今、道といったが、その道は雲におおわれている。また橋の上のほうにも、まるで煙がたなびくみたいに雲が、あるいはそれが道であるかのような、天にのぼってゆくような雲が描かれている。道が雲であり、雲が道であり…。どちらにしても道(雲)にかこまれた橋。そして山も断崖もまたあの新緑のやわらかい緑だ。
 実はここまで書いて、ひとまず筆を置いた。次の日…のことを書く前に、先にあと二点のことを簡単に。「諸国瀧廻り」(一八三二〜三三年)のうちの、《諸国瀧廻り 美濃ノ国養老の滝》。岐阜県美濃町の水量豊富な滝だとある。キャプションによると、右下側に休息所として藁ぶき屋根の小屋があるが、その色彩をあえて水の流れと同色で表し、「あたかも、滝が岩に砕けて激しく飛び散っているかのように見える、北斎の視覚トリックである」とあった。それをいったら、滝壺の手前の岩も先端が青で、まるで波の一端のようである。その岩から地面にかけてが、水の流れとほとんど混在していて、さらに藁ぶき屋根の青…、すべてがぎりぎりのところで水と接し合っているようだった。そうなると滝のまわりの緑たちのうねりも、しぶきにちかしいものたちのように思えるのだった。


 「百人一首姥か絵説」(一八三五〜三六年)…。これは「乳母が子供に優しく絵解き」をするように、百人一首の歌意を絵解きする趣向で描かれたもので、当初は百図を予定していたが、二十八図で中断されたらしい。理由は、北斎が歌の内容から飛躍して独自の解釈で絵を描いたりしたせいらしい。前に持統天皇の「春すぎて夏きにけらししろたへの…」、《百人一首うはかゑと起 持統天皇》で触れた気がするが、なるほど、そこにあるのは白妙の布だけで、あとは殆ど歌とあっていなかった。布がぐるぐる干されているところが面白かったが、彼のイマジネーションがはばたきすぎたのだろう。だが観るこちらがわのせいかもしれないが、このシリーズにはいまいち惹かれる事が少ない。いくら独自の解釈をしているとといっても、歌にどこかしばられているような気がしてしまうのだ。だがこれはひかれた。《百人一首乳母か絵解き 在原業平》。「千早振 神代もきかす 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」に取材。太鼓橋の下に布のように小刻みに波打って、豊富な水量の河が流れているのだが、その水面に紅葉がうかぶ。水の布のような描き方が、水を布として本当に染めようとしているみたいで、その色あいになじむようだった。遠景に、紅葉色の山と染まった木たち。


 あと何点か触れたい絵はあるのだけれど、省略…というか後期展のときにでも紹介できたらしたい。
 前に江戸東京博物館で見て気にいった団扇用に描いた北斎の《鷹》(一八三五〜三六年)の絵葉書。その時も買って帰ったのだが家のなかで紛失してしまったので、こちらでも買った。団扇という限られたスペースのなかで、不自然なまでに、めいいっぱい身体をひねらせ、大きく飛翔している鷹。その顔がどこかユーモラスで好きなのだ。今度はなくさないような場所に飾った。
 そして数日後、さっきの続きだ。今日は久しぶりに晴れたので公園や湧水の緑地をほんのすこしだけ探検しにいった。公園の新緑が、北斎の絵と近しいだろう…。そう思ってのことだった。思ったほどではなかったが、四十雀の鳴き声、木漏れ日の意外なほどの明るさ…それは緑陰という暗さとの対比のせいだと思う…、ぬるんだような用水路のせせらぎ、黄色い菖蒲の開花、つつんであるかのような森のような木々、これらに囲まれ、似ているとかそうではない、一瞬、すいこまれそうになるのを感じた。だがすぐになにかに戻されてしまった…。藁ぶき屋根の民家が立ち並ぶ区画がある。四時半までは中に入れる。家族連れの人々が歩いている。北斎の絵のようだと思ったが、彼らはやはりわたしにとっては絵の対象ではなかった。用水路でザリガニをとって遊ぶ子供たち、それを見守る親たち。連休なので、こんな公園でもかなり人で賑わっている。これらの人たちのなかにあることがどうしてもいつもの公園でのやさしさを味わうことに、さまたげとなってしまう。しかたがないのだろうか…。川をわたり、湧水のある緑地へ。こちらも午後四時半か五時位までは、細い道、ちょっとした山道のほうを歩けるようになっている。わずかばかりの距離なのだが、木々の緑の深さもあって、まるでハイキングにでもきたような楽しい錯覚が味わえる。こちらにはほとんど人がいなかった。たぶん公園の管理のひとだと思う。どこかで木をたたく音がした。子供たちがはしりさっていった。湧水が川になって流れている。木漏れ日がわたしはすきだった。というよりもこうした暗がりのなかで、光を感じることがすきだったのだ。光を探す。土のうえで葉影がゆれる。波のようだといつも思っていた。そこに身体をひたす。わたしが波になる…。こうしたことがたとえば北斎の絵なのだと思った。正直にいえば、そのときはそこまでは思わなかった。ただ漠然と、絵の世界となにかが通っていると思っただけだ。《諸国瀧廻り 美濃ノ国養老の滝》のあの水たちの浸透を、思い浮かべたのは、こうして書いている今だ。「非常に自然の草花のバランスと同じ作品」を感じること、感じたことを書くこと、それらもまたバランスを通じてなにかたちが水のしぶきを飲み合うことなのかもしれない。


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