Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2012-06-25

ラベンダーという思い出が、日々に吹きかけてくれればいい。

 また今年も埼玉にラベンダーをみにいってきた。あやめ・ラベンダーのブルー・フェスティバル。埼玉県久喜市。平成二十二年まで菖蒲町という名前だったが、合併し、名前が久喜市に変更になった。久喜市菖蒲総合支所周辺。田園地帯の一角に、ラベンダー堤として紫色の帯のようになる。近くには菖蒲城趾あやめ園もあり、またラベンダー堤の帯で三方を矩形に囲んだ場所にも、八束緑地あやめ園もある。あやめとラベンダーは若干花期がずれるが、わたしがいった時は、ちょうどあやめがおわりかけではあったが、満開、ラベンダーが満開になったばかりで、どちらも味わうことができた。










 ところで、統合以前は菖蒲町役場といった。菖蒲町のほうが、久喜市よりも、花のイベントの名前としては合っているが、仕方ないのだろう。だが以前からきているせいか、菖蒲町に愛着がある。なんとなく、役所の建物をみるたびに、そのことを思ってしまうのだった。
 今年は去年に比べて、人出が多かった。去年は雨だったし、震災の影響もあったかもしれない。今日は晴れ。静かに花を見に来た人が多い。出店もある。ラベンダーのお香やポプリを扱った店、ラベンダーアイス、農産物、特産物。
 ラベンダー堤の脇には見沼代用水、そして調整池。田んぼが拡がる。
 ここに来るたびに、蜂や蝶の類が多いことを思い出す。ラベンダーの蜜を吸う虻、蜂、モンシロチョウ。モンシロチョウはせわしない飛び方だ。始終はばたきをくりかえし、やすむひまがほとんどない。蜜をのむときも、一瞬静止するのみ。だけれどどこかよわよわしい感じがする。変なたとえだけれど、背骨のようなものが欠如して、少しの風にもまけて、おちそうになってしまうから、始終羽ばたきをしないといけない、そんなふうに見えてしまうのだ。実際は、天敵にとらえにくくするため、予測不可能な動きをしているから、らしいのだけれど。



 くるたびに思い出すことはほかにも沢山ある。紫陽花が用水の岸辺に咲いていること、雲雀が鳴いていること、電線が目立つこと、ラベンダーが木であること。草ではなく背の低い常緑木なのだ。根に近い部分が茎ではなく枝として拡がっている。そして不思議と気にかかる一本の木がラベンダー堤のむこう、用水脇に生えていること。
 去年もこの木が気にかかったのだが、結局名前がわからなかった。くるまで殆んど忘れていたのに、また出逢えたことに、ときめきのような遠さをおぼえた。



 もちろん、ラベンダーの花たちの紫の帯にも、匂いにも、だけれど。ここに来るたびに、そうした何かたちとも再会しているのだった。
 ラベンダーは写真にとると、あたり一面のようにみえるけれど、実際は菖蒲総合支所をほぼ三方に囲った土手にラベンダー堤として植わっているだけだ。
 けれども、あたりの田園や、用水、調整池と、しっとりと合っている。とくに調整池のラベンダー堤は道を挟んで都合二本、伸びているので、道を歩くと両脇が紫の帯を感じることができる。ラベンダーがずっとつづくような感覚だ。実際はすぐに、べつの土手とぶつかるのだけれど。それは桜並木だ。緑深い桜の木が、点々と連なっているのがみえる。そして、調整池側のラベンダー堤を、道をはさんだもう一本のほうからみると、ラベンダーのつらなる山のようにもみえる。またモンシロチョウ、虻、名前がわからないが大きな蜂。
 このところ、やっと写真をとるという行為に慣れてきた。以前は、写真をとることに気をとられて、景色を楽しめないと思っていたのだけれど、ようやく、両方ができるようになってきた。写真に撮る、それはみたままにはどうしたって映らないから、思い出にはならないと思っていたが、みることと撮った写真のちがい、ずれを楽しめばいいのだと思うようになってきた。
 後でとった写真に、虻がきれいに、瞬間をとどめているのがあると、まるでそこに新たな景色があらわれたようで、びっくりすることもある。



 さきほども書いたけれど、とった写真で、おもしろいなと思うのは、どれも一面のラベンダー畑のようにみえるものばかりだ。これは撮るときに、そうみえるといいなと願いを込めているのだけれど。いまいる場所に、不満があるわけではない。田んぼをわたる生ぬるい風にのってひろがるラベンダーの匂い、ひばりの声は、おだやかだ。そうではなく、それもふくめて、これらを見て、感じている私は、ラベンダーにつつまれている。そうしたことすべてに写真で少しでも近づけるためには、写真のなかでは、一面の紫にしなければならないのだった。



 ラベンダー堤にそって、おもにポプリやお香などをうっている出店がある。その辺りにくると、売っている品物の匂いなのか、じっさいのラベンダーのそれなのか、わからなくなるほど、まざりあって、ひときわ匂いがつよくなる。連れが仏壇用に毎年お香を買っている。
 菖蒲城趾あやめ園には行かず、ラベンダーに囲われた菖蒲園のみ、見ることにする。昔は大好きな花だったが、なぜか今はそれほどでもない。いや、ラベンダーをみにきた、という思いが強いのだろうか。菖蒲城趾あやめ園にはいかなくてもいいと思ってしまう。去年はじめておとずれたのだけれど、今ここに囲われた菖蒲だけでいいと思ってしまうのだった。湿地帯、というか池もあり、子供がザリガニを釣っている。アメンボが水面をわたる。池に太陽が映っている。池が空になっている。菖蒲はおわりかけだが満開だ。黄色い菖蒲は葉も黄色っぽいのが、紫の菖蒲の緑の葉とくらべてひときわ目立った。





 あの名前もわからない木が影をつくるところに、ベンチが何個か置かれている。そのうのひとつに座り、ラベンダー土手を正面にして、弁当をひろげる。紫、虻、白い蝶。
 
 家の近くの公園に田んぼがある。それをみて毎日、優しいものをもらっているが、その田んぼのいわば本物が、ここには拡がっている。そうだ、公園のそれがあったあたりも、ほんとうはこんな田園地帯だったのだと思う。こちらも公園のそれと同じような育ち方で、まだ張った水がみえる。けれど植えたばかりの池というよりは、稲が伸びているので、湿地のよう、田んぼ湿地が拡がっている。これらふたつの場所が、みることによって重なる、そのずれの狭間に自分がたっているのが、なにかこそばゆいような違和だった。あるいはそれは、ラベンダーをみにきて、田んぼ湿地にであったことに、だったかもしれない。
 農協なのかもしれない。出店で売られていたジャガイモが安かったので買う。となりの売り場では薔薇や菖蒲、ラベンダーの苗や鉢植えが売っている。ラベンダーの切り花も。
 ひととおり写真もとり、今年もラベンダーに包まれることができたので、帰路へ。しばらく田園地帯がまた拡がる。そんないっさいがっさいをひきつれて、家に帰れればいいと思う。公園のたんぼ湿地をみるたびに、思い出すだろう。蝶、虻、アメンボ。自分用にラベンダーの安眠枕を買った。まだもったいなくてつかっていないけれど、袋に入れていても匂いがする。それを嗅ぐ度に思い出すだろう。こうして思い出、というか行った日の彼らが、私とどこかで繋がっていてくれたらと思う。ラベンダーたちが、日々に近づいてくれたらと。それは非日常が日常に潜りこんでくれるという事でもある。







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亀吉くんを通して、毎日北斎と。(北斎展)

 五月五日のここで書いた、<ホノルル美術館所蔵「北斎展」葛飾北斎生誕二五〇周年記念>(前期四月十四日〜五月十三日、後期五月十五日〜六月十七日)、後期のほうへ、展覧会終了間近に出かけてきた。三井記念美術館。展覧会の紹介などはおそれいりますが五月五日のものを参照ください。


 「冨嶽三六景」の表富士と呼ばれる最初の三六枚(この三六枚が好評だったので後で十枚足したのだが、それを裏富士という)のうち、十枚は藍刷りと呼ばれ、藍色(ペルシャンブルー、ベロ藍)を基調としたモノトーンで摺られたものがある。初版のものは、藍一色で摺るという当初のコンセプトを踏襲したもので、ほぼ一色刷りだったらしい。版を重ねるうち、あるものはたそがれの色が足され、あるものはフルカラーとなり…。
 今回の展示では《冨嶽三十六景 武陽佃嶌》《冨嶽三十六景 相州七里濱》(この二点が特に初期に出版されていると明記してあった)、そして《冨嶽三十六景 甲州石斑澤》。三つに共通して思ったことは、モノトーンの豊かさだ。それは白黒写真の持つ可能性と通じる。空も富士も人も波も藍色である。この藍は凝縮のように、けれども静かにそこに色をしきつめている。藍であることでさまざまな色をわたしたちに想像させてくれるということでもある。凝縮の藍がわたしたちに流れ込む。わたしたちのなかでそれはそれぞれ華開くのだった。特に《冨嶽三十六景 甲州石斑澤》。岩の突端に乗り出して網を引く漁師。岩の形状と、網をひく糸で、向こうに見える富士の形と相似形になっている、その対比も面白いのだけれど、岬のようになっている岩が、藍一色であることから、さらに下のしぶきをあげる河とよびあい、同化すれすれにあることにひかれた。岩はほとんど波に見える。波の上にたつ漁師のように見える。けれども岩は確かに苔むしたような、おそらく緑にあふれたものであり…。北斎の正確な筆致がそれを伺わせてくれはするのだ。波しぶきの確かさとともに。確かであるとともに、魔物のように奇態な動きをみせるその飛沫のリアルさに重なる創造性とともに。その境目ぎりぎりの一瞬の姿が、うちよせてくるのだった。


 『詩哥写真鏡』シリーズ。刊行は一八三〇年〜一八四三年で、和漢の歌人、詩人の故事や文学作品に依拠した長大判十図の揃物だとのこと。このうちの二枚。一枚は《詩哥写真鏡 李白》。李白の「望廬山瀑布」という詩に依ったもの。右側のまっすぐな瀑布。左下の崖に身を乗り出し、見上げる李白。その背を子供が抱きかかえている。怖いのか、李白がどこかにいってしまいそうだったからか。瀑布はまっすぐで、青いグラデーションになぜか目がいった。白に灰色、青、藍。まさに布のように落ちている。飛沫すらない。元になった詩に天の川が落ちたようだ(「疑是銀河落九天」)とあるから、飛沫がたっていないのだろうか。グラデーションだけで瀑布を表しているそのことに釘付けになった。布がわたしに流れてきたのだった。


 そして《詩哥写真鏡 木賊刈》。世阿弥の能『木賊』が題材だそうだ。手前というか下方に急流であるだろう、うねうねと河、そして橋の上に刈った木賊を天秤にしてかつぐ老人、真ん中に鴨が二羽いる池、そしてむこうに森、空には満月。つまり下の流れが動の頂点であるとして、老人がそれに続いて、静かに歩き、さらに池が静謐をたたえ、最後に静かな空と月…。生と動の瞬間がここに収められている、そのことに拡がりを感じたのだった。動きから静けさへのぼってゆく。静けさから動きへおりてゆく。満月が森にかかっている。森の影になかば身を隠して、あたりを照らす。波は光ったように、白さが荒々しくまぶしいぐらいだ。


 《牡丹に蝶》(一八三三─一八三五年頃、横大判錦絵)。北斎最初の錦絵による花鳥画の揃物で、このシリーズとしては全十図のうちの一つだという。風をうけて画面のほとんどをしめる牡丹四輪が葉もろとも、左に傾いている。そして右上にやはり風をはらんだ蝶の姿。風はみえない。けれども風はこんなふうに感じられるのだ。絵をみていて、風をたしかに感じたようなきがした。ほんのすこしだけ強い、けれどもここちよい風だ。静のなかに動があると、ここでも感じたのだった。裏返る葉、全体的にたわんだ感じ、やわらかくめくれる花びら。


 上のシリーズが好評だったため、続けて出版されたのが、花鳥図に詩文や俳句を添えた中判十枚揃のもの。《鷽に垂桜》(一八三二年頃、竪中判錦絵)はその一枚。背景色は濃紺で、文字が殆ど見えないが、図版によると「朝露に濡れた鶯が桜に止まっている」とあるらしい。画面左半分と下方に枝垂れ桜がうねうねとした枝上に、花やつぼみをいくつもつけている。画面左下に鶯。鶯は、ほぼ垂直に下を向いている。下を向きつつわずかに上方に眼をやっている風。わたしの好きな北斎の鷹の絵とどこかその目が重なる。みあげるような視線のせいかもしれない。ユーモラスな表情によるのかもしれない。こんなにさかさまになることはないだろう、というぐらいに垂直にとまっているが、腹のふくらみ、尾ののびかたの正確な描写に、そうした疑念も払拭されてしまう。ともかくかわいい。どこがいいというのではなく、ただ、あたたかいものを感じて、その場から離れがたくなってしまう、春の穏やかな印象だ。

 上の二枚は、実は展示の最後のほうだった。その手前の別室、小さなスペースに飾られていた《游亀》(一八三四年頃、長大判絵)。藻の漂う水中を亀が三匹泳いでいる。水面は四本の線が藍の濃淡で描き分けられ、波紋として、亀をヴェールのように覆う。波紋により縞になったところを亀がおよぐ。縞によって同じ亀でも、甲羅の色が濃くなったり、薄くなったり。三匹のうちの一匹は蓑亀といって、甲羅から生えた藻が尾のように長く伸びている。これは長寿のシンボルなのだそうだ。その尾のような藻が、波紋によって分断されてみえる。水にたなびきながら、その藻が三つにずれてみえるのが、波紋そのものをデザイン化したようで、心になびいた。蓑亀と中央の二匹は甲羅の側から描いてある、つまり水面を下にみているのだが、上の一匹は裏側から描かれている。上に向かって泳ぐ亀の姿を、水中からみあげた感じだ。みあげることとみおろすこと、このふたつが違和感なく同時にえがかれてあること、それは水にうつったなにかと水をおよぐなにかが同時にあることのようにも思われた。蓑亀の尾のような藻と、水中にある藻たちが、どちらかが夢でどちらかが目覚めであるような、かつ同時にあること、そんな瞬間の凝縮、としての水に、心が波打ったのだった。


 ところで家の近所で亀を飼っている家がある。玄関先に衣裳ケースに水をいれたものに、大きな亀が二匹。通るたびに覗いている。雨がふると蓋がしまって、天気のときは蓋があいている。こっそり亀吉くんと呼んでいる。《游亀》をみていて、近所の亀吉くんたちを思い出した。というか、これからは、亀吉くんたちをみるたびに、《游亀》=北斎が、わたしのなかで思い出されるだろうと思って、そのこともうれしくなった。なにかが積み重なってゆく。おそらく大切な、ものたちだ。
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2012-06-15

わたしの水面に映っては…(琳派・若冲と雅の世界展)

 チケットが手に入ったので、横浜そごう美術館で開催している「京都細見美術館展Part II 琳派・若冲と雅の世界展」(二〇一二年五月二十六日─七月十六日)へ。
 展覧会HP、チラシなどから。
 「細見美術館は、大阪の実業家であった故 細見良(初代古香庵)にはじまる細見家3代のコレクションをもとに、一九九八年三月京都の岡崎に開館しました。その収蔵品は、縄文・弥生時代の土器に始まり、仏教・神道美術、絵巻物や水墨画、茶の湯釜などの工芸品、近世の風俗画、琳派や伊藤若冲を中心とする江戸絵画など、日本美術のほぼ全ての分野、時代を網羅し、国内外で高い評価を得ています。(中略)Part兇遼榲戸会では、近年人気を集める琳派と伊藤若冲の作品を中心に、コレクションの根幹をなす仏教美術、平安王朝の雅な世界を伝える物語絵、桃山から江戸期の意匠美を示す工芸品や能装束など約七〇点を展覧します。」
 チラシなどの絵が、若冲の鶏だった。「動植綵絵」を思わせる、鮮やかな鶏。酒井抱一などもあるらしい。彼の弟子筋にあたる鈴木基一の家鴨の絵もチラシにある。わたしは家鴨が好きなのだ。若冲、酒井抱一、そして家鴨。これらが手招きのように誘っていた。
 家から横浜駅までは存外近い。通常使っている駅ではなく、二子玉川駅を利用すれば、なのだが、電車に乗っている時間だけだと四十分位ではないだろうか。近いことにいつも軽い驚きがある。長らく横浜は地理的に遠い場所だったから。といっても、せいぜい電車で二時間位だったけれど。横浜の近さ、あるいは遠さはどこか郷愁を感じさせる。遠さに懐かしいような精神的ななにかを感じる、と同時に実際は距離的に近いことで、それはまさに親しい郷愁として、わたしに語りかけてくるのだった。
 横浜そごうは、展覧会を見に、ずいぶん前から来ていると思う。たしかビアズリー展とか。はじめてきたとき、海が近いことに驚いた。横浜そごうすぐ脇にシーバス乗り場がある。海を走るバスにのってみなとみらいや中華街へいったこともある。そごうの屋上にのぼったこともある。この頃はのぼっていないけれど、今の季節はビヤガーデンになっているらしい。登った時、掘割のような水がみえた。あれは海ではないようだった。運河だ。それでも水が近しいことがうれしいのだった。最後にきたのは、数年前だと思うのだけれど、エミール・ガレとラリックとか、そんな催しだ。



 さて展覧会へ。入ると「祈りの美」「王朝と雅と源氏絵」がくる。あいかわらず良さがわからず省略。お目当ての「華麗なる琳派」…と思ったら、なんだかうるさい。ひとだかりがしている。絵の前で解説しているのだった。「エー、エー、エー」やたらエーが入る女性だ。あとでしらべたら、毎土曜日二時からギャラリートークとして開催しているらしい。わたしは基本的に解説の音声ガイドもきらいなのだ。気に入った絵なら、あとで自分で解説などを見る。見ているときに、解説はいらない。見ることに集中できない、絵と対話ができないではないか。迷惑だが、しかたない。なるべく声の聞こえないところで、琳派の絵を…、といっても会場はせまいので、どうしても聞こえてくるので、「かざりの意匠」へ。こちらは釘隠や引手など。個々の説明は省略するけれども、釘を隠したりするものが、どうしてこんなに凝った細工なのだろうと、うれしくなる。こうした贅沢はみていて心地よい。
 まだ学芸員は琳派のコーナー、目玉の若冲にいたが、仕方ない。戻る(章としては琳派と若冲は別なのだが展示が同じスペースなので)。俵屋宗達の《双犬図》(江戸時代前期・紙本墨画)が水墨でのどかな感じ、やさしげな感じがして、その日はじめて興味をもった作品となった。
 そして《簾に秋月図》(絹本著色、一幅、江戸中期)。渡辺始興の作品。一六八三─一七五五年、京都の絵師だという。
 満月とススキと桔梗。ほぼ左半分に簾があり、月もススキも桔梗も半分ぐらい簾ごしに、横縞の茶色い世界から透かしてみえ、右半分の隠れていない側と対比されているようでもある。うっすらと夜の空の色。簾がなかったら、わたしはさして気に留めなかっただろう。おぼろげにみえる世界とはっきりみえる世界。それは現実と幻想を具現化しているようだった。どちらもだがどこか幻想的ではあるのだ。それは現実が幻想だということにもなるのかもしれない…。いや、絵という媒体が本来、幻想に近しいのだ、ということなのか。だがそれをみている現実のわたしが…。ふたつの行き来する境界をやさしく差し出してくれる絵だった。



 酒井抱一《扇面貼交屏風》(紙本著色・紙本墨画(扇面)・六曲一双のうち左隻)。金地の屏風に十八枚の扇が貼り付けられている。ナマズ、兎、風鈴、鹿、牡丹のような花、赤い杯…。扇はバラバラに、飛ばしたようにあるので、風にそれが舞うようだった。あるいは走馬灯のようだった。季節や日々の事象たちが、わたしの現前でぐるぐるまわる…。瞬間の凝縮を感じた。



 酒井抱一は、他にも何点かあったけれど、今回はなぜか印象に残ったのはこれぐらいだった。
 彼よりも、今回は弟子にあたる鈴木其一の作品のほうが。一七九六年─一八五八年。これを書くにあたって少し調べてみたが、長らく忘れられていた絵師だったが、近年、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一と並ぶ琳派第四の画家として、脚光を浴びているらしい。個人的にはつい先日、静嘉堂文庫美術館の《雨中桜花紅楓図》で見た記憶も新しい。
 《藤花図》(絹本着色・一幅、江戸後期)。藤の花が三房下がっている。長方形の掛軸の長さに合わせてなのだろうか。花房が異常に長い。それぞれ下三分の位置位はまだ蕾のようだ。蔓性の茎が、花たちに絡むように伸びている。花房が長いのが、異様ではあるけれど、それが構図のためだとわかるからか、あまり気にならない。むしろ面白いと思う。それは長いことを抜かせば、かなり写実的、というか、藤の息遣いすら感じられる、そのことによるのかもしれない。実物を知った上での遊びというのか。



 《朴に尾長鳥図》(絹本着色・一幅、江戸後期)。やはり長方形の画面に朴の木と白い肉厚の牡丹のような花、葉と、茎に止まる細い尾長鳥。細長い尾が茎のようだ。というよりも尾長が、殆ど朴の木の葉と同化しつつあるようにみえる。保護色というか。葉も緑だけではなく、さまざまな色…茶色や青や、黄土色からなるたらしこみ技法で、まだらになっている。尾長鳥もまた、その色、そして頭と尾が幾分青いのだが、呼び合うような色彩なのだ。彼らは呼び合い、そのことで均衡を静かに保っているようだった。そしてそんな中、白い朴の花があざやかだ。モクレン科だということなので、花びらが厚いのだろう。その厚さから、ねっとりとした香りすらつたわってきそうだった。
 ところでこれを書いていて気づいたが、朴の葉は、朴葉焼きなどで使われるものでもある。もしかすると江戸時代のほうがおなじみの木だったかもしれない。



 《紫陽花四季草花図》(絹本着色・一幅、江戸後期)。紫陽花がメインだが、ススキ、朝顔、カタクリ、水仙、マンリョウ、ナデシコ…ほか名前がわからない花二種類。ひとつはコオニビタラコなどの春の花かもしれない。つまり、四季の草が画面に収められているのだが、わたしはそのことに最初気づかなかった。というか、それほど違和感なく、そこに咲きそろっていたのだ。けれども気づき、そしてよく見ると、紫陽花は大きすぎる。カタクリや水仙は小さすぎる。朝顔の花はこんなふうにまっすぐな茎の上で咲かない(申し訳程度に、先端でようやく蔓であることを思い出したように曲がっているのだが)。だがうむを言わさずに、幻想の花園をこの場につくってしまっている、まるでこれこそが、この場の真実であるかのように。本当をつかった幻想…。現実をあつめた幻想…。そんな言葉にちかいものが、見ているわたしに去就した。ちかいものが、といったのは、絵を前にしていた時には、そうしたことばは出てこなかったからだ。ただただ惹かれた。そしてこの青い紫陽花は、この季節、あちこちで咲いている紫陽花そのものだと思った。あちこちで咲いている紫陽花を思い浮かべること、見る事で、きっと《紫陽花四季草花図》と共有しようとおもったのだ。何かを、幻想を。



 そのほか、お目当ての《水辺家鴨図屏風》(紙本金地著色・六曲一隻、江戸後期)があった。金の川、池かもしれない金の水辺に、白い家鴨と合鴨のようなのが、九羽。後ろを向いていたり、なにかをつついていたり、横向きに歩いていたり。リアルさという面では実はいまいちだった。花にみられたような写実の力が若干薄いような気がしたのだ。ただ先にも書いたけれど、家鴨は好きだし、鈴木其一、すっかり気に入ってしまったので、それでもひかれたことはひかれた絵なのであるけれど。そういえば一点。ここの家鴨たちはどこかこわい顔をしている。わたしの家鴨のイメージではない。わたしが見かけ、思い描く家鴨は、もっと静かで穏やかな、もちろんそこにはひたむきな生が生きられているのだろうが、静けさをともなう、愛しさなのだ。そうではなく、この絵では、どこかしら、静けさのなかに、こわさをともなう動がある。そのことが心にとまった。





 ああそうだ、鈴木其一や酒井抱一の前に、若冲があったのだ。ぬかしてしまったのは、例のギャラリートークのせいだ。鈴木其一を見ているあたりで、丁度若冲の説明が終わったので、やっとそちらへ。そういえば説明がおわるたびに、黒い人だかりもまたがやがやと絵の前から離れてゆくので、雨雲と通り雨でもみるような心持になったことも思い出す。ともかく「若冲の魅惑」として章だてしてあり、出品点数は六点。
 だが五点は墨絵、紙本墨画で、着彩はチラシなどでも眼玉である《雪中雄鶏図》(紙本著色・一幅・江戸中期)のみ。私としては、墨絵のほうは、今回、あまり興味をひくものがなかったので、こちらだけ…。竹の植わった雪の中、餌を探し、ついばむ鶏。頭が下で黒い尾が上。みょうに節のまがった竹にまだらに雪がかぶさっている。笹部分にはぼってりと重そうな雪。雪の白さに黒い尾と、赤い鶏冠がひときわ目立つ。
 この絵はまだ若冲と名乗る前、「動植綵絵」よりもだいぶ前に書かれたものであるらしい。だがあの絢爛さは、もうここで伺うことができる。だが、なぜか幾分淋しげだ。そうではない。孤独なまま、王のようにあざやかに君臨してみえる、といったらいいか。ぼってりとした雪がおもい。そのなかをどこか軽やかにみえる孤王のごとく毅然とした鶏のあざやかさ。ありえないほど節がまがった竹が、まるで鶏の足のようで、その対比も面白い。


 
 美術館を出て、電車で山下公園へ向かった。その朝つけていたテレビで、公園の薔薇園が見ごろを迎えたとあったから。
 この日、はじめて本格的に外に出る。というのは、家からバス亭までほんのすぐで、バスに乗り、おなじように駅から電車、地下街をくぐってそごう、そこからまた電車…。その日の天気は雨だったが、その雨にほとんどぬれずにきたので。山下公園、つまり海へ向かう。雨がだいぶ激しく降っていた。おまけにかなり寒い。わたしは薔薇がみたかったのか、いや、海がみたかったのだ。氷川丸が見えた。雨にけぶって灰色の海が見えた。雲の色の海が。薔薇はその手前で、ぽつぽつと咲いていた。小さな薔薇園。噴水もむこうにある。雨がはげしい。薔薇園から氷川丸を眺めると、まるで薔薇の海にうかんでいるようだ。海がみえない。カメラで何枚か写真を撮る。雨の雫がレンズのなかにはいったらしい。とった写真がシミがひろがったようにぼやけている。写真のなかにも雨が降ったのだった。そういえば鈴木其一に《雨中桜花紅楓図》という雨の植物たちの絵があったなと思う。薔薇園の端に紫陽花が咲いている。《紫陽花四季草花図》…、こんなふうに絵を思い出し、こんなふうに街でわたしがこうして雨を感じ、紫陽花を見ることで、水鏡のように事柄が混ざってゆく。水中の鯉、水底すらうっすらと見せながら、空や木々を映す水面。エッシャーの絵にも水面を描いたものがいくつかあった。水中の魚と木々と落ち葉からなる《三つの世界》(一九五五年)や、《水たまり》(一九五二年)に浮かぶ月とか。こうしたこともわたしの水に映り、重なってゆく。雨が激しくなってきた。

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2012-06-05

水の都のほうへ

 今回は、とくにかわったことがなかった。から、最近、日々のなかで、おこった、すこしのことたちを連ねてみる。






・とある日
 私が住んでいるマンションの近く、もしかするとお寺かもしれない。あるいは大きな戸建の家、庭が広く、立派な塀で囲まれたところ…。実はよく覚えていない。たいていは朝だ、出勤前、自転車でとおると、ごくたまに、門の脇に、水をはった青いバケツが置かれているのを目にした。「ご自由にお持ち下さい」と紙が添えられている。季節は春から秋の間で、そこには庭に咲いていたのであろう、折々の切り花が置かれているのだった。朝、駅に向かう途中なので、残念ながら、持って行くことができない。ただやさしい気持ちだけもらって通りすぎる。帰りには青いバケツ、花はとうにないので、家がいまいちわからないという…。いや、いつかの休日、見かけたことがあった。買い物だけすませて、後で花を…ともくろんだことがあったが、三十分位の間に、もうそれがなくなっていることもあった。やはり寺だったか、戸建の家だったのか、わからない。多分、わからないままにしておきたいのだろう。忽然と、季節の花が差し出される。みかけるたびにやさしいもの、あるいは季節の一端だけもらって過ぎる。そのままにしておきたいのかもしれない。
 と、こんなことを書いているのは、今日もまた、夕方買い物に出かけた時に、青いバケツの花たちに出会ったからだ。矢車草と、あとはわからない。ことし初めてだ。もう、そんな季節になったのだ。そのときのことを、今思うと、青いバケツと花たちの差し出すぬくもりにばかり目がいってしまって、どうも、まわりのことをほとんどみていないようだった。また、例のように、買い物が終わった後に…と思う。今もらってしまったら、花がしおれてしまいそうだ、せっかくのやさしさが…と。それでまた、案の定、帰りに探す…というよりも、同じ道を通るのだけれど、花はない。またどこだったのかわからない。季節のやさしい青い花、の記憶だけが残るのだった。
 そういえば、去年名前を覚えたスダジイ。公園で最初の香りを嗅いだ。森の放つ性の香り。青臭いような、生々しい…。昨日通ったときは、わからなかったのに。あたりは新緑というよりも、いっそう青くなってきた。

・「水葬楽」(皆川博子)
 図書館で借りた皆川博子『猫舌男爵』。表題作はあまりおもしろくなかったけれど、「水葬楽」。私のすきな時の彼女の作品だ(多様な作風があるので、はまるときとそうでないときがある)。古めかしいが近未来の雰囲気。水槽の中で、人々は最期をおえる。臨終の時、その人しか聞こえない、美しい調べが聞こえるらしい。あるいは恐怖の音かもしれないがわからない。そしてシャム双生児の男と女の双子。女の子のほうが主人公だ。彼女たちはあまり言葉をしらない。教えてくれる人がいないから。二人だけで遊んでいる。ある日、広い邸内の一室で亡き母の彫像を作っている侏儒に出会う。彼の言葉。「前の戦争の後、言葉の多くが殺された、と侏儒は語った。婉曲な言い回しがもちいられるようになり、その実体さえ存在しなかったことになり、目の前にあっても、ないように扱われる。在ってはならないものは、ないものとして扱われる。」そうして、彼のような身体の人を表す言葉も、長生きしすぎ、排泄まみれになった老人たちを表す状態を表す糞袋という言葉もなくなった。「その言葉は、他の幾つもの言葉と同様、存在しないことになった。」双子の兄妹も、周りから、いないもののように扱われていた。彼らを表す言葉はおそらく存在しなくなっていたのだ。

 私は言葉を、名前を覚えた時の喜びは知っていた。この頃だと、たとえば鳥だ。知らない鳥の声を聞いたり、姿を見かける。野鳥図鑑で調べる。次からは名前で彼らを呼べる。名前を知ったその時から、彼らは私に存在するものになったのだ。それまではわたしにとって存在しないものだった、彼らは存在しているにも関わらず…。こうしたことをよく考えていたのだが、「水葬楽」のこの言葉は、まさにその逆だった。言葉、名前が失われることで、存在しているにも関わらず、人々にとって非在となってしまう。
 主人公の女の子は、兄と文字通り引きはがされ、おそらく存在しないものとして、広い屋敷の中で生き続ける。兄のほうは、跡継ぎとして、外の世界で認知され、存在するものとして生き続けるだろう。だが、少女は言葉を覚え始めた。そのことで存在たちをつくりあげてゆくのだ…。小説の最初の部分が、彼女によって書かれはじめる。この小説自体が、彼女の創作だった、という終わり方。

 「水葬楽」を読んだあと。雀のような大きさだが、どうも模様が違う。雀よりも模様が大ぶりで頭の毛が逆立っている。暫く地面を歩くのを見ていた。家まで持ち帰った姿形をCD付野鳥図鑑の上に広げる。キツツキの仲間のコゲラだ。ギーィと鳴く。今度から、姿もそうだが、声を聞いてもあれはコゲラだと呼べるのだ。彼らもまた、わたしに存在することになったのだ。

・またおぼえた。
 夕方の川岸の公園、薄暗い木立ち。枝に鳥がとまっている。鳩ぐらいか、それよりも若干小さいけれども、尾が鳩よりも、なんというか四角の幅が広い感じ。高いところなので顔などは見えないが、鳩よりも頭は大きそうだ。胸のあたりは茶色っぽい縦じま模様のようだ。なんだろう? どきどきする。多分、名前を知りたくて、たまらなくなるのだ。家にかえってから、また野鳥図鑑で調べる。多分、アオバズク。大きさも形も。それに、人家周辺の、社寺林、木々の茂る公園などに生息する夏鳥とあるし。また名前がわかった。彼らは、これからは、わたしにとって、存在してくれるものとなる。ああ、〈アオバズク〉が停まっているなと、いえるのだ…。そのことにまた、「水葬楽」がからみあってくる。こんなふうに、なにかたちが共鳴しあい、わたしのなかで存在しつづけている、のかもしれなかった。

・水の都。
 海が見にゆきたい。海というと小田原や江の島を真っ先に思い浮かべるのは、小さい頃に小田急線沿線に住んでいたからだろう。
 ロマンスカーという特急電車がある。赤い。小さい頃から川や海、水が好きだった。小田急線の小田の字は、小田原という海のほうへ行くから、そんな名前がついたのだと教えられ、下りの電車をみるたび、水を思った。とくにロマンスカーが急いで走る。あれは海のほうへゆくのだ…。線路沿いだったか、駅だったか。見かけるたびに海を感じた、というか、海への想いを募らせたのを思い出す、あの電車たちの行き先は、理想郷、エルドラド、桃源郷のようなものだった。
 江の島に小さい頃にいったことがある。ロマンスカーだったのだろうか。急行だったのかもしれない。おぼえていない。(小田原へゆくのとは、ちがう。途中でふたまたになっている)
 今も小田急線沿線に住んでいる、というか、また住むようになっったのだけれど。
 電車いっぽんで、あのあたり、海へ行ける。けれど、簡便だから江の島を思い浮かべるのではないのだ。江の島というひびきのなかには、小田原へのように、郷愁がある。小さい頃の、理想郷、いえ、水想郷、ともいうべきか、
 海が見たい。そうつぶやくと、江の島、まさに島の裏手、岩場からみた海を想起する。けれどもそれは、大人になってからおとずれた景色のはず。そんなふうに、江の島はわたしのなかで、だんだん塗り重ねられていったのだ。思い出をぬりかさねた、水の都。

・水の都とたんぼ池

 そう、小さい頃から、水をみるのがすきだった。川、海、池、湖。一番は海だったが、前述のとおり、海辺に住んでいるわけではないので、海にいく機会はあまりない。一番身近な水は川だったろう。6歳まで住んでいたところは、コンクリート護岸された小さな川が家のすぐそばにあった。灰色のきたないドブといった印象しかない。後年暗渠になってしまった。だがそれは小さい私にとって残念な川だった。この川を通るたびに、きれいな水が恋しくなったものだった。たまに電車に乗る。川が見えるとはしゃいだ。水がすきねえと親がいっていた。
 今住んでいるところは、川がある。割と近くだ。毎日見れる。人工的に整備されてはいるが、川底は泥や砂利だし、中洲もある。自然に近い形をとっていて、水もきれいだ。うれしい。といっても、毎日通るので、ありがたみはうすれて…いるだろうかしら? 恋愛でいうと、初期の熱情はないけれど、それをすぎて、温かな情愛のようなものを、日々感じていると思う。流れを見て、そこにすまう鳥や鯉をみて、穏やかななにかを受け取っている。
 川に沿って公園がある。民家園があり、田んぼがある。以前、このあたりは田園地帯だったのだが、それを公園の中だけ復元したもの。川から用水路をひきこんで。
 今の時期は、田植えがおわったばかりで、稲はまだそだっておらず、田んぼは池のようになっている。それを見るのも、水好きのわたしとしてはうれしいことだ。田んぼ池に空と木々がみえる。



・田んぼ池
 水を張っていた公園内の田んぼ、今週になってようやく苗がうえられた。まだよわよわしい。池にうわった水草のよう。水面には空や木が映っている。わたしはこうした像がすきなのだ。水にうつった月とか。それは実像ではないから実在しないものなのだろうか。いや、こうして見えているのだから、それでも現実なのだと思えることが。書物の世界が、つくりものだとしても、それをみるわたしには存在するように。
 田んぼにカルガモが泳いでいた。まさに池のように。



・水の都のほうへ。
 この頃、よく燕を見る。ヒューと滑空するようにとぶ。羽根の形が独特なので、すぐにわかる。あの、燕尾服のような、(というか、燕の姿からとったのだけれど)羽根のかたち。
 四月から七月は、産卵期だというので、その関係だろうか。あるいは巣立ちをおえた雛と親鳥は、河川敷などをねぐらに集団で暮らすというから、そのせいだろうか。家は比較的川の近くにある。残念ながら、家からは見えないけれど、川までの距離は一五〇メートルぐらいだろうか。朝、ベランダから燕が飛ぶのがよくみえる。今日は川岸でもみかけた。燕尾服がヒューっと飛んでゆくのをみると、なんとなくうれしい。もしかすると、燕は、小さい頃から名前をしっていた数少ない鳥であるからかもしれない。多分、家かどこかで巣をみたのだ。結局、わたしの郷愁は、いつも幼年に帰ってゆく。水の都のほうへ。それは名前をおぼえる新鮮なよろこびにみちた時代でもあるけれど。水鏡にうつったものを実在と信じていた頃のことだけれど。なんだ、今とさして変わらないではないか。

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