Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2012-07-25

現実と幻想のはざまを日々歩くことができるだろうか。





 今回は珍しく近況を。三月から最近まで、失業中でした。六月末から、週五日、朝五時から八時(繁忙期の今は九時頃迄)の荷物運びの短期アルバイトをしていたのですが、それがこの度、長期契約に。まずはホッ。
 それだけでは生活できないのでやはり週五日チラシ配布のバイトもしています。
 どちらも完全に肉体労働なので身体が慣れるまで、なかなかきついです。今までは事務でしたし、失業中の三か月ぐらい、あまり身体を動かさなかったこともあって。ただ慣れれば創作に集中できそうなのですが。
 前の職場、精神的に、嫌で嫌でしょうがかなかったのだと、あらためて実感。仕事していた時は、不快だなあ位で、そこまで思わなかったのです。そしてそれが理由で辞めたわけでもなかったので。
 今は精神的にはまだ楽かもしれません。
 特にチラシ配布。きめられた範囲内の家の郵便受けに入れてゆきます。拘束時間の割に賃金が安いのですが、慣れればかなり散歩的ニュアンスが増すと思います。
 ちなみに、あれ、配った状況を細かに地図に記しつけて提出したり、毎日電話で報告したりするので、ズルがしにくいのですよ。
 こちらはなんというかちゃんと仕事をしているのだけれど、ほかのそれよりも、くっきりと現実と非現実的な境界が分かれていないのです。地図を見ながら、配布しているその最中でも、どこか非現実感が漂っていて、区切りがないのがいい。鳥をみつけたり、花をみかけたり。
 そのあたりのこと、ツイッターやちょっとした他のブログなどで書いています。後でここに転載しますね。


 それと、バイトのどちらも家の近くなので、通勤時間がほとんどないことも、時間を得した感じがあります。定期券を使って休日にどこかに遊びにゆくということが出来なくなってしまったけれど。
 合わせても、前の仕事よりも賃金は全然少ないのですが。切り詰めれば何とかなるかな、程度で。
 ともかく身体が早く慣れるといいと思います。けれども少しずつ慣れてきたかもしれません。先週の休みは疲れてぼうっとしていましたが、今週の休みは先週に比べると、ずいぶんと楽ですから。
 朝早くに起きるのは、わりとすぐに慣れました。朝三時四〇分起床。って、最近まで、まだ起きてる時間で、わたしの中では夜の続きの時間だったのですが。

 以下、ほぼチラシ配っている最中のことを。

    ***



六月二十六日
 ようやく身辺が忙しくなってきた。今からアルバイト。ベランダに雑草と化したモジズリが咲いている。一年草で種で増えるが、蒔いた記憶がなく、あちこちの鉢に勝手に生えてくれる。最初は一つだけ。これでは来年は見られないかもと心配になったら、知らないうちに五つ位。小さなねじれた蘭の行進。外で、いつも通らない広場で、モジズリたちを見る。

六月二十七日
 今日は真昼から4時まで、外にいた。暑かった。日射しがのったりと、隠していても、くいこむようだった。歩いているうち、思考回路がだんだん、にぶくなってくるのがわかった。街を現実として歩いていた、もうろうとしながら。
 知った筈の道のほんの裏側を歩いただけで、未知の空間にまぎれてしまったような、リアリティのなさが歩いているわたしに混在しはじめていた。
 道端で猫が現れる。枯れかけたホタルブクロの鉢植えが出現する。
 知らない道を歩いていたはずなのに、突如として現れる見知った大通り。
 なんども行き止まりに遭遇し、ようやく通じたと思ったら、
 ずいぶん前に歩いた道だった…。突然、猫が二階から鳴く。暑さでしおれた鉢植え。
 無言でいたのに、しゃべりすぎた後のように喉がひりつく。これらすべてが、リアリティがなかった。幻想のなかをあるいているようだった。猫を追おうとする。その私をべつの私がみているような。夢のなかのわたしをみるわたしのような。でも、暑さをかんじているわたしもたしかにいるのだった。わたしはどこにいたのだろうか。
 喉がひりついたのは、だれかと夢のなかでしゃべったからではなかったか。今日はほんとうに暑かった。

六月二十八日
「一つのものが、視線の方角を換えることで、二つの別々の面を持ってること」(萩原朔太郎『猫町』)。
 田んぼ湿地と呼んでいる近所の公園の田んぼ(まだ水が見える)を別の方角から写真に撮る。紫陽花と田んぼ湿地の空と土が凝縮のように立ち寄って、見知らぬ湿地を作っている。

六月二十九日
 日射しに眼がひりひり痛むので、眼鏡の上から付けられるサングラスを買う(普段は眼鏡っ子なのです)。つけてない時よりも、世界がくっきり見えるのに驚く。いつもより夏に近い空が明るい。例の田んぼ湿地に潜り込んだ太陽の光の球が見えるぐらいだ。昼顔が咲く。カトリーヌ・ドヌーヴ。草がはっきり揺れている。

七月一日
「私は夢を見ているような気がした。それが現実の町ではなくって、幻燈の幕に映った、影絵の町のように思われた。だがその瞬間に、私の記憶と常識が回復した。気が付いて見れば、それは私のよく知っている、近所の詰まらない、ありふれた郊外の町なのである」(萩原朔太郎『猫町』)。

 町を歩きまわる仕事もはじめた。暑い陽ざかりに町を歩く。現実に幻想がまじってゆく。朦朧としたのは暑さのせいではない。
 地図を見ながら歩く。忽然と現れる、いつも楽しみにしていた猫屋敷。
 嘘をつく地図。隣同士なのに、違う道からしか辿りつけない二つ並んだ家。隣同士なのに、私道が書かれていないからか、実際は、片方の家の玄関は、ずっと奥にはいったところにしかない。
 ひとつには、地図と現実の町のずれが、幻想を帯びるのかもしれない。
 そして、仕事の途中という現実(日常)と並行して、散歩の行き帰り、休みという非日常的な場で、出逢ってきた様々なものたちに出会う、たとえば、前を通ると必ず猫が何匹か見れる猫屋敷、だいすきな田んぼのある公園、今の季節なら、モジズリの原っぱ、牛ガエルの鳴き声、そうした、わたしにとっての幻想にちかしいものたちが、現実にかさなってゆく、そのことでも、町が幻想を帯びているのだった。
 ご苦労様ですと挨拶をする幼児。二階の窓から、わたしをみかけて、鳴き出す猫。別の様々な様相を帯びる町。

七月二日
 今日も日中、外にいた。家の近くはこっそり、湧水がでるところが多い。たいていは湧水が出るところは、公園になっている、なかには公園なのにその区画だけ金網をして入れないようにしているところもある。そして、二軒ばかり、庭に湧水のある家がある。ひとつは、どこかのパンフレットでみたもの。垣根がびっしりと施され、確かにはわからないのだけど、もしかすると枯れているかもしれない。すぐ暗渠になってしまう小さな用水路みたいなのが垣根の外に溝をつくっているが、それが乾いている。そして、そこにたぶん、湧水がおちるようになっていた痕跡がある。垣根ごしに眼をこらすと、ジャノヒゲがちょうど流れがあったであろう場所をあけて蛇行して、葉を茂らせている…。あれが、多分そうなのだと思いを馳せる…。その水音がしそうな気がする…。
 もう一つの湧水は、崖の下にある、道に面した家。垣根はない。庭には、道路側に車が止められ、その奥に池があるのが、車ごしにわかる。
 この崖は、国分寺崖線といって、水がわき出やすい地層。その水を樋のようなもので集めて池にしているのだ。池の水はどこへゆくのかわからない。最終的には、すぐ近くの野川へ流れるのだろうけど。こちらは、いつも、つい通るたびに車ごしに眺めてしまうのだった。わたしは水が好きなのだ。
 今日は、いよいよ、仕事でそこを通った。庭をとおっった。ホテイアオイの葉っぱとスイレンの葉でいっぱいだった。やはり湧水だからだろうか。水が澄んでいた。さらに驚いたのは鯉がいた。脇には紫陽花。とうとう見る事が出来たのだった。
 今日は、でも、あまり幻想をあまり味わうことができなかった。つかれていたのかもしれない。この水との出会いだけだった。いや、そうではない。水から離れて、一瞬ほとんど無音のような時間が訪れた。車も通らない。だれの話し声も鳥の声も聞こえない。風もそよともしない。汗すら流れていないんじゃないか、時間がとまったんじゃないか、そんな無言の刻があらわれたのだ。
 それは幻想がくっきりと、あたりを全的に覆った瞬間のようだった。明日はどんな幻想がながれるのだろう。

七月三日
 仕事で歩く。このあたりの崖線(国分寺崖線)沿いには林や湧水も残っているが、お屋敷的な家もかなり建つ。庭に保存林の大木がある家が何軒か。カブトムシもいるらしい。庭から湧水の流れる家も。
 突如花壇のある小さな森が出現した。個人の土地を市民緑地として開放しているという。おそるおそる、入ってみる。
 現実からいきなり物語世界へ足を踏み入れたよう。ホタルブクロ、モネの絵で知ったアガパンサス、ギボウシ、半化生、ブラックベリー。そこに咲く花たちが、和洋とりどりなのも幻想的だった。ほんの少し、ベンチに座り、あたりを眺める。幻想がのどをとおる水のようにわたしに入った。
 又仕事(現実)に戻る。






七月四日
 突然訪れるものの異和感。たとえば石の隙間から茎をうねらせ、のけぞるように咲くアザミ。勝手に春の鳥だと思っていたウグイスの完全な鳴き声が夏の暑さのなかで警笛のように響くとき(彼らは春はまだ少し鳴き声 が不慣れな感じがする)、
 殆ど通らない道を通って知った、いつもの田んぼ湿地や林のある公園の後ろ姿(何故か植木屋さんの庭を連想した。沢山の植木のような木がこんもりしているように見えたのだ)。
 異和から生じる異界との接点たち。けれども、それはどこにでもあるものたちなのだ。衣裳ケースで飼われている、近所の玄関口の亀吉くんたち(とわたしが勝手に呼んでいる)。暑さよけなのだろうか、ヨシズがかぶせてあった。

七月六日
 じりじりと日射し。〈世界はその時正午だった〉は誰の言葉だったのだろう? 昔の男が夢見るように呟いていた、その大本は? 乾いた畑に茄子の花。ミヤマアゲハ、モンキチョウ。こんなに蝶がいたのかと思う。正午の浮遊するたましいたち。殆ど終わりかけて褪せた紫陽花。少しだけ身体が慣れてきた。

七月十日
 外を歩く仕事。道路から玄関まで、細い路地の両脇に様々な植物たちのある家。小さい頃を思い出す。家と隣の家の間に、細い路地のような庭。両脇に山野草の鉢植えのびっしり。亡父が好きで丹念に育てていたのだ。
 あの頃はなぜ、そのことに感動しなかったのか。多分当たり前の温もりとして、花たちがいつも傍に、父のようにいてくれたから、だと、ぼんやりと思う。
 では、今、植物たちにあうたびに、なにかしらもらうのは、何故なのだろう。わたしが覚えている植物の名前は、ほとんど父が好きだったから、父が育てていたか、一緒に図鑑などで、覚えたものばかり。それだから、ばかりではないだろう。それでは、植物たちに失礼だ。
 植物たちは、いつも近くで、あちこちにある。そのことを、どこかで温もりとして、ありがたく思っているのは…。いや、温もりはいつでも、僥倖なのだ、そのことに気づいたからかもしれないし、わからない。単純に、花たちがうれしいだけなのかもしれない。

七月十一日
 木漏れ陽。地面に落ちる影。ぼうっと通りすぎてしまうところだったが風が吹いた。波紋のように揺れ、さざ波のような音をたててこすれる葉たち。そうだ、いつも波のようだと思っていたものだった。腕や足に葉紋といっていいそれらを映す。葉と陽の海の中。



七月十二日
 この頃蝶によく出逢うのは、日中家の近くにいるからだと気づく。アゲハ類、キタテハ…。去年まで昼はいつも都会にいたから出逢うことがなかったのだ。小学生の時、バドミントンのラケットを振り回しながら歩いていた時、アゲハを知らずに撲殺してしまった事が。麟粉が抗議のように飛び散って。今も。

七月十五日
 休みの朝。近所のひまわり畑へ生育状況を見に。場所が少し判りにくい。川沿いから直角に道を曲がると青いユーノスが停まっている家がある。車を目印にしてはいけないと苦笑しつつ、あると間違えてないのだとほっとする。さてヒマワリ。丈は小さいながら、もう蕾を中央に、青い太陽みたいにつけていた。

 休みの朝。電柱の上に鴉と思ったらカワウ。雀と白鶺鴒が並んで地面を歩いている。衣裳ケースで亀を飼われている家では、ホースで衣裳ケースを洗っている亀のお母さん。そして天気雨。晴れと雨と同時に体験する優しい違和。日射しがあちらに、そして腕に雨粒…雨脚が大分強くなる。まだ向こうはお天気。

七月十七日
 サウナのような暑さ。お昼に公園でおにぎり。崖上は炎天下。崖の中腹に木陰のあるベンチ。食べ終わって崖上へ登る途中、工事現場の人たち。「ああ木陰がある、あそこで食べよう、坂下らないとだけど」と、さっきまで私がいたベンチへ。それは私の心のつぶやきそのままだった。共有めいた親近感。

七月十八日
 外で見たもの。久しぶりに四十雀の黒い頭。雀のように地面を歩いていたコゲラ、ヨウシュヤマゴボウのまだ白っぽい実(熟すとワイン色になる)、置物のように動かないスズメバチ。家のマンションで見たもの。夜灯に集まって死んでしまった虫たち。猫の親子。

七月二十日
 蝉の声を聞いた。今年初めて。ジリジリ…アブラゼミ。鳴き声に力がないと思ったがそうではない、まだたった一匹の声しか聞かなかったから、或いは連日の暑さから一転した涼しい雨もよいの一日であるこの日、聞いたから。蝉の声に力を感じるのは陽盛りの、ジリジリジリ。まるで太陽が降るほどの蝉時雨。

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2012-07-15

息づくあさがお君。 (ほか、残念な…)

「バーン=ジョーンズ展─装飾と象徴」展へ行ってきた。三菱一館号美術館、二〇一二年六月二三日─八月十九日。
 チラシや紹介HPから。
 「『夢の国』に住む一番素敵な若者の一人」 時代の寵児ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティにそう云わしめた気鋭の画家エドワード・バーン=ジョーンズ(一八三三─九八)は、イギリスの工業都市バーミンガムで額縁職人の子として生まれました。オックスフォード大学において生涯の友ウィリアム・モリスと出会い、一八六一年にはアーツ・アンド・クラフツ運動の起点となる共同事業を創始します。そして、十九世紀末には、その詩情にみちた静謐な画風によってヴィクトリア朝絵画の頂点をきわめました。しかし、その活動の全体像については、これまで十分に把握されてきたとはいえません。
 本展は、バーン=ジョーンズの全貌に迫る日本初の個展です。ランカスター大学ラスキン図書館・研究所長スティーヴン・ワイルドマン氏を監修者に迎え、世界屈指のコレクションを収蔵するバーミンガム美術館の協力を得て、油彩画、水彩画、素描、貴重書、タペストリなど、国内外から厳選した約八〇点を、聖書・神話・物語のテーマごとに展覧します。「聖ゲオルギウス」「クピドとプシュケ」「ピグマリオン」「ペルセウス」「いばら姫」など、バーン=ジョーンズ芸術の真髄を伝える代表的連作を紹介します。」
 



 ところで、ここの文章、特に展覧会、すごく良かった、というときは、こんな風に紹介記事からの引用で始まらないことが多いと思う。自分の書いたものなのに、よく覚えていないのだけれど、紹介記事を載せるにしても、その前に、何か自分の文章、ちょっとした感想などを載せてから、ということが…。
 つまり。バーン=ジョーンズ。楽しみにしていたのに。ショックだった。展覧会に足を運ぶようになってはじめてだと思う。ほとんど感動しなかった…。まとまった個展としてはじめてのバーン=ジョーンズ。それまでに、ウイリアム・モリスとラファエル前派あたりでの展覧会、後はぽつぽつと、彼の作品を見る度に、なにかしら胸をひたすもの、共鳴をうけたものだった。
 多分バーン=ジョーンズ作品として初めて感銘をうけた《フローラ》(一八六八─一八八四年)の夢みるような、女神の振り返った表情からたちこめる赤い春、《夜明け(羽毛のような雲あるいは湖と空あるいは農園)》(制作年不詳)の、夕方のような境界。あるいは《モーガン・ル・フェイ》(一八六二年)の、さびしい暗い魔女の郷愁。家に絵ハガキたちが飾ってあるそれ、…、どこかの展覧会で、バーン=ジョーンズの作品を見かけるたび、必ずなにかしら大切なものを受け取っていた、お気に入りの画家だったのに。
 最初は二十代後半から三十代のそれの展示だったので、若描きだからかしらと思った。だが、今あげた作品のそれだって、若いものもあれば、歳を経てからのもある。そうではないのだろう、ではなぜなのか。
 《フローラ》があった。これだけは、やはり好きだと思う。段違いにわたしに迫ってくる。とはいっても、前にみているので、それほどは感動しないのだけれど。
 いちおう、ここで紹介しようと思って、感動しなかったにも関わらず絵ハガキを何枚か買ったのだが、その絵たちについて書くことも、面倒になってしまった。感動しないことを書いてもつまらない。あるいは逆に批評しようにも、なにかわたしのまえで絵がとざされてしまっているようなのだ。距離があるというのか。批評すらできない。
 けれども一方で、もし、それでも作品について、たとえば絵ハガキを買ったものだ、それについて書け、と言われたら書けるのだろうと嘘寒く思った。まるで感動した風に、何作かについては書ける自信のようなものもあった。それはでも、心にも思ってないこと、まで、ひどくはないが。
 なら、なぜこんなところで、ぐだぐた書いているのだろう。自分の眼に自信がなくなったからだろうか。今回、感動しなかったのは、自分のせいではないか。そんなふうに思ってもいる。どのみち、感動するもしないも自分のことではあるのだけれど、突然に眼がくもってしまったのかもしれないと、すこしばかり危惧しているから、それをそうではないはずだと自分なりに検証し、安心しようということかもしれない。あるいは書くことで、もしかすると、バーン=ジョーンズのよさがわたしに伝わるかもしれないと思ってだ。何故なら、こうしていつも、こうして何かを書くことで、判ることがあるから。
 けれど、そのわかること、というのは、やはりはじめに感動ありき、なのだと今気付いた。わけもわからないけれど、なにかがわたしに語りかけてくる。ひたしてくれたり、ゆらしてくれたり、ときにはおびえさせたり。それをこうして書くことで、その理由の一端なりとも、わかるために書いているのだ。
 では、感動しなかったというのなら、書いても良さがわかるはずがないではないか。

 多分、一点だけでも、私にとって、なにかインパクトがあるものがあればよかったかもしれない。そうすれば、買った絵ハガキのことも、書けたかもしれない。というのは、他の誰かでもそうなのだが、揺さぶられた一枚の絵が展覧会にあるとする。すると、その展覧会の同じ画家の、それほど揺さぶられなかった作品でも、わずかにさざ波が立つことがある。そうしたものにたいしてなら、なにかしら書けるのだが、絵ハガキを買ったものたちには、まさに、そのさざ波ぐらいは、感じたものだったのだから。
 今回それは、前にみた《フローラ》だけだった。でもこれは先に書いたとおり、前に見ている。

 わたしはこの先、展覧会で、絵に出会っても、もはや感動できないのではないかという不安…。家に帰ってきて、それがすこし怖い。家でさまざまな絵、いままで見に行ったそれらを見るとはなく眺める。時々のなにか、ゆれがしずかに胸をつたう。大丈夫だ、多分。だろうか。

 多少は、個人展については、そんなところもある。ルドンとかの展覧会でも、並べられた全ての絵に、心がざわめくわけでない。ただ、数点、なにかが。それによって、あとで言葉も満ちるのだ。たぶん、マグリットだって(個人の展覧会としては残念ながら、まだ見たことがないのだが)、ピロスマニ(こちらも個人の展覧会を見たことがない)だって。ゴッホも、速水御舟、そうだ、先日いった、北斎だって。いや、小説や詩集でもそうではないか。その作者のすべてにざわめくわけではない。けれど、なにかしらのざわめきをどこかでうけるから、それを追うのだ。それが感じられる、ちいさな、けれど大切なざわめきのなかに。
 バーン=ジョーンズ展に感動しなかったのは、もしかして、物語や神話との関連性が多かったこともあるかもしれない。ほとんど全ての絵が、何かしらの物語と結びついていた。アーサー王、ペルセウス、いばら姫、ピグマリオン。物語との関連を追うのが面倒になって…いや、それも感動ありきかもしれない。感動すれば、そんなことは労でもなんでもない。第一、《モーガン・ル・フェイ》だって、アーサー王に出てくる魔女ではないか。北斎のうばがえときシリーズだってそうだ、百人一首を題材にしたそれら。たしかに作品によっては、歌との関連を追うのが面倒になったこともあったが、気にいったそれだと、その関連を喜んでいたではなかったか…。

 もう感動しなかったことについて書くのはやめにする。



 七月六日。入谷のあさがお市の始まった日。奇しくもその朝、ベランダの朝顔が咲いていたので驚く。濃紫と濃桃。その前日も伸びてきた蔓をくるくる巻いていた。巻き方を間違えると嫌嫌するみたいにそっぽを向く。動物みたいだ。茎には細い毛がびっしりついているので、余計にそう思う。猫みたいだ、と。
 その時も、蕾はあったのだけれど、まさか咲く迄だと思っていなかった。それに、その半月ほど前に、苗で購入したのだけれど、まだ本葉がでて、それほど丈として伸びていなかったから、なんとなく、花もまだだろうと思っていたのだ。ひまわりなどが、だいぶ丈を伸ばしてから咲く、あのイメージで。
 驚きは、美しさに対する、揺れだった。ざわめきには愛しさがまじっていた。うれしい。
 そうして、彼らはいつも思いがけない動きで愛しくも私に季節を教えてくれるのだと。
 次の日は、蕾のみ。また蔓をくるくる巻いた。その翌日、あさがお市の最終日には、また一つ。
 ちなみに、うちにあるこの朝顔は、今年は近所のスーパーで買った苗三つ。行灯と鉢は、去年、深大寺のほおづき市で求めたもの。その時に種を取っておけばよかったのだけれど。
 入谷のあさがお市、すこしだけ見てきた。団十郎という、茶色の朝顔が眼についた。また流行り出したのだろうか。去年、ほおづき市で、買った朝顔に、実はこれも混じっていた。すこし茶色。江戸時代、市川団十郎が、好んできた羽織の色にちなんで、この名前がついたとのこと。
 私としては、青系が好きなのだけれど、この渋い色になんとなくひかれている。今年の苗には入っていなかったけれど。こんな風に、朝顔たちもまた、毎日、毎年、わたしのなかで、なにかを連綿とつないでいってくれるのだろうか。彼らと接することで、朝顔というわたしのなかの言葉がさまざまな色彩をおびてゆく。今、また蔓をまいた。ちいさな毛たち。

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2012-07-05

光と影が、疎外から誘いをもたらしてくれる。(大エルミタージュ美術館展)

 大エルミタージュ美術館展(二〇一二年四月二五日─七月十六日・国立新美術館)。招待券を貰うことができたので行く。国立新美術館HPから。

「エルミタージュ美術館はロシアのサンクトペテルブルクに位置し、ロマノフ王朝の歴代皇帝の宮殿からなる建物と、三〇〇万点を超える所蔵作品とが見事な調和を織りなす、世界有数の美術館です。本展覧会では同館の優れた所蔵品の中から、十六世紀から二十世紀初頭における西欧美術の「顔」ともいうべき名作を、その世紀を象徴するキーワードを軸に紹介します。
十六世紀=人間の世紀、十七世紀=黄金の世紀、十八世紀=革命の世紀、十九世紀=進化する世紀、そして二十世紀=アヴァンギャルドの世紀。各世紀を彩るのは、ティツィアーノ、ルーベンス、レンブラント、ブーシェ、レノルズ、モネ、ルノワール、セザンヌ、マティス、ピカソら八十三作家の作品、全八十九点です。まさに四百年にわたる西欧絵画の歴史をたどる豪華ラインナップです。」




 十六世紀から十八世紀の絵画はどうも心ひかれるものが殆どなさそうだったので、入場券を買ってまで行く気がしていなかったのだった。十九世紀・二十世紀も、わたしの好きな範囲はなさそうだったし。などと書くとよくないのだろうか。
 土曜日、一番混んでいる時間帯にいってしまった。混むには理由があるのだ、休みなので、普段よりもゆっくり起きる。そしてゆっくり支度をする。それで無理なく着ける時間だと、そのぐらいになってしまうのだから。午後三時から四時の間だ。
 けれども会期半ば過ぎぐらいだからか、混んではいたけれど、芋の子を洗うようではなかった。
 会場内。やはり十六世紀から十八世紀までは、触手がうごかなかった。疎外感すら生じた。わたしはここにいてはいけないのではないか…。あるいは中学生とか高校生だった自分。美術の時間だったか、歴史の時間だったか、教科書で絵を眺める。それがいいとは少しも思わない(たぶんそれで、私のなかでは正しい。今でも、ちいさな図版をみただけでは、感動したりしないから)、そんな教科書をみているような心地になってきた。絵の前には人が沢山いる。人の頭ごしにみているから、よけいそうなのかもしれない。こまかい筆触とかはわからなかった…まあ、わからなくてもいいかと思ってしまい、一瞥しただけで次の絵へ、また次の絵へ…。教科書がいっぱいだった。十八世紀の一番後ろ、実際は十九世紀の作品だったけれど、ようやく。
 ピエール=ナルシス・ゲラン《モルフェウスとイリス》(一八一一年)。
 オウィディウスの『変身物語』の一つの挿話を主題にしているらしい。画面右上に、白い雲に乗り、青いヴェールをなびかせ、右手を誘いのように挙げている虹の神イリス。蝶のような、あるいはウスバカゲロウのような小さな羽根を背中につけている。彼女の周りだけ、明るいし、背後には虹がかかっている。あとは夜だ。下方前面の寝台に横たわって、両手を伸びでもするように伸ばし、目覚めようとしているのが、眠りの神ヒュプノスの子、夢の神モルフェウス。女神ヘラの命で、イリスがモルフェウスを起こしにきた場面が描かれている。ちなみに、物語のほうでは、モルフェウスは、夢によって、ハルキュイアの夫の死を告げる役目を負うことになる。モルフェウスは、というよりも、古代の考えでは、夢と死と眠りは一つの環をなしているという。彼はモルヒネの由来になった神。イリスとモルフェウスの間に童子の姿をした愛の神クピド。三人とも裸体。この裸体が陶器ででもできているのではないかというほどつやつやとひかりをおびて、それにまず目がいった。それはおそらく神の肌だからなのだろう。そして夜と朝の出会いの瞬間というのだろうか、夜と朝の境界の瞬間、生と死のはざま、イリスは明るく、モルフェウスを囲む世界は暗い、その二つたちの出会いに、心ひかれたのだった。
 作者のピエール=ナルシス・ゲラン(一七七四−一八三三)はフランス新古典主義の重要作家の一人だそうだが、扱っている題材(夜の夢の神)といい、殆どロマン主義的なものを感じさせる。



 そしてオラース・ヴェルネ《死の天使》(一八五一年)。中央のベッド。黒い死の天使。俯いているので顔が分からない。死の天使は若い美しい白い衣裳の女性を影のように背中から抱きかかえ、布団からなかばまで持ち上げ、今まさに天に、死の国へ連れてゆこうとしている。女性は青白く目を閉じている。右手の指は、これから自分が向かうであろう天を指差している。金髪の頭には、天から垂直に白い光。ベッドの足もとで、ガウンを肩からかけ、両手を合わせ、祈りをする男。
 解説によると、作者のオラース・ヴェルネ(一七八九─一八六三年)は十九世紀フランスのアカデミスムを代表する画家の一人。戦争画が多かったが、この絵は、彼の娘の死の思い出を描いたものとある。
 最初、死の天使というのは、白い衣裳の女性なのだと思ってしまった。黒い死の天使が女性の影のように見えたのだ。
 死の天使だからこそ、美しいのだと。そして天をさしているのは、教えているのだと。 だが、黒い影こそが死の天使だった…。その時に、大きな羽根が、天からの光にあたって、白く光っていることにも気づく。白と黒。死は美しいものではないだろう。だが思い出す、父の死に顔はとても美しかった。魂がさってしまった直後、それまでの苦悶の表情から、解き放たれ、本当に輝いてみえたことを。その女性の蒼白の顔は、安らかで、うつくしい。究極の白にするには、蒼みをおびなくてはいけないのだろうか。黒と対比するために。背景は黒というより、青だ。両端が黒で、白い天からの光の近くは青なのだ。その青もまた、夜のいちばんの美しい時間であるかのような色合いで、つまりいちばんの白といちばんの黒が対比しあっているようなのだ。
 こちらも《モルフェウスとイリス》のように、夜と黒と死がむすびついているように感じた。もっともこちらはギリシア神話ではないけれど。そして白い女性もまた死なのだけれど。厳粛な美。畏怖という言葉もよぎった。




 そして十九世紀。アンリ・ファンタン=ラトゥール《水の妖精ナイアス》(一八九六年)。アンリ・ファンタン=ラトゥール(一八三六─一九〇四年)はフランスの画家、リトグラフの版画家。霞みがかかったような筆致。海の中を、後ろ姿の裸体の、水の妖精ナイアスが泳ぐというより走っている。海の神トリトンから逃れるところなのだろう。右下がわかりにくいが多分岩だ。海と岩とそしてナイアスの茶色い髪が、ぼうっと描かれていて、判別がつきにくい。身体もはっきり、というわけではないので、全体的に夢みるような逃走になっている。幻想的な逃げ、といったらいいのか。横顔の妖精ナイアスがどこかあきらめたようなさびしい表情で、そのことも、郷愁のようなものを感じさせた。国立西洋美術館にも同じ主題のもの、《トリトンに追われるナイアス》(一九〇四年)というのがあるらしい。ネットで画像を見たが、なるほど海のぼうっとしたところが同じだった。



 好きなモネもあった。クロード・モネ 《霧のウォータールー橋》(一九〇三年)。けれども、会えてほっとした程度だったので、今回は特に触れない。会えてほっとした…というのは、先程感じた疎外感と関連している。知り合いがだれもいない。ようやくモネという知り合いにあえた、そんなほっとした感じだ。
 二十世紀にはいった。アンリ・ルソーもそうした知り合いの一人だ。アンリ・ルソー 《ポルト・ド・ヴァンヴから見た市壁》(一九〇九年)。勤めていた入市税関の近くの風景だそうだ。あいかわらず遠近法がおかしい。市壁も、壁だか屋根だかわからない。一点遠近法であるとして、その終点がわからない。茂みなどに対して、小さすぎる道行く人。高い灰色の空。その遠近法の一点のないあたりに、はしごのようなものが見える。空にかかっているのだろうか。このどこかおかしい、と思うそれが、違和として、なにかをかたりかけてくるのだろうか。日常と非日常とか。違和やずれが、幻想の扉をなんなく開いてくれるようだった。



 他にアルベール・マルケ《アンリ四世記念碑とセーヌ河風景》(一九〇六年頃)。マルケも好きな画家だ。ぼってりとしたさびしい、灰色の川。
 けれども疎外感はさすがになくなっていた。マルケやモネ、ルソーはわたしのなかでは知り合いといった位置に属するので、彼らのことは置いておいて、他の三人(《死の天使》《モルフェウスとイリス》《水の妖精ナイアス》のそれぞれの作者)は、ほとんど初めて触れた画家だった。特にオラース・ヴェルネ《死の天使》が、あの黒と白、影と光が印象に残っていた。こうした出会いにより、疎外感が解けるのだ。
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2012-07-01

坂のむこうに二度目の生が。(大蔵三丁目公園)

 桜の季節に探検した大蔵三丁目公園へ。国分寺崖線の、ほぼ終点に近いところかもしれない。崖下に湧水。世田谷通りを挟んで自然林の崖地になっているが、すぐに団地が立ち並んでいる。
 紫陽花が見事に咲いていた。





 湧水のほうへ。崖下の、集めてつくった池に鯉。岸に茗荷が沢山。小学生の時に住んでいた家の隣に茗荷が沢山植わっていたなと思い出す。垣根を越えて家にまで生え出していた。父は植物が好きだったからか、文句も言わず、それを楽しんですらいたものだった。
 蛇苺をひさびさに見る。子供の頃、毒があると教わったから(実際にはないらしい)、どこか私の中で魔的な印象がある。蛇苺を見ては食べたい衝動にかられたものだった。毒を食べたらどうなるのだろう? それは悪への誘いのようなものだった。



 池は細い川となる。しばらくそれを追って見る。せせらぎの音が強くなる。滝になっているのだろうか? 水源地が見えるのかもしれない…。期待がよぎった。残念。立ち入り禁止になってしまう。崖をのぼってみる。のぼったらわかるかもしれない…。この期待に満ちた心の動きも懐かしいものだった。それはなんだったろう? 上っても、わからなかった。のぼりきったら団地と幼稚園。すこしがっかり…。その途端思い出した。わたしは小さい頃から水が好きだった。池、川、海…。だがまわりには殆どそうしたものがなかった。だからよけいにあこがれたものだった。特に小学生の時の記憶。坂がある。なぜかのぼった坂のその向こうに、海のようなもの、池のようなもの、川が流れ…ているのだと思っていた。坂のむこうになにかしら水があると、想像し、思い描くのだった。しらない道をとおり、坂をみかけるたびに、だから、そのむこうにある水を追って、坂をのぼりたくなるのだった。のぼりつめたら、ひろがる水がみえるだろう…。崖上に向かう途中、感じた懐かしさはこれだったのだ。もっとも崖の途中で水源地を見つけようと思ってのことだったので、ちょっとニュアンスは違うのだけれど。もう水はわたしの周りにあるのだから。



 そして、こうも思ったのだ。こうして子供の頃のことを思い出す…。それは今の瞬間の時間を二倍以上に生きることではなかったかと。おなじ行為、おなじ瞬間のまわりをぐるぐるまわる。それをひきのばした時間はとてつもなく長く、ほとんど永遠のようになるのではと。
 大蔵三丁目公園から、野川を渡り、家のすぐ近くの次太夫堀公園へ。田んぼにはった水をまたみる。育ちつつある稲の姿により、田んぼ池、田んぼ湿地とわたしが勝手に呼んでいるそれらだ。今はもう田んぼ湿地。見ていると、ふわっともちあがりそうになる。家の近くのしらない家の庭で、ビワの実がたわわになっていた。ああ、昔住んでいた家の庭にもあったなとまた思い出す。隣が茗荷畑だった、あの家だ。時間がぐるぐる、ますます長くなってゆく。
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