Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2012-12-25

幻と日々が一期一会を手招きする、逃げ水みたいだ。(山口華楊展)

 どこでだったろう? 東京のどこかの美術館で、岡山と京都で開催されている展覧会のチラシを発見した。「山口華楊展」。裏表。虎がねそべってぼんやりとどこかを見つめている絵(《虎》一九五六年)が、笠岡市立竹喬美術館(二〇一二年九月十五日─十月二十一日)。めくって、青い柿の葉っぱのまるでカーテン。その下からきっと見つめる黒猫が、どこか夢みるような絵(《青柿》一九七八年)が京都国立近代美術館。






 山口華楊の略歴などは、その笠岡の竹喬美術館HP(http://www.city.kasaoka.okayama.jp/soshiki/30/kayou.html)のものが簡略にまとまっていたので、そちらを引用する。

「山口華楊(やまぐち かよう)は、明治三二年(一八九九)に京都市内の友禅染め職人の家に生まれ、四五年(一九一二年)に竹内栖鳳門下の西村五雲塾に入ります。京都市立絵画専門学校に入学した大正五年(一九一六年)には、第一〇回文展に《日午》が初入選して、早くも非凡な才能を示しました。その後、国画創作協会への参入を試みる時期を経て、昭和二年(一九二七年)の第八回帝展で《鹿》、三年の第九回帝展で《猿》が連続特選となり高い評価を受けます。その後昭和九年(一九三四年)の《耕牛》、一二年(一九三七年)の《洋犬図》など前期の代表作を発表して、帝展の中堅画家として順調な活躍を続けます。また京都市立絵画専門学校、京都市立美術専門学校で長く教鞭をとり、さらに昭和十三年の五雲急逝後は研究団体・晨鳥社を新たに結成して、後進の育成に努めました。
 戦後は、昭和二九年(一九五四年)の《黒豹》、四三年(一九六八年)の《霽》、四八年(一九七三年)の《生》、五四年(一九七九年)の《幻化》などの名品を生みます。華楊は円山四條派の写生画の伝統を正しく継承するとともに、独自の鋭敏な感性と優れた知性により、生命感に満ちた温かみのある花鳥画、動物画の世界を拓いて確固とした地位を築き、昭和五十六年(一九八一年)には文化勲章を受章しました。その翌年、パリで開催された個展を好評裡に終えた一年半後、昭和五十九年(一九八四年)に八十四歳の生涯を閉じています。華楊は風景画家小野竹喬とも親交が深く、いわば竹喬に次ぐ世代の旗手として、自然における生きものの蠢き、その核心を捉えた画家といえます。」

 と、こんな紹介を書いても、もうしわけないけれど、心にはひびかないものだ。けれど、こうしたことも必要だ。それは日常と非日常みたいなものだ。どちらも必要なものだから。で、非日常的な…、つまり心にひびくことのほうを書きたいのだけれど。書けるかしら。この頃、日常的なことの比率が大きくて、そうすると、どこかがしびれてしまう。かたまって、かたまった先から、むこうがみえなくなる、そのみえなさからおびただしいたいせつなものがのがれていってしまうのだけれど、なすすべもなく、呆然と…。あるいは堕落したようだとも思う。日常に身をゆだねることを唾棄していたはずだ、非日常をそれでも求めて、どんなに忙しくとも、非日常、つまり創作に時間をとっていたのではなかったか…。それをしない自分を非難する。力なく。だが、もしかすると、もはや日常のなかに、幻想は確固としてまぎれこんでいるのだから、という安心も働いているのかもしれない。でも、幻想は手をこまねいていて、やってくるものではない。その誘いをうけるためには、ある種のたたかいが必要なのだ。

 山口華楊にもどろう。二年前の二〇一〇年、ちょうど今頃の時期に開かれた損保ジャパン東郷青児美術館コレクション所蔵作品展(二〇一〇年十一月二十日─十二月二十六日)で、《幻化》(一九七九年)をみたのが、彼に惹かれたはじめてだった。どこか幻想をおもわせる草のなかを、二匹の狐がおどるように飛んでいる…。幻が化けたのだもの。日常が非日常になった瞬間だもの。それは日常を背にもった幻想の表の誘いの極致の手招きだった。
 …ちなみに、このブログでも、その時のこと、そして次にみた山種美術館でのことなど、書いている。ご興味ある方は、以下を参照してくださるとうれしいです。
http://www.haizara.net/~shimirin/nuc/OoazaHyo.php?query=%BB%B3%B8%FD%B2%DA%CD%CC&dummyInput=%A4%A2%A4%A4%A4%A6%A4%A8%A4%AA%C8%FD%C9%FD&amount=0&blogid=3



 東京ではこの回顧展はやらないらしい。知ったのが9月位だったと思う。今、ちなみにけっこう貧乏だ。けれども、なんとか行くことにした。久しぶりの回顧展らしい。おそらく一九八七年以来、二十五年ぶり。そうだ、わたしはそのひとつ前の回顧展(一九八〇年)の図録を持っているのだが、めったにない機会だ。一期一会。
 なんとなく一年に一回ぐらい、男と小旅行することにしている。男は奈良にゆきたいとかねがねいっていたので、メインは奈良で、山口華楊展だけいってくれれば…と旅行先を奈良・京都にして、奈良に宿をとることにして、でかけてきた。
 そういえば、なぜだろう。山口華楊に関しては、みにいってがっかりするようなことはないだろうとほぼ確信していた。でなければ遠出はしない。楽しみにしていたバーン=ジョーンズ展でがっかりした後、特に単独の画家の回顧展的な展覧会に関してかなり懐疑的になっていたというのに。
 京都国立近代美術館は平安神宮の近くにあった。平安神宮は高校か中学の時の修学旅行以来だ。すこしだけ見物する。もっと当時は朱色があざやかだった気がするが、どうだったのだろう。それまで神社といえばどちらかというと地味な建物しかみたことがなかったから、朱色をつかった壮大な建築に、そうした印象をもったのかもしれない。
 さて美術館へ。美術館に関しては、小さな不満が何点かあったが、それは書くのをやめておく。要は展覧会なのだし、展示内容に関してはまったくそれがなかったから。…けれども、普段美術館に関して不満をもったことが殆どないので、ちょっと気にかかったのだった。…こんなことを書いていると、思い出して心がしぼんで、どこか暗くなってきてしまう。展覧会にゆこう。

 実は旅行から帰ってきてしばらく風邪をひいていたり、忙しかったりで、ちょっとこれを書くのに日数が経ってしまい、だいぶ記憶が薄れてきてしまっている。図録は買ったし、出品リストも手元にあるのだけれど、若干順番が違うような気がするのだ。図録もリストも大体、年代順に並んでいて、会場のものも、概ねそのとおりだったようだが、たしか入ってすぐは、番号でいうと、真ん中よりも後ろ、目玉というか、大きな絵(一三三×一九七センチ)で、人目を引く《獅子》(一九七〇年)だったと記憶する。ああ、そうだ、美術館に入る前、前庭で、看板になっていた絵が飾られていたのだ。
 横長の絵で、茶色がかった背景の中、ライオンがねそべって、顔をこちらにむけている。画面右に、頭がある。威容というより、どこか夢見るような眼差しだ。



 そしてこれまた記憶があいまいになっているのだけれど、笠岡美術館での展覧会のチラシや、チケットの絵になっている、寝そべっている《虎》(一九五六年)。こちらは《獅子》と顔の表情は似ているのだけれど、少し対照的。まず《獅子》が左に頭、《虎》が右に頭。左右並べると頭を寄せ合っているようだろう。そして獅子が後脚の肉球を見せているのにたいして、《虎》はお腹の向こうに後ろ脚があるので、見えないようになっている。横長だし、これを対の屏風にしたら面白いなと、後から気づいた。おなじ猫科だし。
 記憶が薄れているのは、実は、こう書いていても、この絵たち自体には、親しみは覚えたし、興味をひいたのだけれど、それほど感動はしなかったから、ということもある。言い方がむずかしい。感動はしなかったのだけれど、なんとなく気にいったというか…。親しい友人と、たがいの存在をみとめあって、遠巻きに会釈をしたときの感じというか。感動、となると、会釈だけではない、もっと近づいて会話か眼を見つめあって…なにかエピソードがそこにはわきあがるのだれど。
 展示は、そこからは概ね年代にそって、画集や出品リスト順になってゆく。若描きのものから、一貫して、動物、そして植物が多い。総じて、わたしは特に彼の動物を描いた作品に惹かれたと思う。それらはどこか幻想を帯びている…。全体をとおしてみると、幻想性を帯びるのは、画家の中期以上のほうが、顕著かもしれない。最初のほうは、描かれた背景的なものがなにかリアルなのだが、年齢を経るうちに、背景が幻想を帯びてゆく…。いや、こう書いても、いまいち伝わらないかもしれない。個々で、特に会釈以上の何かを感じた作品に触れてゆく。といっても、ここで触れるのは、結局中期以降、画家が四十代を過ぎた頃のものなのだけれど。
 最初は《犢》(一九四一年、絹本着色)。子牛が草を食むためだろうか、俯いている。叢があわく発光でもしているかのように、どこか白っぽい。あるいは日射しが幻影的にみえるのだ。子牛の身体の茶色が、ぼかしたように滲んでいる。その輪郭のまわりが、草の光を帯びて、しろくうきあがっている。影と光がおどるような色彩だ。なにがそんなに惹かれたのだろう? たとえば発光したかのような叢に、はじめてみた《幻化》の叢をみたからかもしれない。伏し目がちな子牛の様子が、どこか夢をみているようにみえたからかもしれない。夢を食む獏のような…。



 少し似たような印象をもったのが、《白い馬》(一九五二年、絹本着色)。こちらは幾分、正面からに近づいているけれど、やはり白い馬が草を食んでいる格好。けれども《犢》が、草のほうに光を感じたとしたら、《白い馬》では、草のほうが暗く、白い馬自体が発光しているかのようなのだ。最初、白い馬の身体の影が、透けて見えるのかと思った。つぎに白さが発光と影、両方をそなえているのだと。あるいは骨の白さだとも思った。ひかる骨だ、そして影をおびた骨なのだ。やはり伏し目がちの馬が、夢のように草を食む。草の暗さ、そして暗さにしずんだ茫漠とした感じが、やはり《幻化》を想わせた。わたしは《幻化》がそれほど好きだったのだろうか。それもあるだろうけれど、一貫して幻を感じることが、なにかうれしいのだろう。それは現実のなかに幻はいつも混在している、ということにも通じるのかもしれないが。



 京都の展覧会会場、つまりここでもらったチラシの絵にもなった《黒豹》(一九五四年、絹本着色)は、二匹の黒豹が、ちょうど“い”の字の形に、ただし右側の豹は、どちらかというと“つ”の字のかたちにねそべりながら、黄色い白眼に緑の瞳でこちらを見つめている。半月型になった眼がすこしだけいかつさを出しているが、緑の眼がすけそうで、それがやはりどこか、夢を奏でてみえる、そのくせ、こちらをのぞきこむような繊細な視線を向けている…。黒い毛皮のやわらかな質感とともに、どこか眼がはなせない印象をもたらすのだった。



 実はこうしてかいてゆくときりがない位、印象的な作品が多かった。展覧会会場はだから夢で満ちていた。ふくれあがった幹をもち、根をうごめかせてみえる大木が、動物のような《青蓮院の老木》(一九七三年)、《霙》(一九六八年)の、白い、寒そうな浜辺。殆ど白で、そして、わずかに画面右下端だけが海の青をもった、それを背景に、群れなす烏、その白と黒の対比からなる均衡がもたらす寒さ。


《霙》

 順序がおかしくなってしまうけれど、ここで、ちょっと、年代を遡って見る。若描きと呼べるだろう、《朝草》(一九三三年)。馬の親子が積んだ草を運んでいる。だから草は、中期移行によく見られる背景の、幻想というよりも現実そのままに近い。もっとも実際よりもずいぶん大きそうなところが、面白いというか、興味をもったものを大きく描くという子どもの視線的なものを彷彿とさせ、なんだか親しみを感じた。そしてその馬の表情の優しさ…。母馬はやはり伏し目がちだが、手前にいる仔馬は、首だけこちら、みる私たちを覗きこむようだ。

 そして《角とぐ鹿》(一九一八年)。「西洋画的な対象把握で老樹の質感を描きたいと構想した」と、画家が『絵がかきたうて』という著作で述べているらしい。文展入選作で、決意をこめた作品だったから、入選が嬉しかったとも。作品は、画家がいうとおりの老木の樹がうねうねとしている、その根元近くで鹿が角をといでいる。うつむき加減で、脚の隙間から片目をこちらにむけて。鹿の毛の質感が、やわらかい。そのやわらかさが生き生きとしている、と同時に、樹木のうねりの、その硬い質感も、やはり生き生きとしてみえる。角と幹が、似通いあい、呼び合っているようでもあった。まわりにはおいしげる草。樹木に、山種美術館でみた《木精》(一九七六年)の樹の生と同質のものをみて、やはり一貫したものを感じて(十代から七十代までだ)、なにかうれしくなりもする。まだ幻想は萌芽だった。けれども、ほのかに鹿の毛のやわらかさがにじむようなところになのか、丈のたかすぎる草たちになのか、いまにもうごきだしそう樹からなのか、どことなく、それを感じて、なぜか眼をひいた。そしてこの絵は、もうしばらくして、また思い出されるのだけれど、それはまた後日。



 鹿といえば、《飛火野》(一九六五年)が、《幻化》に通じるものがあって、印象深い。後者がにじんだ叢のなかを狐がとんでいる、地面からそっと離れて走る瞬間と、今にも着地する瞬間を、空にうかぶようにとらえていたとしたら、構図は若干ちがうけれど、前者ではその飛ぶ動物が鹿になっている。数も同じ二匹、鹿のほうは、同じ方角をむいて、とびあがるように走りだす瞬間と、飛んで着地する瞬間の両方をとらえている。この鹿たちは、《角とぐ鹿》の鹿の毛がどちらかというと細密にリアルに描かれているとしたら、《飛火野》のほうでは、なんだかぼやけている。夢の中をとんでいるような、けれども奇妙な躍動感がある。これはまぎれもない幻想だ。



 水たまりや、水の反映が描きこまれた絵、数枚にも心ひかれた。たとえば図録の表紙にもなった《行潦》(一九七七)。青梅がまるまると、たわわに実っている。それが青梅だと気づくのに少し時間がかかった。桃か何かのような大きさだったから。その枝に小さすぎるほどのアオスジアゲハ。そして水溜りが画面下方、手前に大き目の、うしろに小さめのが二つ。手前のには、青梅と葉がよく見える、はっきりとではないけれど、映っている。水滴が落ちたのだろう。波紋のつくる小さな環。背景には薄い灰緑。アオスジアゲハは小さい。青梅は大きい。この奇妙な逆転が、違和をやさしく手招きしているようだった。そして反映には、青梅と葉だけが映っている。水に映った世界は幻であるかもしれない、だが、そこに映っているということはまぎれもない事実だ…そう気づいたのは、この絵のような梅雨の時期だったろうか。そして今、こうも思う。水溜りに映った現実と、たわわに実った青梅という現実とは、表裏一体であるのだと。そしてこの均衡は、どちらか一方が欠けていても成り立たないのだと。水溜りがなかったら、青梅とアオスジアゲハのつくる均衡となり、話がすりかわってしまう。また水溜りに青梅が映っていなかったとしても、ちがう話、ちがう瞬間のことになってしまうから。世界はこの二つがなくても存在する。けれども水溜りと青梅の均衡の世界は、これだけなのだ、一期一会のような、取り換えのきかない一瞬なのだ、そんなことも思った。それは現実と幻想の均衡でもあるのだが。


 
 そして猫。冒頭でふれた《青柿》と《秋晴れ》(一九七七年)。これらは幻想性がすくないかもしれない。けれども、やはり表情にそれを帯びている。いや、姿がそうなのか。《青柿》は、実が、ではなく、こんもりした葉が、森のようにおびただしく、全体として大きすぎるという印象。緑のカーテンのように垂れた葉の下に小さな黒猫が座って、金色に緑の眼をきっと静かに覗かせている。こう書いていて、《行潦》の大きな青梅、小さなアオスジアゲハと共通点があるのだと気づく。小さなことだけれど、書くことで何かを発見すると、すこしうれしい。それはともかく、この小ささが、なにか集中してみるように仕向けているようだ。小さな猫につい見入ってしまう。それは青い柿のカーテンごしだからだと思う。胴体の半分は隠れている。隠れた何かが神秘的だとでもいうように。そして《秋晴れ》。こちらも黒猫。ただし大きい。同じ猫かもしれない、金色に緑の眼。表情も似ている。大きさだけでなく、坐った向きも《青柿》と対照的で、画面左に左向きの姿勢。画面右に今度は通常の大きさであろう、熟した柿のなる、紅葉の柿の葉っぱ、虫喰いすらあるそれの枝。地面、というか背景は灰色で、うっすらと型押ししたみたいに落ちた柿の葉が何枚か描かれている。
 たぶん、こうした光景というのは、日々のなかで、ふっと見られるものだ。そう思ったとき、道や街で出会った猫たちの姿がやさしく浮かんだ。幻想がそこここに存在するということ。ほかに《望郷》(一九八〇年)という、大きなフタコブラクダが、脚を折り畳んで砂漠の中で眼をつぶっている一枚に惹かれたのだけれど、それと対照的だったなとも思う。こちらは望郷というタイトルどおり、どこか異国的であり、けれどもその夢見るような瞑った眼が、親しげで、夢を誘う。対して《秋晴れ》や《青柿》の猫は、起きた状態で、夢を誘うのだった。





 ところで、前回も書いたのだけれど、なぜか山口華楊の絵に、ニコ・ピロスマニを少しだけ重ねてしまう。絵が似ているというのではない。しいていえば表情が、かもしれない。ニコ・ピロスマニの動物たちは、人間を帯びていた。山口華楊の動物にも、それが伺えるからだろうか。図録にある彼の言葉を読んでも、その接点はあまり見つからない。というか、ピロスマニがそうであったように、山口華楊も絵を描くことで語るタイプなのだろうと思っただけだ。山口華楊は絵について、というか、先にあげた『絵がかきたうて』など著作があるけれども、なんというか絵と直接的に言葉がからみあっていない、という印象をうけてしまう。そこにある隔たりに、わたしはクリムトの言葉をうめこんでみたくなるのだった。 「……画家である私――注目に値する点はそれしかない――について何か知りたいと思う人は、注意深く私の作品を見て、その中から私が何者であるか、私が何をしたいと思っているかを理解するしかない」。これはグスタフ・クリムトの唯一残されたタイプ原稿にある言葉だ。絵をみて、感じること。絵は言葉でない言葉で、誘いとしてあまたの多弁さを豊穣にやどし、彼らと接しているのだった。
 わたしが山口華楊の絵に惹かれるのは、動物で、語る絵、そのせいもあるだろう。そして、もう一つ、からみあっていないと、若干失礼なことをかいてしまったが、それをひるがえすように、図録にあった言葉、というか『絵がかきたうて』でひとつ印象深いことがあった。〈動物に限らず、対象に心が触れ合った瞬間の発見である。(中略)こちらと対象の気持ちとがピタッと一致して霊感のようなものを感じたとき、ひとつの絵になる要素ができる。この霊感と写生と構想とで絵になるのである〉。
 わたしはながらく幻想とともに、この瞬間を追ってきたように感じている。この瞬間だけが存在と触れあえる唯一の術だ、そしてそれは描くこと、書くことが、私が他者と向き合える方法ではなかったか…。
 このところ、日常が忙しいからだろうか、苦手な冬だからだろうか、幻想がすこしだけ遠い。その他者たちから離れてしまっている。けれども、こうして展覧会のことを書いていると、すこしだけ、動物たちがよりそってきてくれる、それが温もりのたったひとつの瞬間として、心におちる。道端でであった猫たちが、たとえば《青柿》《秋晴れ》の黒猫を思い出させてくれて。
 本当は、奈良にいったときのことも書きたかったが、今回はこの辺で。


23:50:42 - umikyon - No comments

2012-12-07

ふるえることたちが、賑わって (美術にぶるっ!)





 「東京国立近代美術館 六〇周年記念特別展 美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の一〇〇年」(二〇一二年十月十六日─二〇一三年一月十四日)。ありがたいことに招待券をある方から頂いたので、いってきた。



 美術館HPから。
 「一九五二年十二月一日、京橋の地に開館した東京国立近代美術館は、今年創立六〇周年を迎えます。人間でいえば「還暦」にあたるこの重要な年を記念して、本館の一階〜四階の全フロアを使い、日本近代美術の一〇〇年を回顧する大展覧会を開催します。
 展覧会は二部構成となっています。六〇年間の収集活動の成果を問う第一部が縦糸とすれば、六〇年前の日本における近代美術館誕生の時代を考察する第二部は横糸であり、両者が緊密に連動して、みなさまにさまざまな感動を投げかけることでしょう。」
 展覧会名称の「美術にぶるっ!」とは、「美術を体感すること。深く感動すること。知的に考えること。それらすべての出発点である衝撃を「ぶるっ!」」であることとし、美術観賞の原点にちなんでのことだという。
 ふるえという衝撃。ふるえるとしかいいようがない感動。それこそが原点だという、その感覚はよくわかる。というか、展覧会タイトルをみて、おおよそわたしが抱いた印象と、説明がほぼ一致していた、というべきか。美術館の総コレクション数は一万点以上だという。そこから選りすぐりの三百点位の展示。
 何かしら出逢いがあるだろう、何かしらのふるえが。そう思ってでかけたのだった。
 ちなみに、竹橋にある東京国立近代美術館は私が初めて訪れた美術館だ。あまり詳細は覚えていないが中学生位の時だ。親戚からチケットをもらったこと、夏休みに独りででかけたことも覚えている。その頃、映画少女だったので、多分、東京国立近代美術館フィルムセンターとごっちゃになっていたことも(こちらは京橋にある)。そう、美術館にたどりついて、ああ、映画上映とかはないんだなとがっかりした記憶がある。そしてほとんどそれだけだ。そのときは、ぶるっとした作品がなかった。なぜか美術館=学校のおしつけみたいなイメージがあったのだと思う。これはいいものだから観賞しなさい、そして感動しなければならない、みたいな。国語の教科書でもそうだったけれど、どうも、当時は学校で教えること以外のことに興味をもっていた。今から思うと、学校は私にとって日常だったのだろう。映画を観たり、家で絵を描く時間は非日常だった。おしつけだったというよりも、日常は概して息がつまるものだった。今もそうだけれど。ともかく、美術鑑賞は、学校=日常という意識が働いていたのかもしれない。そうした色眼鏡でみたからか、はじめての東京国立近代美術館では、まったくふるえた記憶がないのだった。
 それでも不思議なもので、その時にみたものたちのうちで、二点だけ記憶にのこっているものがある。それは申し訳ないが感動とかではない、ただみた記憶があるというだけなのだけれど。和田三造《南風》と関根正二《三星》。今みても、とくべつ惹かれるわけではない。けれども、これらを見る度に、中学生の頃にもここに来たのだったなとまるで条件反射のように思い出すのだった。

 さて展覧会。チラシなどでみるかぎり、人物画が多いような気がした。わたしは基本的に人物画は好みではない。けれども例によって、行けば何かしらの出逢いがあるだろう、そう思って出かけたのだった。
 といっても、所用が重なり、着いたのが四時位、閉館が五時なので、一時間しか時間がとれず、二部(「実験場1950S」)のほうはほぼ駆け足でみてしまったので、かなり偏ったみかたしかできなかったのではあるが。
 入ってすぐの第一部のコレクションスペシャル、展示室1 ハイライト。ここには重要文化財ばかり七点が陳列してある。そのうちの一点、川合玉堂《行く春》(一九一六年、紙本彩色・六曲一双)。埼玉県・長瀞を描いた屏風だという。岩にはさまれた豊かな青い水をたたえた急流。水車をつけた舟が三艘ゆく。二艘が右隻。左隻は岩場が多いのだが、右隻は川がよく見えるに。水車がたてる飛沫の清らかな動きが、水の一瞬を絵に固定させ、永遠を奏でている。こちらのうねる波たちの白さにひかれた。澄んだ、そしてまだきっとつめたいであろう、水のほとばしりを、触感さえも感じさせてくれるような、息吹があった。
 そして左隻。両岸の岩場の上におそらく二本であろう、大きな桜の枝たち(右隻の左端にももう一本奥まって桜の枝が見える)。そして花びら。桜から、まるで天からふってきたのであろうかと思われるぐらいに、おびただしい花びらが散って、舞っている。流れの上にも、岩肌にも、舟にも。春の桜を前にした、あの摩的な瞬間が、気配のように、春のほのかな温かさとともに、やってきた。くわえて、清冽な水の感覚。
 そして、あの花びら。とりたてて技法的に、めだったところはないはずなのだけれど、なんだか、もりあがってみえたのが不思議だった。二次元に裂け目としてひろがった花の三次元…。どこかでみた、3Dの絵葉書のようでもあった。花びらだけが、手前でふりそそぎ、後の景色たちは、後方で…。この断絶が、よけい、春のもどかしさ、狂おしさを表しているようだった。春はきたばかりなのに、もう行ってしまうのだ、花びらが立体的に、わかつように、去ってゆく。





 会場は四階から展示が始まり、順序としては、三階、二階と降りて観るようになってゆく。二十世紀初頭、一九一〇年代前後の、人物像、風景画などの展示を経て、三階、<前衛の登場>。三岸好太郎《雲の上を飛ぶ蝶》(一九三四年)。最初は速水御舟の《炎舞》(一九二五年)をふと想起した。蝶が沢山いるからにすぎないかもしれない。けれども《炎舞》の蝶は、死を前にした舞踊といった感じだ。あるいは生きるために死を選んだ蝶、その生死のあわいを踊る、命の炎の瞬間の舞。
 対して、《雲の上を飛ぶ蝶》は、文字通り、白い雲の上、空のなか、蝶が飛んでゆく。それは雲の上にあることで、現実ではないと、告げている。なのに、どうしてかリアリテイがある。そのリアルさは、日常にたいして非日常がもつリアルさであるようだ。そこに生と死というものは、感じなかった。けれどもプシュケーの連想なのか、魂の飛来ということを想った。肉体と魂のあわい。はざまで、両者が蜜月を送っている、うつくしい瞬間の飛翔だった。あるいはそのことにより、やはり生と死を呼び込んでいるのかもしれないけれど。



 速水御舟といえば、三階の<日本画>の一室に、《茶碗と果実》(一九二一年)と《丘の並木》(一九二二年)の二点の展示があった。
 とくに《茶碗と果実》。赤い巴旦杏の果実と、白地に青い文様の茶碗。果実のしっとりとした柔らかさと赤、陶器の固さと青、その対比によってなのだろうか、なにげないものたちがそこにならんでいるはずなのに、はっとさせられた。ここでもやはり、日常に非日常が見出されるのだと思った。いや、《雲の上を飛ぶ蝶》で感じたそれよりも、もっと卑近ものを指されたようだった。わたしのまわりにも、こうした幻想、違和のもたらす夢はそこここにありうるのだと。赤い果肉が幻想で、青っぽい茶碗が現実で。



 あとは多分、以前にここで書いているルソー。《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》(一九〇五─〇六年)。空にうかぶ自由の女神を、夢見るように見つめるライオン。勝手に日本画ばかりの展示だと思っていたので、これやクレーの作品にであって、すこし驚いた。予期せぬものたちの歓待。

 十一月はじめから、ツィッターやSNSなど交流サイトを休んでいる。フェイスブックにいたっては、アカウントを停止した(元々全く見ていないのに、毎日お知らせがきていて、申しわけなく思っていたのだった)。きっかけは原稿締切で、開いている時間が割けなかったから。数日見ないでいると、なんとなく数日分さかのぼって、友人たちの書き込みなどをみないといけないような気がしてくる。それが重荷になったというのもある。それと、季節が冬になってきたからだろうか、元気がない。肉体的にも精神的にも。寝ている時間が多くなった。交流サイトを見に行く時間がとれなくなった…。そうだったか。もはや理由はわからない。パソコンの前では独りになりたかったのかもしれない。元々パソコンは、創作用、原稿を書くための道具だったから。だからわりと最近…といってももう八年前になるけれど、ともかくワープロを利用していたし。創作する場としてのパソコン、という原点に戻りたかったのかもしれない。
 まだ過渡期なので、どうなるかわからないけれど。しばらくは開かないつもりだ。

 紅葉。この頃曇り空が多い。けれど晴れのように感じるのは、赤や黄色に色づいた葉のにぎわいのせいだと気づく。辺りが明るい。あるいは晴れているときでも、夕焼け、黄昏時の色彩だと感じるのは、どちらも終わる前の鮮やかさを輝かせているからだ。終わる前の祭りの賑わい。洗濯物を干しにベランダへ立つ。目白の声を追うと赤く色づいたサルスベリの植栽、更に道路を挟んで黄色い葉の藤、遠くに桜。ベランダから紅葉狩りができるのだと少し微笑む。冬の鳥たちもそろそろ見られる頃だろう。

02:46:39 - umikyon - No comments