Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2013-01-25

幼年ホテル その2。開閉自由、ようこそ。(『ブルックリン・フォリーズ』(カフカのエピソード)、「MOMASコレクション展掘廖

 ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』。カフカの日記のエピソード。人形をなくして悲しんでいる女の子の為に、余命いくばくもないカフカは、女の子に人形からの手紙ということで、三週間毎日、手紙を書き、彼女に読み上げる(少女はまだ読み書きができない)。人形は新しい未知との出会いに惹かれて旅に出た。そして最後に結婚した、だから少女の元にはもう帰れない…。少女は納得する。「その時点ではもう、言うまでもなく、女の子は人形がいなくても寂しくありません。カフカが代わりに別の何かを与えてくれたからであり、三週間が過ぎたころには、手紙のおかげで悲しみも癒されています。彼女には物語があるのです。物語のなかで生きる幸運、架空の世界生きる幸運に恵まれた人にとって、この世界の苦しみは消滅します。物語が続くかぎり、現実はもはや存在しないんです」
 幸福なのは、少女だけではない。物語を書いたカフカもだ。「一九二三年の秋、カフカはベルリンにやって来て、翌年の春に他界しますが、その最期の何カ月かは、おそらくカフカの生涯で一番幸福な日々です。健康も衰えていました。食糧不足、政治暴動、(…)自分がもうこの世に長くいないことをカフカは確信しています。それでも彼は幸福だったのです。」
 言葉によって物語は、架空の世界は、存在する。言葉によってだけではない、人が創造する、すべての営みによって、構築された、その世界、つまりわたしの幼年ホテルは。わたしがそのために生きてきたといえる、そしてそれは絵空事ではなく、ほんとうは、常にわたしたちの生にはりついているもの、としてそこここに扉をひらいているものとして。扉をひらいているのは、わたしだけのものではないからだ。ようこそ、ようこそ幼年ホテル。そこをつうじて、かれらが宿泊し、あるいは食事をし、つどう場所。つどってはまた離れてゆく、接点と別れの場所。ようこそ、そしてさようなら、またのお越しを。
 今日見る夕景は、卵焼きのような色をしている。

 さて、前回、書きのこしてしまった埼玉県立近代美術館のコレクションを展示した『MOMASコレクション展掘戞憤豬酘鷭銃迄)について。
 「現代美術」「近代美術(油彩)」「近代美術(日本画・工芸)」「コレクターの眼」とセクションが分かれていたが、要は収蔵品の展示なので、最近行った「東京国立近代美術館 六〇周年記念特別展 美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の一〇〇年」展に似ているといえば似ていた。量は埼玉のほうが少ないけれども。展示をみるまで、要は常設展示に近いものだろうし、それに「美術にぶるっ!」も数の割には、それほどぶるっとした作品があったわけではないので、こちらに期待していなかった。だが予想をうらぎって、というのは、やはり新鮮な喜びだ、新鮮さ、意外性というのは、構築された世界へ入るための大事な要素であるから。つまり、響いてくれる、差し出してくれる作品が、比べて申し訳ないが、展示作品の少なさからいえば、かなりの確率であったのだ。




 ところで、ここはかなりの作品について、無料の白黒写真付きの解説カードがあちこちに置いてある。集めると、ちょっとした画集になるだろう。このサービスはうれしい。入口にも置いてあった。後で、作品を観てから、貰ってゆくものを選んだ。
 「近代美術(油彩画)」には、ピサロ、モネ、シャガール、岸田劉生、古賀春江他。油彩画というだけで、日本人も外国人も区別がないのが面白い。モネの《ジヴェルニーの積みわら、夕日》(一八八八─八九年)。積みわらを空のように染める日没の太陽。なんという夕焼けなのだろう。いつか、これをみるわたしたち、こんな夕暮れをみたはずだ…。そのことにより、共鳴をさしだしてくれるような、そんな空がしんそこやさしい。



「近代美術(日本画・工芸)」。下村観山(一八七三─一九三〇年)、《巌に鳥》(一九一五─一九一六年頃、六曲一双)。右隻に、巌と紅葉した柏の葉っぱ、その二つが大きく描かれている。薄茶色というか黄色の背景。秋の色だ。左隻には小さな巖そして、溶けてしまうのではないかというぐらいの小さな、輪郭もぼかされた鳥、六羽ほど、羽ばたきして、飛んでいる…。海鳥であるらしい、それが左へ、画面からすら飛び立つように、つまりどこか遠くへむけて、夢の世界へでもゆくかもしれない、そんなふうな淡さで描かれている。幽玄といっていいぐらいの、余白のなかに、小さな鳥。右と左の対比により、ドラマチックな夢幻に誘われる。



 そして横山大観(一八六八─一九五八年)、《漁村曙》(一九四〇年、彩色、絹、軸)。岬のようなところから眺めたのであろう、右下に小さな岸壁をもった浜、そして中央に浅瀬であるからだろうか、白い波紋を模様のようにうちつける、静かな海。わたしのなかで、いつかの日、波打ち際からながめた海の文様が蘇ってくる。白さを青にたたえた海、その模様のようなありかたに心ひかれた。
 模様の向こう、画面上のほうでは、それがだんだんと空と海との境界がわからない、雲の多い曙の世界になってゆく。灰色に、ほのかに朱をおびたどこでもない国。わたしはこの海と空の境目のなさを感じることがやはり好きだったと思い出す。空と海の抱擁。いや、それもまた、究極の合致がなされているであろう、幼年ホテルでの出来事として、わたしのなかで認識されていたのだろう。ここは共鳴の渦であるから。
 ともかく、その海と空の境が判然としない中を、小さな帆船が二つ行く。どこかわからない、幻想と日常の場へ。
 実は横山大観は、それまではどうも苦手だった。なにがだろうか? お手本のようなお仕着せ的な、美そのものからくるもののほかに、別のそぐわない俗な香りがするようで。この絵から、そうした匂いを感じることはなかったが、絵が描かれた背景からは、それがあるらしい。例のカードで知った。一九四〇年、昭和十五年は期限二六〇〇年にあたり、大観の画業五十年にもあたる。「奉祝と彩管報国を意図し、「山に因む十題・海に因む十題」」を描いて、展覧会を開催、売上全てを陸海軍省に寄付、「この年、大観は海国日本を意識してか、海の主題を多く取り上げています。翌春の歌会始の勅題となった「漁村の曙」にちなむ作品も含め、穏やかな明け方の海を描いた作品が繰り返し描かれ」…。
 だが、この波のうっすらとした色合い、波のほうが空のような青をしている、朝の茫漠とした感触、波紋の、特に白さ、潮の感触、これらが呼び起こしてくれる、わたしの海の記憶、わたしの海と眼前の「漁村曙」に描かれた海の静かな共鳴、これは本当だ。これだけは信じてもいいことだ…と思う。一抹の影を感じたのは、カードを見てからだった。わたしとこの海との出会いに、他の大観作品にどうも感じてしまう、よそよそしさ、前述のそれや、何やらはめずらしく気配としてつたわってくることがなかった。絵を前にして、感じたことだけでいい、といってしまったらいけないのかもしれない。だがそうした逡巡の機会をくれたことも、この絵にひっかかるということではないか。幼年ホテルに海はつきものだ。海はいつも、わたしの大切な場所だったから。だがその海は、現実のそれは、けっしてうつくしいばかりのものではない。やさしいだけの存在ではない。



 以前、ここのミュージアムショップで見かけて、何となく惹かれて買った猫の絵葉書。小茂田青樹(一八九一─一九三三年)《春の夜》(一九三〇年、彩色、絹、軸)の実物をはじめて観た。
 薄茶色の夜を背景に、画面上方に薄桃色の花を満開に咲かせた梅の樹(けれど梅にしては幹が真っすぐすぎる)、その枝に、デフォルメされているが、はっきりとした顔のフクロウ。そして、画面下、薄暗い道を、サバ模様の斑のある猫が獲物を口にくわえて歩いている。フクロウは私達をまっすぐにみつめ、猫は画面右に視線を、つまり行く手である
前方を見据えたまま。この我関せずの、孤高の感じ、けれどもやはりデフォルメされて、リアルというのではない、長細い肢体となった猫に、どことなくユーモラスな、孤高と一見、両極端な、けれどもそれら(梅、フクロウ、猫)のアンビバレンツさが、妙な均衡をたもって、不思議な迫り方をしてくるのだった。おおむねおだやかな、すこしつめたい夜の気をふくんだ─梅の香り、しずかなフクロウ、しずかな猫たち─日々にやさしく空いた穴からの物語。



 そして好きな速水御舟(一八九四─一九三五年)《夏の丹波路》(一九一五年、彩色、絹、軸)。これは御舟二十一歳の絵だから、若描きといえばそうだろう。山間を描いた作品。点描で描かれた山の緑、その間を白い路、薄茶色の家たち、路を小さな人物がふたり。一見すると、どうということもない…風景なのだが、路の白さがだろうか、山の夏の色合いを感じさせる、濃い緑と、薄い緑がだろうか、路ゆく人物の小ささがだろうか、それらが混然として、どこかわたしをひきつける。人物の小ささが、かもしれないと思った。山に対して、小さい人物に、なにか孤を感じたような気がしたのだ。そして山への夢想にみちた敬意…。彼は比較的短い画業のなかで、何回か作風を変えているけれど、その根となるこうした夢想にみちた一貫としたものが、ここにも感じられて、つい、親しみをこめて、おふねさん、またあえたね、とつぶやきたくなるのだった。
 ところで、“おふねさん”は私が勝手に呼んでる愛称。ほんとうは“ぎょしゅう”と読む。こんなふうに愛称をつけているのがもうひとり、“つちうしくん”こと奥村土牛(おくむらとぎゅう、一八八九─一九九〇年)の《鴛鴦》(一九三五年、彩色、絹、軸)もここにあった。二人にここで会えて心がはずむ。
 《鴛鴦》は墨をあえかにつかった、ほとんど白にちかいセピア色に近い薄茶色の背景、というか余白がめだつ中を、画面上に、そっと、白梅の枝が二本。そして画面下方の灰色の岩の上に、派手な色合いの雄と、灰色の雌が、ならんで坐っている。事件がない。その事件のなさに、温もりを感じる。やわらかな、ふっくりとした鳥たち。


《夏の丹波路》


《鴛鴦》

 今、出品リストを見たら、近代美術だと思っていた下村観山、横山大観、奥村土牛作品は、「コレクターの眼」のほうで出品されていたらしい。いいかげんなことで申し訳ないが、観終わってまたしばらくしてからここを書いているので、なんとなく近代美術でくくってしまっていた。
 両者をあわせ、ほかに橋本雅邦、小村雪岱、熊谷守一などに、頂くものが。

 そして「コレクターの眼」のうち「武田光司コレクション」が、駒井哲郎(一九二〇─一九七六年)の銅版画、十五作品の展示だった。
 《束の間の幻影》(一九五一年、アクアチント、サンドペーパー、紙)は暗い空間を様々な幾何学的な形態(円柱形のものや直方体)が浮遊している。案内カードによると題名は「ロシアの作曲家プロコーフィエフの曲にちなんでつけられた」ようだ。そして「人の心を通りすぎるなんとも言えない開放感を銅版画として視覚化してみたかった」と作者が説明しているとあった。日々におかれたものたちが、そこからふっと役割から離れて、わたしたちのなかで、姿(それもまたそのものたちがもつ姿である)をみせてくれる、その瞬間を、ものたちとの共鳴を、視覚化し、音楽すら奏でてくれているかのようで、心に音を出してくれた。



 同じく駒井哲郎《記号の静物》(一九五一年、エッチング、ソフトグランド・エッチング、ドライポイント、紙)。「√(ルート)、π(パイ)、Σ(シグマ)といった数学記号が、あるものは机に書かれた落書きのように、またあるものは台の上に浮かんでいるかのように配置されています」。なにか記号たちが♪(音符)のように見えるからだろうか、こちらのほうが、より音楽的な感じがする。おおむね楽しい、といっていい確かな幻影にみちびかれた、記号たちのまどろみ、休憩の時間。それは日常的なものから離れつつも、くっついている、つまり私達の心が感じた幻想の一端をまざまざと展開し、提示してくれるものだった。幻想はつねに、現実と背中あわせにあり、それらはけっして離れきってしまうことはない。離れきってしまう、それは逃避のようなものでもある。



 幼年ホテルは、こんなところにも、夢みるように、窓をひらいてみせてくれていたのだ。不思議な音楽とともに。聞こえないけれど、聞いたことがあるような、音符たちのダンス。
 離れきってはいないけれど、境界として分離している。日常と非日常、想像と現実、物語と現実の間がそうであるかのように。
 幼年ホテルは扉が自由に開閉できる。ホテルだから。ホテルは概ね非日常だ。けれど、それは現実の中に存在する。往き来自在の、だからようこそ。わたしはここの住人であるというより、宿泊者である。宿泊がいつでも可能だということ、いつも扉をひらいて、現実に存在しつづけていることを─わたしがそこに訪れられなくなるようなことをしでかさない限り─忘れないこと。
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2013-01-15

幼年ホテル。世界はいつも新鮮だ。(『ブルックリン・フォリーズ』、「ベン・シャーン展」)

 大切な友人からのメールで「ベン・シャーン展 ─線の魔術師」(二〇一三年一月十四日迄)が良かったとあった。ネットで調べると、そのふるえるような線に、どこか筆が心に響いた。場所は埼玉県立近代美術館。こちらは好きな美術館のひとつだ。森の中の美術館。同時企画として、コレクションを展示した『MOMASコレクション展掘戞憤豬酘鷭銃迄)もやっている。
 教えてもらったのが年末だった。その段階で、もう会期末も間近、行ける日が限られている。で、一月十一日に出かけてきた。この日は金曜日。たいてい金曜日は早朝の仕事のみで、昼から休んでいる。金曜日だけ昼間はあいているのだが、そして土日も休み。二連休半の初日といった感じだ。だから最近、金曜日に展覧会にゆくことが多い。土曜よりもすいているのがいい。それとなんというか、どこか現実感がないというのか。疎外感のない独り。土曜日ならまわりの多くの人も休みだろう。けれども金曜日はそうではない。働いているであろう人々もあまり見られない。美術館にゆきつくまでに出逢うのは年配の人々、主婦の群れ、学生たち。しばし、彼らと一緒の場にいる。そのことに不思議な違和がある、旅にきている感が強いというのか。
 もっともこの金曜日は、わたしにとって連休初日ではなかった。次の土曜日の早朝、人手不足だったので、仕事をいれてしまっていたから。そのこともあったのだろうか。金曜のこの時間は休みのようなものだけれど、私にとっては明日も今日も仕事、その間をぬってきているのだから、平日でもある。休みでもあり、平日でもある、そんな時間をゆく、居心地がわるいような、そうではないような、どっちつかず…。
 これまでにも平日、仕事帰りに美術館や映画館にいったことはあったけれど、その時は夕方まで仕事のいわゆる事務職だったから、文字通り仕事が終わって、家へ帰る迄の間に、出かけていた。だが今は違う。職場は家から自転車で五分の所だし、勤めも早朝だ。まず仕事帰りという言葉をつかえない。仕事が終わったら、一度家に帰り、その後で出かける。そして時間も事務職をしていたころと違い、日中だ。こうしたささいな違いたちが、なんとなく新鮮であり、違和だった。それを面白がっている自分を、また興味深そうにみつめる自分もいて。
 違和といえば、埼玉県立近代美術館は、もしかすると赤塚から世田谷に越して、はじめて訪れるのかもしれない。今の世田谷に越して三、四年になる。赤塚からの方が、若干近い。当然、乗る電車の種類も方角も以前とは違うし、第一、電車に乗る事自体、久しぶりだ。電車通勤をしていないので、殆ど乗る事がなくなっているから、電車に乗るのは、基本的にいつも非日常となっている。非日常たち、新鮮さがいっぱいで、なんとなく浮遊して。







 成城学園前駅に向かう。こちらもこの頃、めっきり行く機会が減った。早朝の仕事のほかにもうひとつ、外を回る仕事をしている。最近まで、そちらで駅周辺までは行っていたのだけれど、現在、エリアが変わってしまったから、行くことがなくなったのだ。その気になればいつでもいけるから、それは別にいいのだけれど、駅に向かう途中にある、小さな崖の森、湧水や竹林があり、崖の上から、富士山も眺められる、三丁目緑地を通らなくなったのは少し淋しい。事務職で都会に出てた時は毎日通っていたし、最近までも三日に一度ぐらいは足を伸ばしていたから。それは日々の日常にぽっかりと空いた、大切な非日常の世界だった。
 けれども、そのためか、久しぶりに通るそこは、やはり新鮮だった。なつかしいようなうれしい気持ちで、崖の上の草地…いまは土だけれど、そこを自転車で通る。道路と隔てる金属製の花壇柵、半円の銀色たちに太陽の光が当たって、きらと光った。竹林近く、陽があたらない場所の土には霜柱が立った跡がある。土が神殿の柱のようにあちこち盛り上がって。自転車では少しだけ通りにくい。ハンドルをとられる。そして崖の上から、下を見つめると竹林ごしに、湧水。今の季節は崖下に常春の世界が拡がってみえる。竹林は冬でも緑だし、湧水近くに生えているのもジャノヒゲなので、こちらも常緑。緑あふれる凝縮の中を銀の水が小さな龍か蛇のようにうねって、光って見える…。わたしは崖からこの銀の動物を眺めるのが日課で、大好きだったと、眼前をうねってゆくモノに、新鮮な懐かしさを覚えた。
 そして、同時に、崖の上を自転車で通り、いったん止まった、その数分(あるいは一分に満たないかもしれない)の間に、別にふと気づくように浮かんだことがある。概ね幼年ホテルについてだ。
 ところで、わたしは幼児だった頃の事を覚えている。あの頃、世界は新鮮で、驚きに満ちて、きらきらしていた。そのなかで独り遊びをして、あきることがなかった。
 〈では、そのことを詩であらわさなければいけないね〉と、かつてある人がいったことがある。あの頃に戻るには、それしかないのだ。それがわたしの故郷であり、ユートピアなのだ。つまり「空想のエデン」「ホテル・イグジステンス」(ホテル・存在)。「自分が生きたいように生きられる場所」、「心の中で訪ねていける場さ」。 「現実世界がもはや不可能になったときに人間が行く場所だよ」、「ああ。前はあたしにもそういうのがあった。誰にでもあるんだと思ってたよ」、「そうとは限りません。それなりの想像力が必要だから」(「」内は今読んでいる、ポール・オースター、『ブルックリン・フォリーズ』から)。
 そこを逃避の場かと思っていたこともあったが、そしてそれは諸刃の剣で、一歩間違えればそうなってしまうものだけど、それは追い求める、勝ち取って初めてゆける場であるのだと、思うようになった。ホテル・幼年ならぬ、つまり幼年ホテル。
 話がそれてしまったけれど、幼年時に新鮮に感じた数多のことは、今もこうして、美しく新鮮なものたちとして、わたしの周りにあるのだと、それを感じる感じ方が変わっただけで、こんなふうに、きらきらして、花壇柵、霜柱のさくさく、銀の龍だか蛇、急ぎ足のように地面をちょこまかするハクセキレイ、せわしなく幹の上で動くメジロ、わたしは鳥が好きというより、鳥の名前を、今動いているものたちに、合致させるのが好きなのだとも思いながら──それは彼らと接する唯一の方法だから──、幼年ホテルは、言葉を書くわたしにいつも開かれている場所なのだ、そんなことたちを、ぐるぐるとさせながら、自転車をこいでいたのだった。霜柱をふむのが楽しい子供。私には子供がいない。なぜかこれまでほしい思ったことが一度もないし、おそらく今後もだろう。それについて、理由が色々あったような気がしたけれど、それはどうでもいい。わたしのなかに子供がいる。幼年ホテルはわたしにいつも開かれているのだから。言葉をつづる限り。

 さて、ベン・シャーンだ。埼玉県立近代美術館のHPから。
〈 ベン・シャーン(一八九八─一九六九)は、一九三〇年代から六〇年代にかけて、アメリカで活躍した画家です。リトアニアのユダヤ人家庭に生まれ、八歳のときに家族とともにニューヨークへ移住しました。移民の子として貧民街で育ち、少年の頃から石版画工房で働きながら美術を学んだシャーンは、一貫して人種差別や迫害、貧困をテーマに制作を続けました。また、ポスターや本の装丁など、グラフィック・デザインの分野でも活躍します。
 ヒューマニズムの姿勢に貫かれたシャーンの作品は、描くものに対して、つねに鋭い批判の眼差しと深い愛情を投げかけました。特にその震えるような線からは、哀しみや怒り、そしてやさしさといったシャーンの感情が直接に伝わってくるようです〉。
 展覧会は、埼玉県朝霞市の「丸沼芸術の森」コレクションから、絵画・ドローイングおよそ三〇〇点の出展となる。
 実は彼に対する、私の想いは微妙である。犯罪者を弾劾するように描かれた作品があったが、こうしたものはあまり好きではない。美と拮抗する何かがまじっているからだ。
 けれども、展覧会を見渡して、どちらかというと好きなほうかもしれない…という印象を持った。というわけで、なんだか微妙な画家なのであった。
 展覧会の絵は、メッセージ性をもった作品が多いのだが、それは多くの場合、枷になっているようにみえて、それが彼の作品をみる私に、なにか絵と私の間に、一線をひいてしまうような気がしていた。そのためにすなおに共鳴できないことが多いのだ。それはエピグラムにたくした作者の想いが強すぎて、なにか読み手にバリアをつくってしまうような、そんなことに似ている。エピグラムと作品の間の関係性を読み取った後でないと、作品を読んではいけないのではないか、そんな風に思えてしまい、その関係性をつかめぬままでいることに、読み手は疎外感のようなものを…。
 これは自分が詩作をする上での、自戒をこめた例である。ちなみに、だから、最近、エピグラム付きの作品はほとんど作ってない。
 と、話がそれている。にもかかわらず、何点かの作品は、やはり心に残った。多くは、晩年のものだったけれど。晩年、つまり枷があまりみられない作品だ。孫のために描いたという絵本の挿絵であるとか。優しさがふるえる筆にあらわれてみえる作品たち。
 リルケの『マルテの手記』の挿絵版画集であるとか。このうちの一枚は、ポスターやチラシになっている絵。《愛にみちた多くの夜の回想》(「一行の詩のためには…」リルケ『マルテの手記』より、一九六八年)。ごつごつとした手たちで、たがいを確かめ合うように抱擁する男女。男のとじた眼が、思い出と一体化する瞬間への入口であるかのように。そして女は男の大きな手で顔を覆われている。それは男の追憶であるかのように。そこから血肉となって、女は生き始めるかのように。あるいはその女は顔が隠れていることで、みる私達それぞれが想い描いていい、理想像としての女性なのかもしれない。
 メッセージ性のある作品について、二の足を踏んだと書いたけれど、第五福竜丸事件を題材にした《出港》(『ハーパーズ・マガジン』誌、一九五七年十二月号)は、とても印象に残った。出港し、小さくなった船と繋がっている…かのように、あまたの手が見送りのテープで船とつながっている(実はつながる、という言葉、あまり好きではないのだが)。船を頂点と、手たちを底辺にした三角形。このテープの繋がりが、希望や祈りのように見えた。あるいは優しさ、ぬくもり。出港する船を見送る人々の、無事を願っての祈りのようにやさしい筆だった。そしてその後に起こってしまう悲劇をそこに思い浮かべ、さらに祈りを感じるのだった。切れてしまうであろうテープ。けれどもこの瞬間は、手と船は、糸電話のようにつながっている。それでも、それしか。無力さと希望を感じる、筆だった。




 この後、「MOMASコレクション掘廚砲い辰燭里世韻譴鼻△修里海箸麓_鵑法
 これを書いている今日、東京では初雪&結構な大雪に見舞われた。早朝だけ仕事にいって、外回りは休みを余儀なくされる。けれども、早朝からの仕事の帰り。降り始めた雪のために、まわり道をした。そして、なにを考えているのだろう、いや、なにも考えずに、口をあけて、ふってくる雪を舌の上に乗せた。つめたさが、なつかしいぬくもりのようだ…と楽しくなり、すぐに、雪って、あまりきれいでないのでは? 残念ながら…と思って、口をとじてしまう。明日は大変だろう、そう思いつつも、見違えつつあるあたりの景色、畑につもった雪、屋根に積もった雪、静けさ、夜になっても明るい世界、自転車のタイヤの跡のつくる小さな川のような溝と、足跡たちの描く雪模様、どこかにいってしまった鳥、どこかにいってしまった猫、何度も窓の外の景を確かめてしまうのだった。世界はいつも新鮮だ。そして未明、雪かきをする音、凍りはじめた雪の道を注意ぶかく踏みしめる足音がする。幼年ホテルへようこそ。
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2013-01-01

初日の出、初富士、初月、2013年

新年あけましておめでとうございます。

今年も、ベランダから初日の出を見た。
けれども、昨年、というか、昨日…12月31日の夕方、
年賀状を出しに外に出たら日没が。


2012年12月31日の日没

ふだんとかわらぬ日没のはずなのに、大みそかのそれは
どこか、郷愁をおびた、特別な感触が空からにじみだしてみえる。

午前0時前後もそうだ。
ふだんの深夜とはちがう。
境目、つまり境界だ。
2012年と2013年。
家からは除夜の鐘が聞こえる。
ああ、また聞くことができたなと、ぼんやりと音をたどる。
境界をまたがって、聞こえる鐘にやはり特別な儀式を感じた。


2013年1月1日、日の出前

そして、朝6時半起床。
(普段なら、もうとっくに働いている時間だなと、ここにいることがどこかうれしい。
 休み=祭りだから)
ベランダに出る。晴れているが、東の空にだけ雲がかかっている。
今年はむつかしいだろうと思う。けれども、あまり落胆はしない。
雲間ごしにみえるだろうし、それに雲の色たちは新鮮な
元旦の色をみせてくれているから。









西の空に、富士山。そして月。居待月、月齢18だとか。
初富士、初月だなと、どこかぬくもる。


富士山




だいぶ日が高くなり、ようやくかたちがみえはじめた、
けれどももうまぶしい。
眼にすこし、くろいものがうかぶまで、つい見てしまった。
眼のなかに、しばらく、黒い太陽が泳ぐ。

今年もよろしくお願いいたします。




13:11:43 - umikyon - No comments