Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2013-02-15

百年たたずに、世界の涯ては開かれて、だからおいで「帰ってきた寺山修司」




 世田谷文学館で開催されている「帰ってきた寺山修司」展(二〇一三年二月二日─三月三一日)に行ってきた。
 わたしは同じ世田谷区内に住んでいるのだけれど、家からだと、文学館まで、割と交通の便が悪い。バスと電車を乗り継いだりしないとだ。自転車はどうだろう…。ネットで調べる。調べ方にコツがあることを発見。その場所の地図を出して、ルート案内をクリックすると、出発地点からそこまでの距離や時間、道順をおしえてくれるのだ。ちょっとしたカーナビみたいだ。手段を選ぶ項目もある。車と徒歩とバスなど。自転車の項目がないので、徒歩で調べると、五キロ弱で、徒歩で一時間ちょっととある。自転車で十分行けるではないか。うれしい。しかも、ほぼ一直線だ。で、自転車で出かけた。
 この日は、北風が吹いて、とても寒かった。あたりは曇っている。けれどもはじめての道だ、商店街をぬける。とつぜんリンゴ園だろうか、畑がでてきた。緑はすくないけれど、たまに桜の木。まだつぼみはかたいけれど、たしかについている。はじめての道は遠く感じるものだけれど、意外とそれを感じなかった。沈丁花がつぼみをつけていた。猫柳も猫毛の花(つぼみだったかしら?)をつけている。梅の花も咲きだした。二月もおわりになったら、温かさが信じられるような、春になるだろう…。所要時間は二十五分程度だったか。そんなことを思いながら自転車をこいでいたから、時間を短く感じた。

 さて、展覧会。HPなどから、紹介文を。
 <寺山修司(一九三五〜一九八三)が去ってから三十年、戯曲の再演や映画上映など多くの関連活動がなされ、新しい世代を中心とした寺山ファンは、今も増え続けています。また、教科書にその作品が掲載されるなど、寺山文学は十代の思春期の感性に、時代を越えて語り続けており、その作品の普遍性が新たな読者を獲得していくのです。
 寺山修司は、十八歳で「短歌研究」新人賞を受賞。その後、「俳句」や「短歌」の定型の枠を乗り超えるように詩作を開始。歌謡曲の作詞や放送詩(ラジオ)へと活動ジャンルを広げました。三十歳を前後する一九六五年から一九六八年頃にかけては、世田谷区下馬に移り住み、演劇実験室「天井棧敷」を設立します。その後は、十代から二十代にかけての創作活動の基盤であった俳句や短歌から抜け出し、長編小説や戯曲、評論など新たな執筆活動を交えながら、演劇や映画といった芸術ジャンルへと移行していきました。
 近年、これまで語られてきた、寺山修司の文学的成長過程の定説を覆す、新たな資料の発見が続いています。展示資料には高校時代の貴重な書簡や、中学時代の幻の文芸誌「白鳥」も含まれています。本展では、没後三十年の年に、彼の創作活動の原点ともいうべき青春時代をご紹介し、《ことばのひと―寺山修司》を再検証します。>

 わたしはここでも、ほかでも何回か書いているけれど、寺山修司がかなり好きだ。中学生の時に、彼の作品と出合ったことが、もしかして、こうして詩を書いていることにつながっていると思う、そのぐらいにわたしにとって大切な人物だ。

 けれども、展覧会。全体的な印象としてはいまいち。
 おもに彼の青春時代にしぼって、俳句、短歌、詩、そして手紙の紹介ということだったので、ある程度、予測はしていたのだけれど。
 彼の本領発揮は、演劇実験室「天井桟敷」を設立した三十代から四十代の頃だった(演劇ばかりではなく、その頃のものという意味だが)からか。わたしが好んで読み、そして見ているのは(残念ながら、天井桟敷の公演はビデオなどでしか見たことがないが)、その頃のものばかりだ。
 それでも、出かけたのは、『田園に死す』などの彼の短歌も、詩(『地獄変』はまだ詩を読むことを殆どしなかった十代のときに買って読んだものだ)もすきだし、それに彼の生原稿が読めるのではないかと思ったから。生原稿で作品を味わうということを体験してみたかった。
 以前、立原道造の作品を、立原道造記念館で原稿で読んだことがある。そのとき、印刷物、活字とはちがう、生の声のようなものを、感じたことがあったから、好きな寺山修司のそれをぜひ見てみたかったのだ。
 
 けれども、展覧会では、生原稿、あったにはあったが、ほとんどが戯曲やラジオ・ドラマのものなので、すきな字体(よみやすい、思いがけずおおらかで、やさしさがこもった字)だと思ったが、全体のほんの一部分なので、なにかを感じることや、なにかを移入することができない。
 あとは恩師や友人との手紙やはがきの展示が多い。ほとんどが若い頃、二十歳前半ぐらいまでのだろうか。
 わたしはもともと、小説家でも芸術家でもなんでもいいが、ともかく彼らの手紙などにあまり興味がわかない。それは彼の日常に属するからだと思う。もちろん、それもまた、ここでいえば寺山なのだが、わたしは彼の作品が好きなのだ。彼の非日常が。これも何回かここで書いているけれど、クリムトが、自分のことを知りたければ、絵をみてくれと書いている。そうなのだ、それ以外は、わたしには必要ない。非日常は、おそらく日常をふくんでいるから。

 手紙から、非日常をよむことも可能だし、手紙のなかでも、たしかに言葉は日常の垢がついている、それにくらべて音楽や絵は、そうした垢がつかないので、音楽や絵がうらやましい、といったことが書かれてあるものもあったけれど、どうもそこにはいってゆけない。そういえば、わたしはエッセイのたぐいもあまり好きではない。寺山修司に限ってはエッセイも珍しく好きだけれど。だから、会場では、最初はかなり真剣に読もうと努力したのだけれど、頭にはいってこなく、すぐに流し読みにかえてしまい、おわってしまった。

 手紙は日常に属している、といったけれど、わたしが苦手に思うのは、それだけではないだろう。なにか読むことに疎外感があるのだ。手紙は、本来、それを宛てた人にむけて書かれたものだ。わたしにむけられたものではない。作品はちがう。誰に向けてかかれたものでもない、だからこそ、誰にでもむけられたもの、ひらかれている。わたしはそこにはいってゆける…。

 展覧会での手紙の展示には、そうなのだ、わたしがはいる余地がほとんどなかったのだ。あったとしたら、二階の企画展の会場内をでて、一階の…あれはコレクション展でもない、なんなのだろう? 無料のスペースだ。中に入ると、垂れ幕のように、『田園に死す』の歌が大きな短冊として、一首一首、つるされている。そして寺山修司の肉声で、それが朗読されている。エンドレスに。
 
  大工町寺町米町仏町老婆買ふ町あらずやつばめよ

  トラホーム洗ひし水を捨てにゆく真っ赤な椿咲くところまで

  かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭

  燭の火に葉書かく手を見られつつさみしからずや父の「近代」

  吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず

 文字と音の渦で、なにか朗読会にでもきているような、そんな異質な扉がひらかれていた。まさに、こうしたひらかれた場こそが、作品なのだ。それを読んで、わたしがまたなにかを思うこと。思い浮かべること、それが彼との対話なのだ、手紙なのだ…。
 この不思議な部屋を出ると廊下をへだてて窓がある。窓から庭、というか窓に接するようにめぐらされた池をみることができる。どうしてこんなに大きいのだろう? 主のようなばかでかい錦鯉がたくさん泳いでいる。ここにくるまで曇り空だったが、外はすっかり晴れているらしく、水にちらちらと陽光がさしていて、温かそうに見える。春の気配だ。そうして、背後からは先ほどの寺山の朗読が聞こえてくる。

  売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

  売られたる夜の冬田へ一人来て埋めゆく母の真赤な櫛を

  見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつし

 背後から、水面にあたる言葉たち。くだけちって、ちらちらと。たゆたいながら、わたしに、地平を、櫛をさしだしてくる。鯉がよぎる。これこそが非日常ではなかったかと、愕然とする。そうしながら、声と水にひらかれてゆく…。外は晴れていた。

 入口近くで、ミュージアムショップ的なコーナーをのぞく。寺山修司の本などは、たぶん殆どが持っているか、持っていなくとも、べつの本で読んだことのある作品ばかりで、ほしいものがない。そのことをすこし残念に思うが、ひるがえって考えてみれば、それほど寺山修司は、わたしにとって大事な人物だったのだと、合点する。

 今いちだと書いたけれども、それでも、ここにきてよかったと思った。この日は半ドンの休み。家にいてもたぶん、だらだらと過ごしてしまうだろうから。なら、ここで、彼にふれられたことは、それでもここちよいことだ。彼を好きだと書いたけれど、前回のコルタサルほどではないが、読んだのはずいぶん前のことだ。今回、ここにきて、それを読んだわたし、わたしのかつてたちが、おまえは今、なにをしているんだと、なじっているような気もしてきた。もっと、寺山のように生きよと。もっと作品と向き合えと。わたしはこの頃、すこし、書くことにたいして怠惰になってきていたのではなかったか。かれら(わたし)の叱咤もまた、耳が痛いけれど、必要だから。

  マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 チラシなどに、この歌が載っていた。会場にもあった。入ってすぐのところ、教科書に載った作品として、あげられていた。
 この歌が好きな男がいた。だから、この歌をみたりきいたりするたび、彼のことを思い出す。彼もまた寺山のように死んでしまったが。
 寺山の祖国は、故郷は、非日常のなかにあったのだろうと、帰り道、自転車をこぎながら、思った。

  ぼくは
  世界の涯てが
  自分自身の夢のなかにしかないことを
  知っていたのだ

  (「懐かしのわが家」より 部分)


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2013-02-10

ゴッサマー(悪魔の涎)に絡めとられて(朗読&トークセッション《Voice Bey ond the World――この世の外からの声》)

 二〇一三年一月二十六日に、「朗読&トークセッション《Voice Bey ond the World――この世の外からの声》」に出かけてきた。
 頂いた案内メールから。

 ***

〈第1部:生野毅・朗読パフォーマンス+「悪魔の涎」(F・コルタサル)朗読(生野毅=パフォーマンス、蓑田知佐=パフォーマンス・演出)
第2部:中村邦生(小説家)×生野毅(詩人・ボイスパフォーマー)トークセッション

 来る一月二十六日(土)の夕刻より、東京は茅場町のギャラリー・マキにて、私のパートナーである生野毅を読み手として、F・コルサタルの短篇「悪魔の涎」を朗読劇として上演いたします。また、後半では小説家の中村邦生氏をゲストに迎え、コルサタルの作品はもちろんのこと、「記憶」「短篇という小説形態」「恐怖」などについて、生野毅と縦横にトークを展開する予定です。

【イントロダクション・あらすじ】
 フランス系チリ人のミシェルは、パリに暮らす翻訳家にしてアマチュア写真家。ある日、散歩の途中に目にした少年と女のカップルに心を惹かれた彼は、何気なく2人の姿を写真におさめる。突然被写体とされたことに女は怒りをあらわにし、少年はその場から小鳥のように逃げ去ってしまう。事件というほどのこともない、どうということのない遣り取り。しかし、問題の写真が現像され、眺められることによって、読み手は次第に奇妙に歪んだ恐怖の世界へ拉し去られていく。そしていずこからともなく物語に参入してくる、誰のものとも分からない〈声〉。いつの間にか語り手の声から離れた物語は、語り手の声そのものによって攪乱され、宙吊りにされ、あてどなく拡散してゆく……。
 アントニオーニ監督『欲望』の原案作品としても知られる本作は、凝らされた意匠と不可思議にして衝撃的な読後感により、コルタサルの代表作のひとつに数えられる。言葉が言葉を呼び、記憶と意識の迷宮に迷い込む感覚を、怪談・新〈剪燈新話〉シリーズや、華道家・上野雄次をはじめ、様々なジャンルの表現者とコラボレーションを行ってきた詩人・ボイスパフォーマーである生野毅の声から味わっていただきたい。

 また、第二部では小説家の中村邦生氏をゲストに迎えたトークセッションを開催する。「冗談関係のメモリアル」「チェーホフの夜」など、そこはかとない非日常感をたたえつつも滋味深い短篇を数多く執筆している中村氏は、『この愛のゆくえ』『生の深みを覗く』(いずれも岩波書店)などの作品集を手掛けるアンソロジストでもあり、短篇という小説の形態についても造詣が深い。また最新作『転落譚』(水声社)は、コルタサルもその一人であるラテンアメリカ作家の作品群をも含めた古今東西の小説作品が怒涛のように引用される奇妙かつ強烈な長篇作品であり、ラテンアメリカ文学の魅力はもちろんのこと、「小説における〈声〉とは何か?」などの魅力的な問いについても存分に語っていただく予定である。>

 ***

 フリオ・コルタサル(一九一四─一九八六年)。好きだった、けれども読んだのは十数年前だ。「悪魔の涎」は岩波文庫のが今でも手に入りやすい。『悪魔の涎・追い求める男』だ。ほかに『石蹴り遊び』(集英社文庫)、『遊戯の終わり』(国書刊行会)、『秘密の武器』(国書刊行会)、『海に投げこまれた瓶』(白水社)、『通りすがりの男』(現代企画室)、『すべての火は火』(水声社)…。ここにあげた本は、うちの本棚に入っているもの。ちなみに本は、大半が整理をしないで書棚に並べてある。倉庫に埋もれてしまっているのもある。さらに今までにかなりの本を処分してしまっているのに、コルタサルのものは、例外的に処分していないどころか、こうしてすぐに探せるところに置いてあった。つまり、手元に残しておきたい、好きな作家だったのだ。今は殆ど内容を忘れてしまっているのだけれど、好きだったという思いだけは残っている。

 くわえて生野夫妻は、わたしの数少ない大切な友人だ。で、ゆくことにした。ちなみに、わたしは友人、知人の催しについての感想を殆ど書いたことがない。こうして書こうとしていることも例外だ。なぜ今まで書けなかったのか。それに、たぶん、これからだって、めったに書かないと思う。なら、なぜ。単純に好きな作家についてのイベントだったからではない。そのことについて少し考えてみる。
 わたしはどんなにか素敵なイベントでも、たとえば会場にわたしの知っている人物がいるだけで、イベントについて書けないできた。
 なぜなのか。じつはなんとなくしかわからない。まず人前にでると緊張してしまうから。そしてそのことで頭がいっぱいになってしまって、それ以外のことを忘れてしまうから。人にはそう見せないようにふるまっているが、帰ってくると、とたんにそうなってしまう。うつ状態になり、時には不眠症になってしまう。
 わたしは人前に出て緊張すること、それをどこかで日常だと感じている。その日常の印象がつよすぎて、大切なメッセージがどうしても思い出せない…。そんなことなのかもしれない。日常といえば、通常の仕事、勤務という意味のそれもそうだが、仕事では、そこまで緊張することがない。ひとつには、慣れもあるだろう。それにそんなことをいってられないからだ。仕事はしないといけない。そんなことで、仕事なら、日常ではあるけれど、非日常的なものと、共存できうるものなのだ。たぶん仕事中も、他者に対して緊張しているだろう。実際、終わったあとで少しひきずることがある。けれども、切り替えることができる。少なくとも机に向かうと、霧散してしまう。
 だが詩的な集まりはそうではない。毎日ではないからか。それにもともと、詩的なもの、作品、なんとよんだらいいか、芸術だろうか、それは、少なくとも、こうした意味での緊張を強いる事がないはずだ。本を読む。詩を読む。美術館に行く。映画を見る。こうしたことは基本的にひとりで受け止める。ここにも緊張があるが、それは作品と向き合うためのものだ。人前に出て、緊張するのとは、わけがちがう。だが詩的イベントは、非日常でありつつ、わたしに日常をつきつけてくる。仕事のようにひかれた線がない。仕事は基本的に就業時間が終わったらそれが線だ。その線がないまま、ごちゃまぜになって、わたしにやってくるのかもしれない。ごちゃまぜのなかで、緊張する。その緊張に押しつぶされ、わたしは大切な夢をわすれてしまう、非日常がみえなくなってしまう…。

 あと、もうひとつある。わたしは他者に嫌われることをおそれるから、人にかなり気遣いをする。友人、知人のイベントなどにいったとき、それについての感想を、なるべく書きたくない、そんなふうに思ってしまうのは、公平な判断ができなくなってしまうような気がしてしまうから。いや、判断はできるのだが(当たり前か)、どこか彼らに対する気遣い的な視線がそこにはいってしまうような、そんな不安があるのだ、それは純粋なものではない。映画や美術館にいったときとは違うものになってしまいそうな気がするのだ。

 ぐだぐだと前置きが長くなってしまった。今回、それにも関わらず、こうして感想などを書こうとしているのは、こうしたぐだぐだの壁をこえて、わたしが単純に、なにかたちを受け取ったからだ。
 なぜなのだろう。単純に、このイベントのパフォーマーたちは、友人であると同時に、私にとって、信頼のおける芸術家だからだろう。だから彼らの行うこと、メッセージに対しては、気遣いなどまったくせず、いつもとおりに書くことができるということがあるのかもしれない。
 それと緊張するのは、おもに知人に対してで、友人に対してはそこまでのことがない。友人にまじって、未知の人、知人がいると、緊張することはするけれど、友人がいるという安心感で相殺されるのか、あるいは彼らが非日常的なメッセージをはなっているからか、ともかく極度の緊張という日常で覆われることがない。あるいは、いい加減、こうした緊張から、卒業したく、一歩を踏み出したいと思ったか。わからないが、とにかく書いてみる。

 会場には、川をわたってゆく。しばらく歩くと、隅田川の手前、岸沿いにギャラリーのあるビルが。窓やベランダから隅田川が見わたせる。もっとも、そちらはカーテンでしきられていて、舞台裏になってはいるのだけれど。休憩時間などに、そこから景色を、風を感じることができる。
 川をわたって、川の手前で。川にはさまれた…いや、地図で調べたら、四方を水で囲まれている。つまり中州か島になっていた。もとは霊岸島といったそうだ。現在は新川。霊という字が、なにやら、今回のイベントにつうじる響きがあった。そして川を渡ってゆくということ、境目にうかぶ中州というものが、境界の狭間にあるように思えたのだった。
 さて「朗読&トークセッション《Voice Bey ond the World――この世の外からの声》」、第一部。
 こんな暗がりで読めるのだろうか、というぐらいのぎりぎりの明るさのなかで朗読がされる。この世とあの世の境目のように。あるいはまるで映画館のなかでのように。
 ちなみにタイトルの「悪魔の涎」とは「ゴッサマー〔穏やかな秋の日など空中に浮遊する細いクモの糸〕」のことで「ゴッサマーは悪魔の涎とも呼ばれる」とあり、ここからきている。蜘蛛の糸にからめられたような、悪夢のなかの物語。写真と現実が錯綜する。人称も錯綜する。そのことを踏まえ、読み手もまた男、女と、変わる。男もまた、独り芝居のように、読みかたを変える。「どう話したものだろう。ぼくはと一人称ではじめるべきか、きみは、彼らはとすべきか」…これが冒頭だ。こんな多重性を、演者は、とても忠実に再現しているように思えた。
 そしてシェードのついたテーブルライトがひとつともっていたとき、影のような女が黒いチュールレースのようなもので、シェードを巻いてゆく。まるでゴッサマー、悪魔の涎に、からめとられてゆくようだ。
 そのほか、蝋燭(そっくりのライト)が影の女の手によって、一部の観客たちに注意深く配られ、ゆらめく灯のなかで、声をきく、そのゆらぎの気配の、奇妙なずれ、そして今度は「悪魔の涎」の登場人物の女のように、得体のしれない怖さで、その蝋燭を無造作にひったくってゆく、魔的な演出が物語世界を照射するようだった。
 そして。一部がおわったあと、休憩のとき、不思議なことに、映画を観終わったような気分がした。映画館を出たあとの、スクリーンの人物が憑依した感じ、スクリーンがおいかけてくるような感触がわたしにせまってきた。あたかも「悪魔の涎」の登場人物になったかのような。
 それは、多重性であるとか、恐怖であるとか、時間性であるとか、そうしたものたちを、つかんだうえで発せられた言葉や演出であったからだと思う。そうした音たちが、わたしのなかで、像をむすぶ…。それが映画のようになったということもあった。その像は、演者によってもたらされたもの、そしてコルタサルによってもたらされたものだが、イメージを思い浮かべることによって、わたしもそこにかかわっている。この映像のようなものを通して、この場はひらかれているのだった。まるでわたしもまた被写体になったかのような。わたしはだれなのか…。人称の混濁もまた、この蜘蛛の網にかかってくるようだった。
 ところで、この小説では、雲もまた重要な役割をしめすものだ。
「問題は、本当の語り手が誰なのかはっきりしないことだ。ぼくか、あの時起こった事件なのか、それとも今ぼくが見ているもの(雲、それに時々一羽の鳩が姿を見せる)なのか、それが分からないのだ」
 「空も石造りの手すりもしっかり固定し、雲と石はひとつに溶け合っている(今、嵐の到来を告げるように、千切れ雲が飛んで行く)」
 「今、大きな白い雲が通りすぎて行く。時間の感覚をなくしてしまったが、この頃では毎日こうだ。あとは一片の雲、二片の雲、(…)やがて、左手から一片の雲が入って来ると、優雅な姿でゆっくりと通り過ぎて行き、右手に消えた。続いて別の雲が。」
 見ているものに見られているような、動かないはずの写真が動くような。その狭間を雲が渡る。それは静と動の狭間であると同時に、瞬間と永遠の狭間でもある。
 この“雲”。これは日本語におきかえたから、故の感想なのだが、“蜘蛛”そして“雲”、耳だけで聞くと、まるでひらがな詩のように“くも”となる。つまりどちらもふくんで聞こえる、このことが心地よかったのだ。何か、空の雲と、蜘蛛の巣の網と、これらがからみあって、空と地の多重性をも朗読会場に立ち表しているようであったから。それは私がひらがなを多用して詩を書いていることへの、後押しのようにも感じられ、怖さと同時に、やさしい網としても感じられるのだった。

 第二部も、興味深かった。記憶の刷新、幽霊、オクタヴィオ・パス。写真という失われた時…。
 特に印象に残ったのは、プリントアウトされたであろう、イギリスの古い時代の写真。両親と娘の家族写真と、椅子に座って目をとじた男の写真。
 最初に、予備知識なく、配られて、みたとき、なにかとても違和感があった。なんだかわからないけれど、不気味な気がした。まるで心霊写真のようだと思った。別にそうしたものが写っているわけでもないのだが。
 会場内を写真が一巡したあと、説明がなされた。これは「遺体写真」というものだそうだ。
 ビクトリア朝時代(一八三七〜一九〇一年)の英国では、誰かが亡くなると家族と共に写真を撮る習慣があったという。この「死後の記念写真」撮影に際しては、遺体に化粧を施し、椅子に座らせるなど様々な意匠を凝らすのが通例で、遺体を立たせるためのセットもあったらしい。
 家族写真のほうは、そこに写っていた両脇の二人、両親は生きている。一人、中央にいる娘は亡くなっているのだそうだ。そして当時は露出に時間がかかったため、人間はぶれることが多かったが、遺体だとそれがない。だから(と、写真のほうを指さしながら)、両親は生きているので、若干ぶれているが、真ん中の少女は、ぶれていないのだということだった。奇異を感じたのは、そのことにもよるのかもしれない。
 これらの習慣は、すぐに姿を消してしまったらしい(大体一八七〇年代から一九〇〇年初頭)。家族以外のものにはやはり死の影をおびたそれが、怖いものとして映ったからだろうか。
 こうした説明をうけ、写真の正体を告げられ、さきほどの違和感はだからだったのと、妙に納得する。そのあとで、もう一度回覧され、写真を改めて眺めたのだが、不思議なことに、最初の不気味に思った感覚がまったくなくなっていた。特に、最初の二枚のほかに、もう一枚、まわってきた。小さな子供が、日のあたるソファかなにかのクッションに頭をのせて目をつむっている写真だ。遺体を引き取りにくる前、待ち時間を利用して居間で撮った写真だという。説明によると、子供は目が落ちくぼんで、死相をおびている、とのことだった。けれども、この写真にあたった陽光のようなものが、きらきらとして、それがとても優しい、清らかなものに映ったのだ。子供の目はたしかに落ちくぼんでいたけれど、安らかさにみちていた。
 さらにさきほどみた二枚の写真からも、そこにある生を終えた者たちに対して、彼を撮ったものたちの愛情、追悼の念が写真にこめられているように感じられた。そこには穏やかな、やわらかい思いにあふれていた。死を悼む念がまざまざとあらわれているような気がしたのだった。

 そして、丁度。わたしはその前日、家の近くで、外回りの仕事をしていたとき、道端に小鳥の亡きがらを見つけたのだった。インコか何かだ、緑色の。まだ生を終えてまもない。外傷もなく。ただ口をあけて転がっていた。動かないこと、転がっていることをのぞけば、生前と変わらない姿なのに、どうして、こんなに死の影をおびてしまうとちがうものとして、存在してしまうのか…。その姿は衝撃だった。わたしはその場に立ちすくんで、つい手をあわせたくなったものだった。写真に映った死を見て、そんなことも思い出した。生と死の間によこたわる魂について、考えさせられ。
 そして、さらに。遺体写真についての説明をきいていたとき、ぼんやりと、自分に語りかけていた。日本だと幕末から明治だよな、その頃の日本では、魂が吸い取られるというので、人々は写真に撮られるのを嫌がったと聞いたことがある。でも遺体なら、不謹慎かもしれないが、魂はもう抜き取られた後だ…、魂が抜かれる心配がない。いや、だからか。魂がはなれきってしまうその前に、そこに留めておきたかったのだと。今こうして書いてみると、日本とイギリスがごっちゃになっているところがおかしいけれど。

 そしてわたしの父が亡くなった直後、魂がはなれた瞬間、父がとてもとてもきれいだったこと、そんなことも思い出した。
 父が亡くなったのはもうずいぶん前で、六十歳だった。けれども死の直後、もっと前、四十代ぐらいの、ちなみにわたしは父が四十近くなってからの子供だ、つまりわたしが幼少の頃の、わたしが知っているなかで、一番うつくしい顔になって、父はそこに横たわっていたのだった。きらきらと輝いて。そばで看取っていた父の姉の伯母も、そんなことをいっていた。ああ、若い頃の顔に戻ったねえと。
 たしか、プルーストの『失われた時を求めて』でも、話者の祖母の臨終の際に、そんなことがおこっていたと記憶している。遺体写真は、そんな最後の瞬間を、おさめたかったのではなかったかと思ったのだった。
 ちなみに、臨終直後の父はきれいだったけれど、葬儀の折は、それから数日たっていたこともあり、もはや魂がぬけきってしまっていたので、そうではなかった。それは父ではなかった。抜け殻だった。そのこともショックだった…。

 今、フリオ・コルタサルを読んでいる。まるではじめて読むような。『悪魔の涎・追い求める男』だ。「続いている公園」は、物語を読んでいる男が、物語の中の人物となり…。それは悪夢のようでもあるけれど、わたしは想像世界と現実世界のこうした境目のなさについて書かれた話が好きなのだ。それだけではない、その詩にみちた文章が。家には、先に書いたように、彼の本が何冊もある。しばらく楽しめそうだ。

 イベントに行ったあと、うちのマンションの入り口で、今度はメジロの死骸をみた。いくぶんお腹がへこんでいるように見えたが、やはり生きている頃と、動かないこと、横たわっていることをのぞけばかわりがない。もはや衝撃ではなかったけれど、なにかの符牒のようだった。わたしはその死を今度はさらに悼むように手を合わせた。
 さらに、さらに。近所のホームセンターに必要なものを買いに行く。この時、たいてい中にはいっているペットショップのコーナーに猫をみにゆく。ただそれだけだ。現在、飼える状況ではないが、好きなので、つい顔をおがみにゆきたくなるのだった。すぐ脇に熱帯魚や金魚を売っているコーナーもある。不思議なことに、これらの魚をみると、ついその魚たちの死んでいる姿を思い浮かべてしまう。その死骸を前にして途方にくれている自分を感じてしまう。だから、まったく触手がわかない。飼いたいと思えない。なぜなのだろうか。小さい頃から、高校生ぐらいまで、それらは身近な存在だった。同時に、彼らの死を多く看取ってきた。金魚、鯉、エンゼルフィッシュ、ウグイ、タナゴ、メダカ…。そういえばたまにその魚を死なせてしまう夢をみることがある。水草を育てようと、水槽を買う。なぜかそこにメダカのような生き物がまじっている。いらないのに…と思うが、仕方なく育てていると、その魚は死んでしまう。けれど姿がみえない。どこかで朽ちているらしい。そう思うと、その水槽をもてあまし気味になるのだけれど、水草がはえているから捨てることもできない、そして死骸を探し出すこともできない…。
 猫も死をみとったことがある。けれども猫に関しては、動いている姿から、寝ている姿からすら、その死を思い浮かべることがない…なぜだろう、とケージに入っている猫を前にして思ったけれど、やはりわからなかった。まだ死の影がわたしにたちはだかっている。それもまたゴッサマーなのか。
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