Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2013-03-26

桜の足跡が、世界をくいこむ波紋です







 また心がさわぐ時期になってしまった。ほんとうは休みの日に美術館にゆこうとおもっていたのだが、桜が咲いてしまった。東京の開花宣言は三月十六日だった。十六日には前回書いたとおり、越生梅林にいっていた。越生でのその日、五月並みの気温だったが、それはあくまでイレギュラーな日だった。たまたま暑くすらある、春の突発的な温かさであり、おまけに自身も休日でそこにいるのだから、よけいに非日常的な温かさだった。春の祭りだ。紫色の小さな服をつけたヒメオドリコソウ、地上におちた星のつぶのようなオオイヌノフグリが咲いていた。それは、なんというか、家の近くでも、みつけていたものだったから、ある種の気安さがあったものだ。越生はほんのすこしだけわたしの住んでいるあたりとは年間平均気温などがちがう。すこしだけ寒いので、梅の開花もすこしおそい。つまり、桜宣言がでたその日、このあたりでは、まだ桜は開花していなかった。おそらく、ほかの花たちも。
 三月十七日は疲れてしまっていて外に一歩もでれなかった。そして三月十八日、また外周りの仕事に出かける。このごろ、季節についてゆける気がしていた…。春の足音をあちこちで聞いていた、その足跡はほぼつけたばかりのもので、走ればおいつけそうなくらいだった。だが、桜の開花宣言がでたばかりの十八日。桜が咲いてしまった。うちのあたりではまだほとんど桜はつぼみのようだった。だからまだ、桜自体には、ざわつくことがなかった、というか、開花宣言の実感がなかった。けれども十八日もあたたかだった。冬の格好をしていると汗ばむぐらいだ。日差しが、なのか。あたりの景色が、なのか。梅の花が散っている。こつぜんと咲いているのをみたモクレンの花、いやコブシだったかもしれない。はなみずきの花もみた。空き地では、黄色いタンポポ、そしてフキノトウとはもはやいえない、フキの葉っぱたちをのばしはじめた、フキの花。これらは突然、ふってわいたようにわたしの眼前にあらわれた。それ以前にはみなかったから。ムラサキダイコン、スミレ、ナズナ、菜の花。そうなのだ、先週まではホトケノザとオオイヌノフグリぐらいだったのに、この花たちのにぎわいはなんなのだろう?



 公園では種類がよくわからないのだけれど、ソメイヨシノではない、それよりももっとはやく開花する桜が満開だった。川沿いに一本だけある河津桜は早くもう葉桜になってしまっている。あれ、ここいらの描写には翌日の十九日のそれもまざっているぞ。十九日も外をめぐっていたから。春のトンネルをくぐりぬけているあいだに。いや、ちがう。春の足音を追っているあいだにだ。どこかでコバエのような虫をみた。そして菜の花のさく畑でモンシロチョウを見た。彼らはいつ、あらわれたのだろう? まわりにあるのは、もうできあがった春だった。春の足音はもうしない、足跡ばかりがあたりにひろがっている。足跡はつけられてひさしかった。いったいいつ、こんなに足跡だらけになってしまったんだろう? わたしは春についてゆくことができなかった。春においてきぼりにされてしまった。季節に走っても、走っても、かれらの足跡ばかりで、足音がきこえない…。あるいは足跡によって、いましているであろう足音をききのがしてしまっている…のかもしれない。足跡たちが花開いて。
 ともかく、季節のかわりかたの速さに、ついてゆけずにいる。それはけれども、心地よい、とまではいかないけれど、けっしていやなものではない。だってわたしは春がすきなのだ。だからおいつこうとしているのだから。けれど、それまでと違って、もう追いつけそうになかった。その急激な変化にとまどっている。手袋がいらない、あせばむ季節。

 そうこうしているうちに、桜をおっているうちに、ここに来る…ここに書きにくるのを間をおいてしまった。桜にあてられたのだろうか、すこしだけ発熱したりして、桜をおうのが精一杯で、ここにこれなかったのだ。さらに季節は駆け足ですすんでしまった。おいつくことがようやくできた、と思ったら、もう晩春といった様子だ、桜は満開になった。満開になったのは、東京…具体的には、千代田区とか上野公園とかだろう…では、二十三日。うちのあたりでは二十四日かもしれない。春、絶頂は桜の満開だ。それは山頂の足跡だ。やっとおいついた、そこは、一面の花盛り。あとは散るだけだ。山頂をくだって。けれども、くだると青葉の季節がやってくるだろう。

 毎年、結局、仙川沿いの桜をおもに見にゆく。うちから自転車ですぐのところ。けれどもふだんはあまりゆかない。川がコンクリート護岸されていて、少々下水のにおいがして臭い。それにこのごろはとくにめったに通ることがなくなってしまったところだ。駅にむかう途中といえばそうだったので、その気になれば、通り道になるのだけれど、駅にゆくことがほとんどなくなってしまったから。
 つまり、桜をみにゆく、ということでしか訪れることがなくなった場所だ。これはわたしの好んでつかう比喩だと、非日常の場所になった、ということだ。
 非日常…。両岸に植わった桜。川に映った桜。上面、下面、実と虚(どちらが虚なのか…どちらも虚かもしれないし、どちらも実なのかもしれないのだが)、あわさり、あたりは桜で埋めつくされる。桜ばかりだ。もはや桜をみにくるためにしか訪れない場所だから非日常なのか。いや、ながらく日常的な場所だったし、実際、川岸にあるホームセンターには、いまもたまに買い物にきている。ともかく咲いた桜で、日常が非日常になったのだと感じた。埋めつくさんばかりに咲きつつある桜によって、あたりはまったくの非日常になった。それはあのタンポポやホトケノザ、オオイヌノフグリのもたらす違和とはちがう。彼らは追いつけない足跡だとしても、総じて穏やかだ。日常にさしこまれた違和としての非日常だとしても、陸続きであり、隔たりがない、やさしい。けれども桜はちがう。やさしげでありながらやはり魔なのだ。どこか底におちてしまいたくなるような、違和の岬ができるというか、隔たりがある。同時に坂口安吾、梶井基次郎の魔の花びらが、虚が、実の花に巣くっている。虚実の境がけれどもなくって。花びらだけは続いているのだった。
 圧倒的な旅。場所の変貌。下水のにおいがわたしに日常だとささやきかける。けれどもなんという普段と一変した景色なのだろう。春の最後の足跡たち、おびただしい痕跡だ。おいついた、というよりも、わたしがとらえられてしまったかのような、狂おしく、かつ、しずかな花たちの宴たち。
 桜は一本でも、それが大木であるのなら、そして満開であるのなら、わたしをざわつかせる。桜は一本で、たくさんなのだ、あたりをおおいつくさんばかりになる。どぶのにおいすらかきけすように、川をうめつくす桜のように。
 デジタルカメラをもってあるく。写真におさめる。映すときに裏側の液晶画像(ファインダーなのだろうけれど、どうもファインダーというと、あの小さな穴からのぞいた像のイメージがある)で構図などを確認する。この小さな、六センチ×四・五センチの世界を眺めているうち、そこが非日常への入り口のように思えてきた。その小さな枠をみつめている、そのときまわりが日常世界で、小さな枠が非日常世界で、写真におさめるその瞬間、それらは蜜月ともいうべき、合体をしているのだと感じた。日常と非日常が可能な限り接し合っている、その瞬間にわたしは立ち会っているのだと。その感覚は書物を読んでいるそれであり、あるいはその枠は絵画の額縁のようでもあった。いわば想像世界と日常世界の境目におかれた枠だった。
 あるいは入れ子細工。ふと外をみると、あの桜たちだ。カメラにおさめた映像と、そとでひそかにゆれている桜とは、隔たりがあるだろう。想像世界と日常世界のように? だが桜のあるそこ自体、日常世界ではなく非日常世界ではなかったのか。
 川から離れる。表通りに出るまで、まだ桜並木が続く。表通りにでても片側にはまだ桜が。だから、まだ非日常が続いているようだ。バス停まで。そのバス停を越すと桜が終わる。終わったところが、スーパーだ。わたしはそこにゆくだろう。夕食の材料を買いに。なんなく日常にはいってしまう。旅は今日も終わる。やはりこれらは断絶していない、買い物をしているとそう思う。遠い、ぼんやりとした意識で。買い物をおえて、うちに帰る途中、またすこしだけ、桜がある場所をとおる。もはやおおむね魔ではない。それは一本、二本とかだからではないだろう。一本でもたくさんだからだ。あるいはこういうことか。川のそばにいたときは、桜のかたまりが境目をしめしながらも非日常で日常をほぼ覆ってしまっていたのだが、このときはその力関係が逆転して、日常が非日常にかぶさるようなかたちになっていた…。おだやかな夕暮れちかい午後だった。そのとき、はじめてタンポポやホトケノザたちと桜はしたしいものとなっている。









 二十五日は雨だった。散ってしまうかと思ったが、思いがけず二十六日、まだ満開の様相を呈している。それでも花びらがだいぶあちこちで見受けられたけれど。
 川のほうへまたゆく。あいかわらず、旅がはじまる。まもなく旅は終了してしまうだろう。桜の花びらが川面におちる。川面にわずかな波紋が生じる。そのことにおどろく。あんなにも軽い花びらが…。そしてそれはわたしのなかで比喩になるだろう。日々におちた花びらのもたらす波紋。しわのように、くいこんで。
 まもなく桜のもたらす旅がおわるだろう。けれどもずっと、くいこむ波紋として、さざなみすらたてて、わたしのどこかに魔はたまるのだろう。また花びらが一枚、水をゆらした。








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2013-03-17

梅をつたう流れに身をまかそう (「琳派から日本画へ」、越生梅林)



 そう、外をまわる仕事をするようになって、それまでよりも季節が感じられるようになった、と前回書いた。それまでよりも、季節が前倒しに感じられるようになったというか。わたしのなかで春というのは、ながらく三月のことだった。啓蟄をすぎたあたりだ。だが、そうではなかった。立春すぎぐらいから、春たちは、そこここに顔を出し始めていたのだった。
 そして梅。三月から春がやって来ると、思っていたからだろうか。いや、梅に関しては、どこかで開催されている梅祭りや、梅林などに行かないと、咲いていないように、どうも思っていたらしい。近所のあちこち、庭先や、公園で、見かけるそれらは、梅祭りの折に咲いている梅の開花状況を知るためのバロメーターにすぎなかったのではなかったか、そう思えるようになってきた。
 ということは、この頃、梅に関して、小さな発見があったから。わたしは梅が好きだと思っていた。もちろん好きだけれど、その梅は、長らく梅林で咲いている梅に重点を置いていた。満開の、あたりを覆い尽くさんばかり、寝ころべば、空すらも梅の白さで覆ってしまう、見渡すばかりの満開の清い白濁。





 わたしは梅という祭りが好きだったのだなと思う。それは非日常であり、幻想だから。
 けれども、幻想や非日常としての梅は、そこここにあったのだった。イベントばかりが梅だと思い込んでいて。
 ほかの草花、鳥たちが、日々、わたしに非日常としての美をおしえてくれるように。
 家の近くに、大きな、見事な桜の木があるお寺がある。桜の頃になると、毎年ライトアップもしてくれている。うちのベランダからも、そこだけ、島のように桜色が浮かんで見えるのだった。
 このところ、週に一回は仕事でかならず回る地域がある。そこを行くときに、このお寺の前を通るのだけれど、先日、そこで梅の花が咲いているのを見つけた。桜の陰にかくれるようにして、まるで寄り添うように、ひっそりと、けれどもある意思のようなものをもって咲いているように思えた。あるいは伸びた梅の枝は、桜から生えたそれのようだった。
 うちの近くといっても、桜の頃しか、このお寺の前を通ることがなかったから、今まで気づかなかったのだ。そのことにも驚いた。わたしは梅のなにをみていたのだろう。彼女たちも、そこここで、わたしに幻想をかたりかけてきてくれていたのだ。日々のなかで。
 そのお寺のあるほそい道をまっすぐゆき、道なりなのだが、右に曲がると、また誰かの家の梅の花、そして向かい側では、エリカの桃色の花がやわらかく手招きしているように咲いている。この花は6月ぐらいに咲くのだと思っていたから(そういう品種もある)、突然の出会いに、どこか信じられないような気がして、それがまたうれしかった。曲がってすぐのエリカと梅の歓待に、日差しが加わる。曇り空だとまだ空気がつめたいけれど、晴れると、だんだんと力を取り戻してきた光が、暖かさをぬくもりのように、さしだしてくれるのだった。

 ここまで書いて、数日筆をとらなかった。その間に、信じられないぐらいに春が加速した。日差しが明るいどころではなくまぶしいぐらいになり、気温もほとんど初夏といっていいぐらいまであがる。温かいことがまだ信じられないから、上着はいつもの冬のものを着て外出してしまう。汗ばんで、暑くて、けれどもそれがどうもまだ信じられない…自分の身にふりかかっているのに、なにか人ごとのような違和感があるのだ。温かさに対してまだ準備ができていないからだろうか。温かさというより、暑さに近かったからか。なにかキツネにつままれたようになりながら、外にいた。昨日まで(おとといまで?)つぼみだった沈丁花が、この温かさ(暑さ?)で、いっきに花をひらいたらしい。あちこちで、あのなつかしいような春の匂いをただよわせている。梅は満開どころか、早いところではそろそろ散り始めている。花びらが舞う。



 そしてこの間に、山種美術館「琳派から日本画へ」展(二月九日─三月三十一日)に出掛けてきた。
 ここでも印象的な梅に出会った。まず酒井抱一《月梅図》(絹本・墨画淡彩、前期展示)。墨画のごつごつとした枝に、白梅が幻のように咲き誇る。その背景にうっすらと満月。おさえた色が、ぼうばくとした春の気配をただよわせる。まだ外気はつめたい。満月がてらした梅の白さがほのかに輝いてみえる。これが幻想でなくてなんであろう? 



 ところで梅からすこし離れてしまうけれど、チラシの下の絵にもなった酒井抱一《秋草鶉図》(前期展示)。こちらについては以前ここで書いた気がするけれど、金色の背景のなか、黒い月。デザイン化されたススキの細い弧を描く葉の下に、うずらたち。夜という背景が金色で、そこにかかる月のほうが黒という転倒の斬新さ。そこにあるススキのほそい線の描く円が心地よく、わたしの胸のなかに、筆をそっとぬるようだった。

 そう、わたしは前期展(3月3日迄)にいったのだが、実はこの《秋草鶉図》のためだった。前にも見たことがあるというのに。

 展覧会自体は、こちらの心持のせいか、もしかすると見たことの多い作品の展示だったからか(山種美術館は、わりとよく来ているから)、心ふるえる作品が少なかった。ああ、これ…とふるえる寸前までゆく作品もあるにはあったのだけれど、うちの近く、外をまわっているときの、あの日差しや、花のおとずれを前にしたときのほうが…と心のふるえる、ふるえないを、つい比較してしまう。ああ、日差しをあびたいなあとぼんやり思う。
 けれども速水御舟《紅梅・白梅》(絹本・彩色、一九二九年)があった。二枚の絵が並んでいる。左に天をめざすようにほそくほそく枝をのばした白梅。枝は画面中央、横から突然のびている。つまり地面というか、大地を感じさせない。その白梅ののばす枝の向こうに、細すぎる金色の月がかかっている。そして右の絵は、逆に地面から生えてあることをことさら強調するかのように、画面下から幾分ごつごつとした枝、というか幹をのばし、隣の白梅をうけとめるかのような姿で、あるいは追うかのような姿の紅梅。対としてみると白梅が天をめざしつつ、紅梅に心が残っている、そんなふうにも見れる。これは出光美術館で見た酒井抱一《紅白梅図屏風》にも通じる世界だろう。その意味でもまさに琳派の流れをくんでいるのかもしれないけれど、ともかく白梅が天であるとか幻想であるとか、そうしたものを表し、紅梅は大地であるとか現実であるとか、そうしたものに傾いてみえた。そして背景の薄い茶色の濃淡。これが霧かなにかのようだ。白梅のほうから紅梅のほうへ流れてゆく、あるいは紅梅のほうから白梅のほうへ流れてゆく。わたしごのみの考えを言葉にすれば、現実から幻想へ、幻想から現実へ、相互をつなぐ思いでできた流れのように見えたのだった。
 といっても、会場内で出会ったときは、そんなふうに考えた、あるいは思いを言葉にできたわけではない。もしかすると、今思ったようには感じなかったかもしれない。感じたとしてもそれは萌芽みたいなものだ。会場内では、ただ、魔という言葉が浮かんだだけだった。なんという魔なのだろう…。ひきこまれたい、ひきこまれそうな、釘付けになる魔だった。
 この絵は以前見たことがあるのだったけれど。この絵もふくめて、あと何枚か…それで彼が気にかかるようになったのだけれど、以前見たときは、ここまで共鳴することがなかったように思う。見るたびに、こちらの感じ方は変わるものなのか。多くは二度目というのは、一度目よりも新鮮さがないぶん、感動が薄まるものなのだが。



 …この文章は、ずいぶん時間をかけてしまっている。また日数がたってしまい、さらに春らしくなってきた。その間に、いよいよいつもの、越生梅林にも出かけてきてしまった。昨日のことだ。最初に梅林と書いた、あそこだ。ここについては今回は簡単に。じっくり書こうとすると、またここに取り掛かることができなくなって、時間が空いてしまい、梅の季節が終わってしまうのでは…、そう思うから。
 埼玉県越生市。梅まつり。越辺川沿いに植えられている。白梅がほとんどだが、紅梅、しだれ梅なども。
 越生の梅は、行くまでは魔だと記憶していたけれど、昨日感じた印象では、そうではなかった。あの御舟の《白梅・紅梅》の間を流れる霧のようなもの、あの真ん中にいるような感じではあるのだが、魔のふくむ怖さがほとんど感じられず、明るかった。それがいいとか悪いとかではなく、ただただ明るくやさしかったのだ。
 天気にめぐまれたこと、そして思いがけず満開だったことにもよるだろう。絶好の梅日和だった。汗ばむぐらい、四月下旬ぐらいの気温ではなかったか。ふだん町を歩いていて、現実のなかに小さな幻想を感じている、そう書いたけれど、実際この梅の祭りにきて、それよりももっと、自然に幻想と現実の垣根がとりはらわれていた、そう感じたともいえる。普段は、もっとたがいの領分がはっきりしている。現実に足を置きながら、ああ、幻想だなと思う。けれども、越生梅林の梅たち、おびただしいそれをみて、そのただなかにあると、幻想と現実がちょうどほとんどぴったり重なって、区別ができなくなるのだった。頭にちかすぎるほどの梅が川沿いに、そして、個人の梅農家でそだてている梅があちこちで、白いはかなさを満開に、かたまりとして、広げている、その春の絶対的な一日に、こうしてあることが、親しげな恩寵として、感じられていたのかもしれない。ただ安らかで穏やかだった。
 梅をみて、そして梅干しを買う。幻想と現実がこんなところでも通じているのだなと思いながら。
 その越生梅林にいった、十六日、東京では桜が開花した。あたりはすっかり春だ。



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2013-03-05

光たちが幻想と現実のかさなりに。そこで懐かしい彼らと。(「奇跡のクラーク・コレクション展」)









 三菱一号館美術館の「奇跡のクラーク・コレクション展」(二〇一三年二月九日─五月二十六日)に行ってきた。
 展覧会案内サイトなど、あちこちから、えた情報を元に紹介すると…(ひとつのサイトからで、ちょうどいい紹介文がなかったのだ)。
 「日本では地理的に離れていることもあり(ボストンから車で三時間)、あまりなじみがなかったが、世界的に有名な印象派を中心としたコレクションを所蔵するクラーク美術館。その建物の増改築に伴って、二〇一一年から世界巡回展が開催されており、この二月に日本に初上陸することになったもの。
 クラーク美術館は、アメリカ・マサチューセッツ州ウィリアムズタウンで一九五五年に開館。アメリカの富豪クラーク夫妻が一九一〇年から一九五〇年に収集した作品を所蔵。コレクションはイタリア・ルネサンス作品から、近現代のヨーロッパ絵画、彫刻、写真、陶器や銀器と多岐にわたっている。中でも、ピサロ、シスレー、モネなどの印象派絵画の質が高く、ルノワールは三十点以上も所蔵。印象派の一大コレクションとして知られている。
 今展覧会では、印象派の画家たちの作品、中でもチラシなどを飾る《劇場の桟敷席(音楽会にて)》などの人物モチーフから風景画、静物画まで幅広く網羅したルノワールの油彩画二十二点、そしてコローやミレーなどの印象派以前の画家の作品、ロートレックやボナールなどの印象派以降の作品なども含め、全七十三点の出品。そのうち五十九点が日本初公開という、貴重な展覧会。
 奇跡の…とあるのは、これまで貸し出しをしておらず、クラーク美術館でしか見ることができない作品が、増改築を機会に、日本に初上陸したこと、クラーク夫妻の審美眼の確かさ、このことを指すらしい。」
 (ところで、こうした文章を組み立てるの、結構疲れてしまう…。創作と言葉のつかいかたがちがうから。制約のようなものがたくさんあるような気がしてしまう。創作だって、そうしたものはあるだろうけれど…)

 チラシはA4二つ折で、中にコレクションから9点の紹介がある。ルノワール、ミレー、ピサロ、モネ、ボナール…。けれども、この中には特に印象に残る作品がなかったので、期待の半分はそげてしまった。あとの半分は、やはり日本初上陸作品が五十九点もあるということに寄せられた。この機会を逃したら、おそらくもう観ることはできないだろう…。というわけで出かけることにしたのだった。

 出かけたのは土曜日、午後。いちばん混む日の、いちばん混む時間帯だったが、思ったほど大混雑はしていない。観る分には、ちょうどいい混み具合だったけれど、展覧会の質の高さからいうと、もっと混んでもいいと思った…というのは、後での感想だけど。
 そう、けっこう印象が良かったのだ。この頃にしてはめずらしく、図録も買ってしまったし(以前より金欠気味だし、置く場所もなくなりつつあるので、めったに買わないのだ)。

 展覧会は大体が年代順に分かれていた。以下、展覧会の紹介のような文章を書くことはしないで、自分が気に入った作品についてだけ書いてゆく。それ以外にも、確かに貴重な、観たことのない、作品ばかりで、目に優しかったのだけれど(ギュスターヴ・カイユボット、アルフレッド・シスレー、コンスタン・トロワイヨンなど)、不親切なようでもうしわけないが、気力がない。
 ほかの作品について知りたい方がいたら、展覧会HPなどを参照、そして五月二十六日までだったら、ぜひ会場へ足を運んでください。

 はいってすぐは、幻想をまじえているのだろうに─それはわたしに特別な意味をもっているはずだ─印象派以前の作品として展示されていたカミーユ・コローやミレー。かれらの風景はどうも苦手だ。幻想というのは、戸外で制作したのではなく、アトリエである程度、風景に画家が脚色…というのだろうか、想像を交えて描いたことを指す。それがどうも、しっくりこない。風景が生き生きとしていないような気がする。かといって想像がはばたいているわけでもない。中途半端な気がするのだ。あるいは固定観念のようなものが見え隠れしているように思えるからか。
 きついことを書いてしまったが、それほど印象はわるくない。ただちらっと見て行きすぎたまでのことだ。

 つぎに、モネの若描きがあった(《海景、嵐》一八六六─六七年頃、など)。暗い色調だ。こちらもあまり、モネのなかでは好きではない。彼には光がよく似あう。
 とつぜん、チューリップ畑がとびこんできた。モネの《レイデン付近、サッセンハイムのチューリップ畑》(一八八六年)だ。
 小川を手前に、ピンク、黄色、クリーム、赤、そして緑のじゅうたんのような、いちめんの。チューリップのかたちがみえるわけではない。けれども、なぜか題名をみなくとも、それがチューリップ畑だとわかるのだ。畑をすこし離れたところからみた景色なのだと。小川に岸辺のチューリップの色が映っている。むこうに、真ん中に、丘のような家がぽつんと。あとは晴れた空だ。雲まで、チューリップの色を映しているようにやわらかい。
 この絵は通路だかを通って入った部屋のいちばんはじめに展示されていた。しばらく、モネやルノワールの絵画が続く。ともかく一番目に観たので、特に印象が強かったのかもしれない。ああ、やっぱりモネは好きだなと思う。光が喜びにみちているようだ。それはあかるさだけでなくぬくもりすら、現前にさしだしてくれる、てざわりだった。チューリップのつげる春が、今の、実際の春を待ち望む気持ちに、ぴったりした、ということもあるかもしれないけれど。



 春といえば、やはりモネの《ジヴェルニーの春》(一八九〇年)。画面中央、三分の二が、春の光をおびた木々。画面上が空、残りの画面下が小さな花たちが開いているのかもしれない、やはり光をあびているであろう原っぱが、点描で描かれている。ちなみにジヴェルニーは、モネが一八九三年に移り住んだ、そして生涯そこで暮らした場所だ。
 木々はまるで花でもつけているかのように、薄い桃色で葉が描かれている。茫漠と、ゆらめいてみえる。全体的に、茫漠としている。それは、けれども、春の光そのものだった。それは冷たさの中に明るい日差しをもった、春のすべてが宿っているようだった。鳥の声すらきこえそうだ。日差しにつつまれるような、そんな明るさに、包まれてあることが贈り物のようにここちよい。



 そして光といえば同じくモネの《小川のガチョウ》(一八七四年)。こちらは秋だ。秋の茶色い、黄色い、黄葉の木々にかこまれた、路のような小川。その向こうに白い家、小川の中央に、こちらをむいた、こちらにむかってくるガチョウたち。今度は光によるのではなく、黄葉した葉、そして川面にうつる葉により、世界が黄金色になっている。枯れた明るさが世界をつつんで、ただよっている。そこを川面をわずかにみだしながら、やってくるガチョウ、その白さがみだれた川面にまた映り、それすら明るさをおびたものとして、照ってみえる…。秋の弱い日差しが、落ちる前の葉たちの最後の祭り、にぎやかな黄金色の色彩のために、明るさを増してみえる、その刹那をうごかすガチョウだった。そして個人的にわたしはガチョウやアヒルが好きなのだ、だから、ことさらこの絵にひかれた。光と、ガチョウと。



 こちらのクラーク・コレクションは、ルノワールが多いとあったが、今回の展示作品も確かに群をぬいている。風景画のほう、モネやシスレーなどと一緒に、何点か彼の絵がある。あとは静物画のコーナー、人物画のコーナーといった具合に、わかれて展示してあるが、その風景画、《シャトゥーの橋》(一八七五年頃)。画面右側に橋がかかり、画面下半分が河、対岸に白っぽい建物がひしめく街、ぼんやりとした空。こちらも川面に光が感じられるが、なんというかその色が陶器的なのだ。ルノワールが陶器絵付けを学んでいたことによるのだろうか。モネのそれがざらざらとした質感だとすれば、ルノワールはなめらかだ。なめらかな光にみちた川面が、新鮮かつやさしかった。あざやかな青い水がまぶしく、目にとびこんできて、それがわたしをゆらすようで。ルノワールはほかにも静物画などで興をもった作品があったが、割愛する。



 カミーユ・ピサロ《道、雨の効果》(一八七〇年)は全体的にくすんだ、といえるぐらいに曇り空、いや、雨雲におおわれている。中央に雨にぬれた道、そして道の両側に湿った風な草、ぬれた壁と家、街路。道にはまばらな人、そして犬が一匹。犬やみちゆく人の足元がうっすらと道に映り、雨を川のようにもみせている。道の川だ。そして全体的に暗いのだけれど(だって雨だもの)、雨にぬれた道路が、白くひかってみえる。そのひかりがどこか心にしみるのだった。雨ですら、やはり光はあるのだ。そんなぬくもりににた何かが、絵からつたわるようで。



 ピサロには、後年の作品で《エラニー、サン=シャルル》(一八九一年)も心ひかれた。真ん中に三本の木。そして根元ちかくに茂み、影ののびた丘、とおくの木々、そして木のてっぺんの空に傾きかけた太陽。これらが点描で描かれているが、ともかく明るい。ほんのすこしだけ空は夕方の気配として、薄桃色がのっている。そして木々の長い影が、夕方近いとつげている。太陽は、けれどもまだまぶしい。ちょうど、つい太陽をみてしまったときのように、白くまばゆく、目がくらみそうになる。先の雨の風景とは対照的な光だ。はじまりつつある夕日のまばゆさ、その世界につれてゆかれそうになる。わたしはスーラなどの点描はあまり好きではないのだけれど、こちらは点描点描していないので敷居がひくい。あとで図録でみたら、ピサロは一時、その点描点描した技法で描いていたが、その技法に疑問をもった後で描かれた絵なのだとあった。



 それにしても、この頃のわたしは、どうして光に反応するのだろう。それはたぶん季節のせいだ。冬の間、あたりは光が少なかったが、二月になってからだろうか。徐々に光が感じられるようになってきた。わたしはどんなにか光をもとめてきたのだろう。
 外をまわる仕事をしていると、それでも季節が以前よりも感じられるようになってきたなと思う。
 冬が苦手だ。そして春が一番好きな季節だ。今までは咲いた花で、そしておもに三月になってから、春を実感していたのだけれど、今年は二月からもう、春をあちこちで感じていた。四十雀が空の高いところで鳴いている。すこしずつ明るさをまし、梅や木瓜のつぼみをちらちらと輝かせる日差し。二月から咲いているホトケノザ、オオイヌノフグリ。あたりは光にみちてきた。
 クラーク・コレクション展に出かけたのは、そんな光が感じられつつある二月下旬だった。わたしのいる世界と、絵画の世界の、そんな光たちが、反応しあい、共鳴のように明るさがゆれて感じられたのだろうか。絵のなかの光たちが、わたしに待ち遠しい春の光を、道道で感じる春を思い出させてくれていた。それもまた、彼らと接するということなのだろうか。
 仕事中に、緑の愕をもつ、梅の木をみつけた。どこでだったろう。花びらは白いのだが、愕のせいで全体的にうっすらと緑の花をつけているようで。それが日差しをあびて、薄緑に輝いていた。まるで葉と花、同時にさかせたような色彩だ。たとえばその鮮やかさが、ピサロの《エラニー、サン=シャルル》であり、モネの《ジヴェルニーの春》だった。景色たちがわたしのなかでかさなりあい、多重な明るさをつくりあげる。それは幻想と現実のまざりあった、大切な明るさだ。ぬくもって。そこでだけ、彼らと出合える場所として。
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