Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2013-04-25

“かわいい”があちらとこちらを渡す 「かわいい江戸絵画展」 その2

(4月16日掲載、「かわいい江戸絵画展」(平成二五年三月九日─五月六日、府中市美術館)続き)



 第三章にうつる。ここは「かわいい形」。さらにやはり区分けされてゆく。「幾何学的な形」、同じ形をくりかえす(「造形が楽しげなリズムを作り出し、「かわいらしさ」を生んでいる」)、「子供の体型」、これはベビースキーマというらしい。ともかく頭が大きく、手足全体を短く描くとかわいくなるのだとか。さらに中国の南画の影響。南画は、「簡略、素朴な表現をもつ味わいを良しとするものである。(中略)あえてつたなく描いたものの中に、精神の高みや深い味わいを感じ取ってきた。日本でもその感性は育まれ、」…。この素朴さと関連しているのだろう、ここでは大津絵も多く出品されている。大津絵とは「東海道の大津で売られた絵であり、仏教の尊像をはじめ、人生訓を表す図、護符の効能のある図など、庶民の生活から生まれたもの」。鬼が念仏をとなえたり(偽善を戒めたもの)、猫と鼠が一緒にお酒を飲んだり(酒に飲まれるなという教訓)、決まった画題がある。大津絵、さらにこれをアレンジした作品の出品など。ちなみに大津絵の精神もまた仙僂膨未犬襪發里あるのではないだろうか。わかりやすい絵、したしみやすい絵のもつ、間口のひろさ、といったところが。
 といったところで、仙僂痢△泙襪ぁ△佞鵑砲磴蠅箸靴新繊△劼腓Δ燭鵑落花生のような身体の布袋を描いた《あくび布袋図》。これは「子供の体型」のコーナーにあった。上部分が顔であくびをしている。絵の賛には、釈迦が入滅してのち衆生を救う弥勒が出てくる五十六億七千万年あるのだが、その釈迦の出現を待ちくたびれた様子だと書かれている。ここまで書くとベケットの『ゴドーを待ちながら』のような雰囲気もあるように思えるが、待ちくたびれて大あくびをしている、落花生のような身体からのばしたまるみをおびた短い手足。のどちんこまでみえるおおきなまるい口に、やはり、つい頬がゆるんでしまう。いっしょにあくびをして、伸びでもしたくなるような、すがすがしい、やさしさをもらう。これが「かわいい」なのだろうか。そこからはみでるものはなんなのだろう? はみだしてくるものたちが、とてもおだやかで、ぬくもりだった。あえて幼年にひきよせてしまうと、それは保護されている、それゆえの自由さだ…。

 「かわいい形」の章には、「つたなさの魅惑」もあった。つたない、というより単純化された絵のもつ魅力といえばいいだろうか。そこには緻密な作業もあるだろう。たとえばクレーの絵。
 中村芳中《蝦蟇鉄拐図》。手前に三本脚の蝦蟇を操る蝦蟇仙人と、後ろに口から分身を出す鉄拐仙人。蝦蟇仙人はやさしく、一本足で立つ蝦蟇と会話するようである。蝦蟇もまた、おおきいアマガエルのようなかわいらしさで、懸命に仙人の話を聞いている風、両者の意思の疎通、友情のようなそれがしのばれる。鉄拐仙人は、うしろで、のけぞって、まるで風神のように息をふきだしている。
 作者の中村芳中(?─一八一九年)は「大阪で活躍した琳派の流れを汲む画家」とある。たぶんどこかで(おそらく琳派展か何かで)何回かみているはずの画家だ。
 やはりやさしさ、そしておかしみが混在していて、観るものにぬくもりのようなものをあたえてくれる。たとえばこうしたこちらの心の動き、それをもたらしてくれることが、「かわいい」のではなかったか。




 ここでは呉春《丹後鰤図》にも、つい観ていて頬をゆるめてしまった。板に乗った鰤をもつ男性が、うれしそうにほほえんでいる。その顔がとてもきもちよい。「うぐひすの使いは来たか丹後鰤」と、高井几董の句が上にある。うぐいすも鰤も春をつげるものだという。花より団子というか、ともかく鰤をもっていることがうれしくってたまらないらしい、その表情こそが、春らしい、といえるのかもしれない。



 第四章は、「花開く「かわいい江戸絵画」」。今までみてきた章の集大成といったところだ。ここで区分けされた最初は「虎の悩ましさ」。虎を実際に見る機会が殆どなかった日本で、輸入された絵や、毛皮や骨で姿を描いた画家たち。「「本物のように描く」ことにも興味が注がれるようになった江戸時代、画家たちの悩みは、いかばかりであったろうか。」ここではかわいい虎、本物よりも恐ろしい虎、さまざまな虎が紹介されている。実物を見ていないことで、何か、想像に似たものが羽ばたいている、といった感じだろうか。

 後期展での菊田伊洲《虎図》は、多分七頭の虎が密集して描かれている。多分と書いたのは、頭は七つなのだけれどまるで頭から胴体がふたつあるようにもみえるほどくっついて、つながってみえる、虎の迷路というか、だまし絵のようだから。その胴体の中には豹柄もまじっている。当時、豹は虎の雌だと勘違いされていたことからくるらしい。虎の表情も微妙だ。半月型の目玉が、にらむようだけれど、やはりどこかユーモラスだ。輸入された絵の虎も、恐ろしい顔に描かれていたり、「四睡図」のように穏やかに眠っていたりと、さまざまで、本物の虎というのはどういうものなのか、見当がつかない…。そんな悩ましさの体現ともとれる、けれども、不思議な、そしてひきつけられる絵だった。謎を謎のまま、けれども突き詰めようとして描く、真摯な視線、ゆえの謎めいた虎たち。



 円山応挙(一七三三─一七九五)は毛皮を写生している。《虎皮写生図》として前期展に出品されていた。写生の時期は明らかではないけれど、一七六四〜八一年、応挙が自身のスタイルを確立した時期であるらしい。毛並みの質感などから、この写生図の後に描かれたであろうと推測される《猛虎図》も前期展にあった。波寄せる岩に、前脚をぴんと伸ばし、地面に突っ張らせ、背中を丸めた虎がわずかに上をむいている。長い尻尾が前脚ちかくまでのびている。つんとすましたような表情なのだが、どこか猛々しさに隙間風がふいている、といったらいいか。その隙間から、やさしい表情がたちあらわれている…。これも輸入された絵、獰猛な虎と、「豊干禅師」や「四睡図」などに描かれた眠る虎の二つの面を眺め、また毛皮を写生するなど、幾重にも謎めいた虎、それらに触れようとした、実際に触れているからこその描き方なのだろう。猛々しさと穏やかさ。これが彼のリアリティなのだ。



 実はこの後、四章内で、「国芳の猫、応挙の犬」となり、猫や犬の絵に移り、最後に「かわいい名画選」となるのだが、ひとまず猫と犬をとばして、「かわいい名画選」にゆく。ここに円山応挙の《豊干禅師図》(後期展)があるからだ。こちらは豊干禅師が眠る虎にもたれかかり眠っている姿。先ほど少しふれたが、「豊干禅師図」は「四睡図」とともに禅の境地を表すものとして尊ばれた画題らしい。けれどもこの虎…おおきな猫だ。毛並みこそ、毛皮を写生して描いたこともある応挙なだけに、リアルだが、前脚も顔も、丸みをおび、身をゆだねたように安心しきった表情で眠っている。猛々しさが隙間風どころか、もはや全く飛ばされてしまっている。わたしが後世の人間だからかもしれないが、禅の境地を体現している禅師よりも、すやすやと眠る虎にばかり目がいってしまう。いっしょに眠りたくなる、やすらかな、いとしい虎だ。



 応挙の弟子だった長沢蘆雪(一七五四─一七九九)も《豊干禅師図》を描いている。こちらは前期展だ。眠る虎の上にのっかるように座っている禅師。こちらの虎は応挙のそれよりも顔がシャープなのだけれど、やはり安心しきったような柔らかな表情がどこかほほえましい。豊干禅師の足に虎の尻尾が巻きついているのも、まるで猫がのどをならしながら寝ているような、信頼と安心がこめられているようだ。対する禅師は、起きて、画面左側に、思慮深げな、穏やかな目をむけている。
 長沢蘆雪は、《四睡図》も描いている。後期展では「かわいい名画選」に一枚、そして前期展では、展覧会場としてはまた、手前に戻ってしまうけれど、「虎の悩ましさ」にそれがあった。前期展のほうを見てみよう。豊干禅師が弟子の寒山、拾得の上に肘をついて眠る。その禅師の背に頭、片方の頬をもたせかけて虎が眠っている。目をとじ、口をわずかにあけた虎の、愛らしさ。乱暴なことを思った。こんなふうに、みんなが身体をゆだね、信頼しきって眠ることが、悟りの境地なのではなかったか…。あるいは眠りこそが幻想の究極の瞬間なのでは、と。そしてそれこそ幼年の扉なのでは…。ここに描かれた弟子たちはまだ幼子だったからよけい、そう思ったのだけれど。ちなみに後期展に出品されているほうの《四睡図》は、長々と寝ている虎が長いクッションかなにかのようで、そこで眠る三人にはもうすこし距離感がある。こちらもひかれたけれど、特に前期展のほうの《四睡図》に、より興をおぼえたのは(ここでの決まりにしたがえば、より「かわいい」と思ったのは)、おそらく、四つの眠りが、くっついて、かたまってみえることによるのかもしれない。そこには、こういってよければ、だれが師で、だれが弟子であるか、そうした区別もないように思える。それほど均衡のとれた眠り、対等の瞬間であるのだった。



 そして、あちらこちらにとんでしまって恐縮だが、また「花開く「かわいい江戸絵画」」内、「かわいい名画選」へ。虎がどうもあちらこちらで、眠っていたり、顔をみせているので、つい…。
 仙儺想陝埣欷弯沺奸柄梓展)。チラシにあった絵だが、竹の根元に、虎が下にした頭をこすりつけている。ながい尻尾、お尻付近を上にし、胴体をよじらせ、喉と腹をこちらにみせる。猫が柱や足に身体をこすりつける動作だ。けれど虎の目はひたむきさに満ちている。右上に「虎嘯風生」と書かれている。虎が吠えれば風が生じる…、この虎だ。どんな風なのだろうか。やわらかな、あたたかな微風としか思えないのだけれど。やはり顔がにんまりしてしまう。家にいた猫を思い出す。あまりにこにこしていてばかりいてはいけないのかもしれないけれど、なつかしいようなやさしさをもらう。



 展覧会の順番的には、同じコーナーにあるのだけれど、今度は後期展に。そして虎から猫へ、とんでみる。作者はおなじく仙儺想陝◆塲に紙袋図》。両手をあげてよろこぶ丸裸の子供(極端に単純化されている。たとえば、まるを二つ描いて顔の輪郭、そして開いた口、さらに目は、点をちょんと二つ描いただけで、顔部分ができあがっている)、一見して胴体とすらわからない虎模様のものの頭が四角い。つまり猫が紙袋を頭にかぶせられているのを、子供が喜んでいる図だ。いたずらしたのか、それとも猫が自分からはいったのか…。「猫に紙袋」というのは、後退することを意味することわざなのだとか。そして画面に「見んか見んか」の文字が。解説によると、子供が猫に発した言葉だけれど、禅画としての意味は難解だとある。



 そう、本当はもっと意味をもとめなければならないのかもしれない。それに猫に対して少々酷なような気もする。けれども、やはり慈しみのようなものを感じてしまうのはなぜだろうか。ああ、うちの猫も、袋にはいるのが好きだったなと思い出す。みずから袋をかぶって、あせっていたこともあったな…(わたしがかぶせたわけではないが、どうもそのことに少しの罪悪感のようなものを感じるのは、しばらく、そのままみていたことによるのだろう…)。わたしの個人的な猫の感想は、おもに過去の体験、思い出による。それは思い出であることによって、日々から離れている、残念ながら。絵画もまた日々から離れている。けれども両者が、絵をみて、わたしが猫を想起する、そのことで、つまり、わたしのなかで出会うことによって、日々とつながっていることを示してくれるのではなかったか。つまり芸術と日々の話だ。日常と幻想の話だ。この橋渡しをしてくれるのが、たとえば「かわいい」という心のふるえではなかったのか、などとも展覧会にかこつけて思ってみる。幼年がもはや、とおい記憶である…けれども、それはわたしのなかにいまでもありつづけるものでもある、そんなことをも重ね合わせて。
 仙儺想陲粒┐ら離れてしまっただろうか。ああ、そうか、彼の描くそれは、子供の描くそれのようであるから、つい…ともいいわけがましく、離れたなかに発見する。「かわいい」は「うつくしい」とかわらないのだと。それは、そのひとことだけで、心のふるえをあらわしてはいけないことばでもある。この展覧会の「かわいい」が、たくさんのなにかたちを表していたように。「かわいい」は、けれどもおおむねやさしい。ぬくもりであるとか、いとしさであるとか、そのことで境界をひきよせてくれる、やわらかい糸のようだったと思う。あるいはひだまり。けれどもそれはいつも、とおい場所であたたかいのだ。

 ここで筆をおいたほうがいいのかもしれない、けれども第四章「花開く「かわいい江戸絵画」」で、飛ばしてしまった「応挙の子犬 国芳の猫」から、一点だけ紹介してみたい。
 チラシなどになっている円山応挙の犬の絵(《狗児図》)も触れたかったが、ここではあえて「かわいい」から離れて…つまり、《狗児図》や仙儺想陲粒┐砲蓮△おむねわたしのなかで「かわいい」という語句が、まざりこむ、たちあらわれてくるのだけれど、この展覧会のなかで、どちらかというと、「かわいい」の範疇からぬけでたもの。
 司馬江漢(一七四七─一八一八)。西洋画に傾倒し、日本初の腐蝕銅版画の制作に従事した人物。遠近法の研究もしており、北斎が彼の絵をまねて遠近法を学んだこともあった。何度かみているし、この府中市美術館でもちょうど常設展のほうで小特集を組んでいたが、ともかく《犬に木蓮図》。これは赤紫の花を咲かせる木蓮の木の下で、地面に伏せる犬が描かれている。犬は花をもとめてやってきた虫を眺めているのだけれど、それがまるで花をながめているよう、そしてわずかにあけた口がわらっているかのようだ。
 犬や猫が花や虫を見上げる図は、中国、特に朝鮮で多く描かれているそうだ。この図もそうした流れからきたものらしい。同じ流れを汲むものとして、会場には、司馬江漢がやはり描いた《猫と蝶図》もあった。
 《犬に木蓮図》・木蓮だけが鮮やかな色彩、あとの犬も、犬が伏せる地面(丘のようだ)も、そして虫も、茶色のめだつ抑え気味の色調。背景はなし。だからだろうか、犬が木蓮を夢見るようにみているのだ、そこにだけともった、赤紫の明かりのよう、ついそう思ってしまう。犬のほほえむような顔にも。この絵にわたしがひかれたのは、おそらく自身がこんなふうに植物をながめているであろう、いや、こんなふうな表情で花を眺めたいとおもっているからだろう。この表情は、夢ではなく、幻想を現実にみている。起きたまま幻想を眺めている表情だから。
 わたしはこの絵を「かわいい」とは思わなかった。それは英一蝶《柳牛牧童図》に感じた、さびしさにも通じるものだ。



 この頃、すっかり植物たちが新緑にかわっている。だがどこか遠い。そばを歩いているのに、眼前にあるのに、わたしから離れているようなのだ。感動がうすれているというか、あるいはそんなことからくる寂しさなのか。まるで感動が、幼年だと思っているようだ、感動することで、世界がかわる、近くなる。またぞろ、日常たちがわたしのなかで大きさをまして、その重たさに少々つかれているからかもしれない。かわいさはやはり、それでも心のざわめきなのだろう。遠さからなにかが一瞬ちかづいてくる。けれどまたどこかにいってしまう。かわいさにも、だから、きっとさびしさが混じっている。けれども去ってしまうからこそ、ゆれるのだ。世界が近づくのだ。桜はすっかり、桜の木になっている。緑がやさしく、強いなと思う。来年もまた、だからこそ魔をみせてくれるのだ。

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2013-04-16

“かわいい”からこぼれおちるものたち 「かわいい江戸絵画展」 その1

 府中市美術館で開催されている「かわいい江戸絵画展」(平成二五年三月九日─五月六日)に行ってきた。四月七日までが前期展で、四月九日からが後期展。全作品が展示替えされる。六日と十二日で、前期・後期、それぞれ出かけた。
 きっかけは、たぶん「奇跡のクラーク・コレクション展」(三菱一号館美術館)だったかで見つけてきたチラシだ。
 長沢蘆雪や円山応挙の《豊干禅師》で、禅師と眠った虎がよりそいあっている姿、その虎のやすらかな顔、仙儺想陲痢垳徨読生図》の、竹に猫がじゃれるように頭をこすりつけている虎のひたむきで愛らしい姿、好きな若冲も展示があるらしい、第一チラシの表紙をかざる円山応挙の《狗子図》のそれぞれ白、茶色、こげ茶と毛色の違う、三匹の犬のまんまるとした、わらうような表情のやさしさ…。若冲以外は、これまであまり触れることがなかった画家だけれど、三つ折りでA4になっている、裏表六面のチラシに紹介されている十三点の絵が、まずやさしい誘いとして、心に響いた。出会いがあるだろう。「かわいい」はそして、たぶん幼年につうじるだろうと思った、わたしがたぶん探求しなければならない幼年に。

 チラシや、HPなどから、まず展覧会概要を、略しながら。
 
「 日本絵画史上、「かわいらしさ」が作品の重要なポイントとして打ち出されるようになったのは、およそ江戸時代のことではないでしょうか。(略)かわいらしい題材を描いたものだけではなく、たとえば、文人画の山水や人物にも、見る者の心を和やかにしてくれるものがあります。はかないもの、頼りないものへの共感や愛惜が、あえて素朴に描かれた線や形そのものに対して湧き上がるのかもしれません。
 はかないものや可憐なものに寄せる思いや慈しむ気持ち、あるいはユーモラスに感じることなど、私たちが「かわいい」という言葉で表すことのできる感情は、実にさまざまです。江戸時代の人々は、そんな豊かな心の動きを絵に表し、絵を通じて楽しみました。
 また、「かわいい絵」が盛んに楽しまれた背景の一つには、かわいいものを「それらしく」表現する方法が確立されたことがあるでしょう。幼い子供や子犬は、時代を問わず「かわいいもの」だったはずですが、古代や中世の絵に、私たちの目から見て、かわいらしいと思えるようなものは、あまり見当たりません。つまり、「かわいいもの」と「絵としての表現」は別だと考えればよさそうです。(中略)ただカメラで撮影するように対象を写しただけで、かわいいと感じる絵ができ上がるでしょうか。彼らは、かわいいものを「かわいい形」として描く術を模索し、確立したのだと言えるでしょう。
 かえりみれば、造形が立派かどうか、精神の高邁さといった観点から語られてきた美術の歴史の上で、「かわいい」という言葉が使われることは殆どなかったように見受けられます。このたびの展覧会では、近年ちまたで注目を浴びているこの言葉をあえてキーワードとして、これまで見落とされてきた江戸絵画の魅力の根幹に迫ります。」





 前期展は、バスと電車、そしてまたバスを乗り継いでいった。家からそれほど離れていないところに美術館はあるのだけれど、すこし交通の便がわるい…片道二時間以上かかった。つめたい雨がふっていたことと、バスだと車酔いするので、読書ができないので、よけいに時間がながく感じられた。けれども、美術館は都立府中の森公園の中にある。日本庭園をとおり、桜並木をくぐりぬけ…(桜はあらかた散ってしまっている、もうほとんど桜の木だ、先週ならば桜たちが見ごたえあったろう…この並木の感じは、わたしがかつて住んでいた場所の近くの公園、光が丘公園のそれに似ているな…)、ああ、やっと着いた。ともかく往復四時間半。で、展覧会自体はとてもよかったのだけれど、前期展では少々疲れてしまった。ひとつには家から近いはずなのに…という頭があったからだろう。家に帰ってきて、パソコンでルートをしらべると、家から美術館まで、十三キロ、徒歩で二時間四〇分と出た。電車とバスを使うのと徒歩ともはやあまり変わらないのも妙でほほえましい、といった意味でおかしい。自転車をつかえば一時間ぐらいだろう。おまけに途中まで、最初の四キロぐらいは、買い物などで使う、知っている道だ。そこを一回まがって国道にでれば、ほとんど一直線。ゴール近くで、前期展でみかけた「府中市美術館へ」の案内標識が出てくる。方向音痴のわたしだが、道順は簡単そうだ。というわけで後期展は自転車で出かけた。国道は、車の助手席に座って、何度か通ったことあるところだけれど、運転手まかせで、まわりの景色もとくに気にとめたことがなかったから、なかば未知の場所だ。それでも、たまに見覚えのある、行ったことのある店などに出くわす。第一、府中市美術館自体、以前車で訪れたことがあるところだ。なにか既知と未知の間を、自転車ではしっている、そんな中途半端さがここちよくもあった。そして後期展にいった金曜日、十二日は早朝は仕事だったし、翌日の土曜の早朝も仕事だ。仕事と仕事にはさまれた、休日ではない、けれども休日めいた、あいまいな時間…。この中途半端さが、やはりここちよくもあった。
 後期展にでかけた金曜日はおおむね晴れ。前期展は雨で、寒かったせいか、あまりまわりの景色などをみつめる気にならなかったせいもあるのだろうけれど、後期展に出かけたその日、あたりはあちこちで、もはや新緑がやさしい色をかもしていた。緑たち。基本国道を走るので、しょうしょう排気ガスが気になったけれど。梅もすっかり木になっていた。葉をつけて。藤もだいぶ花をさかせている。そして府中の森公園、ようやく。桜並木もすっかり、いや、ほぼ完全に桜の木になっていた。新緑が生き始めたような色でやさしい。日本庭園や噴水の水の音。
 
 二回行っているのは、前期展で、響くことが多々あったから。それは予兆のようだった。なんの予兆だか、書いている今もわからない、けれども、さて、展覧会。これを書いている今日、前期と後期行ってしまった後なので、展覧会の感想も、前期と後期で分けるのではなく、基本的にはもはや前期と後期、あわせたものにしてしまおうと思う。

 ところで「かわいい」とは何だろう。展覧会図録には、元になったのは「古代や中世で使われていた「かはゆし」」で、「顔映ゆし」、“恥ずかしい”“気の毒”(かわいそう)を含む言葉になっていったとある。そして江戸時代になり、“いとおしい”「つまり私たちが最も普通に思う使い方」になったという。
 「(「かわいい」という)言葉の根底には、何かをあわれむ気持ちや「守ってあげたい」といった心の動きがあるように感じられる。(略)一方心理学の分野でも、人間や動物の「子供」に対する心の動きに由来するのでは、」との分析があり、「保護したい、面倒をみたいといった衝動が「かわいい」という感情につながると考えられている」とある。これらを頭のすみにとどめながら、ときにひきだし、順をおってゆきたい。

 第一章は「幕開け」として、江戸時代前半期、十七世紀から十八世紀前半にかけてのもの展示。このころ、「絵が特定の権力や宗教のみに属するものではなくなり」、また「中国絵画や西洋絵画の新しい手法に刺激され、(中略)新しい画法が追求され」ている。絵を描くこと、みる目にあった枠がとれたことで、テーマということが考えられ始めている、その時に「かわいい」ものも生まれつつあったのだ。あるいはかわいさをみつめる目と、技法がちょうどかさなりあったのだった。
 
 ここでは後期展示の《伊年印 虎図》をあげたい。まるみをおびた片足を前に出し、もう片方の足を頬にそえているようにみえる。まんまるの顔にまるい鼻。半月状の目に、への字の口がむすっとしてみえるのだが、全体的に丸みをおびたためか、こわさというものがまったく欠落してしまい、愛らしいとしかおもえない。あとでも虎を描いたものがたくさん出てくるので、くわしくはその時にふれたいが、この虎はそのなかでも、ずばぬけて愛嬌がある。作者はわからないらしい。「伊年」の印から、俵屋宗達やその周辺の画家の作品とのこと。



 ほか後期展示の狩野探信の《猿鶴図》、これは猿を描いた作品と鶴を描いた作品、対の掛け軸なのだけれど、特に猿。水に映った月をとろうとしておぼれてしまうという故事を主題にしたもので、たくさん(百匹だそうだ)のテナガザルたちが、木の枝からつらなってぶら下がり、体をよせあい、ささえながら、水にうつった月をとろうとしている。これはかわいいというより、猿のしなやかな姿、そして水に映った月、滝の流れ、滝による波の発生、遠くの山々、それらのもたらす均衡、緊張にひかれた。
 かわいい…ではない、で思い出したが前期での長谷川等彝《洋犬図押絵貼図屏風》は、オランダなどから輸入され、珍重されていた洋犬を描いたもの。南蛮屏風か朝鮮画、どちらかの流れをくむものらしい。二対になっていて、一枚のほうが子犬に乳をやる母犬が描かれているが、母犬は肋骨がくっきりとみえて、栄養失調であるかのようで、いたましくさえ感じられる。対して子犬のほうは丸みをおびてはいるが、やはりかわいい…とは思えない。といってかわいくないとかでもなく、そうした範疇の話ではないような気がするのだ。これもかわいいの黎明期といえばそうなのだろうけれど、絵は、みる者に対して、異彩を放っていた。どちらも人間のような白目に黒目をもっていて、母犬のほうはけだるそう。子犬は笑っているかのようだ。背景に朝顔。

 二章は「感情のさまざま」。かわいいというくくりを「健気」「かわいそう」「慈しみ」「おかしさ」「小さなもの、ぽつねんとしたもの」にわけて、いわば「かわいい」を分解することで、かわいいとはどういうものかを考えさせてくれるようになっている。

 「かわいそう」では舶来動物、おもに見世物として扱われた動物を描いた作品。窪田雪鷹《駱駝図》(前期)と伊藤若冲《鸚鵡図》(後期)。後者は以前どこかでみたことがあった。その白いレースのような、ほとんどすけそうな鸚鵡の姿にひかれたものだったが、かわいそうとは思わなかったことを思い出す。足に鎖をつけられているというのに。そのすけかたに幻想を感じたのだった。前者の《駱駝図》では賛があり、そこにオランダ船で見世物としてやってきた駱駝(一八二一年)の来歴や駱駝の従順な性格、休みなく働く駱駝を思いやったことなどが書かれているそうだが、二頭の駱駝のさびしいような、けれども夢みるような目つきが印象的だ。
 どちらにも、対象への慈しみが感じられる。そしてどこか外国…異国への憧れが、描かれた動物などに現れているのだと思った。あるいは帰りたいとねがう動物に、郷愁のような思いが幻想としてのせられている、というか。



 「健気なもの」では前期の白川芝山《月下雪中郡雀図》。雪の積もった梅の枝ごしに大きな満月、ふる雪。そして枝の下に雀たちが身体をよせあって寒さをしのいでいる。後ろ姿なのが、よけいに想像をかきたてるのかもしれない。これはけれども、わたしのなかでは「健気なもの」というより、いとしいもの、に近い感情がある。そして雪降る中、なぜかぽっかりうかんだ月のもたらす静けさ、その冷たさ、それらをどこか雀たちが見入っているようで、かわいいを超えて、絵はわたしにやはり憧れににた何かを語りかけてくれるようだった。



 このカテゴリーでは、後期の英一蝶《瀑布獅子図》が、文字通り健気に見えた。石の上で滝行をしている一匹の獅子。うなだれたような姿の頭の上で、滝が二股にわけて流れ落ちる。獅子は聖獣としての描かれ方(乱暴なたとえだけれど狛犬のようなあれ)だけれど、無表情な姿で、背中を丸め、頭をたれている姿が、どこか反省しているようで、心配してしまいたくなる。こちらもいとしい、という思いをもたらすものだけれど、やはり健気な姿に、傘でもさしてみたくなる、なんというか、こちらの心を獅子にむかわせる、その方法がやさしさに満ちているのだった。



 この章では、あと「慈しみ」(円山応挙、森狙仙など)、「おかしさ」(円山応挙、歌川国芳など)、「小さなもの、ぽつねんとしたもの」(長沢蘆雪、円山応挙、池大雅など)などがあった。円山応挙、長沢蘆雪は別の作品で触れたいので、省略する。「小さなもの…」の、与謝蕪村《蛙図扇面》(後期展)にふれてみたい。扇の中央に、墨で、ちいさく三匹の、後ろ向きであろう、デフォルメされつくした蛙。絵がすごいというのではない、これは句があるからこそのものだ。扇右に「居直りて孤雲に対すかはずかな」。扇が空になったかのような、そのなかでぽつねんと、孤であることで通じるような、あるいは扇が入口で、そこから深遠をのぞいたような。言葉と絵が対になって(孤雲とぽつねんとした蛙が対であるように)、わたしたちを空にむけてくれるのだった。
 展覧会図録には蕪村(一七一六─一七八三年)の活躍した十八世紀は「動物に人と同じような心情を見い出し、文芸に表現するようになった時代でもある」とある。動物に心情を重ねる、この描き方は、わたしのすきなグルジアの画家、ピロスマニ(一八六二─一九一八年)にもいえることではなかったか…。そういえばピロスマニの描く動物たちと、この「かわいい江戸絵画」に出品されている作品にはほかにも共通性がある。それはともするとぎこちない、稚拙だといわれるかもしれない描き方だ。いや、共通点はもっとあるかもしれない。さきほどの窪田雪鷹《駱駝図》の、さびしいようなかなしさも、彼と通じる。そして同じくこの章、「純真、無垢」の英一蝶《柳牛牧童図》。川辺の柳の木に二頭の牛がつながれている。一頭は後ろをむいて、もう一頭は正面をむき、足を折って地べたに伏せて眠っている。牧童も二人。ひとりは柳の木のほらにすっぽりおさまって眠っている。もう一人は木にのぼり、枝にすわって笛を吹いている。背景には入日。墨とうっすらとした青が基調なので、ほとんど墨一色にみえるけれど、夕日が赤い。「純真、無垢」にあてはまるかどうかわからなかったけれど、ただただ静かだった。静かななかに、笛の音だけがひびきわたる。正面をむいてとじた牛の目、一日のおわりの平穏さ。「牛の背に乗り笛を吹く牧童は、世の中が泰平であることや心の平安を表す定番の画題で、この絵もそのバリエーションのひとつだろう」とあったが、平穏さがどこかさびしいのだった。それは無垢のもたらすさびしさであるかもしれない。そしてわたしがピロスマニの絵に感じるのも、さびしさだった…。なぜさびしいのか。それは郷愁めいてもいる。あらかじめうしなわれた世界への誘いとして、共鳴するなにか…。それは幼年であるかもしれないが。いや、わたしがそれを見い出しているのだ。動物に自身を投影するように。



 さびしさから少し離れよう。あるいはピロスマニから。「感情のさまざま」の最後は「微妙な領域」。
 仙儺想陝文經展)、《豊干禅師図》。ところでこの豊干禅師は、後でもでてくるので、説明したいが、中国の唐時代の僧で、虎を手なずけて背に乗ったという。悟りに達して虎をも御した僧ということで、これを画題として描いたものは多いそうだ。虎に乗っていたり、虎と眠っていたり。さらに「四睡図」というものもある。これは豊干禅師と、その弟子である寒山・拾得の三人と虎が眠る姿を描いたもの。
 仙僂痢塰干禅師図》は、虎に乗っている。真正面からとらえたもの。これは…なんといったらいいのか。図録には「ゆるい」とある。子供の描いたような不確かな輪郭。へたうまというのか…。仙儺想陝憤貅係沺雑^貳三七年)は臨済宗の僧。現在残る彼の絵の多くは、禅、仏教の教えを人々に伝えるために描いたものがほとんどだという。おそらくわかりやすさ、垣根の低さとかが関係しているのだ。けれども、どうだろう。ほとんどあっけらかんとすらした、やさしさ、いつくしみにあふれた筆に、おもわずひきこまれてしまう。彼の絵は、この章のほかでも数点出品があったが、つい顔がほほえんでしまうものが多い。絵をみながらほほえんでしまうことなど、ほとんどなかったことだ。これもまたひかれるということなのだけれど、この体験はほぼはじめてではないのか。《豊干禅師図》の虎は、もはや虎であることをほとんどやめているようだ。虎だかなんだかわからない。まるいMのかたちの胴体に、縞模様。両端にまるいみっつの指をもつ足、そして真ん中に釣り目ではあるけれど、落書きのようにおおざっぱな顔の虎。そのうえにのっかっている豊干禅師の夢みるような、ほうけた顔。



(続きはごめんなさい、次回)
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