Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2013-06-25

ラベンダーという季語、または…







 またラベンダーを観に出かけてきた。埼玉の菖蒲町…、いや、久喜市だ。久喜市菖蒲地区。二〇一〇年、合併により、名前が変わったのだけれど、その前からいっているので、つい菖蒲町といってしまう。とやかくいうつもりはないけれど、菖蒲町という青い花の名前のつく場所に、青に近いラベンダーを観にゆく…というのが、語感的になんとなくしっくりきていたような気がするのだ。菖蒲町役場(現在は菖蒲総合支所庁舎)周辺で、咲くラベンダー。菖蒲もたくさん咲いているので、通年、六月下旬から七月初旬に花のまつりとして、開催される、その名称は「あやめ・ラベンダーのブルー・フェスティバル」、その前につくのは、わたしがゆきはじめた最初は「菖蒲町あやめ・ラベンダー…」だったから。
 けれども、もう「久喜市あやめ・ラベンダー・ブルー・フェスティバル」になって三回目だ。そろそろ慣れなければ、と思う。いや、徐々に慣れている気がする。お土産に毎年、ラベンダーの香を買うのだけれど、そこに「久喜市」と書かれていると、いまだにすこし、びっくりしてしまうのだけれど。
 いや、そんなことをいっていたら久喜市にわるいきもしてくる。
 天気は、最初はあやしかった。うちから会場まで、車で二時間弱というところか。雨もすこしふったような気がする。けれども、ついたらほぼ晴れだった。変わりやすい天候だったし、短い距離のなかでも、天候はだいぶ違ったのかもしれない。会場では、だいぶ前から晴れていたのかもしれない。役所前の駐車場、めずらしく列をなしていた。そう、梅雨時ということもあり、雨や曇りが多く、いつもはこれほど混んでいた記憶がなかった。晴れているから、近隣のひとびとが出てきたのだろうと、埼玉のナンバープレートたちをみながら、ぼんやりと思っていた。
 ラベンダー堤たちのラベンダーたち。まわりは田んぼ、そして用水だ。あやめ苑も、湿地にある。ほかに菖蒲城址あやめ園も用水にそった小道をゆくとある。まさに青い花たちにかこまれて。



 ラベンダーはけれども、じつは庁舎の周辺の堤に植わっているだけで、たとえば富良野のラベンダーのように、あたり一面にひろがっているわけではない(いったことはないけれど)。けれども、なぜか、一面に咲いているような錯覚をおぼえる、不思議な感覚がいつもある。ちいさい花がたくさん、ひとつの茎に、咲く。それが株になって、ひと株に、ともかくたくさん花があつまって、まるで花束のように、あるからだろうか。ひと株だけで、もうラベンダー畑みたいなのだ。それが川や用水、そして道の横の堤にうわっている。
 堤を前にみる感じで、ベンチにすわって、食事をとった。目の前にラベンダーだ。堤の向こうの道を人々が行き交う。モネのひなげし畑の絵のようだなと思う。《アルジャントゥイユのひなげし》だ。ひなげし畑の小道、筋道を、一組の母子が下るように歩いている。ラベンダー堤の彼らは上を歩いているけれど。
 モネを思い出したのは、晴れた空のせいもあるだろう。こんなに空が明るいのは何年ぶりだったろう? おぼえていない。せいぜい数年なのだろうけれど、新鮮だった。空の青とラベンダーの青は、なんてよく似合うのだろう? まぶしすぎるぐらいの空の青を、ラベンダーの小さな花たちは、そっとうけとめて、わが身をほんのりと輝かせている。



 ラベンダーにたくさん虫が集まってきている。アブ、ミツバチ、クマンバチ、モンシロチョウ、モンキチョウ、そしてアオスジアゲハ。黒地にエメラルドグリーンが、ラベンダーと空の間で、なにかをわたすようで、しっくりと、せわしなくも、目にしみる。
 虫たちが、例年より、たくさん集まっているように思えるのは、やはり晴れているからだろう。クマンバチはずんぐりと大きくて、近くにくるとすこし怖いが、身体のわりに羽が小さいので、慣れてよくみると、なんとなくかわいらしくなってくる。身体がほかの虫よりも重たいので、ラベンダーの花の蜜を吸おうと茎に乗ろうとしても、茎がすぐにたわんでしまう。たわんで、落ちそうになりながら懸命に花の蜜を吸っている姿に、なんとなくしたしみをおぼえるのだった。後で家で調べたら、性格はきわめて温厚だとか。







 食事をとりおわって、すこし堤のまわりを歩く。田んぼに用水、しらない花、けれども毎年、ここにくるたびに出会う花とであう。あの毛ブラシみたいな花はなんなのだろう? そしてラベンダーと田んぼの間に、一本だけある木の名前は? まわりに大きな木はなく、さえぎるものがない。その中をただ一本だけ、こんもりと、枝をひろげる、やさしい木だ。
 いつも名前を知ろうとするのだけれど、わからない。わからないまま、気にかかる、めずらしい存在。なぜなら名前がわからないと、たいてい、記憶にのこらないから。名前があって、はじめてその存在がわたしに息づくことが多いから。



 『異界を旅する能』で、芭蕉が異界の先人と出会うために旅を自ら課していたと教えられて、『おくのほそ道』を今更読んだ。いや、昔読んだことがあったが、良さがわからなかったのだ。先人たち、古人たちとの、歌枕を通しての、ふれあいの数々、そしてたたみこまれた縁語、掛け詞たち。重層的な世界が十七文字からひろがる。
 その後で、『俳句の世界』(小西甚一。講談社学術文庫)を見つけたので、読んでいる最中だ。今更だが、俳句の発生から現代までを、眺めてみようと思ったので。
 まだ最初のほうを読んでいる途中だが、季語について書かれてあることだけ抜き出してみる。
 十七文字という短さの俳句・俳諧には「叙述しない表現」「無言の表現」という叙述の否定が中心理念としてあるという。〈しかし単に叙述を否定しただけでは、わけのわからぬ表現になるほかない。叙述の否定は、叙述する以上に表現するための否定でなくてはいけないはず。そこで、句のなかに、たいへん豊かな映像を浮かびあがらせる語があってほしい。それによって、叙述の不足を補充し、おつりまで来るならば。叙述の切断など、すこしも心配する必要がない。そのはたらきをひき受けるのが、季語なのである〉。季語があれば、映像が〈日本人であれば、誰でも眼の底に浮かんでくる。二十行や三十行の文は、たちどころに節約できる〉。また、なぜ春夏秋冬に結びつかなくてはならないか、について、〈季節に結びついた感覚は、幾百年を隔てようとも、それほど変わるものではない。それが、季語の存在理由ではないか〉。
 とつぜん、なぜ、こんなことを出してきたかというと、ラベンダーに毎年会いにくるのは、わたしにとって、季語だからではないかと思ったからだ。
 なぜ毎年くるのかわからない。けれども来るたびに、季節を映像化してみせてくれる、大切な行為だからではなかったか…。フェスティバルと銘打ってあるように、まつり、風物詩として、季節の凝縮として、わたしに差し出されているのではなかったか。
 季節の凝縮というのとも、すこし違うかもしれないけれど、ラベンダーの匂い、ラベンダーの色、そしてあたりにひろがる田園風景、畔、用水路、汗ばむ暑さ、けれども、田んぼにはった水があたりの空気をやわらげてくれるのか、すこしばかりの涼しさ、たくさんの虫、アメンボの雨粒のような泳ぎ、特産品売り場のにぎわい、ここにあること、去年も、おととしも、その前も、そうしたことたちが、ラベンダーを観に来るという行為にたくさんたたまれて、そしておそらく、毎年、何かがそこに上積みされて、そこに、というか来る私とラベンダー堤たちの間に、橋渡しする大切な宝物として、あること、それが季語に似ているのではないかと、ぼんやりと、青空に映えるラベンダーを観ながら、思ったのだった。






 ラベンダーはそういえば、季語だろうか。うちに帰って、ふと気になって調べてみた。七月の季語だった。
 撮ってきた写真をパソコンに保存しようと、フォルダを作っていて気付いたが、去年もちょうど一年前にラベンダーをみにいっていた。会場で買ってきたお香をつける。そして、こうしてまた行った時のことを書いている。こうした行為も、すべて宝箱のように、ラベンダーという言葉に、しまいこまれるのだった。
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2013-06-17

橋掛かりで、近くて遠い旅をする。






 今朝六時に、部屋の中で、寝床のなかで、近所のお寺の鐘の音を聞いた。休日の朝はいつものことだ。普段は、もうバイトに出かけているので、聞くことがない。鐘の音を聞くのは、それでもわたしのなかで、ハレの時間なのだろう。
 〈毎日の日常的な時間が「褻」の時間だとすれば、盆・暮れ・正月に代表される非日常の時間が「晴れ」の時間だ。〉「褻」ばかりが続くと、〈日常の「褻(け)」と浮遊の「離(が)れ」で「穢れ」となる。そんな穢れを祓うのが、「晴れ」の日だ。「祓う」と「晴れ」は同源の言葉だろう〉…(安田登『異界を旅する能』ちくま文庫)。
 晴れという非日常、異界をわたしは想像の世界と関連づけて大切に思っている。鐘の音を聞き、昨夕の午後六時、十二時間前に聞いた鐘の音のことを思い出した。『あの鐘を、昨夜はお寺のすぐ近く、お寺の門、隣の神社の深い森、小さく開けた路地、静謐な空気、大切な時間の中で、聞いたのだ。』…言葉にすれば、そんなことを枕の下に、こぼしていった。こぼれた思いを、かき集めるべく、寝床から起きだした(寝床もまた、夢につながり、異界めいているけれど)、パソコンに向かい、筆をとるために、異界をたぐるために。
 旅行に出かけたあと、しばらく、よく思うことがある。昨日の今頃は海を見ていた、先週のこの時間は、道の駅に寄っていた…。そんなふうに、今、部屋の中から、鐘のゴオンという音でもって、十二時間前、聞いたそのことを、近所だというのに、まるでどこかへ旅行した後のように比べていることが奇妙だった。そして前者は、何時という時刻や体験したわたしだけが共通で、たいてい場所はちがう。けれども後者は、時刻、わたし、そして場所までもが共通している。つまり旅にでかけたような、そんな感覚が奇妙かつ心地よかったのだ。

 昨日はある詩誌の企画で、うちの近所…世田谷区喜多見周辺を散策した。わたしがその詩誌のゲストという形で、案内役をつとめる形だった。参加者はわたしをふくめて三人。
 それはこの場にすむわたしからしてみたら、日常にかぎりなく近い行為だったはずだ。とはいえ、わたしはふだんの日常でも、旅を、かれらが送ってくる合図を、なるべく受け止めたいとおもってはいるのだれど、それでもまさか。
 当日までに、なんとなくめぐる場所を考えていた。湧水、田んぼのある公園。このふたつは特に、わたしが日ごろ、ほとんど毎日とおりかかり、温かいものをもらっているところだ。そして古墳、滝、湧水の上の崖。
 あまりルートに拘泥せずにゆこう、地図などに頼らずに、と最初に話があった。観光ではない、なにげない出会い、ということでもあるのだろうか。出発地である喜多見駅から、わりと近いところに小さな滝がある。提案してみたら、行こうといってくれる。
 わたしが住んでいるあたりには国分寺崖線という、武蔵野台地を二十五キロにわたって続く崖の連なりがある。うちのあたりでは野川にそって数キロ、崖にはあちこちから水が湧き出し、緑も多い。めざす滝も、この国分寺崖線上にある。喜多見不動だ。
 崖の手前に野川がある。野川で二人がカメラをとりだし、てんでにシャッターをきりはじめる。きがねがいらない。わたしは人前にでると気をつかって、あたりの景とむきあうのに、委縮してしまうたちなのだが、こうしてしずかに写真をとっている彼らには、そういうことをきにせずによいのだと思う。たぶん彼らも、それぞれなにかと向き合いたいのだ、真摯なまなざしがあたりにひろがる、それはすこしぬくもりに似ていた。
 喜多見不動の滝は、龍の口からちょろちょろでて池におちる。緋鯉や真鯉がおよぐ。小さな聖域。はじめてみたとき、思ったよりも小さいとは感じたが、決してがっかりはしなかった。小さな水車に竹の樋から水がおちる。小さな波紋、小さな音。鯉もしずかだ。




 そこから坂道をわたってすぐのやはり崖の斜面にある三つ池、そしてもうしばらく歩くが、成城三丁目緑地のほうへ、どちらも国分寺崖線にある。
 わたしは水が好きだ。小さい頃から、水…水辺になぜかひかれていた。いまでも川や池などをみると、胸がざわつく。ときめいているような気分になる。ほのかな恋心。ちなみに究極は海だけれど。
 だから、このあたりに越してきて、近くに川があるのも驚きだったが、成城三丁目緑地もうれしい驚きだった。崖は自然を生かした公園…というか林になっていて、湧水が二か所から流れだしている、ひとつは池をつくり、もうひとつは斜面をつたって草のあいだをぬってどこかへ、しみながらさってゆく。後者へたどりつくには、緑の小道を上り下りする。山の中を歩いているようだ。途中、竹林もある。すっくと伸びた竹たち。湧水のつくる流れにかかった小さな橋。近くに住んでいるということをいつも忘れてしまう。

 





ノハカタカラクサ…数年前、以前等々力渓谷で咲いているのをみて知った花が、今を盛りと咲いていた。池を作るほうの湧水の、岸辺ともいえない湿った地の一画に。知らなかった。こんな近くにも咲いていたのだ。カタカナで名前を最初に知った花、野の墓の宝草だと思った花、露草に似た、湿地に、木の間闇に咲く、白いともしびのような花。ちなみに本当は野博多唐草なのだけれど。こんな近くにあった…というのは、今回の散策に共通する、ひとつの流れだ。こんな近くに旅があった。それを教えてくれる旅人たちは無言であたりを散策している。足をとめている。大木の幹、風にざわつく葉ずれの音。しろい蛇のような水の流れ。




 崖のへりに病院坂がある。横溝正史『病院坂の首縊りの家』の舞台は品川区高輪だが、横溝が当時、成城一丁目にすんでいて、坂の名前だけ、ここから借りたものらしい。崖沿いの木々が崖にたれさがるように生えている。夏は蜩がたくさん啼く、なんとなくこれも山道をおもわせる、森閑とした空間だ。こんなに近くにあるのに…と坂を登るときにいつも思う。この日は、緑地の細道を通って坂の上にでたので、坂の上から下にくだっていった。片足のない男性が松葉杖で登ってくる。



 また野川のほうへもどる感じだ。次太夫堀公園へ。農業用水としてこのあたりに流れていた次太夫堀を六百メートルだけ復元し(別に丸子川として現在も残っている所も一部ある)、公園にしたもので、田んぼがあり、敷地内には民家園もある。この時期はまだ苗をうえたばかりで、ほとんど育っていない。四角い池が連なっているよう。わたしは毎年、田んぼ池と呼んでいる。水はいい、とKさんがいっている。田んぼのまわりで、田んぼではないかもしれない、なにかたちに、ふたりはてんでにばらばらに、むきあっている。




 民家園のほうは、開園時間と閉園時間(朝九時半〜午後四時半)がある関係で、それほど訪れていないが、田んぼのあるあたり、次太夫堀のほうは、毎日通っている。遠回りしてでも通るのだ。池の亀、カルガモ。ザリガニ釣りをする子供たち。つい最近はスダジイが咲き、性の匂いを放っていた。桜のころには次太夫堀の花筏、秋の竜田川めいた、紅葉のながれる水辺。わたしに日々なにかをわたしてくれる場所だ。夏になれば稲穂が青く風にゆれるだろう。
 民家園の中に入る。藁ぶき屋根の家が三軒ほど。ほかに土蔵や門などが移築されている。蕎麦の畑、そして麦畑もある。鳴子に案山子。肥溜めもあった。穴はふさいであったが。元は半農半商であったらしい、一軒の家で、絵葉書や地図などが売られている。ラムネや団子も。家の中にすわって飲み食いしていいとのことで、三人で頂く。外は蒸し暑いのだけれど、家の中は風がとおり、古く手入れされた床も柱もひんやりとして心地よい涼しさだ。囲炉裏があり、自在鉤がつるされている。囲炉裏に火がはいっているのをみたことがあった。二階へあがる梯子もあった。こちらは知らなかった。登ってみる。二階というより屋根裏部屋のようだったが、ふんだんにつかわれた木の感触にやさしさをもらう。あかりとりの窓からはいる日差しがやわらかい。




 隣の家では、養蚕を行っていた。小学生のころ、授業で蚕を育てるというものがあったが、たしか繭をつくる前にみな幼虫が死んでしまった。なぜかは覚えていない。繊細な生き物なのかもしれない。桑の葉を食べている幼虫、四角い枠のなかで、絹糸をはきだし、繭をつくりはじめた幼虫など、生育段階によって、区分けされている。なぜか繭のちかくに幼虫がうごきまわってもいたけれど。繭をとるためだけに飼育されている虫。成虫になっても羽は退化しており、飛ぶことができない。繭は、虫がはいったままゆでられる。そうしてほぐれてきた糸をより合わせるのだ…。という知識をいつ持ったのだろう。おそらく小学生の時だ。Sさんも授業で蚕を育てたことがあるといっていた。彼も飛ばない蛾、退化した羽に思いを寄せているのがわかる。
 わたしは前述のとおり、繭になるまでを実際にはみたことがなかった、繭だけをどこかの土産物屋でみたことはあったけれど、幼虫とさなぎである繭のあいだの道が分断されていたのだ。今回、ここで虫が糸をはきだし、繭をつくっているさまをはじめてみることができた。KさんだったかSさんだったか、きれいだといっている。そちらを向くと、絹がきらきらとひかっている。虫たちの命をつむぎ、手間暇かけて絹はつくられているのだろう。だから高価で、かつ美しいのだ。



 東京ではないようだとKさんがいう。そういえばわたしも最近、電車に乗ってどこかに出かけることがほとんどなく、どこかへ、都会のほうへゆくときは、ああ、東京へ行くのだなと思ってしまう。いや、そういう意味ではないのだろうか。どちらかというと、こんなに近いのに、旅にきたような、そういったニュアンスに近いのだろうか。わたしもなかば…。近くにすんでいて、毎日通りがかっているというのに、とくにこの古民家の中にいると、時代すらとおりぬけて、とこかへきているような気がする。けれども意識として、こんなに近くに住んでいるのに、という感覚がある。それらが半々になって、わたしのなかでゆらいでいる。このゆらぎがすでに、ハレではなかったか。



 公園は道路をはさんでまだつづく。道路の下がトンネルになっている。江戸時代から現代へ…のように、トンネルをくぐってでてくると、花壇があり、木々がうわり、広場がある、よくみかけるタイプの公園になる。どこか境界めいている。時間の流れが変わる。けれどもこちらも春早い頃は、梅や桃、ボケなどがいっせいに咲き、二月のかなり早い時期から、春の訪れを気づかせてくれる、やさしい場所だ。子供たちが遊んでいる。まもなくネジバナが咲くだろう。
 家に寄って、自転車を取ってくる。この行為が日常の側にあるのが、旅にはさまれた違和なのだけれど、それが逆に、バランスをとっているようだとも思う。さきほどまでは日常にはさまれた旅だとおもっていたのだから。そういえば、成城三丁目緑地、崖の下の池は、よく行くスーパーの裏手から見える。バイト先から病院坂のこんもりした緑が見える。そうした日常に、旅という非日常は、姿を見せ続けていたのだった。成城付近で外周りの仕事をしていた時に、とあるアパートの植え込みでみかけた立て札〈妖精が通ります〉…。びっくりした。その驚きが、やさしいものとして、違和として、あたりを包む。それこそが妖精なのだと思った記憶がよみがえる。…ちなみに今回の喜多見散歩でも、そちらに案内した。二人が妖精からなにかたち、大切なそれを受け取ってくれていたのが伝わってくるのが穏やかだ。アパートの壁に、根っこがうまったようなふしぎなふくらみ。大木と壁がひとつになったようだ。




 すこし場所と時間がずれてしまった。自転車をとってきたあたりにもどろう。うちのマンションの後ろ側は住宅地だが、ところどころ畑が点在している細い道だ。すこし歩いた四つ辻の角に、数件、魚屋さん、お肉屋さん、花屋さん、豆腐屋さんなどが集まっている。Sさんがこの存在をしっていたのは驚いた。住宅地の中に突如出現する商店として印象深かったそうだ。商店街と呼ぶほどの数がない、辻によりそうように集まる店たち。いわれてみれば、どこか昭和の雰囲気を残したたたずまいが、別の様相をあらわしてみえる。このお肉屋さんでたまに唐揚げを惣菜として買っている。Kさんがそれを買い、道々三人で歩きながら頂いた。まだほんのり温かく、おいしい。旅先での出来事のようだ、近くだというのに、とまた思う。





 ちいさな古墳のある公園へ。馬のかたちの木製の遊具がある。どこかものがなしい光景だとおもう。わたしのなかのお気に入りの場所だ。ここから畑のほうをむくと、三重の塔が見える。慶元寺のものだ。こちらも後でゆく。そのまえに氷川神社にも。どちらも正月にゆくところなので、こうして改めて訪ねるのが妙だった。なにか行事が行われているわけではないので、ひとけがない。氷川神社の参道は、木々に囲まれている。神さびた木々だ。神楽堂がある。正月に、スサノオノミコトの物語が舞われているのをみたことがある。舞台の作りは一見したところ、能のそれと似通っている。正面の舞台からみて向かって左手に橋掛かりという通路がある。ここから演者が登場する。橋掛かりは渡された場所、こちらとあちらをつなぐ通路だ。ハレとケを思う。六時近い、旅もそろそろ終わりのこの時刻、こうした橋掛かりをみたことはなにか象徴的なこととして心にひびいた。ふたたび参道をとおって神社から出たころ、慶元寺の鐘の音を聞く。このお寺は除夜の鐘をつきにゆくところだ。あるいは大みそかに部屋でそれを聞いているところだ。そんなことを思い出す。ハレの思い出たち。時刻は六時。だいぶ歩きまわったので、さすがに脚が疲れている。この疲れが、また旅先でのそれに似ている。ほとんど旅のおわりのような感覚のなか、鐘の音を聞いているのがこころよい疲れだった。橋掛かりにいるような、近くて遠い場所にいるような。わたしはどこにいるのだろう。うちから歩いてこれる場所だ。そしてとおい、けれども、来ようと思えば、すぐにこれるであろう、異国なのだ。わたしの大切な、異界。






 これを書いている途中で、日付が変わっている。鐘の音を聞いたのは、おとといの六時、そして昨日の朝の六時。
 彼らにとって、これが旅であるように、わたしにとっても旅であったこと。日々の中に旅があることを、照射してくれた彼らに感謝したい。





 今日は、ほとんど外にでないで、なんとなく書き物をしていた。買い物に出た時、今回の喜多見周辺の旅では訪れなかった、大蔵のほう、ほぼ野川にそっている森、あの緑の一画にはなにがあるのだろう? いつも気になっていたので、自転車で向かってみた。
 ともかく、こんもりしたあの緑、これも国分寺崖線だろうか、なら、また湧水が流れているかもしれない…。すこしの期待。
 森は保安林になっていて、柵があり、中に入れなかったが、崖下の野川に近い場所はブランコや滑り台のある公園になっていた。森の中に入れなかったことをすこし残念に思うが、こうして来れてよかったと思う。いつも遠目にみて気にかかっていた初めての場所だ。これもあれも旅。崖の柵に看板が。「朝顔、ひまわりの種をもらって育ててください」とある。よくみてみると、小さなビニール袋が、看板の下の柵にひっかけてある。袋の中はひまわりの種。くれる側は建設会社だ。どういうことなのかわからないが、なんだかうれしい。やさしい気持ちになる。うちにはベランダしかないので、ひまわりは難しい。朝顔ならもらってゆきたかったのだけれど。ともあれ、やさしい異界が、花のように手をさしだしてくれている。ノアザミが咲いていた。ひさしく見なかった花だ。ここでみれたのもまた旅のもたらす縁なのだ。
 帰りに、喜多見散策で歩いた場所を自転車でまた通った。この前ここを通ったのは…と旅をまた思う。思うことで、異界が近くなるのだろう。野川の流れが、水面が、やけにわたしにやってきてくれる。水はいい。もうすぐ六時だ。


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