Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2013-07-25

蓮のおわりのはじまり、きたないはきれいな泥の花

 六月二十二日に埼玉県久喜市菖蒲町にラベンダーを見に行った時、途中のサービスエリアで、一枚のチラシを見つけた。おおきな蓮の花一輪、「古代蓮の里」とある。場所は行田市。六月下旬から八月上旬まで。久喜市を越えて二、三十キロほどのところらしい。近くには埼玉古墳群がある。連れが特にこちらに興味があることもあり、出かけることにした。今年は七月半ばくらいが満開らしい。そして花は早朝から咲き始め、午前中には閉じてしまう。見ごろは午前七時から九時と、市のHPに書いてあったので、午前九時に到着するようにした。道は途中までラベンダーの時と同じなので、途中、以前見た田んぼにまた出会ったりする。前回出かけてから二十日ばかりたっているから、稲がだいぶ伸びている。前回は稲と稲の間に水をはった土が見えていたが、もはや見えないぐらいに成長している。もっと手前、荒川を渡るとき、大きな川の向こうの建物群がかすんでみえた。靄なのだろうか、煙霧なのだろうか。湿度がたかい、ねばつくような曇り空だったから、靄なのかもしれない。蜃気楼のようだと思う。蜃気楼を見たことがないのだけれど、消えてしまいそうな、幻のような建物たち、その姿に、どこか惹かれる。それは非日常と親しいものだから。







 行田市の古代蓮は、元々は一九七一年、市のゴミ焼却場建設工事として造成作業をしたことで、偶然掘り起こされ、二年後、掘削によりできた池に自然発芽・開花したもの。かなり原始的な蓮で、約一四〇〇年〜三〇〇〇年前のものだとか。発見されたところからすぐ近くを古代蓮の里、公園として整備して、今に至っている。元々の発見のきっかけがゴミ焼却場建設のためというのが、いかにもこの花に合っていると思う。泥の中からすっくと美しい花を咲かせる蓮。
 古代蓮の里。出入り口入ってすぐにイベント会場、地元野菜や名産品などの売店…のイメージだが、じつは世界の蓮園がイベント会場よりも手前に長細く咲いていた。と変な書き方をしているのは、イベント会場(さまざまな屋台や、テントの休息所、歌謡ショー)が混雑していて、そればかりに目に行ってしまい、手前の蓮に殆ど気付かなかったから。九時だというのに大変なにぎわいだった。早起きだなと思う。イベント会場の向こうは広場、丘になっている。桜も植わっているようだ。桜の時期は花見ができるのだろう。丘を左手にみながら進むと、いよいよ古代蓮の行田蓮池。花が大きいからだろうか、突然、目の前にやってきたような感覚。写真に撮っても、なにもせずとも接写したかのような存在感。ここにくるまでに見ていたはずなのに、というか認識していたはずなのに、わたしたちの腰のあたりで咲く花たちにであって、あたかもはじめてここで咲いているのをみたように、強烈に、近しさを、存在として主張してくるというか。
 ところで、わたしは蓮といえば、こちらも古代蓮の大賀蓮(千葉公園など)や、上野の不忍池などで、見たことがあると思うのだが、こんなふうに花が開いているのをみるのは初めてだったような気がしている。開いた花の真ん中の花托。漏斗状というか、シャワーの先端みたいになっていて、平たい先端に穴があいている。そして穴の中に後日、硬い種ができるのだが、ともかくこの花托を花びらの中で見たことがなかったので、花が開いた状態で見たことがなかったことに気付いたのだった。花托がみえない午後のそれは、だが、閉じているというより、芍薬とかボタンとかみたいに、はなから花托がないように見えていた。あるいはそれは巨大な、茎を水面上にのばしたスイレンだった。スイレンは茎が水中にあるし、スイレンは花托がない。わたしはずっと花びらでおおわれた花托の存在をしらなかったのだ。せいぜい枯れた後のものしか…。考えてみればおかしな話だ。開花は午前中だけ、ということは前から知っていたのだが、午後にも咲いているように感じていた。それに花が終わった後に、今まで目にしていた花托、茶色く枯れた色のそれが、どこにあると思っていたのか? 花の下についているのだと思っていた。茎と花の間をつなぐものだと思っていたのだ。だからこうして、花ひらいたそこにある花托の存在は新鮮だった。その新鮮さが、接写したかのような存在感たちでにぎわせていたのかもしれない。実際の花の大きさはおそらく直径三十センチほど。そして蓮は明るかった。そこだけ雰囲気が明るくなるというか、華やぐというか、曇っていたにもかかわらず、ひなたのような印象をかもしだすようだった。



 目の前の花の初めての対面のなかで、若冲の《蓮池図》が、記憶のどこかでざわめいていた。昔の日記から。
 「こちらはもともと襖絵だったものを、六幅の掛軸にしたもの。むかって右の二枚に蕾や満開の蓮が描かれ、真ん中の二枚に、葉ばかりが描かれている。そして最後の二枚が、葉も花も枯れたもので、まるでゴーギャンの《我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》が人の一生を描いているように、ここでは蓮の一生が描かれている。そこには生というよりも死が見える。そして、荒涼とした、さびしさに圧倒される。六枚とも画面の下方に描かれてあり、画面上は何もない。その白さ(実際は歳月のぬった色、つまりセピアになっているのだが)のはなつ空虚さにくぎ付けになった。襖絵であっただけに、画面も大きい。なおさら空しさのようなものがひろがっていった。それはとてもさびしい。そして痛い。かれた葉のぬるぬるとした感触がつたわってくる。あるいはそこにあるのは生をふくめた死だった。花のおちたそれは、実をつけていたのだから。」(二〇一〇年六月六日)
 目の前の蓮は、ちょうど見ごろを迎えた時期だったが、開いた花のほか、つぼみ、葉の上におちた花びら、花托だけになったものたちが、近い場所に同時に存在していた。花托だけのものも、まだ緑色で、わかわかしいものではあったけれど。そう、それで《蓮池図》を思い出したのだ。蓮の一生が凝縮のように目の前で差し出されていたから。けれどもそれは、朝だからか、それでもまだ花の見ごろの時期だったからか、どろどろとした腐敗の感触はほとんどかんじられなかった。まるでポジばかりでかためたネガのようだった。あるいは琳派の描く鮮やかな死。





 どろどろの腐敗…かれた葉がくさり、茶色い水のなかで、ほとんど枯れ葉めいた葉や茎とけている。そして茶色の花托だけがすっくと立っている。あたり一面、荒涼とした…あれはいつみたのだろう? 秋だったか冬の、おそらく不忍池の景だ。
 わたしはその景をどちらかといえばあたためていた。泥から生えて、清冽な花を咲かす蓮の花、その蓮のうつくしい部分のほうを、ながらく欠如して記憶していたのだった。
 それが、今日、おおむねうつくしい時間の流れをそこにみたのだった。水や葉におちた花びらも、さかずきか、中華料理で使うレンゲのように、陶器めいて、清らかだった。葉におちた露が、ぎりぎり残っている。朝もっと早かったら、もっと宝石めいて、あちこちに、ふるえながら残っていただろう。そして桃色の明るい花、花びらの中に、黄緑色の花托。そう、花托ははなから茶色ではなかったのだ。黄緑のわかわかしい、花がおわってもしばらくはその色の、春のような、若草色の、終わりの始まり。
 古代蓮池をすぎると、水生植物園、水鳥の池、オニバス、キバナハスの池になる。ほたるの川という場所もあった。
 水生植物園には、スイレンもあった。こちらも今が花季なのだろうか。あちこちで咲いている。水がすきだから、水辺に、水面に咲く花が好きなのだろうか。睡蓮も好きな花だ。あるいはモネのそれだからか。おそらくそれらがからみあって、すきな花なのだろう。だが水生植物園の水は、赤い藻が発生していて、あまり景的にはうつくしくない。赤潮のような藻のなかで、それでも花ひらく睡蓮の、その花びらたちは硬い宝石のようで、心にひびいた。それはネガばかりのなかにひらいたポジとしての開花だった。



 どろどろのなかに、鮮烈に色をはなつ水面の、それは今回に限っていえば蓮ではなく、睡蓮だった。どちらも、水辺の花として、印象深いものだったが。
 水鳥の池のほうにも、行田蓮が咲いている。こちらのほうが、ひとけがすくない。ひとけがすくないほうが、朝の感覚がのこっているようなきがする。朝まだはやき…。もうそろそろ十時近いが、早朝というのは、ひとが少ないから。水鳥はちなみにいなかった。そのかわりに牛ガエルたちが、かまびすしい。池にも、たくさん牛ガエルであろう、大きなオタマジャクシたちがいた。なつかしい、めずらしい。小学生の頃、近所の川でつかまえたことがあったなとぼんやり思う。牛ガエル自体は、今もうちの近くでたまに声を聞くが、これほど盛んに聞いたことはなかった。モウモウだったか、ボウボウ、ゴウゴウだったか。くぐもった、夏のおもたいけざやかさだ。
 ひととおり廻ったあと、食事しがてら、会場入り口へ。物産などもみてまわり、買う。土産などを見ると、すこし心がはしゃぐのはなぜだろう? 子供の頃のように。それはどこか未知のであいを含んでいる。あるいは、日常的な買い物とは一線を画している。たとえそこに野菜がうっていたとしても、それは土地の物産なのだ。子供の頃に感じたそれは、未知だった。土産物屋は、おもちゃ屋のように、現実ではなかった。子供の頃の記憶が郷愁として、土産物屋に、まとわりついているのだろうか。それもあるかもしれない。だがどちらも、非日常的な空間を、日常の中に、置いている、そのことによってひかれるのだろう。
 その後で、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)へ行った。国宝「金錯銘鉄剣」の出土した前方後円墳の稲荷山古墳や、日本最大の規模を誇る円墳など九基の大型古墳があるところ。「県立さきたま史跡の博物館」などもある。
 、古墳があるあたりは、さきたま古墳公園として、整備されている。わたしは古墳時代などには、あまり触手がわかないのだけれども、あたりの空気というのだろうか、印象というのだろうか、公園のなかだけ、異質なのがわかった。おだやかで、おもい。おもさがここちよい、祈りだった。それは奈良の飛鳥にどこか似ている。





 この古墳のある公園にも池があり、古代行田蓮が咲いている。といってももうお昼もだいぶ過ぎているので、花はとじていたのだが。さきほどの古代蓮の里とちがって、こちらの蓮池は静かだ。観光客もほとんどいない。
 つぼみ、花托、おちた花びら。また蓮の一生を探してしまう。というより、目につくのだ。朝よりも晴れてきた。蓮はますます花をとじている。来年もまた、ラベンダーや彼岸花のように、見に来るだろうか。泥からさく蓮の花、きれいはきたない蓮の花。ますます日差しが強くなってきた。

00:01:00 - umikyon - No comments