Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2013-08-25

その気になればここは異世界で満ちている─速水御舟展

 そして、金曜日。朝三時四〇分に目を覚ます。今日仕事が終わったらおふねさん(速水御舟)の展覧会にいけるだろうか…。寝ざめのぼんやりとした頭が行きたくないなと思う。けれども絶対に行こうと、心を布団のなかで奮い立たせて。
 そしてバイトに行き、終わって、いったんうちに帰ってきた。ほぼ作業着だったし汗だくだったから。それになんとなく家という閾がほしかった。うちという空間から美術館に行きたかったのだ。
 もってゆくものを確かめているうち、ふと前売りを買ってあった展覧会のことを思い出す。『花開く江戸の園芸』(江戸東京博物館、七月三十日〜九月一日)。なんとなく九月中旬位までやっている気がしていたのだったが、もうあまり行く機会がなさそうだ。おふねさんのほうは十月までやっている。で、急きょこちらに行くことにした。
 江戸時代の園芸文化の紹介…。チラシを見ると北斎の《菊図》があった。きっと出会いがあるだろう…。そう思って、前に江戸東京博物館にいったときに購入しておいたものだ。久しぶりに電車に乗る。やはり話声が耳障りだ。通勤で使っていたころは、それでも慣れていたのだろう。今は、こんなにせまい空間で、見ず知らずの他者たちの会話を聞くということに奇異な感じすらしてしまう。耳障りに思うのは、本が読みにくいからだ。本はもうずいぶん、自分の家で静かに、しか読んでいないからこれは当然だろう。隣の席が空いた。親子づれの、娘のほうが座り、母親が吊革につかまって、娘と会話をはじめた。あそこの席が空いてるから、座れば? と娘がいっても、運動がてら、立ってゆくと母親。そうしてなにやらずっと隣りで話しを始めるのだった。はずれくじをひいた気分。
 ところで総武線。市ヶ谷からお茶の水ぐらいまで、外堀と並行して走る。ここを通るのがいつも楽しみだった。市ヶ谷からは釣り堀も見える。緑に澱んだお堀。きらきらと真夏のひざしに水面が揺らめいている。どうしてこんなに水が好きなのだろうと、ぼんやり思う。そしてお茶の水を過ぎ、浅草橋を過ぎると、今度は隅田川。ここを通るたびに、この水をなめるとしょっぱいのだろうかと考える。
 潮の満干の影響もうけているし、海まで…もともと埋立地ばかりだし、正確にどこが海なのかわからないけれど二キロないのでは…。けれども晴れた夏の日に、隅田川は青ではなくどんよりと灰色によどんでみえる。銀色の、水銀のようなうねり。飲めないなあと思いながら、それでもいつも、くるたびに問いが浮かんでしまうのだ。しょっぱいのだろうか。海水のようなのだろうか。浅草から船に乗ったことがある。風に海の香りがまじっていたっけ。
 隅田川をわたると両国駅。江戸東京博物館はここにある。
 さて展覧会…。浮世絵や園芸書。当時の江戸の名所図…。わたしはほんとうに浮世絵が苦手なのだと思い知った。なにがいいのか、さっぱりわからない。とくに広重とか喜多川一派。わたしは北斎だけが好きなのだ。じつはこの展覧会には酒井抱一や鈴木其一、若冲なんかもあるのでは? との期待があったのだが、それらも全くなかった(この想像は、前回みた『ファインズバーグ・コレクション展 江戸絵画の軌跡』の記憶からだろう)。正直、がっかりした。最後のほうに展示のあった北斎の《菊図》だけ…。けれども、うねった菊の質感は、見応えがあるなと思ったが、いつもより、どうも、北斎に感じる何かが足りないような気がした。うちに帰って、なにげなく調べたら、北斎筆とあるが、真偽の疑惑も持たれた絵であるらしい。だからか? わからない。ともかくこれだけで展覧会を終えるのはしのびなかった。時刻をみるとまだ午後一時台だ。梯子して、山種美術館、おふねさんにあいにいくことができるかもしれない。それとも、わたしの見かたがおかしいのか? おふねさんも、以前観たものばかりの展示だろうし、失望することになりはしないか。そんな思いも頭をかすめたし、次の日もバイトだったから疲れはしないかとも頭をよぎったが、やはりおふねさんに会いたくなった。ともかくJRで。梯子をすると、電車代がずいぶん浮くことに気付いた。うちからの往復代金のほかに、博物館から山種美術館のある恵比寿駅までの運賃がプラスされるだけだ。得云々よりも、なんだか奇妙な感じがした。電車賃はたいてい、行きに駅で、パスモ千円買う。これと展覧会のチケット代がワンセットになっている感覚がある。およそ二千円。非日常へむかう渡し賃みたいなもの。梯子すると、その渡し賃の半分位がいらなくなる、そのことが違和だったのだ。悪くない小さな不思議。
 総武線でまたお堀を見ながら、代々木駅へ。ここで山手線に乗り換えて、一駅目が原宿。竹下通りとかの反対側のホームを見ると明治神宮の森がせまってきている。意外に緑が深い。かたやにぎわい、かたや静謐。この緑を車窓から眺める度、たとえば軽井沢か何かにきているのではと思ったりする。エアコンの効いた車内で、避暑地を思うのだ。
 恵比寿駅につく。ここから山種美術館のほうへ歩く。美術館への道案内の標識やポスターなどが年々増えた気がする。聞く人が多いのだろうが、移転してから数年。こうしてこの地になじんでゆくのかもしれない。お堀端にあった頃もよかったが。



 さて『速水御舟 ─日本美術院の精鋭たち─』(二〇一三年八月十日─十月十四日)。 当時、官展とともに中心的な役割を果たしていた院展は岡倉天心の精神を引き継いだ横山大観、下村観山らを中心に一九一四(大正三)年に再興された。速水御舟は第一回目から再興院展に出品。この展覧会は、御舟の芸術の変遷を、再興院展という同じ舞台で活躍した画家たちとの関わりを中心に紹介したもの。下村観山、大観、今村紫紅、小茂田青樹、安田靫彦、前田青邨など。
 速水御舟(一八九四─一九三五)の絵は、その時々、画風が違う。そのことについて展覧会紹介などに、〈御舟の約四〇年という短い人生における画業は、伝統的な古典学習、新南画への傾倒、写実に基づく細密描写、そして象徴的な装飾様式へと変遷しました。一つの画風を築いては壊す連続は、型に捉われない作品を描き続けた、画家の意欲の表れといえるでしょう〉とある。
 そう、彼の絵を何枚か観て、その最初に知った頃、描かれた絵の各各の画風の違いに不思議さを覚えた。けれども別人が描いた、というのとはちがう。ぜんぜん違うのだけれど、なにかしら一本の線が通っている。その一本の線を追いたいと思わせる、強烈な、いや、静かな個性に惹かれたということもあっただろう。
 最初に観て、惹かれたのは、おそらく《春の宵》(昭和九年/一九三四年)だ。夜のなかで、幽霊のような桜が花びらを散らしている。痛々しいまで細い枝、幹、満開の花、夜の細すぎる、月の魔…、なんという幻想なのだろう…。たぶんそんな風に思ったと思う。そもそも、今回の展覧会に行こうと思ったきっかけは、この《春の宵》を、自宅のパソコンのスクリーン・セイバーでみたからだった。
 会場は、「第一章 再興日本美術院の誕生」として大観、下村観山、菱田春草などの展示から始まるが、その前に、一点だけ速水御舟《牡丹花(墨牡丹)》(一九三四(昭和九)年)の展示が。これも何回かここで観たことがあったが、墨をたらしこみ、その滲みで描いた花びらと、緑色の葉、この二色だけであでやかな牡丹の花を描いているのが、かつては印象的に感じたものだった。墨で、こんなに鮮やかさを描くことができるのだと。
 今回はそれと少し違う。最初にまず出会えてうれしく思った…、そしてたらしこみによる滲みという、かなり偶然の産物を、絵に取り入れていることに、たとえばシュールレアリストたちの行為を、そして写真家たちの行為に、思いをはせたのだ。自分で描く、書くという行為自体にもまた、少なからず意思とはちがうものから、紡ぎだされる美があるが──詩をつくるときもそうだ…意識して言葉を出そうとしている、そしてそれ以外からわいてきたような、そんな狭間での作業だから──、偶然と芸術家の筆の共同作業、あるいはそのぎりぎりの境界線が、作品なのだ、言葉にすればそんなことを墨の花びらをみて思った。
 そしてなんと幻想なのだと。わたしは幻想をどういった意味で使っているのだろう。それはここにありながら、ここでないものの総称だ。ここにありながら夢見るもの、それなしではいられない、つむがれた繊細な、なにかたちの出会いの場だ。それは非日常、異界であるといってもいい。



 第一章、おふねさんのそんな歓迎の手招きの後、菱田春草らの作品を見る。菱田春草の朦朧体とよばれる、霞がかかったようなにじんだ筆にも、しみいるものがあった。解説によると、空気をあらわそうとしたらしい。空気というよりも、質感、気配のようなものを感じたような気がする。《釣帰》《雨後》など。

 「第2章 速水御舟と再興院展の精鋭たち」におふねさんの作品が集中して展示されていた。うれしい。
 観たものが多かったが、こちらの気持ちがちがうのか、初めて観るような気分になった。それとも少し違う。新鮮な感想のようなかたまりを絵から受け取っているのだが、かつてのわたし、以前絵をみたわたしが、すこし離れたところで、それを眺めている、そんな感覚だ。わたしが知っているのと、未知のあいだで、二つにわかれている。分かれながらも、つながりのほそい糸がみえている。
 《春昼》(一九二四(大正十三)年)は藁ぶき屋根の農家を描いたもの。ひさしや屋根に小さな鳩たち。鳩はおそらくそこに巣をつくっているのだろう。一見農家を描いたもののようだが、鳩に気付いてしまうと、なんだかぬくもりをかんじてしまう。そのようにみると、屋根のあたりがほっこりと、春の日差しで、あたたまっているようにも感じられる。春霞の、青い空。おふねさんにしては、やさしい印象の作品だなと思う。やわらかいいつくしみ。
 その近くに《百舌巣》(一九二五(大正十四)年)があった。これは実物を見るよりも先に、ミュージアムショップにあった絵ハガキでその存在をしったものだ。わたしは実物を見て気にいった時だけ、絵ハガキを買うのだけれど、これに関しては、なぜか観る前に買ってしまったことを覚えている。こんなことはほとんどない。珍しいことなのだ。けれども、買っただけで、それをとりたててじっくり見ようとしたことはなかった。その機会は、実物をみてからにしようと。
 では、《百舌巣》はそれから観たことがなかったのだろうか? その記憶があやふやだ。観たことがなかったような気もするのだけれど。だから、今書いてみる。絵ハガキをみながら、もとい、展覧会会場で、実物をみたときの記憶を。
 百舌のヒナが二羽、丸まった巣の上にとまっている。百舌という鳥は、意外に怖い顔をしている。目がそう思わせるのかもしれない。ハヤニエ(枝に獲物を刺してとっておく)をつくるから、そう思うのかもしれない。描かれたヒナもくまどりをしたような目のせいか、やはりちょっと目がするどい。だが、それと対比するかのようなヒナの毛の感触、そして巣につかわれた羽のやわらかな、光りかがやくような、繊細な質感が、《春昼》のように、おおむねぬくもりとして感じられるのだった。巣のぬくもり。
 
 そして《秋茄子》(一九三四(昭和九)年)。茄子と葉、その大半を墨で描いた作品。花が一輪、それがわずかに赤紫、そして葉にとまった小さなバッタが緑。《牡丹花(墨牡丹)》をほうふつとさせる墨が静謐だ。この作品は観たことがないか、おそらく観たことがあっても、当時は素通りしてしまったものだと思う。それは耳をすませて聞くように、注意深くみないと、気付きにくいものだった。静けさから、かそけき声をきく。そんなふうに小さな緑のバッタが眼にとまった。緑があざやかすぎる。まるでカゲロウの羽のように、鮮やかな生を墨色の葉のうえで、みせつけていた。なんというすがすがしい幻想だろう。ここに墨のせいか、牡丹で感じたような幻想をまた感じた。海綿が水を吸うように、けれどもあわく、やわらかな水の幻想だった。



 そして琳派をすこし思わせる(だがやはりおふねさん独自の世界だから)金地の背景の屏風絵《翠苔緑芝》(一九二八(昭和3)年)。左隻の苔地にウサギと紫陽花、右隻の苔地に琵琶の木や躑躅と黒猫(チラシやポスターに使われているのがこちら側の絵だ)。動物たちはおおむねちいさい。彼らが主役ではないように。だがつい目がいってしまう。わたしは個人的に猫のほうがすきなので、以前みたときは、つい黒猫のほうにばかり目がいってしまったが、今回はなぜかウサギがいるほうの紫陽花にひかれた。ぼってりと、ひびわれたような紫いろの花びらたちと、うっそうとした緑の濃い葉たち。そのボリューム感と、白いうさぎのつつましさに対比を感じたのかもしれない。右の黒猫は、ウサギのいるほうに視線をさまよわせている。二匹いるうちの一匹のウサギもまた、寝そべりながら、猫のほうを見つめている。彼らはおそらく金のなかで視線をかわしあっているのだった。
 そして梅や桜の絵たちが続く。目当ての《春の宵》もあった。さきほど触れたので多くは語らないけれど、今回もその絵は誘う静かな魔だった。何回みても、というよりもみるたびに、幻想だ。それはしたしい友人を前にしたときのような気持ちに似ているかもしれない。あうと何だかほっとする。最初の衝撃はないけれど…というよりも、最初からそれほど衝撃はなかったかもしれない。ただ静かな、強い魔だった気もしてくる。今回展覧会会場で出会ったそれは、親しげな魔だった。たぶん次回(いつだかわからないが)、この次にあったときも、《春の宵》は親しげに魔であるだろう。



 《春の宵》という夜の桜の手前に、夜の梅があった。あたかも季節がそうやって進むように。《暖香》(一九三三(昭和八)年)。左端から二本の梅の枝が右端にかけて横切るように伸びる。そこに薄紅色の梅。背景は暗い、墨と茶色をまぜたような淡い夜だ。梅の花は灯るように咲いている。めしべが金色にうっすらとひかって。



 そして題名にあるような香り…暖かい香りが、ただよっているように思えた。春の夜、梅の香りがともるようにやってくる。ほんのすこし甘く、そしてどこか怖い、けれどもおおむねやさしい灯のような香り。
 このほか数点の展示があり、未完の作品《盆栽梅》(一九三五(昭和十)年)があった。正月の梅が描かれているが、二月末に発病、三月二十日に腸チフスで亡くなっているので、絶筆に近いだろう。だが未完なので、これがどう速水御舟的な作品になったのか、わからないままだ。空白がめだつ。この空白が、彼の存在の欠如のように思えて、さびしくなる。そしてまた彼の周辺の画家の作品の展示で、第一室は終わる。ミュージアムショップを通って第二室、というか「第三章 山種美術館と院展の画家たち」にゆくことになる。
 異世界と現実世界の狭間にあるようなミュージアムショップを通って。ミュージアムショップは普通は展覧会がおわってから、帰りに寄るところだ。たまに展覧会会場の外にあり、展覧会をみなくてもミュージアムショップにだけはいれるようなところもある。そう、それは展覧会の延長線上にありつつ、日常に属している場所のように感じられる。見せるためのものではなく、売ることが目的の場所だからだろうか。ともかく、そこではいったん何かが区切られてしまう。展示室の照明がいくぶん暗いのに対して、ショップは白く明るい、それもことさら違和感を増すのだろう。もっともそれがどうというのではない。ミュージアムショップにはいるのはそれでも楽しいから。だがここにくると、いつもそうなのだが、第二室へ行く前に入るときは、ひとまずほとんど素通りすることにする。そうすることで異世界の雰囲気をたもとうとしているのだ。あるいはまだ狭間にちかづきたくなかったのだ。
 第二室、ちいさい部屋だ。ここに速水御舟《炎舞》(一九二五(大正一四)年がある。炎の上で舞う蛾たち。この絵についてエッセイも書いたことがある。よりよく生きるために死の舞踏をふむ虫たちについて。この絵もまたわたしにとって特別な絵なのだ。…ということを、絵をまえにして思いだした。絵はけれども思っていたよりも小さい。わたしの記憶のなかにある《炎舞》は、もっと大きいものだった。たぶん存在感がそれほど大きいということなのだろう。マグリットの絵が実際のサイズよりもいつも大きく私のなかであたためられているように。
 炎がちらちらと、めまいを誘発するようにもえている。それは蛾たちを誘う生の意思のように思える。死の飛翔がうつくしいのは、それが生きるためのものだからだ。羽たちが色とりどりに舞っている。この絵もまた、わたしにいつもなにかしら、つよいものをもたらせてくれるものだった。



 (第三章のこの部屋にほかにどんな展示があったのか全くおぼえていない。リストとかみればわかるのだろうが、わたしにとって関心がなかったということだから)
 ひととき炎の前にたたずんだのち、最後にまた第一室のほうをざっと観に行く。なにか気付いたものたちを、あつめるために。そうしてかれらとの別れをおしむのだ。今度はミュージアムショップでの滞在時間がもう少しながくなる。とりあえず展覧会の展示はすべてみたあとだから。終わりにむかって、非日常から日常へ向かうための儀式の一環で行われている行為だから。今度は、さきほどよりも、この空間が親しげにみえた。いつもの展覧会終了間際の儀式的な場所に近づいてきたからだ。非日常から日常へ向かうための橋渡しの場。第一室を軽くみてまわり、さらにもう一度、第二室の蛾の踊りを観に行き、とうとうこれで、おしまいだ。本来の終点の場として、ミュージアムショップによる。日常へ、非日常からのささやかな土産をさしだすために。それはおまじないのようなものだ。本当はこうして書いていれば、展覧会にいったという非日常は日常にいるわたしになにかしらのものを渡してくれる。書くという行為が非日常だからだ。けれどもミュージアムショップで買ったものたちは、そんなわたしにある種の助けをもたらしてくれるのだ。もっとも山種美術館のミュージアムショップにあるものは、おなじみのものばかりだ。ここで気にいったものは、もう買ってもっている。速水御舟の展覧会図録、絵ハガキもそうだ。《翠苔緑芝》の黒猫のハンコやハンカチまで持っている。けれども《秋茄子》はどうだったか。前に観た時あまり感慨をおぼえなかったはずだから、もっていないかもしれない。そう思って買って帰る。《暖香》は…たぶん持っていると思うけれど、自信がなかった。いちおうこの二枚を買って、ようやく外に出る決意をする。
 …この文章は、おふねさんに会いにいってから少しずつ書いてきたのだが、今の段階でもうその金曜日から、一週間以上経過している。だから美術館を出てからどうやって帰ってきたのか、というより何を考えて帰ってきたのか覚えていない。絵に関してどう思ったか、美術館内でどう思ったかは覚えている。絵ハガキやうちにあるおふねさんの画集たちをひらくと、それがカギとなって、実物を観たとき、なにを感じたか、思い出せていると思う。あるいは感じたことを、言葉にうつしなおすことが、だいたいはできている(ぬけおちてしまったことはおそらくあるだろうけれど)と思う。絵ハガキはやっぱり大切な想い出のためのおみやげ、スーヴェニールなのだ。
 そう、美術館を出てから、やはり日常にもどってきてしまったのだ。だからほとんどなにも覚えていない。書くべきことがない、という意味もあるが、おぼえていることがあったとしても、おふねさんとはあまり関係がないことだから、ここには書かないという意味でもある。
 さきほどから、すこし妙な感覚がある。美術館という非日常のことを思い出して書いている、今のわたしは日常から離れている。書くこと自体がもともとそうなのだけれど、特に美術館に実際にいたわたしの非日常と、今こうして書いているわたしのあいだに横たわっている日常、たとえばトイレにいったりご飯を食べたり、そんなことだ──を、切り替えるとかそういった意識なしに、なんなくまたいでしまっている、非日常たちが違和感なくスムーズに横断している感覚、日常がすとんと、どこかで落ちてしまっている感覚、書くことで、すぐさま美術館に行っていた時に戻ってゆけるのを、不思議に思っている。それはおおむね心地よいことなのだけれど。
 スクリーンセイバーの絵に、山口華楊、酒井抱一を加えた。おふねさんの絵は、前からセットしてあるし、こうしてパソコンに向かっている机から《炎舞》や《翠苔緑芝》がすぐさま見えるようになっている。
 幻想は、こんなふうに近くにいてくれるのだということを、わたしはもっと思いだすべきなのだ。肝に銘じて。このところ、日常にかまけすぎていた。おふねさん、ありがとう。パスカル・メルシェにもお礼をいいたい。またべつの本を読んでいる。じつはさっきから、この文章を書いている途中で、いったん中断し、そちらを開いている。するとスクリーン・セイバーがまたあらわれる。《春宵》たち。世界は異世界でみちている。

21:06:08 - umikyon - No comments

2013-08-16

電車にのると、そこは…

 このところ、絵画展に出かけていなかった。些細な日常的な事情による。よく出かけていた金曜日、以前よりもゆきずらくなっていたこと、疲れなど。
 電車に乗るのがおっくうになって…これは疲れた身体が感じることなのかもしれない。この一年半ぐらい、仕事で電車に乗るということがなくなった。最低でも週五日使っていたのに、その習慣がなくなった。今電車に乗るのは、たいてい休みの、それもほとんどが展覧会にゆくためだ。なら、旅行気分でいいだろう…と思ったのだが、電車のなかの話声がきになってしかたない。わたしが乗る時間はたいてい空いているが、話声がけっこうする。前に乗っていた、いわゆる通勤時間帯よりも多いのだろうか? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。通勤時間帯だって、けれども、イヤホンやヘッドフォンからもれる音楽などが気になっていたではないか。
 それに電車賃…、まあいい。こうしたことは理由にはならない。本当に行きたいのなら、それでもなんでも行くはずだ。ただ疲れていたのかもしれない。
 やっとバイトの忙しさがひと段落した。たぶんそのせいだ。疲れが日常だらけの体をつくる。疲れがのしかかって、思考回路にもやをかける。それでも締切がある原稿はなんとか書いていたけれど(ありがたい話だ)、こころがしびれたように、非日常から遠のいているのを感じていた。詩をかいている自分が、自分でないような、詩のことばが、わたしが書いているにもかかわらず、だれか、べつの、しびれのむこうで、だれかが書いているような、どこか他人事になって感じられた…。
 本もよむ気がしなかった。すこしづつ古典を読んでいたのだけれど、こうした頭だと、はかどらない。いっそ小説のほうがいいかもしれない。物語世界にまぎれこみたくなる、牽引力がある小説のほうが。そう思っていた矢先、家人の借りた本を返しに、うちの近くの小さな図書館に出かけた。できてわりと間がないのだけれど、名前もまちかど図書室というぐらいの、小さな図書館。だからあまり借りたいものはないだろうと思って、利用していなかった。
 けれども、返しにいったついでに、ざっとみてみる。今読んでいる古典の本、まったく同じものがあるのにほほ笑む。そして外国文学のコーナー。『リスボンへの夜行列車』(パスカル・メルシェ、早川書房)が眼にとまる。
 まだ読んでいる途中だけれど、かなり惹かれる本だ。古典文献学(ラテン語、ヘブライ語、ギリシャ語)の教師である主人公ライムント・グレゴリウス。彼は謎の女に出会い(この女はきっかけにすぎない、すぐに退場する)、彼女の話したポルトガル語の響きに誘われ、入った古書店で、ポルトガル語で書かれた一冊の本に出会う。「我々が我々のなかにあるもののほんの一部分を生きることしかできないのなら残りはどうなるのだろう」…。『言葉の金細工師』という美しい詩的なタイトルの本。彼は著者アマデウ・デ・プラドを求めて、教職、それまでの人生をすべてなげうって、スイスから、リスボンへの夜行列車に飛び乗り、本の著者の軌跡をたどってゆく…。
 本の著者の生きざまをたずねることが、本をわがものとして吸収する、たったひとつの…。いや、ちがう。グレゴリウスとプラドはまったく違う人生を歩んできたが、主人公は圧倒的に共感する。それは日常と非日常をくっつけようとするようにもみえる。あるいはほんの一部分とその残り。グレゴリウスとプラドは、ほとんど同じ人物の。べつの生き方であるかのように似通っている。グレゴリウスが日常で、プラドがグレゴリウスにとっては非日常で。
 そんな距離を縮めるために、彼はリスボンへやってきた。ほとんどわからないポルトガル語、だからこそ、異国的な力で、彼を魅了した、言葉の国へ。
 わたしは主人公ほどはプラドに惹かれない。すべてをなげうって、圧倒的に、というほどには。けれども、主人公の行為、そしてやはりプラドに(同じことかもしれないが)、共感する。言葉を慎重に、大切に、宝物のように扱う二人に。言葉を汚さないために、行動する彼らに。
 本の貸し出し期限は二週間。二段組みで五百頁近い単行本だから、最近の読書ペースだと二週間では読み切れないのではと思ったけれど、五日間で残り八十頁を切った。このペースだと大丈夫、というか、たぶんこの本は、手元に残したいから、近く買うことになるだろう。
 この五日間で、少しずつ、変化が起こって来た。化学反応というような。詩を書く、そのときの言葉が、まだまだもやがかっている、他人事なのだけれど、それでもすこしずつ、わたしに歩みよってきてくれつつあるような感覚。



 そして。ふとパソコンのデスクトップの背景を変えてみたくなった。北斎好きだけれど、パソコンには合わない気がして、ずっとしようと思ったことがなかったなと、ためしにいろいろ変えてみた。おもに冨嶽三十六景。意外に落ち着くので楽しかった。今は結局アカフジに落ち着く。水が好きなので、波や海を描いたものかと思ったが、アカフジの圧倒的な静謐、そしてむらがる白い雲のたたずまいに深淵を感じて。
 たぶん、『リスボンへの夜行列車』のおかげなのだ。わたしにまた電車に乗って、美術館にゆきたいと思わせてくれたのは。
 アカフジもなにかを手伝っていた。そしてスクリーンセイバー。今スクリーンセイバーは、わたしの好きな絵たちのスライドショーになっている。そのなかの一枚が速水御舟だ。スクリーンセイバーをぼんやりながめていたら、速水御舟の絵になった。ああ、この絵がまた見たいなあ…印刷されたものと、実物はやっぱり全然違うからなあ…、そうぼんやりと思い、ふと、そういえば山種美術館で、今、速水御舟展をやったいたのではなかったかと思い出す。
 そう、例の体が疲れていたときに展覧会のこと、知ったのだったが、その時は、おそらく殆ど前に観たものばかりだろうから、行かなくても…と思ったものだった。正確には『再興院展100年記念 速水御舟─日本美術院の精鋭たち─』(二〇一三年八月十日〜十月十四日)という企画展覧会。いや、そうだ、今回は、横山大観とかの作品も多いのだろう、だったら彼の作品、あまり好きでないし、速水御舟のものは、見たものばっかだろうし、いいかなと思っていたのだった。
 けれどものどが渇いて、水をもとめるように、スクリーンセイバーの御舟さん(と親しをこめて勝手にそう呼んでいる。“ぎょしゅう”ではなく“おふねさん”だ。)を観ているうち、かれの作品、たとえ以前観たものであろうとも、なにがなんでも、いかなければならないのでは…そんな思いが身体をつつみだしたのだった。
 それが木曜だった。パソコンでまた展覧会情報をしらべる。出品リストもみてみる。御舟さん作品は、看板となるだけあってかなり多い。菱田春草、下村観山…。どこかほかの展覧会でみて、ひかれた画家ではなかったか。
 水をもとめるように、日常から飛び出し、彼らの声を体にひびかせるために。で、金曜日、出かけることにしたのだった。
(続く)

23:58:44 - umikyon - No comments

2013-08-05

布に含まれた穏やかな水、という幻─古墳とヒマワリ







 ある二日間の出来事。半ドン(懐かしい言い方だ)と翌日はお休み。世界は旅に満ちている。たとえ家の近くであっても。つまり非日常に満ちているということだ。

 一日目。
 今日はうちのすぐ近くのお寺で、古墳についてのお話をきいてきた。数十年前、お寺をつくるときに、埴輪が沢山でてきて、ここが古墳だったと判明。出土品は、保管、調査しているが、古墳のなかは発掘しておらず、そのまま、お寺の境内、庭になっている。古墳は六世紀ころの、古墳時代末期のものだとか。発掘に関わった二人の考古学者の方のお話。特に地元の考古学資料館の館長をされている先生の話のほうが、具体的でおもしろかった。
 図書館にチラシが、あとあちこちに、催しのお知らせが貼ってあるのを目にしたが、行くまでは、実は参加者が殆どいないのではと不安になっていた。地味なイベントだ。考古学資料館に、以前行ったことがあるが、その時も、客は私たちだけだったし。
 けれどもふたをあけてみたら、結構盛況だった。講堂に八〇名位集まっていたのではなかったか。ちょっとうれしい。これは花をみにゆく人が多いことへの共感とか、そういう意味だ。年配の方が多い。わたしですら、たぶん若い部類に入るほど。
 先生方と、参加者で、ふだんは公開されていないお寺の古墳を散策する。こんもりとした塚になっているけれど、そうといわれなければきづかない。築山のようだ。木が生えている。いちばん大きいといわれる六号墳だったか、それでも円周が二十八メートルだとか。
 次に講堂(薬師堂)のすぐ裏脇の小さな古墳へ。多分三号墳。石室の石が土から一部露出しているという。なるほど、木の根のような石が見えている。
 〈今みなさんがいらっしゃるところがちょうど堀で〉。これは、最初の六号墳を前にして説明をきいているとき。そして三号墳を前にして〈今いらっしゃるあたりがちょうど堀にあたり…〉、さらに講堂で話をきいているとき〈この丁度裏に先ほどみた古墳があるわけで、みなさんが今座っていらっしゃるあたりがちょうど縁で堀になっているわけです〉。と、いつも水だったところで話をきいている、いつも堀の跡にいることが面白かった。水の好きな私としては。





 これらの古墳が造られた六世紀頃、時代は中央集権の時代へ移り変わっていた。そして、うちのあたりは南武蔵なのだけれど、このあたりでもちょうど北武蔵(埼玉の行田や鴻巣)のほうへ権力が移動した頃だという。古墳の大きさ(というか小ささから。中央である大和のほうの古墳はこの時期、もっと大きい)、そして出土品(おもに埴輪)からこれらのことが分かるのだとか。埴輪は、北武蔵の埴輪工房的な場所で作られたもので、それが南武蔵のこちらで出てきたというのは、北武蔵に権力が移行した後だからだという。
 講堂で話をきいていて、こうした知識を吸収するのは楽しいなあとつくづく思った。授業という感じがおもしろいのだろう。懐かしいのかもしれない。自分が布かなんかになって、知識という水を吸い込んでゆく感じ。といっても身になったというわけではない。それがきっかけで、その道への探求を進めてとか、そういうことはまったくなくて、その場かぎりなのだけれど(笑)。たた水を吸い込む感じが心地よいのだ。奇しくも堀の跡地で。
 講堂に、埴輪や鉄剣、三点が展示されていた。考古資料館から、もってきてくれたのだとか。埴輪は女性だった。博物館とかでみるよりもなんとなく心にしみる。後者は、十把一絡げな感じがするからだろうか。前者の三点、こちらは一つ一つについて、説明があった。しかもガラスケースごしではなく、ただ机に置かれただけ。触りこそできないけれど、触れるような近しさ。これらによって、親近感がうまれたのかもしれない。
 〈女性の目が切れ長の埴輪は、おそらく鴻巣でつくられたもの…、まわりにいた女性をモデルに作ったらしく、工房によって、顔に違いがあるので、それで、だいたい作られた場所がわかるのです。〉
 耳に耳たぶがなく、穴があいているだけで、かわりにドーナツ型のイヤリングがある。それを、実際に見れることの、ダイレクトな感じが楽しい。頭は島田髷と呼ばれるような髷で、横からみると双眼鏡のようになっている(ちくわが二本ならんでいる感じ)。〈双眼鏡が出土したぞ〜と、現場でいうので、「え? 双眼鏡?」と不思議におもったら、この埴輪でした〉。
 午後四時から始まって、終わったのが六時。まだ外は明るさが残っているけれど、もう夜が近づいてきた。境内の木立から、好きなヒグラシの音が聞こえてくる。この夏初めてのカナカナだ。かれらの声はなんであんなに悲しいのか。それは夕方の空によく似合っている。何かがはじまり、おわる時間だから。また来月も、このお寺ではない、ちがう場所(もしかすると神社)で、こんどは江戸時代の話をやるらしい。このあたりの豪族にまつわる話だというので、実はそれほどは触手はうごかないのだが、授業っぽいかんじ、水をすいこんだ布っぽい感触が味わいたいので、また行きたいなと思う。
 ところで、今回のお寺、場所はうちから歩いてもゆけるぐらい、本当に近くだ。古墳とかを見ると、そこを経てきた時間の気配のようなものを、感じる。それは旅だ。そうした微妙な、かそけき気配を、うちからすぐの場所で感じるのが奇妙だった。非日常から日常へなんなくスライドするのが。あるいは日常から非日常へ、か。ヒグラシの声をききながら、岐路につく、途中にある精肉店で、焼き鳥と唐揚げを買う。こうした行為への転換が自然なのが、かえって不思議だったのだ。六世紀から現代へ。ヒグラシの声が聞こえなくなった。まもなく夜だ。

二日目。
 今日はおとなりの県にひまわりをみにいってきた。神奈川県座間市。毎年七月下旬そして、八月下旬に、ひまわり祭りを開催しているらしい。八月のほうは、以前いったことがある。川辺沿いだった。今回いったそこは、別の場所、すこしばかり会場が離れている。川はない。だが、まわりはかなり緑が多い。木々をみるとやはりなんとなく心がおだやかになる。
 ひまわりは、会場の半分ぐらいはもう花の盛りを終えて、おじきをはじめていた。種がそだってきて、頭が重くなってくるので、下をむいてしまうのだ。
 なんとなく、勝手にずっと咲いているイメージをもっていたのだが、実は結構花期が短いのだった。咲いている期間は一週間ぐらい。それをみこして、おそらく種をまく時期をずらせているのだろう。半分ぐらいは、ちょうどさかりといった感じだった。
 ずっと咲いているイメージは、ひまわりは太陽によく似合うからかもしれない。お日様色の花だから。それは夏の日差しによく合っている。出かけたこの日、天気予報では雨だったけれど、晴れていた。雲はおおかったが青空だ。ひまわりは、青空の下で映えてみえた。このじりじりとした暑さ、明るさのなかで、黄色く咲く花は、ともすると暑苦しく感じてしまうかもしれないが、それがいいのだった。夏は暑いのだもの。黄色い花が上をむいて咲いている姿の数多に、力をもらうようだった。






 花がいちばん咲いているあたりの縁に、やぐらがくまれていた。それは展望台で、ひまわり畑を見降ろすというもの。けれども、展望台に上るのに、長蛇の列だったので、登るのをすぐにあきらめた。かわりに、咲いてないほうのひまわり畑に設置された展望台にのぼる。こちらはガラガラなので。雰囲気だけは、わかった。登らないで普通に見るとき、わたしの身長よりもたかいひまわりたちを、みあげるかんじだったのが、展望台にのぼると、こんどはひまわりを絨毯のようにみることができるのだ。黄色い絨毯がつづくのだろう。けれども、太陽に近いような花のひまわりだから、やっぱり見上げる感じがいい。
青空のもとで。
 咲いているほうの会場に、模擬店の出店がある。物産や食べ物。かき氷とやきそばを食べた。切り花の販売もしている。というか、畑のひまわりを勝手に切っていいらしい。三本二百円。三本200円。ここに来るまでは、ひまわりの花を切って帰るつもりだったが、いざ畑でひまわりを見てしまうと、なんとなく切るのがしのびなくなってくる。できれば種までもたせてやりたい…。うなだれて、茶色くなって。ひまわり畑のなかを歩いて、切り取られた茎だけのひまわりをあちこちでみて、特にその思いが強くなって、やめにする。こうして文章に書いたり、あるいは写真に収めるだけでいい。
 あたりに湧く地下水でつくったというひまわりサイダーを買った。もう十日もしたら、今度は、うちから歩いて十分ぐらいのところで、またひまわりが見れるかもしれない。ちいさなひまわり畑があるのだ。切り花(またもや)と、写真撮影用の台の貸出。イベントとしてはこんなものだが、うちから近くにこんな畑があると知って、うれしかった。
 そういえば、ひまわりを見ると、やっぱり好きだなあとしみじみ思う。一番好きな花かも…と、わざと思って、すぐさま否定する。なぜなら季節ごとに、一番好きな花があるからだ。春なら梅、桜、ホトケノザ、フデリンドウ、ウラシマソウ、レンゲ、タンポポ、夏ならハンゲショウ、カヤツリグサ、睡蓮、イチヤクソウ、ホタルブクロ、朝顔、ヒマワリ、秋なら…。その場その場で、そこに咲いている花が一番好きになるのだった。
 もっとも、ひまわりを好きだと感じるのは、特に子供の頃に、自由研究などで調べた記憶があるからかもしれない。小さい頃からなじみのある花だから。朝顔やオシロイバナもそうだけれど。

 二日の休みは、また旅のように過ぎて行った。凝縮だと思う。非日常は濃い色水だ。布にふくまれた穏やかな水。
00:01:00 - umikyon - No comments