Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2013-09-25

思い出ばかりが心にわきたつ…そんなつもりでは

 「大野麥風展」(二〇一三年七月二七日─九月二十三日)に出かけてきた。東京駅にある、東京ステーションギャラリー。サブタイトルは「大日本魚類画集」と博物画にみる魚たち。
どこかで…JRのどこかの駅…たしか両国の江戸東京博物館にいったときとか、新宿駅でとか、ともかく美術館にでかけたときだ、魚の絵のポスターに、ふと目がいった。ふぐが数匹、海のなか、サンゴの手前で泳いでいる。ポスターでは、実際はどうなのかわからない。印刷されたものと、実物では、やはりオーラがちがうから。この作品はもとは版画だというが、版画でもそうだ。つくられた時の熱をはなつ版画と、印刷でたたずまいがちがう。だから、あまりあてにしてはいけないが、糸口ぐらいにはなる。
 ちなみに、展覧会がおわったあとに買う絵ハガキ、あれもオリジナルとは別物だけれど、オリジナルをみた時の感動をおもいだすよすがになる。わたしはそのために絵ハガキなどを買っている。思い出のために。旅のお土産のように。

 

さて大野麥風…もしかして出会いがあるかもしれない…。後日、新聞で紹介する記事をみつけて、あのふぐのポスターを思い出しながら、思ったので、出かけた。先週に引き続いて、けれども今度は金曜日だ。次の日の朝はまたバイトだ。仕事にはさまれて、非日常がわきあがってくるだろうか。くもり空のせいか、だいぶ夏らしさがうすれてきている。ときたま太陽が顔をだす。じりじりとした、太陽の実感のような肌をさす感じが弱まっている。家から最寄駅までの間だけ、日差しにさらされるだけなので(美術館は駅舎内にあるはずだ)、いつもよりも日差し対策が少ない。それをどこかさびしく思う。
 さて、東京駅。丸ノ内線を使った。美術館は丸の内北口改札前。ただし丸ノ内線からだと階が違うので、わかりづらい。道順案内などもなく、掲示してある地図にも書いていないので、近くにいるはずだったが、迷ってしまう。JRの案内窓口で聞く。「もう終了しているはずですが…」と、とんでもないことを言われた。「え、まだ一週間あるはずなのですが」と言うと、別の人に確認をとってから、「失礼しました」と、道順を教えてくれた。すこしいった先の階段を上って、ほとんどすぐだった。ドームの端に入口がある。
 東京ステーションギャラリーは二〇〇六年から改修工事にはいっていて、再開業したのが二〇一二年一〇月だという。ほぼ一年前だ。わたしがかつて出かけたのは、それ以前ということになる。入口も変わっていたのだろうか、覚えがなかった。
 さて展覧会。HPから、簡単な紹介を。
 「日本画家 大野麥風(ばくふう、一八八八─一九七六年)は、一九三七年に出版された代表作「大日本魚類画集」で、原画を担当し、「原色木版二百度手摺り」といわれる色鮮やかな木版画集を生み出しました。本展では、魚を細かに観察して作られた「大日本魚類画集」全七二点といきいきとした魚類や国内外の風景、愛らしい小動物などを描いた大野麥風の作品を展覧いたします。」
 実際に見て、気付いたことがある。大野麥風が動物を描いていること、そして最初にポスターが目にとまったこと、このことで、わたしはニコ・ピロスマニを思い出していたのだということを。二〇〇八年、やはり秋のことだった。白いクマの親子たち。暗さのなかに、やさしい悲鳴のような母クマの顔…。それがポスターになっていた。あるいは電車の中で、小さなテレビ画面で、そのポスターになった絵を使って、宣伝をしていた。母熊が、そっと小熊を口でくわえて、もちあげるような動きがつけられていた。それらがどこか心にささったこともきっかけで、「青春のロシア・アヴァンギャルド展」にいったこと…。
 今、当時の図録をめくっている。わたしはどんなに、ピロスマニが好きだったか、と図録をみながら、痛切に思った。いまもすきだが、オリジナルをみたのはそのとき(三回みにいったが)だけだ。図録は絵ハガキと同じ、よすがでしかない。けれども当時の絵のはなった息遣いを、こうして思い出すことができる…。
 ともかく、ピロスマニの絵のポスターもきっかけとなって、出会うこととなった、そのときの衝撃を、どこかで期待していたのだと、大野麥風展で、魚たちをみていて思い至ったのだ。ピロスマニのかわりなどいはしない。
 あるいはウサギやリス、モズをえがいた作品をみて(展覧会のなかで、魚以外の大野麥風の作品は、ほんのわずかだ)、奥村土牛や、速水御舟の書いた動物の絵をみるときの心のざわめきを思い出したりした。さらに、魚たちを描いた版画や、掛け軸となった絹本彩色作品では若冲を…。「動植綵絵」の貝や魚たちにはじめて出会ったときの…。
 なんだか、大野麥風にもうしわけないようだが、わたしがなにを求めて展覧会にきたのか、わかったようなきがした。彼らとの邂逅のおりの感動、彼らの絵との大切な関係を、大野麥風展でも、味わえるのでは、あるいは彼らの一員になってくれるのでは、そうした期待が心のどこかにあったのだと、痛感させられたのだった。
 そう、大野麥風、個人については…。微妙である。共鳴のさざなみは、あるにはあった。彼の魚の絵に、海をかんじた。水をかんじた。およぐ姿が、幻想として、絵からつたわってくるようでもあった。それは水族館でみる魚よりも、幻想へのリアルな道筋なのだと思った。カレイやオコゼが海底の砂にうまっているときの、砂の感触がつたわってくる。 だが、ピロスマニ、若冲、おふねさん、つちうしくん(と、勝手に呼んでいる)、彼らとの出会いのあとでは、どうしても、もうしわけないが、なにか、わたしにはいってくるものがすくないのだ。

 それでも 展覧会にきてよかったと思う。去年バーン=ジョーンズ展で味わった、がっかり感はない。と、なにか比べてばかりで、妙な感想になってしまっているが。
 そう、先にも書いたけれど、東京ステーションギャラリーにきたのは久しぶりだ。最後にいったのはおそらく十年以上前ではなかったか。レンガの中の素敵な美術館。レンガは美術館のなかで、階段を下りるときに出現した。やわらかい、やさしい赤だ。おもわず、壁にさわりたくなるが、壁にさわるのはご遠慮ください、なので、みつめて、雰囲気を感じる。それだけでも、時代をへてきたレンガのぬくもりがつたわってくるようだった。
 美術館を出て、赤レンガの北口、ドーム内にまたもどってきた。上を見上げると、以前よりも装飾が豪華になった気がした。特に天井のあたり。レリーフや鳥の羽根のような彫刻。天使かと思ったけれど、あとで調べたらどうやら鷲らしい。
 そして昔、この東京駅、ステーションホテル内にある「カメリア」というバーで、マティーニを飲んだことも思い出す。マホガニーかオーク、木をふんだんにつかった、おちついた雰囲気のバー。もう亡くなってしまった恋人に連れていってもらったのだった。
 なにか、ほかの思い出ばかり、うかんできてしまう、不思議な展覧会といえば、展覧会ではあった。
 自宅最寄駅に着いたのは午後三時半ぐらいだったか。朝のバイトをして、それから別のバイトにいってきたのと同じぐらいの時間がかかっているわけだ。それなのに、なんと違うすごし方をしたのだろう。
 駅からの帰り道。いつも通っている、田んぼのある公園。だいぶ稲穂が傾き、そして色づいてきた。根元に用水路から配された水がたたえられている。いつもはもう乾いて、ひびわれた土が見えているのになと思う。けれども用水路から田んぼに送り出される水の、その流れに、ふわっと、ここちよいものを感じた。
 そこをぬけて、小さな林の小道で、彼岸花が咲いているのを見つける。ほんのすこしだけ、咲く時期をまちがえてしまった、といったふうに、ひとつだけ。となりの花茎は、ともしびのようなつぼみをつけてはいるが、まだ、地中からでたばかり、といった風だから。
 だから、まだ、彼岸花が咲いたのだという実感がわかなかった。けれども、そろそろ、咲く時期になったのだなと、やわらかく思う。おそらく、あちこちで、あのともしびのような花茎が顔をだしはじめているのだろう。こんなことをどこか懐かしく、そしてやさしいものとして感じているのは、やはり展覧会にでかけてきたおかげなのだ。ハクセキレイが目の前をよぎった。羽ばたき、羽ばたかないを繰り返して飛ぶので、飛びながら落ちる子だ。羽ばたかないままの姿で地面に着地した。白と黒のコントラストが夕方の日差しに、よく映えている。明日はバイトだ。
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2013-09-15

耳を塞いで匂いを嗅ぐ、耳を澄まして景を見る ─所蔵作品展 琳派・若冲と花鳥風月展



 新聞の特集欄で「所蔵作品展 琳派・若冲と花鳥風月展」を千葉市美術館で開催していると知った。八月二十七日〜九月二十三日。うちからこの美術館までは、すこし遠い。電車賃も片道千円ぐらい。だがちょうど計画していた小旅行が中止になったので、その分のお金をまわしてゆくことにした。図版も買えるだろう、駅構内で八街のピーナッツも買えるかもしれない(結局、どちらも買えなかったが)。
 早朝バイトが終わってから出かけるので、まだ頭の切り替えがうまくゆかない。バイト先の出来事をいちいち反芻したりしてしまう。おもに仕事ができない、ある人物の挙動について。だが考えることで改善ができるというわけではない、ならば反芻せず、考えないことだ…と思っても、なぜだろう、つい反芻してしまうのだ。日常をよく生きることが、非日常をよく生きることだと、多分、思っているから。非日常は逃げ場ではないから。そう、わたしはこれから先、非日常へ向かうのだ。
 あるいはそれは小さな毒のようなものなのか。体にすこしだけ浸透してゆく。浄化なのか消化なのか、そうして毒をないものにするに、時間がかかる、あるいは、薬のようなものが必要なのか…。



 電車に乗るのも非日常ではあるが(通勤などで全く使わない生活だから)、電車に乗ると、人の話す声がまず耳についてしまう。うるさい(多分それほどではないのに)。それは日常からの語りかけのように思えてしまう。電車のなかで語られる会話に、ほぼ幻想はない。思い出したように耳栓をする。遮断されるわけではないが、だいぶましだ。土曜日の午前中、しかも急行だというのに、なぜか座れた。たしか土曜日でも結構、上りは混んでいるはずだったが。耳栓をして本を読む。だがバイトの疲れがあったので、途中で寝てしまう。新宿駅に着く。
 新宿駅から総武線で一本で千葉駅へゆく。たぶんもっと短い時間でつけるルートもあっただろう。新宿から千葉まで、七十分以上かかっていたが、ともかく眠りたかった。幸い、というか、予想していたのだけれど、こちらも座れた。途中、子供たちが五人ほど乗ってきて、わたしの隣の席で、飛んだり跳ねたり、はしゃぎまわって閉口したが(何かの罰ゲームなのかと思った)、それも七十分の最初のほうだけだった。眠るには十分な時間があった。眠ることで、日常から非日常へ、心を泳がせること。
 千葉駅につく。改修工事中とかで、ほそい通路しかみえない。なんだか迷路みたいだ。以前電車で来たとき、このどこかで千葉の物産を売っていたのだったが…と思う、そうピーナッツ。迷路から抜け出て、突然東口へ。残念、売っていなかった。東口から駅ビルの商店街のようなものが広がっている。ショーウインドーに洋服や小物たち。都会にでることがなくなって久しい。ふだん見ることがなくなっているので、これも珍しい。宝物のような手招き。
 前に電車で来たのはいつだったか…。おそらく四、五年ほどまえ。会社が倒産した後、時間に余裕があったころだ。その前、はじめてここに来たのはいつだったか…、もっと前だ。十四、五年前。特に後者、当時の大切な思い出をふと振り返ってしまう。どちらでも、たしかピーナッツを買って帰ったのだが。
 美術館までの地図をインターネットで拾って、プリントアウトしてきたのだが、地図だけだとわかりにくい。それでも何回かきているので、道にまよわずすんだ。そのことも懐かしい。ここを曲がればいい。この店に見覚えがある、突然橋が出現する、ものすごい汚い川が流れている…。珍しいと思ってしまう。お堀なんかも、このぐらいだろうか。いやもっときれいな気がする。自宅近くを流れる野川が、見た目には澄んでみえるから、なおさら比べてしまうのだろう。ところで、この淀んだ川、なぜかあまり記憶がない。そういえばあったかも…と、かろうじて思い出せるぐらい。川好きなのに妙だ。汚れていたら、それを悲しく思って、記憶にとどめていたと思うのだが。
 駅から美術館まで、徒歩十分とあるが、徒歩十五分ぐらいだろうか。ふるい建物をつつむ形で建てられた複合施設。美術館のほか、市役所、図書館なども入っている。ふるい建物は、旧川崎銀行千葉支店のものだとか。花崗岩や大理石のネオ・ルネサンス様式。円柱が何本もならび、重厚な面持ちだ。ここをちらっと見て、美術館のある八階・七階へ。



 展覧会HPから(http://www.ccma-net.jp/exhibition_01.html)。
「 花鳥風月とは自然の美しさであり、美しい自然を愛する文化です。古くから美術は花鳥風月をかたちに表してきました。
「花鳥」の花は植物全般、鳥は動物全般を代表し、生命を象徴するものです。唐時代の中国で成立した花鳥画は日本の四季の中で育まれ、近世日本絵画で大きく花開きました。日本美術の装飾性をよく表す琳派や伊藤若冲は花鳥画に多くの優品を残しています。「花鳥」に対して「風月」は天候、自然現象といえます。山水に象徴される宇宙の中に花鳥風月はあり、人の営みもありました。
 本展覧会は「四季」「花」「鳥」「風月」「山水」「人物」「琳派の版本」の七章構成で、千葉市美術館のコレクションから江戸時代の日本絵画を中心に花鳥風月を題材とした一二三点を展示します。」
 まだ実は頭が日常に傾いていた。絵たちがいまいち語りかけてこない。それでも一章「四季」にあった鈴木其一《芒野図屏風》(天保後期〜嘉永期頃、千葉市美術館)。
 銀地に黒い芒が一面に。そしてへびのような白い靄があたりをながれている。どこかでこれを見たか、似た絵を見たことがあった。夜のなかで銀にひかる芒の満開。あるいは月に照らされた静けさ。芒はまっすぐに立っている。立ちながら、ゆらぎの空間を奏でている。銀は闇であり明りであった。その狭間でたつ芒に、しばし心が動かされた。
 そして若冲。まず《鷹図》(宝暦後期頃、紙本墨画、摘水軒記念文化振興財団)。墨で描かれた鷹。背中からとらえたもので、鷹は横顔を向けている。すこし全体的に長細いような気がするが、なめらかで、羽の質感が、墨の濃淡だけで描かれているというのに、手触りとして伝わってくるようだ。そして、鷹の表情、目のあたりが、若冲の鳥の目だと思った。たとえば彼の描く鶴や鶏などと同じ目をしている。そのことに、ほっとした。ひとりの画家に連綿とつたわる画風の一端を、この目でみれたことに、だったか。わたしはこの一人に共通した一本の線を追うのが好きだ。それは小説などでもそうだ。同じ作家の違う本のなかから、彼特有の線を、においをかぐ。それを感じるのが好きなのだ。だから気に入った作家のものはなるべく全部読もうとする。線のにおいをかぐために。



 ちなみにこの鷹をみて、北斎が描く鷹も思い出した。彼の鷹は若冲のとは違う。孤高なくせにどこか愛嬌がある。彼もまたわたしに大切な一本の線をみせつけてくれるのだった。
 若冲の《鶏図》(宝暦中・後期頃、紙本墨画、個人蔵)も墨で描かれたもの。鶏が、まっすぐこちらをむいているので、鶏冠や肉髯、首のあたりの毛で、なにか獅子のようにタテガミでもあるように見える。威嚇しながらこちらを見つめるその姿がどこかユーモラスで、しかもやはり若冲だ。すっとした肢体のむだのない動きの瞬間が感じられる。
 そして、チラシでも一部使われた、鶴たち、《旭日松鶴図》(宝暦五〜六(一七五五〜五六)年頃、絹本着色、摘水軒記念文化振興財団)。これも多分、ここでいつか見たことがあるものだった。赤い太陽に松。そして二羽の鶴。二羽のうち一羽は首をひねりすぎて、手前の一羽の胴体のあたりから、画面右ほうを見つめている。もう一羽は首をすっくとのばし、やはり、右側をむいている。いくぶん上のほうを。こうした違いが、二羽の対比として、効果を生んでるのかもしれない。そして二羽とも幾分細長すぎるきらいがある。ちょうど鷹がそうであったように。だがそれでいいのだと思わされてしまうのは、やはり白い羽や尾羽根の黒さの繊細さからかもしれないし、眼光の鋭さからかもしれない。いや松の葉の茂り、松の幹の、蛇の鱗のようなそれのあでやかさからくるのかもしれない、おそらくそれらすべてがあわさって、存在感をつきつけてくるのだった。そうしてこの絵は若冲のほかの絵、一本の線のうち、とくに「動植綵絵」のシリーズを思い出させてくれるものだった。わたしがはじめてみた若冲の動物たち。その当時の新鮮な出会いを、衝撃を、忘れていた奥底から、しみとおるように思い出させてくれたのだった。なんどもこの絵のまえに戻って、そして見つめる。目と、そして松の幹のうろこ模様に心ひかれる。ちなみにこの絵の隣に岡本秋暉の描いた若冲の模写の《鶴図》が展示されていた。元絵の写真が参考として横に掲げられていて、比べることができる。鳥の羽根の質感などはよく描かれていると思ったが。どこかが違う。どこがどう違うとは言い難いのだが、一本の線が見えない。いちばんわかりやすい違いは目だった。鶏や鷹とも共通する若冲のあの鋭いような人懐こいような眼ではない。もっと力がない。だからか、なんとなく絵にも力がないように思えるのだった。



 そしてさらに《月夜白梅図》(宝暦後期頃、絹本着色、個人蔵)。満月に白梅が雪かなにかのように小さく、たくさん、夢見るように咲いている。それらと枝が月でひかっているようだ。枝にところどころ青くひかるかたまり。おそらくラピスラズリの色だ。月によって照らされた幹が、うごめく生き物のように、青光りする。雪のような白梅の花のちらめき。今日はじめにこの絵をみたとき、涙がでそうになった。しろい輝きに心がひたされてゆく。そしてそのすぐ後で、例の日常の毒が、また押し寄せてきた。絵の前で、出来事を反芻するのだ。そうしちゃいけない、せっかくの絵に集中するのだ、そう思っても、また浮かんでしまう…だがそれも徐々に薄れていったのだが。おそらくこの絵は、今日の私にとって、究極の非日常だったのだ。だからこそ、日常に対して、否とつきつけてくれるために、もういちど日常を思い出させたように思う。浄化するために。目をそらすことなく、それらを見つめるために。この絵はそれほどに力をもっていたのだ。わたしにとって。だからこうした役を引き受けてくれた…。あとでそんな風に思った。



 展覧会を一巡してのちに、鈴木其一や酒井抱一、そして若冲の作品をまた、何度か、眺めにいった。この《月夜白梅図》、見るたびに、日常の呪縛が薄れてゆくようだった。ただただ白い淡い光がやさしい。
 そう、ほかにも酒井抱一、中村芳中など、ひかれた作品があったのだが、期待していた図録や絵ハガキなどのお土産もなかった関係で、ここにその絵のよさを書くことが難しいので、省略する。
 美術館のある階から降りて、一階の美しい建物へ、さや堂ホールとある。さやにおさまった建物という意味から来たのか。つめたいような石のぬくもり。このぬくもりはおそらく時代を経てきたからだ。荘厳で、けれどもどこかやさしい。
 実はここにきたら、もう一か所、寄りたいところがあった。千葉駅からモノレールで二駅の千葉みなと駅に向かう。たしかいつか…おそらく十四、五年前も行ったところだ。千葉みなと駅には、千葉県立美術館がある。もしかして、そちらに行ったときだったかもしれない。いや、やっぱり今みたいに千葉市美術館からだろうか…。千葉みなと駅で降りる。降りて、ポートパークへ。海が見たかったのだ。だが記憶よりも意外と歩く。十五分ぐらいして、ようやく公園へ、まだみえない。松が見えた。その向こうにようやく海だ。
 …コンビナートなどや埋め立て地が見えるし、公園も埋め立てだろうし、人工的につくった砂浜だったろう。海の水も灰色じみて、あまりきれいとはいいがたい。だが海だ。ともかく海だ。わたしはこれが見たかったのだ…。ふと、耳栓をしっぱなしだったことに気付く。美術館からずっとつけていたのだ。あわてて、とる。波の音がやさしく、打ち寄せてくる。白い泡。そうだ、耳からも景色を感じなければいけないのだ。
 天気はくもりだったが、雲の切れ間からヤコブの階段が海にむかってかかっていた。階段は輝いてみえる。輝きをもって、海に降りてくる。自然からの贈り物をもらったようだ。海にはウインドサーフィンをする人々。カメラをもってきてなかったので、携帯で何枚か写真を撮る。ヤコブの階段を撮りたいのか、海が撮りたかったのか。いや、この場の瞬間の一端を思い出す縁がほしかったのだ。シャッターをきる音に波の音がよりそっていた。



 海を背に、公園を通ってまた駅へ。波の音から離れると、今度は秋の虫の声。先程は耳栓をしていて気付かなかったのだ。つくづくこういう場所では耳栓をしていてはいけないのだと思う。こんなに鳴いていたのだから。ふとキンセンカだったと思うのだが、橙色の花が、ぷっくりと咲いているのに出会った。それはさっきまでいた美術館でみた花のようだった。なんといえばいいのか、作品として展示されている姿を彷彿とさせたのだった。やさしい花たちのあいさつだ。
 帰りは千葉みなと駅から京葉線で自宅方面に向かうことにする。ついまた、耳栓をして。東京駅で駅弁を買う。晩御飯用だ。すこしのぜいたく。買う時に、電車のなかで食べる人の気分を想像した。
 電車の中で本を読む。そしてまた眠る。たぶん、帰りのほうが、心が穏やかだ。自宅最寄駅につく。こんどはすぐに耳栓をはずした。
 自転車置き場からすら虫の声。あたりはすっかり夜だ。暑さも一段落。さびしい秋がまたはじまるのだろう。すごしやすいのに、どうして秋よりも夏のほうが好きなのか…。自転車をこぎながら思う。夏はピークで、秋は終りにむかってゆっくり流れる季節だから。用事があって、いつも通らない仙川沿いの道へ。桜の時期は両岸の桜並木が見事だが、それ以外の時期はほとんど来たことがない。なんだかこそばゆいような緑の桜の木。すこし離れた場所から見てみると、それは森のようだった。桜の木の森。というよりも単に森だ。虫の音がまたしている。
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