Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2013-11-25

夜のずれた誘いが景だ。

 昨日、というか、土曜日、関西からきた友人のちょっとした付き合いでソラマチ、そしてお台場へ出かけた。夕方まだ空が昼間の明るさを保っている時間に家を出たが、ソラマチのある押上駅に着いたときは、多分五時半位、もう夜になっていた。スカイツリーの下にあるソラマチは、人がたくさんいて辟易した。久しぶりに人たちの群れを前にして、もうすっかり、人ごみが苦手になってきているんだなと改めて思わされた。さまざまな店、さまざまな人たち。これが、けれども東京のイメージなんだろうと思ったりする。ソラマチの外からスカイツリーを、そのきらびやかな照明に照らされた姿をみた。おおむね青く光る姿は、それでも見事だったけれど。





 ソラマチに限らず、ショッピングモール的に、様々な店の入った姿に、美しさを感じないのはなぜなのだろう。
 なぜか、いつもこうしたものを前にすると、新宿を思い出す。新宿で勤めていたころ、楽しむためではなく、日常的に、こういった場所を利用していたからか。たとえば、バッグがこわれたからとか、そろそろ服やコップを買わないと、など。そう、それは楽しみではほとんどなかった。仕事帰りの時間、仕事から自由になった時間がこうした買い物をするために、失われてゆくという感覚すらあった。時間がもったいない…。いまは、ネットでだいぶ買い物ができるようになったから、そういった面では助かっているのかもしれない。本当はネットショッピングでも無駄な時間をかけてはいるだろうけれど、少なくともどこかでその行為を楽しんでいる。画面でみるのと実物では、どうしたって違いがある。2Dと3Dだし。その違いの間に、想像力を働かせるのが楽しいのかもしれないし、単純に人の群れを感じないで済むからかもしれない。
 ソラマチにいったのは、スカイツリーに登ってきた友人一行と、待ち合わせる為だった。携帯電話があったから、なんとかめぐりあえたけれど、それがなかったら、会うことはおそらく不可能だったと思う。夕食を一緒に取ることにしていたのだが、ソラマチの飲食店は、どこも長蛇の列のようだ。友人たちはまだスーツケースをもったままだったので、ここを離れて宿泊先のホテルに荷物を置きに行くことにする。そこがお台場だった。
 以前、お台場に近い竹芝桟橋まで、自転車でもゆける場所に住んでいたこともあり、あの辺りはよく出かけたものだった。
 今は、少々離れた場所に住んでいるし、ほかにもちょっとした事情があり、もうずっといってなかった。
 押上駅から、都営浅草線、そしてゆりかもめに乗って、お台場へ…。思いがけなかった。もう十五年以上出かけていない。当時、お台場は、まだそれほど混んでいなかったと思う。
 お台場は好きな場所だった。もともと、海を見に行っていたのだ。人口の砂浜があり、台場跡がある。海浜公園として整備されていて、一帯は意外と緑が多い。昼はそれらを眺めてぼうっとしていた。
 そして夜は夜景を楽しんだ。対岸の東京タワーが見えるあたり。海にうつった灯、屋形船のはなつささやかなにぎわいの灯、灯、地上にまたたく星たち。
 当時は、竹芝桟橋にもよくいっていた。伊豆七島のアンテナショップでなにかしら買った記憶もある。伊豆七島の塩だったかもしれない。明日葉だったかもしれない。
 そう、最後にお台場あたりにいったのは、いつだっただろう? その時は、こんなに長いこと、ここと離れることになるなんて、思ってもみなかった筈だ。それぐらい、休日の楽しみではあったけれど、わたしには日常にちかしい場所だったから。
 それはほんとうに思いがけない別れだったのだなと、昨日、ゆりかもめに乗って、夜景を楽しみながら、漠然と考えていた。新橋からゆりかもめに乗る。小さいモノレールだ。飛んでいるゆりかもめをデザイン化したロゴも懐かしい。竹芝駅を過ぎ、芝浦を過ぎる。お台場のどこかで花火があがっていた。関西の友人が、毎土曜日、7時から花火が打ち上げられているのだと教えてくれた。こんなに近くで、見れるなんて。やはりお台場あたりによくいっていたころ、何回か見に行った東京湾の花火大会を思い出す。
 東京タワーがあちらにみえ、こちらに見える。ゆりかもめは、芝浦から、レインボーブリッジをわたる際に、かなり曲がって走るから。その東京タワーの姿を追う。オレンジ色の灯の結晶のような子だ。東京タワーもまた、十五年ほど前のわたしにとって、なじみ深い建物だった。やはり自転車で、東京タワーの下あたりまで出かけていた。芝公園あたりから見上げたタワーの鮮やかな色彩の威容が思い出される。そして東京タワーは当時住んでいたマンションから頭だけ見えたのだ。ちょうど、今住んでいるマンションから、富士山が頭だけみえているように。東京タワーとは、たぶん私のなかで、ちゃんとお別れをしてきたたのだ。もう窓から見えなくなるのだなと、別れを惜しんだ記憶がある。だが、このお台場の景色たちとはそれがなかった。こんなに長いこと、会えなくなるなんて、思ってもみなかったのだ。
 昨日は、ゆりかもめから夜の景をながめ、お台場の駅で降りてからも、またレインボーブリッジ、そして夜の海、乗ったことのある観覧車、自由の女神、灯、灯、東京タワー、光のたくさんを、久しぶりに…チラ見ではあったけれど、みることができた。たぶん当時より、さらに灯は増えているはずだったが、それでも感慨深い景色だった。それは最後にみた、あの頃だけの思い出と重なるのではなく、もっとさらに昔、夜景が好きだった十八歳位のときの記憶とも重なるだろう。あの頃、やはり東京湾の夜景が見える、晴海ふ頭まで景色を眺めに出かけたことがあった。たしかバイトの帰りだ。新宿からバスに乗って。ひとりだった。また、お台場あたりだと、お台場と呼ばれるよりも、十三号地と称されていた時に、そこに出かけた記憶もある。まだレインボーブリッジは工事中だった。対岸のビルたちが、まるで桃源郷というより、ハマグリがはきだした蜃気楼のように、灯りをはなって誘っていた、それは対岸であることから、行けそうで行けない場所、幻想の場所だった。
 友人たちも、景色を楽しんでくれているようだ。よかった。ホテルに食事をするところが入っていたが、どこも最低一人あたり一万円ぐらいかかる。なかなかの値段だ。ホテルを出て、すぐ隣にあるアクアシティお台場へ向かう。ここの飲食店街も多少は並んでいたが、ソラマチの比ではない。夜景を見ながら、わりと安価な食事を楽しむことができた。窓の外からレインボーブリッジ、そして知らないうちに、オレンジ色から、緑と赤と青だったか、とにかくそんな色の縞模様にライトアップされた東京タワーが見えた。ちょっと色が合わないなと思ったけれど、そういえば昔、うちの窓から見えた東京タワーもたまに色を変えていたなと思い出す。クリスマスのときは緑のツリーのようになっていたっけ。大みそかのカウントダウンの時も色を変えていたはずだ。
 友人たちと別れて、またゆりかもめに乗った。車窓から以前、奮発して一度だけ入ったことのある、すこし値のはるレストランの入っていた五階建て位の建物も見えた。ホテルだかなにかが斜め前隣に出来て、窓からの眺望が損なわれていたこともあり、当時からどこかさびれてゆく感じがあったのたが、まだ建物があってほっとした。目の前のきらびやかな夜景を前にして、まだ再会の妙を不思議に思っている。この景色と別れるとは思わなかったのに…。今こうしてまた見ることができて、なつかしいというよりも、そのことばかりが気にかかった。あれほど好きだったのに、別れをしなかったことに、たしか当時、ほとんど気付いていなかったのではなかったか。
 ひとつには、あの辺りから引っ越しをしたのは、一月、冬のさ中だったのだが、お台場あたりに自転車(正確には竹芝まで自転車で、あとはゆりかもめに乗って)で出かけていたのは、せいぜい寒くなるまでの間、秋ぐらいまでだったからだと思う。もともと冬の間は出かけていなかったから、離れることが、うやむやになっていたのかもしれない。
 ともかく、こうして訪れることのできたお台場は、不思議な感覚をわたしにもたらした。離れていたようで離れていなかった存在。別れをちゃんとしなかったことで、逆にまだ別れていないかったのだと、心にどこかずっと残っていた場所、あるいはそうした思いのかたまりが、この時、わたしに温存されたままの姿で、今眺めている景色に誘発され、うかびあがってきたこと、そんなことを体験したことがほとんどなかったので、目あたらしく思っていたようなのだ。思い出の景色と、今ここで見ている景色が二重にわたしにせまってきた。それはたとえば、桜を毎年見る時に感じる、あの思い出と目の前の桜のつくる、合体的な景ではない。桜は、その一本一本に、かつて見た、去年見た桜たちが、見事に重なって、複合したものとして、わたしに迫ってくる。だがお台場のそれは、現在見ている景色と、過去のそれがどこかはがれたまま、一致することなしに、ぶれるようにして、わたしに迫ってくるものだった。そのことに対する、やさしい違和感。だが景色が戸惑ったまま、幾分ぎこちなく、微笑んでいるようでもあった。それはどこか淋しい夜のずれだった。眼前の景色はそれでも相変わらず(おそらくもっと灯は増えたのだが)妖しく優しい誘いだったけれども。



 今日、夜になって買い物に出かけた。屋上の駐車場からみえる景色は、住宅地のほかは緑が多い。うちのあたりはおなじ東京とはいえ、ネオンが少ないのだなと、お台場や新橋などの夜の景色を思い浮かべながら、ぼんやりと思った。人の混雑もないこと。近くを流れる川は、灯もほとんど映らない。暗い水面、そして昼間だと澄んでみえる水が流れている。この街に越してきて五年位だが、十年ほど前から、土日は毎週ここで過ごしていたこともあり、だいぶなじんできていたのだなと、あらためて思った。こんなふうに慣れてゆくのだろう。そして思いがけずの別れが、きっとまたくるはずなのだ。
09:54:47 - umikyon - No comments

2013-11-05

流れる川に蔓が流れる。凭れた壁が接点だ─ウイリアム・モリス

 生活と美しさを共存させること。平衡をとりながら、狭間を歩くこと。それは日常と非日常、現実と想像、たとえばそれらの狭間だ。
「ウィリアム・モリス 美しい暮らし展」(二〇一三年九月十四日─十二月一日、府中市美術館)に行ってきた。
 最初に紹介を。
 ウィリアム・モリス(一八三四─九六)は、十九世紀イギリスを代表する詩人、画家、思想家、園芸家、工芸家、デザイナー。産業革命後、粗悪で安価な大量生産品が出回っていたことに反発し、画家(エドワード・バーン=ジョーンズ、ウォルター・クレイン等)や建築家(フィリップ・ウェッブ)とともに、室内装飾品や家具などを造る。この生活と芸術を一致させようとするモリスの思想とその実践はアーツ・アンド・クラフツ運動として、各国に拡がり、二十世紀モダンデザインの源流にもなっている。
 展覧会は、モリスデザインの織物、染物などの布製品、壁紙、モリス商会の室内装飾品(タイルやランプ)、椅子などの展示、美しい本としての印刷物、ステンドグラスの写真フィルムの再現などが見られるような構成。
 ラファエル前派とも、芸術面でも、その生活面でも関わりが深い。だから、ロセッテイやバーン=ジョーンズなどと絡めた展覧会が開かれたりしていて、昔からなんとなく、作品を目にしていた。多分ずいぶん前になるが、ウィリアム・モリス展単独のものでも、出かけた記憶がある。それに今も壁紙やファブリック、ハンカチなどでウィリアム・モリスデザインのものはお目にかかれる。うちにも何点かある。
 「役に立たないもの、美しいと思わないものを、家に置いてはならない」
 生活と美の共存、つまり日常と非日常の共存。いつからかこうした彼の思想には、興味を惹かれてはいたのだけれど、それまでに行った展覧会、いいなとは思ったけれど、感動したおぼえがなかったので、あまり期待していなかった。彼と、何となく私のなかでセットになっているバーン=ジョーンズ展もがっかりだったし。ちなみにバーン=ジョーンズとモリスは同じ大学で席も隣合わせ、生涯の友人だった。





 いや、実は期待していなかった、というのは少し違う。期待していない、いない、と力をこめて、自分に言い聞かせている風ではなかった。ちなみに、こんな風に意識的な時、たいてい、期待せずにいってよかった、つまり、わたしにとって、それほど心が動くことのない結果に終わる。まるで行った後の自分をあらかじめ慰めるかのような気分になることが多いのだ。
 そう、そうではなく、今回はもっと肩の力が抜けていた。期待していない、という言葉がぎりぎり浮かんでくる以前の、くくってしまえば、「期待していない」には入るのだけれどかすかな風のような、像を結ばない、そんな感じだった。
 そうして、今回のような気持ちで出かけた時は、出かけた後で振り返ってみると、たいてい良かった、という印象をもつことが多いような気がする。
 それは、後だしジャンケン的な、思いこみなのかももしれないけれど、こんな無意識的な期待のなさには、裏のどこかで、展覧会が私にあたえる印象を予測していたのじゃないかと、つい思ってしまうのだ。そんな変な既視感がある。つまり、無意識的に期待していない展覧会というのは、総じて、印象深いそれであった気が…。
 つまり今回の展覧会、私にとって、やさしい贈り物に満ちた展覧会となったのだった。狭間を川が流れていた。川の流線が植物の蔓に重なる。たとえばそんな風に、私の狭間に、ウィリアム・モリスの文様が、ふっと近付いてくるのだった。あるいは壁にもたれたその箇所から(壁紙はもちろんモリスデザインだ)、熱いぬくもりを実感するように。

 最初は《ひなぎく》(一八六四年、木版印刷、紙)、壁紙だ。後に見られるような絡み合うような文様の見られない、初期の作品。ひなぎくたちが、個々に原っぱに咲いているように、規則正しく置かれている。どこか素朴さを感じた。そして、ひなぎくに対する愛情のようなものを。中世の写本や古い民芸品を参考にしたとあったが、たとえば原っぱで、春まだ早い時期、たんぽぽを見つけて、うれしくなるような、そんな気持ちが、《ひなぎく》のまえで、共振のように、わきあがってきた。



 そしてこれも壁紙の《格子垣》(一八六四年、木版印刷、紙)。格子に組まれた生垣にバラがまきつき、花をあちこちで咲かせている。四角と赤い丸い花、五枚でセットの星のような緑の葉、そして棘のある茎の描くうねりとの組み合わせ。さらに花の蜜を吸いに来た虫たち、虫をついばむ鳥たち。四角と丸、花と虫と鳥、写実とデザイン、様々な要素がからみあって、訴えかけてくる豊穣だった。それは家にいながらにして、庭を感じることと、リンクする。



 《柳の枝》(一八八七年、木版印刷、壁紙)は、複雑にからみあう柳の葉と枝。デザインと写実を組み合わせているというよりも、もっと境界があいまいで、風にそよぐ柳の葉らしさ、光をあびた感覚までもが、眼前に拡がるよう、柳の葉そのものが、こんなふうにからまってあるのではないかと一瞬錯覚する。それがとても心地よい。柳の凝縮をみるようだとも思う。



 このあと、展覧会は「自然の形と文様の融合」というテーマで、さらに文様が顕著に見られる作品の展示となる。渦をまく円形、流線、渦巻き…。
 《るりはこべ》(一八七六年、木版印刷、壁紙)は、茎が渦を巻きながら、円を造り、他の茎と絡まりながら、花の側面を見せている。そのあいまに、今度はだいぶ小さい正面から見たるりはこべの青い花がのぞく感じ。側面から見たそれがだいぶ大きいので、くらべると同じ花と思えないようだが、るりはこべの花畑に迷い込んだような、やさしい気持ちになる。るりはこべは蔓性ではないので、茎が蔓のようにのびているのはあくまでデザイン化されたということなのだが、《柳の枝》のような生命感を感じさせた。



 ここには《クレイ川》(一八八四年、木版刷り、綿、内装用ファブリック)など、川の名前のついた染色のシリーズも取り上げられている。文様の流れるような形と、川の流れが折り重なり、重層的な流れをつくっているのが、快い。花咲く場所を流れる川たち。
 大量生産品の粗悪品を嫌悪したウィリアム・モリスは、必然的に丁寧な手仕事、素材へのこだわり、技術の追求などを行ってゆく。
 たとえば天然染料としてのインディゴの色合いに惹かれ、様々な実験を繰り返した、その格闘の果てに出来た作品として、紹介されているもののなかに、チラシや図録の表紙になっている、《いちご泥棒》(一八八三年、インディゴ抜染、木版刷り、綿、内装用ファブリック)があった。
 図録やキャプションによるとモリスの別荘で、育てていたイチゴをついばんでいるツグミにヒントを得たとある。イチゴの花を真ん中にして、左右対称に並んだツグミたち。まわりを茎や葉がうねり、花と鳥の後ろにイチゴがみえる。
 たぶん、何度かみているはずなのに、はじめてみるように、かわいらしさ、そしてネーミングの妙に、ほほえんでしまう。そうだ、これはその意味でははじめてみるのだ。心にさざなみをたてた、という意味で、あるいははじめてわたしは《いちご泥棒》の光景を目撃したのだ。

 そうして壁紙やファブリックなどの布製品、草花たちのおりなす模様たちを見ていたら、酒井抱一とか、鈴木其一、北斎の花をふっと連想したりする。似ているわけではないのだが、たとえばこの時期以前に西洋にありがちな植物標本のような花、死んでいるというよりも生きていない花と対照的なモリスの花に、花の生、植物の生を、捉えようとしている、そんな心を、見たからかもしれない。そして、花たちの生をそのまま描くばかりではなく、ちょうど琳派の人たちが装飾性を加味しているように、または北斎がデザイン性をも重んじていたように、ウイリアム・モリスのそれも、生をとらえつつ、たとえば左右対称の文様的なデザインをそこに組み合わせたり、からまるような流線をほどこすことで、写実とデザイン、両者を結びつけ、独自のスタイルを作り上げている、そのことで、彼らを想起したのかもしれない。

 モリスは、また中世を手本にしたそうだ。図録から抜粋するが、ジョン・ラスキン『ヴェネツィアの石』にこんな一節がある。「中世には、芸術と職人、そして芸術的創造と生産労働とは、分けることのできないひとつのものであり、また、人々は日々の労働に創造的な喜びを感じていた」。モリスはこの言葉に共鳴し、光を見た。生活と美が分かれることなく、融合して存在しあうこと。この融合ということが、展覧会では、生活と美に限らず、あちこちで見られたようにも思う。
 植物の生という描写とデザイン性、そして織物に見られる中世へのオマージュとしての文様と、モリス独自の、モリスの現在との融合。
 彼が工房を作り、ステンドグラス、タペストリーなどのデザインでバーン=ジョーンズ、タイルではウィリアム・モーガン、ランプではウイリアム・アーサー・スミス・ベンソン等、多数の人たちと共同して製品を作り上げていったことも、中世的な共同作業の意識がおそらく混じっているだろう。それもまた他者と中世と現代との重なり合いだ。
 この融合への意志は徹底している。彼が社会主義活動をしたのも、丁寧な仕事、天然にこだわった材質の製品は高価で、庶民に買いにくいものになってしまうからというのがきっかけだった。そしてステンドグラスの仕事も、中世の教会などの歴史的価値を重んじる故、事業を縮小したりしている。

 ステンドグラスは、展覧会でも写真フィルムで展示がされていた。暗い照明の中、後ろからあてた光で、フィルムが照らし出され、おおよそのイメージがつかめるようになっている。実際はきっともっと、荘厳なのだろうけれど、雰囲気の一端は感じられる。私は昔からステンドグラスがわりと好きだったので、空間にひかれはしたが、圧倒されたというほどではなかった。だがデザインにバーン=ジョーンズが多く、彼への不信感が、ステンドグラス作品を見るうち、それでもだいぶ薄れてきた。がっかりした展覧会の前の、私の状態を思い出させてくれたのだ。私は彼の絵が好きだった…。いや、もしかするとウィリアム・モリスとセットで好きだったのか。

 展覧会のタイトル「ウィリアム・モリス 美しい暮らし」は英語だと、“William Morris Life in beauty”だ。図録の表紙にそう書いてある。今、これを書きながら、ふとそちらを見て、“美しい人生”とも読めるなと気付く。暮らしではなく人生、あるいは生、“美しい生”だ。それは想像世界と現実世界の狭間の生、両方を融合した生だとも思ったりする。それは書き手たちにとっても歩むべき、美しい生ではなかったか。展覧会では、美しい中世の本に想を得た活版印刷の本が展示されていた。

 府中市美術館は都立府中の森公園内、森の中にある。森の中の美術館というのは、けっこう多い気がする。世田谷美術館、宇都宮美術館、ポーラ美術館、川村記念美術館、庭園美術館(こちらは隣接した敷地が自然教育園という森だからだけれど)…、町田市立国際版画美術館、埼玉県立美術館、ああ、なぜか森ということを失念してしまうのだが、国立西洋美術館、東京都美術館、東京国立博物館などもそうではないか。あのあたりは上野の森なのだから。

 美術館を出て駐車場まで歩く。もう木々の葉が色づいていた。まだ紅葉とはいえないぐらいではあったが確実に。うちの近所でも、森というか林程度の緑は眺めている。なぜ気付かなかったのだろう。秋のにぎわいが、もうすぐ始まる。
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