Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2014-01-20

たぶん境目のなさに夢もいる。はざまでかわいい。−「Kawaii日本美術」(山種美術館) その2

(前回からの続き)

 それが奥村土牛《栗鼠》(山種美術館所蔵)だった。灰色の枝に灰色の栗鼠が丸まってのっかっている。筆でささっと描いたような感じだが、栗鼠の毛の質感がつたわってくる。だがしっぽと枝の区別がつきにくい、おなじ色でおなじく枝から生えているよう。それはそれで、枝と栗鼠が一体感をもっている、そんな風な効果となっているのかもしれないけれど。枝の先にザクロがひとつ。これだけが赤く描かれ、栗鼠と対比、というよりもバランスをとっていた。つやつやの栗鼠、そしてつやめくザクロの果実。
 そして、大切な知り合いといえば、奥村土牛、山口華楊に続いてまたしても若冲だ。《鶴亀図》(寛永七年/一七九五年)。水墨で、鶴が一羽大きく描かれ、下方に小さく亀が描かれている。亀は黒い点二つが眼となっていて、どこかかわいらしい。そして鶴は口をあけており、かわいいというより、愛嬌がある。デフォルメされているのだが、鶴の姿はリアリティに満ちて、生き生きとして見える。あけた口から鳴き声がきこえてくるようだ。ここでもまた、すぐにわたしは『動植綵絵』の絢爛とした動物たちの息遣いを、想起したりするのだった。こんどは《伏見人形図》で感じた対照的なものとしてではなく似た性質を持つものとして。
 いや、そんなことを考えながら、鶴をぼんやりみていたら、脚が三本あるのに気付く。え、と思って鶴の背のあたりをよく見ると、ほとんど埋もれた頭がもうひとつ…(休んでいるときに顔を羽に埋めているあれ)、そう、実は後ろにもう一羽いたのだった。このことに気付いたとき、若冲の茶目っ気たっぷりの遊び心に思い至り、それが《伏見人形図》のなにかと共通していると思うのだった。ほのぼのとした、ということなのか。遊び心あふれる、ということがなのか。判然とはしない。だけれども、ともかくやさしい温もりを、絵から受け取ったのだった。

 そして竹内栖鳳。わたしは彼は上記三人ほどは好きではない。《斑猫》の気品に満ちた猫は好きだったが、なぜかそれほどは惹かれない。だから最近だったか半年ぐらい前だったか、開催されていた竹内栖鳳展にも行かなかったぐらいだ。
 《鴨雛》(昭和十二年頃/一九三七年頃、山種美術館蔵)は、やはり以前この美術館でみたことがある。その時は、もともとアヒルや鴨などが好きなので、愛らしいと思ったと思う。それに餌場に群れる幼い鴨を描いているのだが、そのにぎやかさ、そして餌の匂いが漂ってくるような気すらしたと思うのだ。今回見たときも、そんなことを感じたから、記憶の底から前回のそれを思い浮かべてゆく。ならべるように。だが、ならべても、前回と今回をかきあつめても、いまいち親しみがわかないのだった。
 けれども《緑池》(昭和二年頃/一九二七年頃、山種美術館)。一面の池…というか背景は薄茶色と緑だ。そこに小さく蛙が一匹泳いでいる。水面ぎりぎり、頭だけ水面で、それ以外は水中。水中であることは、ぼかしたような緑の色が告げている。
 …実はこの文章、(続く)以降の文章は、美術館に行ってからずいぶんと間をおいてから書いている。《緑池》の何に惹かれたのだろう? あのときの心ひかれたわたしと、今これを書いているわたしの意思の疎通がなぜかうまくゆかない。とくにこの絵に対しては。ほかの絵、とくにあの三人(土牛、若冲、山口華楊)の作品は別だ。彼らの絵には勝手に親しみをこめて、ほとんど友人扱いしているから、ブランクがあっても、友人として接していられる、ということなのかもしれない。
 だが《緑池》、あのときとても心が動いたことを覚えている。まだその記憶だけは確かだ。では何にひかれたのだろうか。買ってきた絵ハガキを眺める。水から出た頭は、はっきりと描かれ、水のなかの体はそれよりもぼんやりと描かれている。水面の上と下、そのはざまにある蛙の静けさにざわめいたのかもしれない。静謐さという均衡(水は波紋もたっていない)のなかで、水と空が出合っている、夢と覚醒が出合っている、そんなことを感じたのかもしれなかった。
 第三章は「ほのぼの・ユーモラス」だった。《緑池》の後から、はじまるが、ミュージアムショップをとおるかたちになる第二展示室にも、三章の作品として谷内六郎、熊谷守一のものの展示があった。
 熊谷守一のものは、どちらかというと好きなのだが、先に書いたような理由で、間があいてしまったので、思ったことをかき集めるのが、すこし難しくなっている。それは見た夢を思い出せないことにも似るのだけれど。思い出したい、けれども奥のほうへひっこんでしまった、大切そうな輝きを放つ夢…。
 この展覧会、じつは、後期展(二月四日〜三月二日)のほうで若冲の大作《樹花鳥獣図屏風》が展示される。前期も後期もどちらも見ようと思ったのだったが、行けるだろうか。
 夢のかけらが、あちこちに落ちている。
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2014-01-15

あいまいさは境目がない。はざまでかわいくって。−「Kawaii日本美術」(山種美術館)

 「Kawaii日本美術 ─若冲・栖鳳・松園から熊谷守一まで─」(二〇一四年一月三日─三月二日(前期は二月二日まで、後期は二月四日から)、山種美術館)に出かけてきた。
 今年はじめて出かけた展覧会。チラシから。
「日常でもよく耳にする「かわいい」という言葉。今や海外にまで広がり、日本から発信される「Kawaii」文化に注目が集まっています。さかのぼれば、平安時代に著された『枕草子』には「うつくしきもの(=かわいいもの)」として稚児や雀の子などが挙げられており、小さいものや幼いもの、未完成なものの愛らしさ、儚さを「かわいい」とめでる文化が、古くから続いてきたことがわかります。
 本展では、文学の世界だけでなく美術の世界でも、時代を超えて人々の心を捉えてきた「かわいさ」に注目します。動物を擬人化した室町時代の絵巻や、愛嬌たっぷりの動物尽くしで描かれた江戸時代の伊藤若冲の屏風。愛らしい動物や少女に温かいまなざしが注がれた竹内栖鳳、上村松園の近代日本画。ほのぼのとした「ゆるさ」はかわいい熊谷守一の洋画や谷内六郎の挿絵原画、そして乙女心をつかむ小さな化粧道具までを、幅広くご紹介いたします。外見のかわいさだけでなく、シンプルな線、カラフルな色彩、ユーモラスな表現に潜む「Kawaii」を、日本美術を通して紐解く展覧会です。」





 今回のこの展覧会、題名から、府中市美術館で二〇一三年の春に行われた「かわいい江戸絵画」を想起し、そちらがとてもよかったので、出かけたのだが、あとで買った「Kawaii日本美術」の図録に、「近年、「かわいい」は展覧会の切り口としても注目されている」とあるので、展覧会名や企画の類似は、そんなふうに注目されつつあるからこその偶然だったようだ。
 ちなみにその図録に、「日本では、欧米の成熟した大人の文化とは異なり、子どもの文化と大人の文化の境が曖昧で、ときに大きく重なり合うことすらある。だがそこにこそ、現代の日本のKawaii文化が成立した基盤があるのではないか。そして、そうした基盤が既に長い歴史を持っているのだということを、日本美術に見出せる「かわいい」を通じてうかがい知ることができるのではないだろうか。」とあり、興味深かった。
 すぐに想起したのは、欧米の動物のイラストだ。とくに猫。なんだか怖いような顔が多いが、それが大人の視線なのかもしれない。日本の猫は、子猫的なもの、子どものイメージによりそっているように思える。あれこれ、思い出し、頭のなかに絵をならべながら、子どもと大人の境が曖昧ということを、うなずくのだった。

 さて展覧会。山種美術館には何回も出かけている。もしかして一番多く足を運んでいる美術館かもしれない。だから新しいものに出会うことは少ないのではないかと、半分期待していなかった。けれども、府中市美術館での「かわいい江戸絵画」、ともかく印象に残った展覧会だったから、類似点の多い企画展として、半分期待していたようだ。
 さて実際は…。半分ずつの波のなかで、そのあいまいさのなかでぷかぷかと浮いている…そんな印象だ。あたかも子どもと大人の境があいまいなように。いい展覧会だったなと思う気持ちと、そうでもなかったなという感じが、たがいに声をあげているようなのだ。その声のあわいに、わたしの展覧会への印象が浮かんでいる。
 たぶんそれは展覧会にはいってすぐの展示が、私好みではなかったからだ。「第1章 描かれた子ども 人物の中のKawaii」。「子どもと「かわいい」が強く結びついている」のは、そうだろうと思うけれど、なぜだろう、昔から人物を描いた作品が好きでないのだ。長らく浮世絵に興味が持てなかったのもそれが原因だ。浮世絵はやはり圧倒的に人物を描いたものが多いから。ともかく、唐子や、子どもが登場する物語絵(伊勢物語など)、肖像画などの展示で始まったので、うわ、これはつらいなと、のっけから引いてしまった。これが私の中で展覧会の印象を悪くしてしまった、大半だと思う。
 ただ、一点。これは会場にはいってすぐ、区分的には「第三章 小さい・ほのぼの・ユーモラス」の作品になるのだろうけれど、前期の目玉だからだろうか、先陣をきって出迎えてくれた作品には、ほほえんでしまった。伊藤若冲の《伏見人形図》。伏見人形は、土人形で、江戸時代後期に最盛期を迎えた最も古い郷土玩具の一つだという。伏見稲荷の土産物として知られ、若冲が長年好んで取り上げた画題だとか。人形は布袋で七体、縦長の画面に縦に列をなして並んでいる。泥絵具や胡粉で彩色されていて、もともと素朴な味わいのある人形らしいのだが、若冲の筆は、さらに力がぬけている。顔面は細い線で目と眉がちょうど「こ」か「二」のように描かれ、微笑んでいるのが、子どもの描いた作品に通じる、ひたむきな無心とでもいったものが、感じられる。けれども、布袋の肌はぼってりとした肌色で、質感がつたわってくるようだった。あの「動植綵絵」の鶏や昆虫のリアリティあふれる豪華絢爛さとなんと対照的な…。だがこうした優しさもまた若冲なのだと、どこかで同じ人物を感じて、心が明るくなるのだった。
 それと第一章のなかでも、これはこの美術館で前にみたことがあるが、奥村土牛《枇杷と少女》(一九三〇年)。少女は片隅にひっそりといるだけなので…なのか。だから気にならないのだろうか…。だとしたら、見方としてはもしかすると問題なのかもしれないが、ともかく画面の大半をしめる枇杷にひかれた。みずみずしいような葉と幽玄さのただよう幹、そしてたわわに橙色の果実を実らせている枇杷の生。
 だが「第二章 生きもの大集合」に足を踏み入れ、前に出会った、彼の絵を見に行くために京都まで出かけた…山口華楊の二点の絵、子牛の生の誕生の神秘さに想を得た《生》、森の生をきわだたせたような、ひっそり夜の森、幹や根にともった小さな明かりのようなみみずくを描いた《木精》に出会って(どちらも山種美術館所蔵)、ああと感じた。このああ、とはなんだろう? ぬくもりにみちたよりどころを見つけた小さな安心、よろこび、といったところだろうか。感動した、というのではない。それは好きな作品ではあったが、一度見ているから。けれども、しずかな優しさを、あいさつのように感じた…。それもまた感動ではなかったか。
 一章の疎外感から、ともかくこの牛とみみずくは、救い出してくれた。やさしい手招きをしてくれた。わたしはほっとしたのだった。大切なしりあいにめぐりあえて。そして、そのあたりには、やはり好きな…、そう、実はさきほども会っていた、奥村土牛の絵もあった…。わたしが愛着をこめて、土牛を、“とぎゅう”ではなく“つちうし”くんと勝手に呼んでいる、彼の、しかも、観たことのない絵が、待っていてくれた…。

(続く)

追記: 読んでくださっている方、いつもありがとうございます。
すみません、一週間ぐらいこちらに来れなくなってしまって、続きは後日。
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2014-01-01

初日の出、2014年



 新年あけましておめでとうございます。
 今年もうちのベランダに出て初日の出を見た。東京の日の出の時刻は午前六時五十一分。六時四十分ぐらいに、ベランダに出る。東の空がもう茜色にそまっている。その色は西のほうまでのびている。西に夕映えの色を思い出させるみたいだ。だがうっすらとした思い出なので、色もまたわずかなのだった。
 空がなんとなく、霞がかかったようになっている。西に富士山が見えるはずなのだが、判然としない。霞にみえるけれど雲なのだろうか、と不安になるが、こうした空は、ここで初日の出を眺めるようになってから初めてだと思う。たぶん八、九年になるはずだ。空は姿を刻々と変えている。それはあたりまえのことなのだが、ふだん、残念ながらそのことを意識することがあまりない。ほんとうは意識したいと思っているのだけれど…。それを意識するということは、おそらく日常が非日常に移行するということだから。世界は驚きに満ちている。世界は停滞したものではない。色を、形を変えるものなのだと、それらは異界からの語りかけのように、きっと見えるはずなのだ。





 新年早々言い訳を。十一月末にパソコンのハードディスクが壊れたり、十二月に入ってバイトが忙しかったので、こちらに来るのをさぼってしまった。パソコンはハードディスクを取り替えたので、十二月一〇日頃、戻ってからも、設定を最初からし直したりで、少々難儀した。元々作品や写真などは外付けに保存していたので、そちらは何とかなったのだけれど。機械にあまり頼ってはいけない、そんなふうに思ってきたつもりだったが、やはりずいぶん依拠してしまっていたのだなとも思った。とっておきたかったメールの大半が失われてしまったことが、少々さびしかった。あれはまさしく手紙の束だ。かといって、普段それをひっぱってきて、読む、ということをしてきたわけではなかったのだが。読みたくなったらいつでも読める、そういった思い出の小箱がなくなってしまったことがさびしいのだった。

 初日の出に戻る。六時五十一分になっても、まだ茜色のままの空だ。出るギリギリの、その位置が、地平線の際で、明るく輝きを増すということもない。出るまでの数分間が、このとき、時間がひきのばされたようになる。地平線の際が、ゆっくりとふうわりと明るくなってゆく。ムクドリが飛び立つ。まだだ。だがこのふうわりとしたやわらかい明るさ、茜色がうすれながら、朝の色に姿をゆずってゆく、この瞬間に立ち会えたことがうれしくなる。ふうわりとしてみえるのは、いくぶん霞がかっているからだろう、これはこれで、わるくない。



 とうとう日の出だ。出たと思うと早い。太陽がどんどん上昇してゆくのがわかる。時刻は六時五十四分位か。そこから十分の間、わたしは太陽をファインダー越しであったけれど、見続けていた。毎年、どうやって撮っていたんだっけと思う。隣の家の洗濯物が写りませんように。カメラを縦向きにしたのだったけ。あまりズームをつかうと、ぶれてしまうのではなかったか…。ほとんど学習していないことに、苦笑…するひまもなく、変化する日の出に追いつこうと、カメラをむける、シャッターを切る。
 出始めの太陽は、まだ裸眼でみても、眩しいというほどではない、だが地平線から一センチでも離れてしまうと、もう眩しいのだった。ファインダーからちょっと目をはなして実際の太陽を見てしまうと、それを実感する。冬のよわい光の太陽ですら。もう太陽は地平線から離れてしまった。離れるとさらに時間は加速する。一センチ、二センチ、三センチ。階段を上るように、太陽は駆け足で朝にむかって明るさを増す。


 
 もうだいぶ、地平線から太陽は離れてしまった。七時十分。今年はそれでも天気におおむね恵まれ、いい初日の出だったと思う。霞に心配はいらなかった。西をみると、富士山が、くっきりとではないが、やわらかく見える。ベランダからだとどこかの…お寺かもしれない、クスノキの大木が少しだけ、富士山を見えにくくするので(七、八年前は気にならなかった。その間に彼は成長したのだろう)、ドアをあけて通路のほうへ出る。西の空がそこから見えるのだ。あたりはもうすっかり朝だ。時間の凝縮。富士山がぼんやりと見えている。ここでもズームとそうでないのと、少し迷う。夕焼けに染まった富士とか、今までになんども撮っているはずなのに。
 結局、日の出も西の富士も、すこしだけズームにしたほうが、いいということ、撮った写真を見て判明する。隣のベランダの洗濯物も写らなかったことも。来年まで覚えているだろうか。覚えていなくてもいい気がした。新鮮に、またほんのすこしだけ、試行錯誤するのが、楽しいかもしれないから。
 今年もどうかよろしくお願いいたします。

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