Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2014-02-25

混在を、もっと私は感じるべきだ。たとえば夕景の異国という王国を。─上野、モネとムンク

 そして。やっとだ、『モネ 風景をみる眼―十九世紀フランス風景画の革新(国立西洋美術館×ポーラ美術館)』展にいってきた。(二〇一三年十二月七日─三月九日、国立西洋美術館)




 チラシやHPから。「モネは眼にすぎない、しかし何と素晴らしき眼なのか」。セザンヌのこの言葉は、生涯、戸外の光の表現を追求し続けた画家モネにもっともふさわしい賛辞ではないでしょうか。しかし彼の眼は、自然の風景から受け取る感覚的で瞬間的な印象を捉えていただけではありません。モネは後年、自らの記憶のなかで純化された、画家の内なるヴィジョンともいうべき、喚起力に満ちた風景を描いていきます。
 国内有数のモネ・コレクションを誇る国立西洋美術館とポーラ美術館の共同企画である本展覧会では、絵画空間の構成という観点から、他の作家の作品との比較を通して、風景に注がれたモネの「眼」の軌跡をたどります。初期から晩年までモネの作品三十五点を軸としつつ、マネからピカソまで二つの美術館が誇る近代絵画の秀作や関連資料を加えた展示を通して、モネが描き出す絵画空間の独創性を立体的に浮かび上がらせ、近代風景画に革新をもたらした画家モネの「眼」の深化の秘密を解き明かします。




 行きたかったのに、行こうと思って上野に出かけたのに、前もって購入していた前売りを家に忘れてしまって、みれなかった展覧会。

 そしてモネはもはや食傷ぎみだとも思う。あらかた予想がついてしまう。さんざんみてきたではなかったか…。わたしは彼がすきだった。いまもおだやかな、熱情をともなわない存在としては、すきだろう。だが、だからこそ、もはや展覧会にゆくほどでは…。どこかに葛藤があった。だが、国立西洋美術館もまた、大好きな美術館だ。松方コレクションを母体とした、西洋美術(特に中世から二十世紀初頭)のコレクション。この美術館にゆくのはいつも楽しい。で、ゆくことにしたのだった。

 平日、火曜日だったけれど、比較的混んでいた。大学が春休みだからか…そう思ったけれど、大学生もいるにはいたが、年配の人たちのほうが圧倒的に多い。年金世代か、五十代以上の主婦といった人々。正直、かれらはうざい、というか、うるさい。しゃべりながら観るのをやめてほしい。彼らの絵をまえにしての声をきくのがいやで、なんどか椅子にむかったり、べつの絵をみにいったりとやりすごす。電車のなかなどでのおしゃべりはだいぶ気にかからなくなっていたのだが、まだまだだ。
 それが理由ではなかっただろう。やはり、モネはもういいかもしれない。そう思いながら会場内の展示をみてゆく。たとえば○○美術館展で、モネの絵に一枚、二枚出逢う…そうした形でなら、彼はやさしい。ちょうどこの間の上野のクリーブランド美術館展で、《アンティーブの庭師の家》にやさしさを感じたように。もうまとまって、彼の展示をみても、食傷でしかないのでは…。それもあるけれど、ここに展示されているモネの絵の所蔵先である、ここ国立西洋美術館は数え切れないぐらい出かけているし、ポーラ美術館にも何回か出かけている。つまり、ほとんど一度観たものばかりなのだ。そちらのほうが大きいかもしれない。もういいかな、やはり…。心が動かされないまま、会場内を歩いていた。
 けれども「第2章 光のマティエール」にあった《セーヌ河の日没、冬》(一八八〇年、ポーラ美術館)とその隣にあった《エトルタの夕焼け》(一八九五年、ポーラ美術館)。どちらも夕焼け、そして水のある景色だ。
 前者はモネの代表作《印象、日の出》(“印象派”の名前の由来となった作品)と雰囲気が似ていて、ポーラ美術館で観て、印象に残った作品だ。冬の河、夕焼けに染まった流れに、氷の塊が小さな小さな島のよう点在している。オレンジ色の河と空、そして冷たい凍った世界。暖かさと冷たさの混在、昼と夜の混在に、惹かれたのかもしれない。
 後者もポーラ美術館所蔵なので、観たことがあるような気もするのだけれど、おぼえがないといえばない。
 エトルタの断崖が出てくるモネの絵は多い。画面左後方にアーチ上に空いた洞門が小さく見える断崖。手前の浜に三艘の小さな舟。そして空と、空の色を映した海、砂浜も夕焼けに染まっている。断崖は出てくるが《エトルタの夕景》と題名にあるとおり、主役は夕焼け、いや光なのだろう。断崖も空も海も、舟も浜も夕焼けに染まっている。なにがこんなにこの絵にわたしを引き寄せるのか。それはまだ見ぬ異国ということではなく、その逆だった。海でではないけれど、わたしはこんな光、こんな夕景に近いものを、うちの近所で見たことがあったはずだと思いだす、思い出させてくれた。つまり異国ではなく、日常にあらわれた異国。それは遠い見果てぬものではなく、すりぬけてしまうものではあるけれど、近くにありうるものだったと、モネの絵はささやくようだった。景たちの共有に似た後押しだった。この夕焼けを感じること、ここで、そしてどこでも。それがこの絵にわたしを引き寄せてくれたのかもしれなかった。


《セーヌ河の日没、冬》


《エトルタの夕焼け》

 二章とばして最後の「第五章 石と水の幻影」へ。モネはロンドン、ルーアン大聖堂、ヴェネツィアなどで、水と光と石たちにこだわって都市の風景を描いているが、それらを集めたもの。
 これらもよく見ているものであるが、建造物などの石、鉄橋、汽車と水が、霧を含んだ光によって、ほとんど渾然一体としていることに気付いたとき、絵から、なにかしらの感動を受けていった。固体と気体と液体たちが矛盾なく、そこで溶け合っている。どちらも国立西洋美術館所蔵の《ウォータールー橋、ロンドン》(一九〇二年)、《チャーリング=クロス橋、ロンドン》(一九〇二年)。そしてどちらもたぶん、またしても夕景だ。夕方自体が、昼と夜のあわい、昼と夜のほとんどまざりあうような状態なのだから、当然なのかもしれない。壁と水と空と昼と夜が溶けるかのように、そこに凝縮してある…。その景に、わたしもまた溶けたくなったのだった。


《ウォータールー橋、ロンドン》


《チャーリング=クロス橋、ロンドン》


 飛ばした三章、四章には、それぞれルドン、ガレの絵などもあった。ルドンの《ブルターニュの海》はポーラ美術館所蔵。印象派と一線をひいていたルドンだがモネと同時代人でもある。その彼のブルターニュの海は、やはりとてつもなく幻想だった。空は夕景(だがここでも夕景だ、逢魔が刻だ)なのだろう、そこに眼のような沈む太陽がある。緑の海、おおむね茶色の浜とヨット。おおむね茶色と書いたが、なにかたちが合わさって、だいたい茶色…としかいいようがない複雑な色だ。そういえば、特に空も、何色ともいいがたい。いくつかの夢の結晶たちを合体させたから、とでもいえばいいのか。
 わたしは黒の時代のルドンよりも、晩年の色彩を使いはじめたルドンのほうが好きだ。花瓶の花がここまで幻想になるなんて…。そう教えてくれたのが彼だった。今回もまた、海景の幻想に、驚かされるのだった。日常に幻想がある。それを文学的に引きずりこむように教えてくれるのがルドンだった。



 さて常設展のほうへ。ここも楽しみだったし、それなりに楽しんだのだけれど省略する。だが「生誕百五十周年記念 国立西洋美術館所蔵 エドヴァルド・ムンク版画展」。常設展の会場内で開かれていた、小さな企画展。
「二〇一三年はエドヴァルド・ムンク(一八六三─一九四四年)の生誕一五〇周年にあたります。国立西洋美術館では、これを記念して、館所蔵のムンク版画による小企画展を開催します。(中略)本展は、生と死、男女の愛というムンクの典型的な主題を描いた《病める子ども》(一八九四年)、《マドンナ》(一八九五年)、《ハルピュイア》(一八九九年)など前期の作品や、彼が創作した奇妙な物語に基づくリトグラフ連作《アルファとオメガ》(一九〇八─〇九年)、ムンク芸術の新たな展開を示す《光に向かって》(一九一四年)など、国立西洋美術館が所蔵する34点の版画作品により構成されます。」(国立西洋美術館HPより)。



 あまり期待しないで入ったのだけれど、チラシなどにもなっている《病める子ども》。ベッドに横たわった横顔の少女。母親であろうか、手を握ってうなだれている。顔は見えない。少女のうつろな表情、そして白いほほ。少女も母も衣装は黒。ドライポイントをつかった版画なので、実際の色はわからないが、衣装も髪もとにかく暗い。少女の顔とシーツだけが白い。白さは蒼白に通じるのだろうか。“病める子ども”は病んだことで、死を色濃く内包していた。それもまた、夕景のような渾然としたものだった。死と生がこんなにも近しいこと。生が死をはらんでいることを、魔的に切実に伝えてくれる少女だった。
 そうして、近いところに展示されていた《マドンナ》(一八九五年、リトグラフ)もまた。この絵もきっと、どこかで見たことがあったはずだ。だが、マドンナというのに、こちらもやはり、渾然としている。眠るように眼を瞑り、裸である。枠には精子、そして赤子だか水子のような子が睨んでいる。眠っているといったが、瞑った眼により、ここでもまた生と死の際を、たゆたう、おおむね死の色の濃い、表情がそこにあふれているのだった。どんなマドンナなのだろう? まじりあうことにより、聖女と悪女もまたここにはきっと重なっている。すくなくともわたしはここに“ファム・ファタール”を感じた。わたしにとっての世紀末的な要素を含んだ誘いとともに。



 外に出る。ロダンの彫刻《カレーの市民》(ブロンズ、一八八四─八八年)近くに梅の花が咲いていた。そしてまだ雪が残っている。春と冬の混在。自然の景と造られたものの混在。いつだって、異国はわたしに開かれているのだと、ぼんやりと思う。そのことを、もっとわたしは感じるようにしなければならないのだとも。

19:44:14 - umikyon - No comments

2014-02-15

脆弱な時間とほそい通路、のあいだをどんな空が。─クリーブランド美術館展

 しばらくばたばたしていた。日常が浸食してくる。思考することも、そのことばかり。その流れにあらがうこと。流れにあらがって、休む場所が、また日常だった。つまり、ぼうっとテレビをみたり、そういうことだ。時間が湯水のように流れてしまう。
 かろうじて、詩だけは書いていた。この時間は、休める場所でもなんでもない。どこからも離れた場所。だが、非日常的な要素からの影響が通常よりもすくないので、どこかその時間は脆弱だ。
 その脆弱さを補強するために。ほんとうは大好きなテオ・アンゲロプロス監督の遺作となってしまった作品『エレニの帰郷』を観にゆこうと思っていた。だが、そのまえに準備運動をしないといけないと思いなおす。彼の作品と向き合うには、この脆弱さでは駄目なのだ。日常に支配されつつあるこの頭では。まず補強しなければ。昔は、この補強が読書だった。だがこのごろは、なぜかあまり補強にならない。なぜだろう…。このことについて書こうと思ったり、真剣に考えだすと、時間がかかるだろう。そしておそらくこの文章が、ほとんどそれで終わってしまうので、後日、機会があったら。たぶん、素敵な本と出合ったときに。
 ともかく、ここ数年の、てっとりばやい補強は、美術館へゆくことだった。絵を観る。それが日常と非日常の均衡をとって…。だったろうか。絵を観ることでわたしは生き返る。どこか深いところまで、水が浸透してゆく感触が立ち戻ってくる。

 年末だったかに上野で開催されている「モネ展」のチケットを購入していたので、とりあえずそれを…と思って上野に出かけた。チケットをもっている展覧会は、ほかにもあったけれど、このモネ展は、そのなかでも会期が3月9日までで、一番さしせまっていた。まだ間はあるといえば、あったが、行ける日を考えると、そんなに余裕がないように思えたので。
 平日、水曜日、午後早め。電車は比較的すいている。すいてはいるが、座席は座れるか座れないか、ぎりぎりだ。数駅でだれかが席をたつ。そこに座って眠る。早朝バイトをしてきたあとなので、すこしだけ疲れている。加えて電車のシートはなぜか眠るのに心地よい。眠りにおちるまどろみのなかで、そういえば昔は人の話し声が気になったのになと思う。だれかたちの話し声がしていた。以前、通勤などで電車に乗っていた時はとても気にしたのに、このごろは電車に乗る機会がめったにないからか、ほとんど気にならなくなっている。そのことに、すこし違和感があった。眠るときだけでなく、本を読むときもそうだ。通勤で使っていたころは、ともかくとても気になった。それは図星的な、耳障りな音だった。今は先にも書いたが電車にめったに乗らない。乗らないからかえって、音が気になりそうなものなのだが、たぶん図星的なこと、わたしに食い込む力が失せたのだ。それは他人事になっていった。わたしから遠ざかって。わたしはひとり、眠りにつく。ひとり、本を読むことが。ちがうかもしれない。以前は、他者たちから疎外されていると思っていたのかもしれないではないか。疎外されている象徴として、話し声がわたしに声を突き付けてくる…。おまえは独りだ。あるいはどのみち、ひとは独りだと、ようやく気付いたのかもしれない。

 上野駅近くで、なんと、モネ展のチケットを持ってきてないことに気づく。
 モネ展の入っていたのと、よく似た茶封筒をもってきてしまっていたのだ。茫然とする。ここまで来て、気付くなんて。ほかの展覧会のチケットはもっていたが、上野からずいぶんと離れていた。「エレニの帰郷」も、観に行くには中途半端な時間だ。これも日常にひたりきっていたゆえの行動なのかと自分を責めた。持ってきた茶封筒の中身は、心温まるお手紙であったのだが。
 呆然としながらともかく上野駅で降りた。予定どおり、モネ展へゆくことも考えたが、家にチケットがあるのに、新たにチケット買うのも馬鹿らしい。どうしようかと考えあぐねていたら、改札付近で、同じく上野にある東京国立博物館で開催されている「クリーブランド美術館展」(二〇一三年一月十五日─二月二十三日)のポスター、そしてチラシを見つけ、手に取った。



「全米屈指の規模と質を誇るクリーブランド美術館では、二〇一三年六月、新たに日本ギャラリーが開設されました。これを記念して、同館のコレクションより、平安から明治に至る選りすぐりの日本絵画約四〇件に、西洋絵画などの優品を加えた総数約五〇件を紹介する展覧会を開催します。
 本展は、仏画や肖像画などの人体表現、咲き誇る花々や鳥たちをあらわした花鳥画、名所や胸中の理想の風景を描いた山水画、そして日本美術独特の物語世界の四つのテーマで構成されます。日本の絵画が「人」と「自然」をどのように表現してきたかを、クリーブランド美術館の名品によってたどります。」(チラシから)

 そうなのだ、思い出した。この展覧会もなにかの情報誌的なもので知って、ゆきたいと想っていたものだった。かつ前売りを買っていない。すくいの糸のような手招きだった。国立博物館は常設展示もミュージアムショップも充実していて楽しい。まるで初めからここ目当てであったかのような面持ちで、急きょ、目的を変えた、変えることができた。モネ展を開催している国立西洋美術館を素通りして、東京国立博物館へ。電車の中の他者、かれらのたくさんと違って、公園内に、ひとはほとんどいない。さむざむとした噴水がしぶきを噴き上げてた。

 さて、展覧会。はいってすぐのテーマは「神・仏・人」だ。例によって、これらの人物─とくくってしまってはいけないのかもしれないが─にはどうしても触手がのびない。浮世絵のほとんどが苦手なこと(北斎は別格、別)、肖像画が苦手なことと、それは重なる。電車の中のざわめきが苦手なこととも、おそらく。そう、どちらかといえば苦手だというぐらいの、ささやかな。だが、絵をみるにあたって、それではどうだと思う。思っても、思っても、神も仏も人も、わたしに語りかけてくることがない。徹底しているなとも思う。わたしは人ぎらいでは決してないはずだが…どうなのだろう。
 次のテーマは「花鳥風月」。テーマの文字を読んだだけで、ほっとする。人心地つく。親しい友人にあったかのように。

 「自然は人々に豊かな恵みと潤いをもたらすものとして憧れの対象であると同時に、天災を引き起こす怖れの対象でもありました。日本の絵画では生命を育む自然や動物は、人々の暮らしと密接なものとして表されています。さまざまな表現の花鳥画や走獣画(動物画)を通して、日本における自然観が、どのように絵画にあらわされたのかを明らかにします。」

 展覧会HPには、そう書かれていた。密接なものとしての、“花鳥風月”。折々に出会う花たち、そして風、空気の気配、月の満ち欠け、名前を覚えた鳥たち。それらがかたまりとなって、おおむねおだやかにわたしに近しい存在として、思い起こされる。だが、それらもまた裏のきびしい顔をもつだろう。天災たちも、恐れとして、しのびあしで、だが暴力的に思い起こされる。それらは、どちらにせよ、わたしに近しい存在なのだ。さわってくるもの、つかむものとして。
 もしかすると、人も、花鳥風月にくくっていい存在なのかもしれないけれど。彼らはときに、やさしい。そして暴力的だ…。

 《南瓜図》(伝没倫紹等賛、十五世紀/室町時代)は、墨で書かれている。くろい南瓜を、人のような蟻たちが運んでいる。彼らは人のような足と手で(六本足ではなく四本足だ)、だが黒い胴体はきゅっと蟻のように引き締まっていて、頭部には触覚もある。人と蟻のキメラのような彼らの働き、かぼちゃに乗って指図するもの、かぼちゃを綱でひっぱるものたち…、彼らとかぼちゃの均衡が、どこかユーモラスで、優しかった。それは花鳥風月、とわたしが唱えるとき、そこにくくりこまれる、他者そのものだった。



 伝雪舟等楊《花鳥図》(二幅、十五世紀〜十六世紀/室町時代)。雪舟は、国立博物館所蔵の《秋冬山水図》を以前観たことがあった。調べてみると、二〇一一年の新春だった。いざなうような奥行きに惹かれたものだ。
 今回の《花鳥図》は、左図に芙蓉と銀木犀。枝に小鳥が止まっている。右図はカンゾウに、クチナシ。鳥が今、飛んできたところ。二図ともずいぶんと褪色がすすみ、茶褐色になっていて、花や枝などの判別が少々つきにくい。だが、それも年月がつけた傷(業)だと、これまでに流れてきた時を思う。時がそこに存在しているのだと。そして、小鳥たち。静と動の対比に心ひかれた。二つそろっての均衡に。この均衡が世界を凝縮せしめているのだと思った。



 そして《松に椿・竹に朝顔図屏風》(伝海北友松筆、六曲一双、江戸時代/十七世紀)。
 右隻は、画面上のほうから、雪山を背に、松が幽かに枝をのばしている。おおむね墨。そしてまるで松に巣食うように椿があざやかな白色を湛えて咲いている。白い花弁が雪のようだ。それは冬のなかに春をひめているようでもある。松の枝の、なにかからの誘いのような伸び方に惹かれる。手招きのようで、それが怖いぐらいに幽玄なのだ。
 左隻は、仄かなもの、幽かなものの具現が、今度は竹になっている。竹が霞がかったような枝を奥行きとして表しているようだ。小川の流れも、そのかそけきもの、冷たさを後押ししている。そして画面中央に、青い花を無数につけた朝顔。これは行灯づくりとかではない、自然のままの姿をしているようで、蔓をからめながら、円錐状の山のようなかたちを作っている。そして花自体も、園芸種のものより小さいのがリアルだ。かつ生命力のようなものを感じる。朝顔だからおそらく秋だ。椿が春を感じさせるように、こちらも夏草の繁茂する様子を内包しているように思える。二隻で四季を凝縮している、といっていいかもしれない。



 次のコーナーが「物語世界」。好きな『伊勢物語』をモティーフにしたものもあったが、特に感慨はない。そしてひとつ飛ばして「山水」も、惹かれるものがなかった。だがこの二つの間にはさまった、「近代西洋の人と自然」。
 ここにアンリ・ルソーがあった。《トラとバッファローの戦い》(一九〇八年)。バナナが逆さまに、下向きに実っている不思議な熱帯林。葉が熱をおびているような、存在感。そこにバッファローを組み伏したトラ。トラはたてがみのような毛を生やしている。たてがみというか、髪の毛というか。トラの頭のもようが、髪の分け目のようになっていて、その毛はワンレングスで、のびている風。わたしは思い出す。クリーブランド美術館展に、この絵が来るのを知って、それで観に行きたいと思ったのではなかったか…。稚拙な、だが豊かな想像の絵。けれども実はこの絵には、それほど惹かれることがなかった。トラとバッファローが戦っているときの、せっぱつまった生というものが感じられない。それは生きるための、食うか食われるかの必然性を衝撃的にまで帯びていなければならないはずだ。だが、眼前の絵には、その必然性が感じられない。トラとバッファローは戦いというよりも、じゃれているようだ。あるいはそう観られることこそが、画家の思いにかなっているのだろうか。いや、それなら、いっそもっとファンタジーにしてしまえばいいのだ。生きることの残酷さ、想像力で生きることの力、その拮抗が曖昧になってしまっているように思えた。中途半端に、残酷なのだ。いっそ、彼らが踊ってでもいたほうがいい。…わからない、あるいは、その曖昧さこそが、ルソーの優しさなのかもしれないけれど。



 その隣だったか。思いがけずクロード・モネの《アンティーブの庭師の家》(一八八八年)。穏やかな日差しを感じさせる色彩、壁、空、屋根、山、雲。一軒の家をメインに、山と空と、手前になんだろう? 果樹をおもわせるやさしい木が二本。
 屋根と空と山と雲が、温かい雰囲気を醸し出している。そうしてモネの筆致だと思う。
わたしはこの温かさが好きだったのではなかったか。それはようやく訪れた春の温もりだ。…実際のモネが描いた世界は違うのかもしれないけれど。
 ゆけなかったモネ展と、そして目の前のモネの絵をみて、符牒のようで、すこし楽しくなる。



 このあと常設展にいった。常設でも何点か心ひかれた作品があったが、そちらは省略する。

 美術館を出たら、おそい午後の空が出迎えてくれていた。空や公園の噴水が、なにか、語りかけてくれるように、そこにあった。まだあたまが、絵たちにふれたまま、通路がひらかれているのだ。そのひらかれたなかで、景色たちが、わたしにたいせつななにごとかを語りかけてくれているようだった。雲がかかって、昼の月のように雲を透して見える太陽、噴き上げることをやめて、静謐さをたたえた噴水の池に、どんよりとした冬の空が映っている。この通路が、閉じないために力を出すようにすること。手で押し広げるようにして、世界と向き合うこと。時間はそれでも、いつだって脆弱なのだ。



 
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