Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2014-05-25

現実と想像はちがう。その接点にて。鎧の狭間で、風さんが行く





 現実と想像はちがう。日本経済新聞の二〇一四年五月十八日の連載コラム記事で、生物学者の福岡伸一氏が、アルブレヒト・デューラーのサイのデッサン、サイの木版画を挙げて綴っていた言葉が、心に響いた(「芸術と科学のあいだ」その十四「脱ぎ捨てられたサイの甲冑」)。
 一五一五年にインドからリスボンへ連れられてきたサイ。その噂をドイツでデューラーが聞き、伝聞を元に描いたもの。それは全身甲冑で覆われた、金属でできたような、恐竜のような力強いサイだった。この絵は以後、ヨーロッパでは広く流布され、なんと「二十世紀初頭まで教科書にもサイの図として掲載されていたという」。
 そうして。
 「のちに、動物園で実際にサイを観ることになったとき、人々はこう思うことだろう。実際のサイはなんてみすぼらしいのだろう。あの立派な甲冑はどこにいったのかと。甲冑はあなたの頭の中に脱ぎ捨てられているのである。」






  現実と想像はちがう。
  小学生の頃、どちらかというといじめられっこだった私は、現実を悪い方へ悪い方へ想像しておく癖を、防御としてつけていた。こんなひどいことが言われるにちがいない、こんないやなことがあるにちがいない。だが現実はそれよりもまし、思っていたよりもだいぶましだった、それが救いだった。そうしていじめられる状況をやりすごしていた。
 今でも、その癖が少し残っていて、どちらかというと、現実を悪いほうに考えておく自分が、まだいるのだった。だがこれはいじけた想像だ。想像はもっと、満ち足りた、羽をのばしたものでなければならない。
 想像と現実はちがう。小学生の頃、学校をはなれた私は、だから、ひとりで遊ぶ子供だった。ああ、透明人間を思い描いて、彼とよく会話をしていた。風さんと名前をつけていた。風さんは、興が乗ると、空中でバク転をしたりしてくれた。風の言葉でわたしにいろいろなことを囁いてくれた。あとは、おもに絵を描いていた。とくに現実にあるものを絵に描くことで、現実とむきあおうとしていたのかもしれない。花、猫、公園、そして自画像、あるいは、未知のだれか。あとは偉人伝だ。本に書いてある人々は現実にいた人たちだ、その物語なのだから、きっと現実のこと、本当のことが書いてある…。そう思って、偉人伝を読みあさっていた。たぶん、現実とむきあうために。その頃、フィクションの世界は、わたしには殆ど興味がないものだった。それは嘘だった。偉人伝こそが、現実の姿を文字で伝えてくれる、たったひとつの術だった。
 偉人伝については、その考えを小気味よいほどに崩してくれたのが、中学生の頃に知った寺山修司。そのことについては、なんどか書いてるのでここでは書かない。だが、寺山によって、現実だと思っていたものを壊してくれたフィクションこそが、私が求める世界なのだと教えてもらった、そのことは書いておく。
 「芸術が嘘だから、わたしたちはそれを通して真実を見ることができる。それが虚構だと、わたしたちは知っているからです。それを忘れたときには、芸術は猛毒になってしまう。」(ミヒャエル・エンデ『ものがたりの余白』)。
 現実と想像はちがう。では、それ以後、わたしは現実をどう思ってきたのだろう。どちらかというと…どちらかというとだ、マイナスのイメージを担ってもらってきたと思う。対して想像のほうは、いつでもプラスのイメージであふれている。なぜなら、想像は創造とつうじるから。それは私が求める、私がいたい世界だから。
 だが、現実とへその緒みたいにつながっていない想像は、やはりありえない…とも思っている。詩を書いてゆくうちに、徐々に実感していった、多分。
 あるいは花たち。季節ごとに、おとずれてくれる、咲いてくれる彼らを見ると、現実がすっとわたしに入ってきてくれて。中学生ぐらいの頃から、亡くなった父の影響で、花が好きになっていた。あのころは、花の名前を覚えるのがとても新鮮だった。いま知っている大半の花の名前は、あの頃におぼえたものだ。それ以降、おぼえた花はあまりない。
 だが、大人になって、三十代半ばぐらいから、花たちがしみるようになっていったと思う。あるいは陽だまり、木漏れ日。この現実はおおむねわたしに優しい。ああ、風さんが、姿を変えて、こんなところにいたのだなと、今気付く。

 ところで、サイだ。動物園ではじめてみることができたサイは、ほんとうにみすぼらしいものだったか。
 甲冑は、頭のなかにある、だが鎧をといた姿として、それでも現実で生きる姿として、サイは、やはりカッコイイものだったのではないか。硬くて、けれども、どこか…デューラーのサイの表情がそうであるように、現実のサイもまたさびしげで。動物園でしか見たことはないけれど。だが、それが想像と現実の接点ではなかったか。現実のサイは素敵だ。

 北斎はトラを見たことがなかった。だがデューラーのように、やはり伝聞や想像で、幾枚がトラを描いている。それは夢見るようなトラたちだ。特に《雪中虎図》(一八四九年)。亡くなる三か月前に描いたトラだという。竹林…雪の積もった笹たちの間、雪の舞う空間を夢見るような顔で泳ぐトラ。おそらく昇ってゆくのだろう。想像で描いたトラだから、どこか実際の虎とは違う。けれども蹄の確かさ、毛並みのリアルさが、圧巻でもある。わたしはこのトラが大好きだ。魂をはこぶような素敵なトラ。それは想像でありながら、実在のリアルさをどこかに響かせ、北斎自身の姿を投影しているようでもある。現実と想像は違う。けれどもその間を縫うようにして、トラはいる。だからこそ、狭間にいるからこそ、大地のうえではなく、笹の間の宙をうかぶトラなのだ。生と死の狭間をゆうゆうと。
 そう、現実のトラも私は好きなのだ。とはいえ、もしかして『山月記』(中島敦)などのそれも、投影されているかもしれないが。動物園などでしかみたことがないけれど、あの凛とした怖さに惹かれる。ゆうゆうと歩く、しなやかな肢体に。



 現実と想像はちがう。実は先日、またちょっとした詩的な集まりがあった。わたしは珍しく期待しすぎてしまっていた。だが期待よりも…。家に帰ってきて、この頃には珍しく、落ち込んでいた。十年ぐらい前は、しょっちゅう落ち込んでいたのだけれど。それは詩の集まりだから、想像にみちあふれているだろうと、勝手に期待していたから、ということもあったかもしれない。だがそうではない、と言うことを少しづつ学んでいった…。違うかもしれない。ともかく以前は集まりのあと、毎回ひどい鬱状態に陥っていた。しばらく現実にも想像にも向かえない、うごめく闇で心がいっぱいになってしまって。けれどもたまにだったが、それでも集まりに出かけていたのは、それが現実と向き合うことでもあるにちがいないと、思っていたからだろう。慣れること。
 だが、なのか、だからなのか、ともかく防御策として、ここでも鎧を──まるでサイみたいだ、いやヒョウ柄をまとっているのも、実は鎧もかねているので、ヒョウの鎧だ、ともかく鎧を意識して、詩の集まりに行っていた。ここ何年も、概ねそれが成功していた。多少心が疲れて帰ってきたけれど、だんだん落ち込みは軽減されていったから。鎧をつけるということは、期待をほとんど封印するということだ。期待と想像は近しいのかと、今気付く。想像が期待となって、私のなかで勝手に膨らんで。
 そう、今回は珍しく、ヒョウの鎧をいつもより着けてゆかなかった。いくぶん無防備だった。かつて彼らと、いい時間をもった印象があったから。わたしが変わってしまったのかもしれない…。わからない。それでも鎧は、きっと年月による知恵だったのか、気付かないところで、少しは用意されていたようだ。ヒョウの甲より年の甲とでもいうべきか、自分でも気づかぬうち、まとって出かけていたのだった。心の重み、鬱状態は、それでも、かつてより、ずいぶんとましになっていたから。

 イメージというか、かたまりがある。それをあらわすのに、適切な…。うまくいえない。ともかくかたまりに合う、かたまりを追おうとする、そうすると、ことばはわたしのなかでは、自然と出てくる。そこに作為はほとんどない。これは詩のはなしだ。あるいは書くことの話だ。そのことがわかってもらえないと、もうなにをいっていいかわからなくなる。
 いや、会話でもそうなのか。そこにいる他者と、イメージというか、かたまりのなにかが、すこしでも接点をもたないと…、彼の問いに答える言葉が、まったく思い浮かばない。わたしの生活がどうだというのだろう。ともかく、そういうことだ。
 「「画家である私――注目に値する点はそれしかない――について何か知りたいと思う人は、注意深く私の作品を見て、その中から私が何者であるか、私が何をしたいと思っているかを理解するしかない」(グスタフ・クリムト)
 「私は朝の太陽が好きだ 月の光は悲しすぎて… だめだ 私には彼らは理解できん 言葉が通じないんだ」(映画『ピロスマニ』)

 サイの記事を読んだ同じ日、同じ新聞のブックレビュー欄で、梨木香歩著『海うそ』という小説を見つけた。あらすじを読んでも、さして興味を喚起するようなことはおそらく書いていない…。地理学科の学生が、亡くなった恩師の調査報告書に惹かれてある島へ…。島の植物や虫を観察し、言い伝えに耳を傾け…。いや、この虫や植物、言い伝えということに、ちょっと食指が動いたかもしれない。そして実際の作者の文章の引用が、なにかしら私に響いたのだ。それはまさしく期待だった。ああ、おそらく皆川博子にかつて感じたみたいな、物語による詩的幻想を、私に語りかけてくれるのでは…。性懲りもない、そう、どこかで思う、またサイだかヒョウの鎧をとっぱらおうとしているのかと。けれども落ち込んでいた私は、ぼんやりとしたどこかで、かなりの期待をこめて想像するのだった。読んで、共鳴する自分を。
 とはいえ、やはり年の甲なのか。金銭的なこともある。まずパソコンから図書館へ本の予約を入れた。万が一を考えて…。以前なら、すぐさまインターネットショッピングで買っていただろう。だが、この頃はまず、図書館で借りて、それでよかったら購入、ということにしている。ちなみに最近、人から勧められた本が何冊かあった。その人の審美眼には、絶大の信頼を置いているのだけれど、この時も、やはりまず図書館から借りて読むことにしたのだった。そして、たまたま立ち寄った新古書店で、彼の勧めてくれた本が一冊あったのだが、それが割と安価なこともあって、買いもとめたことがあった。だが、どちらも、実はいまいちわたしには合わなかった。両方ともパラパラとめくって、うん、確かにいいかもしれない、と確かめたはずなのに。
 ちなみに私は、このパラパラに、かつては絶大の信頼をもっていた。前知識もなにも殆どなく、本当にめくるだけで、文章を読むこともせず、なにかしら、雰囲気がわかると思っていたのだ。まるでわたしはシャーマンかなにかのようだった。眼の前にある本が、それだけで私に合っているかどうか、わかる気がしていたし、実際、たいていは、当たりだったと思う。だが、このごろはこのパラパラもあてにならなくなってきている。いや、以前なら、多少気に入らなくても、終わりまで全部読むことができた…その違いなのかもしれない。この頃、以前なら読み切ることができただろうなと思いつつ、途中でやめてしまう本が多い。今では、よっぽど気に入ることがないと、最後まで読めなくなっている。
 話がそれてしまった。ともかく『海うそ』。全国紙の新聞で紹介されているのだから、予約が殺到するかもしれないと、申し込み後に図書館で予約状況を調べる。どうやら順番待ちをしないでいいみたいだ。良かった。三日もあれば、借りることができるだろう…(このあたりは後述する)。
 そして、その日のうちに近くの新古書店へ行った。作者の別の本をいちおう、パラパラしようと思ったのだ。何冊かあった。ああ、ここでもやはり、サイだかヒョウの鎧的なものが働いていた。前なら、飛びついて、その場にあるもの、とりあえず全部買っていたのだけれど、鎧的発想で、もし、あまりよくなかったら単行本は邪魔だ…。ただでさえ本であふれているのにと、なるべく文庫を探すのだった。もっとも今回、単行本はエッセイしかなかったから、以前のわたしでも、どのみち買うことはなかったけれど。エッセイは、どんなに気に入った作者のものでも、殆ど読むことも買うこともない。特に小説家のものは、その人の想像世界である、小説だけが読みたいと思うみたいだ。
 ともかく文庫本。くだんのブックレビューで『海うそ』と『家守綺譚』が最高傑作だとあったのだが、その『家守綺譚』がかなり安価で売られていた。これは嬉しい。計三冊買って帰る。
 『家守綺譚』、まだ読んでいる途中だが、久しぶりに、水があったように、すっとのめりこむことができた。時代は、たぶん明治ぐらい、あやふやだ。文筆家の主人公が、亡き友人の家に、一人、家守として住むことになり…、花たち、動物たちとの交感…、若い頃に湖で亡くなったその友人も現れる。百日紅に懸想もされる。鮎の人魚も出てくる。つまり幻想と現実の狭間の物語だ。そして花たち、むくげ、カラスウリ、ヒツジグサ…、わたしの大好きな、季節をやさしく差し出してくれる花やモノ、動物たちの言葉。狭間での接点の語らいだ。亡き友人の勧めで飼ったゴローという犬もいる。
 これはたまたまだろうか。パラパラ以前に、レビューにあった作者の言葉の引用で、もう心が動いた。確信的に、鎧をほとんどつけないまま…(ほんとうにそうか?)、ちがうかもしれない。でも、こうして出逢えたからいいじゃないか。
 「白い花弁の周りに、まるでそれの吐息のような白い糸が絡んでいる。夢の続きを見ているようである。それとも今が夢なのか。」(『家守綺譚』のうち「カラスウリ」)。
 性懲りもなく、鎧がまた軽くなる。ヒョウの鎧は、鎧ではあるけれど、わたしが好んで着ているのは、それだけが理由ではないではないか。そしてデューラーの描いたサイ、鎧の鎧は、もともと現実にいるサイを知ろうと思って描いたものではなかったか。
 現実と想像は違う。
 今日、早朝バイトの帰りに、大好きな公園を通ったら、田んぼ(かつてあった用水などを復元して、公園内に田んぼを造っているのだ)に張った水が、まさに池だった。私が例年呼んでいる田んぼ池の出現。ところどころ、雑草が生えていて、水草みたいになっている。畦で休んでいた鴨も、田んぼ池に、すっと入って。池だと思って、うれしくなった。



 現実と想像は違う。その午後、にわか雨が降って、止んだ。もう一つのバイトを終えた後、夕方、また田んぼ池を見ようと思って、やってきた。雨もふったし、ますます水が張っているだろう。あたりは今は晴れだ。青空を水面に映して、傾いた日のなかで、やさしいだろう。
 たどりつくと、なぜか池ではなく、ところどころ水たまりのある、概ねぬかるんだ土となっていた。拍子抜けするが、これはこれで、楽しい誤算だ。鴨たちは、田んぼのぬかるみのほうではなく、今度は、本当の池…、用水路の中途に造った池のほうで、泳いでいた。鯉も泳ぐ。亀は池にしつらえた島のような石の上で、甲羅干しをしている。いつもの定位置だ。その池をみる、夢みるような顔の老人。風がさっと吹いた。想像を超えた現実たちのやさしいことばだ。

 ちなみに『海うそ』は、数日後に図書館のサイトを見たら、予約でいっぱいだった。六十九人待ち。うん、当然そうだよなと思う。新聞に載ったんだし。古書店で買った三冊、読み終えないうちに買っておこう。鎧をめいいいっぱい外して。風がまた吹いた。少し汗ばむ肌に、心地いい。
00:45:54 - umikyon - No comments

2014-05-10

貝をひろって、こいをおよぐ

 GW中、早朝バイトのあと、千葉に潮干狩りに行ってきた。ちなみに世間はGWだけれど、わたしはそれと関係なくバイトしているので、すこし感覚がおかしい。早朝バイトの休みの日がたまたまGWだったという認識だ。
 ともかく潮干狩り。ほぼ毎年行っている。行った日の、干潮の時間、つまりアサリがとれる時間は午前十一時半から十六時。バイトが終わってから出かけたから、着くのは早くても午後一時ぐらいからだろうなと思っていたが、GWということで、うちから東京湾アクアラインで目的地の木更津あたりにゆくのに、けっこう道が混んでいて、空いてれば一時間ちょっとでつくらしいのだが(そのことも逆に驚き…さすが海をとおって京浜と房総をむすんだ道だ)、結局三時間かかり、ついたのが午後二時過ぎだった。向かう途中の車から、潮干狩り会場である遠浅の砂浜をみると人だらけだったし、駐車場も帰る客を待っての大混雑。
 いつもは午前中に行っていたから、午後のこの時間について、もう、アサリは採られつくした後で、残ってないのでは、それに干潮終了の午後四時まで、あと一時間半ぐらいしかない。今年はあまり、期待できないかなと少々心配になったけれど、アサリ、あんまりたくさん採って帰っても、食べきれないしなあと、思いなおし、さてさてアサリ採りへ。
 もう何度もいっているので、履きなれたぼろサンダルの着用(ビーチサンダルなどだと歩きにくい)、半ズボン、貴重品を入れるウエストポーチ、帽子、サングラス、肩からかけるタオル、軍手(素手だと傷ついたりする)など、服装も十分に考えられてる。こんなふうにだんだん学習してゆくのだろう。
 それはともかく海だ。わたしの大好きな海。けれども、遠浅なので、あまり海という感じがしない。むこうに海がひろがっている。こちらは砂浜というより、砂ばかりで、海の近くの砂場のよう。だがこの砂を掘る感覚が楽しいのだった。
 今年はなるほど、いつも出かけていた午前中より、潮が満ちつつあって、ところどころ、完全に海となっている。あちこちに大きな中州のような砂場が点在している。つまり、潮干狩りをする場が、それぞれ、小さな島みたいな感じになっていて、そこに行くまでに、海を渡らないといけないのだ。渡るというのは大げさだが、海のなか、浅瀬を、じゃぼじゃぼと進んで、中州だか島へ向かう。日差しは暑いけれど、海水はすこし冷たい。このぐらいがちょうどいい。
 中州のような、島のような砂場へ着いた。試しにクマデで掘ってみる。それから手探りでアサリを探す。この場所は、さんざん人が採った後みたいだったが、それでも小さなアサリがぽつぽつ採れる。なつかしい。というのは、去年や一昨年おとずれたときの感触を思い出してのことだ。とりあえず、このあたりで採ることにする。たまに小さなカニをみかけた。白っぽいカニなので、甲羅などがまるでアサリみたいだ。とって逃がしてやる。ヤドカリもいる、こちらも逃がす。
 「なんかアサリが小さい〜」「今年小さいよね〜」まわりで声がする。たしかに、採れるアサリは、シジミみたいな大きさのものばかりだ。ああ、みんなそうなのだなと、すこし安心する。
 そうして一時間ぐらいしたら、なるほど潮が満ちてきた。気がつくと採っていた場所がくるぶしぐらいまで海になっている。すこしずつ陸地側に移動しながら、アサリを採る。つれは、ずいぶん潮が満ちるまで、膝ぐらいまで水につかりながら、同じ場所で掘っていた。わたしは彼から徐々に離れる感じで、陸に向かった。海のほうに振り返ると、つれのまわりにはほとんど人がいない。まるで遠くまで泳いでいった人がぽつねんと残ってるみたいに。ちょっと心配になったが、つれはわたしと違って泳ぎも得意だ(まさかそんな事態には陥ることはないだろうけれど)、どうにかするだろう。
 陸にむかうとき、潮が満ちてきて、かなり深くなったところを歩いた。もともと中州みたいなところで採っていたのだから、当然だ。けれども行きはせいぜいくるぶしぐらいまでの深さだったのが、今では、膝あたりまで、もはや裾が濡れるまでの深さになっている。なかなか珍しい体験だ。
 ちなみに、つれは、それから十分後ぐらいに、じゃぼじゃぼと、平然と歩いて帰ってきたのだが、さほど濡れていないようだった。どんなふうに帰ってきたのだろう。
 ともかく最後の方は、砂を掘ってアサリを見つけるというより、ほとんど浅瀬の海の中、流れてきたアサリだか、出てきたアサリを、探して拾うという感じになっていた。これはこれで新鮮だった。砂浜で、波打ち際で遊んでいる感覚。わりと澄んだ海水、砂ですぐに、一瞬にごってしまったりするが、海の中から、貝を拾う。アサリ採りが、貝拾いになって。
 波打ち際(潮が満ちてきているので、すぐに波打ち際が後退してしまうのだが)で、こんなふうに足を浸して遊んだのは、いつが最後だったか…。ずいぶん前のような気がする。そんなことを、浸した足の感触に浸りながら考えていた。小さな魚も群れをなして泳いでいる。足で踏まないかどうか心配なほど、すぐ近くを魚が行く。魚たちが行った下の砂で、アサリを拾う。もはやクマデはほとんど使わない、邪魔なぐらいだ。
 だいぶ潮が満ちてきてから、沖からようやく帰ってきたつれに時間をきいたら(わたしは腕時計を車においてきていたから)、まだ三時四十分だった。干潮終了時刻まであと二十分ほどある。今でこんな感じなのだから、四時だとどうなるのだろう、と最後までいたい気もしたが、結局それから五分ぐらいして、採る(拾う)のをやめた。もう実際に満潮になったとしても海に浸ることはほとんどないにちがいない、というぐらい乾いた場所しか砂浜がなくなってきていたし、そろそろ中腰でいるのも、疲れてきていたから。
 採ったアサリの入った網を見る。潮干狩りでは、つれのほうが、いつも採るアサリの量が多い。でも、はじめて行ったときより、わたしの採る量も、すこしづつ増えてきている気がする。ちなみに潮干狩り、ひとり二キロまで無料(というか入場料のうちに、二キロまで込みで入っている)なのだが、わたしたちは、そこまで全然届かない…。帰るときに、入口で量をしらべるのだけれど、わたしたちは計るまでもなく、ああ、いっていいよ、と通された。けれど、二人で食べるには十分な位だ(実際、家に帰ってきて広げたらけっこうな量だった)。
 足についた砂を洗い場で洗う。まっぱだかの小さな子供もいる。まるで海水浴にきてるみたいだと、やはりうれしくなる。いつか、たぶんこどもの頃の、夏の記憶。
 アサリを洗って、発泡スチロールにいれて、もって帰る。ここにも、色々テクニックがあるのだけれど、省略しよう。
 帰り道も込んでいたが、潮干狩りの場所から見えたアクアライン、車がとまってほとんど動かないようにみえたが、実際に走ってみると、それよりは動いていて、ほっとする。ちょっとした時間のずれのせいなのか。
 道の真ん中付近にある、海ほたるのPAに入るのにも混雑して、かなり並ばないといけないからと、当初は寄らないつもりだったのだけれど、ちょっとみやげがほしかったし、前述のとおり、思ったほど混んでいなかったので、寄ることにした。それでも入るまでに結構並んだけれど。
 わたしはバイト先へのみやげと、八街の落花生がほしかった。八街の落花生は、はねだしみたいな安いものしか買って帰った記憶がないのだれど、おいしくて、いつも千葉にくると買っている。たぶん最初に買ったのは、観光できたからでなく、千葉市美術館にきたときだ。駅の構内でワゴン販売で売られていた。ほんのりとした甘さが口のなかにやさしく拡がる。ほかにもおいしい落花生はあるだろうけれど、ともかくここのが好きなのだ。
 海ほたるに着いたのが、六時位だったか。ここで、展望スペースで、夕景の海をすこしだけみることができた。海におちようとする太陽の赤さ。朝もそうだけど、だいぶ日がのびた。打ち寄せる波がとおい。



 そして、建物のふきぬけの部分に、鯉のぼり。自分に兄弟がいなかったし、自身に子どももいないからか、なんとなく鯉のぼりに縁がなく、だからこそ、鯉のぼり、ずっと気にかかる存在だった。小さい頃は折り紙でつくったり、大人になってからは小さな鯉のぼりを自分用に買ったり。こうして見かけるたび、なんだか憧れの相手に出逢ったような、妙なときめきに似たものを覚える。



 そういえば、うちの近くの公園、田んぼが復元して作られている素敵な公園に、鯉のぼりが毎年、およぐ。今年も、水をはった田んぼの上を、ぐんぐん泳いでいて、これをみるのも、毎年の楽しみのひとつになっている。
 海ほたるに戻ろう。つれは自分のつまみを買った。わたしは当初のもの、お菓子と落花生。
 海ほたるからでて、帰りの道は、さらに空いていた気がする。ああ、そうだ、わたしはこのアクアラインが好きなのだ。トンネルに入る。ここは海の中なのだとかみしめるように思う。それだけで心がざわつく。トンネルから出ると、あたりはすっかり夜だ。車のなかで、すこし寝てしまう。



 帰ってきて、ネットで調べて、アサリの砂抜き開始。アサリレシピもしらべる。以前は砂を懸命に吐き出しているアサリが、生きている証なのだと、かわいそうな気がしたが、今はなんとも…、けれども、アサリたちを、十分に味わおうとは思っている。ワイン蒸し、ボンゴレ、スープ、アサリご飯、アサリの味噌汁、しぐれ煮…。実際、次の日は、ワイン蒸しと、ボンゴレを食べた。なかなかおいしい。採ってきた時は、こんなに食べきれるかなと心配になったが、いい感じに量が減った。採ってきて三日間で食べきればいいらしい。この分だと、冷凍しなくてもなんとかなりそうだ。
 ちなみにこれを書いているのは翌日だ。今日は、田んぼのある公園で、子どもの日イベントがある。バナナのたたき売り、手打ち蕎麦の販売。この公園は、いいわすれていたけど、移築された古民家も立ち並んで、用水路も小川のように流れていて、かなり好きな場所なのだ。今からちょっと出かけてくる。鯉のぼりも田んぼ池に、映って、およいでいるだろう。明日から、また早朝バイトだ。
00:01:00 - umikyon - No comments

2014-05-05

幻想たちが現実を変える…かもしれない─横須賀美術館

 ここで書いたら、元も子もなくなるかもしれないが(関係者がみていませんように)、ここ一カ月ほど、詩の集まりなどへ出かけすぎて、疲れていた。毎週末、何かしらに出かけていた。続くと精神的にも肉体的にも金銭的にもきつい。だからある週末…誘いのイベントが土曜ひとつ、日曜ひとつ、二つあったのだが、法事と称して体よくことわった。多分片方はいかないとまずいような代物だったが、もう無理だ。どこか、おそらく心が悲鳴をあげていた。法事は本当にあったのだけれど、実は一週間ずれていて、第一わたしはその法事には、仕事の関係でゆけなかったのに、ともかく予定をいれなかった。やっとの休日。
 精神的…というのは、人と接するからきついのだろう。詩的ななにかたちと接するだけではないから。
 たとえば。結局、その週末、約束がなくなった土曜日、横須賀美術館へ出かけた。軽い遠出だ。だが、おそらく行って帰ってきて、肉体的には多少、疲れたかもしれない(次の日、ほとんど寝ていたから)、けれども心はすこしも疲れていなかった。そういうことだ、人たちが集まるところが、苦手なのかもしれないし…。このあたりは考えはじめると、なかなか難しいものが孕んでいるが、今日書きたかったことではないので、いつかにしたいと思う。
 ともかく横須賀美術館、ここで四月二十六日〜六月二十九日まで、「アール・ヌーヴォーとアール・デコ」展を開催している…と、どうして知ったのだろう? 海にでも行きたいと思って、何気なく、海辺にある美術館として、インターネットで検索したような気がする。そしたら、丁度。ラリックやドーム、ミュシャの作品が、紹介されていた、たぶんそうだ。アール・ヌーヴォーやアール・デコもまた、つい最近行ってきた「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義一八六〇─一九〇〇」や「ラファエル前派展」のように、もうさんざん観たものだろう。ただ、この二つは実は行く前から、食傷気味な感があったのだけれど、「アール・ヌーヴォーとアール・デコ」展には、そうしたものがなかった。東京国立近代美術館工芸館所蔵のものからの紹介だというから、多分見たものばかりだ、だけど観たいなあ…、行くことを考えると、心がぬくもった。ここが前者と違う。そして美術館は海に面している。海だ、わたしの大好きな海。そしておいしい魚でも食べてこよう。気分は横須賀方面へ向かっていった。展覧会と海と魚たちで、さらにぬくもりにみちた誘いとなったのだ。さらに、家人との、ひさしぶりのドライブだ。
 家から三浦半島までは、意外に近い。車だと片道一時間半ぐらいだろうか。電車だと結構遠いのだけれど。車は内陸、山っぽいところを通ってゆく。木々がすっかり新緑になっている。緑がやさしい。最近、こんなふうにほんのすこしの遠出といえば、まだ春まだ浅い、梅の頃、三月初旬、木々もまだ葉をつけていない頃だったから、この違いに、違和のようにすこしだけ驚いた。それはおおむねのやさしさだ。春というより、初夏の季節のなかで。途中、一度だけパーキングによった。日差しが強く、汗ばむぐらいだ。
 横須賀美術館は、横須賀と名前がついているけれど、実際はもっと三浦半島を南下した、観音崎にある。家を出たのが十時過ぎ、ついたのが十二時前だったか。緑多い内陸を走っていたと思ったら、いきなり海だ。坂をくだる感じで、進行方向に海の青が空の青とグラデーションをなして、突然現れる。このまま海におちてゆくみたいだ。

 


 横須賀美術館に車を止めて、歩いて近くの食堂へ。こちらはネットで調べたのだが、駐車場がないとのこと、お昼をすぎると名物のアジ料理が、食べられなくなってしまうこともあると書いてあったので、まず食事をしようと。
 実は前回、観音崎あたりを一人でぷらぷらしていた時(去年の秋だ)、この前を通りすぎていた。観音崎で飲もうと思って、店の目の前のコンビニでチューハイすら買っていたのだが、気付かずに通り過ぎてしまっていたところだった。食堂風で、外から中が見通せるわけでもない、ランチ紹介の看板なども置いてなかったので、知らないと入りにくいところなのだ。
 わたしはアジフライ定食、つれはアナゴの天ぷら定食を頼んだ。もう一品、タコの刺身も。
 私の食べたアジフライのほう、やわらかく、さくっとして、口のなかで、アジの白い肉がひろがる感じで、おいしかった。この海で獲れたものらしい。タコもしこしことしながら、ほどよく柔らかく、こちらも美味。アナゴはもともと好きではないので、一口頂いたけれど、わからない。
 ところで、普段あまり…というか、食べ物のことをここで書くのは初めてではないか。おいしかったから、というわけではない。実際おいしく頂いたけれど、今までは、あえて書かないようにしていた。食べることはどうも日常に直結しているようで、文章にするのに、不得手な感じがあったのだ。わたしはフライパンの詩が書けない。それと似ている。
 けれども、この間、行ってきた「絶対のメチエ─名作の条件」展、ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション(2014年4月15日のこのブログ…)の記憶が、どこかでささやいてくれたような気がする。デイヴィット・ホックニーの《煮え立つ鍋》、浜口陽三《くるみ》《アスパラガス》…。食べ物たちが、私に詩的な異質、やさしい息づかいを差し出してくれた、あの感触が、心のどこかで、私の長らくの間違い──食に対する偏見を、解きほぐそうとしているのだった。まだ、たどたどしい感じだけれど、これからも、少しずつ、書いてみたい。

 さて美術館へ向かう。歩いて5分ほどか。その途中、海を見る。東京湾にしては…という頭があるからか、澄んでいるように見える。おそらく伊豆のほうがきれいだろうとどこかで感じながら、この澄んだ感じで、十分だと、心地よく思う。
 波の打ち寄せる音に少し驚く。わたしのなかで海は、浜であったり、岩場であったり、船からながめる波がしらばかりであったり、波紋、そして、色たちのおりなす映像として大事にあたためてあるのだけれど、なぜか音は、そこから忘れられている。というよりも、音は、実際に海におとずれてからのお楽しみ…として、とっといてあるのかもしれない。だから、音を聞くと少し驚く、そして海にきたと実感がわいてくる。うちよせる音。ここの波は静かだ。映像としても、音も。



 GWだからか、浜や、向こうにみえる観音崎には、人がいつもより多い。だが、なにか共有のようなものを感じて、ほほえましくなる。わたしたちは海にひかれてやってきているのだ。
 さて、美術館。海に面した一階は、イタリアン・レストランになっている。外の席もあり、こちらも丁度昼時ということもあり、満席のようだ。海を見ながら食事を食べるひとたち。かれらもまた、海に惹かれてと、やはり親しみをおぼえる。ちなみにレストランのほうは、わたしが食べたアジフライの倍ぐらいの値段。こっそり、得した気分になる。
 というわけで、いよいよ展覧会。
 チラシやHPから。
 「 ヨーロッパで生まれたデザイン様式、アール・ヌーヴォーとアール・デコは、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、大きなうねりとなりさまざまなジャンルを巻き込みながら、広い地域に影響を及ぼしました。
 アール・ヌーヴォーの源泉の一つは、日本の工芸だともいわれており、逆輸入のような形で流れ込んできたアール・ヌーヴォーが、また日本で新しい流行を巻き起こしました。一九二〇年代以降にアール・デコ様式が広まると、日本でもさっそく、その影響を受けたモダンな工芸作品が生まれています。アール・ヌーヴォーと、それに続くアール・デコという装飾様式が、日本のデザインや一般の人々の嗜好に与えた影響は計り知れません。

 本展は、このように親しみ深く、かつ古くて新しいヨーロッパのデザインと工芸、そしてその影響のもとで開花した日本の作品の約一〇〇点を、東京国立近代美術館工芸館所蔵作品のコレクションから選りすぐってご紹介します。」
 ちょっと順番が前後するようだけれど(海辺にいるのだ、寄せては返す波に、これらが乗って、波間に浮かんでもいいだろう…)、展覧会を観終わって、図版カタログを買ったのだが、そこに掲載されていた論文に、気になる文章があったので、引用する。
 「往還する東と西──日本の工芸とヨーロッパのデザイン」(木田拓也・東京国立近代美術館工芸科主任研究員)に、(十九世紀後半の西欧では、)「工芸と美術のあいだに境界がなく同格のものとして位置づけられている日本の価値体系を知るにいたり、日本では生活そのものが芸術化されているという幻想を抱くようになった」とジャポニズムのことに触れているのが興味ぶかかったのだ。
 生活と美、あるいは生活と想像(創造)、生活が詩であること、それらを求め、それらでできた王国があると、どこかで、幻想としてはぐくんでいる自分がいるから。
 わたしにとって、それはたとえば、生活と美を一致させようとするウイリアム・モリスであったり、描くことが生活だった北斎だったりするかもしれない。看板絵を描いて、絵を描くことで生計を立てていたピロスマニもそうであるかもしれない。彼らに惹かれるのは、幻想であると同時に、自身もどこかでそれを追い求めているということだ。なぜなら、詩を書くことも幻想の領域だから。だが、生活は、わたしのなかでは、詩と直結はしないだろう。だが幻想と生活が離れつつも接点を持つことを欲している。その際で、彼らが幻想として、私に焦がれるほどに、ささやきかけてくれるのだ。生活と美の共存関係について、親しみのある、けれども、未知の言葉で。
 図録に戻ると、さらに日本でもまた、アール・デコに影響をうけ、それを糧に、新しい芸術運動がおこったことが紹介され、そのことも興味をひいた。
 「日本の工芸とヨーロッパのデザインは往還し、互いに影響を与えあいながら展開してきたことがうかがえる。そしてそのスタイルの変化の根底にあったのは、人々がそれぞれの時代のなかで思い描いていた生活の理想であり、生活と美術をいかにして融合させるかという課題だった。」
 では、今のわたしたちの暮らしはどうなのか…。そのことに「工業製品に囲まれて暮らす現在の私たちの暮らしのなかではもはや見失われつつある」…と、問題提起はされていたが、あまりに近すぎる事柄だからか、実際自分と生活…、自分と製品たち、という意味でだが、そうしたことが見えにくくなっていて、分からない。工業製品のなかでも、その範囲で、デザインたちは生みだされているだろう。あまりちゃんと考えたことがないから、本当は言及するのをひかえたほうがいいのかもしれない(するのなら、もっと調べてからでないと、なにか心にふれるものがあってからでないとだめだ)。けれども、私の家にあるものたち…これらはほとんど工業製品だし、けっして高いものではないけれど、なんとなく、デザインされた痕跡のあるものたちで満ちている。愛着のものとしてのひいき目もあるのかもしれない、そして、問題提起しなければいけないことは、沢山あるだろう。失われつつある技術に対してだとか。けれども、街には、おそらく、素敵なものたちが、あふれていると思うのだ。テーブル、椅子、小箱、食器…。…これも、あまり街に出かけなくなったわたしが、遠くを幻想として眺めているからかもしれないけれど。
 さて、展覧会へ、ようやく。よせては返す波たちにのって。
 ここでも、ミュシャやラリック、ビアズリー、ドーム、杉浦非水の地下鉄のポスターなど、確かに観たものばかりだったけれど、海が近いからか、いや、たぶん、彼らが、好きだから、としかいいようがないのだが、作品に対する感動云々ではなく(それはかつて感じたものだ)、再会の喜びにひたって、心地よかった。
 とくにラリックだ。わたしは彼がほんとに好きなんだなと思う。箱根のラリック美術館でも観た、展覧会のチラシにもなっている《ブローチ 翼のある風の精》(一八九八年頃/金、七宝、ダイアモンド)。箱根のラリック美術館では、《シルフィード》として展示、紹介している作品。本体は四センチ×八センチととても小さい。小さいのは何度も作品を見ているし、ブローチなのだから当然、解っているのだけれど、翼部分の蝶の羽を模した、緑色をメインとした繊細なきらめき、女神の金色の、身体をくねらせた、みずみずしい肢体、このなめらかさ、この意匠が、なにか大型の美術品であるかのように、いつも感じてしまい、そのまま記憶に温存されてしまう…おそらく、それほどインパクトがある、ということなのだろう、だから、ひさしぶりに実際の作品に会うと、いつもそのあまりの小ささに驚いてしまうのだ。たとえばチラシに掲載されているよりも、もっと小さいことに。そう、わたしが惹かれること、彼の芸術性、その意匠たちで、シルフィードは、奥行きを秘めた、美しい凝縮となっている。それが大きさとしてわたしのなかで記憶されてしまうのだろう。そして再会するたびに、作品の小ささに、うれしい驚きを感じてしまう。なにか海を前にして、波の音に驚くのと少し似ている。これが実物と出逢うということなのだ。
 杉浦非水(一八七六─一九六五年)は、《東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通》(一九二七年、リトグラフ/オフセット)の作者として知っていた。ホームで、たくさんの人が、電車をまっている。待ち望んでいる、といった風な、たのしげな様子で、モガ・モボの人たちが。一九九七年か二〇〇七年、八十周年か九十周年記念の地下鉄の行事で、知ったような気がする。
 今回は彼のポスターではなく、「非水百花譜」(一九二九─一九三四年(原本・一九二〇─二二年))という木版画集からの花を描いた作品の出品に、心が動いた。
 緻密かつリアルな植物の描写は、植物図鑑のようだが、西欧のそれは、なにか植物標本のような気がしてしまう、どちらかというと死を感じさせる、あるいは生きていないようなイメージがあるのだが、比べて杉浦非水のものは、生が宿っている感じがした。なにか酒井抱一や鈴木其一的な日本画や、北斎の浮世絵的なものすら感じる。これらからは共通して生の瞬間を感じるからだ。植物とともにあること。というか、杉浦非水のものは、西欧的なものと日本的なもの、それらの中間、西欧と影響を受け合っていたというデザインの、それを体現しているような感じがした。私が今あげた日本的だと思う画家たちのそれよりは、どこか生が希薄である、けれども、たしかに生がある…。生と死の狭間ということなのか。「いかりさう」「のぶだう(野葡萄)」「りんだう(龍膽)」…。
 展覧会会場を出て、常設展、そして、屋上へ。海を見渡すことのできる展望スペースがある。
 もはや春ではなく、初夏の日差しがまぶしい、暑い。この暑さに海の青、そして空の青がよく合っている。新緑の緑が、夏とは違うことを、そっとささやきかけてきて。
 車は美術館の駐車場へ止めたまま、観音崎のほうへ、すこしだけ。さきほど来る途中でちらっと見かけたように、いつもより人が多い。いつも…というか、わたしが来たとき、いつもここはひとけがない。ひとけのなさも、好きだが少々心配になる。観光としてなりたつのか…。だからこのにぎわいはすこしばかり喜ばしい、といった気持もあった。岩場ではしゃぐ子供たち、バーベキューをする人々、のんびり散策をする人々。岩場や浜に打ち寄せる波、波紋。海の青さが空の青さと決別のように、色を変えている。
 横須賀…今度は本当に横須賀だ、横須賀にある、おみやげとか買える施設に立ち寄って帰る予定で、そちらに車をすすめる。猿島が海の向こうに見えた。小さな島だが、私にとってながらく幻想の島だった場所だ。幻想の空間として、近くなのにながらく訪れたことがなかった…去年ようやく訪れた場所。今日の展覧会と共鳴しあうような島だと、出逢いにひとり、微笑む。日がだいぶのびた。まだ辺りは明るい。家に帰るころ、ようやく夕方、境目の時刻になった。幻想と現実。



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