Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2014-11-15

そばにいてくれるものたちの優しさに、名前が近づくだろうか?(玉川大学教育博物館、イコン)





(家にあるイコン)

 ある用事で都心に出た時─バイト先もすべて家の近くなので、殆ど都心に出ることがない。出るとしたら、たいていそれはわたしにとって非日常だ──、駅のホームでだったと思う、「玉川学園創立八十五周年記念特別展 東と西のキリスト教美術 ─イコン・西洋絵画コレクションから」(前期二〇一四年十一月三日〜十二月七日、後期二〇一四年十二月十三日〜二〇一五年一月二十五日、玉川大学教育博物館)のポスターを見た。この展覧会は、五年前に同じ場所で開催された「イコン−聖像画の世界展」とほぼ同じものだったろう。こちらも行ったのだが、ポスターを見かけた時、知らないうちに、懐かしさがわきあがってきた。五年ぶり、ということもあっただろうけれど、今から思えば、五年前もやはり駅のホームに貼られていたポスターで、開催を知った、そのこともゆかしく思ったのだろう。
 で、ポスターを見て数日後の金曜日に出かけてきた。ちなみに大学の中なので、基本的に土日は休み(他、年末年始なども休みなので、行きたいと思った方は調べてからにしたほうがよい)、で、平日に赴いたのだった。五年前は仕事の関係で平日ということがネックになっていたのだが、今は違う。歳月を思う。そういえば、五年前に教育博物館の入り口で、割引券をもらったのがきっかけで、「国宝・土偶展」(東京国立博物館)に行き、そのことで土偶や縄文式土器にひかれるようになったのだなと思い出す。最近、東京国立博物館に出かけ、そこで土偶を観たばかりなので、そのこともあわせて感慨にふけった。
 最寄駅の玉川学園前駅は、自宅最寄駅と、同じ路線上にあるので、うちから電車一本でゆける。平日の昼だし、電車もすいている。急行が止まらない駅なので、手前まで急行で行って、各駅停車の電車に乗り換えるという選択肢もあったが、早朝バイトをしてきて、疲れていたので、最初から各駅停車でゆくことにした。電車で読む用に本も持っていたけれど、開くことなく眼をとじる。何分ぐらいかかるのだろうか。スマホで調べるのもおっくうだった。新百合ヶ丘の先だ。ともかくうたたねしよう…。
 うつらうつらしながら、何回か眼を覚ます。まだ大丈夫。あと数駅。平日だと実は頭の切り替えがなかなかできない。だが電車のなかでうたたねすることで、少しだけそれができたようだ。ほんのすこしの眠りの後、もはや見慣れない駅に来ている…。非日常。玉川学園前駅につく。ここで降りるのは二回目だ。前回の展覧会以来。
 駅からすぐのところが学校の敷地だ。けれども玉川大学教育博物館は、いちばん端にあるので、十五分ぐらい歩く。前はパソコンでダウンロードしたチラシの後ろについている小さな地図を片手に迷いながらいったのだろう。今回はスマホのナビを使ってみた。八月にガラケーからスマホに買い換えたのだが、普段ナビを使う機会がなかったので、ほぼはじめて。「百メートル先右折です」とかしゃべる通りに歩く。迷わずについた…。だが、ナビを使うのは考えものだと思った。特に帰りだ。五年前にも一度来たことがあるし、駅まで今度はナビを使わずとも帰れるだろうと思っていたのだが、今回、行きに自分で考えて進むことをしなかったので、途中で道に迷ってしまった。博物館でもらってきたチラシに載っている地図を見ても、自分がどこにいるのか、どの方向を向いているのかわからない。もともと方向音痴だということはあるけれど、最初から地図を片手に進んでいたら、ここまでひどいことにはならなかったはずだ。ナビにたよりすぎると、頭をつかわなくなる、馬鹿になるのだなと、すこしだけ眼からウロコ状態になった。結局、またナビを使う。今度は玉川学園前駅まで。途中からはほぼ一本道になるので、さすがに途中で案内を終了したけれど。だがスマホもいいところはたくさんある。このあいだダウンロードしたばかりで、まだあまり活用していないけれど、美術館のスケジュールがわかるアプリもあるし。
 閑話休題。さて、博物館へ、展覧会へ移ろう。
 (けれども、このブログの二〇一〇年一月十五日(http://www.haizara.net/~shimirin/nuc/OoazaHyo.php?query=%A5%A4%A5%B3%A5%F3%A1%A2%BF%CD%A4%CE%A4%A2%A4%A4%A4%C0%A4%C7&dummyInput=%A4%A2%A4%A4%A4%A6%A4%A8%A4%AA%C8%FD%C9%FD&amount=0&blogid=3)で、かなり詳しく触れているので…わたしはだいぶ忘れていたのだけれど…、今回は簡単に。)



 玉川学園には、七十一点のイコンと、西洋絵画十三点のコレクションがあるという。
 HP(http://www.tamagawa.jp/campus/museum/info/detail_6970.html)やチラシから。
「キリスト教の絵画には東方正教の世界にある伝統的なイコンと西欧の美術としての聖画があります。今年度は玉川学園創立八十五周年を記念した特別展として、当館所蔵の美術資料の中から、東方正教のイコンと西欧の宗教画を紹介いたします。(中略)
 イコンは、ビザンティン美術の一流として発達しました。八世紀のイコノクラスム(聖像破壊)の受難を経たのち、十一世紀頃からのイコン敬拝の高まりとともに、板にテンペラ技法を用いたイコンがロシアやそのほかの東方正教会圏に広まっていきました。テンペラ技法は、顔料を卵黄で溶いて絵具としたもので、乾きが速く、発色がよいことと耐久性のある画面をつくることができます。
 一方、西欧では四世紀にキリスト教が公認されて以降、宗教的な中世美術の時代を経て、聖書や宗教的な逸話をモティーフにした宗教画が多くの画家によって描かれました。十五世紀からは顔料を油で練り合わせた絵具を用いる油彩画の技法や写実的な表現が主流となり、より人間的なキリストや聖母、聖人が描かれるようになりました。
 展示では、東方正教のイコンと西欧絵画と比較することで、それぞれのもつ美と特性をより深く理解できる展示空間をつくります。
 なお、この展覧会は展示スペースの都合により、会期を前期後期の二期に分けて開催いたします。イコンは半数ずつ前期と後期で展示し、西欧絵画は両会期とも同じ作品を展示いたします。(後略)」

 わたしは特に聖母子を描いたイコンが昔から好きだ。なぜだかなんとなくしかわからない。中世をひきずったような平面的な描き方。その平たさに、そして聖母の表情にひかれる。慈しむような顔。わたしは無責任に、勝手にイコンを好むものにすぎない。イコンの多くは匿名の画家によるものだという。会場内での紹介映像では、今でも作られるイコンは、修道女たちの日々の営みの一端、手作業によるものだとあった。それらに宗教的な何かをあてはめなければ、いけないのだろうけれど、ごめんなさい、どうもわたしが異端者だからなのだろう、しっくりした言葉が見当たらないから、控えることにする。ともかく、どうしてか特に聖母マリヤのイエスを抱きながら見つめる顔、その仕草に、じわじわとしみてくるような慈愛を感じるのだった。
 イコンに描かれる聖母像には、いくつかの型がある。ホディギトリア型(左腕でキリストを抱き、右手は胸に置く。幼児キリストは右手で祝福し、左手に聖なる書物を持つ)、「ニコポイア型」(聖母子ともに正面を向いて椅子に座っている、ギリシア語で「ニケ」は「勝利」、「ポイエイン」は「作る、もたらす」の意味なので、「勝利をもたらす者」という意味で、キリスト教の勝利を象徴的にあらわす像だという)、「グリュコフィルーサ型」(幼児キリストは祝福のポーズをとらずに聖母のマントにつかまり、甘えているよう、「グリコ」はギリシア語で「甘い、愛らしい」、「フィロス」は「愛する人」を意味することから、「愛撫する聖母」となる)、「エレウーサ型」(ギリシア語の「エレオス」は「同情、あわれみ」の意。幼児キリストが聖母の顔に頬ずりし、マントをつかみ、首に手をまわしている。聖母は抱きかかえ、片方の手を胸にそえている)など。
 以前も書いたが、わたしがひかれるのは、「グリュコフィルーサ型」「エレウーサ型」のたぐいだ。つまりそこにあふれる情愛豊かななにかたち。
 今回の出品作だと、《カサウカヤの聖母マリヤ(グリュコフィルーサ型)》(ロシア・イコン、一七八〇年頃 板・テンペラ)と、《フェオドロフスカヤの聖母(エレウーサ型)》(ロシア・イコン、十九世紀、板・テンペラ)だ。《カサウカヤの聖母マリヤ》のほうが、顔のつくりがより平面的かもしれない。そしてここでみた、あるいはほかでもそうだけれど、多くが金地に描かれてあるのに、これは銀地で、そのことでいっそう派手ではない優しさを感じたのかもしれなかった。対して《フェオドロフスカヤの聖母》は金地で、顔ももうすこし、後年になった感じ、平たさが幾分か薄れている。向きも逆だ。だが実はどこをみているともいえないまなざし─その眼は、幼児キリストと視線をあわせていない。このことはなんとなくだが、わかる気がする。聖母はキリストにまちうける日々を見つめているのだと思う──、けれどもとくに幼児キリストよりもやはり聖母マリヤのほう、その平たさにひそんだ、凝縮の表情に、心うたれるのだった。


(2009年開催時のチラシ。《フェオドロフスカヤの聖母》が使われている)

 そう、エレウーサ型については、確かに五年前にも、教えてもらった記憶があったが、実はその言葉のこと、ほどんど忘れていた。ちなみに、うちにある四つのイコンのうち、三つがエレウーサ型。あとの一つはホディギトリア型だ。会場で、エレウーサ型という言葉を見つけたとき、まるで家にあるイコンたちの名前をはじめて教えてもらったような気がした。うちに帰ってきて、壁にかけてあるもの、机にたてかけてあるものなどを眺める。「エレウーサ型」とつぶやいてみる。やさしいまなざしが、いつもどおり、わたしにも微笑みかけてくれている。それは長年わたしのそばにいてくれるもののもつ力でもあるのだけれど。ありがとう、そこにいてくれて。「エレウーサ型」という言葉を今度こそ覚えたと思う。そのことがなにかの発見…というか、イコンたちに少しでも近づくためのなにかであるような気がしている。あるいは、「詩は見つかった名前だ」(パスカル・キニャール『舌の先まで出かかった名前』)。

 少し、話しが前後してしまった。もう、家へ帰ってしまっているではないか。博物館に戻ろう…。こうして時間をさかのぼれることも、文章の面白いところだなと思ったりしながら。
 イコン展が開催されていたのが第二展示室で、所蔵コレクションを展示する、常設展示室ともいうべき第一展示室。この一角に縄文式土器が並んでいたのに驚いた。学園構内の遺跡から出たものが中心だという。中期の、文様に力のあるものたち…。五年前もみていたはずなのに、そのときは良さに気付いていなかったのだろう。あのすぐ後だ。ここで貰った「国宝・土偶展」の展覧会割引券で、土器や土偶たちの力に気付いたのは。まだ五年しかたっていないのか…。わたしが生きてきた年齢にしては遅いだろう。だが、気付けて良かった。文様や縄文、あの土の色たちに、力を貰う。五年のなかで、なにかが円環しているようにも思った。イコンを含めて。
 また家へ、帰ってから、いや、今現在。博物館内で購入した絵葉書《カサウカヤの聖母マリヤ》を、これを書く手を休めて、見えるところに飾った。穏やかな慈しみ。優しさをもらう。また大切なモノが増えた。ありがとう。

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2014-11-05

瞬く刹那に住まうこと、一期一会の黄昏色 ─八雲、土偶、《黒き猫》、『草迷宮』



 今回は締切が重なったりしていたので、ここを休もうと思っていたのだけれど、十一月五日は誕生日だ。だからどうということもないのだけれど、なんとなくその時にこのブログ、お休みするのは、しのびなくなったので、つらつら書くことにした。
 小泉八雲『神々の国の首都』(講談社学術文庫)途中ですこし読むのがだるくなってきた。本のせいではない。わたしのこの頃のなまけぐせのせいだろう。紀行文的な文章なので、話しの続きが読みたいとか、引き込まれることがないから。つまり読むこちら側が、小説とかでないと読み通すことができなくなってきているのだ。読むのやめてしまおうか、飛ばしてしまおうかと悩んでいたら、こんな文章に出逢った。

「 考えてみると私たちの記憶に一番長く残るような印象はたいてい束の間に受けた印象である。私たちが思い出すのは時間単位の記憶であるよりは分単位のものであり、分単位のものであるよりは瞬間のものである。一日全体の事など誰も覚えていられない。一人の人の生涯で思い出せるようなしあわせは集めても秒単位で生まれたしあわせである。考えてみると、人の微笑ほどたちまち消えるものがほかにあろうか? しかしその消え去った微笑が私たちの記憶から消え失せることがはたしてあろうか? またその記憶が呼びさますあの優しい追懐の情が。」
(小泉八雲『神々の国の首都』、「加賀の潜戸」より)



 そうして瞬間、刹那に惹かれてきた自分を思い出す。その言葉に惹かれてきた、というべきか。それは思い出に関係してきたからかもしれないし、逃げ去るものだからかもしれない。
 この話を読んで数日後、ある人から「トワイライトって、瞬間とかって意味だっけ?」と聞かれた。「ううん、違う。黄昏とかって意味。昔あったテレビドラマの『トワイライト・ゾーン』とかは、日本語でも元々「誰そ彼」からきているように、識別がつきにくくなる時刻のような空間、境界があいまいになる中間領域的なことを指したりもして…」と答えた。
 わたしはそんな中間領域に惹かれている。そして、そう答えた時に気付いたのだ。夕暮れもまた瞬間なのではなかったかと。あの昼と夜が出逢う瞬間。昼でもなく夜でもない時間の短さもまた、黄昏を彩るものなのではなかったか。だからあれほど鮮やかな、染みいるような空の色なのだ…。
 夕景の空の色はいつも信じられないほど美しい。それは境界であることもまざっているが、束の間であることもまざっているだろう。空の色もまた、暗い紺、青、緑、橙、黄色、桃色、もしかすると殆どすべての色がまざっているのかもしれない。あいまいなまま、はっきりとした色。黄昏に惹かれるのは、中間領域を感じていたからだけれど、それがすべてを含んだ刹那だったということもあったのでは…と、ふと思ったのだった。

 これでまた小泉八雲から離れられなくなってしまった。読み続けることにする。ゆっくりと。



 この期間、二つの展覧会に出かけてきた。といっても、どちらもあまり展覧会については書くことがない。だが今回みたいな時には、ちょうどいいかもしれない。締切のあいまの短い時間で書くという、あまり頂けない理由もあるのだけれど、書こうとおもっていることは、ささやかだけれど、それでも心にのこったことたちだから。ちょっとした時間…というのが、束の間につながるかもしれないと、思いつつ。
 まずは日本国宝展(東京国立博物館、十月十五日〜十二月七日)。少しは付き合いでいった感もある。そして時間的な制約もあり、いつもなら割と時間をかけて廻る常設展にも行けず…。そして色々な関係でわたしの好きな土偶…国宝の土偶たち五体が凡て集結する後期(十一月二十一日〜十二月七日)にはゆけなかったことも、書くことがあまりない、といった理由につながる。だが、その国宝の土偶のうち、ともかく二体には出逢えた。


(日本国宝展、チラシより)

 縄文のビーナスと呼ばれる土偶(縄文時代中期、前三〇〇〇年〜前二〇〇〇年、長野県茅野市棚畑遺跡出土)と、合掌土偶(縄文時代後期、前二〇〇〇年〜前一〇〇〇年、青森県八戸市風張1遺跡出土)だ。実はこの二体も他の三体も、以前、ここで開かれた「国宝・土偶展」(二〇〇九年)で見たことがあったので久々の再会だった。
 ぼってりと丸いお腹と下半身に、優しさというか温もり、温かみが感じられる縄文のビーナスも、なにかしら、柔らかいものが伝わってきて、よかったけれど、合掌土偶。両膝を立て、両腕をその上に置いて、胸の前で組んで合掌している…、見上げるような顔、さらに顔や体のあちこちに見られる装飾的意匠…。祈りの重さが、やはり夕景のようにまじって、うつくしく見えたのだった。刹那たちが重なりあい、土偶そのものが中間領域そのものの体現であるかのような。祈る彼女に出会えただけでも、きて良かったと思った。
 常設にほとんど時間を割くことができなかったけれど、平成館の考古展示室だけは覗いてきた。重要文化財の遮光器土偶(縄文晩期、前一〇〇〇年〜前四〇〇年、青森県つがる市木造亀ヶ岡出土)に会えた。ゴーグルをつけた宇宙人みたいな子だ。
 日本国宝展の第一会場と第二会場の間に、ミュージアムショップが特設されている。そこにガチャがあった。国宝展に出品される五種類の土偶が入っている。何が出ても一回だけ…と、まわしてみる。中空土偶(縄文時代後期・前二〇〇〇〜前一〇〇〇年、北海道函館市著保内野遺跡出土)が出た。中が空洞になっている立像。顎から足にかけて、やはり土器に共通する複雑な模様がある。この立ち姿も、好きな土偶だったから、良かったと思う。 ミュージアムショップで、ガチャとほぼ同じサイズであろう、そしておそらく八戸で売っているのであろう、ポリエステル樹脂の小さな合掌土偶が売られていたので、買った。ちなみに、以前、やはりここのガチャで手にいれた遮光器土偶もあるので、三体とも近くに置いた。こうして書いている机に置いたので眼の前に見える。
 わたしは本物の力を信じている。そうした意味ではこれらは偽物だろう。けれどもこうして眺めていると、あの本物たちを眼にした瞬間の記憶がよみがえってくる。記憶のよすがになる大切なものたちだ。わたしが展覧会にいったときに買って帰る絵ハガキのように。うちにいる三体の土偶のおみやげたちは、そうして瞬間をあける鍵として、わたしのそばにいてくれている。おそらくいてくれる時間が長くなるにつれ、彼らもまた別の人格を持つだろう。そうしてモノたちは、またわたしの大切な友となるのだった。

 もう一つの展覧会は、菱田春草展(二〇一四年九月二三日〜十一月三日(前期・九月二三日〜十月十三日、後期・十月十五日〜十一月三日)、東京国立近代美術館)。前期は行ったのだが、後期…気がつくと会期終了が間近になっていたので、急いで出かけてきた。前期で殆ど書きたいことを書いているので(十月五日)、こちらも少しだけ。
 後期展にだけ出品される《黒き猫》(一九一〇年十月)に会いたかったのだ。柏の木、座るのにぴったりに曲がった幹の上に座った黒き猫。縦長の画面の上に配した柏の葉は、薄い色で装飾的、対して猫は究極に濃い黒という色で写実的。なにかたちが出合っている。薄い色と濃い色、デザイン化されたものと写実、彼が手本にした琳派的なものと、彼独自の。そしてそこには日本画に流れる歴史的な時間と、彼が描いた時点での現代、という時間たちも出合っていただろう。それらの出合いが絶妙のバランスをとっていた。黒猫はぼかしの技法も用いて描かれたそうだ。彼が以前朦朧体と揶揄された時から使っていたその技法が、絵画的空間を意識した後期、ちょうど《黒き猫》の辺りのその時に、使われたことで、連綿をさらに思った。この翌年、十一か月後に、彼は三十六歳で亡くなってしまう…。十一か月。わたしは自分の十一カ月前を思う。さして前じゃない。最近だ。そのことと比べて、生と死を思う…。いや、《黒き猫》を前にして、最初に感じたのは、圧倒的な存在感だった。絶妙な均衡のうえになりたった、その集約であるかのような黒猫。わたしはこれで、展覧会にあった猫たち、前期と後期のそれ、すべてを観たわけだけれど、この絵の猫はそのなかでもやはり圧倒的だった。この絵を観れただけでも来て良かったと思う。前期で感動した柿の葉の下にいる《黒猫》も、《黒き猫》に比べるとなにかしら、力が薄れているように思った。どちらも警戒心込めた眼でこちらを見ている黒い猫だからよけい比較してしまうのだけれど。



 そしてなんとなく思った。誰かの作品で、忘れられない力のある作品があるとする。だがほかの作品たちにも、彼のエキスはもちろん連綿と息づいている。菱田春草でいうと、《黒猫》《柿に猫》《椿に猫》などだ。すばらしい一つの作品が突出しているかもしれない。けれども他の作品たちにもそれが息づいている。うまく言えない。わたしは前期展でだけでも、彼を好きになるのは十分だった。けれども《黒き猫》は、突出している…。だからよけい、好きになるかというと、それはあるかもしれないが、ほかにみた猫やほかの景たちに感じた何かが損なわれるものではない。いや…何が言いたいのだろう、わたしは。
 実は詩集を出した後、どうも達成感とも違うのだけれど、詩の言葉が、出にくくなっていた。そのわたしに、なぜか、この《黒き猫》は、背中を押してくれるような、ふくらみを持ってもいた、ほかの猫や、ほかの波、風、光たちとともに。そのことがどういうことなのか考えている。まだ考えが、これらを、適切な言葉を探すことができないでいるのだけれど、ともかく、菱田春草の展覧会、とくに後期展にいって、ちょっと心が軽くなったのだ。《黒き猫》は展覧会に出品するのに、周到に用意した作品ではなかった。差し替え品として、わずか五日で描かれたものだった。だが殆ど最高傑作とすら言える…。往々にしてありうることだと思う。すぐれた作品には、よけいな気負いがないものだ。そこから軽やかに離れたところで、傑作が生まれる…。そうしたことも含めて、警戒心をもった猫は、やわらかい毛並みで、わたしに言葉でないたくさんの言葉をかたりかけてくれた。
 そしてまた思うのだ。小泉八雲に帰って。絵もまた刹那を永遠にやきつけようとする行為なのではなかったかと。たとえば猫たちのあの表情は一瞬のものだった。

 「およそ天下に、夜を一日も寝ぬはあっても、瞬きをせぬ人間は決してあるまい。悪佐衛門をはじめ夥間(なかま)一統、すなわちその人間の瞬く間を世界とする──瞬くという一秒時には、日輪の光によって、御身等が顔容(かおかたち)、衣服の一切(すべて)、睫毛までも写し取らせて、御身等その生命の終る後、幾百年にも活けるがごとく伝えらるる長き時間のあるを知るか。石と樹を相打って、火をほとばしらすも瞬く間、その消ゆるも瞬く間、銃丸の人を貫くのも瞬く間だ。」
(泉鏡花『草迷宮』(『泉鏡花集成5』ちくま文庫)より)

 異界に住まう悪佐衛門、その住まいは人間の瞬く間であると同時に、長き時間にわたってのことだった。『永遠と一日』はこんなところにもあったのだ。
 わたしは『草迷宮』のこの個所が昔から特に好きだったので、私の書いた何かで、とっくに引用していると思ったが、意外なことに探せなかった。これも長きにわたって私にひっかかっていた、ということで、瞬く間に繋がるだろうか。

 菱田春草展のミュージアムショップ。前期展で売っているのを見て、後期展に来た時に買おう…と思っていた、《黒き猫》をモティーフにした黒猫のぬいぐるみが完売していた。前期展に来た時に買えばよかったのだろうが、その時点で観ていない作品のものを買う気にはなれなかったのだ。だがさして落胆はしなかった。一期一会だったのだと思う。いや、一期一会というのは、この場合、本来の意味は違うだろう。そう、ぬいぐるみとは、縁がなかったのだ。けれども《黒き猫》とは…、なんという縁だったのか。
 会場を出たときはまだ三時ぐらいだったけれど、自宅最寄駅に帰ってきたときはもう…まさに夕方、日が暮れる頃だった。日が暮れるのが早くなった。一期一会の黄昏の色。
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