Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2015-01-25

探梅の傍らで伸びた日脚がともにふるえる。 RIMPA展

 たぶん、どこかの美術館でみたのだ。スマホで美術館のチラシを見れるアプリのこと。ためしにダウンロードした。小さい画面に、様々なチラシたちが。それ自体、壁にかざってある美術品のよう。美術館においてある複数のチラシ、あるいはロビーやトイレへ向かう通路に貼ってあるポスターのよう。楽しい。なんだかわくわくする。こんなことも、バーチャル・リアリティなのだなと思ったり。
 先日行った根津美術館の「動物・礼讃」展もこのアプリで見つけたものだ。そして、金の背景に松に沢山の鴨たちの絵に、「RIMPA」の文字。展覧会は「岡田美術館所蔵琳派名品展 〜知られざる名作初公開〜」(日本橋三越、二〇一五年一月二十二日─二月二日)。





 今年二〇一五年は、琳派の創始者とされる本阿弥光悦が、徳川家康から京都洛北の鷹ヶ峯の土地を与えられ、芸術サロンとも呼ぶべき「光悦村」を作った、一六一五年から数えて、四百年目にあたるらしい。だから「琳派四百年」の年として、さまざまな催しが開催される予定で、三越のこの展覧会はその一環であるという。 
 三越は、江戸時代に、デパートの前身であった呉服屋・越後屋を営んでいた折に、琳派を代表する画家・工芸意匠家の尾形光琳らを支援したという関わりもあった、と、これは展覧会会場で知ったこと。フライングだ。前に戻そう。
 岡田美術館は箱根にある。二〇一三年に出来たばかりの新しい美術館。東洋・日本美術品を数多く収蔵している。去年、二〇一四年に行ってきた。コレクションが多いためだろう、その時には、琳派的なものにはまったくお目にかかれなかったと記憶するが、琳派コレクションも八十点ほど所蔵しているとあった。考えてみれば、岡田美術館の外壁にある巨大壁画は「風神雷神図」へのオマージュ《風・刻》(福井江太郎)ではなかったか。やはり琳派の祖と称される俵屋宗達が描いた「風神雷神図」、それを模写した尾形光琳(琳派の“琳”の字は、彼の名前からとっている)、光琳のものをオマージュをこめて模写した酒井抱一…。もっとも、ごめんなさい、なのだが、この風神雷神図たち、わたしはあまり感興をもたなかったのだけれど。
 ともかく琳派だ。本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、そのおよそ百年後に、酒井抱一・鈴木其一が江戸に定着させた断続的な継承、流儀。その特徴は装飾性、デザイン性に富んでおり、やまと絵に基盤を置く、といったことか。だが、このような説明では、あまり何も語ったことにならないだろう。第一、私は酒井抱一、その高弟子の鈴木其一の絵を見に出かけているだけのような気がする。そうなると琳派展なのだ。酒井抱一等に会いに行くのには。彼ら個人の回顧展のようなものはなかなか開かれないから。尾形光琳は酒井抱一が尊敬してやまない人物で…。私の琳派への想いはその程度だ。決して琳派好きではない。そのことにどこか引け目のようなものを感じるが、こうしたアプローチもあっていいのだろうと思う。好きに見に行けばいいのだ。
 ちなみにチラシの表紙を飾る絵は尾形光琳《雪松群禽図屏風》(二曲一隻、江戸時代前期)だった。リアルな鴨と、デザイン化された松と水辺。写実と装飾の均衡に興をひかれたが、実は、チラシで見たときの期待ほどではなかった。もっと鴨たちが、わたしにささやいてくれるかと思ったのだけれど。
 また、出かける前から、展覧会会場へと、時系列を飛び越してしまった。すこし戻そう。
 アプリで知ったのが展覧会がはじまる前だったので、前売りを買った。コンビニで発券するタイプなので味気ない。情報などだけが印字されている。便利になったぶん、何かが失われてゆくのかもしれない。
 展覧会へ。本当は平日に行きたかったのだが、瑣末な諸事情があって、土曜日になってしまった。デパートでの催しだし、混むだろうと、あらかじめ予測はついたが、仕方ない。
 普段だと三越前駅などから、つまり地下からいくのだけれど、今回はこちらも些細な事情から、神田駅から行った。地理音痴で方向音痴なので、今まで恥ずかしいことだけれど、日本橋が神田駅から近いとは知らなかった。地上から行ったのも初めて。また地図アプリを使う。以前、アプリに頼ると馬鹿になる…と思ったというのに、性懲りもなく。だがアプリを使うまでもなく、神田駅を降りて、中央通りに着いたら、もう道の向こうに三越が見えた。静かな豪華さを感じさせる建物。前を通ったことはこれまでもあったが、地上から三越本店のなかに入るのは、もしかすると初めてかもしれない。いつも地下、デパ地下のがやがやした雰囲気のところから、すぐにエレベーターにのって、上の展覧会会場に出かけていたと思う。
 ともかく、この古いたたずまいの建物に、今更ながらだけれど、重厚なもの、ハレの日のご褒美的なもの、古さから連綿と続くなにか…たちを感じたのだった。一九三五年の建物らしい。
 そう思って、あらためて中をみると、階段の手すりなども、丁寧な造り、古い木のぬくもりがつたわるようで、やさしい感じだ。今までどうして気付かなかったのだろうと思ったが、すぐさま、地下からエレベーターで直行しかしていなかったからと思い至る。そして遅ればせでも、このやさしい趣きに気付いてよかったと思う。
 展覧会会場は七階にある。なるほど混んでいいた。けれども見て廻るのに弊害があるほどではない。感想を見ながらしゃべる人たちが気になったといえばいえるが、これは空いていても気になることだ。しょうがない、たいしたことではない。
 ところで、琳派。じつは先にも書いたけれど、わたしは別に琳派に思い入れはない。琳派をひろめるきっかけとなった尾形光琳の絵たちにも、惹かれたことはほとんどないはずだ。だから、やはり展覧会会場でも、琳派以前─琳派発生─尾形光琳・乾山合作…年代順に並べられていた作品に、目をひかれることがなかった。やっぱりなと思いつつも、こんなはずではなかった…とも思う。そう、鴨たち、わたしは実物の鴨たちをみるのが好きなのだ。だから、もっと何かを感じてもいいではないか…、そう、先にも書いたけれど、チラシになった《雪松群禽図屏風》も、特には…。こんなはずでは…とも少し思ったが、不安にはなっていなかった。どこかで予感なのか、確信なのか、あるいは信じていい、といった思いがあった。ゆっくりと足を進める。
 酒井抱一(一七六一〜一八二八年)のコーナーだ。二対の掛け軸。まず、手前の一枚。かぼそい梅の枝に繊細に雪が積もっている。うっすらと、部分的に降る雪が、光かなにかのように輝いてみえる。その下につがいのオシドリ。姿の美しい雄に寄りそう牝が、凍るような気配に耐えている、その静けさ。そして波うつことのない碧い水。この雪のきらめきに、まず心奪われた。それにともなう静けさに。わたしは雪の日の静けさを思い浮かべたのだろうか。隣はまっすぐな細い幹がめだつ檜、そこに一羽のキツツキが嘴を幹にあてている。こちらは音が感じられる。季節は下草がススキなどなので、おそらく秋なのだろうけれど、八月ぐらいの感じがする。檜の葉の緑がやさしい。そして幹にまだらにぬられた緑の斑点のような模様が、夏の蒼さをかもしているようなのだ。わたしの思い違いかもしれないが、オシドリのほうが、梅と雪で、冬と春の重なり合う季節だとしたら、こちらのキツツキも、檜の青葉とススキなどで、夏と秋の狭間であるような感じがするのだ。そういえばキツツキは秋の季語だけれど、私はなぜか夏の印象がある。遠い夏の日、どこか山だったか高原だったかで、木をたたく音を聞いたのだと思う。コゲラかもしれない。ともかくキツツキというと、まず、あの木をつつく音と、夏のまばゆい陽射し、そして汗ばむ大気のなか、葉の繁茂が、うんざりするぐらいだが、どこか涼しさを運んでくれる、そんな背景が、道連れのように思い浮かべられるのだった。
 これら二対の掛け軸、題名は《檜に啄木鳥・紅梅に鴛鴦図》という。題名を後で持ってきたのは、最初、題名に注意を払っていなかったから。一度、ほとんど通り過ぎてから、、はたと気づく。特に梅とオシドリのほうだ。「紅梅?」数歩戻って、もういちど見る。梅は白梅だと思っていた。たしかに花は白いのだが、それは雪が花びらにまで積もっていたからなのだった。紅梅という題名に注意してみなければ、今のように白梅だと思ってしまうぐらい、雪と梅は混在していた。雪が梅を覆っていた。わずかにつぼみたちが桃色の花びらを思わせるだけ。作者の意図はわからない。だが、これを紅梅とするのは、ものすごいことだと思った。あるいは、これは紅梅と名をつけなくてはならなかったのだと。それはぎりぎりの均衡をたもつための、鍵のような命名なのだ。



 そのほか、襖に描かれた《月に秋草図屏風》なども、心が動いたけれど、もはやこの二対の掛け軸と会えただけでも良いとしよう、そうも思っていた。言い聞かせるでなく、心から。だから次の鈴木其一のコーナーで、今回はなぜか心ひかれるものがなかったことも、さして感慨がなかった。そういう時もあるのだと、鷹揚な心地で、通り過ぎた。彼らが江戸後期なので、次は近代。だが明治は解説だけで、展示としては飛び越していたような気がする。いきなり昭和初期…、あの酒井抱一の絵だけでいいと思っていたのに、速水御舟だ。《桃梨交枝》(昭和三年/一九二八年)。どちらが梨でどちらが桃か、判らなかったが、おそらく梨が白い花のほう。白い花に茶色くくすんだような葉が目立つ枝。梨は花が咲く頃、若い頃は、そんな、落葉色の葉をつけるようだ。実が鳴る頃は、深い緑になる。老人が若返るような、そんな葉のもとで実をつける…。いや、速水御舟の絵に戻ろう。茶色い葉と白い花が目をひく梨の枝に交差する、というか、その後ろに位置する枝は桃なのだろう。こちらは鮮やかな緑の葉ばかりで、花はつけていないようだ。茶色い葉と緑の葉、花のある、なし、この対比たちが、絶妙な緊張感を生んでいるのかもしれない。けれども、絵に気付いた、そして釘付けになった時は、そんなことは思っていなかった。遠目からでも、御舟さん(“ぎょしゅう”をわたしは親しみをこめて、心のなかで、おふねさんと呼んでいる、それぐらい好きなのだ)とわかる絵のもつ力に、ほとんど畏怖の念すら覚えていた。その絵には、とくに際だった特徴があるでもない。たとえば写楽やゴッホのような目立った特徴が絵にあるわけではない。なのに、なぜか、彼の絵だとわかる圧倒的な力。そこには、ただ花が描かれている…そう言い切れない力がある。どこかしら、ぞっとさせるような、魔を感じてしまう。《桃梨交枝》もそうだ。遠くからでも、魔の気配を発しているように感じられた。わたしは引き寄せられるのだった。まるで御舟の代表作のひとつである《炎舞》の火の中で舞う、あの蛾たち、火へ向かって飛び込む蟲のように。
 そんな魔を感じる彼に、おふねさんと親しげに心の中で呼んでいるというのも、考えてみれば、妙なことだ。これも交枝のようなものなのか、とも思う。

 

 展覧会の出品数は四十三点と若干少ないこともあり、もう後は数点のみの展示で、出口になる。出口付近で、ビデオ上映を見たのち、酒井抱一とおふねさん、彼らの作品だけ、何度も見に戻った。別れをつげるために。彼らの絵に感じたなにかを、刻むために。
 会場を出るとミュージアムショップ的なコーナーになる。殆ど、岡田美術館提供のものか。確か、私が岡田美術館に行ったときも感じたが、絵ハガキ的なものの種類が少ない。今回の展覧会のものも、ほとんどなかった…。だが、《桃梨交枝》はあった。うれしい誤算だ。これ一枚だけ買う。
 展覧会を催している七階では、隣接した場所で「三越美術特選会」(一月二十一日〜二十六日)も開かれていた。少しだけ覗く。こちらは売り物なので、キャプションには値段もついている。どうも、苦手だ。いや、売り物なのだから、あたりまえなのだが、絵の下に値段がついていることに慣れることができない。そのまえでおどおどしてしまい、いまいち、作品に集中できないのだ。けれども、山口華楊の黒猫の木版画があった。奥村土牛の猫の木版画もあった。こんなところにもいたのかと、旧知の大切な友人にあったような気持ちになる。
 下の階にも美術サロンがあったりしたから、降りてみる。ガレやドームの作品が売られていた、というか、展示されていた。ちょっとしたアール・ヌーヴォー展だなと思うが、やはり値札がついていること、狭い空間に多く並んだ店員さんなどの存在に、落ち着かないものを感じてしまう。そうして五階へ。こちらは食器などが売られているから、多分、ラリック社のものもあるだろうと。もう何度もここで書いているけれど、ルネ・ラリックが好きなので、彼が創設したラリック社のガラス製品を、つい見にきてしまうのだ。こちらも見るだけ。金銭的な理由もあるけれど、わたしが好きなのは、ルネ・ラリックのオパールセン・グラスをつかったもので、現代のクリスタルのそれには、あまり興味をひかないから。けれども、デザインは、刷新されているものあるが、一九三〇年代など、往時のものを再現している製品も多いので、デパートにくると、ラリック社の製品を扱っているコーナーを探してしまうのだ。といっても、都心に出ることがまれなので、もう何年もデパートに来たことがないのだけれど。
 五階に、お目当てのコーナーがあった。クリスタルの女神たちの花瓶《バコーントゥ》がひときわ目をひく。グラス、香水、ガラスのアクセサリー。家にたったひとつあるラリック社製品、リキュールグラスが売られていることに驚く。もう十数年前に、手に入れたものなのに、まだ置いてあることに。小さなグラスに、葡萄の木の元で、クピドのような子どもが座っている姿がレリーフとなっている。レリーフは対をなして、グラスに二枚の窓のように彫られている。何かを支えるように、窮屈そうに両手をあげ、まるでそうしていないと、おしつぶされてしまうみたいな子どもと、片膝に腕をのせ、もう片方の手で、頭を掻いているような、くつろぐ姿のそれと。
 実はここに来るまでは、若干心がささくれていた。早朝バイトから一端家に戻って、それから出たのだけれど、まだ頭の切り替えがうまくできていなかったから。だが、気付くとやさしい気持ちを抱きながら、デパートを後にしていた。帰りは、また地下鉄で。
 帰ってから、頂いていたメールに返事を書いた。このブログを読んで下さった方で、特に一月十五日のそれについて、温もる言葉を頂いた。そして、「俳句にはこの頃の素敵な季語があります。日脚伸ぶ、春隣り、春支度、探梅、など」と書いて下さっていた。「探梅」を、家にある『季寄せ』で探してみる。冬、早咲きの梅をたずねて出かけることをいうとある。
 酒井抱一の《紅梅に鴛鴦図》の梅も、探梅ではなかったかと思ってみる。そういえばおとといだったか、久しぶりにすっきりと晴れた朝、いつも通る公園の、紅梅の木に、ふと目を留めた。たしかこの梅は、同じ公園内にある白梅やしだれ梅よりも早く咲く筈…。だがまだ花芽は硬そうにみえた。だがもうすぐだ。たぶん同じ日の夕方。昼のバイトの帰りが遅くなった帰り道。遅いといっても夕方の六時位なのだが、その時に、なるほど、もう暗いけれど、冬至のころに比べると、随分日が伸びたなあと、感慨にふけっていたとも思い出す。「日脚伸ぶ」だ。誰かに、例えば古人とかにも、頷いてもらったような、共鳴にひたされる。春はすぐだ。

23:20:49 - umikyon - No comments

2015-01-15

春とおからじ。と、たくさんの誰かがさわってくれる。



 冬は苦手だ。大好きな川のほとりの公園を通っても、そこはほとんどただの通勤路でしかない。冬枯れの木立ち、晴れていても力のない陽射し、干上がった田んぼ(公園内に復元したもの)、用水路にわずかにジャノヒゲが、常緑の葉で、流れを縁取っている、そんな光景を見て、なにも感じない自分にぼんやりと驚くのだった。ほかの季節であれば、これらにやさしいものを、おおむねうつくしいものを、さしだされ、うけとっているというのに。
 以前、うつ病を患っていたときに、冬季うつ病について、医師から教えられたことがある。うつ病は今はほとんど治っているのだが、おそらく、毎年冬になると、気力がなくなるのは、もしかして、この冬季なんたら…のせいなのかもしれない。日照時間が短いことが主な原因らしいが、まだしくみがわかっていないとか。けれども、はじめてその存在を知ったとき、長年、冬になるととくに落ち込むこと、頭も体も動きが鈍くなることに合点がいくとともに、自分が植物のようだと思った。日光によって左右される、冬枯れの草。
 ただ、そう決めてしまうのは、なんとなく、はばかられるのだけれど。こうしたことに、あまり名前にあてはめたくない。熱っぽいときに、熱を計る。微熱以上の熱があると、どこかしっくりするとともに、具合がよけいにわるくなっていくような気がすることがある。熱という名が、あてはまることで、熱が名実ともに、体を覆ってしまう。そんなことのように、冬のこのわたしの状態を、病名として名付けてしまうことが、なにかよけいに病名にくるまって、症状を内部で発酵させてしまうようなので。



 二月の終わりが待ち遠しい。この頃になると、気力のなさは、失せてゆく。衣をぬぐうちに、病的ななにかも脱いでしまったように。そういえば、子どもの頃から、二月末が待ち遠しかった。春だと感じられ、そして春だといっていい季節、春という名前を使っても、もはやしっくりする季節。たとえば、今のこの時期、新春というけれど、まだ大寒前の、冬の真っただ中だ。節分、立春を過ぎたころも、わたしのなかでは冬だ。なんとなく、わたしのなかでは、昔から、三月初旬の啓蟄ぐらいが春と、胸をはっていっていい頃だった。だから二月末。もう冬ではないだろう(だって立春もすぎてるのだもの)、この暖かさはそろそろ信じていいころだ、この陽射しの優しさも。あたりには、ホトケノザ、オオイヌノフグリ、タンポポ、ツクシ、ふきのとう、梅の花。また花たちが、挨拶をしてくれている。生をまたふるわせている。あたたかな再会。いや、まだだ。こう書いていて、なんだかもはや春のような気がしてきた。だが、まだ一月。言葉は、そうか、こんなふうにも、力をもっているのだ。
 一月。寒さがきびしい。そういえば亡くなった父の誕生日が一月だった。マリリン・モンローの誕生日と同じ日。父のライティング・ビューローの中、蓋である机を開けると、貼られていたセピア色の写真、珍しく、色っぽさ、セックス・シンボルとしての存在を、後方におしやった、銀幕のスター的な、やわらかな表情の、マリリン・モンローのポートレイト。
 ちなみに、父の死後、なぜかライティング・ビューローは壊れてしまった。机が開かなくなり、そのまま、処分、モンローの写真も失われてしまった。だから、どんな写真だったのか、実は正確には覚えていないのだが。
 そして。義母が亡くなったのも、祖母が亡くなったのも一月だ。生と死が共存する月。数日前、ちょうど義母の一周忌だった。お墓は別のところにあるし、一周忌の法要も済んでいたのだけれど、命日に花を捧げようと、駅のほうへ行った。働いているのが家付近なので、駅へは、こうした用事がないと殆どいかないのだ。
 「この季節には、フリージアが咲きます。この花を見たら、思いだして下さい。」葬儀の時に、担当して下さった女性が、義母を送るときに、そういっていたので、まずフリージアをさがした。黄色いフリージア、あとは私の好きな花で、カラー(水芭蕉に似ているので、なんとなく好きなのだ)、フリージアの色に合わせて、ピンクの薔薇。

 駅ビルの中に本屋さんがあるので、覗く。今年に入って初めての本屋さんだが、おそらく二十日ぶりぐらい。
 何も買う予定はなかったが文庫でも…と思って、そちらへ向かおうとする途中、レジ近くで、新刊のお勧め本として、『放浪の聖画家ピロスマニ』(はらだたけひで著、集英社新書ヴィジュアル版)を見つける。大好きな画家だが、比較的マイナーだと思っていたので、目立つようにして売られているのをみて、少し驚いた。ピロスマニの生涯と、代表作を図版付きで紹介した本だ。著者のはらだたけひで氏は、日本におけるピロスマニ紹介、研究の第一人者。
 迷うことなく、購入した。グルジアの画家、ピロスマニの絵には、二〇〇八年にはじめて会った。なつかしいような、かなしい、共有をゆさぶる、動物たちの姿。乾杯する人々の、寂しげなにぎわい。たとえば白と黒、それら二元論の凝縮が、画面に…。だったのか。彼の絵について語ることは難しい。イコンを想わせる、平面的な、素朴というよりも、祈りのこもった、人物たち。子育てする豚、子と一緒にいる白熊。考えてみれば、森に白熊がいるのはおかしい。だが白はピロスマニにとって、清いもの、愛をあらわすものだったから、必然だった。…そして描かれるキャンバスは黒だ。白と、禍々しさすら内包した黒。二項対立が、からみあった、世界の影。
 「一八六二年に東グルジアの貧しい農家に生まれ、日々の糧とひきかえに酒場に飾る絵や看板を描き、一九一八年、孤独の内に亡くなったと伝えられる」と、帯にある。本名、ニコロズ・ピロスマナシュヴィリ。
 『放浪の聖画家ピロスマニ』をひらく。二〇〇八年に「青春のロシア・アヴァンギャルド展」(Bunkamuraザ・ミュージアム他)で、彼の作品を生で観て以来、実物におめにかかっていないことに、また気付いた。
 わたしは普段、こうした本を読むことは実はない。基本的に、実際の作品を見て、その直後にその作品に感じたこと、その感動の正体の一端でもいい、つかむために、参考に何かを読むということしかしないから。画集を買ったとしても、実際にみたことがあるもの、あるいは連作など、それに近い作品をじっくりみることしかしない。あとは、いつかみるであろう、実物との対面の後で…。こうした態度は間違えているのかもしれない。つまり、うちにある画集の多くはまだちゃんと見ていないものが多いのだ。頁をめくり、そこに載っている絵を見たとしても、それはいつかの日、来ないかもしれない対面のために、おあずけをくらった、素通りとなっているものが多いのだ…。その多くの作品が、一生目にすることがないであろうに、つまり、出合うことがないであろうに、まだ巡り合うことのない絵として、家で何ページもの絵たちが眠っているのだ。
 話しを戻す。だから『放浪の聖画家ピロスマニ』。この本がわるいわけではない。ただ、わたしには、やはり合っていなかった。親切な絵の解説、ピロスマニの生涯や人となり、彼に起こったであろう出来事と照らし合わせた絵の解説は、実物の絵と対面する前に、先入観のようなものを植え付けてしまう。わたしはもっとニュートラルな状態で彼の絵と対面したいのだ。いや、実物と対面することが難しい今の状態で、そうしたことを言うのは間違えているかもしれない。ひさしぶりに、ピロスマニの名前に出逢った。それだけで、十分と思うべきなのだろう。
 頁を開きながらだったか、読み終わってからだったか。二〇〇九年以来(二〇〇八年に観た後、巡回先で二〇〇九年にまた観ているのだ)、実物を見ていないなあと、しみじみと思う。そして、実物を見たことのない作品のことを、こんなふうに書物で、眺めたことがなかったなと、ぼんやりと。さらに、普段なら、他の画家なら、この手のものは、買わなかっただろうと思い至るのだ。わたしが躊躇せずに買ったのは、それほど、ピロスマニを欲していたからだったのだと。
 文遊社から出ている画集『ニコ・ピロスマニ』を、ひさしぶりに引っ張り出して、頁をめくる。ここには個々の絵に対する解説が載っていない。最後のほうに「それぞれのピロスマニ」として、文章が寄せられているだけだ。実物を生で見なかった作品が殆どだ。何せ、あの展覧会で、十点だけ、彼の作品を観ただけだから。つまりほとんど。だが、落ち着く。北斎の画集、クノップフの画集をみたときに少し似ている。生で観る迫力を、そこにもとめるではない、感じるのでもない、けれども、それでも、どうしても、にじみでてくる、うったえが、わたしに頁からひびいてくるのだった。




 祝日、都心に出かける用事があったので、ついでにというか、先に今年最初の美術展に行く。「動物礼讃」(二〇一五年一月十日〜二月二十二日、根津美術館)。
 チラシなどから。
 「未年にちなみ、羊をはじめとする動物モチーフを扱った絵画・工芸の作品約七〇件をご覧いただく特別展「動物礼讃 ―大英博物館から双羊尊がやってきた!」を開催いたします。
 テーマは四つ。最初は、大英博物館や京都・泉屋博古館が所蔵する中国古代の青銅器の名品です。続いて、神仏に仕える霊獣たちを表わす仏教絵画、権威や吉祥の動物がテーマとなった水墨画や屏風絵、最後は茶会や日常生活の場に用いる品々を飾る愛らしい動物たちが並びます。動物に対する畏怖や憧れ、身近な動物の愛らしさなど、多様な造形をお楽しみください。」



 わたしは工芸、器、仏教絵画などにあまりアンテナが働かないので、それほど期待はしていなかったし、実際、感動した、というものには、ほとんど出会えなかった。けれども、そこにいる動物たちは、おおむね、わたしに近づいてくれるものだった。
 《仏涅槃図》(行有・専有筆、南北朝時代、一三四五年)の、仏の入滅を哀しむ動物たちの姿、《牡丹猫図》(蔵三筆、室町時代)の、牡丹の花の元で、一羽の蝶に視線を向けて座る猫の凛とした姿、焼き物に描かれた兎、獅子…。
 こうした動物たちを描いたものに、心ひかれるようになったきっかけは、ピロスマニだったとはたと気づく。彼の絵のなにかは、わたしのなかで、こうして今も語りかけてくれるのだと思う。
 この美術館にくるのは、多分、十数年ぶり。最後に来たのは、おそらくこのあたりに住んでいたころ。自転車で来たのだ。庭園が美しいところだったと記憶する。夏に来たのだと思う。今は冬だけれど、そう、花も緑もない冬だけれど、庭園と旧交を温めようと、足を踏み入れる。晴れて、陽射しが感じられるせいか、思ったよりも、心がざわつく。けれども、殆ど覚えがなかった。久しぶり、という感じはしなかった。池をみつけ、そちらにうきうきと足をすすめる。鴨がいる。鯉がおよぐ。陽射しが波紋をいろどる。かれたモミジが影をおとす。秋や春の葉があるころを、思ってみる。だが、それは落ち込みのなかでではなかった。池の周りはヤツデや、ほかに名をしらない、常緑の木や下草が植えられ、冬だというのに意外と緑が多い。意外ではなく、おそらく冬を想定して、計算されつくした緑なのだろうけれど。その葉の色彩が、うれしかった。池にそそぐ川…といった場所があり、さらに川の上流へゆくと滝が…という場所があった。この造られた滝を前にして、はじめて、かつて訪れたときの印象がよみがえってきた。それはもはや既視感のように遠かった。どこか夢のなかで出合った景のように、水が落ちていた。






 都心に出かける用事…は、実は集まりだった。例によって、落ち込んで帰ってきた。この時期はとくに、例の気力のなさのため、人たちに会うと、疲れて落ち込んでしまうのだ。だが、前とは違う。どう違うのか、それをここで書きだすと長くなるし、まだきっと堂々巡りしてしまう段階だろうから、いったん考えを保留しておく。だが人の中にいても独りだということをようやく受け入れたことと、違いは関係している。だから、傷といっていいような気鬱は、いつもより軽かった。引っかき傷程度で済んだ。あるいは青あざ。どこかでまた、ピロスマニを思っていた。
 今日、バイトの帰りに、信号待ちをしているときに、冬芽を沢山つけた…あれはたぶん紫陽花だ、ともかく背の低い木を見つけた。鱗芽の硬そうな感じが、寒さを耐えているのを語っている、つまり冬という季節を語っている。あとひと月ちょっとしたら、これらももう少し柔らかくなるのだろう。その柔らかくなった姿をぼんやりと思っていた。次に気がつくと冬芽たち、鱗芽たちを、指で撫でているのだった。撫でながら、応援している。わたしは普段、“頑張れ”という言葉をだれかにも自分にもかけることはない。それは色々な状況において、タブーの言葉だと思っているから。なぜなら、かれらはたいてい、もう頑張っているのだ。これ以上、どうすればいいのだ? わたしは、ふだん、“頑張れ”という言葉を決して吐かない。
 だが、なぜか、芽に、撫でながら、触りながら、つぶやいていた。「がんばれ…がんばれ」。
 それはタブーを超えた刹那だった。そこにやましい気持ちはみじんもなかった。あるいは自分へのはげましもまじっていたかもしれないけれど、冬芽に、ほんとうに声をかけたかった、その吐露にちかい言葉がそれだったのだ。
 信号が変わり、芽に触れていた指を離す。それでも今日は晴れていた。橋をわたる、鴨が水尾をつくって泳ぐ川面が、やさしい。岸辺の公園も、あとひと月ちょっとで、梅や木瓜の花を咲かせるだろう。

19:09:16 - umikyon - No comments

2015-01-01

光の珠さん、やっとあえたね。








 年が明けた。今年は事情があり、年賀のあいさつは遠慮する。
 例年恒例になっている、ベランダからの初日の出…。
 日の出の時刻前に外に出てみると、残念、東の空の地平線のあたりは雲におおわれている。
 けれども、晴れている、といっていい、微妙な空。なんとなく、旧年をひきずった今年の元旦にふさわしいような気もする。
 


 日の出の時刻になっても、雲が微妙に明るくなっているだけだ。あの丸い珠から発する光がみたかった自分に気づく。
 仕方なく、方角を変えて、西を見る。西には富士山が見える。まだ朝焼けのオレンジ色をほんのり残している。



 一端部屋の中に入ったりして、中断して、すこしだけ東の空の上に太陽が出てくるのを待つ。やっと、雲の切れ間から、光の珠が見えた。これをどんなにか、待ち望んでいたのだろう。一年に一回の再会。ようやく、会えた。






 しばらく、ここを留守にしてしまった。ただいま。
 いいわけをすると、十一月の後半から、早朝バイトがどんどん忙しくなり…。たぶんそれが主な原因だ。
 12月31日まで、仕事をしていた。
 くわえて、冬は、花がすくない。かれらとあいさつがなかなかできない。
 美術館もいけなかった。本もほとんど読んでいない。
 けれども、ゆっくりと、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を読んでいる。“遊ぶ人”。遊びという自由、想像、創造、儀式について。 ことばと遊びについて。

 12月31日は、バイトから帰って、仮眠をとったあと、大掃除どころではない、ただ掃除機をかけただけの小掃除をした。それからお煮しめとぶり照り、雑煮の汁などを作る。こう書くと、なんとなく大晦日らしい過ごし方だけれど、昼まで仕事だったから、実感がわかない。晩御飯は年越しそばだった。午後11時50分ぐらいから、窓の外から、除夜の鐘の音が聞こえた。うちの近くのお寺だ。外に出たら、もっとよく聞こえるだろう。そういえば、この日は、まだ郵便物を下のポストにみにいってないことに気付き、ついでができたことを幸いに、外に出る。渡り廊下で、ちょうど鐘が鳴った。空やあたりを包むように、響くのが、みえるようだ。西の方角なのだけれど、ちょうど空に半月にみたない月がかかっていて。月と除夜の鐘。なんだか、ちょっとうれしくなる。これが、大晦日なのだと、少し思う。

 そして正月。今日1日は、のんびり過ごしている。こんなふうに過ごしながら、ことばをたぐってゆこう。いつものように。
 そして、
 正月あけたら、また展覧会にいこう。いつもみたいに。
 
 今年もよろしくお願い申し上げます。

 


10:17:18 - umikyon - No comments