Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2015-04-25

かくことで、想像力が彼らと出逢わせてくれる… 「動物絵画の250年」府中市美術館

 「動物絵画の250年」(二〇一五年三月六日〜五月六日、府中市美術館)に行ってきた。前期が四月六日まで、後期が四月七日から。今回行ったのは後期だが、実は前期もいってきていたので、まとめて書く。美術館は、都立府中の森公園の敷地内にある。最寄駅は京王線東府中駅。そのほかJR武蔵小金井駅からバスなど。どちらも家からだと、電車の便はかなり悪い。一度だけ電車を使ったことがあるが、距離にしたら、十二、三キロなのに、二時間以上かかった。以来、自転車で出かけている。だから前期も後期も自転車で行った。前期はスマホの地図アプリのナビをみながら、後期は紙の地図をみながら。スマホは、わたしの使い方が悪いのかもしれないが、現在、自分が全行程のうち、どの辺にいるのか、わからないから、別の道を選択することもなかなかできない。スマホのいうままに、私道のようなとんでもないほそい道をまがり、畑の脇の小道をゆくように指示され、不安になったら、いきなり、府中の森が見えた…着いた実際の場所と、ナビの地図的認識が、一致しない。これが前期展の往路。帰路は、それらを一致させるために、それを以前に通ったことがある、広い通りを通ったのち、ナビの指示にしたがったのだが、また、しらない道を教えてきた。だが、本来、家と最寄駅の東府中駅までの道は、全行程の四分の三ぐらいが、ほとんどが一本道なので、簡単なはずなのだ。ただ、道が並行して三本走っていて、どの道を通ってもいける…、と、後で地図をみてわかった。ただ、帰り道、地名をみると、なんとなく家の方向にむかっていることはわかるので、とりあえず進む。どこかを目隠しされて、進むような感じだ。言い忘れていたが、わたしは方向音痴なので、尚更だ。これまでも何回か、車の助手席(わたし自身は運転免許がない)から、眺めた記憶のある交差点、繁華街などを通る。だがそれは線ではなく、点の記憶だ。帰路の、かなり家近く、残り数キロになって、目隠しを外されたように、ようやく知った道に突き当たったが、どこにいるのか、まだ不安だった。長くなったが、これが前期展でのエピソード。
 だから、後期展は、ナビを一切使わなかった。目隠しをとって、地図にのみ、教えられながら、自分で確かめながら、行ったのだった。点が線になった。前期で来た時は、府中の森のなかですら、目隠しをされつついたのだなと、後期展で初めてわかる。府中の森では、矩形に二回曲がっていたのだが、それを一回だと前期展では思っていて、なのにたぬきかきつねに化かされたように、ぐるぐるした記憶すらあった。ちなみに、いきなり帰路のことを書いてしまうけれど、帰りはもはやナビも地図も使わず、まるで方向音痴ではない人のように、つつがなく帰れた。そのことがなんとなくうれしかった。知った道たちが、知った店たち、家たちが、帰り道で、あいさつを交わしてくれているようだった。もう迷わないねえ、と。いや、美術館へ戻ろう。





 展覧会HPから。
 「大自然の中で動物と出会った時や、身近な動物を見つめている時、私たちは、人とは別の「生命」の不思議さに思いを寄せ、言葉にならない感慨を抱きます。一方で、人はまた、自らの暮らしのため、動物をさまざまに使ってきました。畏れ、愛おしさ、そして悩ましさなど、人が動物に対して抱く気持ちは一通りではありません。
 動物という存在から、人は色々な美術を生み出しました。とりわけ江戸時代の動物絵画は、本当に多彩です。中世からの伝統を受け継ぐ作品はもちろんのこと、個性的な画家による楽しい作品も数多くあります。多くの人たちが絵を「楽しむ」時代になったことが、その一因でしょう。「芸術とはこうあるべきだ」といった考え方に必ずしも縛られない時代だったので、人と動物との多様で複雑な関係が、ありのまま作品に映し出されている面もあるように思われます。
 もし動物が人と同じことを演じたらどうなるだろう、こんな動物がいたら面白いのに……頭のなかで広がる想像の世界を描いた作品には驚かされます。また、伊藤若冲の描く鶏のように、動物の姿や動きから触発されて、思わぬ斬新な造形が生まれることもありました。さらには、動物が呼び起こす、得も言われぬ風情やおかしさ、そして、愛おしくて仕方ない気持ちや切なさ……江戸時代の動物絵画は、遠い昔というよりも、むしろ私たちと何ら変わらない人々の動物への気持ちや、動物を描く楽しさを伝えてくれるのです。
 本展は、二〇〇七年に開催した「動物絵画の一〇〇年 一七五一─一八五〇」の続編です。前期、後期あわせて、およそ百六十点の作品をご覧いただきます。」

 わたしは二〇〇七年の展覧会は来たことがなかったが、やはりこの美術館で二〇一四年に開催された「かわいい江戸絵画」展には来ていた。そこでも動物を描いたものが多かったし、それが面白かったので、今回、期待して訪れたのだった。
 だが、前期に行ったのが、殆ど病み上がりというか、まだ調子が悪かったせいか、わたしが書くことから離れていたせいか、いまいち、絵たちと親しめなかった気がする。あるいは、たんに「かわいい江戸絵画」展で、観たことがある作品が多かったせいかもしれない…。それらが合わさって。
 後期展でも感想は似たようなものだった。というよりも後期展のほうが、さらに目をひくものがなかったせいか、いまいちという印象が増していたと思う。後期のころはほぼ、身体は復調していたから、あるいは、あまり書いていなかったことが、一番の原因なのかもしれない。想像力は書いてはじめて形になる。そんなことを、展覧会の「第一章 想像を具現する」にも書いてあった。「絵は、頭の中でイメージするさまざまなものを、一枚の平面上に「目に見える形」として出現させる手段である。(中略)「描く」ことで初めて、想像の姿は、細部まで含めて具体的な形となる。絵はそんな想像の動物をも表す唯一の手段であり、同時に、「描く」という行為によって、想像の動物の姿は初めて完成する、と言ってもよいだろう。」(図録より)
 これは「描く」を「書く」に置き換えてもほとんど同じことだ。手段が違うだけだ。と、わたしは描くのではなく、書く側の人間なので、つい思ってしまうが…。
 展覧会では、実物を見ることのできなかった虎や、縁起物の動物(何かを象徴する、連想することは想像だから)などの絵が展示されていて、そのことについて言っていたのだけれど、この言葉は空想に近しいものたちだけではないとも思った。
 わたしは、書くことで、対象と接することができると思ってきた。ずいぶん若い頃、旅行などにいって、その感想を日記として書くことで、何かが心のなかで形になるのを感じたことがきっかけだ。それは写真にとるよりもずっと、対象と対峙することができたと思ったものだった。わたしはそれはたとえば風景をスケッチすることに近しいと感じた。見たもの、体験したことを、言葉でスケッチすること。こうすることで、なにかが形になる。その形は、空想と現実の接点なのかもしれない。わたしと対象の接点なのかもしれない。そうすることでしか、わたしはなにかと接することができない…。そう思ってきたことを思いだすこと。
 展覧会に戻る。ここには縁起物の鶏、兎、虎などが展示されていた。長沢蘆雪や円山応挙の虎に、惹かれもしたが、これらは「かわいい江戸絵画」展で見たことがあったので、さして感慨がおきなかった。そして、虎の展示が暫く続いたのだが、龍へ移った。葛飾北斎(一七六〇─一八四九年)の《昇り竜》(絹本着色、一八四六年)に出逢う。浮世絵ではなく肉筆。長細い画面一杯に、上へ昇ってゆく、身体をくねらせた龍が描かれている。北斎が龍を信じたかどうかはどうでもいい。だがおそらく描くからには、リアリティを追求した…わからないけれど、うねりと、鱗が、そんなふうに訴えかけてくれている。そして龍の目だ。北斎の描いた鷹やほかの龍、虎の絵たちのように、どこかやさしげで、おかしみのある、いとしいものたちのなかの住人としての眼差し。亡くなる三年前の絵だという。わたしは晩年の絵、特にこの頃の絵が、好きかもしれない。たとえば《昇り龍》では、激しさと静謐、真剣さと肩透かし、厳しさと優しさが、せめぎあいながら、ひとつの絵のなかに均衡をたもって存在している。そこに空想と現実をもちろん加えてもいい。たくさんの凝縮が絵から滲みだしている。そして、なんと北斎の絵が好きなのだろうと、あらためて実感したり。



 「第二章 動物の姿や動きと、「絵」の面白さ」。ここでは作られた形、造形を楽しむことに主眼を置いて作品を展示しているが、また解説に興味をひかれた。江戸時代まで、つまり明治以前は、写実にはあまり重きをおかなかったとある。それでもリアリティを求めるとすれば、それは「風変りな面白さを求める」ときであった。大筋であってればいい、そんな描き方だったと。だからこそ、想像力が羽ばたいた…。
 「「本物どおりに詳細に描く」ことが必要な条件ではなかったということは、ある動物を表す最小限の形をもとに、そこから更なる造形へと膨らませていく自由も大いに許されていた、ということだろう。(中略)画家は「美しい形」「心を動かす形」を得て、創作し、魅力的な造形へと展開させている」(図録より)。
 それは枠を持つ想像力だ。定型を意識した想像力だ。そのなかでだからこそ、存分に羽ばたくこともある。
 実は最近、はじめて句会に参加した。吟行だ。そのことを重ねている。決まりのなかで、対象を見つめ、語らい、想像力を解き放つ。
 二章に戻る。写実的な絵たちの展示のあと、司馬江漢(一七四七─一八一八年)の絵へ。彼は西洋画に傾倒し、日本初の腐蝕銅版画の制作に成功したことでも知られる。遠近法を研究し、写実に近づいた油彩画も数多く描いた。
 やはり以前、この美術館で見た夢見るような顔の《犬に木蓮図》は、あまり興が起きなかったけれど(これは、その時の私の心持の問題だったと、強く頷きたい。今、図録を眺めながらこれを書いているが、《犬に木蓮図》、そこにいる犬にまた惹かれてゆくのがわかるから)、その隣に展示されていた《猫に蝶図》(江戸時代中期、十八世紀後半、絹本着色)。紫苑のような菊の花の近くで、三毛猫が、背中ごしに空のほう、アオスジアゲハだろうか、黒い羽に光沢のある青が鮮やかな蝶が飛ぶのを眺めている。
 会場でも図録でもこの絵の解説として、「蝶は極めて緻密なのに、猫は素朴なぐらい簡略である」ことから、写実と従来の描き方のあいだでの葛藤が読みとれるといったことが挙げられていた。
 言葉にするとそうなのだけれど、その猫の表情が、あの動くものを追うときにみかけるものになっていて、その点でリアルなのが、心に留まったのかもしれない。蝶のほうは正直、あまり気にとまらなかったのだが、簡素な描写のはずの猫が、リアルさをもってわたしにせまってくるのが面白かったようにも思う。あるいは言葉の面白さもあった。相反するものたちの接点を求めて。写実的な蝶と、簡略の猫。だが蝶が無機質な感じがするのに、猫のほうが生き生きとしてみれるのも妙だ。二重三重に、この絵はわたしに語りかけてくれるのだった。



 三章は「心と動物」。「動物が人の心に呼び起こす趣」に着眼した展示だったが、ここにあった伊藤若冲《蘆雁図》(江戸時代後期、絹本墨画)は、前期と後期、それぞれ歩く雁と水を泳ぐ雁の展示があったが、この雁が、先の司馬江漢の問いに対して、ひとつの答えとなっている…そんな気がした。
 どういうことかというと、この雁は、墨の濃淡でのびのびと描かれている。あの色彩豊かな鶏たちの写実、写生からくる豊饒が、ここでは抑えられていて、若冲の筆のなかでは、素朴なものとなっていると思う。つまり彼は、司馬江漢の《猫と蝶図》で、二つにわかれたものたちを、雁一点のなかで、せめぎあわせている、というふうにも見えたのだ。それほど雁は多彩であった。描かれた雁の内外で、写実と素朴、緻密と簡略、そうしたものたちが争うことなく、集結していたと思う。いや、若冲のこの雁たち、今回初めて展覧会でみたのだけれど、その時は、明確に言葉がでてきたわけではなかった。ただ、ほとんど漫画チックな雁のどこかとぼけたような顔、目が心に残ったのだ。リアルではないけれど、その表情が、わたしの好きな雁そのもので。



(▲後期展展示のほう)

 だが、やはり三章にあった司馬江漢《秋景双鳩図》(江戸時代中期、十八世紀末、絹本油彩)。
 ここでは蝶と猫に分かれていた写実と簡略が、秋の空や二羽の鳩に、止まり木や岩肌に、矛盾なく、若冲の絵でのようにひとつひとつ重なり合っていた。また、不思議な油彩でもある。キャンバスではなく絹に描いたもの。司馬江漢自身は、こうした油彩画を「蝋油画」と呼んでいたという。彼の探求が西洋と江戸のかけ橋となる。もっともここでも、わたしは展覧会会場ではそんな風には思わなかった。ただ空の高さ、空の独特な色合いに惹かれたものだった。その下のほうで、彼らにとっては大木の朽ちた枝に、二羽の鳩が肩を寄せ合い、とまっている。酒井抱一の四季折々を描いた掛け軸の静謐さに通じる世界をもちつつ、空の青さがちがう。やさしいくぐもったぬくもりの蒼だ。



 その他、前期で見た二章にあった葛飾北斎の《日の出と双兎》(紙本着色、一八四三年)に惹かれた。たしか二章の最後の展示だった。兎年の元旦に描いたものらしい。二羽の兎、茶色い兎が空の日の出のほうを黒い目で眺め、白い兎が下を赤い目で見ている。兎は円をかさねあわせて描いたような感じ、『北斎漫画』で、○を組み合わせて描いた絵手本の絵を彷彿とさせるが、どこか筋肉質。
 茶色と白、黒目と赤目、下向き、上向き、これらは対比の面白さを考えてのことだったかもしれない。正月の縁起物でもあったのだろうが、それがなくとも、絵としてものすごい力を持っていると思った。なんというか、縁起物を突き抜けている。わたしは彼の絵のどこに惹かれるのだろうか。茶色の兎の黒い目が、空を見上げる。それは彼の描いたほかの龍、たとえばこの展覧会だと《昇り竜》のように、空へ向かうものであった。あるいは最晩年の《富士越龍図》(一八四九年)の空へ向かう龍、あるいは《月見る虎図》(一八四四年)の月を見上げる虎の夢みるような表情を、わたしに思い出させ、語りかけてくれるものだった。彼はぶれずに、そこにいて、そこで光彩をはなっている。



 会場をでると、ポップアップカード作りが体験できるコーナーが設けられていた。会場にあった絵をもとにしたスタンプと厚紙、二つ折のカードがおいてあり、完成させると、中の絵がとびだすようになっている。
 最近、筆不精にもなっていたから、友人たちに送るカードがほしいなと思ったのと、ちょっと遊んでみたくなり、何枚か作った。小さい頃から、こうした作業はじつは好きだったのだ。
 ところで展覧会、行ったときは微妙だと感じていたと思うのだが、それでも前期の段階で『動物絵画の250年』の図録は買っていたから、やはり、わたしの側の問題だったのだろう。なぜなら普段、微妙…と思った展覧会の図録は決して買わないからだ。なのに購入したということは、自分でもどこか片隅でわかっていたのだろう。これは言葉を使わないでいたわたしの問題だったのだと。想像力は描(書)いてはじめて形になる。そうすることで何かたちと接することが。なるほど、今回、彼らはよそよそしく感じられたのかもしれない。だが、それはわたしが書かなかったからだ。…ということを、この文章を書いていて、書いていくうちに、思った。書いているうちに、それでも、彼らがわたしに少しずつ、近づいてくれてきた。いや、彼らは展覧会の会場でも、わたしに語りかけてくれていたのだが、わたしがそれにほとんど気付かなかったのだ、そうしたことを思い出させてくれたのだった。つまり、それでもわたしの片隅で、今まで書いてきたわたしが多分、彼らと挨拶をかわしていて、そのわたしが図録を買うことを決めさせたのだろう。誤解をおそれずにおおまかなところで書けば、詩人の良心みたいなわたしの一部が、彼らとの出逢いの記念に買っておいたほうがいい、あとで、きっと、そう思うからと、告げていたのだ。

 桜はとうに花ではなく、桜の木になって、緑がやさしい。十二単、シラン、ヒメシャガ、つつじ、さつき、レンゲ草、ナルコユリ…、彼らがわたしが一番好きな季節のなかで、また挨拶をかわしてくれるようになった。季節のなかで、そして、言葉のちかくで。
 さて、これから、美術館で作ったポップアップカードで、徐々に手紙を書いてゆこう。前略 ご無沙汰してすみません…。

18:25:39 - umikyon - No comments

2015-04-06

桜の満開の、そとがわで、うちがわで。

 ずいぶんここをあけてしまった。すこし体調をくずしていた…。やっと先週ぐらいから治ったので、また少しずつ。
 まだ調子が悪いとき、ぼうっとしているうち、桜が開花していた。仕事はなんとか出かけていたので、道すがら、咲いている桜を眺める。まだ一分咲き、二分咲きだったからか、こちらの体調のせいだったのか、おそらく両方だろう。今年は桜がよそよそしいと思った。外部で、ひとごとのように咲いている。わたしと桜のあいだに距離があった。
 ぎりぎり微熱がひいたとき、東京から数日離れた。途中の景色、車の外に見える桜は四分咲きぐらいだったか。だんだん標高が高くなったのだろう。見える花は桜ではなく、満開の梅に変わった。季節を逆行してゆくようだ。若草色がやさしい春の景色ではとうになくなり、早春をとびこして、冬の景観が、あたりをつつんだ。そうして、まだ雪がのこる温泉地へ。桜のさの字もここにはない。そうして温泉地では、すっかり桜を忘れてしまった。食事にたらの芽の天ぶら、ふきのとうの和え物がでた。これだけが春だ。まわりはすっかり冬のよそおい。
 時間旅行から帰ってきたかのように、東京にもどると、桜は満開になっていた。なにかから取り残されたような気がした。家につく少し前、お花見もしたことがある、多摩川の桜並木を車で通り、車窓から眺めたが、やはり、どうもぴんとこない。疲れてはいたけれど、体調はほぼもとどおりだ。この期間、言葉をつづらなかったからかもしれない。そんな思いが、頭をよぎる。
 次の日は、早朝バイトだった。そのあと、もう一つのバイトへ。その狭間で、駅のほうに行く用事があった。その途中には、毎年桜をみにゆく、東宝撮影所付近、仙川沿いの桜並木がある。川の両側に生えた桜が水のほうに伸びて咲くので、桜のアーチのようになる。水面に映る桜の効果もあり、特に橋から眺めると、上下左右、四方を桜に取り囲まれたようになるので、桜の森に迷い込んだような気になるものだった。おまけに川沿いの遊歩道は狭く、座るところもほとんどないので、にぎやかな花見客がいない。花見にきている人々は概ね静かに写真を撮っている…。そう、毎年、ここで独り花見をしているのだ。けれども、ここに来るのが怖かった。また桜はよそよそしいのではないか。だが、駅に行くときは、桜の時期だけは、ここを通っていたではないか(というのは、普段は遠回りになるので)…。実は、駅に向かう時、ここを通らなかった。こことは別の道、湧水ながれる崖の道を通る。崖の頂上に、桜がいた。満開だなと思う。だが、まだやはり外側で咲いている。崖から少し離れたところに、小さな公園があり、そこも少し桜が植わっている。通ってみたが、人ごとというよりも、あまり感慨がわかない。満開の花たちから取り残されている、そんな思いすら、ほとんどなかった。駅にいそぐ。崖から駅に向かう時は、いつも崖の下をながれる湧水の存在を確かめるのだったが、それも忘れていたことに気付く。わたしにとって、こうしたことは、言葉をかかないことと同様、堕落だった。忘れたときは、せめて戻って、流れを確かめたものだったが。
 駅で用事をすませる。この道、この幾分下った道を行けば、仙川に出る…。意を決して行くことにした。そこに行くまでの間に、数本の桜たち。まだ彼らはひとごとだ…。
 逡巡ののちの桜。川はコンクリート護岸されていて、どこか哀しげなので、桜の時期以外は通ることがほとんどない。川が息苦しそうなのだ。その仙川に、ようやく足を踏み入れた。桜の森の満開の…。
 満開どころか、はやくも少し散り始めていた。むせそうな桜たち、とりかこむ桜たち。例年なら、二分咲き、三分咲きの時から来て、一日一日、咲いてゆく、その変化をも感じとろうとしていた場所だったが、今年は、もはや、これほどまでに遅れてきてしまった。そのことの罪悪感。だが、よそよそしさを払拭するかのように、彼らはなんなくわたしを受け入れてくれた。いや、おそらく桜たちは、いつもの生をまっとうしていただけにすぎないのかもしれない。だが、あたりをぬりかえるような壮絶ないきおいで咲く桜は、わたしの垣根をも、そのいきおいで、倒したのだ。気がつくと、わたしは例年のように桜の側にいた。桜のそばにいた。うれしかった。スマホで写真をとってまわる。わたしがみている景色と、写真の景色はちがう。ながらく、その違いが、わたしをカメラに向かわせない要因になっていた。たとえば、わたしがみる桜たちは、もっとすさまじく、森なのだ。だが、写真にうつるそれは、桜の力がいくぶんかよわい。いや、ほんとうは、わたしの目が、桜だけしかみていないからなのだった。カメラのほうは、均等に現実を見て、写す。それがありのまま、だとは決していわないけれど、どちらにも言い分はある。そのことに写真をとってゆくことで、ゆっくりと気付いてゆく。写真をとることで、違いを受け入れていったのだ。
 桜の満開の、川のほとり。



 橋の上から、桜たちが、重なっているのを、写真でとろうと、スマホをむけていた。いや、重なった桜たちに、むせそうになっている、自分を、すこしでも、カメラに投影しようという気持ちもあっただろう。満開の晴れ姿。すると、偶然、さきほど、川におりたったコサギが、カメラの中を飛んで行った。現実と、わたしの目のなかと、スマホ画面の中を。こんな瞬間もあるのだとおもう。こんな、一致したような偶然の、出逢いの瞬間も。



 もはや、桜はよそよそしくなんかなかった。ひとごとではなかった。やっとわたしの近くで、咲いてくれた。わが身ひとつの花にはあらねど。こんなに遅れて、桜の門をたたいたというのに。
 その日から、桜めぐりが遅ればせにはじまった。その日も、夕方、もういちど桜をみに、仙川にいった。だが、今年は、もう満開もすぎていたから、実際的に、どこか遠くの桜を見に行くことがしづらい状態だったので、ほとんど仙川の桜にだけしか、会うことができなかったが。



 崖の近くの公園の桜にも、翌日また会った。彼らももはや、やさしい。散らせながら、生の花びらを、湛えていた。
 気がつけば、桜のほかにも、花ニラ、ムラサキケマン、雪柳、ムラサキダイコン、季節を間違えたように咲いている姫シャガと、ずいぶんと花が咲いていた。木々の若葉も、赤子のように、やわらかい色を発している。わたしにとって、とつぜんやってきた春という季節。かれらが、今年も受け入れてくれたことがうれしい。
 そして、また、こうして、言葉をつらねられたことが。
 桜たちには、次の日には、もう散って行ってしまった。二日たち、三日たった。つよい風、そして雨。彼らの息遣いに、圧倒的な、満開に、立ち会えたのは、ほんの数日だ。仙川の桜は、花びらを散らせることで、左右上下だけでなく、真ん中すら、桜の花びらでみたしていた。そして川面に映る桜にうかぶ、花筏。
 なんという非日常…、あと、わたしは何を思ったか。ほかにもたくさん、桜をまえにして、堰を切ったように言葉が、いや、想いのかたまりのようなものが、あふれてきたのだったが、うまく言葉にすることができない。これは罰だ。しばらく言葉をつらねなかったことへの。だが、こうして、また、それでも、書くことができてよかった。彼らもまた、わたしを桜のように、受け入れてくれた…。そんな気がしているが、それでよいのか。いや、書くことだ。言葉たちが、花びらのように舞っている。そして、川に流れてゆく。



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