Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2015-06-28

ガラス越しに、泳ぐ魚にさわれるか─速水御舟とその周辺展



 「速水御舟とその周辺 大正期日本画家の俊英たち」(二〇一五年五月二日─七月五日(前期五月三十一日迄、後期六月二日〜最終日))。前期展に行ってから、後期展に行くまで、ちょっと日が開いてしまった。また別の病気にかかり…。やっと昨日、行ってきた。まだ本調子ではなかったのだけれど、今行かないと、もう見れなくなりそうだったから。梅雨時ではある。実際、その夜には雨が降ったのだけれど、なんとか晴れていた。天気を気にするのは、自転車で行くからだ。雨だとさすがに厳しい。晴れの中、自転車で。もうナビも地図もいらない。あのコンビニの角を曲がれば、美術館通りに出るということが判っている。砧の森へ。
 体調のせいか、実はかなり気のりしなかった。よく出かけられたと思う。大好きな速水御舟であるのに、まったく誘ってくるものがなかった。面倒くさかった。けれども後期展では、きっと違う速水御舟…おふねさんの作品に出逢える筈だ。もしかして、この先見ることができないであろう、初めての作品たち。この機会を逃してしまえば、おそらく二度と見ることがかなわないであろう…。このことが重い腰を上げさせてくれた。



 展覧会会場。入って最初が、後期展の目玉であるのだろう、チラシに載った絵でもある、《菊花図》(一九二一年)だった。それと菊のスケッチ。実はチラシで見たときは、それほどいいとは思えなかった。というか、速水御舟ではないだろうとすら思ってしまった作品だった。けれども、今回、生でみて、やはり印象が変わった。もとは四曲一双の屏風であったのだろう。チラシでは部分図で、黄色い大型の細い花びらの管物と呼ばれる菊だけだったが、水色や白、薄桃色の管物の菊、中型の紅色の菊など、様々な菊が描かれていた。どれも数本ずつまとまって。背景は金地。スケッチ(《菊写生帳》一九二〇年、滋賀県立近代美術館)を先に見たからだろうか。葉がしおれ、うなだれている、あるいは葉が一枚だけ、とれた形で描かれている。それはリアルなスケッチであったのだろうが、とくに葉が、落葉か病葉であるかのようで、その葉たちが印象に残っていたので、《菊花図》でも、そうした葉たち、しおれたように下をむく葉たちが、華やかな菊と対比しているようで、なにか生と死であるとかかもしれない、そうしたものを感じた。菊たちの、一輪一輪、ちがう姿にも惹かれた。それらはいっしょくたにしていい花ではなく、たったひとつの花たちだった。同じ色の花たちも、どれも微妙に違う。一輪一輪が壮絶だった。それが生だと感じたのかもしれない。
 続く一章は省略、二章の《山茶花》(一九一四年、広島県立美術館)だけ。これは、次の三章にある、例の《山茶花に猫》(一九二一年)の山茶花と白地に端を紅に染めた花の色合いはそっくりなのだけれど、生気が違う。《山茶花》のほうが力強く、明るいのだ。一本の木から沢山の花が咲いているからかもしれない。それが画面が狭いとでもいうように、めいいっぱい描かれている。生の強さが心地よい。若々しいとでもいうべきか。速水御舟、十九歳か二十歳の作だ。
 ああ、山茶花に来たから、また猫へ。三章の《山茶花と猫》。また会えた。前期後期両方に展示されている数少ない作品。前回感じたような、初めて見るときの激しい感動はもちろんない。けれども、やはり、惹かれる。そのことがまずうれしかった。前回、なぜ惹かれたのかわからなかったなと、思い出す。そのことも踏まえて眺めてみる。
 猫も山茶花も現実にありながら幻想に脚を踏み入れている。とくに猫の夢みるような、けれども凛とした眼差し。地面と背景は、きちんとした境界がなく、ただ茶色の濃淡だけなのも、この現実と幻想の混在を後押ししている。
 たぶん、こんなことに惹かれたんだろうと思う。そうして、また何度も見惚れるのだった。夢見るような眼差しが、こんなに力強いというのを、わたしはこれまでに見たことがない。



 そして今回初めて観る《遊魚》(一九二二年、滋賀県立近代美術館)の幻想。小石であろう丸い玉を沈めた水の中を、二匹の鮎が泳いでいる。というのはわかるのだけれど、この水はなんて幻想なのだろうと、感じる。夢の領域を泳ぐようだ。現実の水と、幻想の水が、混じり合っている、魚はリアルでありつつ、幻想を泳いでいる。だから遊魚なのかと。



 他に《黍ノ図》(一九二四年、メナード美術館)。キビの穂が描かれているのだろうけれど、その穂が赤く、上を向いているので、まるで鶏頭の花のように見える。背景は暗い茶色だが穂の近くのみ、赤い色が抜け出たのか、あるいは背景が赤い色に同調したのか、オレンジ色を帯び、まるで発光しているようでもある。この赤とオレンジの輝きに惹かれる。輝きといったが、それはどこか暗いイメージも湛えている。夜にひっそりと灯ってみえるもののように、生によりそう暗さのように。



 全体的には、やはり前期展で来ていたからか、後期では、それほど…なんといっていいのか、感動がうすれていたかもしれない。でも、《遊魚》や《黍ノ図》、そしてあの《山茶花と猫》の秘密(といっても、私が勝手に忘れていただけだったのだが)に触れることができてよかったと思う。そして。

 展示作品のほとんどは、ガラス越しにみることになっていたと思う(興味がなかった作品の展示に関してはうろ覚えなのだが)。いわば窓越しに見る感じだ。絵とわたしの間にガラス一枚。そのガラスに私の影が映っている。絵と私の影を透して私の眼が見ている。そのことに気付いたとき、絵と影の重なりを見つめる自分という錯覚は心地よいと思った。そんなふうに絵とわたしが重なればいい。それを見つめる私という客観…。けれどもガラスに映る自分の黒い影に気付いてから、今度はそれが邪魔に感じられるようになった。うまくいかない。影は、絵を見る妨げとなった。絵とわたしの間で、羽音をならしてとびまわる虫のように。しかたなく、すこしだけ横から、影がはいりこまないようにしながら、みてまわることにする。そんなふうに重なればいい。それはどんなふうにだったのか。
 展覧会をあとにして、また数日過ぎてしまった。身体がだるい。おふねさんたちが、またガラスのむこうにいってしまった。いや、わたしがガラスの中に入ったのか。ほとんどのものが、なにかを隔ててあるような気がする。それはわたしが書いていないからだ。だるいといって、書かないわたしが日常になっているから、隔たったままなのだ。隔たったまま、それでもういいと思ってしまう…。それが世界の全てだと思ってしまう…。だるさの連鎖はどこに行くのだろう。どこにも行かない。
 今日、テレビをみていたら、思わず速水御舟の名前が出た。彼の作品が出たわけではなかったが、この展覧会で見た今村紫紅、牛田雞村の絵が紹介されていた。それはガラスを叩く音だった。だから、こうして、また書きに来た。まだガラスはここにある。せめて薄くなってくれればいい。
16:25:42 - umikyon - No comments

2015-06-10

あるいは狭間を見据える眼、が魔なのだろうか ─速水御舟とその周辺

 世田谷美術館にいってきた。ここはうちから一番近い美術館、距離にして三キロほど。砧公園の中にあるので、緑も心地よい。自転車で出かけた。
 展覧会は、「速水御舟とその周辺 大正期日本画家の俊英たち」(二〇一五年五月二日─七月五日(前期五月三十一日迄、後期六月二日〜最終日))。初めてこの展覧会のことを知ったのは、いつものような他の美術館での開催案内(チラシやポスター)ではなかった。なんと、選挙に行った役所の出張所だった。机の上に演劇の案内やバードウォッチング、なんとか教室の案内などのチラシが置かれているのだが、そのなかにあったのだ。チラシは菊の絵だった。速水御舟の《菊花図》。けれども、最初、ああ日本画の展覧会でもやるのかなと、なにげなく取っただけだった。まさか速水御舟だとは思わなかった。個人的にかなり好きな、こっそり、おふねさんと愛称で呼んでいる速水御舟、彼をメインにした展覧会だとは。ちなみにこの《菊花図》、後期展示で、これを書いている時点で、まだ実物を観ていないので、観たらまた、印象が変わるかもしれないけれど、ともかく今の段階では、あまり興味をひくものではなかった。だから、日本画の展覧会かなと思ってしまったのだけれど。けれども、その名前。もう名前だけで、行きたくなった。おふねさん。
 展覧会を案内するHPなどから。
「四十年という短い生涯を疾風怒濤のように駆け抜けた天才日本画家・速水御舟(一八九四─一九三五)。御舟は歴史画から出発し、印象派の点描に似た新南画、中国の院体画を思わせる写実を極めた花鳥画、琳派の奥行を排した金屏風、渡欧後、西洋絵画の群像表現に魅せられ人体表現へと向うなど、画風を目まぐるしく変化させて行きますが、道半ばで夭折してしまいます。本展は師の松本楓湖、兄弟子の今村紫紅、同輩でライバルの小茂田青樹、仲間の牛田雞村、黒田古郷、小山大月に、御舟一門の高橋周桑と吉田善彦を加え、御舟の作品と共に周辺作家の作品を一堂に集め、近代日本画の頂点のひとつともいえる御舟芸術がいかにして誕生したかを検証します。」
 こうした文章はチラシにもほぼ同じようなことが書かれてあって、だから、あまり期待していなかった。わたしは速水御舟だけが好きなのだ。周辺作家は…という、偏屈な態度からだ。それに、速水御舟の作品は、少ししかないかもしれない。そう、期待していなかった。電車でゆくようなところだったら、もしかして行かなかったかもしれない。働いている場所が、近所なので、電車はとんと御無沙汰で。そうこうするうち、今度は電車に対して軽い恐怖症めいた気持ちも抱き始めている。行く先を間違えそうな不安。地下鉄の駅の方向感覚のなさ。平日でも人の多い車両や繁華街。わたしはだんだん人が苦手になってきた。いや、もともとだったかもしれない。このごろ、その傾向が、また顕著になってきただけなのかもしれない。知らない人たちの多さなら、まだ許せる。彼らの話し声が、さらにおっくうになってきた。
 ともかく、世田谷美術館は、電車を使わずにゆける。人でないものたちと出会える。つまり、森と出逢える。



 砧の森。砧公園内にある。木々の緑が優しい。
 実は、出かけたときもそうだったけれど、この頃、ずっと体調が芳しくない。たいした病気ではないのだが、症状のひとつに、やる気のなさがある。記憶力の低下、倦怠感、やる気のなさは意志力の問題だと思っていたけれど、それだけではないらしい。この文章を書くのも実はおっくうで、ずいぶんと時間をかけてしまっている。おふねさんが、だいぶ遠ざかってしまった。おふねさんと世田谷美術館で対面したときの自分と離れてしまった。書くことで、また近づいてくれるだろうか。ゆっくりと思いだそう。
 展覧会をみるまで、期待していなかったから、図録は買わないだろうし、失望して帰ってくるだろうとすら思っていた。まったく逆だ。一章の若い頃、師のもとで描いていたもののあたり、つまり、のっけから惹かれた。《秋草に蜻蛉》(紙本著色、茂原市立美術館・郷土資料館寄託)は、一九〇九年というから、まだ十五歳位のときの作品だ。うっすらと描かれたススキが幽かな気配があり、もはや彼の魔的な世界を垣間見せていると思う。
 二章の赤曜会─今村紫紅と院展目黒派の頃の速水御舟もまだ若い。ちなみに赤曜会は、兄弟子の今村紫紅が一九一四年に立ち上げた会だが、紫紅が一九一六年に急逝したことで、解散し、その後では院展目黒派と呼ばれた、といういきさつがある。メンバーは速水御舟のほかでは、小茂田青樹、牛田雞村、黒田古郷、小山大月など。
 だが、やはり彼らには申し訳ないし、わたしの眼がいびつなのだろうけれど、何も感じることができない、通り過ぎてしまう。そんななかで、速水御舟だけが、出口や入口のように、異空間への窓のように、燦然とした輝きや、ぞっとする摩をひめた静けさをもって、わたしのまえに現れるのだった。ここでも。《短夜》(絹本著色、一九一五年、茂原市立美術館・郷土資料館)は庭から見た家、蚊帳の中に誰かが寝ているのが見える。部屋からもれてくるわずかな灯りだけで、あとは夏の夜だ。うっそうと茂った木が屋根に覆いかぶさっている。木自体が夜の化身だとでもいうように、暗い葉で。この暗さにひかれたのかもしれないし、うっすらとした灯りにひかれたのかもしれない。夜はいつも何かしら、わたしに語りかけてくる。



 第三章は「良きライバル─速水御舟と小茂田青樹」。小茂田青樹は一八九一年生まれなので、速水御舟の三つ上。年も近かったから、きっと互いに影響しあうことも多かったのだろう。だが、どうも私は小茂田青樹の作品は、昔からいまいちぴんとこない。なにかが明るすぎるのだ。だが、彼もまた一九三三年に四十一歳の若さで亡くなっている。その二年後に速水御舟が四十歳で…。そのことが、二人とも若くして亡くなっているということが不思議だ。
 速水御舟の《山茶花に猫》(絹本著色、一九二一年、西丸山美術館)。長細い画。白い山茶花の咲く木を見上げる灰色の雉猫。実はもうこれを観てから時間が経っているので、どうしてこの絵に惹かれたのかが思いだせない。多分、展覧会会場で一番惹かれた絵だと思う。なんど立ち戻ったことだろう。猫の立つ土と背景のもやっとした感じが、幽冥な感じがする。だがそのほかは、くっきりと、はっきりと描かれている。あるいはその対比。白い山茶花の、椿のような花にも、何かしらの印象をもった気がするが、思い出せない。そして猫の表情に。まるで目に見えないものをも見つめているような猫の眼。けれどもそれもまた狭間、見えないものと、山茶花の白い花の両方を見ている、とでもいったような眼。山茶花の幹のなまめかしい、にじんだ感触。この絵はたしか後期展示もあるようだから、いけばまた何か思いだすだろうか。それとも、思い出せないまま、けれども一度見てしまった後なので、感動だけが薄れて、もはや語りかけてくれないだろうか。絵もまた一期一会なのだろうか。



 《水仙図》(一九二五年、横浜美術館)、《牽牛花》(絹本著色、一九二六年、西丸山美術館)、《牽牛花》(紙本墨画、一九三三年、メナード美術館)たち、花に惹かれたときの印象はなんとなく覚えている。水仙は、鮮やかな水仙の花がどこかぼんやりしていて、鋭利な筈の葉たちも、どこか丸みをおびていて、これらの対比が、全体として、違和を感じさせるのが印象に残ったのだ。一九二六年に描かれた方の《牽牛花》、つまり朝顔は、赤と多分団十郎朝顔のような海老茶色の朝顔がやはりまぼろしのように、花を咲かせている、あの花と、伸びた蔓の、まるで手を差し出すような感じに、惹かれたのだと、思い出すことができる。一九三三年の《牽牛花》は、紺と青、そして朝というよりまだ未明といった、夜のような墨色の葉、背景の灰色が、いっそう幽かな印象を与えているのだと、多分いっても、そんなにはあの時感じた印象と違いはしないだろう。なぜあの猫だけは印象を思いだすことができないのだろう。





 そして《晩冬の桜》(紙本著色、一九二八年、福島県立美術館)。冬枯れの桜。つまり幹と枝だけが描かれている。流れるように、どこか霧の中の風景のように。冬の桜を描くという発想にも惹かれた。この視点に。枝は細く、糸か針のように描かれているので、晩冬という時期の桜の花芽の存在まではわからない。硬いような花の芽が、けれども存在していることで、春が近づいているのだと、教えてくれるあの花の芽がない。だが、この細い桜たち、繊細な霊のような桜の木たちは、どこか華やいでみえる。それが花芽をもった冬の終わりを感じさせてくれるのだった。



 そのほか《翠苔緑芝(小下図)》(紙本淡彩、一九二八年、茂原市立美術館・郷土資料館)。これは山種美術館にあるものの下絵なのだけれど、完成したものと、多少ちがっている。完成したものは、金地の背景の屏風絵で、左隻の苔地にウサギ二羽と紫陽花、右隻の苔地に琵琶の木や躑躅と黒猫一匹。下図のほうは、左に兎が三羽と紫陽花、右に枇杷の木と、朝顔の鉢と、猫…白猫と黒猫が一匹ずつ。
 今両方見比べながら書いているのだけれど、実は兎の数には、今気付いた。そして展覧会会場でみていて、これ、朝顔の鉢じゃなかったよな、なんだっけ…とは思ったけれど、思いだせなかったものの正体も、やはり今わかった。躑躅だ。だが会場であきらかな違いとして眼についたものもあった。それは猫だ。白い猫が右をむいて座りながら、目線だけを左にしている。その後ろに寄りそうように黒い猫。だが屏風のほうは、黒猫一匹だけ。それも白い猫が取っている恰好そのままで。つまり屏風になったときに、黒猫と白猫が合体したような感じ。この合体前の姿が観れたことが面白かった。
 ちなみに、茂原市立美術館の作品が結構多いような気がした。茂原は速水御舟の父の出身地であることなどから、彼と所縁がある場所で、その関係で、収蔵品が多いようだ。収蔵品が多いといえば山種美術館なのだろうけれど、そういえば、この展覧会には山種からの作品がなかった。これは個人的にはうれしいことだった。山種美術館のものはもう何回も観ているから。つまり、今回観た速水御舟作品は、初めて観る作品が多かったのだ。
 ほかにも速水御舟の作品で、惹かれたものが多々あったけれど、今日はこの辺で。もうすぐ後期展に行く予定だ。すこし身体や頭の調子がよくなってきた。今度は《山茶花と猫》が、語りかけてくれるだろうか。いや、語ったことを覚えていられるだろうか。そういえば、家の朝顔、今年は去年採取して、蒔いた種が芽を出してくれない。そのことがしきりと気にかかっているのは、今が蒔く時期だから、というだけではなかったらしい。おそらく速水御舟の《牽牛花》たちも、呼んでいたのだ。図録を見ながら、これを書いていてそう気付く。違うかもしれないが、それもあるだろう、そうだといい。
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