Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2015-08-05

キメラたちが入口で優しい─久世光彦『怖い絵』、「アール・ヌーヴォーのガラス展」


 またここの日があいてしまった。やっと体調が快復してきた。けれどもすこしさぼりぐせがついてしまって。徐々に前の状態に戻してゆこう。
 パナソニック汐留ミュージアムの「アール・ヌーヴォーのガラス展」(二〇一五年七月四日─九月六日)に行ってきた。
 展覧会HPなどから概略を。
 展覧会は、ヨーロッパ随一のガラスコレクションで知られるデュッセルドルフ美術館に寄贈された、実業家ゲルダ・ケプフ夫人のガラスコレクションを、ドイツ国外での初めての公開したもので、出品作家は、「アール・ヌーヴォーの源泉として重要な役割を果たしたジャポニスムやシノワズリを色濃く反映したウジェーヌ・ルソー、エルネスト・レヴェイエ、ウジェーヌ・ミシェル、オーギュスト・ジャンなど、パリのガラス工芸家たちの作品群。同様に東洋美術に傾倒しながらやがてそれらを深く吸収し独自の芸術様式を開花させたエミール・ガレ。さらにガレに強い刺激を受けて同時代を並走するドーム兄弟、そして彼らの制作を支えながらも試行錯誤を繰り返して独自の制作にも挑んだデズィレ・クリスチャン、ミュレール兄弟、ポール・ニコラなどのデザイナー、職人たち」など。
 アール・ヌーヴォー。わたしはなぜあの様式に惹かれるのだろうか。植物たちが過剰なほどのたうちまわって。電球の出現によりうまれたランプの新しさと古さのあわさった、都市と自然のあわさった…。暗さと明るさ。




 「だからビアズリーは衝撃的だった。〈世紀末〉も〈オスカー・ワイルド〉も、ビアズリーにまつわるそれらの言葉は、どれも麻薬のように気持ちよく少年の私の体に染み込んで行くのだった。」
 久世光彦『怖い絵』(文春文庫)を読んでいたら、「誰かサロメを想わざる」にこんな文章が出てきた。久世光彦の小説は好きで読んでいたが、『怖い絵』は絵に関するエッセイだと思っていたので、なんとなく敬遠して読んでいなかった。わたしはどの作家のものもそうだが、基本的にエッセイに触手がのびないのだ。
 だから好きな作家だったにも関わらず、ずっと読んでいなくて、というよりも偶然、最近、中古書店で見かけて、値段の安さにひかれて買った本で、まさに遅ればせだった。けれども、それが、丁度この展覧会に行く途中の電車の中で、という奇妙な符号。
 『怖い絵』。形は作者の若い時や子どもの頃の思い出というか、関係のあった人々のことを語りつつ、画家の絵、そして画家の紹介などをまじえた、やはりエッセイっぽいものではあるのだけれど、それはいい意味で、小説的なのだった。彼にほんとうにあったことなのかどうかはわたしには重要ではない。小説のように、わたしにとってのほんとうとして、文章たちがわたしをひきこんでくれることが重要なのだが、そうした意味で、フィクションとして、この本の言葉たちは、わたしに語りかけてくれるのだった。
 「誰かサロメを想わざる」は、ビアズリーのサロメ、やはりサロメを描いたギュスターヴ・モローの《出現》などの図版を載せ、それに触れつつ、彼と関係のあった年上の女性との危うい恋が語られている。不義の香り、ファム・ファタール的な、血の匂いのする、文学的な…。ビアズリーの画集を見せてくれたのが彼女であり、その彼女自身がサロメのようだったのだ。
 「だいたいビアズリーのサロメを好きだという女の人は、何となくそれらしい衣装をまとい、それらしい雰囲気を意識して漂わせるものだ。(中略)そしてそれは、単に外貌だけではなく、中身についても言えるのではなかろうか。つまり、私が三十数年前に出会った夫人の中には、あの夜、ヨカナーンの首を抱いたサロメが棲んでいたのではなかったろうか。その人は、私のサロメだったのである。」
 「誰かサロメを想わざる」の夫人との恋は、生々しい、けれども印象的な傷をはさんで終わりを迎える。その前で、怯懦で弱い自分を見せつけられながら、長いこと、怖い絵を見続ける話者…。そこには、かつての彼らが、いまも潜んでいるから。

 久しぶりに本を読んだ気がする。ここに書きにこない間、何冊か読んではいたのだけれど、こんなふうに、心に響いた本は、ひさしぶりだった。
 いや、わたしは何を書こうと思ったのか。展覧会へ向かう電車のなかで読んだこの世紀末が、わたしに響いた。それは響きでもって、わたしの思い出たちをかきまぜるようだった。
 この本を呼んで、なぜアール・ヌーヴォーに惹かれるのか、判った気がした。それは理屈だけでは説明のつかない、おそらく個人的な、そして他者たちのなにかのつまった、そんな「怖い絵」のような言葉にふくまれた、言葉だからだ。
 つまり「世紀末」。わたしはこの言葉にとてもノスタルジーを感じる。アール・ヌーヴォーは、そのなかにふくまれ、かつ世紀末を思い起こさせる言葉…そんなことも惹かれる理由なのだろう、そう感じた。かつてデカダンスという言葉にひかれた少女といっていいわたしがいた。ファム・ファタール、ボードレール(彼は厳密にいえば世紀末ではないけれど)、プルースト、ビアズリー、ワイルド、クリムト、クノップフ、サラ・ベルナール、ルドン、ホフマンスタール、そしてエミール・ガレ。けれども、『怖い絵』のように、「誰かサロメを想わざる」のように、世紀末に惹かれる背景に、だれか特定の人物、わたしと関わりのあった誰かがいるわけではないような気がする。もしかして、すこしはいるのかもしれないが、もはやほとんど判別がつかない。クリムトの《接吻》を誰と観に行ったか…。デカダンスという言葉を教えてくれたのは誰だったか。それらは合わさり、キメラとなって、世紀末を形作っている。世紀末はそうしてわたしのなかの人々を喰らい、わたしを誘う夢となっていったのだ。
 ああ、展覧会のことを書こうとしていたのだ。そうだったろうか。きっかけはそうだったが、『怖い絵』に惹かれたことや、世紀末のことを、書きたいと思ったからだったような気がする。このごろ、さぼり癖がついていたので、ともかく書きたいと思うことが大事だった。これらもキメラとなって、わたしに書く力をもたらしてくれる。
 展覧会自体は、じつは、それほど感動しなかった。これもまたいろんな理由があるだろう。わたしは世紀末には変わらず惹かれているけれど、最近は、もはやアール・ヌーヴォーのガラスたちから、具体的な興味が移行してしまっている。ガレもドームも好きではあるが、どちらかというと「好きだった」と、過去形になってしまっているのだ。そう、おそらく感動しないだろうと行く前から思っていた。それでも出かけたのは、自分の気持ちを奮い立たせたかったから。美しいものを観たい。観て、そのことを言葉にしたかった。
 展覧会自体は素敵なものだったと思う。だからこれは私の側の問題だ。展示作品のために、明かりを変化させたり、しゃれた工夫が何点かあった。はじめてみる作品も多かった。感動しなかった…と書いたが、これもまたキメラ。アールヌーヴォーのガラスたちに囲まれているだけで、静かな感動、といっていいのだろうか、なにかしら、優しいものを感じていた。懐かしさであるとか、温もりであるとか、扉的なもの、入口的なもの。それはかつてだけではなく、今もなお、そこにあり続ける異界への窓口だった。わたしは異界の縁に立っていると、展覧会の会場で感じていた。ガレの水中の情景をガラスに込めた暗い作品たちをみて、だったか(例えば《花器(水中の情景)》(一八九五─一九〇〇年頃)、《花器(スイレン)》(一八九二/一八九三年頃))。チラシを飾るドーム兄弟の、ガラスに這うカタツムリ(《花器(ブドウとカタツムリ)》一九〇四年)をみてのことだったか。
 異界は、こんなふうに入口を開いている。それは人の手になるものだからこその、異界だった。いや、自然と、作者と、それらのキメラ…。展覧会の会場で、たしかに感動した作品には、出会わなかった。けれどもそれらは、とても優しい場所をわたしに差し出してくれたのだった。
 これを書いている、この辺りを書いている今は、展覧会にいってから日数がたってしまっている。だからもはや、ますます、思い出せなくはなっているのだけれど、『怖い絵』は手元にある。それを読み返しさえすれば、何かたちが、わたしにキメラを感じさせてくれる。それは数日前にみたブルームーンや赤い月もまじっているかもしれない。今朝の夢のなかでみた、昔の光景もまた、挟まれたものかもしれない。世紀末を憧れのように思っていた頃のわたしを含んだ今のわたしが、夜の街を歩いていた。暗いときめきを感じていた。入口は、いつもなにかと混ざって、そこここにあるのだった。
00:01:00 - umikyon - No comments