Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2016-01-25

少し語りかけ、たくさん無言で触れてくれて、春が匂う─「ゆかいな若冲・めでたい大観」

 今回も正月的な美術展にいってきた。三月までやっているから、新春的というべきか。「ゆかいな若冲・めでたい大観」(二〇一六年一月三日〜三月六日・山種美術館)。
 展覧会HPなどから。
 「二〇一六年に開館五十周年を迎える山種美術館では、新春にふさわしく、幸福への願いが込められためでたい主題や、思わず笑みがこぼれる楽しいモティーフを集めた展覧会を開催いたします。日本美術において、祭事・婚礼などの慶事や節句、あるいは日常の営みの中で用いる図様として、さまざな吉祥画題が表現されてきました。本展では、その中から長寿や子宝、富や繁栄などを象徴する美術に焦点をあて、おなじみの鶴亀、松竹梅、七福神など現代人からみてもラッキーアイテムとなる対象を描いた絵画をご紹介します。さらに、ユーモラスな表現、幸福感のある情景など、HAPPYな気持ちをもたらす作品も展示します。
(中略)江戸時代から近代・現代まで、「HAPPY」を切り口に日本美術をたどる、縁起のよさ満載の展覧会です。」
 若冲、横山大観、河鍋暁斎、歌川国芳らの名前がその中にあった。若冲(一七一六─一八〇〇年)目当てでゆく。最初は正月に行く筈だった。今年の口あけの美術館の筈だった。けれども前回書いた通り、最初はトーハクだったから、二番目だ。どうでもいいことだけれど、予定や予測は変わるものだ。変わるからこそ、発見があるのかもしれない。
 初雪が降った次の日。うちの辺りはまだあちこちに雪が残っていて少し歩きづらい。けれども都心である、山種美術館のある恵比寿・渋谷界隈ではほとんど雪が見当たらなかった。雪かきをしているとかの違いではないだろう。同じ二十三区内でもだいぶ違うなとぼんやりと思う。うちは郊外なのだなと今更ながら気付く。そういえばその日、うちの近くではもう梅が咲いていた。早すぎはしないか。以前ならこの早さが信じられなかった。まだ冬なのだから、この花にまどわされないこと、とか、わけのわからない法則をたてて、一月に春を感じることを拒否していた。けれども、どうしてか、この日は梅が信じられた。雪が降った翌日だというのに、寒いかじかむ一日だというのに、春を待っていいのだと思った。今は確かにまだ寒い、大寒すらきていない冬だが、それでも冬至は過ぎている、こんなふうに一歩一歩春に向かっているのだと、春を思っていいのかもしれない、そんなふうに梅を見ていた。
 ああ、私はどこに行っているのだろう。家のまわりを歩いていた時間から、数時間後、美術館近くへ戻ってこよう。実は展覧会にゆくのは金曜日が多い。平日だけれど、なんとなく週末の感じ。実際日曜が休みで土曜日は早朝バイトのあとは休みなので、金曜日は土日週休二日だった頃のかつての感覚(長らくOLをしていたから)でいうと、木曜日の感じなのだ。




 だが今回は火曜日に出かけた。まだ週がはじまったばかり。休みまで遠い。だからなんとなく展覧会にゆく、という感じがいつもより希薄だった。たぶん美術館で作品たちがこちらに入ってくる感じも薄かったかもしれない。けれども、週がはじまったばかり、ということはその数日前まで休みだったということだ。まだ休みのうちの詩的な頭がのこっているはず…だったのか。わからない。いや、実はどちらにしても平日ならばたいして変わらないのだろう。気持ちのもちようなのだ。
 それに…山種美術館。もう何度も来ていて、おそらく観たものばかりだろうと思っていた。実際、それも当たっていたけれど。予想をうらぎることは新鮮だ。考えていたことと起こることは違うのだ。
 最初は若冲の《河豚と蛙の相撲図》だった。墨画の掛軸で、もう何回か観たことがある。なので、とりたてて今更と、通り過ぎようとしたのだが、キャプションをみて、はっとした。河豚とヒキガエル、どちらも毒のあるものたちを描いているとあった。絵だけをみると愛嬌のあるユーモアたっぷりのほほえましさなどと思うが、そうした視点からみると様相が変わる。毒をもちながら明るいものたち。
 そのあとで、縁起物として長寿の鶴と亀、ということではじめてみる若冲《亀図》へ。こちらも墨画の掛軸。三匹の亀、動きはほとんど見られないが、首をめいいいっぱいだした亀がリアルでしかもどこか愛らしい。そして静かだ。わたしは亀は鳴かないものだと認識している。だから静かさを感じたのだが、その静かさのなかに、若冲の亀は精一杯、その姿、様相で、にぎやかに饒舌に見えたのだ。そのほかの若冲はここで何回か観たことがあるものだったこともあり、省略する。



 横山大観が《松(白砂青松)》、川合玉堂《竹(東風)》、川端龍子《梅(紫昏図)》、三人併せて松竹梅という出品があった。それぞれ別の作品なのだが、ともに昭和三十年、どこかの依頼で制作した作品だという。私は実は横山大観はあまり好きではない。そつがなさすぎる気がするのかもしれない。手本のような絵を苦手に感じるのかもしれない。そして川合玉堂、川端龍子も、それまでに何点か作品を見たことがあるが、特にどうと思った記憶がない。だが今回は川合玉堂《竹》の笹の葉の数多のすがすがしいほどの色彩、沈んだような、けれどもどこか澄んだ風をただよわせている、その葉に惹かれた。そこに小さな一羽の、オレンジ色が眼につく、あれは多分ジョウビタキ。焦点となって、そこから時間が生まれている。
 川端龍子《梅(紫昏図)》の白梅もおどろくほど染みた。その太い幹の生命力に、だったか。生命力にあふれながら、はかなげな花たちの満開に。そうだ、横山大観にも、いつか海を描いた作品で、心に灯ったものがあったはず…。具体的な作品名は思い出せないけれど、たしかにあった(後日調べたら出てきたけれど)。こんなふうに一枚もしくは数枚だけ、わたしに何かを手渡してくれる絵もあるのだ。この展覧会にも川端龍子、横山大観の作品は何点かあったが、やはりそれらは私にはなじめないものだった。こんな出逢いもあるのだ。そしてそんな画家のグループ(私が勝手に仕分けしたものだけれど)のなかには、小林古径(一八八三─一九五八年)も含まれるかもしれない。彼もまたおそらく山種美術館で、何回か作品を見たことがある。作品を見れば思い出すだろうけれど、その程度だ。けれども今回の展示では《鶴》(昭和二十三年)に少し心が残った。水鳥のようにすわった白い鶴。右上端に紅梅の枝がすっと伸びていて、全体をほぼ覆う白い羽と対照的。そしてほのかに見える頭の赤、黒い首やお尻の方の黒い羽とも均衡を保っている。鶴は夢みるような顔だと、つい思ってしまうが、どうなのか。なにか観ていると夢ごこちになってくる…。







 そして。そんなたとえのあとに正反対のものとして引きあいにだしてしまっては、今あげた彼らに悪い気もするが──一枚だけ、私に語りかけてくれるのではなく、たいていはその人の多くの作品が、私に沢山語りかけてくれる、そんな画家たちがいる。この展覧会では、《白牡丹》(明治三十四年頃)。一輪の白い牡丹、うえに小さな白い蝶が二匹。花びらよりもなお小さい。蝶と牡丹のとりあわせもまた吉兆なのだとあったが、どこかわたしの好きな速水御舟のような魔的なものが感じられた。作者は菱田春草(一八七四〜一九一一年)。ああ、はじめてしったのはやはりここ山種美術館だったっけ。おぼろげな月の《月四題》、そして菱田春草展で見た《黒き猫》(永青文庫所蔵)の壮絶な存在感。《白牡丹》、そこには猫はいなかったし、月もなかったが、彼のなにか、彼らしい、わたしの共感するなにかが感じられた。ゆれる花びらの《白牡丹》のしみじみとした装いが、さびしく力強かった。うつくしく、かなしかった。



 やはり後者の系列に入る画家に奥村土牛(一八八九─一九九〇年)がいる。彼の描いた十二支の動物のうち数点の展示があった。鼠、へび、うさぎ、とら。どういういきさつだったか、キャプションに書いてあったように思うがこれも忘れてしまった。下絵だったかしら。どれもさっと書いたよう。力がぬけているが、奥村土牛らしいぬくもりがある。とらやへびがあんなにもいとしげなものだとは気付かなかった。とくに《巳》(昭和五十二年)。とぐろをまいて、舌を出して威嚇しているはずの蛇なのに、幼児が描いた怪獣のよう。やさしさにみちた眼差しがある。



 そして、これは初めてではなかったし、何回か観たことがある、さらに家で、見えるところに絵ハガキが飾ってある、山口華楊(一八九九─一九八四年)の《生》(一九四八年)。生まれたばかりの仔牛の夢見るような眼差し。「薄明の中で静かに呼吸している仔牛。その時ほど、生きているものの美しさと生命の不思議さに打たれたことはなかった」と明るい陽射しが差し込む暗い牛小屋の「真っ黒いかたまり」に出合ったときのことを、画家自身が述べている。
 わたしはこの絵の何が好きだったのだろう。たぶん自分の書いたものを探せば出てくるのだろうけれど、今はあえてしない。ただはじめてこの絵を見た時も、やはりキャプションでこの作者のことばを見たように思う。そのときにも違和を感じたことを思い出した。ことばは絵を表現していない。ことばは蛇足だ。そう、その牛は、美しいものという薄明の明るさよりも、どこか暗いものだった。誕生の神々しさや、愛しさに、なるほど満ちているけれど、暗い像もまた二重映しに黒い身体を内側から照らしている。いや、それが山口華楊が言う不思議さだったのかもしれない。生の喜びの裏にひそむ暗さ。
 ともかくここでまた会えるとは思わなかったから、また見れて嬉しかった。けれども考えてみたら、生まれることは年が改まることに近しいのかもしれない。ことほぐこと、よろこばしいこと、そういった意味で展示されていたのだと思い至る。
 そうそう、つまり、後者の画家たちは、たんに好きな画家、ということだ。
 展覧会を観終わって、ミュージアムショップへ。図録が比較的安価だったこと、そして図録で思い出すよすがにしたい作品が何点かあったので、それを買う。あと、好きな画家のグループのなかの、今回は残念ながら観れなかった、速水御舟のグッズを買う。実は持っていたのだけれど、落として失ってしまったもの。どれだけ好きなのか…とひとり笑う。



 これを書いているうちに数日が過ぎた。家の近所では、まだ雪があちこち残っている。そして公園や知らない人の家の庭で、咲き始めた梅を見つける。昨日だったか、公園の紅梅の近くを通ったら匂いすら感じられておどろいた。それまではまだ匂うほど咲いていなかったのだ。大寒も過ぎ、季節は春に向かっているのだろう。だが今日これから、また雪が降るという。沈丁花のつぼみも見つけた。ネコヤナギのふっくらとした毛並みのいいつぼみも。こちらには、思わず手を触れてしまった。やさしい硬さ。今、雨が降ってきた。雪になるのだろうか。

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2016-01-15

死闘と生誕、みずちが静かに立体だ─博物館に初もうで、トーハク



 今年最初に行った美術館は、東京国立博物館だった。「博物館に初もうで」(二〇一六年一月二日〜三十一日)という企画を行っている。まさに初詣的。正月のあいだ、いや最近まで、頂いた詩集などのお礼状を書いて過ごしていたので、七草がゆも過ぎ、もはやバイトも始まってから出かけた。
 一月十七日まで、本館のほうで新春特別公開として、北斎の《冨嶽三十六景》三枚、長谷川等伯《松林図屏風》が展示されるというので、それ目当てだった。その年の干支にちなんだ展示や、おめでたそうな絵などの展示の「博物館に初もうで」は、毎年行われているらしい。というか、わたしも来るのは何回目かだと思う。特別企画展というほどではない、常設展示に色をつけたものなので、入場料金も常設展の値段で入れる、お得な展覧会だ。常設といっても、収蔵品数が多いので、その都度、内容が変わるから、毎年行ってもあきることはない。いつも発見がある。





 午後から用事がある日に出かけたので、トーハク(と、こっそり愛称で呼んでいる)には、午前十時過ぎ、比較的早い時間についた。けれども休日だったからか、意外と混んでいた。人ごみは苦手なのだが、同じように展覧会に来ている人々と会うことは悪くない。かるいけれど複雑な気持ちがわきあがった。
 常設のなかの特集といった感じで「博物館に初もうで 猿の楽園」というコーナー、一室があった。そしてそのあと、長谷川等伯の国宝を展示する一室。ここまで、実はあまり感じることがなかった。わたしの側の問題なのかもしれない。美術館にくるのはひさしぶりだった。といっても二カ月ぶりぐらいか。その間、年が改まったり、日々に忙殺されていたりで、見る眼がおかしくなっていたような気がする。彼らが語りかけてこない。いや、彼らはかわらずそこにある。月や詩のように。わたしが違うだけなのだ。そう、忙しいとき、詩のことばがまったく頭にはいってこなかった。正月、詩をたくさん読んだ。最初はことばたちが入ってこなかったと思う。気付いたら、ことばに乗って、どこかへ旅立っていた。見えそうな世界のどこかでなにかを共有していた。わたしはこのためにことばをさがしているのだと、おもえるような場所で。彼らと共有できるなにかは、ここにしかない。月が照らしてくれる。花が咲く。
 ああ、そうだ、トーハクの展示の最初のほうでは、詩が頭に入ってこない、あの感覚を味わっていた。最初だけじゃない、たぶん半分以上いってもだ。猿から、仏像、飛鳥、奈良、平安、室町、安土桃山、時代が下る。猿たち、そして書や茶、絵巻物、能装束。このままなのだろうか。それ目当てで来た、好きな北斎だって、冨嶽三十六景の展示とあった。これはもう何度も観ているものだ。同じ絵を今更観たって…。一抹の不安がよぎったが、あまり焦燥感はなかった。それでもいいと思ったのかもしれない。一度みた絵に感動を覚えないことはよくあることだ。いや、詩のことばたちは、正月中に、もはやわたしに帰ってきてくれていたので、心に余裕があったのだろう。感動がないことにさしてあせりもせず、のんきに歩を進めていた。その二日前、久しぶりに訪れたとある場所で、美術展チケットを二枚手に入れていたことも心に余裕をもたせていたかもしれない。まだ展覧会はほかにもある…。このまま感動がないままでも、ミュージアムショップなどで時間をつぶして、つぎの用事へ行けばいい。それでも時間があまったら、小腹もすいたことだし、何か軽く食べてみようか。次の展示室、江戸時代へ。浮世絵とあったかもしれない。期待しないではいったら、いきなり北斎だった。というか浮世絵のコーナーだけでなく、肉筆も刷絵本も、すべて北斎で、ほとんどそこは小北斎展を開催している、といった感じだった。長細い室内のほんの少しのスペースで、根付と着物、笄や簪が置かれていただけだ。ちなみに笄や簪の絵手本の展示もあり、それも北斎だった。
 ともかくびっくりした。冨嶽三十六景だけではなかったのだ。ものすごくうれしい。ところでトーハクの常設は基本的に写真撮影OK。けれども実は館内で写真撮影するのはあまり好きではない。そのことにかかずらってしまい、絵を見るさまたげになってしまうようで。けれども、郷に入っては郷に従え、か? 一度、ほぼ写真を撮ることをせずに一周し、二周目で写真を撮った。三周目、特に気になる絵だけをじっくり眺め、四週目、また同じように、気になる絵をじっくり観た。さらに今度は気になる絵だけ、また写真を撮ってみた。スマホだった。後で消せばいいんだ。手軽なものだ。わたしはそうして何度周っただろう。こうした行為をしていることも嬉しかった。やはり好きな、夢中になれる作品たちと出逢えるに越したことはない。
 最初は《獅子図屏風》だった。十九世紀としか書いてないので、いくつの頃か判らない。けれどもなんとなく若描きのような気がした。若描きといっても、冨嶽三十六景が七十代なので、それ以前のもの、という意味だけれど。ともかくまだ力がみなぎっていない感じ。晩年に描いた虎や龍などに感じたオーラが希薄な気がした。でも北斎、それでも北斎だ。金地の屏風に描かれた二頭の獅子。愛嬌があるような、神獣的であるような。その中途さが心地よい。
 その次は本当に若描き、おそらく三十代か四十代位の頃の浮世絵が数枚。こちらはさすがにほとんど素通り。
 そして《くだんうしがふち》《おしをくりはとうつうせんのづ》(十九世紀初め、文化三年(一八〇六年頃)と画集にはあった)。北斎は一七六〇年生まれ(一八四九年没)なので、四十代だが、「ひらがな落款洋風風景画」としてまとめられている五点のうちの二点で、くだん…のほうは、波のようなものすごい坂で、おしをくり…のほうは波を山のようにもちあげ、不思議に遠近感を出している。そしてくだん、おしをくり、落款を横に記して、筆記体のように見せている。おしをくり…のほうの構図は、波にのまれそうな船などに、どこかほぼ二十五年後の《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》(天保二年(一八三一年頃))を思わせるが、後者の魔的にうつくしい飛沫、富士と船の配置と波の均衡などは見受けられない。だが、前者のこの挑戦する意志にわくわくする。富士のかわりに小さな鳥が空を横切る。そうして奥行きをだしているのだろうか。





 このあと、いよいよ冨嶽三十六景、三点。赤富士と呼ばれる「凱風快晴」、構図は赤富士に似ているが、富士の下で雷が鳴り響き、空が晴れた「山下白雨」、そして「神奈川沖浪裏」…。だが冨嶽三十六景のシリーズではもう一枚展示があった。「東都浅草本願寺」。先にあげた三枚ももちろん好きで、絵の前でそれぞれ思いが沸き起こったものだけれどこれらには以前どこかで何かを書いていることもあり、今回はこの一枚を。
 画面右に大きな立派な三角の屋根の浅草本願寺。遠景に屋根との対比が絶妙な小さな富士。その間に雲の切れ間に江戸市中、富士より高い凧、富士より高い火の見やぐら。この絵ももちろんどこかで見たことがあったが、屋根に上る瓦職人たちに今までなぜか気付かなかった。大きな屋根に五人ほど乗っている。それぞれ瓦の一部のようになっていて、違和感がなかったからかもしれない。屋根も人々も基調は北斎の好んで用いたベロ藍だ。人は小さい、屋根は大きい。その対比が描きたかったからかもしれないが、それだけではないものが滲んでいた。懸命に働く人々と屋根がなじんでいること。屋根の下には凧上げをする人もいること。そのむこうに富士がある。雲がたなびいている。切り取られた永遠をわたしは感じたのだろうか。



 そのほか「詩歌写真鏡」、「諸国瀧廻り」「百人一首うばがゑとき」連作などからの一枚があった。そして諏訪湖の氷渡りを描いた《信州諏訪湖水氷渡》(これは去年の秋に諏訪湖に訪れたこともあって、つい親近感を覚えた)などにも、感じるものがあったが、これらもほとんどいつか何か書いたことがあるので、今回は触れない。
 花鳥画が何枚か出品されていた。《牡丹に蝶》(天保二年(一八三一年)頃)の大きな牡丹に、牡丹に比べて小さい蝶。牡丹は花びらがゆれている、そして蝶は逆さまにとんでおり、どちらも強い風でそうなっているのがわかる。だが絵は静かだ。静かに風をとじこめたまま、わたしたちに風を感じさせてくれるのだった。



 そして団扇絵。団扇の元になった絵だ。《群鶏図》や《鷹》は見たことがあったが、今回のこれは初めてみるものだった。画集などでも見たことがない。題名は《雉と蛇》(天保四年(一八三三年)頃)。左側に雉、雉の身体から生えたように胴を絡めた蛇は右側。たがいににらみ合っている、死闘の場面であるらしい。というのは後から知った。雉は蛇を食するということだ。
 だが絵を見ているとき、そんな凄惨さを感じることはほとんどなかった。雉の半ば羽を拡げた姿の華やかさと、へびの地味さの対比に心ひかれただけだった。にらみ合っていると書いたが、それもあまりおそろしくない。ただたとえば同じ団扇絵の《鷹》にあるようなどこかひょうきんな眼差しも、そこには感じられなかったが。
 今これを書くために色々調べたのだけれど、松尾芭蕉に「蛇くふと聞けばおそろし雉の声」という句があるそうだ。そして北斎は雉と蛇のモティーフが好きだったことも知った。また雉は蛇を身体に巻きつけたあとで、羽をひろげることで蛇の身体をひきちぎる、とも…。そこまで知って、やはり巻き付けられた蛇の胴ということは死の場面なのかと不思議な気持ちになる。《雉と蛇》は、そんなふうにはほとんど見えない…。さらに調べて、雉と蛇が交わって生まれたものが蛟となるという伝承があると知った。蛟は“みずち”と読む。水の怪のことだが殆ど龍のようなものらしい。蛇と雉が交わろうとする瞬間…龍が好きだった北斎だから、その説に傾きたくなる。けれども、判らない。もしかするとそれらすべてが描かれているのかもしれない。死闘と蛟(龍)生誕の場面。だからこそ、彼らは凄惨でもない、そしていつも北斎が描く動物には、何かしらの明るさがあるのだが、それもない、その狭間で静かに見つめ合っているのではなかったか。
 この絵に会えたことは僥倖だった。はじめて目にした作品ということもあったが。ところで江戸の団扇はなんと贅沢なのだろう。そしてこんなデザインのものを使っていたということに、うらやましいというより、素直に驚く。



 ほか、「富嶽百景」「北斎漫画」などの刷絵本、肉筆画三枚。肉筆画の《扇散面図》(寛永二年(一八四九年))は扇を散りばめた作品だ。五つの扇が拡がったまま重なっている。もはや彼は光の明暗な濃淡などだけで立体感をだすまでになっている。《おしをくりはとうつうせんのづ》などで使った派手な模索中の技巧はもはやない。その表現は静かだ。静かな分、ますます引きこまれる。そこに扇があるように。そう、一見したとき、扇が実在するかのような、ガラスの向こうに置いてあるような錯覚を覚えたものだった。それは楽しい幸せな錯覚だった。亡くなった年、九十歳の作品。強い風は吹いていない。けれども空気が感じられる。陽だまりのような気配が感じられる。



 多分、時間が許せばまだ何周かしただろう。気がつくと午後からの用事まで、あまり時間がなくなっていた。名残惜しいが、北斎からひとまず離れることにする。年のはじめに北斎と会えてよかったと思いながら。そのあと駆け足で別の建物、平成館の一階へ。考古展示室が去年の秋十月にリニューアルオープンしたのだが、前回トーハクに来たのは九月で、まだそのときはしまっていたことを思い出したので。特に縄文時代の展示が観たかった。土偶、縄文土器、翡翠など。これらについてもこころしみる出逢いがあったが、省略しよう。かなり急いで回ったので、逢瀬を楽しめなかった、ということもある。結局楽しみのひとつでもあるミュージアムショップも駆け足で通るだけだった。北斎の絵ハガキ、何かあるかしらと思ったので、のぞくだけはのぞいたのだ。《雉と蛇》が欲しかったがなかった。本館に戻ってきて、一階から二階へ昇る階段の途中の踊り場に、見事な生け花が飾られているのに気付く。正月にふさわしい装いだ。これも後で知ったが、行った日までの展示だった。会えてよかった。
 本館を出て、外へ。桜の木をみつけた。寒緋桜とかだと思う。いつか、桜のちょっと前の季節に、「博物館でお花見を」という企画にやってきたなあと思いだす。今調べたら二〇一二年の三月だ。まだ花芽もほとんどわからない。けれども水仙が咲いていた。これは家の近くだけれど、猫柳のつぼみがだいぶ猫っぽい、やわらかい毛たちをつけていた。咲きだした木瓜、そして椿。大寒もまだだというのに、わたしは春を感じ、春を楽しもうとしている。こんなふうに思えるのははじめてではなかったか。たいてい、冬のあいだ、わたしは縮こまっていたから。冬は眠りの季節だ。秋に枯れて、春にまた芽吹くまでの、その季節は。けれどもそれこそ、生と死の狭間ではなかったか。と、《雉と蛇》にかこつけてつぶやいてみる。
 数日後、また近所の湧水池のある公園へ足を伸ばした。冬だからこそ、とくに陽だまりが恋しいのだと、ぼんやりと思う。静かにたちあがってくる、穏やかなよわい陽射し。気配が静かに立体だ。

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2016-01-01

謹賀新年 変わらないもの、改まった年

 今年がよい年でありますように。







 年が明けた。毎年、大晦日と元旦をわける午前〇時頃、こっそりひとりでカウントダウンをしているのだけれど、今年はうっかり居間で寝てしまって、気がついたら午前〇時三十分、年があけてしまっていた。なにか儀式をおこなわなかったことによる肩透かしをくらったような、軽いけれど、複雑な感覚が、私に起こった。しかたなく、自分の部屋にもどって耳をすます。もしかして、と思ったのだ。数分待つうち、除夜の鐘が聞こえた。聞こえてくれた。よかった。複雑な感覚が、ほとんどショックだったのだと、鐘によって気付く。ゴオオン。そしてこの音を聞いたことでそれがだいぶ和らいだことを。
 午前一時過ぎから午前五時位まで、遅ればせだが、年賀状やら本の整理などをしていた。毎年恒例といえば恒例だ。バイトが年末ぎりぎりまであるので、年があけてからこの作業をするから。同じように年を越して迎える正月、というのはこういうことでもあったのだ。そういえば私は小さな頃、ガラクタをつくるのが好きだった。おもちゃというか、あれはなんだろう。紙をつかって工作をするのが。年賀状を作成する作業も、おそらくそれに似ているのだと、ぼんやりと思った。なんと子どもを引きずるものなのだろう。過去とはこんなところでも、出合うことができるのだ。



 大晦日の夕方、なにげにスマホで初日の出の時間帯を調べてみた。GPSなどを使った関係か、自分の家からと、数キロ離れたところでも、微妙に日の出の時刻が違って表示されるのが面白かった。数秒から数十秒。うちよりも僅かに東に近いほうが日の出が早い…。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。日の出前の、空が明るくなる時間も出ているのがありがたい。だいたい六時二十二分ごろ。日の出は六時五〇分頃。実際は何秒まで出ていたが、ありがたいと思ったくせに、もう忘れてしまった。
 六時十五分に目ざましをかけて、いったん寝て、そして初日の出前の、六時三十分ごろ、家のベランダへ。空はだいぶ明るかった。曙色に地平線のあたりが染まっている、冷たい空気のなか、柔らかな色彩だ。そして南の空に月が飛び込んできた。ああそういえば大晦日の真夜中ごろ、木星と月が近づくのだと、どこかで見たなと思い出す。これも見たかった天体ショーだ。けれどもまだ月と木星は近くにあり、見ることができた。こんなに空が明るくても見えるのかと思う。そして南のそれらと東の地平線、太陽が出るあたりをむすんだ線の真ん中ぐらいに金星が見えていた。木星と金星は、おそらく今までも初日の出の頃、見えていたはずなのだ。私が気付かなかったから私には存在していなかった…。名前がないものが存在しないように。傲慢でいっているのではない。気付いて、名前と実物が結ばれ、私に見えるようになったことがうれしいのだ。今までもいつもそこにいてくれたのに。金星と木星は日の出すぎてもおぼろげだが見えていた。だんだん薄れていって。それは静かなまたたきだった。月はまだ、これを書いている今の時刻も見えているに違いない。






 さて初日の出。今年は空に雲がほとんどなかった。珍しいぐらいに快晴。家からだと西に見える富士山もきれいに見えた。こんなふうに、今年も年を越して、例年どおりに日の出を撮る。穏やかな、静かな新年。変わらないことが優しい、ということもあるのだと、ぼんやりと思う。曙色は空色にだんだん、あの木星や金星のように見えなくなる。星はそこに居続けるけれど。鳥たちがにぎやかだ。雀、ムクドリ、鴉、そしてあれは多分雁(鴨の類)。鳥たちも名前を覚えたのは比較的最近、ここ七、八年前。四十雀、ハクセキレイ。今年も名前を覚えられたらいい。つまり言葉と関係が持てたらいい。





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