Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2016-03-30

こちらとあちらの、どこですか、ここで。(府中市美術館「ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想展」)





 少し現実のほうでやっかいごとがあり、ここをあけてしまった。まだかかずらっている最中で、頭がなかなかこちらに戻れない。すぐにのしかかってきてしまう。ところで、今、こちらといったけれど、それはこうして机に向かって言葉をつらねているから。ふだんは、なぜかあちらというふうに感じている。あちら側の世界、彼岸に通じる、あるいは空の彼方…。春になり、陽射しがあると空がやさしく、それでも感じられるようになった。そんな空のことを、今ここで、書きながら思い浮かべる。思い浮かべることができるから、それはあちらとしてではなく、こちらとして、感じられるのか。こちらといっても、空の高さ、彼岸的なものに対する遠さ(というと語弊がある)は、感じているのだけれど。わたしはどこにいるのだろう。
 他にも瑣末なことがあり、美術館になかなか行けなかったが、やっと出かけてきた。去年の暮れに買った『日経おとなのOFF』に載っていた展覧会。ちなみにこの雑誌の1月号は、多分毎年、その年に開催される美術展の案内、情報一色になるので、ここ数年毎年買っている。
 つまり、こうした頭の状態になる前から、楽しみにしていたものだった。展覧会は「ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想」(二〇一六年三月十二日─四月十日(前期)、四月十二日─五月八日(後期))、場所は府中市美術館。副題に「春の江戸絵画まつり」とある。多分、ここ数年は、春になるとなにかしらの江戸の絵画に関する展覧会が開催されている。たとえば同シリーズの「動物絵画の250年」(二〇一五年)、「かわいい江戸絵画」(二〇一三年)は、わたしにとって、素敵な展覧会として印象深いもの。



 だから府中市美術館は何回か出かけている。うちから十数キロのところにあるので、最近は自転車を利用している。去年もやはり同じ時期に出かけているというのに、道に迷いそうなので、パソコンで地図をプリントした。スマホを使えばいいのだが、全体的な道が俯瞰しずらいのと、電池を食うなどの理由で、地図を片手に、というわけだ。雲は多いが概ね晴れ、春というのに、その日はまだ寒かった。桜は開花宣言して数日後。いつもなら、そろそろ桜を探してさまよう頃なのだが、今年はそんな気になれないなと、道すがら、少しだけ咲いた桜たちを見かけて、ぼんやりと思う。こんな状態で美術館にいって、絵たちが何かしら語りかけてくれるのだろうか…。いやわたしが、心をひらくことができるのかと不安になる。風が冷たい。自転車に乗りながら、ここもここも通ったことがあると、確認してゆく。さすがに道を間違う不安のほうは、薄れていた。それにしても意外と時間がかかっている。家を何時に出たのか覚えていないけれど、四、五十分ぐらい経っているのではないか。調布から府中市へ。スマホの地図アプリで出かけたときは、この道を曲がった。わけもわからず曲がり、狭い小道をくねくねと行くように指示され、どうやってたどり着いたのかいまだに見当もつかない。そうだ、その経験があるから、もはやスマホは使いたくないのだ。自分で判断すること。
 そんなふうに自転車で移動したことで、すこし頭を使った。それが良かったのかもしれない。美術館のある府中の森公園についた。美術館はこちらから行くと公園を突っ切って一番奥にあるのだが、ともかく、その公園の緑を見た時、思いがけず心がなごんでいたから。美術館に向かうとき、前回は行き方が不安だったので公園脇の一本道を使ったけれど、今回は公園を自転車で散策する気持ちで、公園中央をとおってゆくことにする。すぐに池と滝が見えた。水に出逢えて、やはり心がざわついた。噴水、そして公園内の桜並木。まだ一分咲きぐらいだが、満開にもなれば、みごとな桜の天井となるだろう。それを想像することができた。その桜並木が尽きるところに、目的の美術館が。あの角が駐輪場。もう次回から迷わないですみそうだ。



 さて展覧会。
 HPやチラシから。
 「江戸時代の絵の中には、思わず、ファンタスティックと言い表したくなる作品があります。(中略)
 それは、珍しい作品や大作に限ったことではありません。例えば、江戸時代に本当にたくさん描かれた普通の山水画を見れば、木立を包む別世界の空気や、山の中に漂う霊気が鮮やかに感じられてきます。「お決まりの画題」と思いがちな、仙人や歴史上の人物、伝説を描いた作品からも、輝くような生気と楽しさがあふれ出します。
 もちろん、江戸時代の人たちが「ファンタスティック」という言葉を使ったわけではありません。しかし、この魔法のような言葉をきっかけにすれば、当時の人たちが絵の中に見た夢や空想を、私たちも実感できるのではないでしょうか。更には、技術や画家の歴史に興味をひかれる一方で、現代人が見失いやすい「大切なもの」、つまり「絵の中で何を体験し、そこに何を感じるか」に意識を向けることもできるかもしれません。
 「ファンタスティック」は、暮らしの色々な場面にあります。空を見上げれば、それだけで地上のあれこれから切り離され、そこに浮かぶ月や雲を見つめていると不思議な気持ちになります。黄昏、夜の闇、雪景色など、別世界は身の回りに広がっています。あるいは、神や仏、歴史や伝説、江戸時代の人たちにとっての外国など、実際に見ることのできない世界もそうであることは言うまでもありません。
 (中略)この展覧会では、身の回りにあるもの、目に見えないもの、ファンタスティックと感じさせる造形のポイントといった、いくつかのテーマに沿って、作品をご覧いただきます。作品は、前期と後期を合わせて、掛軸、屏風、版画など、およそ一六〇点です。江戸時代の人たちが絵の中に見た夢や空想のさまざまをお楽しみください。」
 この文章のしめすところは、たしか入ってすぐのところ、「はじめに」といった感じで書いてあったと記憶する。細部はもちろん違うけれど。「「ファンタスティック」は暮らしの色々な場面にあります」。この言葉に、わたしはどんなにか惹かれて生きてきただろう。そう思った記憶があるから。…ちなみにこれを書いているのは、展覧会にいった翌日だ。つまり昨日。もう覚えていないのか。いや、なにやらもはや、夢のなかのような感じがするのだ。夢を思い出して書いている…。まさに夢と空想なのか。
 ところでわたしは「ファンタスティック(fantastic)」という言葉についてどう考えているのか。たしかその場で、今更ながら自問したのも覚えている。「すばらしい」という意味があるのは知っていたけれど、やはり名詞の「ファンタジー(fantasy)」を念頭においていたようだ。空想、幻想、想像力(後で調べたら、これは原語のラテン語に近い意味らしい)。空想、幻想の世界は、あの世のようなこの世だ。ここにありながら、別世界にあるもの。そして、わたしたちのすぐそばにありながら、遠いもの。わたしはいつも、それを求めていたのではなかったか。今更ながら、この展覧会に来たかった理由が、もはや入口で判明してしまう。というか、腑に落ちる。なら、ここでわたしが心をとざす理由はもはやまったくない。絵たちは、わたしにきっとやさしい。いや、そこまでは入口で思わなかったが、絵とわたしの距離感を不安に感じることはまったくなくなっていた。それはわたしがあちこちで感じていることたちであふれているはずだったから。それを教えてくれ、忘れていたことを思い出させてくれるものたちのやさしさ。
 ちなみに出かけたのは前期展。前期・後期、展示が総入れ替えというので、もともとどちらも行くつもりだったから。こうしたとき、いつもだと、後期も出かけてから書いている、あるいはまとめているような気がするが、今回は前期に行っただけの今、書いてしまっている。後期のことはまた考えよう。
 展覧会の一章は「身のまわりにある別世界」。まさに章題だけでも、わたしが必要とする、大切ななにかだ。一章のなかで、さらに小見出しのようにテーマが細分化され、まとめられている。「月」「太陽」「気象」「黄昏と夜」「花」「動物」「天空」「夢」など。どれも身近でとおいものばかり。
 最初は「月」だった。水に浮かぶ月を描いた岡本秋暉《波間月痕図》にも心惹かれたが、円山応挙《雪中月図》(絹本墨画淡彩、天明八年(一七八八年))。墨の濃淡だけで描かれた空に満月。下にわずかに雪のつもった地表、そして月のそばになぜか雪。天気雨のようなものだろうか。降る雪と満月が同時にそこにあることが不思議だったが、それがリアルなものとして心にひびいた。そのリアルさが幻想的だった。満月の明るさが、雪を照らす。あるいは雪明かりが、満月とともに夜の世界を照らす。月はそれでなくとも、わたしには身近な、そして不思議ななにかをもたらす、明るさだ。朝、というかまだ暗い深夜、バイトに出かける。それを照らす月は、十六夜から新月にかけての約半月のあいだ、なじみ深いもの。十六夜の頃は西に落ちようとする月、それから日を重ねるにつれ、月が細くなってゆくにつれ、西から南、そして新月に近い有明の月では、東に見える。実際はいつも東から西に移動しているのだけれど、なんとなく、月が見える早朝に近い深夜、それらは西から東へゆっくりと昇っていっているような気がしてしまい、その都度、微笑んでしまうのだ。日々、月が西から東へ移動している…。違うのになあと。そして月が照らしてくれる、その時間は、やはり「身のまわりにある別世界」なのだ。



 円山応挙(一七三三─一七九五年)は、府中市美術館で、ここ数年来、心ひかれる作品が多かった人物のひとり。虎や犬を描いた作品たち。こんなふうに大切な画家が増えてゆくのだろう。今回はもう一点、となりの「太陽」のコーナーに、《元旦図》(絹本墨画淡彩、江戸時代中期(十八世紀後半))があった。裃で正装した武士の後ろ姿。彼は山の向こうから出てきた初日の出を見ているようだ。おめでたい図柄なのだろうけれど、後ろ姿がどこかさびしい。ながくのびた影がそうみせるのか。描かれているのが太陽と山と彼だけだからか。淋しいけれど、どこかすがすがしい。太陽のすがたに呆然としているようでもある。そうだ、わたしも毎年、家のベランダから初日の出を眺めていたっけ。その太陽はいつも特別だ。



 そのほか、空の動き、動物たち、黄昏という狭間、日々そこにあるものたちが、空想と橋渡しをしてくれる姿たちに、どこか心を押されながら、まさしく夢ごこち、なかば夢をみているような気持ちになっていった。
 二章は「見ることができないもの」。ここでは「海の向こう」「伝説と歴史」「神仏、神聖な動物」「妖怪、妖術」と章分けされての展示。鎖国をしていた当時は、「海の向こう」も当時かろうじて交易が許されていたオランダや中国からもたらされる情報をもとに想像するものだった。そして過去である「伝説と歴史」もまた、想像をはばたかせ、それらに触れることができるものだ。そして「神仏、神聖な動物」。神聖なものを考えるとき、それは想像の媒介が必須なのではないか。「妖怪、妖術」の、謎めく自然との接し方のひとつのかたちとともに。
 「海の向こう」にあった、つるつるとしたガラス絵(江戸時代にもたらされた外国の技法。ガラスの裏に絵を描いたもの)の醸す、冷たい優しさや、異国の街を描いた司馬江漢の《西洋風俗図》に心が動いた。彼もまた、府中市美術館で親しくなった人物だが、彼のことは、後で別の作品で語ることにする。
 「神仏、神聖な動物」にあった原在中(一七五〇─一八三七年)の《飛竜図》(紙本墨画金泥、江戸中期─後期(十八世紀後半─十九世紀前半))。中国では鯉は竜門と呼ばれる滝を登ると竜になるという。登竜門。立身出世を現す画題として、鯉の滝登りはよく描かれたらしい。けれどもこの鯉はもはや竜になりつつある。頭が竜で身体が鯉。飛ぶ竜とあるが、鯉と竜のキメラ状態なのだ。絵にひかれた、というよりも、その着眼点にひかれた作品。それはまさに現実と想像のキメラ、融合の瞬間をとらえたもののようであったから。



 ほかにも吉川一渓(一七六三─一八三七年)《白狐図》(絹本着色、江戸中期─後期(十八世紀後半─十九世紀前半))などに興をもった。夜のなかの、あやしい、けれども、神聖な白い狐さま。狐火が、空からおちてきたように、ながく尾をひいている。それは白い狐さまの尾と対応しているようでもある。夜に浮かび上がったような白さもまた、神々しく感じられるのかもしれない。つむった眼なのか、下をむいているのか、そうした眼が、なにか慈悲のような許しを感じさせている。
 第三章は「ファンタスティックな造形 いくつかのポイント」。ここでは金というどこか特別な色を使った作品や、霞の幻想性、そして富士をしなやかな形としてとらえての「金、霞、しなやかな形」、「見上げる視線」というポーズをポイントとし、さらに「非日常的な色」として、先にすこし書いたガラス絵を採り上げている。ガラス絵は、絵としては、申し訳ないがあまりひかれることがなかったのだけれど、その非日常性はなんとなく想像することができた。冷たいなかの温かさ。それは遠い異国を空想すること、遠さを冷たさ、空想を温かさと、添わせて考えると、質感がいっそう、感じられるのだった。
 そして「見上げる視線」にあった、鹿の絵、岡本秋暉(一八〇七─一八六二年)《鹿渡河図》(紙本著色、江戸時代後期(十九世紀))。見上げるということは、そういえば、遠さへ思いを馳せることに通じるのだ。見上げることで、近づくこと。それは空想と近しい領域だ。月を見る時、太陽を見る時、雲を見る時、みんな見上げてはいはしまいか。見上げた視線は、どこか、だから狭間的なものを見つめる態度であるのだろう。どこか浮世ばなれした、あるいは神々しい。前置きが長くなった。この絵の鹿は、横向きに、右を頭に川を渡るところが描かれているので、胴体の下は水につかって見えない。左上に木々の枝。そして鹿は右上、つまりなにも描かれていないほうを見上げながら、川を泳いでいる。その空白になにがあるのか、見るわたしたちの想いが、そこにかぶさる。空白なので、よけいに。鹿は夢みるような表情だ。あるいはそれは、見上げていることからくるのかもしれない。夢の鹿が河を渡る。
 四章が最後で「江戸絵画の「ファンタスティック」に遊ぶ」。ここではとくに明確な区分けはなく、ただ今までの集大成的に、さまざまな「ファンタスティック」を見てみようという感じか。



 月蝕が終わった後に出現した月に竜がいた…という夢を描いた巨野泉祐(一七七四─一八三七年)《月中之竜図》、三代将軍徳川家光が見た夢、八尾の狐を描いた狩野探幽(一六〇二─一六七四年)《八尾狐図》など、他人の夢を描いたものたち、その画題に心ひかれた。夢はわたしたちが見るものだ。それは近くて遠いものである。見るということでは現実だが、それはだが、現実ではない…。しかも他人の夢が、こうして、現実に、絵として存在し、残っている…。なにか壮大な螺旋をえがくような境界に思いを馳せる。夢かうつつか、うつつか夢か。
 そして画題やモティーフがではなく、純粋に絵として特に心惹かれたのは、先にすこし触れた、司馬江漢(一七四七─一八一八年)の作品だった。銅版画や西洋画に傾倒した、蘭学者でもある人物だ。《三囲雪景図》(絹本油彩、江戸時代中期(十八世紀後半))は、隅田川添いの三囲(みめぐり)を描いたものだという。横長の紙のかなりの部分を青い隅田川が占めている。中州に雪、そして船。右側は、雪に覆われた田園風景。右側の岸には、二人の人物が幾分見上げがちに雪景を河を、眺めているようだ。彼らは後ろ姿である。
 絵はキャンバスではなく紙である。さらに油絵は自家製だ。このあくなき挑戦にも、心が残るが、それはおいておこう。そう、白さ、空白ではない、凝縮の白、としての雪。ここでは、日本画に多くみられる塗り残しで雪を表現するのではなく、白を塗り重ね、明るさや暗さを現している。曇り空のにぶいような灰色まじりの白さに、それでも明るい雪の景。そして深く青い河。
 わたしはこの絵の何に惹かれたのだろうか。この場所は普段は賑わいをみせるところだという。だが、雪がその喧騒を覆い隠し、普段とおそらくまるで違う静けさをたたえてある。そのことにたいする崇高な感覚が、右の二人の人物に感じられるからかもしれない。塗り込めた空、雪、河の、重みが静かな共鳴として伝わってくる。そうだ、雪によって、普段の景色がまるっきり別の世界になった経験はなかったか…。わたしはそのなかにいる、そしてここに。それはおごそかで、圧倒的な静寂だ。



 展覧会会場の外では、月を描いた葉書大の紙と、様々なスタンプが置いてあり、紙に自由にスタンプを押してオリジナルの絵葉書を作れるというコーナーがしつらえられていた。たのしく作ってみる。
 図録も買った。だが後期展も来る予定なので、そちらの展示の絵は極力見ないように頁をめくる。やはり生でまず最初にみたいから。
 帰り道はともかく、家に帰ってからも、やはり日常は重くのしかかってきていた。けれども、それと背中あわせに、こちらだかあちらがあるのが感じられた。花があちこちで咲いている。明るい早朝の月、まだ桜をもとめて出かけていないので、いまいち信じることができない、三分咲きぐらいの桜たち。また本も読み終えることができた。わたしはどこにいるのだろう。はざまにいられますように。
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2016-03-15

旅立つには、彼らが必要─『忘れられた巨人』、「再興第一〇〇回 院展」

 地面にはホトケノザがだいぶ小さな花畑を作っている。だがこのところ、陽射しが少なく、春がすこしだけ足踏みをしているような天気が続いている。今日も雨。
 おもに金銭的な理由で、このところ美術館に出かけていなかった。だんだんわたしのなかで何かが停滞してゆく。目からとびこむ想像世界。それは入口だ。かつては本がそうであったけれど。
 この期間、本も数冊読んだきりだ。興味深い内容ではあったけれど、想像世界へ旅立たせてくれるには、何かが足りなかった。いや、足りないのはわたしのほうなのだが。つまり、いろんなことが重なり悪循環となっている。旅立っているのかもしれないが、その足取りが鈍い。すぐに、現実に舞い戻ってしまう。ぐずついた天気のせいもあるのだろうか。
 図書館から予約していた本が入荷したと連絡が入った。百人待ち以上だったから、すっかり忘れていた。おそらく去年の四月に刊行されたとき、書評かなにかを読んで、予約したもの。もう一年近く前になる。ところでこの頃、あまり本が読めなくなっている。というか面白いと思う本と出逢うことが少ない。以前好きだった作家の本でも、読みとおすことが難しいことがあったりする。これもほとんどわたしのせいなのだろう。旅立たせてくれる本との邂逅が少ないのだ。
 だから、予約していた本も多分、今のわたしでは読みとおすことができないだろうと思い、図書館でもう一冊、保険として借りた。
 予約した本は、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』。わたしには読みやすく、なつかしい世界だった。こんなふうに物語世界へ入ることができたのだ。頁をめくるたびに、登場人物たちがいきいきと語りかけてくる…。わたしはそれを見ているだけなのだが、それは絵を見るときのそれと同じものだ。わたしのなにかが旅立ちをはじめる。
 読みやすいというのは、わたしに合った、ということもあるけれど、たぶん文章自体も彼のなかでは読みやすいほうなのではないか。アーサー王の時代の物語。息子をさがす老夫婦の旅、途中に戦士や騎士と出会い、妖精や鬼、龍も出てくる。これだけ書くと、逆にこの本の紹介としては何かをそこねてしまうかもしれない。ファンタジーを否定するつもりはないし、ファンタジーは好きだが、これは今あげたような要素があるにも関わらず、ファンタジーという枠をまたぐ小説だから。それは物語の最初から、なんとなく見え隠れしている。すこしずつ霧がはれるように、重さとして、心に浸透してゆく。人々は龍の吐く息のせいで、忘却している。それがまさしく霧のように世界を覆っているのだ。失われた記憶をもとめて、老夫婦は旅立つ。殺戮の記憶もまた忘却の淵に。そのうえに成り立つ平和とは。思い出さないほうがいいこともあるかもしれない。だが、多分思い出すべきなのだ。ラストでは多くの謎がはっきりしたのだけれど、大事なものが謎のまま終わる。これは愛情の物語なのかもしれない。たぶんアヴァロン…、あの世で、わたしたちは、ひとりなのか、それとも。そして龍が退治されたことで、世界に記憶が戻るのだが、お話はそこで終わるので、記憶が戻った後、どうなるのかはわからない。また憎しみによる復讐、戦の世界へと向かうのか…。あるいはこの謎のまま、ということがわたしたちへの問いなのかもしれないし、覚醒も忘却もまた、わたしたちに両方ともある、ということなのかもしれない。永遠の愛が存在しつつ、しないように。



 思いがけず横浜そごう美術館の「再興第一〇〇回 院展」(二〇一六年二月二十四日─三月二十七日)のチケットが二枚手に入ったので、土曜日に連れと出かけてきた。
 これは明治三十一年に岡倉天心により創立された日本美術院(院展)に端を発する院展同人らの新作、受賞作、神奈川ゆかりの作家の入選作などからなる展覧会。
 これもわたしの側の問題なのだけれど、たぶん、あまり出会いはないだろうと思って出かけた。もはやわたしの欠点といっていいのだが、どうも現代の絵に、ふるえることがほとんどないから。
 それでも、絵たちに触れるのは、今のわたしには必要なことのように思えた。そうした環境に身をおくのは。
 ほんの一か月前ぐらいに出かけた横浜。たぶん電車に乗るのも、それ以来。いかに電車に乗ってないか。一か月前よりも逆に寒いような。外は曇り。電車ごしに見える、あの大きな川はなんなのだろう。立て札の名前を確かめようと思って、いつも失敗してしまう。その川も、曇り空だったからか、雨のあとだったからか、灰色に濁っている。
 展覧会。思っていたよりも心地よかった。《不忍》(同人・手塚雄二)とある作品。一面に蓮の花托と茎。折れ曲がったものも。そこに蓮の花の気配はみじんもない。茶色い塊たちが病葉のように点在した水面があるだけ。だがそこに描かれた世界は美しい。わたしは実際に、上野の不忍池で、花托だらけの、蜂の巣のようなそれと、腐った葉がおちた水面を見たことがある。わたしはそこに美を感じることはなかった。よどんだ池、ゴミすら浮いている池。せいぜい寂しさを感じたぐらいかもしれない。だが今ここにある絵は、その景であって、それとはちがう。わたしが感じなかった美が、ここには存在している。ここから美を織りあげなければいけなかったのだと、感慨深く眺める。この画家の絵は、ちなみに出口近くにある「再興第一〇〇回院展記念 表紙絵出品一覧」にもあった。《吉実》(二〇〇七年「第九十二回展」)。ホタルのように光を放つ美しい実だったが、枯れた蓮の絵と、同じ画家だと知り、妙に納得した。
 そして《海霧》(同人・清水達三)。こちらは解説をみたけれど、どこの海だか忘れてしまった。海に霧がむせぶ、明け方。世界はしんじられないぐらいにオレンジ色に染まっている。日の出から十五分ぐらいたった頃か。水平線と雲のすこし上に明るい太陽。海に岩と漁船。太陽が海に明るい道を作っている。
 どこの海だったのか。あまり解説を読みたくなかったのだ。多くは画家自身の言葉で、それがどうも、逆に絵に対して、みる眼に先入観をもってしまうようで。
 けれども、この絵はわたしにとってリアルだった。海の匂いがつたわってくるようで、太陽がまぶしかった。日の出からすぐの太陽も、直視するにはまぶしいことをわたしは知っている。そして海霧のひんやりとした空気とにじんだような世界。わたしは海霧は実はみたことがないかもしれない、けれど、この絵のような海を見たことがある…。それがリアルということだった。それが画家の目を通して、わたしに伝わったということなのか。 霧の湿った空気とひんやりとした朝のまぶしさが心地よかった。
 先にもふれたが、出口付近に表紙絵出品一覧があった。これは小さな絵たちで、院展の図録の表紙絵たちとのこと。第四〇回(一九五五年)から第九十九回展(二〇一四年)までのものがあった。そのなかに、好きな奥村土牛の作品があったのがうれしかった。《向日葵》(一九七五年・第六十回展)。優しく力強い、まぶしい向日葵。
 帰りは二子玉川で食事をして帰った。おいしくなかったので省略。だがこうした経験も必要なのだと思う。
 帰ってから、『忘れられた巨人』を読了。さて、わたしの旅はどうなるのか。
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2016-03-05

景色と名前の、写真と眼差しの狭間で、春を感じる



 先日、梅祭りをやっている、都内のちょっとした公園に出かけてきた。そこはわたしが生まれた場所でもある……と、先回りして書いてしまうけれど帰り際に気付いた。駅に向かう途中、産婦人科を目にして。○○産婦人科。ああ、そうだ、わたしはこの病院ではないけれど、この近くの病院で、生まれたんだっけ。そのころ住んでいたのは、この隣駅。わたしが、梅が好きなのは、そうした記憶も、どこかですりこまれているのだろうかと、ちらっと思う。
 名前を明かしてしまうと、そこは梅が丘という。梅を名に持つ土地。いや、たぶん関係なく、梅は好きなんだろうけれど、関係性があったとしたら、それはそれでうれしいような気がした。すきな梅に、わたしがそうして近づいてゆくようで。
 梅の花を好きなのは、春、桜に先駆けて咲くから。冬が苦手なわたしに、それは救いの手をさしのべてくれる先鋒として、感じられる。わたしにとって、春の訪れを告げてくれる大切な花のひとつだから。





 名前を明かしてしまったから、さらに。出かけたのは羽根木公園のせたがや梅まつり。梅祭り会場は、出店やイベントなどもあり混んでいた。いいことだと思う。
 そういえば、梅祭りは総じて、混んでいたとしても、桜のような狂乱的な賑わいになることがない。ここでも、飲み食いしている人も多いけれど、概ね静かだ。飲み食いをしている丘の上と別に、園内には梅を見学する小道があるのだけれど、そこでも、静かに散策してまわっている。スマホを向けたり、梅とともにカメラに収まったり。
 俳句の投句イベントも毎年おこなわれていて、去年の優秀者の作品が掲示板に載っていた。連れがいたので、あまり作品たちをゆっくりみれなかったけれど、梅の中で、それらを読むのはここちよかった。すうっと、作品世界と、現実に咲いている梅の、その狭間のどこかに、はいってゆける、ひきこまれてゆくような。
 ところで園内。二月末の段階でほぼ満開。すこし向こうを見ると、連なって沢山咲いているように見えるのだけれど、近くにくるとそうでもない。梅林という感じがしない、林というより、一本一本単独に花開いている感じ。逃げ水のようだと思う。なんども多分そうなのだろうなと思いながら、沢山咲いてみえるところへ向かってみる。梅は桜よりも一本あたりに咲いている花の数が少ないのかもしれない。
 けれども、ここ羽根木公園とは別にほぼ毎年でかけている梅林がある。埼玉の越生梅林だ。こちらは植わっている梅の本数が圧倒的に多いので、なんとなく同じ梅(羽根木には白加賀を始め、多くの種類の梅があるが、越生のメインは多分白加賀)でも、越生では、逃げ水をおいかける感じがしない。たちどまって、梅を感じることができる。匂いのなか、林を感じる。白梅が低い雲か霧のようにあたりをつつんで。一本一本が繊細に主張しながら、けれども林をなしている…。そんな感じなのだ。
 越生梅林は、ほんのわずかだが、北になるからか、標高が高くなるからだろうか。うちの近くよりもすこし満開になる時期がおそい。例年三月になってからだ。今年は行けるだろうか。
 せたがや梅祭りに戻ろう。おみやげものなどを売っている店を見て回った。梅干しも売っていたが、すきなのは、田舎梅干し系の塩分たっぷりのしょっぱいもの。残念ながら売っていないので、買わない。連れが梅マドレーヌ、梅パイを買ってくれた。そういえばまた越生に話がいってしまうが、あちらでは田舎梅干し的なしょっぱい梅干しが売っているので(そうでないものもあったはず)、いつも買って帰るのだった。身体に毒なのかもしれないが、あの塩の感じが好きなのだ。
 梅祭りに出かけたのは二月末だった。そうこうしているうちに三月に。三月に入ったら急に春らしくなった感じがしたが、気のせいだろう。その前から梅だって咲いていたし、陽射しもだいぶ明るくなっていたはずだ。そう、梅祭りの二日後、まだ二月だったが、家の近くの川沿いで、河津桜を見た。一本だけ、なぜか植わっている。毎年、時期になるとどうかしらと様子をみにゆく。木には伊豆から贈られた河津桜とちゃんと書いてある。普段あまり通らないところなので、咲いているのを見て驚く。咲いているだろうなと思って行ったのにもかかわらず、視界に飛び込んでくると、なにかしんじられないような感触があるのだ。それはあまりに唐突に色彩を放っているから。枝だけだったものが濃い桃色に。そこだけ、染め抜いたような鮮やかな春の色彩が忽然とあらわれる。そのことに、突然の春を突き付けられるようで、それがうれしい驚きになるのだった。





 それも春だ、そして二月だ。そうだ、もうこの花を見たら、この色を見たら、春を信じていいのではないか? そうも思ったものだった。忘れていた、今書いていて思いだした。二月のわたしはまだ春をどうも信じきれないのだ。三月に入り、啓蟄ぐらいにならないと。だが、もうあの河津桜、満開の梅たち、やわらかな日差し、それらで春を信じても良いのではないか…。冬が苦手、といってもそれでも以前よりはだいぶその意識も薄れてきたが、やはり苦手であることには変わりがない。だから春の到来が待ち遠しい。それゆえに少しばかり春に対して臆病になってしまうのだ。春はもう来てくれたのだろうかと。
 そうして、たとえば三月一日。早朝バイトから帰ってきて、駐輪場に自転車を停めようとしたら、植え込みにホトケノザが咲いているのを発見した。ホトケノザも、わたしのなかでは、梅のような春告花だ。春が来たと教えてくれる大切な花。
 スマホで写真を撮ろうと思ったのだが、なかなかうまくいかない。自分の影が邪魔になったり、逆光気味になったり、古い立て札やゴミが気になったり。目というのは、自分に必要なものしか見ないのだろう。目で見たホトケノザは、とてもかわいらしく、美しく、小さな花を鈴のようにつけて、けなげに咲いている。まわりの要素、ゴミなどはわたしの目には、ほとんど映っていない。ファインダーごしに覗いて、はじめて気付く…。だがそのファインダーごしのものも、じかに見たホトケノザも、両方とも現実だし、必要なのだ。と、いまさらながら思った。以前は、写真で撮ると、自分で見たものと違うからと、敬遠すらしていたのに。写真に撮ることにかまけすぎて、大事な出逢いの瞬間がおろそかになってしまうのでは…とも思っていた。だから写真撮影は長いこと苦手だった。ようやくだ。ようやく、両方必要なのだと気付くことができた。写真で撮ること、目で見つめること。その違いの狭間に、きっと何かが横たわっている。
 ホトケノザを撮ろうと、すこしだけ場所を移動した。ようやく影が邪魔にならない、ゴミなどもあまり写らないところを見つけた。だが肝心のホトケノザ自体もだいぶ少なくなってしまっている。その分、かわりに、といったことでもないのだろうけれど、ホトケノザと一緒にヒメオドリコソウが咲いているのを見つけた。ホトケノザと同じような色だが幾分薄い、といっても河津桜ぐらいの桃色で咲いている。ヒメオドリコソウは、もうすこし春がすすんでから咲く花だと思っていたので、すこし驚く。それはうれしい驚きだった。写真は一枚しか撮らなかった。さて、どんなふうに撮れているだろうか。

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