Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2016-04-25

黒い雲を竜(龍)が。なでることでどれもがいとしい。(府中市美術館「ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想展」後期展)



 「ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想」(二〇一六年三月十二日─四月十日(前期)、四月十二日─五月八日(後期)、府中市美術館)の後期展に行った。前期展に引き続き、また自転車で。
 前期展から三週間ぐらいたったのだろうか。三月の終わりから四月下旬へ。この間に、桜が咲き、また桜はほとんど木になった。緑の葉をつけだして。前期展にいったときは風もつめたかったような気がする。今回の後期展は、ひさしぶりの晴れで、自転車をこいでいると、すこし汗ばむぐらい。前回つかった地図をつかって。でももうさすがに、ほとんど迷わない。地図をみたのは、だいぶ美術館が近づいたとき、一回だけだ。もしかすると、今度来るときは地図がなくとも大丈夫かもしれない。もっとも、実は家の近くで、多分この道を通っても、行けるだろうと、はじめての道を通って、見事に間違えたのだけれど。方向音痴で、方角がわからないためだ。実感する。たとえば北北西をすすんでいるつもりが斜めになっていて、北西になり、しらないうちに西になってしまって…。たぶんそんな感じで、気付いたら九十度ちがう道を進んでいた。地図がよめない、方向音痴の人は、店などで道を覚えるそうだ。店や家、まわりの建物で。わたしもまわりの建物がちがうので、おかしいと気付いたので、なるほどなと思った。どうしたら知っている道(しっている建物たちが並んでいる場所)に戻れるのか解らなかったから、もときた道を引き返した。間違えた地点まで。そうして見なれた建物たち、お寺やお店などを見つけて安心する。まあ、仕方ない。いままでそれで、ずっとやってきたんだから。あとはつつがなく。大型スーパーや駅を通り過ぎ、角をまがるとすぐに郵便局。車の少ない、旧甲州街道だ。あとはしばらくこの道をゆけばいい。みなれた店や、家たち。
 ところで家から美術館まで、前回は時間を計らなかったが今回は計ってみた。一時間弱。意外とかかっている。距離は十五キロぐらい。往復だと倍か。朝はいつもどおり仕事しているから、どうりでちょっと疲れるはずだ。
 東府中駅東という、東がちょっと多いなあと名前が気にかかる交差点をまがって、しばらくすると府中の森へ。この中に美術館がある。



 ここにきて、はじめて、景観的に、季節の違いを実感する。それまで温度や陽射しでは感じていたのだが、市街地、商店街などを通ってきていたので、違いが見えにくかったのだ。府中の森。木々の緑が圧倒的にはなやいでいた。晴れていることもあったかもしれないが、新緑の色がまぶしい。前回来た時は、まだ大部分、冬木立の面持ちを残していた。すこしだけ木の芽が芽生えて。花たちがそっと咲いて。それが、あたりは、まったくの春、やさしいいきいきとした色合いで、そこにあったので、驚いたのだ。季節はこんなにも変わるのだ。前回きたときは桜がまだ咲き始めだったが、もはや桜の木。だが、府中の森全体が、こんなにも明るく華やいでいるなんて。芝生のある丘付近には、鯉のぼり。春というより初夏なのか。そしてやっと美術館に到着。ファンタスティックだ。



 後期と前期で総入れ替え。実は、今回、なぜか前回ほど興奮しなかった。わたしの問題なのか。前期の方が惹かれる作品が多かったのかもしれない。前期でもう、ファンタスティックについて、ひととおり、感じてしまったのだろうか。ほとんど目新しさを感じることがなかった。それともほかに気にかかっていることがあるからか。いや、前回きたときのほうが、そうだったではないか…。
 もしかすると、こんなふうに書くことで、それがすこしはうすれるかもしれない、そんなふうに会場で、ぼんやりと思う。それが記憶の改ざんなのか、体験の掘り起こしになるのかわからない。おそらく両方。感じたことを言葉にすることで、誤差や温度差があったとしてもなにかが生まれる。現実と写真の違いのような差があったとしても。そのはざまに。
 展覧会、一章の「身のまわりにある別世界」で、数点、それでもひかれたものがあった。さきほどみた府中の森をほうふつとさせてくれる絵たち。木々に花。そしていつかみた海。一章の中の、「動物」にあった岡本秋暉(一八〇七─一八六二年)《日々歓喜図》(絹本著色、江戸時代後期(十九世紀前半)、府中市美術館寄託)。題名からはわかりにくいが、波の上をあまたの蝶が渡っている。波の上を群れる白い蝶たち。波に呼応するように、波に逆らうように、列をなして。あの世とこの世を往還するかのような、とすぐに思ってしまうけれど、この絵は謎だ。題名も、どうした意図でつけられたのか不明らしい。海峡をわたる蝶に、どうしてこんなに惹かれるのか。それは、橋渡しをしてくれそうな、未知への憧れ、そして恐怖を含んで、やまないからかもしれない。蝶への伝言。蝶はまたわたしたちの魂でもある。あこがれて、ふわふわと。はかなくも。
 日々、歓喜して、というイメージは、実はこの絵からはあまり感じられなかった。ただ憧れとして、やさしかった。



 そしてこのところ気にかかる司馬江漢(一七四七?─一八一八年)の何点か。一章の中の「天空を考える」に、地動説に関する学術的な銅版画が展示されているのもすこし驚く。《色絵軽気球図皿》は原画が司馬江漢のものだという。一八七三年に軽気球がパリで初めて人を乗せての飛行に成功、その数年後一七八七年にはもう日本ではそのことが紹介されていたという。鎖国をしていたことを考えると、かなり早く伝わったのではないか。空を飛ぶことへの憧れの強さを想う。一七九三年に漂流した漁民がロシアで軽気球を目撃、その話が蘭学者の手によって書きとめられている。司馬江漢が描いたのは一七九七年。この皿にはさほど心惹かれなかったが、二章「見ることができないもの」内の「海の向こう」の彼の水墨画。《異国風景図》(紙本墨画、十八世紀後半)。縦長で、前景下側が此岸といった感じで崖に松などこれまでの伝統的な水墨画のように描かれているのだが、水を挟んで、向こう側に、煙突などのある西洋家屋が数軒立ち並んでいる。対岸にいたるまでの水面には、小さな舟に棹さす人。彼が夢の橋渡しをしてくれる人のようでもある。こちらから見果てぬ世界へ思いを馳せる、それがほとんど決意として描かれてあるように感じられた。
 そして。前回は最後の四章「江戸絵画の「ファンタスティック」に遊ぶ」にあった《三囲雪景図》が特に印象深かった…のだと、それがあったであろう場所に後期展で飾られていた司馬江漢の別の作品をみてしみじみ思った。同じぐらいの大きさで…、なのに後期のそれにはほとんどわたしのなかで反応がない。どんなに《三囲雪景図》がさびしく遠さがしみたことか…。
 けれどもこの近くにあった、《オランダ馬図》(絹本油彩、江戸時代中期(十八世紀後半)、府中市美術館寄託)。こちらは前期のとき、逆にほとんど印象が残らなかったものだったはずだ。あとで図録で確認して、はじめて何があったか気付いたほど。ともかく馬と手綱をもった人物が枯れ木の元、水辺にいる。馬は横向き、人物は馬の後ろから、こちらを見ている。遠景に山と煙突のある民家。あとは青い空…のはずだが、残念ながら特に空の部分が痛んで茶色いシミのような汚れがめだつ。馬も人物も水にまで広がっているのだけれど。この汚れは絵を損ねているだろう。けれども、この汚れのため、絵がことさら愛しく見える。それは時間が経ったということもあるかもしれない。長い時間を経て、今ここにあるということを、汚れもまた示しているのだと。いや、なにも汚れのために、この絵に惹かれたわけではないのだ。西洋の銅版画をもとに描いたらしいが、馬は西洋の馬に、どこか日本の馬が入っている。足が短いのだ。横向きの馬の眼はあいらしいかもしれないがどこか哀しい。そしてこちらをむく人物はどうして寂寥感に満ちて見えてしまうのだろう。馬も人も独りだからか。あるいは異国を想うことはどこか淋しいことなのかもしれない。



 司馬江漢についてはここまで。最後に葛飾北斎(一七六〇─一八四九年)。前期展では残念ながら出品がなく、後期展だけ。けれども何があるのかは知っていた。後期展で実物をみるまでは、なるべく眼にいれないようにしていたが図録にあったし、それにミュージアムショップに出品作品として絵葉書が売っていたから。《富士越竜図》(紙本墨画、江戸時代後期(十九世紀前半)、個人蔵)。図録にはそんなふうにあったが、おそらく一八四九年頃。最晩年の作品に近いと思う。山麓に立ち込める黒い雲が富士をぐるりと蛇のようにとりかこみ、立ち上る、その先、空に上昇する竜がいる。わたしはこの絵を、やはり《富士越龍》、信州小布施の北斎館で見たそれだと思ったのだが、なにか違う。構図もほとんど同じだと思うし、並べたわけではないから、その場ではなんとなくしか違いがわからない。いや最初は違和感はあったが、同じ絵だとすら思った。だがこちら。大きな違いは左上に賛があること。佐久間象山筆。北斎と同時代だが、歴史上の人物という勝手なイメージがあったので、二人の接点をこうして見れたことにもすこし驚いた。北斎を信州に呼んだ高井鴻山が佐久間象山と交流があったらしいので、その縁なのだろうか。賛の大意は、「海から現れた竜が富士を昇ってゆく、激しい雨にみなじっとしているが、晴れたらあとかたもない」。北斎館で見たものは、絶筆に近い晩年の画ということもあり、昇ってゆく龍に北斎を重ねてみたものだった。今回もそれもあるが、海はないけれど、どこか賛のせいか海を感じた。あるいは前方の岩肌が、海に似て見えたのだ。あらあらしい波ではない、しずかな波がしらのように見えたのだ。そしてそんなふうに見えるなと思うと、こんどは黒い雲、富士にまきつくそれが、富士の一部をなしているように見えてくる。富士の濃い部分のように。間違えているかもしれないが、なにか、それぞれ、べつの姿をやどしているように感じたのだ。黒い雲が竜の一部でありつつ、山の一部であることで、たがいを結びつけている。あるいはどれもこれもが接点をとおして繋がっている…。岩が海のように見えるのは、岩がきっと水を含んでいるからなのだ……。なぜなら雲が海から現れたものだから。そして変わらず静かな富士がある。北斎の描きたかったものたちの凝縮のように感じられもした。そしてこの繋がりこそが、愛しいのだと、漠然と思う。それはどちらの言葉であったか。たぶんほとんどがわたし。だが北斎もきっと、これらを愛しく想っていたはずだ、だからこそ、竜の起した雲は、富士にまきついているのではなかったか。



 家に帰って、北斎館でみた《富士越龍》と今回の《富士越竜図》を見比べてみる。《富士越龍》の雲のほうが濃いかもしれない。岩肌がより岩肌っぽいかもしれない。あえていうなら。そしてもちろん、賛がない。じつは今回の絵は、いまいち来歴がわからない。ほかにもこのたぐいの絵はあるのだろうか。それも不明だ。けれどもともかく、見れてよかった。北斎館で見た《富士越龍》は大好きな作品だったから。いや、富士を越す、北斎の描いた龍(竜)が好きなのだ。
 帰り道はどうしただろうか。実は出かけてからすこし日が経っているので、印象が希薄だ。今、思い浮かぶのは北斎の竜(龍)ばかり。竜が雲を思念のように、あるいは追慕や郷愁、憧憬などを含んだ大きな手として、いっさいがっさいを撫でて、どこかへ昇ってゆく、離れてゆく。撫でては離れ、離れてはまた近づいて。異国もまたそこに、あそこに。
 そうだ、帰りに府中の森で、十二単の花を見たのだった。紫を重ねたような、けれども十二単というほどは派手ではない、やさしい花たち。かつて、数年前にこの美術館に来たときも、やはりこの花を見たのだっけ。記憶たちが重なり合う。黒い雲ではないけれど、そろそろ夕闇がはじまるころに。

23:05:27 - umikyon - No comments

2016-04-05

桜の森の曇り空のもとで ─今年の桜、ガレの庭



 三月の終わりぐらいから、これを書いている四月三日にかけて、桜が満開になった。この時期は毎年、狂ったように近くの川沿いの桜を眺めに行く。今年も出かけたが、心が桜によって持ち上げられるような、あの気もそぞろな、しずかな狂乱を感じることが足りない。それはわたしが現実にかかずらっているからだ。瑣末なことだと思う。桜を前にして、季節を前にして。だがどうも現実のある部分に、足かせでもされたようにつながれている感じがする。これではいけない。また詩集なども読めなくなっている。せめて小説を。詩が読めない頭のとき、小説はたいせつな友人となる。世界を感じさせてくれる、足かせを解いてくれる。けれども小説を読む気力もやはりなかったので、数日はそこからも離れていた。昨日、やっと図書館にいった。それはそれでもあの川へ、桜をみにいった帰りだったのだけれど。



 順を追うと、昨日はわたしにとって、休みの前日だった。早朝バイトを終えたあとから今日までは休みになる。だから、バイトが終わった午前中、買い物をしてから川へ桜を観に行った。ハレの感覚。すこしは浮きあがる気分になっていたのかもしれない。足かせはついたままだったかもしれない、だが、このまま家に帰ることを考えるのは怖かった。そこには足かせ以外に残されたものはなにもないから。
 曇り空だった。ここ数日、曇りが続いているような気がする。気が晴れないのはそのせいもあるかもしれない。わたしの心のなかにまで雲がはいりこんできている。陽がささない…。こんなふうに書くと、それでもやはり景たちは、わたしに近しいのだと、ふとなごむ。わたしもまた彼らによって生かされているのだ。
 それは土曜日だった。わたしにとってはまさに半ドン…、なつかしい響きだろうか。いつもはたいてい平日に川へ桜をみにゆくので、人の多さはそれほどでもなかったが、土曜日ということで結構人が多かった。それも理由だったか。いや、そうではないだろう。
 桜をまえにして、わたしはどんなことを思っただろうか、思わなかっただろうか。今、こうして机のまえで、思いだそうとするのだけれど、なにかがすこしだけそれをさまたげている。川沿いに植えられた桜。川は三面コンクリート護岸されている、すこし悲しげにみえる川だ。それは息苦しそうにみえてしまう。水は存外澄んでいるが、下水の臭いもたまにする。
 最近、仕事でその岸沿いを通ったが、冬枯れの枝が桜であったことをほとんど忘れていた。それよりも意外と水鳥たちが多いことに眼がいった。小さな鴨のたぐい。その川、その川沿いの景が桜の咲くときは姿を一変させる。川に映った桜、川を両岸から覆う桜、桜のアーチが向こうまで連なり、川は四面が桜になる。



 この桜の時期の、劇的な変化に、たぶん例年ほどではなかったにせよ、心がさわいだはずなのだ。橋の上では桜を背景に写真をとる人たち、桜だけをとる人たちで、いっぱいだ。彼らと桜をともに眺めたいとも思ったが、なぜか二の足を踏んでしまう。たぶんわたしが桜にたいして、ひいているからだ。それでも、川のまわりを、二周、三周ぐらいした。桜たちはみごとに咲ききっている。ホームセンターが橋のむこうにあるので、そちらへ買い物にゆく。敷地内屋外は駐車場、レンガ、ガーデニング関連のものが売られている。つまり植物たち。桜もまた売られているような錯覚。小さな鉢植えの木蓮のむこうに桜、肥料や土の袋のむこうに桜。ホームセンターは普段通りの営業なのだろうが、もはやこちらもお祭り状態にみえてしまう。そのことにすこしほほえむ。
 そのあと、さらに近くの湧水池のほうへ。こちらに向かう途中も、今度は川ではなく、道沿いに桜並木がある。横目にみながら、池へ。池は崖下にあるのだが、崖の上に桜並木の桜がみえる。だがすこし身体がつかれていたので、崖上に行こうとまでは思えない。ただ湧水池ちかくで、ああ山に咲く桜のようだなと、みあげてぼんやりと思う。人がはいれないようにロープで柵がしてあるところの奥にムラサキケマンの花たち。柵の手前にヒメオドリコソウ。ムラサキケマンも好きな花だ。池のちかくにヒメシャガの白い花。紫、白、そして桜色。柳が若草色にそよいでいる。色どりがやさしく、たくさんだ。
 この池もやはり晴れたときがいい。木漏れ日たちが池のまわりでさわぐ、地面や水面が呼応する、この温かな緊張感がおもいだされる。今日は曇り。そういえば鯉はどこにいったのだろう。みえない場所で休んでいるのか。
 あまり桜たちとの逢瀬に時間をかけていないつもりだったが、それでも二時間近く外にいたらしい。バイト帰りだし、なるほど疲れもするだろう。もはやかなりしんどかったが、最後に先に書いた図書室へ。上下巻のうち、上だけを借りる。上下そろって借りたいところだったが、分厚い小説だったので、二週間で二冊読めるか心配だったから。
 以前、詩人の友人がこの作者を勧めてくれたことがあった。今のわたしが読めるか不安だったが、帰ってきてなんとか頁をひらき、読み進めることができた。歴史を扱っているが、きびきびとした文体のなかで、詩的なことばがひかる。歴史と言う現実と想像世界がみごとに融合している。いまの自分がはずかしくなるほどに。けれども、おかげでこうして机にむかうための後押しをしてくれた。あるいは桜と向かい合うための。桜との邂逅もまた、言葉をつうじて、よりいっそう、ひきだされるから。そういえば、今日は少し風邪気味だ。そのせいもあるだろうか。外は曇り、雨もよい。わたしの心もまた…。

 実はまだ桜があまり咲いていない頃、都心へ出かける用事があったので、ずいぶん前に前売りを買っていた─もしかすると去年かもしれない─「ガレの庭」(二〇一六年一月十六日─四月十二日)展に行った。場所は目黒(白金台)の庭園記念美術館。わたしはこの美術館が好きだ。そして、この美術館の隣にある、国立自然教育園が好きだ、好きだった。もう、こちらは本当にずいぶん前になってしまう─二十年ぐらい─この近くに住んでいたことがあり、そのときによく自転車で来ていたものだった。まだ桜はほんの少し。園内に入る時間はなかったが、園の外に、正確には敷地外なのだろうが、見事な桜の木がある。またこの木を見ることが、しかも桜の頃に来ることができるとは思わなかった。年たけてまた越ゆべきと思いきやだ。
 どうも話がとんでしまう。庭園記念美術館は旧浅香宮邸で、私の好きなルネ・ラリックも内装に携わっている。正面玄関ガラスレリーフとシャンデリアなど。展覧会の紹介にもあるが、この同時代に生きた二人(ガレは一八四六年生まれ、ラリックは一八六〇年生まれ)の作品を同時にみること、ラリックの作品とともにガレの作品をみることに興味をひかれた。そしておそらくガレの作品が飾られた往時の雰囲気が味わえるのではないかと思ったのだ。人々の生活のなかで使われた贅沢な調度品。
 けれども、一方でガレのガラス作品たちには、もう食傷気味になっている自分もいた。今までずいぶんたくさん彼の展覧会にいった。装飾過多なアールヌーヴォー。これはわたしの側の問題なのだが、このごろ江戸期の絵画などに比重が傾いていることもあり、前売りを買ったはいいが、出かけるのに二の足を踏んでいた。だから一月から四月までと、長い会期にも関わらず、会期終了近くまで行かなかったのだった。
 そのせいで、いつもなら持って帰るのが楽しみなチラシも、もはやない状態だった。出品目録もない。もっと早くくればよかったか。ちなみに、展覧会カタログや絵葉書も買わなかったので、今回は個々の作品については書かない。
 けれども、出かけてよかった。アール・デコの館で、アール・ヌーヴォー期の作品たちを見られる贅沢。
 そして、展覧会のサブタイトルが「花々と声なきものたちの言葉」なのだが、そのたとえば花たちや虫たちの醸す自然への繊細な眼差しが、作品をとおして見えたことで、わたしは彼をどうして好きだったのか、あらためて思いだすことができたのだった。
 展覧会HPに、こうも書いてある。
 「ヨーロッパの十九世紀末を彩る装飾様式「アール・ヌーヴォー」。その立役者の一人であるエミール・ガレ(一八四六─一九〇四4)は、花や昆虫など自然をモチーフとした作風で知られ、陶芸・ガラス・木工家具の三分野で活躍し、一八八九年と一九〇〇年のパリ万国博覧会でグランプリの栄誉に輝いたアーティストでした。彼は、自然の描写を通して抽象的な概念を表現することで、ガラスや木工家具を単なる装飾ではなく、哲学的な世界観を表す芸術作品へと昇華させたのです。
 その背景にあったのは、植物学への情熱でした。彼は二五〇〇〜三〇〇〇0種の植物を育てていた広大な庭や豊かな自然の中で、つぶさに植物を観察して論文を書き、種の進化やライフサイクルに強い関心を寄せていました。本展では、「もっとよく植物を観察せよ!」というガレの気迫を伝えるデザイン画(オルセー美術館所蔵)とともに、植物に魅せられた一人の男がその生命や象徴性を追究した表現として、ガレの作品を紹介します。」
 ガレが植物を愛していたこと。それがわたしの琴線に響いていたのだった。ナスをかたどった作品や、夕景に暗い影としてうかびあがる紫陽花、浮かび上がる葉脈が生を伝える作品など。そしておおざっぱな言い方をしてしまうと、彼がジャポニズムに興味をもった理由がおぼろげながらわかったような気がした。植物たち、虫たちを、生き生きとした姿で描いている、ある種の尊敬をもって、描いたり、造られた日本のそれらは、彼にとって、啓示にちかいものではなかったのか。それはわたしが植物を大切に想っていることとも重なる態度だった。こんなふうに繋がることができるのだ。こんなふうに彼らと。



 桜とまた向き合えるだろうか。まだ多分、散るまでに数日はあるだろう。ムラサキケマン、カラスノエンドウ、スミレ、ハハコグサ、コオニビタラコ、もうフキノトウでとうになくなった蕗の花、ひさしぶりにその花をみることができたサギゴケの薄紫の地面にへばりついたような愛らしさ。世界は今、花で満ちている。その花のなかで、短い命で君臨するように咲いている、あのソメイヨシノに。ガレの庭から風が吹いている。おおむねの温かさ。だが明日もまた曇り空か雨もよいの予報。はやく晴れてくれればいい。



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