Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2016-07-25

蓮の時間のまわりで、花が夢をみせてくれて



 埼玉県行田市の古代蓮の里に行ってきた。何年か前にその存在を知り、毎年というわけではないが、出かけている。開花時期は六月下旬〜八月上旬。古代蓮の里は公園として整備されている。そのすぐ近くで公共施設建設工事をしようと掘削した場所に水がたまって池となったところに、長らく眠っていた蓮の実が目覚め、開花したものを、移植したのがはじまりだとあった。およそ千四百年前から三千年前の実。このあたりは二千年ほど前は水生植物の茂る湿地帯だったとあるから、そのころかもしれない。いまでもまわりは田んぼだらけだ。水をふくんだ稲が育っている。
 蓮の花は朝早くから花を開かせ、午前八時位にめいいっぱい開くという。昼ごろ閉じるので、開花を見るのなら午前中、そして朝七時から九時位が見ごろだそうだ。
 だから売店なども七時から営業している。みんな早起きだ。
 早朝バイトのない日曜日、朝六時半に出発した。車だ。眠かったし、疲れはどこかに残っていたが、病的なだるさはない。いい傾向だ。真夏日になりそうな陽射しが、もはや気配をしのばせている。空があかるい。
 ほんとうはもうすこし早く家を出たかったのだけれど、しかたない。休みというのは、ぐだぐだしたい日でもある。早く起きなくていいのが休みだという面もあるから。
 それでも、会場には、八時十五分ごろについた。ぎりぎり見ごろに間に合った感じ。



 わたしにとって、蓮をみにいきたくなる理屈はいろいろあるかもしれない。泥から生え、水面に花を出す、清濁あわせもった花であるとか、たんに水が好きだから、水辺の花にひかれるのだとか。
 けれども、それらはどうもあとづけというか、なにかすこし理由としてそぐわない気がする。それでも若冲の《蓮池図》もまた思い出してしまうのだ。ひとの一生のように蕾、満開、そして枯れてゆく姿を屏風に描いた作品。
 そのことを、蓮の咲いている池についてから、思い出す。眼の前に花が咲いている。蕾があり、花びらが落ち、種のつまった花托となっている姿のもの、これらを同時に見ることができる。枯れた葉とともに。そうして花たちの一生が思い起こされる……。だが、そこでこの花たちの来歴をまた思い出すのだ。行田古代蓮。千年以上前の種から花を咲かせた…。この花たちの生は長いのだ。あるいはわたしたちの考えの思いも及ばない時間を生きているのかもしれない。彼らには彼らの生の時間があるのだ。
 ぱっとみて、以前来た時よりも、満開という感じがしなかったけれども、蓮の葉の数多に圧倒され、あまりそれを感じることがなかった。園内は古代蓮の池、水生植物園、水鳥の池などに分かれているが、どれも蓮でいっぱいなので、分かれ目がいまいち不鮮明。ただ蓮の池をめぐる細い道を際まで生える蓮たちのなか、歩いているだけだから。それでもたぶん古代蓮の池はあまり花が目立たなかっただろう。こちらが見ごろを迎えています、と園内の方の案内する声がきこえていた。そちらのほうへ行く。おそらく水生植物園が見ごろだったのだろう。睡蓮やミズカンナ、コウホネなども近くで咲いていたから。なるほどさきほどよりも花が多い。大きな花たち。そして真夏の日差し。わたしはこの花や葉に囲まれる感触が好きなのかもしれないと気付く。一面の花。梅林、ラベンダーにひまわり、彼岸花。わたしたちの生が彼らの生と接するように思えるのかもしれない。
 駐車場はいっぱいだったから、だいぶ離れた無料駐車場へ停めた。ほかの観光施設なら、こんなに離れていてもお金をとっただろうなと思いつつ。いや、それほど朝もけっこう早い時間なのに人がいた、といいたかったのだ。なのに蓮池では、それほど人が気にならない。そういえば花を見に行くとき、あまりほかの人が気にならない。かれらの多くは静かに花を見ているから。おなじ花たちをみているということで、かれらとも接しているのかもしれない。いや、花たちに囲まれて、わたしたちはほとんど無言になる。花の声をきくみたいに。



 ミズカンナはここで花の名前を知った。紫がかった、カンナによく似た花だ。コウホネは漢字で書くと河骨。どこか不吉な名前に惹かれ、中学生の頃から気になっていた花だ。黄色い小さな花を咲かせる。名前は根が骨に似ているからついたものだが、花のかわいらしさに、そのギャップにいつもどこか微笑むような温かさを感じてしまう。そして睡蓮。わたしはこの花も、いやこの花のほうが蓮よりも前から好きだった。たぶんモネの《睡蓮》と出逢ってからだろう。いや、それ以前か。園芸の本などをみて、睡蓮を栽培しようかと思ったのはもっと前だった気もする。庭がないしベランダも水まわりが心配だったから断念したのだが、育てることを考えるだけで楽しんでいたところがあった、あれはいつだったのか。花のまわりで記憶たちがからまってほぐれないでいる。それをどこかひとごとのようにみつめるわたしが、睡蓮の花をみるわたしのなかにいる。



 蓮池たちをもう一度みて回ったあと、出入口近く、売店のあるほうへいって朝食兼昼食をとった。行田名物のゼリーフライもいただく。近くには、世界の蓮を植えた花壇のような長方形の蓮池があり、出店やショーなどを見せる特設会場もあり、まさにお祭りといった雰囲気。売店で以前買っておいしかった奈良漬と枝豆を買う。花托のドライフラワーもほしいと思ったが、うちに置くには、すこし大きすぎると思い、今回は買わなかった。またいつか、欲しくなったら来た時に買おう。
 ここから埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)まで、車だとすぐ。以前も行ったが、今回もまた足をむけた。さきたま史跡の博物館も。
 いつも思うのだが、盛り上がった緑に覆われた古墳は、たたずまいというか、気配がどことなく違うように感じられる。たぶん厳かとか、そういったものが、あたりに満ちて感じられるのだ。






 ちなみにこの古墳群にも蓮池がある。もうあとにした蓮とまたすぐ再会できたような気持ち。
 この古墳群、小学校の遠足できたような気もするのだけれど、いまいち記憶が不鮮明だ。遠足が好きではなかったから。旅はひとりかせいぜい二人ででかけるもの。あるいはそのころだったら家族でか。集団のそれは苦手だった。景色とむきあうことができなかった。だから遠足の記憶がほとんどない。今もそうだから、その苦手さにたいしては記憶がある。場所についてはほとんどない。けれどもこのあたりの利根大堰、そして農業用水である見沼代用水など、訪れた記憶がおぼろげにある。小学校にあがる前から水が好きだったから、ダムや用水路へゆくことは、それでも楽しみだったのかもしれない。そうだ、利根大堰では、飲み水の元となる水なのに、泥などで濁っているような気がして、違和感をおぼえたことも思い出した。今これを書くので調べたら、利根大堰は行田市と群馬県の県境にある。見沼代用水もこのあたりから端を発している。ダムと見沼代用水だけでは、遠足というより社会科見学のようだから、古墳にも来たんだろうなと、醒めた感想をもったことも思い出した。けれどもやはり、古墳の記憶があいまいだ。なぜか、ありえないのに、竪穴式住居があったような気すらする。それは古墳があった五世紀頃ではなく、縄文じゃないかとひとりでつっこむ。わたしの当時の興味はその程度だったのだろう。
 そういえば小学生の頃すんでいたあたりでは、よく男の子たちが化石とか縄文土器のかけらを発掘しにいってたような気がする。どこかに貝塚跡があったのだ。あの頃に興味をもっていればと、すこし悔やむ。そのころのわたしにとって、それは男の子たちの昆虫採集とかとおなじ話しだった。わたしはひとりで絵を描く子どもだった。
 さきたま史跡の博物館での企画展「地中からのメッセージ(平成二八年度 最新出土品展)」で、埼玉の縄文時代の貝塚や遺跡から発掘された品を見て、すこしそのことを想った。この土器や土偶に触れてみたいなと思いながら。土器も土偶もかけらといったかんじだったが、独特の文様をみていると、全体像に思いを馳せることがなんとなくできた。どうしてこんなに惹かれるのだろう。だが、子どもの頃に、興味をもたなかったことをそれほど悔やんではいない。当時は花にもあまり興味がなかったから(花にはそれでも数年後には惹かれていったけれど)。今、それらに興味をもって、接することができ……いや、接しようとしているだけでもいいではないかと。
 朝早くから行動していたから、帰り道に向かったのがまだ昼前で、途中で買い物などもしたのに、家についたのも午後二時前だったと思う。普段の日曜日なら、ぐだぐだして、朝食兼昼食をとったあと、昼寝すらしている頃だ。今日、蓮に会いに行ったこの日は、時間が長いと思う、流れがちがうのだと。また、蓮の時間を想っている。かれらの時間と重なる、という意味ではなく。それはおこがましいだろう。かれらの時間はもっと壮大だ。そして静かで。またかれらの時間と、ではない、花を咲かせている時間に、接することができるだろうか。家に帰って、二時、三時、四時には仮眠していた。いつもの日曜日のように。なんとながい一日だったのか。子どもの頃までさかのぼって。蓮の時間がみせてくれた夢なのかもしれない。

00:01:00 - umikyon - No comments

2016-07-15

絵の音が、連綿とメロディーを ─「北斎漫画〜森羅万象のスケッチ」

 多分、新聞か何かで、北斎漫画展のチケット・プレゼント…というのをみたのがきっかけだった。このごろ北斎の絵をみていないなとぼんやりと思っていた、その矢先に。だから吸いこまれるように、その小さな記事を見た。やるということだけわかればいい。なぜかプレゼントに応募しようとかは思わなかった。北斎はお金をはらってみるべきだと思ったのかもしれない。むかし、そんなことをいわれたような気がするのだ。わたしが詩を書くうえで、大切ななにかを頂いた師ともよべる人に。ちがったかもしれない。
 そのほかにもいきたいなと思う展覧会が二つ三つあったのだけれど、まっさきに北斎のを観に行くことにした。北斎はかわいた喉をうるおす水みたいだ。
 それが「北斎漫画〜森羅万象のスケッチ」(二〇一六年七月一日─七月二十八日)だった。場所は原宿(明治神宮前)の太田記念美術館。
 体はほぼよくなっているのだろう。こんなふうに出かけることを計画できる。ひさしぶりの感覚だった。五月の若冲展のときはそれがもはや苦痛だった。体がやめてくれといっているのを、なだめるようにして、無理に出かけていた。体とのやりとりが、今回はほとんどなかった。





 平日にゆく。火曜日は昼の仕事が休みなので、その時に。早朝バイトはあるので、わたしにとっての半ドン、半分だけの休日だ。久しぶりの電車。若冲展にいったとき以来だから、二か月近いかもしれない。あのときは行きも帰りも電車のなかで眠っていたなと思い出す。けれども今回は違った。帰りは少し寝たけれど、行きの電車では本を読むことができた。本に集中することが。うれしかった。
 太田記念美術館は何回かいったことがある。浮世絵専門の美術館だ。わたしの家からだと、相互乗り入れを使えば、ほぼ一本の電車でゆける。明治神宮前で降りて三分歩く。その短い間に、やはりわたしが普段いるあたりは郊外なのだとあらためて思う。表参道や明治通りの賑わい、たちならぶ店やビルたちに、もう、すこし息がつまりそうになる。平日なので人はあまりいなかったけれど。
 そして、以前この近くに住んでいたのになとも思う。そのときはあまり気にならなかったと思う。これが日常だったからか。明治神宮の森、青山墓地、有栖川宮記念公園、神宮外苑。けれども、このあたりも、意外だが緑は多い。わたしはあのころも、木々を欲していたのだなと、原宿駅のほう、明治神宮の緑を見て、急いで思う。三分の間に。そうだ、原宿駅近くを通るのは、たいていは神宮の森に行く時だったっけ。だからきっと混雑がきにならなかったのだ。ここを越えれば、木々に会える。
 さてようやく美術館へ。時刻は午後一時四十五分。実は二時から学芸員によるスライド・トークが行われるというので、それにあわせてきたのだった。わたしはギャラリー・トークとか音声ガイドは好きではない。絵を前にした解説は。わがままだと思うのだが、絵はひとりでゆっくり見たいのだ。音なしで。なぜなら絵をみるとき、音は絵から自然とたちあらわれてくるから。波の音、風の音、虫の声、鳥のはばたき、人々の生活の音…。それらの声を、解説はかき消してしまうように思えてならないから。
 けれどもスライド・トークなら。よく美術館などでスライド上映があるけれど、そのほとんどをみている。それらはわたしに大切な情報を教えてくれる。見かたについて、示唆してくれる。わたしとちがった観点で、プロの目で。このときのわたしの観点、というのが、絵の声を聞いたあとでは、ということかもしれない。わたしが聞いた絵の声と、かれらが聞いた絵の声を照らし合わせる。あるいは絵の声の名前を教えてもらう。たとえばそうした行為がスライド上映だった。だから、きっと。それはもしかして、詩の講義を聞くことにも似ているかもしれない。
 スライド・トークを楽しみにしている自分に気づき、また体をしつこく思う。楽しみに思えるぐらいよくなったのだと。いや、体とことばが心からはなれる前の自分が戻ってきたことを確かめている、というべきなのかもしれない。
 ともかく美術館に着いて入場券を購入した、その直後に開場の案内があったので、展示をみる前に向かうことにした。
 そして…。お話しは、おもに今回の展示についての解説なので、個人的にはしまったと思った。まだ自分で絵をみる前に、絵の声を聞く前に、解説という音をあまり聞きたくなかった。それが先入観を生んでしまいそうだから、あるいは絵の声をかき消してしまうから。第一、スライドは、これから展覧会場でお目にかかるものばかりだ。あらかじめ、展示作品がスライドでわかってしまうのは、突然の出合いの楽しみがだいぶ減ってしまうではないか。ところで視聴覚室といった室内はほぼ満席だった。彼らの多くは、展覧会を先に見ていたようだ。彼らとは、ほぼ、その後の展覧会会場で会うことがなかったから。
 けれども、学芸員の方のお話し。『北斎漫画』は、弟子たちへの手本、自由につかっていいイラスト・デザイン画集、博物画的な要素、スケッチ、そうした面をもつ本なのだが、それらが順序良く構成されているわけではない、思いつき、北斎の頭の中を描いているカオスな世界の集大成だといわれているのが面白かった。
 そして、ミミズやヒル、フナムシの類まで丹念に描いているが、それらが絵手本になるのだろうかという、答えのない問いかけも。当時の絵で、フナムシを描いた浮世絵、花鳥画などはなかったはずだ。漢方の薬となる黄精という花の正確な描写も、当時よく描かれていた牡丹や梅、朝顔などと比べると首をひねりたくなる、と。
 ところで、今「黄精」をしらべてみたら、ナルコユリのことだった。スライドや展覧会会場で観て、ナルコユリに似ているなあと思っていたので、一致してすこしうれしい。この花は、好きな花だから。
 話が前後してしまうが、ここで『北斎漫画』の簡単な概略を。
 『北斎漫画』は全十五巻からなる絵本。文化十一年(一八一四年)、北斎五十五歳のときに一巻が刊行され、北斎の享年九十歳、嘉永二年(一八四九年)に十三、十四巻、そして亡くなってだいぶ経ってからの明治十一年(一八七五年)に十五巻が刊行されている。、草、花、水、岩、山、人物、動物、虫、異界の動物、人、風俗、建築物、鉄砲まで。
 これは実際に展覧会会場で、『北斎漫画』を見たあとで、感じたことだけれど、なるほど、北斎の頭の中の集大成というのが実感できるような気がした。というよりも、その都度その都度、気になったものをなんでもスケッチしてしまおうという、そんな貪欲なありかたを、その一端をかいまみることができるような気がした。絵本という公に刊行されたものではあるが、メモ的な要素を多く含んでいる…。
 そういえば、わたしが北斎を知ったのは──北斎に圧倒的に惹かれるようになったきっかけを作ったのは、パウル・クレーの展覧会で、『北斎漫画』の模写をクレーがしているのを見たときだった。その時は、ただ注意をひいただけだ。けれども、その常設展で見た、北斎の浮世絵たちに、圧倒された。だから、『北斎漫画』は、わたしに北斎に注意をむけさせてくれたきっかけとして、心に組み込まれているのだった。
 ああ、だからだ。実はこの太田記念美術館の展覧会、ものすごく楽しみにしていた。わたしは通常なら、あまり期待をすることがない。期待と実際の秤にのせる分銅のバランスを考えて。期待が大きすぎると、バランスがくずれる。想像のほうがよかったとかではないかもしれない。それに、期待していいのだ、想像していいのだ。それをうらぎる現実があるのは当然だ。期待や想像に反した現実によって、わたしたちは学んだり、泣いたり、笑ったりするのだ。
 では今回の展覧会はどうだったろう。絵たちにたいしては、やはり正直、あまり感動することは少なかった。緻密に描かれてはいるが、やはり素描に近いものだからかもしれない。あるいはスライドで先に作品を見てしまったからかもしれない。
 そして。「『北斎漫画』に描かれたさまざまな題材を、躍動、滑稽、生活、自然、動物、妖怪、建築という七つのキーワードで紹介します。」と展覧会ごあいさつにあった。そのなかでわたしが興を覚えるキーワードは、自然・動物だ。バランス良く紹介していると思うのだけれど、わたしは、本来人物画のたぐいは好きではない。今回の展覧会では、人物を描いたものの紹介が多かった。そのせいもあるかもしれない。
 けれども、動物を描いているそれは、標本的ではない、調査としての絵などではない。まぎれもない北斎の筆だった。たとえば鷹や鳶が描かれている。その鷹は、どこかあいらしい眼をしている。それは北斎が描いた別の鷹と同じ眼だった。わたしは以前から北斎の鷹が好きなのだ。東京国立博物館で観た《桜花に鷹》、小布施の北斎館《巌上の大鷲》(一八四〇〜一八四七年頃)、江戸東京博物館の《鷹図(団扇絵)》。たぶんこの団扇絵が、北斎の鷹の絵として一番最初に観たものだ。力強い姿なのに、眼のせいか愛嬌がある。あたりまえといえばあたりまえなのだろうが、これらの鷹に共通するものが『北斎漫画』に描かれていてうれしかった。連綿と続くものが、感じられたからか。



(↑江戸東京博物館で観た《鷹図(団扇絵)》)

 展覧会とスライドトークと、感想がまざってしまっているが、『北斎漫画』のなかに、銃を描いてあったのが、驚きだった。分解したところを描いているので、なにか設計図のようでもある。大砲などの設計をし、また、手帖やメモに水をスケッチしたレオナルド・ダ・ヴィンチも想起する。そういえば今回の展覧会でも、波のスケッチ、いろいろな滝のスケッチが展示されていた。北斎は科学者ではなかったが、なんとなく共通点が多いのではないか。貪欲なまでの好奇心とか。

 さきほど、絵に対してあまり感動はなかったと書いたが、それでも失望ということは全くなかった。北斎は期待をけっして裏切らない。現実の展覧会は予想に反して、絵としては感動は少なかったが(わたしは失礼なことを書いているだろうか)、こんなふうに教えてくれること、気付かせてくれることが多かった。それもまた音なのだろう。

 ところで『北斎漫画』、青幻舎で刊行された文庫本サイズのものを一冊持っている。全三冊のうちの二巻、森羅万象篇だけ。この展覧会の副題と偶然重なることが、すこしうれしく。
00:01:00 - umikyon - No comments

2016-07-05

青い花が日常と非日常の交錯に優しく匂う、屹立して



 またここをあけてしまった。いいわけがましいことを書くと、すこし体調…というのは、前回書いているが、その延長で。ただ、調子が悪かったのが、すこしずつよくなってきているような気がする。あるいは慣れたのだろうか。それが常態になって、それ以外がよくわからなくなっているのかもしれない。
 ここをあけている間、五月十五日から七月五日までの期間、締切のある原稿は書いた。ありがたいことだ。あたかもバイトに身体がきついなと思いながら出かけるように。日常と非日常は、やはりひとしい。
 じつは、一昨年、詩集を出してのち、体調のせいなのか、どうもことばと、関係がおもわしくないのかもしれないと、あやぶんでいたのだが、彼らもまた、すこしづつ戻ってきてくれているような気がする。それとも、もともと離れていなかったのか。いや、わたしが離れていたのだが、それが少し、距離を縮めた、またことばに歩み寄ったのかもしれない。
 春から、ちょっと編集の仕事にも携わるようになった。ほんの少しだけれど。詳細は書けないのだが、発見があり、興味深い。ある記事を担当した。それはわたしがよくいく場所のことだった。そこにたずさわる人たちにインタビューし…。わたしが日常的にでかける場所、けれどもわたしのなかでは非日常に属する、大切な場所。そこに携わる人たちにとって、そこはまた日常であり、非日常であるのだろう。これらが交錯するのが妙だった。交錯たちが文章になるのが。ちなみにこの文章(記事)も、取材先の意向の関係で、わたしがはじめに書いたものが、編集部によって、だいぶ手が入った。これも文章の交錯。からみあって、ひとつの記事(文章)ができあがる。それがあわさって一冊の本(雑誌)になるのだ。

 この一ヵ月半、美術館にいっていないような気がする。そこまで長い期間ではないはずなのに、記憶があやふやだ。ことば(ブログ)を書いていないからだろうか。いや、逆に絵のことについて、なにか文章を書いたからかもしれない。これから開催される展覧会のチケットをネットで入手したからかもしれない。はじまる前なのに、いったことを考えて楽しみにしている。そのことが、もはや展覧会にいったような気にさせているのか。こんなことも現実と空想、日常と非日常の混ざり合いといえば混ざり合い、混交、交錯にも思える。





 六月二十五日の土曜日、例年出かけている埼玉県久喜市にラベンダーを見にいってきた。「あやめ・ラベンダーのブルーフェスティバル」として、菖蒲総合支所庁舎周辺で、開花期間、六月中ぐらいに催しが行われている。
 ここは、隣接する小林調整池の工事の関係で、「八束緑地あやめ園」と「ラベンダー堤」などが二〇一四年六月三十日をもって会場の一部が閉鎖されている。
 そのことは知っていた。けれども来てみてはじめてその事実を目の当たりにしたから、去年、二〇一五年は訪れていなかったということになる…。と、ぼんやりと思った。
 おととし、二〇一四年に来た時に、そのことが書いてあったと思う。すこし残念に思った。いや、残念に思わないようにしていたような気がする。あるいは気にしないようにしていた、実感がなかったかもしれない。調整池はたしかにその当時も工事中だったけれど、あやめ園は花で満ちていたし、ラベンダーも盛りだった。もうずいぶん前からほとんど毎年のように訪れ、一年に一回だけれど見なれた光景になっていたから、眼の前にあるこの光景が変わるということに鈍感になっていたのだ。
 まさか、あれが見おさめになるとは。こんなふうに突然、かれらは存在を消してしまう。別れをつげる前に、別れる間もなく。といっても、別れを告げることが出来なかったのは、わたしの側の不注意も多く関係しているのだが。
 たいてい、池のほうのラベンダー、そしてあやめ(といっているが、実は花菖蒲)たちに、毎年、足をむけ、毎年、楽しませてもらっていた。
 それが、今年は…。市庁舎の周辺のラベンダーだけになっている、もっとも これもわたしの不注意で(というかやはりショックだったのだろう)、今回出かけたときには気がつかなかったのだが、例年使っている駐車場の後ろに、あらたにラベンダー花壇が造られていたようなのだが。そういえば、おととし、あらたに苗を育成中だと、どこかで読んだような気もする。わたしはもうすこし、現実に目を向けたほうがいいのだ。ともかく、こんなふうに、気付かないでいるうち、日常(現実)は変わっている。失われたものがあり、新たに生まれたものがある。
 だが、市庁舎近くのラベンダー苑。これは例年、花を咲かせているなじみの場所なのだけれど、こちらも幾分変わっているような気がした。確かめたわけではないので、間違えているのかもしれないが、いつもより花が増えているような気がしたのだ。おそらくそうなのだろう。
 だれかたちが、携わっている日常がある。それが非日常的な、まぎれもない日常のなかで花を咲かせる。フェスティバルという祭が、ケとハレ、現実で非現実なように。
 そう、調整池のあたりが立ち入り禁止になっているのに、幾分かショックをうけながら、ほぼいつもどおり植わっているように見えたラベンダーたちに眼を向けた。いつもどおり、よりももっと、多く花を咲かせてみえる青さに。



 虻や蝶が、忙しげに蜜を吸っている。これも例年どおり。変わったものと変わらないものの間で、青い花の満開を眺めている。
 そして売店で、昼食のお弁当と、家で使うための、そして友人知人たちへのお土産にラベンダーのお香、ラベンダー製品を購入する。これも例年、あまり変わらない儀式だ。
 けれどもいつもは基本的には昼食は持参してきたので、ここで買うのは珍しかった。手打ちのそばとうどん、天ぷらのはいったお弁当を購入し、特設テント下のテーブルで食べた。うどんは特に、このあたりの名産らしい。こしがあっておいしかった。こんな新たな出逢いもあるのだ。
 これもおそらく一昨年には気付かなかったのだが、二〇一三年に、市庁舎五階にに本多静六記念館が移転オープンしていたようだ。無料ということで覗いてみる。本多 静六博士(一八六六─一九五二年)は、日本の林学博士、造園家で、日本の「公園の父」といわれる方だそうだ。携わった公園の数は夥しい。日比谷公園などから、国立公園の維持に対する未来を見据えた計画まで。知らなかったが、知ることができてよかった。
 こんなふうに少しずつ、わたしとラベンダーフェスティバルを開催しているあの場所との関係も変化してゆくのだろう。そうだ、最初は久喜市ではなく、合併する前だったから、菖蒲町だった…。
 そんなことを思っていたかどうか。ショックなどもおそらく、わたしのなかにあっただろうけれど、ラベンダー堤に咲いている満開の青い花たちを見て、あの独特の匂いに包まれて、ああ、また訪れることができたのだという喜びが沸き起こっていたのもたしかだった。おいしいうどんを食べて、本多静六記念館をおとずれて。
 ラベンダーたちは日常をいろどる非日常に色を濃くしてそこにいた。そこにいてくれた。からまりあうなかで、青さを突出させて、ほとんど変わらないように、変わったことなどなかったかのように、わたしを包んでくれた。やさしい匂いが、あたりに満ちている。
 ラベンダーをみてきてから、数日後、家の近くで藪のなかで青い塊をみつけた。なんだろうと思ったら、ブルーシートだった。なんだろうと思ったとき、ラベンダーを思ったのと、青い鳥を思ったことに、あとからすこし、微笑んだ。その気持ちの余裕を、うれしく思う自分がいた。いろいろ、よくなってきているのだと。あるいは日常と非日常が絡まっているのを感じられる自分がいることに、微笑んだのかもしれない。

00:01:00 - umikyon - No comments