Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2016-08-25

曇った空が夕焼けを毒だ。─サントリー美術館、エミール・ガレ展

 今年の夏は、いつもと少しちがう気がする。なんとなく例年は七月が暑さのピークだったような気がするのだけれど、今年は八月に入って、それも立秋を過ぎてからの方が暑い気がする。そう、八月は暑いけれど、立秋を過ぎてからの暑さは、どこか勢いを失っている…。そんなイメージだった。わたしはやはり夏が好きなのだろうか。その勢いを失った暑さをいつもどこか淋しく思っていた。
 けれども今年は、立秋をすぎて、ようやく夏が来た気がした。そして台風。ひさしぶりに関東に直撃。
 暴風雨のなか、自転車で移動したが、すくない人、すくない車、買い物に寄った店の客のすくなさ、そして売り場の雨漏り、どこか新鮮な気もしたが、懐かしかった。昼近い時間だったから、おそらく台風で、小学校が休校になり、帰されたときのことを雨に重ねたのだろう。家に帰ってきて、あの頃は雨戸をしめたっけなと、雨合羽を着ていたにもかかわらず結構ぬれた体をかわかしながら、窓の外を見つめる。ここには雨戸はない。けれども雨は強いが風も収まっている。通りをはさんで隣の地域では、避難準備の警報が出ている。崖があるから土砂災害を警戒してのことなのだろう。国分寺崖線。湧水をふくんだ自然味豊かな場所だ。その崖線が通っている地域一帯に警報が出ている。そのことが、すこしショックだった。わたしがいつも、親しみをこめて、眺めていた場所たち。だが、かれらは荒ぶる力をもっているのだ。





 すこし前に、「オルセー美術館特別協力 生誕170周年 エミール・ガレ展」(二〇一六年六月二九日─八月二八日、サントリー美術館)に出かけてきた。これもだいぶ前にチケットを手に入れていたので、いろいろあっておっくうだったのだが、なんとか見に行くことができたのだった。
 夏休みだからか、比較的混んでいた。けれども、乃木坂駅から歩いていったのだが、出口をまちがえ、国立新美術館をぐるっとまわる感じで、いったときに、見かけたルノワール展のほうが、もっと混んでいたようだった。ルノワールはもはやいいと思ったので、ああ、そうか、混んでいるんだなあとぼんやりと思っただけだったが。
 この近くに住んでいたんだよなあと、いまだに思う。それはもはや信じられないといったぐらいの軽い違和感だ。けれども出口を間違えたときに、まったく知らない土地で味わうような不安はさすがに感じなかった。遠回りになるが、こちらを行けば、多分、という土地勘があった。そう、平日はこのあたりは自転車での通勤路だった。青山墓地、神宮外苑。今も緑が比較的多い。だがやはり都会だ。都会がどうもこのごろ、苦手になってきているのはなぜなのだろう。喧騒が、なのか。
 そうだ、ガレ展だ。わたしはガレが好きだったのではなかっただろうか。何回かここで書いているような気もする。けれども、今回は、ほとんど感じることがなかった。家に帰ってきて、ガレの作品写真を探す。外付けのハードディスクに、多くの画家や美術家の作品写真を保存してあるのだ。けれども、なぜかガレの名前では見当たらない。今までここで書いたときは、どうしたのだろう。旅行先で撮った風景写真と一緒だったり、アール・デコとアール・ヌーヴォーの展覧会のなかとか、ともかくガレ個人の名前では作品写真が存在しなかった。意外な気もしたけれど、納得したような気もした。それほどガレは好きでなかったような…。それでも、いつも、なにかしら、一点二点は、ひかれるものがあったのだけれど。
 「十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、ヨーロッパ都市部を中心に沸き起こったアール・ヌーヴォー[新しい芸術]。絵画や彫刻、建築に限らず、生活の隅々にまで良質な芸術性を求めたこの様式は、幅広いジャンルの美術工芸品を発展させ、人々の暮らしを豊かに彩りました。こうしたなか、フランス東部ロレーヌ地方の古都ナンシーで、ガラス、陶器、家具において、独自の表現世界を展開したのが、エミール・ガレ(一八四六─一九〇四)です。詩的で、幻想的、そして象徴的なガレの作品は、器であり、テーブルであり、形こそ用途を保ちながら、それに留まらない強いメッセージを放っています。見る者の内に深く染みわたり、心震わす彼の芸術性は、愛国心や異国への憧憬、また幼い頃から親しんだ植物学や生物学、文学などへの深い造詣に裏付けられています。(後略)」とチラシなどにはある。
 植物と文学。この二つへの関わり方に、共鳴できるところがあった。だからなんとなく好きだった。けれども、かれの作品を単独でみることは、意外なほどなかった。ドームやラリック。わたしの大好きなラリックとセットでみることが多かった。そのせいか…。いや、それはガレに失礼だ。けれどもルネ・ラリックは今でも好きだと声を大にして言える。そんな違いはたしかにある。
 混んでいたせいもあるだろうか。いや、混んでいても、感じるときは感じるものだ。ではこちらの心持のちがいのせいだろうか。なんだかひかれる作品がないと、自分がどこかおかしくなったのではないかと不安にはなる。もはや感動しないような人間になってしまったのではないか…。
 二、三点だけ、感動というほどではなかったが、心が動いた作品があった。ざわつく程度だ。死期ちかい作品の《脚付杯「蜻蛉」》(一九〇三─四年)の蜻蛉の胴体の細すぎるそれに、はかなさを感じたこと。《飾棚「森」》(一九〇〇年頃)の、加工された木製の棚が、自然を宿そうとしている姿。
 そして《栓付瓶「葡萄」》(一九〇〇年)。オレンジ色の、おそらく夕焼けをイメージしたガラスに、葡萄が幾粒も配置されている。夕焼け色の胴に、ボードレール『悪の華』「毒」の一節が。実は展覧会でキャプションでみた訳をおぼえていない。図録等も買っていないのでわからない。だから、家にある堀口大學訳のそれを、ここに挙げる。
〈世にもみすぼらしいあばら家を/奇跡のやうな豪奢で飾り、/曇つた空の夕日のやうに/赤い靄こめる金色の中に/夢のやうな廻廊を浮び上らせる力を酒は持ってゐる。〉
 この“酒”は、展覧会で見た詩では葡萄酒だった。栓付瓶も葡萄酒を入れるものだろう。そこに葡萄の粒たちが施され、言葉も飾られ…。言葉とガラス作品とそして実際に入るであろうお酒…。これらの融合、ここに入ったお酒をのむことで、作品を飲み干すような、そんな究極の贅沢に想いを馳せた。
 そして、「曇った空」だからこそ、雲があるからこそ、夕焼けは鮮やかなのだと、二元論的なものたちの均衡を想った。曇りと鮮明。きれいはきたない。



 こんなふうに書くと、すこしだけ、展覧会の印象が良くなる。それは記憶の操作かもしれない。書くことで印象がすりかわってしまっているのかもしれない。けれども書いているわたしも、そこにいたわたしも、わたしなのだ。葡萄酒をそそがれた瓶と、空の瓶と、ことばが彫られた瓶。どれもひとつの瓶であるように。
 じつはガレの展覧会に出かけてから、だいぶ経ってのち、これを書いている。たしか、ガレの展覧会を見た帰り、自宅最寄駅から家へ向かう途中、すこしだけ遠回りして、湧水を集めて作った湧水池の様子をみにいったはず。こちらも国分寺崖線上にある、やさしい、そしてあらぶる場所だ。
 おびただしい蝉の声、そして、ゆったりとおよぐ鯉。夕方だというのに、木々に囲まれたそこは、昼のようだった。いや、昼でも若干暗いのだ。ぎりぎりの均衡で、昼を保っている。ここに夕方はなかった。あるのは昼と夜だけ。十分ぐらいいただろうか、黄昏という時刻が存在しないまま、夜の暗さをかもしだしはじめていた。ゆったりと灰色の鯉がおよぐ。曇った空の色の鯉。


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2016-08-15

北斎に会いに行く─「大妖怪展」、北斎生誕の地



 江戸東京博物館「大妖怪展」(二〇一六年七月五日─八月二十八日)に行く。こちらは当初、行く予定がなかった。あまりわたしの興味をひきそうなものがなかったから。なぜなのだろう。
 「妖怪は、日本人が古くから抱いてきた、異界への恐れや不安感、また狄閥瓩覆發劉瓩鮖しむ心が造形化されたものです。
 本展では、縄文時代の土偶から、平安・鎌倉時代の地獄絵、室町時代の絵巻、江戸時代の浮世絵など、国宝・重要文化財を多数含む日本美術の名品により、日本人が恐れ、愛してきた妖怪たちの姿を紹介します。土偶から最新の「妖怪ウォッチ」まで、一堂に公開します。」と展覧会チラシにある。
 妖怪的なものには惹かれるのだ。付喪神、百鬼夜行。恐ろしくもいとしい生をもつものたち。いや、生と死をもって、わたしたちにやってくる。たとえば深い闇のむこうとこちらをつなぐものとして。おおいなる自然とわたしたちをつなぐものとして。なのだろうか。
 それに、妖怪ということばには、どこか、なぜか惹かれるものがある。けれども多分展覧会としては……なんというか、好みにそぐわないものが多いだろうという印象があった。ならば、どうして行く気になったのか。最近いった展覧会でチラシをもらった。そこで、北斎の絵が出展されると知ったから。北斎の百物語シリーズ、もう何回かみたお岩さん、こはだ小平二、笑いはんにゃなど。以前にみたものばかりだ。なのにまた見たくなるとは。どうしてこんなに北斎が好きなのか。
 ちなみに土偶も好きだ。だから土偶が出品されていることに、興をもったけれど、なぜかそれは展覧会にゆくきっかけにはならなかった。その理由はあとで書く。



(「大妖怪展」チラシの裏。右上端の天狗の絵は、今回見ることができなかったが、北斎の《天狗図》、そして左上端から二番目が《百物語 こはだ小平二》)

 チケットは格安で手に入れた。正規の値段でゆくことはしたくなかった。なら行かない。展覧会には申し訳ないが(さっきからずいぶん失礼なことを書いている気がする)、関心としては、その程度のことだった。つまり、気のりしないまま、いや、あまり期待しないで出かけた……。はずなのに、出かけるときはなぜかうきうきしていた。出合いがあるだろうとかいう期待からではない。ただ出かけることがうれしかった。気分がよかったのだろうか。夏のひざしがきついというのに。なかば汗と熱でもうろうとしつつあったというのに。いや、北斎に会えるという期待がどこかにあったような気がする。
 新宿まで出て、それから総武線で両国へ。途中、お堀をみるのが小さな楽しみとなっている。水は真緑といっていいほど淀んでいる。けれども、その葉のような色が暑い夏空によく映えてみえた。市ヶ谷あたりで釣り堀。ちらほらと釣りをしている人々。
 そして忘れていたのだが、両国には、隅田川をわたってゆく。とつぜん隅田川があらわれ、びっくりした。うれしい驚き。こちらも淀んで見えた。にぶい灰色、というか銀のうねり。この川をみると、いつも海が近いから、きっと舐めるとしょっぱいのだろうと思ってしまう。
 さて、江戸東京博物館、展覧会。混んでいた。若冲展ほどではなかったが(あれは行ったなかでは、おそらく一番混んでいただろう)、なかなかだ。混んでいるだけならまだいいのだが、観覧客のかなりがうるさかった。感想をその場でいいあっている人々が多いのだ。或いはうんちくを語る人たち。いつも行く展覧会でも、多少はいたけれど、この展覧会がいちばん多かったかもしれない。もうそれだけで気分がなえた。老若男女、ほとんどすべての世代の声。しゃべらずに鑑賞している人の中で、意外と眼についたのは小学生ぐらいの年齢の子どもたちだった。なかには妖怪ウォッチ目当ての人もいたのだろうが、基本的に静かに見ている。夏休みの課題かなにかだろうか、メモをとっている姿もあった。
 ということもあり、いや、最初から展覧会としてはあまり期待していなかったから、いいのだけれど、北斎以外はほとんど印象に残らなかった。客のマナーの悪さに不愉快になることもなかった。あきらめまじりのため息、といったぐらいか。
 けれども、はいってすぐのところで、《狐狸図》を見た。北斎だ。一八四八年とあるから最晩年に近い肉筆。狐は罠を眺める僧。狸は居眠りをする僧。狐は衣装が風にゆれている。狸は炉にかけた茶釜から立つ煙がわずかな風を感じさせる。どちらも顔以外は人間の姿。とくに狐のほうに惹かれた。横向きで、伏し目がちに罠を見つめて立っている。思索しているような静けさに、風になびく裾などが対比されているよう。動と静。罠は狐をおびきよせるためのものかもしれない。それにかかる自分とかからない自分の狭間であるかもしれない。



 それから、お目当ての百物語シリーズ。こちらは、けれども以前みたよりも、版の質がなのか、保存状態がなのか、定かではないのだけれど、くすんでみえた。以前みたもののほうが、もっと鮮明だった気がする。記憶違いだろうか。でも会えてよかった……そんなふうに眺める。
 さいごのほうで、土偶たち。「第三章 妖怪の源流 地獄・もののけ」のコーナー。「古代人は自然に対する畏れや無気味な心情を造形化した。土偶の中の奇怪な姿をしたものがそれだ。異形であるが、どこか親しみのもてる造形であるところが、後の妖怪表現につながる。」とは展覧会HPからだが、たぶん会場でも似たようなことが書いてあったはず。それはもっともだと思うのだけれども、なにか会場に展示されたそれに対して、いつものように、最初、ひびくものがなかった。土偶たちのせいではない。おそらく考古資料館とか博物館などで見たら、ひかれるものを感じたと思う。じっさい、まわりを気にしないように、見ることだけに集中したら、すこしだけ、かれらの佇まいを心に感じることができた。けれども、なんというか、ともかくだいなしの感じがしたのだ。おそらく、それは先に書いた、展覧会にゆくきっかけとならなかったことと重なるだろう。祈りのような部分が希薄だった。それは土偶に対してでは、もちろんない。展示方法に、ということかもしれないし、まわりの状況が、かもしれない。興味がないものを悪くいいたくはないが、すぐ隣が妖怪ウォッチの展示だったからかもしれない。プラスティックの既製品のようなものたち。土偶の発するオーラがそこなわれてしまっている。
 もう出口だ。《狐狸図》と百物語シリーズだけもういちど観に戻ってから、会場を出る。すぐに並ぶ大妖怪展関係のミュージアムグッズをのぞいたのち、墨田区文化観光コーナーへ。こちらには北斎グッズが結構売っているのだ。北斎は墨田区に所縁が深い。たとえば『北斎かわらばん』という無料で配られているリーフレットをここで貰ったが、九十三回の引っ越しを繰り返した北斎だが、その殆どが墨田区・台東区だったとある。隅田川近く。区内名所図もずいぶん描いている。『すみだまち歩き博覧会』の北斎が描いた風景を特集したリーフレット、『両国にぎわいMAP』も貰う。『北斎かわらばん』にも書いてあったが、今年の十一月にすみだ北斎美術館が両国に開館する。地図でそれがどこなのか確かめたかったのだ。
 と、その前に。結局、この文化観光コーナーで、北斎の絵ハガキを買った。わたしの好きな鷹の絵《桜花に鷹図》(一八三四年頃)と、友人に送る用に別のものを一枚。
 あいらしいような眼と威厳のある姿の均衡。みあげた鷹が桜の中ですっくと立っている。もはやわからない。もしこの鷹の絵を、北斎だとしらずに観たとしたら、北斎を好きになっていたかどうか。いや、今、ほかのちがう鷹の絵をみても、北斎らしい筆致がかんじられるだろうから、北斎を好きになるまえに、ということだ。これが初めての北斎作品だったら。わからないが、これをきっかけに好きになるということはないかもしれない。けれども、そうでなくとも好印象はもつだろう。気にかかる画家のひとりになるだろう。ということを考えながら、さきほどみた《狐狸図》のことを思い出した。あの絵は最初北斎だとは思わなかった。けれどもなにかひっかかった。ひかれるものがあった。北斎だとわかって、納得した気持ちもあったが、北斎でなくとも、ひかれたかもしれない、という気持ちもわきおこっていたから。あるいは逆に、これほどはひかれなかったかもしれない、という思いも。絵にたいする曖昧な思いも奇妙だった。だがこの奇妙さがどこか心地よかった。
 その後、江戸東京博物館のミュージアムショップをのぞいてから外に出る。かわらずうだるような暑さだ。駅に向かう。途中で案内版の地図をなにげに見る。北斎生誕地、そしてそのはす向かいの緑町公園は北斎美術館建設予定地…。さきほど貰ってきたリーフレットの地図もひらく。江戸東京博物館のむこうがわなので、戻るかんじ。行ってみようか…展覧会会場でささっとまわっただけだからか、まだ早い時間だった。暑さに気力が萎えそうになったが、結局足をむけた。博物館をとおりすぎると、北斎通り。北斎と名前がついているだけで、すこし感動している。都心によくある、広めの道だ。なのに名前だけで北斎がいたことがある場所なのだと、勝手に感慨にふけってしまう。往時を思い出させる景色はほぼないというのに。その北斎通りをしばらく歩くと、生誕の地と美術館があるはずだ。地図を片手になんだか旅行にきたような気がしてきている。またわくわくがやってきた。



 生誕の地には、それを解説する、古くなった板の立て札があった。もはや字もよめない。店舗前で、面影はどこにもない。ここで生まれたのだ…という感慨はわかなかったが、これたことがそれでもうれしかった。向かいの緑町公園へ向かう。ノウゼンカズラと百日紅が咲いている。遊具で夏休みの子どもたちが遊んでいる。美術館はその公園の敷地内、奥にあった。もう建物はできあがっている。開館していない、建物だけ見に来るなんて、どんだけ北斎が好きなんだとひそかに笑う。緑町公園は、津軽家上屋敷跡だという。こちらも面影はまったくない。それでも来れたことで、おだやかなやさしいような気持ちになる。きょうは北斎に会いに来ただけのようだ。いや、こうしたことすべてが、北斎の面影を感じているということ、それが北斎に会っているということなのだ。





 家に帰ってきて、《桜花に鷹図》の絵葉書を簡単に飾る。これを書いている手を安め、見上げるとすぐに鷹が。おだやかな、やさしい気持ち。思い出や想いが、絵とわたしのあいだで了解のようにたちこめていて。

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2016-08-10

太陽がいっぱい─ひまわり畑など



 家の近所にひまわり畑がある。ぜいたくだと思う。先週末に自転車で出かけてきた。
 野川からすこし細道をはいったところに、いきなりの黄色、黄色い花たち。この日も暑かった。連日の猛暑。地上におりた太陽の子どもみたいな黄色いひまわり。太陽がいっぱいだ。
 夏にぴったりの花。ほぼ満開の見ごろだったと思う。この時期にこれたことをうれしく思う。
 住宅地の真ん中で、めだたない場所なのだが、ひまわり畑には、意外と人が集まっていた。だが花を愛でにくる人たちは、たいがい静かだ。しずかに花をみつめ、しずかに写真をとっている。花を、そして花とうつった自分や家族を。だから気にならないし、逆に親近感をもってしまう。彼らとおなじように自分が花をみにきていること。





 ひまわり、朝顔は、小学生の時に授業の一環として育てた花だ。順番は忘れてしまったが、一年生と二年生のときに。それもあってどちらもなじみがあるし、好きな花だ。朝顔は毎年のようにベランダで育てている。ひまわりもそうしたいが丈があるので…。
 わたしは基本的に父が植物を多く育てていたことから、植物は好きな方だ。父との思い出のなかに、植物の名前が数多くある。おもに山野草が多い。あるいは花の名前には父との思い出がそうとはしらずにこもっているのかもしれない。けれどもひまわりは、厳密にはそうではない。ひまわりや朝顔は、父の思い出と言うより、自分の子どもの頃を知っている花としての印象が強い。いや、そこにもおそらく父はいるだろう。たとえば夏の暑い中、タオルを首にかけ、手ぬぐいを陽射しよけに帽子のようにかぶって小さな庭で植物たちの手入れをしていた父などが。
 いや、父との思い出を今日は書こうと思ったのではない。ひまわりをみて、自転車で家に帰るときに、ほうせんかが植わっているのを見つけた。そういえば、ひまわり、朝顔は今でもよくみかけるが、あのころあちこちの庭でよく見かけた、ほうせんか、おしろいばな、ペチュニア、松葉牡丹などは、あまり見かけなくなったなと思った。その印象を少し書こうと思ったのだ。サルビアもむかしは赤い花をみかけたものだが、いまはむらさきのものをよく見かける。それも秋ではなく今の時分に。花も流行があるのだろう。
 あまりみかけなくなったようにおもう、ほうせんか、おしろいばな、だからか。かえって見つけるたびに、妙になつかしいような気がする。子どもの時に、とくに好きだったという花ではないのだが。かつてから今まで知っていることが、まるでかつてから傍にいてくれたような気がしてしまうのだ。ずっと花とともに在った…。おなじ花ではないというのに。
 ひまわりに対しては、それとはすこしちがう。街で、どこかの庭さきで、花屋さんなどで見るたびに、すこし心がざわつく。太陽のような花だと、しみじみ思う。夏によく合った、やさしい黄色。
 ひまわり畑でみたひまわりの多くに、アブがいた。ラベンダーを見に行ったときも、蓮をみにいったときも、その姿が見られたけれど、黄色と茶色の姿が、ひまわりに特に合っていると思う。足が花粉で膨らんでいるアブもいた。アブにもどこか勝手な親近感を抱いている。花をみにいくと、よく見かけるから。おなじアブではないというのに。こんなふうに、親近感に満ちたなにかたちが増えてゆくのだろうか。





 立秋も過ぎたというのに、夏が真っ盛りだ。今年は暑さのピークがいつもより、遅い気がする。好きな緑地では、かまびすしいほどの蝉時雨。ここには夕方ちかくになると、カナカナの声。どうしてヒグラシ、カナカナの声はあんなに哀しいのだろうといつも思う。この哀しみもまた親近感だ。盛りの夏がゆこうとしている。太陽の花、ひまわりもまた、もうすぐ頭をたれ、花の時期をおえてゆくだろう。ありがとう。また来年、あえるといい。
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2016-08-05

生の境目のなさを、ヤブミョウガが咲き、「動物襲来」する…(五島美術館)

 もうこれを載せている時点では終わってしまっている展覧会だけれど、五島美術館の「夏の優品展─動物襲来─」(二〇一六年六月二十五日─七月三十一日)に出かけてきた。
 ここは家から一番か二番目に近い美術館。東京急行電鉄(東急)を創設した五島慶太氏の美術コレクションが中心となっていて、彼の没した翌年の一九六〇年に開館している。コレクションは奈良時代の古写経、国宝「源氏物語絵巻」をはじめとする高梨仁三郎(たかなしにさぶろう)氏のコレクション、および守屋孝蔵(もりやこうぞう)氏の古鏡コレクション、福井貞憲(ふくいさだのり)氏旧蔵の刀剣、五島家旧蔵の近代日本画、宇野雪村(うのせっそん)氏旧蔵の文房具類など、国宝五件、重要文化財五十件を含む約五千件におよぶという。





 何回かいったことがあるけれど、実はそれほど期待していなかった。というか、たんに私好みの作品があまりなかったような気がして。けれども、動物襲来だ。なぜかこのごろ、動物に惹かれる。というか動植物に。植物は以前からだけれど、動物はいつからだろう。それをつきつめて考えたほうがいいのかもしれないが、とりあえず保留にしておく。たぶん植物のように、昔からなのだろう。顕在化したのがここ何年か、ということかもしれないような気がしている。
 それにこの美術館には庭園がある。傾斜のある、どこか小さな山にきたような気持ちにさせてくれる場所だった。それが素敵な呼び水となった。さらに、家から自転車でゆけるところにあるし。ぜいたくなことだと思う。日常がすぐに非日常になる。自転車という日常的な乗り物が異世界へゆくための乗り物となる。
 また前回につづき、火曜日、わたしの半ドンの日にいった。早朝だけ仕事で、昼はお休み。暑い夏の一日だ。五島美術館は、国分寺崖線という多摩川が武蔵野台地を浸食してできた傾斜地にある。個人的には、この国分寺崖線、湧水が多く、すきな名前なのだが、実際、自転車でそこに向かうと、眼の前に五島美術館の庭園が見える、緑深い林があるというのに、なかなかたどりつけないのが面白くも少し不安だった。すぐそこなのに道がない。崖下を東急の電車が走る。そうだ、道がなくとも、あの緑めざして、一周するようにたどれば、そのうち入口につくだろう。まずは崖下にある出口。「ここからは入れません」の文字が見える。さらに登らなければ。方向音痴のくせに、めずらしく安堵していた。木々たちが暑さのなかで涼しげに誘うようだったからかもしれない。なんどか来たことがある…といったけれど、実はいつもは車だったから、自転車でくるのははじめてだったのだけれど。
 やっとついた。印象は青山にある根津美術館と重なるところがおおいが、五島美術館のほうが起伏のある場所にあるからか、緑が深い気がする。根津美術館も庭園がある。こちらは東武鉄道の社長を勤めた根津嘉一郎氏由来のところだけれど。ああ、あそこは水琴窟があったっけ。根津美術館もかつてのわたしにとって、近い場所だった。当時やはり、自転車でゆけるところに住んでいたから。いまは五島美術館だ。家からの近さということも、わたしにとっての類似なのだろう。さらに、コレクションも日本・東洋美術などで、かさなるところが多いのだけれど。こんなふうに、近さや庭園の有無などで、後年、今いる場所からどこかへ引っ越したとき、またほかの美術館がわたしにやってくるのだろうかと、ぼんやりと思う。
 さて展覧会。さまざまな動物たち、香合や水滴、屏風絵に掛け軸など、およそ八十点、古墳時代から近代までの日本、インドネシア、中国…。正直、展覧会はさほど、おおっと思うようなものはなかった。すこしいいなと思ったのが奥村土牛《木鼡》(昭和時代)と小茂田青樹《緑雨》(一九二六年)だった。奥村土牛はもともと好きな画家だから、なんというか、親しい友人に思いがけず、出会ったような感じだ。けれども小茂田青樹は、それほどでも。ただ好きな速水御舟の同時代の人として認識しているだけにすぎない。そうして、いつも速水御舟に軍配をあげてしまう…。わたしは小茂田青樹にずっと失礼なことをしてきただろう。けど仕方ない。好みといってしまえばそれまでだし、面と向かって作者にそうつげたわけではないから、許してもらえるかもしれない(誰に?)。だがここにあった《緑雨》の緑の雨はすがすがしかった。小さな蛙が世界と調和している、凝縮の静けさ。ただ雨が降って。
 そのあとで庭園へ。くもりがちの晴れの夏の一日。夏にしてはまだ涼しい、出かけるにはちょうどいい気候だ。庭園案内図をもらった。なるべく自然のままの状態を保持しているという。崖上に見晴台庭園、中腹に茶室、崖の下に蓬莱池、瓢箪池、菖蒲園などの水辺がある。ゆっくりまわりの木々を確かめながら、木々の呼吸を感じながら、崖下へ降りてゆく。さきほどの出口が見えた。うろおぼえなのだけれど、近くには東急の電車の線路らしきものもあったと思う。不確かなのは、あまり見ないようにしたから。このちいさな緑の空間だけを味わいたかった。隔絶されたような静けさ。蝉が鳴き、オナガ、ヒヨドリの悲鳴のような声(ぎぃ、ぎゃあ)に混じり、知らない鳥が鳴いている。黒アゲハかと思ったほど、黒色が目立つモンキアゲハ、瑠璃色の筋が鮮やかなアオスジアゲハが飛んでいる。木々のなかにいると、いつも暑さがやわらぐ。あの暑さがしずまる瞬間をたしかめるように感じるのが好きだったっけ…。



 崖下の池たちへ。水を欲していた自分に気づく。いや、わたしはいつも水を欲しているのだ。意外なぐらいによどんだ池だったが、それでも鯉たちの姿にほっとする。橋や池の端に立つと彼らは寄ってくる。これも「動物襲来」だと静かに想う。



 池のほうで、あちこち、白い花に出合う。ヤブミョウガと立て札があった。なるほどミョウガに葉が似ている。子どもの頃住んでいた家の隣の庭にミョウガが生えていた。それを思い出す。だがこのヤブミョウガ、茎の先に、花序をのばして、葉よりもずっと小さい、つぶつぶとした花を咲かせている。
 はじめてみるか、知らない名前だった。あるいは名前を知らなかったから、いままで咲いているのを見ても気付かなかった、わたしにとって存在しなかったのかもしれない。どちらにせよ、立て札をみて、咲いているところをみて、今回、はじめてわたしが近づけた花だった。もう名前をおぼえた。これからは、かれらと出逢ったときに、名前でよべる。そしてこれからは、わたしの時間に、かれらが接してくれたと思えることだろう。名前を覚えているかぎり。



 白い花だったからだろうか、やはり近年名前をおぼえた花だったからだろうか、ノハカタカラクサのことを思い出した。湿った暗がりに咲く、白さを灯したような花。野墓宝草かと思ったが、ほんとうは野博多唐草。
 ヤブミョウガも、湿地を好むらしい。そう、五島美術館の庭園でも池の近くに生えていた。葉などは大柄な割に、小さな花をつけるところがかわいらしい。そして、今、これを書くにあたって調べたら、どちらもツユクサ科らしい。この類似もうれしい。ノハカタカラクサも、名前をしってから、どこか特別な存在になっている。ヤブミョウガもきっとそうなるのだろう。
 まだ類似があった。ノハカタカラクサをはじめて見たのは等々力渓谷だった。五島美術館から五キロぐらい先か。やはり国分寺崖線上に位置する渓谷だ。湧き出る水と、墓を灯すような白さに感動した覚えがある(だから名前の漢字を勘違いしたのだ)。別名トキワツユクサ。
 ヤブミョウガの白い花たちを目にやきつけるようにしながら、崖の上へ、美術館のほうへ戻る。途中でこんどは山百合の花。こちらも、なつかしい花だ。さきにミョウガのことを書いたが、そのミョウガが生えている隣宅に接したところに、父が育てている山百合の鉢植えが置いてあった。毎年、夏になると見事な花を咲かせたものだった。子ども心に、野生の花のはずなのに、なんでこんなに大輪で、園芸植物のように豪華な花を咲かせるのだろうと不思議に思った花だ。今、眼前にあるそれも、見事な大輪の花を咲かせている。



 これは偶然だろう、ミョウガと山百合がわたしの過去をくすぐるのは。けれども、こんな偶然がうれしかった。ヤブミョウガ。この名前はこれから、きっとわたしに大切なものとして記憶されるだろう。
 そのほか、庭園というか、山道には、石のヒツジやら象などが佇んでいた。「動物襲来」がこんなところに、とまた、やさしいようないとしいような気持ちで思う。彼らに会えて、うれしかったのだ。だんだん生がわたしにとって、その囲いをなくしているのかもしれない。生きているものとそうでないものと。亡くなってしまったものと、今生きているものと。亡くなった父を、山百合やミョウガで思い出すこと、石の象をあいらしく想うこと、動物たちにひかれ、植物にやさしさをもらうこと、これらは囲いがなくなってきていることからくるのではなかったか。すべては生きている。そして死にゆくものだ。わたしもふくめて。
 動物にひかれると、近年とくに想うようになったことの、それがひとつの答えなのかもしれない。生きているものと亡くなっているものを仕切る線が薄れている…。





 五島美術館にいって、数日後、べつの場所でヤブミョウガの花畑を見た。やはり森というか、日陰で。白いつぶつぶ。蝉の抜け殻が近くに落ちていた。いや、葉にくっついていた。まるで生きているように。動物襲来。生が境界を薄めている。その霧のなかのような世界が、それでも、だからこそ、いとしい。
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