Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2016-09-25

変化と相対とが連なって。書(描)いたことがうつつです。(「エッシャー展 視覚の魔術師」そごう美術館)



 そうして、ほかの展覧会のほうへ。「ガレとドーム展」(横浜高島屋、九月十四日─二十六日)を観にいったとき、横浜駅でポスターを見つけた。「エッシャー展 視覚の魔術師」(そごう美術館、九月十一日─十月十日)。ポスターを前にしたときの驚きには、いろんな思いが付随していた。わたしはエッシャーがかなり好きなのだが、まさかここで、今、やっているとは、それにちょうど横浜そごうで何の展覧会をやっているのか気にかけていたところだった、そしたら、こんな……僥倖という言葉すら、頭をよぎる。けれどもガレみたいに、今のわたしが見ると、もはや違った眼でみることになりはしないだろうか、かつては好きで接していたが、今は、のような。どうしようか。けれどもおなじ駅、横浜にいる。これは梯子するべきだろう、時間だって十分ある、ここで会ったが百年目、先ほど、やはり、エッシャーを見つけたことに、喜びの念を抱いたではなかったか。けれどもこれから行く「ガレとドーム展」を、おざなりにしないように、しなくては、などなど。そうなのだ、色々思ったが、今から思えば、結局なんだかんだいって、わくわくしていた。
 そして、「ガレとドーム展」のあと、高島屋のある西口から東口のそごうのある方へ。海のみえる屋上がある、あのデパートに、最初から行こうと思っていたのだ、それどころじゃない、こんな贈り物のような後押しがあるなんて。東口へ向かう足取りは軽かった。



 〈 一枚の絵の中に閉じ込められた小宇宙。そこには現実が超現実へと変わる不思議な世界が描かれています。
 オランダの版画家マウリッツ・コルネリス・エッシャー(一八九八─一九七二)は、建築家になることを夢見て、ハールレムの建築装飾美術学校で学んでいましたが、そこでグラフィックアートの才能を見出され、木版・石版などの版画の技法を習得しました。その後、イタリアやスペインの旅先で出会った風景に触発されて、独特の幾何学模様、建築物を用いただまし絵など、空間・時間・距離を凝縮した平面における三次元の世界を版画に表現するようになります。その高度な画面構成に注目。次いで若者たちやミュージシャンなどと中心に人気が高まり。“視覚の魔術師”とよばれるようになりました。
 生涯孤独を愛し、黙々と己の宇宙を版画に刻んだエッシャー。まだ、コンピュータもない時代、頭の中の精緻な設計図を写しだす版画技法は今でも驚くばかりです。
 本展では、ハウステンボス美術館所蔵のエッシャーコレクションから選りすぐった約百点の作品をご紹介します。風景をモチーフにした初期の作品からエッシャーが独自の世界に突き進んだ晩年の作品までを展示し、彼自身と作品の変貌を追いかけます。
 さらに、不可思議な立体やだまし絵、音と映像による不思議体験ができるコーナーなど、皆様をミステリアスな世界へ誘います。〉(チラシなどから)



 わたしが初めてエッシャーに触れたのは、それほど古くはない。二〇〇九年のことだ。七年前。たぶん北斎もそんなものだ。もっとずいぶんと前から好きだったような気がする。
 展覧会会場に入る。作品はほぼ年代順に並んでいるようだ。初期の、イタリアやスペインの風景。建物を緻密に描いた版画、浮世絵的な奥行きをこらした風景は、立体的にみせる試行錯誤が感じられ、後年のエッシャーを彷彿とさせる。何か、立体的なのだ。三次元を二次元に。いや、紙という平面に立体を。それは自分がみた現実を紙の上に克明にこぼそうとしている、意志の決意にも思えた。紙のうえで、現実とそれを描く人の何かが重なる、出逢う。三次元と立体が出逢うということはそういうことでしかないのだろう。現実と幻想が出逢うということ、体験と想像が出逢うということ。
 まだ、のちの彼の手法でよく駆使されるようになる平面の正則分割(ひとつの図形を反転、回転させ、隙間なく並べる手法)は使われていない。だまし絵的な要素もない。けれども萌芽を感じて、うれしくなる。のちの作品を想起しながら、期待と、そして久しぶりにであった懐かしさで、心がざわめく。
 風景たち、挿絵などのなかで、《静物と街路》(一九三七年、板目木版)が特にもはやエッシャー的な作品だった。もっと後期のものかと思っていたほどだ。窓からみた街の風景なのだが、窓際の机と街路が隔たりなく連なっている。書物やトランプ、パイプがある机が、道を歩く人々と切れ目なく続いている。ここに居ながらにして、机に座ったままで、現実と繋がるのだろうか。そうだといい。書くことで、おそらく、机に居ても、現実と接することができるのだ、エッシャーを観るわたしは、そんなことを、彼から受け取っているのだろう。だから、彼を好きだったのだ……、いや、今も。忘れていたけれど、彼のそんなところが私を後押ししてくれるようで、好ましく思っていたのだ。
 そして、次の展示は、いよいよ「繰り返し模様と正則分割」。同じ形のそれが下のほうでは魚、そして上にゆくにつれ、徐々に鳥になってゆく。色も黒から白へ。下半分では周りの海は黒いが、そこを泳ぐ魚は白だ、それが上半分では、空が白、鳥が黒、《空と水 I》(一九三八年、板目木版)。
 久しぶりに見て、なつかしくなった。そしてお目当ての《昼と夜》(一九三八年、板目木版)。下の田んぼが上にゆくにつれ、少しずつ形を変えて、空をとぶ鳥になってゆく。また画面左は昼で、空とぶ鳥は黒いが、それもだんだん変化し、画面右では、空は夜で、鳥は白。
 わたしはこの絵が大好きだった。昼と夜、天と地が、つながっている。鳥が大地と親しい。ひとつになれない彼らがここでは可能性をひめて、期待をこめて接し合っている。またこの絵に会えてうれしかった。それはほかの絵もそうだが、かつての私との再会でもあった。この絵を見れて、まだ今も好きだと思える自分がうれしかった。
 好きだった、今も好きと言える作品たちの展示が続く。《爬虫類》(一九四三年、リトグラフ)。スケッチブックに描かれた正則分割のトカゲが、右から紙の世界を抜け出し、本の上に乗り、三角定規の上、多面体の上などを歩いてゆく。そして左でまた紙に戻る。永久に繰り返される、その行為を一枚におさめたもの。平面から立体へ。紙に書(描)いたことが現実に。これは書(描)く行為にたずさわるものの夢の世界だと思う。
 そして「独自の世界 無限への挑戦」。滝をたどってゆくと、下にあった水が上になってゆく《滝》や、内側にたてかけられた梯子を登ったら外側にいたという《ベルベデーレ(物見の塔)》や、球面と四面体を組み合わせ、地球を現した《四面体の小惑星》、正多面体のまわりに自然の石ころを散りばめた《秩序と混沌II》など、多様な作品たちが並ぶ。《水たまり》(一九五二年、板目木版)も特に好きな作品だ。わだちのある水たまり。まるでそこに月が出ているように見える。殆ど同じ理由で《三つの世界》(一九五五年、リトグラフ)も。池だろうか、水面が描かれている。水の下には魚、水には落葉、そして木々が映っている。空と地と水たちが出逢っている。ここでもまた、別の方法で、エッシャーは連なりへの夢を語っている、そのことがしみるのだった。
 そのほか、オランダのハーグ中央郵便局の壁画になっているという《メタモルフォーゼII》(一九四〇年、板目木版)。多分、この絵は、今回観るのが初めて。長細く(一九二×三八九五ミリ)、左端がメタモルフォーゼ(METAMORPHOSE)という文字から始まり、黒白の四角の格子模様になり、爬虫類、ミツバチ、鳥、建物、チェスの盤になり、格子模様になり、最後にまた文字になる…。壮大な集大成だと思う。この絵の近くで、この絵のビデオ上映があった。バッハの曲がBGMで流れている。左端から右端へ視線を移してゆく、その行為を映像におさめているのだが、なんだかまるで時間とともに変化してゆくようで面白い。バッハの音楽とエッシャーの絵は共通項が多いと、会場内のキャプションで説明があった。あとで家に帰って調べたら、『ゲーデル、エッシャー、バッハ─あるいは不思議の環』(ダグラス・ホフスタッター著)という本があるそうだ。「不思議の環」とは、ある段階から移動することによって出発点に帰ってゆくこと。バッハには『無限に上昇するカノン』という曲がある。わたしはそのあたりはうといのだけれど、バッハは好きでよく聞いているので、わからないながら、うれしかった。そしてたしかに蜂が鳥にかわってゆく、建物にかわってゆく映像に、バッハの曲はよく似合っていた。
 そして、多分前回も観たのだけれど、そのときはそれほど印象に残らなかったもので、今回新しく響いたものとして、《もう一つの世界》(一九四七年、木口木版・板目木版)がある。窓のある壁でできた立方体の六面を覗くように見る感じ。窓には上面、壁面、床面にそれぞれ一羽の鳥が窓のむこうを見ている。上の鳥は、窓の外の下面を見下ろしている。月のクレーターのようなもの。真ん中の鳥は窓を背にしてこちらを見ている。窓の外はクレーターと空。下面の鳥も、窓を背にして、今度は上面を向いている。窓の外は星雲のある空ばかり。書いただけだと、わかりにくいかもしれないが、床が宇宙であり、天井が地面であり、鳥が眺めているのが中であったり、いや、鳥にとって、見ている私こそが、風景であったり…、つまり相対的ということが描かれて在ることに、感じることがあったのだ。それもまた、つながっているという、エッシャー的な探求として、環を、連環を感じて、その奥行きを想った。
 最後は「エッシャーの世界を体感しよう」ということで、不可能立体模型の展示があった。片目を閉じたり、スマホのカメラでみたり、撮影したりすると、無限に続く階段や、ボールを坂から転がしたのに、坂を登ってゆくように見えるものなど、楽しい展示が続いた。写真撮影OKということで、にぎわっている。



 そういえば、この展覧会、人ごみはどうだったろう。結構混んでいた気がするが、ほとんど気にならなかったと思う。おぼえていないのだからそうだったのだろう。直前にいった「ガレとドーム展」のほうは気になったが。人たちのせいというより、わたしのせいなのだ。気にする、気になるよりも、エッシャーとの再会を喜ぶことのほうが大きかった。先にも書いたが、それはかつての私との再会の喜びでもあったのだけれど。
 名残惜しかったが会場を出てミュージアムショップへ。図録を買おうと思ったが、元々ハウステンボス美術館で一九九四年に出したもので、多分持っているものだった。表紙の絵だけが違っているようだ。そういえば昔、ガチャガチャで、エッシャーの鳥や魚のオブジェを集めたことがあったなと思い出す。今も机からすぐ見えるところにぶらさがっている。だから、ここでは買いたいものがなかった。というより、買いたいと思うものは、すでに家にもうあるのだ。
 そうして、そごうだ、当初からの目的であった、海を見るために屋上に向かう。雨が強くなっていた。おまけにもう夜だ。日が暮れるのが早くなった。海と夜景が見えるだろう…。だが、残念。海がみえる場所は、期間限定でビアガーデンか何かになっていて、そこに客として行かないと見えないようになっていた。正確な日付は忘れたが、あと半月ほど。そしてその後、晩春か夏にかけて、また海が見えるようになるのだろう。残念だったが、まだエッシャーと出逢えた喜びにひたっていたから、それほどではなかった。エッシャーの水(《三つの世界》《水たまり》)を見たから、いいではないか…。帰りの電車で、また、鶴見川と多摩川を通る。街の灯の反映が、雨のなかで、うっすらとわかった。車窓から見えるそれは、夜のなかで海のようだ、雨粒が窓を横なぐりに流れてゆく。車窓の向こうからこちらを見ると、どんな世界がひろがっているのだろう。
23:06:44 - umikyon - No comments

2016-09-20

植物や、風景が、飛んでくる、虫の言葉よ──ガレとドーム展、横浜高島屋

 九月の三連休、バイトはしていたけれど、あいまをぬって、三つほど、美術館に出かけてきた。
 順番どおりではなく、会期終了間近のものから、先に触れておく。
 月曜日の敬老の日。早朝バイトが終わった後、天気だったらまた別のバイトに行かないといけなかったのだが、運がいいのか、悪いのか、雨だったので、横浜にゆくことにした。以前、ネットで偶然見つけてチケットを入手した展覧会をみに。「ガレとドーム展」(九月十四日─二十六日、横浜高島屋ギャラリー)。
 横浜のデパートでの展覧会といえば、そごうは何回か行っているが、高島屋は珍しい。というか、高島屋なら、いつもは日本橋に行くからなのだけれど。ちなみにこの展覧会は高島屋での巡回展で、最初は日本橋店でだった(八月三十一日─九月十二日)。展覧会のことを知ったのが九月に入ってからだったので、日本橋はやめて、次の巡回地、横浜に照準を合わせた。ちなみにその後の巡回地は京都(二〇一七年一月六日─十六日)。
 うちから横浜は意外なほど近い。意外に思うのは、すこし違うのかもしれないが、子どもの頃から、横浜は港町として、わたしにどこか憧れを抱かせる町だった。そしてそれはどこか遠い。実際、割と遠かった。たぶんその記憶が残っていて、それで今の近さに違和を感じるのかもしれない。それはやさしい違和なのだが。横浜は、もう、こんなに近くなったのだよという、手招き。
 ところで、エミール・ガレ。このあいだ、サントリー美術館で「オルセー美術館特別協力 生誕170周年 エミール・ガレ展」(二〇一六年六月二九日─八月二八日)を見たときに、もうガレはいいと思ったのではなかったか…。たしかにそうだ。なのに、なぜチケットを手にいれたのだろう。そして展覧会に行く気になったのだろう。自分でもよくわからない。けれども小さな理由たちが重なっているのはわかる。次の開催地が横浜だということ。チケットが驚くほど安価で手に入ったこと。ガレには食傷気味だと思ったかもしれないが、ドーム兄弟には、まだそこまで感じていないということ。そしてともかく展覧会にいって、うつくしいものに触れたかったということ。
 これらの小さなささやきが、後押しして、でかけるようにしむけたのだ。外は台風の影響によるのか、長雨のせいなのか、雨。家からバスで二子玉川にゆけば、乗換はあるのだが、同じ東急線なので、感覚的にはほぼ一本で行ける。多摩川を渡り、鶴見川を渡って。海のほうへ。横浜はわたしにとって、いつも港町だ。海もまた、なのか、海があるからなのか、ともかく海にひかれるのも、子どもの頃からだ。横浜そごうの屋上からは海がみえるのになあと思う。高島屋はそごうとは駅をはさんで反対側にあるから、見えないだろう。あとで横浜そごうにでもいってみるか…。
 ちなみに二子玉川駅から電車に乗るのは、ほぼこうしたこと、非日常でしかない。だからだろうか、なんだか雨の日なのに、すこしだけやさしい気にひたされる。これもまた展覧会にゆきたくなった理由のひとつかもしれない。非日常をかんじること。
 さて、駅についた。高島屋に向かう途中、そういえば横浜そごうでは、いま何の展覧会をやっているのだろう? と何となく思って、あとで、わかるかしらん、わからなかったら調べようかと思っていた矢先、横浜そごうで現在開催されているという展覧会のポスターを見つけた。びっくりした。時刻は午後二時半だったか。もう、申し訳ないけれど、「ガレとドーム展」は、二の次になってしまった。ぱっとみて、次にこの展覧会に行こうと、早速決める。ふだん、あまり美術館のはしごはしないのだけれど(ひとつの展覧会だけをかみしめたいので)、同じ駅にいるのだし、これはなにかの符牒なのかもしれないとも、勝手に思った。二時半。一時間ぐらい最初の展覧会で過ごして、三時半。十分行ける。
 実はそちらを先に書きたいのだが、先にもふれたように、会期終了が近いということがあるので、やはり「ガレとドーム展」を。
 月曜だったが、祝日ということで、おそらくそれなりに混んでいたのだろう。だが、それほど混雑は気にならない。美術館の特設会場というのは、どこか祭り的なところがある。特設、特別に設置された場所だからだろうか。そのお祭り的な雰囲気のおかげで、観る人々のおしゃべりなども、いつもよりも気にならなかったのかもしれない。それは彼らが静かだったからではない。実際、かかってきた携帯電話で、大声で話し始めた迷惑な御婦人などがいたが、こうして殆ど無理に思い出さないと出てこないほど、印象に残っていないから。




 さて、展覧会の概要をインターネットやチラシなどから。
 「十九世紀末から二十世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に花開いた装飾スタイル、アール・ヌーヴォー。その巨匠の一人として讃えられる人物こそ、ヨーロッパ近代工芸史に革命をもたらしたガラス工芸家エミール・ガレその人でした。一八四六年にフランス東部の自然豊かな古都ナンシーに生まれたガレは、幼い頃より植物や文学に親しみ、彼の芸術の豊かな素養を育みました。若くして体験したパリ万博では異文化に触れ、とりわけ、「ジャポニスム」に強く影響を受け、日本に憧れを抱き続けたと伝えられています。のちに、フランスを代表する工芸家として世界的な名声を博し、一九〇四年に五十八歳でその生涯を閉じた後もその作品は世界中で愛され続けたのでした。
そして、数々の優れたガラス工芸家たちの中でも、ガレ様式を受け継いだ存在がドーム兄弟でした。彼らの作品はガレの模倣にとどまらず、独自の世界観と造形表現を追求した稀有なものでした。本展では、日本に集うガレとドームの数ある作品から、エミール・ガレ生誕一七〇周年を彩るに相応しい貴重な名品の数々を、未公開作品を交え、総点数約一〇〇点で展観いたします。」

 ところで、展覧会のチラシ。入口で一枚しかもらえなかった。次回開催の展覧会のチラシは、高島屋の店内でみかけたのだが。別に一枚あれば十分なのだが、たとえば誰かにあとであげたりとか、数枚は欲しい。もっともチラシは基本、次回開催のお知らせなのだから、しかたないといえばしかたないが、少しさびしい。ちなみに、他の階の画廊で、「アール・ヌーボー、アール・デコ ガラス作品展」というのをやっていて、そこで何点かガレとドームの作品が販売されており、あとでのぞきにゆき、葉書をもらった。そして次にいった横浜そごうで、最終日ということで、まもなく閉まる、あわただしいなかで「ガレ、ドーム&ヨーロッパコレクション」、こちらではきれいなリーフレットを頂いた。どちらの画廊でも、展示作品に値段がついている。数十万から何百万。手が出ないが、こうして紙媒体で何かを連れて帰るのは、おみやげ、記念のようで、ゆかしいものだ。そして最終日、ぎりぎり間に合ってよかったと思う。もっともこうした画廊の作品展は、販売目的なので、あまり純粋に鑑賞できないのが、難点なのだけれど。鑑賞しようと作品を眺めていると、係の人が寄ってきそうで。
 さっきから、とうの展覧会へ、なかなか話題をもってゆかないでいる。前回、サントリー美術館で観たときよりも、印象は悪くなかったのだが、やはり、もう彼らを見る眼がどうも、今のわたしは、何かが離れている。おそらく、かつてのわたしは、彼らの自然を見る眼に共感していたのだと思う。彼らのガラスの器のなかで花が咲く。虫が飛び、木々がふるえる。その彼らの刹那と永遠の出逢いの行為に、魅了されていたのだと思う。
 今は、自分なりに自然というか、植物や、景色たちに会うことにどちらかというと、比重が傾いているので、もはや作品たちと距離をとってしまっているのかもしれない。そう、彼らのせいでは決してないのだ。こちらの心の持ちようなのだ。
 ということを、ドームの方の展示で気付いた。「オランダ雪景色」で花器や蓋物、ランプなどのシリーズがあった(一八九五年─一八九九年頃)。この小さなガラスに閉じ込められた景色たちに、かつては惹かれたものだったなと、過去を想った。なら、どうして今はあまり…とも。わたしは、おそらく彼らとべつの風景をどこかに見ているのだ。けれども、特にランプの中、ガラスに描かれた風景たちには、少し心が残った。作品のなかに世界が閉じ込められている…。それはランプという性質上、とくにぬくもり、あかるい光が感じられる。当時は電球が普及しだしたということもあり、新しさと古さの出逢いでもあったろう。自然と文明の対立と、自然へむけはじめた眼…。それは自然が破壊されつつあり、あやうくなってゆく時期とも重なるけれど。
 そのほか、ガレの《鯉文花器》(一八九五年頃)、《海の神々文花器》(一八九四年頃)。どちらも透明感あるガラスが、青くなっていて、水を想わせる。ガラスに閉じ込めた水が、花器となって、さらに水を入れ、水と親しくなる、呼び合って。





 横浜そごうのミュージアムショップで一冊の本を買った。「入江泰吉 万葉花さんぽ」(入江泰吉/写真、中西進/文、小学館文庫)。わたしが日ごろ出逢っている花たちがそこにいるかもしれない。或いは知らない花たちを教えてくれるかも。彼らと花を通して、出逢えるかも、そう思ってのことだった。早速、帰りの電車の中で開いたら、「はじめに」のところで、「万葉びとは自然のありさまと人間の心とを、区別しなかったのである。/ 現代人は自然と人間を別々のものと見るから『万葉集』がわかりにくいが…」とあった。ちょうど、このごろ、なんとなく考えていた自然とのありかたのことを、切りこまれたようで、すこし驚いた。こんなふうに、いろんなことたちが、時宜を得て語りかけてくれる、そう思うことが、すこしうれしい。
 この時期だと、彼岸花が花芽をだし、早いところではもう咲いている。そして十月ぐらいのイメージがあるホトトギスの開花(ぬくぬくの毛皮のような花びら)、そして色づきはじめたムラサキシキブ。たぶん、エミール・ガレもかつて、わたしに植物のことを教えてくれた人だったのだなと、頁をめくりながら、どこかで思った。六時半過ぎ、あたりはとうに真っ暗。日が暮れるのがずいぶん早くなった。もう車窓から花たちは見えない。夏だと思っていたのに、けっこう冷たい雨が降っている、さきほどより雨脚が強くなった。バスが家の近くの停留所に着いたのはわたしにしては、遅い時間の八時近かった。バイトのあとで美術館をかけもちしたから、結構疲れていたが、悪くない疲れだった。百日紅が、夏から秋をまたにかけて咲いている。もはや蝉の声はあまり聞こえなくなってきた、そのかわり、秋の虫たちがすだく音。今日は雨で、聞こえないけれど。けれども、ここで、なぜかガレのバッタを思い出したり(《飛蝗文双耳花器》(一八七〇─一八八〇年代))。どこか日本の磁器を想起させるガラスの器に、大きな茶色のバッタ。別に秋の虫では、秋に鳴く虫のなかには含まれないのかもしれないが。雨脚が強くなった。
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2016-09-05

夏が終わった。思い出が本物と交わるだろうか。

 夏が終わったのだろう。わたしの夏は立秋ではなく、八月三十一日に終わる。遠い日の思い出、夏休みの終わりの時だ。
 早朝バイト、実は支店内で移動があった。今勤務しているのは駅の近く。広場があり、そこではおそらく六時半ぐらいからラジオ体操をしている。おそらくというのは、その時間は構内で作業しているので、わからないのだ。荷物の積み下ろしでドアを開ける七時近くに、ラジオ体操の音が聞こえる。私自身は、ラジオ体操、あまり熱心な子どもではなかった。学校以外で集まってなにかをするのがいやだった。学校が休みでほっとしているところに、どうしてそんなことをしに行かなければならないのか。たぶん、今から思うとそんなことを考えていた。言葉にはせず、あるいはできずに、もやもやとしたかたまりとして。それだけではなかったかもしれない。今のわたしはほぼ皆勤賞もので、早起きして仕事にいっているが、当時は遅刻が多い、朝が苦手な寝坊の子どもだった。低血圧や体が弱いせいかと思ってもいた。理由たちが今思っても錯綜している。からみあって、わからない。さらにそれだけではなかった、学校に行きたくなかったのだ。今だって仕事に行きたいわけではないけれど、それなりに責任感なんかも出てきたから、仕方なく行っている。学校に行くときは、責任感はあまりない。困るのは結局自分だから。
 いや、何を書いているのだろう。ともかく今年の夏の終わりは、なぜか、こんなふうに過去の事をちょっとずつ思い出してしまう。人とあまり会わなくなったからかもしれない。

 思い出について、少し考えてみる。思い出というと、なんとなく昔のことのような気がする。そう、昔のことをよく思い出すと書いたが、すこし違う。昔のことが、遠くなっている。その遠さごしにかつての自分を、どこか他人ごとのようにながめている自分に、しずかな驚きを感じている…。ほんとうに、あれがわたしだったのか。つながりがないようで、でも、まぎれもなく、わたしなのだけれど。あの学校嫌いの子どもを、他人のように分析する。けれども、彼女のいきいきとした想いは、もはや伝わらない。
 けれども、また、思い出のなかで、生きているような気もする。ずっと、それは悪いことのような気がしていた。だが、それなりにながく生きてくれば過去もふえる。過去たちがたくさん、積み重なって、今の自分があるのだから、思い出だって増えて当然だ。それらに生かされているという部分もある。たとえば、学校嫌いでいえば、他人が苦手だった、集団が苦手だった、だからこそ、こうして一人で物を書くようになった、という面があるのだから。
 ふりかえって、昔はよかった、という意味で美化しているわけではなければ、思い出を肯定して、もっと、いいのだと思うようになってきている。
 そういえば、具体的に、夏の思い出をあげてみよ、ともし、きかれたとしたら、たくさんありすぎて、どれをあげたらいいか。というか、小さな思い出たちがたくさんで、あるいは、ラジオ体操のように今現在行われていることでの触発がないと、なかなか出てこないという面もある。思い出と今は、そんなふうにも繋がっている。夕方になると、あるいは朝方、バイトに向かう途中、緑が多いところをぬけると、まだヒグラシが鳴いている。あれはどうして哀しいのだろう。死んだ男の魂を哀しんでいるから。と、思ってしまう。昔の男、亡くなってしまった男が、ヒグラシの声が好きだった。そのことを思い出して、哀しげな声だと、感じてしまうのかもしれない。けれどもその思い出と、哀しいと思う自分が混ざりすぎて、もはやだれが哀しいのか、なにが哀しいのかわからない。カナカナカナカナ…。風のうわさで彼が亡くなったと聞いたのは、いつだったか。



 けれども、夏の思い出といって、必ずと言っていいほど、真っ先に浮かんでくるものもある。たぶん二十歳ぐらい。それなりに木々が植わっている、道に面した長細い公園。夜中だった、すこし酔っていたわたしは、何気に公園のベンチに寝っ転がってみた。木々に包まれるようで、心地よい。木洩れ日はなかったけれど、星たちが木々の間から降ってくるような、やさしい夜だった。昼の暑さが引いて、すこしだけひんやりとすらして、気持ちの良い夜だった。ベンチの上が、あまりに心地よかったから、調子にのって、道のほうへ向かい、今度は道路に大の字に寝てみた。さきほどから車もほとんど通っていないことは、一応確認していた。すこしの冒険、という意識があり、わくわくしていたのも覚えている。寝っ転がった背中に、アスファルトがじんわりと熱をおびているのが感じられた。昼の暑さを温存している。それはひと肌のようだった。そのことにいたく感動した。道路にやさしさをもらったような気がした。けれども、その感動だけが、もう遠い記憶となってしまい、何に感動したのか、もう覚えていない。
 実際、アスファルトを感じたのは数分だと思う。車にひかれちゃうよなと、なかば笑うような気持ちで、すぐさま、起き上った記憶はある。
 今はもうアスファルトに寝転ぶことは色々、差しさわりを考えてしない。それはもちろん正しいことというか、当たり前なのだけれど、どこか、それをしない自分が淋しくもある。
 何への感動だったかは覚えていないが、あの温かい、アスファルトの記憶があるからこそ、いまも、ものたちへ、どこか、ひと肌を感じることがあるのかもしれないとも思う。
 たとえば、わたしの愛用の腕時計。二十四歳位のとき、ボーナスで買った。その頃につきあっていた、尊敬する、師匠とでもいうべき人が「本物と接しなさい」といったことがあった。わたしはその言葉の意味がよくわからなかった。わからないまま、みようみまねで実践した。時計はその一部だ。今ならなんとなくわかる。たとえば、本物の放つオーラというものがある。それを感じるようになるには、本物に接することが必要だとか、そういったことだ。べつに高い本物を買えという意味ではない。本物に触れ、そうして、なにかを研ぎ澄ますこと。これもその言葉となるべく接してこようと勤めてきた、思い出とともにあった、からといえるのかもしれない。
 ともかく、わけもわからないまま、本物だろうと買った腕時計。それまで安いものを買っては買い替えるということを繰り返していたので、そろそろ、そのサイクルを断ち切りたかったというのもあった。だが、本物とかそういうことから、もはや飛びだして、わたしの一番のお気に入りになった。今もしている。修理を何回かして。だいぶ疲れてきたのだけれど。
 先日、ひさしぶりに都会にでかけた。時計売り場があるところ、たまたま通ったので覗いてみた。日常、仕事の時などにする腕時計が欲しいと思ったから。だが駄目だった。今している腕時計が好きすぎて、どれも、いいとは思えない。その時計を休ませるためのものが欲しいと思ってのことなのに選ぶことができなかった。やっぱり、この子がいい、この子以外の子は考えられない。どんだけ好きなんだと苦笑してしまう。それならベルトがそろそろ疲れてきたからそれだけ、買い買えるほうがいいか。
 そう、腕時計を殆ど擬人化して、大事に思っている。あれは、あのアスファルトにひと肌を感じた記憶と重なっているのではないかと、ふと思う。それはぬくもりだった。腕にからみつく、やさしい安心感。おそらく、もっとふるくは、ぬいぐるみや人形にそれを感じたことが最初かもしれないけれど。
 過去たちが集まって、それでも、私の一部になっている。ラジオ体操はもはや聞こえない。秋の夜の虫たちのすだく音が、さびしいぐらいににぎやかになってきた。

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