Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2016-12-25

負から慌ただしく逃れたら、年の瀬の声が

 ぼうっとしていたら、もう年末。毎年十二月の中旬ぐらいまではほぼ年の瀬の実感がない。ただ日が落ちるのが早くなったなと思うぐらい。わたしが出かける朝は朝といってもほぼ真夜中。朝五時前。星と満月過ぎの月が見えるばかり。
 中旬をすぎてもまだ、あまり実感がないけれど、クリスマスにむけて街が賑わいをいよいよ増すような気がする。ケーキ、オードブル、プレゼント、イルミネーション、ポインセチア、クリスマスリース。これらがすこしずつ装いに加速度を増してゆく、そのなかで、すこしだけ、私の心もようやく年の瀬を感じてゆくのだろう。
 イブを過ぎたら、街はとたんに年末になる。正月の準備であわただしく賑わいをみせてゆく。実感がいきなりやってくる。そんな風に毎年、暮れてゆく。






 そんな微妙に年の瀬を感じつつある、十二月の下旬、いよいよ、両国にあるすみだ北斎美術館に行ってきた。今年平成二十八年十一月二十二日オープン。北斎美術館が出来ると知ったのは、いつだったろう。おそらく北斎を好きになってからすぐだ。オープンするまで、何年も楽しみにしていたものだった。開館当日に行きたいとまで思っていたと思う。
 そうだ、まだ暑い時期の、オープン前に美術館の外観まで見に行ったではなかったか。北斎生誕地近くにある、所縁も深いはずの美術館。それが何故だろう。実は間際になって、あまり行きたい気がしなくなってきた。その頃、さかんに美術館や北斎を紹介したり、特集する雑誌などが出てきていて、そのなかから、二冊ほど買ったことがあった。たぶん、その記事たちで、なにかを感じとったのだと思う。なにか負の部分を。基本的に紹介記事なので、いいことしか書いていなかったのだけれど。
 その負の部分とはなにか。行ってきた後の今もぼんやりとしかわからない。もちろん北斎に対する私のほとんど愛情に似た想いに変わりはない。だからこそ、負の部分を感じつつも重い腰をあげたのだが。ともかく、なにか美とは関わりのない、気配が漂っていたことに、ほとんどしずかな暗さすらおぼえてしまった。正体はわからない、けれども、なにかすこしの哀しみが漂っていた。
 実は、この文章も書くのに二の足を踏んでしまっていた。正体がわからないからではなく、大好きな北斎にまつわる、いや、北斎の絵と関わりがないものたちの放つ負に触れることをしたくなかったのだと思う。北斎には美のなかでのみ輝いていてほしい。あるいはわたしが北斎について書くことは、共鳴であったり驚愕であったり、肌がふれあうような美との接点だけにしたかった。それ以外のどんなことも…。
 いや、それではあまりに、美術館にたいして、扱いがよろしくないのではないだろうか。いいところもおそらくあった。第一、なにが悪いともわからないのだ。あまりに近代的すぎる豪奢な内装、外装に? デジタル化がすすんだ、温もりが感じられない説明に? 常設での、展示をそこねる、足元を走る青い、うるさい照明に? 真贋が危ぶまれている収蔵作品たちに? 区の名所の宣伝のためと化した展示に? 負のものたちをあげればきりがない。それらがもっと、闇を抱えていること、開館に対して、住民を含めた、あちこちからの反対、税金のむだづかい、それらを知ったのは美術館に出かけた後だったが(それも、知ろうとしてではなく、いつものようにここを書くにあたって何気に検索したら、すぐにそれらがヒットしたのだ)、そんなことも含んでいたのだと、ぼんやりと思う。
 そう、さっきから、この負の正体がわからないから、結局北斎のことを書かないでいる。それでも彼の作品にたいしては、いつものように、しみてくるものがあったのだ。ああ、これがみれて、これが感じられて良かったと思える出逢いがあったのだ。
 わたしは今、あるはざまでゆれている。作品に対して、いつものように感想を書き留めてみたいのだが、それを止めておきたいという思いも、ついぞわきあがってしまう。あの美術館に所蔵されているものにたいして、感想を書くということは、あの美術館の存在を認めてしまうことになるのでは…。そこまで、あそこに対して、こちらからも負の感情のようなものを抱えているのかと、文章にして気付き、すこし苦笑してしまう。
 展示を見てまわっているときから、頭によぎっていたのは、信州小布施の北斎館だった。ああ、あそこに以前、出かけていて本当に良かったと。あちらの北斎館はすくなくとも北斎に対する愛がそこかしこに感じられた。晩年の四年を門下の高井鴻山に招かれ、小布施で過ごしたという縁による美術館。晩年のほんの一時期だ。街おこしにしても、北斎、そして高井鴻山に対する愛着と敬意が感じられた。それがやわらかく町を包んでいた。あの気配のすがすがしさのなかで、あまたの肉筆画たちに出逢えたのは、ほんとうに幸せだった。たいして、すみだ北斎美術館のある墨田区は、生涯転居を繰り返した北斎が、そのほとんどを過ごした場所ではあるのだが…。
 あの負に対して、哀しみが漂うと感じられた理由はわかった。それは負のせいで、この先、この美術館で、北斎をみにいこうと思えないだろう、そのことにたいするものだった。大好きな北斎との仲をさくもの、それがわたしにとっての負でもあった。こうした考えは間違いかもしれないが、もうあそこで飾られた北斎は見に行く気になれない。北斎に会いに行く大切な機会が減ったことに対する哀しみだった。北斎がいつでも見れると楽しみにしていたのだが。

 日が暮れるのが早くなった。展覧会についたのが三時近かったか。美術館のある両国に行くには、総武線で新宿から千葉方面に向かうのだが、その度、車窓から皇居のお堀たちを見るのが楽しみだった。市ヶ谷、お茶の水あたり。けれども、車窓から見た水がどこか汚かった。ゴミが浮いている。こんなに汚かったかしら。夏の暑いさなかの真緑の藻でいっぱいの水を思い出す。あれだってきれいとはいえなかったけれど、こんなには。けれども渡ってきた鳥たちなのだろうか、鴨のたぐいが増えている。そのことでよしとした。心がなごんだ。と思ったら隅田川だ。わたった先に両国がある。ゆたかな水量をたたえた、冬の川だ。
 そして美術館からの帰り、というか、美術館を出たらもう暗かった。夜のなか、また総武線、車窓から隅田川、お堀たちを。考えればすぐわかるというのに、あまりにも昼間と景色が変わっているのに、うれしいような驚きがあった。夜の灯のなかで、隅田川は大川と呼ばれたかつてを想わせた。なぜだろう。単純に水量の多さが、大きさを連想させたからだろう。夜の中で、辺り一面に黒い流れを這わせてみえた。それは湾になった海のようだった。実際、隅田川は海に近い。あの黒く発光するような水の向こうに、江戸が流れていったのだろうか。あのあたりに北斎はいるのかもしれない。わたしは、河口の方角を食い入るようにみた。にじんだ岸の灯たちがまなうらにやさしい傷跡のように点滅する。
 つぎに皇居のお堀たちが線路と平行してみえはじめた。昼とうってかわって、水はやさしい、きれいさをにじむ鏡となる。ああ、こんな夜の水を親しく感じていたのだったなと思いだす。これだけでもよかったではなかったか。
 日が暮れるのが早くなった。美術館を出たのが五時近くだったと思う。家の最寄駅についたのが六時ぐらいだったか。最寄駅だというのに、この駅に来るのもひさしぶりだった。近くにいるついでに、駅ビル内にある書店をのぞいたり、クリスマスグッズたちを見て回ったりする。家についたのはもう七時だった。日没の四時台から、まだそんなに経っていないような気がしたけれど、もうこんな時間かと、不思議になる。こんなふうに年も暮れるのだろう。クリスマス…と思っていたら、もう晦日の声でにぎやかで、あわただしくって。
 もうそれでも冬至はすぎたのだ。これから、また一日一日、日が長くなってゆく。
 美術館に行った翌日の夕暮れ。家の窓から夕陽に染まる富士が見えた。これも北斎の赤富士(《富嶽三十六景 凱風快晴》)かしら。そんなことを想ったかどうか。
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2016-12-15

言葉が爪のように蝶のように─デトロイト美術館展、川端康成「片腕」

 またすこしここをあけてしまった。すこしなのに、ずいぶんたっているような気がする。前に書いたのは円山応挙か。それすら遠く感じられる。
 この期間、ほとんど言葉と接しなかった。言葉をつづらないと、ものごとたちが希薄なままでいるようでもある。まるで言葉をおぼえた時から、記憶がはじまるように? そう、わたしには二歳半ぐらいから記憶がある。言葉という道具があってはじめて、記憶にできるのだ。ぬりえでもするみたいに。現実もまた、ことばによって色づくのだろうか。
 図書館で、このごろ、歴史小説ばかり借りていた。子どもの頃、歴史は人がつくる本当の物語だと思っていた、あの偉人伝ばかり読んでいた頃のことを思い出したかったというのも、すこしはあるかもしれない。歴史小説にでてくる日本語が、もしかして、このごろ喋られたり、書かれている小説のものより、美しいかもしれないと思っていたかもしれない。そしてすこしの逃げ。読みやすいのだ。没頭しやすい。けれども、何日か前、図書館で。つぎの本を借りようと思ったときだ。歴史小説的なものをめくってみたが、何故か拒否反応がおきてしまった。いまの作家のものを読んでみようと思ったが、会話の多い文体が気にかかってしまう。そしてまたもや久世光彦だ。わたしに日本語の美しさを再確認させてくれた彼だ。『美の死』という書評を集めたものを、最近知って(二〇〇一年に出たもの)、こちらは図書館で借りたのではなく、購入したのだけれど、それをぱらぱらと読んでいたら、川端康成の「片腕」「眠れる美女」の事が書いてあった。〈「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝に置いた。〉(「片腕」)
 これらは新潮文庫などでは『眠れる美女』として、一緒に所収されている。わたしはこの本を持っている。ずいぶん前に読んだはずだ。けれども見当たらない。いや、ある場所は大方判っているのだけれど、出すのがかなり困難なところにあるのだ。それはともかく、なぜかほとんど読んだ記憶がない。
 そうだ、図書館で、歴史小説をさがすことに虚しさをおぼえていたとき、家でふとめくった『美の死』のこと、川端康成のことを思い出した。わたしはかつて川端康成の小説が好きだったはずだ。図書館で『眠れる美女』を見つける。頁をひらくと緻密なことばたちが誘うようだ。匂いようだ。なぜ、わたしはこんな言葉たちから、離れようとしたのだろうか。
 これと、川端康成の『川のある下町の話』を借りる。こちらは多分、本当に読んでいないと思う。結局、歴史小説的なものから、ここに戻ってきてしまうのだ。なぜ遠回りしたのだろう。言葉と離れたかったのかもしれない。離れて、また言葉を大切に思うことができますように。どこかでそう願っていたのかもしれない。
 それではまるで、はずした「片腕」のようではないか…。はずした腕の娘は、片腕でどうしたのだろう。なくして、はじめて気付くなにかがあったのではないか。この物語は男と片腕の物語なのだけれど。





 そうして、『眠れる美女』を読んでいたとき。まるでこれが呼び水になったように、「デトロイト美術館展」(二〇一六年十月七日─二〇一七年一月二十一日、上野の森美術館)の招待券を思いがけず入手した。「大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち モネ ルノワール ゴッホ セザンヌ マティス ピカソ」と副題がある。
 実はこのごろ、この手の名画たち、もういいかなという気持ちがあった。なんとなく、食傷気味になっていたのだ。だから、もうしわけないけれど、行く気はなかった。いや、開催していることを実は知らなかった。けれども、ちょうどわたしのなかの何かが動こうとしているとき、手にはいった鑑賞券だった。これがきっかけで、また想像の世界へ向かおうとすることができるかもしれない。そんなことを想ったか。届いたのが月曜日だった。翌火曜日は、昼の仕事がないので、一番美術館に行きやすいということもあった。これも行けということかもしれない。ただ、招待券に「月曜、火曜に限り全作品写真撮影可能」とあるのが、すこし気にかかった。デトロイト美術館で、撮影可能ということで、それにならってのことらしい。撮影可能だと、観て感じることに集中できない。撮ったことで区切りをつけてしまう心がうまれてしまう。録画した映画などをなかなか見ないように。けれども写真撮影可能なら、カタログを買ったり、絵葉書を買わないでもすむという利点もある。それに撮影可能という展覧会に、あまり遭遇したことがないので、試してみたいという思いもあった。逡巡したけれど、行くことにする。
 上野もひさしぶり。上野には、美術館がいくつも存在するが、上野の森美術館は、そのなかでもあまりなじみがない。
 景色は冬、というより紅葉や黄葉が盛りをすぎ、まだ葉をかろうじて残している、冬だけれど晩秋を感じさせる季節の招き。その日は、曇りだった。冬の寒さも、ほかの季節よりも遠い太陽も苦手だ。だからなおさら晴れ間を恋しくおもった。せめて晴れてくれたなら。
 さて、美術館。展覧会会場へ。
 「一八八五年の創立以来、自動車業界の有力者らの資金援助を通じて、世界屈指のコレクションを誇る美術館として成長したデトロイト美術館。しかし、二〇一三年にはデトロイト市の財政破綻に伴い、所蔵品の売却という危機に直面します。その時、美術館を守るために立ち上ったのは、国内外の支援者とデトロイト市民たちでした。危機を乗り越え、コレクションの中核を成す選りすぐりの傑作、全五二点が上野に集結。モダンアートの目覚めから、今へとつながる西洋絵画の潮流を一望できる貴重な展覧会をお見逃しなく。
」 (チラシなどから)。




 写真撮影可能ということや、ルノワールやゴッホ、モネなど有名どころというか、彼らの展示があるものは、たいてい混んでいるので、覚悟していったのだが、それほどのことはなく、そのことは良かった。ちょうどいい混み具合。最初のごあいさつ、メッセージなどから写真を撮っている。なるほど、こうした文章もあとで参考にするには必要かもしれない。
 写真撮影のことだけ、先に書いてしまう。やはり観ることに集中できなかったが、行く前に考えていたよりも悪くなかった。一番の理由は会場が静かだということ。わたしはこのごろ平日に展覧会に行くことが多いが、平日は混雑は土日ほどではないが、印象として、観客たちのおしゃべりが土日よりも気にかかることが多い。ともかく年配の人たちが会話しながら観ているのによく出くわすのだ。それが、今回はほとんどなかった。観光地でのように、人々はほとんどがカメラに眼の前のものたちを捉えることに多くの関心をしめている。だからおしゃべりが少ないのだろう。おまけに写真を撮るときに、前を横切るのをためらったり、会釈したり、そうした礼儀のようなものが、暗黙の了解としてあって、そのことも心地よいものだった。ほんとうにまるで観光地…。かれらはほとんどが静かにカメラに収めている。わたしも含めて。そのことに奇妙な連帯感をもったりもするのだ。
 あるいは慣れの問題なのかもしれない。景勝地などで写真を撮るのは、もはやあまり気にならない。景色と対峙するのに集中できない…とは思わない。いや、じつはかつてはそう思っていたのだが、今では両立しているのかどうか、どちらも中途半端かもしれないが、わたしのなかでは折り合いがついている。美術館で展示作品を…ということも、機会を重ねれば。
 順番が逆になってしまっているが、展覧会自体…。写真撮影のことがあってか、実はわたし個人としてはいまいちだった。わりと好きなはずのゴッホ、セザンヌ、モネ、ちょっとした友人のように勝手に思っているルノワール(作品をみるたび、知人に会ったようなほっとしたものをいつも感じるのだ)をみても、いつもならわきおこる温かい共鳴のようなものが浮かび上がってこなかった。とくにモネは、食傷気味だと思ってもいても、それでも出合えば、いつも何かしら、感じるものがあったはずなのに、さわやかな風がふいていたはずなのに。
 けれども。オディロン・ルドン《心に浮かぶ蝶》(一九一〇─一二年、油彩・カンヴァス)。キャプションも写真に撮ったので引用させて頂く。
「赤みを帯びたオレンジの背景の中に蝶が描かれる。題名にもある通り、描かれているのは現実の蝶ではなく心の中の蝶である。蝶はギリシャ語で「精神」を意味し、キリスト教的な価値観では生命、死、復活を象徴し、二十世紀の初めには象徴的に魂を暗示するもの、時として死後肉体を離れる魂を擬人化したものとも見なされた」



 作品をルドンのものと知る前に、なんとなく予想ができた。それはほとんど救いのように、居場所として手招きしていた。ここでなら、何かが共有できるのだと、ここでなら、風が行き交うのだと。思いこみかもしれないが、これらの蝶、そして赤い背景は、血脈をもった幻だった。いや、現実と幻想の境を行き来する、それは言葉の化身のようでもあった。借りてきた若い娘の片腕、そのはかなげな爪。〈脆く小さい貝殻や薄く小さい花びらよりも、この爪の方が透き通るように見える。そしてなによりも、悲劇の露と思える。娘は日ごと夜ごと、女の悲劇の美をみがくことに丹精をこめて来た。それが私の孤独にしみる。私の孤独が娘の爪にしたたって、悲劇の露とするのかもしれない。〉(川端康成「片腕」)。
 たとえば、そんな爪のような蝶だった。心と現実を行き来する、わたしとあなたを行き来する、言葉のような蝶だった。
 これを見ただけでもよかった。見れただけでも。その後も展示は続いたが、カンディンスキー、マティス、ピカソ。もともとあまり引っ掛かることがなかった画家たちの作品だったこともあり、ほとんど感慨なく、みて回り、出口へ。
 ところで、出品リストは入口でもらったが、本展覧会のチラシをここで入手することが出来なかった。上野の森の、違う美術館にいけば手にはいるかもと思う。いや、手に入らなくとも、ミュージアムショップを覗くだけでも楽しいではないか。森を横切り、東京都美術館、国立西洋美術館へ。特に国立西洋美術館は、世界遺産に登録されてから、はじめて行ったと思う(二〇一六年七月に正式登録されているというから、そうなのだろう)。もともと好きな美術館なので、世界遺産登録は、個人的にすこし複雑だったが、これで客足が増えれば、きっといいことなのだろう。常設展示の松方コレクションが大好きだったのだ。いまでもほとんど安らぎとして、大切に感じている。だが、そのことで世界遺産登録になったわけではない、「ル・コルビュジエの建築作品」として登録されている。それがひっかかっているのだ。
 ちなみに、ここでようやくデトロイト美術館展のチラシを入手することができた。ミュージアムショップを覗き、モネやゴッホの絵葉書を見る。これらの作品は、好きだと思ったものだった。作品をみたときに通った風を思い出す。モネの睡蓮、そしてゴッホの薔薇。
 美術館の庭にロダンの彫刻群。イチョウの黄葉のもとに《考える人》がいる。秋のなかで(実際は冬なのだろうが)、その姿はよく似合った。



 おおむね、おだやかな、風のなかで。日が暮れるのが早くなった。帰りの電車に乗ったときはまだ明るかったが、駅の最寄駅についたら真っ暗だった。うたたねしたり、『眠れる美女』をめくったりしているうちに。
 改札を出ると、外は雨もすこし降ってきたが、気になるほどではない。時刻はまだ午後五時前だ。雨と曇りの間で、昼と夜の間で。また言葉は腕を差し出してくれるだろうか。いや、私がその腕を求めるだろうか。
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