Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2017-02-25

小さい春



 冬が苦手だ。昔からそうだったが、特に意識するようになったのは、以前、もうだいぶ前だが、うつ病にかかっていた頃だっただろう。冬の日光量の少なさが、あの病には多分に影響するらしい。それが特に如実に感じられた頃。日光量に左右されるなんて植物みたいだと、何となく思っていた。冬の陽射しの遠さが、たしかに身体から何かをうばってゆくような心持がしたものだった。はやく春になればいい。
 あいかわらず冬が苦手だが、以前に比べると冬の良さを探そうとしている節があるかもしれない。花も少ない。だが一月になれば水仙が咲く。今の季節は梅や木瓜。あと、ネコヤナギみたいに、葉や花の元になる芽を毛で守っている木たちが目につく。芽鱗というそうだ。毛皮を着た芽たちが、冬の寒さを耐えている姿がけなげだ。種類はわからないけれど、おそらく木蓮の仲間なのだろう。モクレン、コブシ、そしてもちろんネコヤナギ。やわらかそうな毛に、おもわず触りたくなる。実際、なんどか触った。温かいものを感じる。そして一月には、もう沈丁花の蕾を発見した。咲けば、匂いでわかる。まだ固そうだが、これが咲けば、春といっていい。蕾を見るだけで待ち望む気持ちが再確認されると共に、忘れていた匂いが、感じられそうだった。



 わたしはずっと三月の啓蟄の頃が、春の始まりだと思っていた。というより、その頃なら、もはや春といっていいだろうと。それ以前は、まだ春だと信じられないでいた。どんなに暖かくても、どうせまた冬のような寒さに戻るのだろう、そんな不信感を持っていたと思う。三月に入ったら、もう春といっていい、安心して、陽射しを浴びていい。
 だが、この春、ようやく三月という枷をとってもいいんじゃないかと思うようになった。積年来積み重なったものが、そんなふうに何かを氷解させてくれたのかもしれない。三月までまたずとも、二月に、もう春が。
 今年になって、最初にそれに気付き、はっとしたのは、立春をすぎた頃だった。更地なのだろう、空地にホトケノザが咲いていたのを見た。こんな時期から咲くのかと、見たことが信じられなかった。けれども春を感じられてうれしかった。立春を春といっていいのか。いや、まだだ。
 それから少しして、いや、徐々に。晴れるとたまに間違えたように暖かい陽気になることがある。天気予報でも、今日は四月の陽気だといっている。それはいつもの陽気ではないということだ、例外的に暖かいということだ、まだ信じられない…、けれどもそんな陽気のときに、近くの公園を通り、人工の小さな用水路を見る。春の小川のようだと思ってしまう。水はつめたいのだろうけれど、春らしく温もっているのではないかと思ってしまう。それほど、ひざしが水をやさしく輝かせているのだ。ちらめいて、冬のころより、だいぶ明るくて。




 二月のなかば、家のベランダに、一瞬、メジロが舞い降りた。緑色の姿にウグイスかと思ったのだが、メジロだった。ベランダの下、一階の芝生に木瓜が咲いている。そのあたりに止まった。梅にウグイス、のような姿だ。赤い花に緑の体が春らしくて合っている。
 そのすぐあと、こんどはベランダに雀がきていた。ベランダに置いてある鉢植えに、本来植えた覚えのない草が生えている、特にハコベ。それをついばんでいたのだった。
 そして数日後。木瓜が咲いているあたりをベランダから眺める。雀たちが芝生でなにかをついばんでいる、メジロはみえない。けれども四十雀が、どこか高い空で、鳴いているのが聞こえる。ああ、四十雀の微妙に遠い鳴く声を聞くと、いつも早い春を感じたなと思い出すのだった。
 そんなふうに、二月から春が感じられることが少しうれしかった。いや、もしかすると一月から感じていたかもしれない。年賀状の挨拶で、迎春と言うではないか…。
 ホトケノザは、二月半ばの段階で、うちのマンションの一階あたりで咲いていた。いや、咲いているのを見つけた。おなじ敷地内でも、ちょっとした日当たりの関係だろう、まだ葉はあったが、咲いていない群生もあったのだけれど。ああ、ホトケノザはわたしにとって、春告草のひとつなのだなと、ぼんやりと思う。なんという晴れた日なのか。ちかくの公園のあの用水路でも、きっとぬるんだ水をたたえているだろう。
 いつだって、もっと春を、ありのままに感じたらいいのだ。



 このごろ、これが現実でなくて良かった…と思えるような夢をみることが続けてあった。覚えているのでは二つ。
 一つは、都心で飲んでいて、終電を逃してしまった。歩いてなんとか家に帰ろうとするのだけれど、様々な障害があって、なかなかたどりつけない。だいぶ時間が経って家にスマホで電話をするのだが、なぜもっと早く連絡しなかったのかと冷たい態度で問い詰められる。やましいことはないのだが、答えられない。なんだか面倒になってしまったのだ。このニュアンスがつたわるかどうか。その理由を伝える手間が面倒だった、というよりも、おそらくそれを判ってもらえないんじゃないかという気持ち。あるいは、それらのやりとりを瞬時にシミュレーションしている自分がいて、延々とつづくその不毛さに、うんざりしてしまっているという感じ。
 都心には、様々な罠があった。魑魅魍魎が潜んでいた。あやしいネオン街の迷路、誘惑のような小箱(多分、麻薬のようなものが入ったそれへの誘い)、恋愛遊戯。わたしは夜から逃れた場所、朝のなかを歩いていた。真昼の高速道路のようなところだった。わたしの潔白にふさわしい真昼、けれども高速道路を歩くという、間違えた行為。それがおそらくわたしの立ち位置にふさわしいものだったろう。だから、電話をかけた相手に、強気でいられなかったのだ。
 それは朝方に見た夢だった。目を覚ましてだったか、覚ます前だったか、つくづく夢でよかったと安堵した。
 そして、昨日。なぜだったのか、母がわたしの大切にしているものたちをねこそぎ持ち去っていった。母がいうには半分。半分だけ、自分がもっているほうが、今後の事を考えたらいいのだと。半分といったけれど、無残に欠損した場所が浮かび上がる。ごっそりと、蔵書のたぐい、美しいガラクタたちの、わたしなりにこしらえた配置の崩壊、概ねの傷のような穴。それは非日常に限ったことではなく、日常にも関係していた。わたしが着る服、いつも使っている化粧品など。なぜ、アイシャドウすら、もっていったのか、理解に苦しんだ。夢の中で、なくなったものたちで、特に愛着のあるガラクタたちと似たものが、おそろしく安い値段で売られているのを、ネットかなにかで見た。またこれを買えばいいのだろうか…。けれども、それでは何かがちがう。その物のもっていた思い出がない。売っているものは似ているけれど別物だ…。そんなことを想っていた。それもこれも、目を覚ます寸前だった。この時も、ああ、夢で良かったと思った、おそらく声にすら出して。
 葬式の夢を見るように、予行演習しているのだろうか。いや、予行演習というより、今とちがって、こうだったら、どうなのか、そうしたニュアンスのほうが強いような気がする。さっきも、うたたねでなにかの夢をみていた。なにか言葉に関することだった。これが夢で良かった…。それがなんであったのか。
 ちょっと前の新聞の文芸欄で『中島敦全集1』(ちくま文庫)が取り上げられていた。手元にその新聞がないので、もはや詳細は覚えていないのだけれど、その中の『光と風と夢』の記述が美しいといったことだった。ともかくそれがきっかけで、図書館で『中島敦全集1』を借りて、今も読んでいる。ここに入っている『山月記』等はずいぶん前に読んだ記憶があったから。
 たぶん、この全集と夢は関係しているのだと思う。どこがなのか、具体的にはわからない。『山月記』的な内容がだと思うのだが…。詩人になりそこね、虎になってしまった男。この話は、そればかりではないけれど、悔いもそこに流れている。こんな風にしなければ、詩人になれたかもしれない……。耳のいたい話でもある。
 また、『狐憑』も短編だがインパクトがあった。これは今回はじめて読んだ作品だと思う。ホメロスの時代よりももっと以前、憑きものがついたという、ある部族の男は、実は詩人だった。想像力溢れた、お話しを語る男だった。彼は最後に、憑き物がなくなり、物語ることも出来なくなった。その末路は悲惨だ。「斯うして一人の詩人が喰はれて了つたことを、誰も知らない。」
 また夢をみた。めずらしく亡くなった父に怒られている。もう数十年、夢で会える父はいつも優しかったのに。朝起きて、その日一日中、落ち込んでいたのは、そのせいだったのだろうか。その日は春一番が吹いていた。いつもならもっとうかれる筈なのに。沈丁花が香っている。暖かさにもう開いたのだろうか。まだ二月だというのに。菜の花が咲いているのも見つけた。スミレ、パンジー。クリスマスローズも。クリスマスに咲くのだろうか。咲いているのを見かけるのは、いつも春になってからのような気がするのだが。調べたい気持もあったが、クリスマスという名前をもった花が春に咲いているのをみるのも謎めいているようで、このままでもよいような気もした。こんなに春は陽射しが明るく、暖かだったのだろうか。明日からまた寒くなるらしいのだけれど。
 こんなふうに、暖かくても、心が晴れない日もあるのだろう。逆に寒くても、心が上向きになる日もあるのだろう。もっと春になれば、特に。ここまで書いて、また数日。風が強い。春一番から数えて、もう何番になるのだろう。雨上がりの晴れの午後に、沈丁花がしっとりと香っている。きのせいだろうか、ホトケノザが色を濃くしているようだった。桃色から赤紫へ。猫たちを多くみたような気がしたのは、猫の恋と関係あるのだろうか。日が伸びてきた。きりがない。またぞろ、それでもさわがしい季節がはじまろうとしていてくれるのだ。


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2017-02-10

冷たさのなかに温もるガラスが永遠を─ガラス絵展(府中市美術館)

 府中市美術館の「ガラス絵──幻惑の200年史」展に行ってきた(二〇一六年十二月二三日─二〇一七年二月二六日)。
 府中市美術館は、春の江戸絵画まつりと称する催しがほぼ毎年、三月から五月位にかけて開催されていて、ここ何年かは、たいていそれ目当てに出かけているので、基本一年に一回以上赴いていることになる。ちなみに今年の江戸絵画まつりは、残念ながら、私の苦手な画家の展覧会なので、行く予定がない。それもあって、かわりにこの展覧会に行こうと思ったというのもある。府中市美術館は好きな美術館の部類に属するから。
 ガラス絵は、去年二〇一六年の「春の江戸絵画まつり ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想」展(二〇一六年三月十二日─五月八日)で観た記憶がある。
 そのまえにガラス絵とは何か。ちょうどHPやチラシなどの展覧会の案内に載っていたので引用する。
「 透明なガラス板に絵を描き、反対の面からガラスを通して鑑賞する、ガラス絵。古くは中世ヨーロッパの宗教画に始まり、中国を経て、日本へは江戸時代中期に伝わりました。
 それから、およそ200年。新奇な素材の輝きと色彩が人々の眼を驚かせ、幕末明治期には異国風景や浮世絵風のガラス絵が盛んに描かれました。大正・昭和初期には、小出楢重、長谷川利行という二人の洋画家がガラス絵に魅了されて自身の芸術の重要な一部とし、戦後も藤田嗣治、川上澄生、芹沢げ陝桂ゆきといった多彩な作家たちが取り組んでいます。
 透明なガラス面を通して見える、絵具そのものの艶やかな色の世界。通常の絵画と絵の具を重ねる順番を逆転させる、緻密な計算と技巧。そして、装飾を凝らした「額」と相まって生まれる、きらびやかな存在感。本展では海を渡って日本に伝えられた海外のガラス絵から、近代以降の多様な作品までの約130点によって、見るものを幻惑し続けるガラス絵の魅力と歴史を紹介します。」




 
 「ファンタスティック」展では、おそらく長崎で作られたであろう風景画とも風俗画ともいえないガラス絵に興をおぼえたものだった。冷たいようなガラスの質感は、異国的なものに思えただろう。日本にこれまでなかったような素材だ。だからだろうか、まさしくエキゾティックでファンタスティックなもの、異国情緒と幻想をもたらしてくれるものだった。そしてどこか懐かしいような。
 ちなみに今回の「ガラス絵」展のほうには、「ファンタスティック」展でもあったものとして、中国製のガラス絵《青服を着た中国婦人図》《広東港内の景》(ともに浜松市美術館蔵、十八世紀〜十九世紀)が、展示されていた。



 けれども、すこし先を急ぎ過ぎたようだ。また戻って。
 多分、私が惹かれたガラス絵は、江戸期に作られたものだったろう。なんとなくそれが判っていたので、江戸から明治、現代までに渡る今回の展覧会は、あまり期待していなかった。けれども、出かけたのはどうしてなのか。瑣末な事情が重なって。もちろん、先に書いたように、今年の江戸絵画まつりは行かないと決めていたので、そのかわりでもあったけれど。
 今回は車で。連れていってもらった。それまでは独りで自転車でだったが、まだ二月は、自転車はすこし寒い。家から十数キロあるので…。それはささいな言い訳だ。冬は苦手だ。はやく春になればいい。春の暖かさが、温もりのように感じられる。暦の上ではもう春だけれど。
 展覧会は、さて、思ったとおりに、江戸時代のものにやはり心に残った。それと意外だったが藤田嗣治の《思い出》(一九五二年、個人蔵)。君代夫人との私的な思い出を年代順に描いた小品。絵日記を閉じ込めたような。ガラス絵には思い出がよく似合う。
 全体的にいって、やはり、それほど惹かれる作品というものはなかった。けれども、個々に、どれが、というわけではないのに、ガラス絵というだけで惹かれてしまうのはなぜなのだろう。だから、個々に心残した作品というのがほとんどないのに、なぜかいい展覧会だったという印象を持ってしまう。ほかの展覧会だったら、たぶんがっかりしたりするだろうに。
 ガラスに惹かれるのかもしれない。そう、それが、この展覧会に出かけようとおもった最大の理由だろう。ギヤマン、ビイドロ、ステンドグラス、幻灯機、ルネ・ラリックのガラスの女神たち、ガレのランプ、ビー玉、おはじき。わたしにとってガラスはノスタルジーであり、幻想であり、異国であり、それらすべての代名詞となっているのかもしれない。ガラスの小函を思い浮かべる。ステンドグラスで出来た。それは少しだけ凸凹している。厚みがあって。両手で持つ、というよりも両の手のひらをガラスにぴったりと密着させる。最初はつめたいだろう。けれども、だんだんと温もりが感じられるようになる。ガラスの函のなかには、永遠が入っている。それが幻想であり、異国だった。幻たちとのつかのまの、永遠につながる交流なのだ。
 そんな冷たいような温もりが、展覧会にならんだ作品たちから感じられた。だからこそ、心にやさしかったのだ。
 そうしてガラスが懐かしさを感じさせるのはなぜなのだろう。まだなんとなくしかわからない。けれども、ガラスというと、人肌のようなものを想起する。そして人肌と懐かしさが結びつく。ぬくもりは懐かしいものだから。ガラスの冷たさのむこうに、ガラス絵の温もりが宿っている。ガラス絵は内側から描くから。
 そういえば、展覧会のサブタイトルも“幻惑の200年史”だった。幻想として惑わせるもの、誘うもの。手招きするような、冷たさがやさしい。
 企画展の展示室を出ると、ちょっとした遊び場がいつもある。いつもならスタンプなどで絵ハガキが作れたりする。今回は栞サイズの厚手のセロファンに、輪郭だけの招き猫が描かれていて、それに裏から自由に色をつけて、ガラス絵っぽいものを作るというものだった。猫は《ガラス絵をはめた小町水看板》のなかにいるもの(チラシにも小判のように部分として載っている)。
 作ってみたが、こうした行為も楽しい、ゆかしいものだ。
 ところで、チラシ。てらてらした光沢がある紙でできていて(なんという紙なのか判らないのだけれど)、ガラス絵っぽい感じが出ている。何かステンドグラス風にコラージュされているのも素敵だと思った。
 ミュージアムショップでは、図録は買わなかったが、先に挙げた中国製のガラス絵《青服を着た中国婦人図》の絵ハガキと、この展覧会ではない、二〇一五年の「動物絵画の250年」展(二〇一五年三月六日〜五月六日で、心に残った司馬江漢《猫と蝶図》のA5判のクリアーファイルを購入した。
 三毛猫が空をゆくアオスジアゲハを夢見るような眼差しで見上げている。わたしはこの絵が好きだったのだ。ちなみに今回、司馬江漢の作品も展示があるというので、ガラス絵なのかしらと楽しみにしていたのだが、冊本だった。西洋絵画の手法を独学で学んだ画家だから、ガラス絵も製作したらしいのだが、現存しないとキャプションにあった。
 だが、クリアーファイル。買ったときは気付かなかったが、今こうして手もとにおいて眺めると、なんだかガラス絵につうじるような気がしてしまう。片面は《猫と蝶図》に忠実だが、もう片面。猫のみあげる空が、ぽっかりと丸い穴みたいに透けて、なかにさし入れたものがみえるようになっている。ガラスの窓みたいだ。それはあの場で買って帰ってくるのにふさわしいもののように思えだ。すきな美術館で、すきな作品を。そして、今回の展覧会を彷彿とさせるクリアーファイルというのは。



 帰りに車だと美術館から数キロのところ、おなじ府中市にある武蔵府中熊野神社古墳というところを訪ねる。飛鳥時代、七世紀の中頃に築造された上円下方墳。
 こうした場所におとずれると、なにかしら静かな異質さを感じる気がする。あたりの空気がおごそかになる。とけこんでいながら、異質さをたたえている。そこだけ神聖になるからか。日が傾いてきていた。西日をすこしあびて、はじめて訪れたそこは、よけいに静けさをたたえていた。しだれた枝は、桜だろうか。まだつぼみすら見えない。はやく春になればいい。暖かさが温かさだ。


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