Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2017-05-25

気配が、風に乗って、やってきてくれるだろうか─五島美術館、野毛大塚古墳

 久しぶりに美術館へ行った。体調のせいとばかりは言えない。たしかにあまり体調がおもわしくないとき、出歩けないものだけれど、以前は、どちらかというと行きたいのに行けない、といった感じだったが、このごろは、もはや興味がない、というのに近いようだった。それでも、美術館に出かけたのは、回復してきたから、というのももちろんあるけれど、このまま美術館にゆかなくなってしまいそうな自分がいたので、それを払拭しようと思って、精神的にどこかで追いこんで…といった感じだった。
 なので、体の調子というより、精神的に遠くへ行くのは難しかった。それで決めたのは五島美術館。家から自転車で行ける近さだ。開催されている展覧会も「近代の日本画展」(二〇一七年五月十三日─六月十八日)、館蔵のものの展示とのことだが、普段のわたし、以前のわたしなら、行きたいなあと思えるものだった。それに五島美術館は、庭園も美しい。崖の上にあるのだが、斜面を利用して、緑深い静かな庭園を作っている。この時期は何が咲いているのだろうか。以前行ったとき、ヤブミョウガの白い花に惹かれたっけ…。それと出かけた理由がもうひとつ。ある雑誌で、野毛大塚古墳について、書くことになっているのだけれど、そこは五島美術館から、自転車で数キロのところにある。何回かこの古墳に行ったことはあるのだが、書くまえにもう一度、足を運んでおこうと思った…。
 わたしはどんなに美術館に行きたくなかったのだろう? ともかくこうやって美術展以外の要素で、外堀を埋めることで、出かける気持ちを奮い立たせたのだった。
 実は出かけてすぐに、また少し体調をくずしたので、これはちょっと経ってから書いている。暑かったのか、寒かったのか…。曇り空だったことは覚えているのだけれど、気温を覚えていない。今よりも暑くなかったのだろう。
 何回か自転車で出かけているのに、道を間違えたことも覚えている。いちおう地図をもってゆこうとしたのに、忘れてしまったので、あまりスマホを使いたくなかったが(あれを使うと自分で考えることをしなくなるから)、地図アプリを使ってなんとか辿りついたことも。
 かなりきつい坂をのぼったところに美術館はある。マンションなどを過ぎるといきなり、緑豊かな場所になる。静けさ。ここに来るといつもなぜか根津美術館を思い出す。あちらも庭園が見事だ。崖の上ではないのだが、どこか印象が似ている。五島美術館は、東京急行電鉄株式会社の元会長・五島慶太氏設立、根津美術館は、東武鉄道の社長などを務めた初代根津嘉一郎氏のコレクションを元に設立された美術館。そんな経緯もどこかしら、わたしのなかで響きあっているのだろうか。水琴窟があるのが根津美術館なのだが、つい、五島美術館でも、水琴窟の音が聴けるかしらと思ってしまう。



 さて展覧会。HPやチラシなどから。
「館蔵の近代日本画コレクションから、「花鳥画」を中心に、橋本雅邦、川端玉章、横山大観、川合玉堂、安田靫彦、前田青邨、川端龍子、金島桂華など、明治から昭和にかけての近代日本を代表する画家の作品約四〇点を選び展観します。館蔵の近代書跡と宇野雪村コレクションの文房具も同時公開。」
 日が経っていること、図録や絵ハガキなどよすがにするものがなかったこともあり、個々の作品について、今回はたちいって書くことをしないけれど、重い腰をあげて行ってよかった。元々好きな画家の奥村土牛、山口華楊の作品に出逢った。親しさのようなものが絵に感じられる。いや、この画家の絵をまえにした、わたしのいつもの感覚が、立ち現われたことに対する親密さ、というか。この画家の絵がすきなわたしとの再会が感じられたのだった。それはもちろん、画家の絵にひかれて、というのが第一なのだけれど。
 また、村上華岳(一八八八─一九三九年)の絵が、印象に残った。以前おそらくどこかで見たことがある画家だが、そのときは素通りしてしまったと思う。今回は《野鳥》のこわれそうなもろさ、《牡丹図》の血のような赤い花が、幽玄さと共存している不思議な均衡に心が残ったのだった。こんな状態のわたしなのに、こうして絵は語りかけてくれるのだ。気がつくと、すっかり、展覧会会場にいるわたしは、以前のわたしらしさを取り戻していた。



 そして庭園へ。イカリソウが咲いていた。なつかしい花だ。昔父が育てていた。ここにあったのは黄色、父の育てていたのは桃色のものだったが。庭園のすぐ脇を電車が通る。庭園の山と川を想起させる緑深い環境とはすこしそぐわない気もするが、不思議と気にならないのは、通っている電車がこの美術館所縁の東急のものだからだろうか。黄菖蒲が池のまわりで咲いている。うちの近くの公園でもやはり菖蒲の色が黄色い。菖蒲といえば、紫の印象が強いので、黄菖蒲をみるたび、ああ紫の一面に咲く菖蒲がみたいなあといつも思ってしまう。黄菖蒲にはもうしわけないのだが。




 たしか美術館を出たのが三時近かったと思う。野毛大塚古墳へ向かう。地図を前述のように忘れたので、今度は最初からスマホに頼ったのだけれど、思っていたよりも近いことに驚いた。歩いてもたかがしれている。ただ、地図アプリ、自転車という選択肢がないので、徒歩を選んで経路を調べるのだが、これだと自転車だとかなりきつい階段や、歩道橋と言うルートを教えることがある。今回も歩道橋を使ったルートを平然と教えてきたので、苦労した。回り道をしたり、裏道を使えば回避できたのだろうけれど、方向音痴なこともあって、もはやその道が探せない。もう古墳のある公園は見えている。しかたなく歩道橋を自転車で登る。ハンドルを握る手が、ほとんど万歳の状態になるまで、急な斜面にちょっとびっくりしたが、これもいい経験だろう。
 前回この古墳に来たのは、古墳まつりを開催しているときだったから、かなりギャップがあった。今回、今来ているのは、静かな公園だった。小学生の男の子たちが、古墳の上と下で鉄砲のようなものを使って遊んでいる。
 古墳については、今回は、触れないが、やはり原稿を書く前に来てよかったと思う。古墳の上に登って、埋葬施設の様子が図示いるのを確認する。そしてあたりを見渡す。あの低くなったあたりに多摩川が流れているはず。
 何か古い史跡などを訪れるたび、たいてい感じるのだが、どこか古墳のまわりは空気が違うような気がする。時の凝縮というか、神聖さというか。異質で厳かな気配が漂っているように感じられるのだ。そんなふうになにかが継がれてゆくのかもしれない。そのことに対する、つきせもしない敬意。それは、わたしのではなく、だれかたちの想いであるだろう。だれかたちの累々と継がれたなにかたちが、場所を聖なるものとして、累積してゆく。わたしはそのことに対して、厳かさを感じるのだ。
 午後四時過ぎ。帰りは歩道橋を通らず、地図アプリも使わず、なんとか帰れた。元々迷うのがおかしいぐらいに近いのだけれど、なんとなくうれしかった。絵たち、緑たち、古墳…、これらの声が、どこかでまた静かに発せられている、その感触を、またすこしでも確かめられたこととあわせて。彼らはいつも無言のまま、声を発している。わたしが心を開けばいいのだ。耳をすます努力をすること。風が変わった。

01:04:12 - umikyon - No comments

2017-05-15

想像、記憶すら、現実とは違う、けれど同じで (多摩動物公園)

 仕事をすこしした。書きもの仕事のほうだ。最近気に入って読んでいた本のことを中心にして散文を。
 そちらはそのうち掲載されるから、そのことについては書かない。ただ、書いている途中、あのわくわくするような、独特の世界が親しくやってきていたこと、それがうれしかった。いつも、そうなのだ、そうだったはず。なのになぜ……。体調のせいとばかりはいいたくない。
 ともかく、すこしずつ、何かたちを戻してゆこう。

 雨のなか、多摩動物公園に行ってきた。何年かぶりだが、じつは小学一年生の時に遠足で来たことがある。その時のことはあまり覚えていない。子どもだったからではなく、今でもその傾向があるのだけれど、基本的に団体行動が苦手で、団体だとほとんど景色やイベントを楽しめないからなのだ。ただ緑が多かった記憶があった。山の中のような。
 雨のなか、出かけたのはチーターの赤ちゃんが最近生まれて、公開中だというので。このところ、チーターの赤ちゃんの関係で、連日けっこう混んでいるらしいのだが、その日は、雨だから空いているだろうと思ったのだ。逆に雨だから公開中止になっているかもしれないとも思ったけれど、それでも、ユキヒョウもサーバルキャットも、象もキリンも虎も、そのほか、さまざまな出逢いがあるだろう。






 そうだ、雨はけっこうひどい降りで、この頃にしては寒かったが、やはり緑が深かった。雨のせいか人がすくない。静かだった。雨音以外しない。サイが室内のほうにいた。
 二〇一四年の五月、ちょうど今と同じ頃に、ここで、サイのことを書いている。
 〈日本経済新聞の二〇一四年五月十八日の連載コラム記事で、生物学者の福岡伸一氏が、アルブレヒト・デューラーのサイのデッサン、サイの木版画を挙げて綴っていた言葉が、心に響いた(「芸術と科学のあいだ」その十四「脱ぎ捨てられたサイの甲冑」)。
 一五一五年にインドからリスボンへ連れられてきたサイ。その噂をドイツでデューラーが聞き、伝聞を元に描いたもの。それは全身甲冑で覆われた、金属でできたような、恐竜のような力強いサイだった。この絵は以後、ヨーロッパでは広く流布され、なんと「二十世紀初頭まで教科書にもサイの図として掲載されていたという」。
 そうして。
 「のちに、動物園で実際にサイを観ることになったとき、人々はこう思うことだろう。実際のサイはなんてみすぼらしいのだろう。あの立派な甲冑はどこにいったのかと。甲冑はあなたの頭の中に脱ぎ捨てられているのである。」〉

 私はこのときに、でも現実のサイは素敵だ、そんなふうに書いた。〈それでも現実で生きる姿として、サイは、やはりカッコイイものだったのではないか。硬くて、けれども、どこか…さびしげで。だが、それが想像と現実の接点ではなかったか。現実のサイは素敵だ。〉
 現実と想像はちがう、あるいはそんなことをめぐって。けれども、この日、雨のなかで見たサイ。かつて見たことがあるはずなのに、それともまた違うことに驚いた。記憶のなかの姿よりも、もっと大きいのだ。
 大きくて、甲冑のような皮膚は、思ったよりもタプタプしていて、象の耳をすこし想起した。そして表情は、やはり記憶のなかのそれとほとんど同じだ。どこか哀しげで、さびしげで。想像したもの、記憶にあったもの、そしてこの日みたもの、すべてがどこか違うことに驚いた。特に自分の記憶の違いに。記憶という過去の像と、今の像ですら違うのだ。過去と今日は別物なのかもしれない。だが、こうしてそれぞれが少しずつ違うからこそ、いいのかもしれない、ともどこかで思う。それでも、おおむね、あのサイの目に感じたものは、同じだった。デューラーのサイ、かつてみたサイ、この日のサイ。違いつつもどこかで重なっている。それでいいのではないかと。




 チーターはやはり、雨のため赤ちゃんの展示はとりやめだったけれど、親なのか、そうでない子なのか、大人のチーターを放飼場のほうで見ることができた。これも現実が期待をうらぎった、ということだけれど、あまり残念ではなかった。尻尾の立派なユキヒョウもみれたし(尻尾でバランスをとるため、大きいんだとか)。そして、虎、象、鹿、雁たち、キリン、馬の蹄のたてる地響きが伝わってくる。
 出口近くに、昆虫館があった。あまり昆虫が得意ではないので、どうしようか迷ったが、連れが蜻蛉やバッタなら見たいというので、入った。蜻蛉はいなかったがバッタはいた。ナナフシが懐かしかった。枝や葉に擬態している虫。あれはどこで見たのか。たぶん図鑑とかでだったと思う。ほか、やはりちょっと苦手なコーナーもあったが、きてよかった。
 温室になっている昆虫生態館というのがあって、そこが蝶やバッタの楽園になっていた。暖かい室内、花の多い植物たちの間を、蝶が飛び、花の蜜を飲んでいる。バッタはわからなかったが、蝶の多さ。たしか一三〇〇匹ぐらいいたのだと思う。どこか異国にまぎれたような。こんなにたくさんの蝶、あざやかな羽、知らない模様の羽たちの蝶を見るのははじめてだった、壮観だった。
 わたしは小学生の時、蝶というか、アゲハの幼虫を育てていた。サンショウの葉っぱを食べさせ、さなぎになり、孵化するまで。孵化してからは、あまり生きられないというのもあって、また自然に帰していた。芋虫はかわいかった。だから蝶には、なんとなく懐かしみというか、親しみがあるのだった。
 この蝶たちが見れただけでも…。苦手だと敬遠したままでなくてよかった。これも想像と現実の違いだろう。違ってよかった。
 そして、スマホで写真をとったら、思いがけず、一枚だけ、よくとれた写真があったのだが、それもうれしい驚きだった。たぶんリュウキュウアサギマダラという蝶。思いがけず、というのは、いつも、どこか、詩的な裂けのような働きがある。



 そして真っ暗な別の部屋。お化け屋敷みたいで、わけがわからない。はいったことを後悔しそうになったが、天井が無数の小さな光がまたたいている。この暗さのなかでしかみることのできない貴重な光のつぶたち。グローワームの部屋とあった。あとで家に帰ってから調べたら、グローワームはホタル等も含めた発光する虫たちの総称で、ここで光っていたのは、ヒカリキノコバエというハエの仲間の幼虫だそうだ。光に寄ってくる虫をたべるらしい。
 未知のものは怖い。そう感じるのは防衛本能らしい。だが、こんな未知、こうして判った光は、やさしかった。
 出口付近のウォッチングセンターという、情報コーナーにも寄る。たしかここに、日本にはじめてやってきたパンダ、ランランとカンカンの剥製がいたと記憶していたので。ここでもまた、現実と期待が違った。なんと、貸し出されているらしく、いなかった。パンダが旅行鞄をもって去ってゆく姿の絵が後には残されていて、それが面白かった。剥製になったパンダは、こんなふうにあちこち、今でも旅をしているのだ。
 思っていたこと、空想していたこと、記憶。それと違うことが、こんなにも優しいこともある。それを判らせてくれた、静かな雨の一日だった。
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2017-05-05

鯉のぼりが、さかいめをおよぐだろうか

 またここをあけてしまった。そのあいだに桜は散って、もはや桜の樹。花が咲いていたことが遠い。青い葉が力強く茂っている。たとえば家からすぐのお寺にある桜がそうだ。
 早朝のバイトの行きこの桜のまえをほぼ通る。ひと月のあいだに、明るくなるのが早くなった。ちょっと前まで、出かける時間はまだ真っ暗で、早朝というよりは深夜だったが、今ではまさに早朝。けれども一年でいえば、それも数カ月だ。四月終わりから、八月終わりぐらいまでだったか。朝早くから明るいのがうれしい。そして夜が短いのも。
 けれども体調がもうひとつ。まあ、それはおいておこう。
 明るくなったからだろう。バイトに向かう道に、鯉のぼりがあるのに気付く。いや、空が明るいのと、時期的なことが重なっている。わたしは子どもの頃から、なぜか鯉のぼりがすきだった。家に男の子がいなかったから、無縁だったのだが、だからよけいなのかもしれない。鯉のぼりが泳いでいるのをみるのが好きだった。折り紙や、紙などで作ったりもしていた。今年もなんと作ってしまった。バイト先の受付に置くように。子どもなどが喜ぶというので、受付には、ハロウィン、クリスマスなど、ちょっとしたものを飾るので、それ用に。なつかしかった。ただ、今回はパソコンでダウンロードして、それを切って作ったのが、子どもの頃と変わった点といえば変わった点。





 これを書いている今日、スーパーで、折り紙をつかったカブトと鯉のぼりの作り方が書いてある紙がおいてあったので、もらってきた。そう、鯉のぼり、あんなに毎年のように作っていたのに、忘れてしまっているから。たぶん、それでももう今は作らないだろうし、この紙も、どこかに埋もれてしまうのだろうけれど。
 バイト先と家のあいだに、いくつ鯉のぼりがかかっているだろう。ふっと数えている。一軒、二軒、あるいは一匹、二匹。この自分の行為に、既視感をおぼえる。そうだ、こんなふうにして、出合うものたちを数えて遊んだっけ。子どもの頃だ。
 体調がわるくなったからか、この頃、めっきり人づきあいをしなくなった。元々それ気味ではあったが、ますます。そのせいか、あるいは年齢的なものがあるのか、そのぶん、すこしだけだが、子どもの頃の記憶がよくやってくるようになった。追体験しているといっていいか。あのころのいきいきとしたきらきらしたものはないのだが。
 家の近くの公園で、レンゲが咲いている。レンゲも好きだった。首飾りだか冠だかをつくった覚えもある。こちらも折り紙の鯉のぼりのように作り方を忘れてしまっているが。けれども好きだった記憶が、立ち上ってくる。それはおおむね優しい。
 だいぶ長く生きてしまった。還暦はまだまだ先だけれど、そんなふうに何かに還っていっているような気もする。

 最近、スマホを買い換えた。前のが調子が悪く、もはや電話すらできなくなっていたので、仕方なく。環境が変わることに、もはや恐怖心があるので、新しいスマホに色々と不信感があったのだが、数日で、快適さに気付いた。メモがとりやすい。まえのは文字入力すら、しにくかった。そのほか、いろいろ。こんなふうに、新しいことが、わたしにやってくる。そしてその度に古いことが、どうなるのだろう。消えてゆくのかもしれない。けれども、慣れ合ってゆくこともあるのだろう。スマホで、またガラケーのときのようにメモしていけたらいい。詩的なおもいつき、ことばを(前のスマホはできなかった。もしメモしたいと思ったら、それこそ紙をだして、だった。それはそれでいいのだが)。

 五月五日。レンゲが咲いている公園で、ちょっとした子どもの日のイベントがある。大道芸、折り紙、竹トンボ、木挽き体験、公園内の畑で作った蕎麦の販売。毎年というのではないが、気がつくと出かけている。明日もきっと出かけるだろう。そうして、今もまた、いつかにむけて、想い出をつみあげてゆくのだろう。子どものわたしと今のわたしが、出合いながら。
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