Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2017-07-30

朝顔、白粉花、向日葵…、夏休みの花、なのだろうか。


(▲これは前回の怪獣の雲)





 あちこちでひまわりの花を見る。わたしのなかでは八月の花だ。だからだろう、毎年みにいっている近くのひまわり畑、まだ咲いていないだろうと勝手に思っていた。夏休みの花。夏休みは七月下旬からだというのに、なぜか夏休みといえば八月と連想してしまう。 そういえば、朝顔、ひまわり、夏休みの自由研究で育てたりしたからか、子どもの頃と直結した、独特の花たちだ。ただ朝顔は入谷の朝顔市が七月始め、七夕の頃に開催されるからか、七月八月の花であり、さらに夏休みの花という、微妙な位置づけではあるのだけれど。
 今年入谷の朝顔市で求めた朝顔は、よく咲いてくれて、よく育ってくれている。午後遅くまで咲いているのもうれしい。日当たりのせいだと思っていたが、花びら縁と中央から放射線状に白い筋の入った陽白というこの朝顔は、午後まで咲く品種であるらしい。バイトから帰ってきて朝顔と対面するのがだいたい午前十時台なので、これはうれしかった。今まで育ててきた品種の朝顔は、その時間だとけっこうもうしぼみはじめていたから。
 それにつけても、わたしはこの陽白という種類の朝顔が好きだったのだなあとしみじみ思った。今までなぜか、あまり育ててこなかったのだけれど、家でこうして咲いているのをみて、また、道端などで、だれかの家の庭先で見たりした時、その都度、ああ好きな花、好きな色だなあと思うから。
 今、すこし、これを書くのを中断して、ベランダに朝顔をみにいった。日曜日の朝。今日もよく咲いてくれていた。青、紫、濃い桃色。



 もうひとつ、子どもの頃と直結した花にオシロイバナがある。あれもなぜか夏休み、八月の花だという感じがある。今でもオシロイバナをみかけるたび、あの黒い実を、つぶして、中から白い粉を取りだして、手にしてみたくなる。夏休みの半ばすぎ、そうしてあそんだように。あの時、白い粉をどうしただろう? 手のひらのうえでもてあそんで、すこししめったような白粉の感触をたのしんで、ただそれだけでよかったと思う。
 けれども、今日は、ひまわりのことを書きにきたのだ。それなのに、花のまわりで、寄り道してしまった。夏休みの花たちのほうへ。そろそろ、黄色い大輪の、ひまわりに戻ってこよう。
 数日前、ひまわり畑の近くに用事が出来た。ついでに生育状況を調べておくかと、覗いてみたのだった。曇りの日、天気予報では、まもなく雨。たぶんまだつぼみだろう、だって八月の花、夏休みの花だもの。いつぐらいに満開になるか、様子を…と思っただけだったが、行くと満開だった。びっくりした。思いがけなさにはいつも心がざわついてしまう。平日だったせいか、人もほとんどいない。ひっそりと満開を、けれども豪華にむかえていた。大輪の太陽たち、向日葵たち。たくさんあるから心がさわぐのではないだろう。好きな花がたくさんだから、酔いしれるように、心がみだれるのだ。しずかな夏のざわめき。曇り空で、ひざしはなかったが、蒸し暑かった。暑苦しい筈の色なのに、ひまわりはどこか爽やかに、凜として咲いていた。今年は例年行われたいた切り花体験等のイベントがないらしい。ひまわり畑の看板にそう書いてあった。だからよけいひっそりと感じたのかもしれない。しずかに燦々と。





 珍しく蝶がとまっていた。家に帰ってしらべる。たぶんヒメアカタテハ。ちがったら御免なさい、だけれど。オレンジ色に豹紋のある蝶。ひまわりの黄色い花とよく似合ってみえた。



 これを書いている七月三十日の朝、ひまわり畑のHPを覗いたら、もうひまわり畑の第一弾は、花たちがみなお辞儀をしつつあり、終わりに近づいているとあった。第一段なので、まだ第二弾がある。そういえば生育途中の畑があった。けれどもちょうど満開の時に、あそこにゆけてよかった。
 きのう久しぶりに都会にでかけた(なぜ都会に出かけたかは別の話になるので、また次回)。子どもたちが多かった。いや昨日は土曜日だから、夏休みだからというのではなかったのかもしれないが、夏休みだからだろうなと思ってしまった。朝顔はいつ持って帰ったのだっけ。行燈仕立ての朝顔を持って帰った記憶をたぐるが思い出せない。
 あとで、またひまわり畑にゆこうと思う。今日は日曜日。わたしの休みの一日だ。


10:19:41 - umikyon - No comments

2017-07-25

気配たちが、凜として優しい。(行田市古代蓮、古墳、忍城跡)



 七月の三連休の二日目、日曜日、わたしにとっては週一回の休み。埼玉の行田市に、古代蓮を見に行った。
 蓮は朝開花し、昼には閉じてしまう。行田の古代蓮の里にも、七時から九時がちょうどいいと書いてある。けれども、うちからここまで、ちょっと距離がある。何十キロだったかわすれてしまったが、早くても車で一時間半ぐらいかかるのではないだろうか。朝のその時間に着くのは、少々きつく、いつもせいぜい九時〜九時半ぐらいになっていたと思う。ぎりぎり、見ごろの時間帯。それがわかっていたから、この日は、いつもよりすこし早く出かけた。ただ、連休で道が混んでいたこともあり、高速を使っても二時間弱かかった。それでも、ついたのは八時半ぐらい。時間がいつもより早いせいか駐車場などもすいていたと思った。比較的近いところに停められたので、ラッキーだと思った。
 けれども、園内に入ったら。花の少なさにすこし驚く。奥の池が見ごろだと書いてあったが、そちらもそんなには咲いていなかった。もう最盛期はすんでしまったのだ。いつかきたときは、満開、満開、よいしれるほどの満開の蓮たちだったが。
 だから駐車場も、そして園内も比較的空いていたのだと合点がゆく。
 それでも、その状況はほとんど残念ではなかった。こうしたこともあるのだ。それに池では、それでもあちこちで、ぽつぽつと蓮の花が咲いているのがみえた。泥から茎をのばし、水をとおって、水面、空に顔をむけて咲く花、というのも清濁あわせたようで、すきなのだ。蕾と花と花がおわったあとの蜂の巣のような(蓮の名前の由来でもあるらしい)種のはいった堅い花托になったもの、それらがいっぺんに観られることも、人の一生の集約のようだといつも思う。





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 いや元々は水辺がすきだったからだろう。水辺に咲く花にひかれるようになったのは。睡蓮、コウホネ、水芭蕉。水辺でみかけるその花たちには、格別な思い入れがある。今回は水カンナと睡蓮が咲いていた。カンナは橙色や黄色をイメージするけれど、水カンナは水色というか青のつよい紫。水辺に咲く花だからだろうかと、咲いているのをみるたび、思ってしまう。それにくらべてカンナはかわいた真昼の花だ。太陽の色がふさわしい。
 蓮の花はあまり多く咲いていなかったが、その分、いつもより庭園内をゆっくり、端から端まで見てまわったと思う。池のなかに中州のような島があるところ、ホタルの生育を行っているところなど、今回はじめて気付いた。
 おまけにそんなふうに咲いている蓮を探してぐるぐるしているうち、なんだか満開の蓮たちに囲まれているような、みょうな陶酔すら、感じられて来た。こうしてぐるぐると、蓮の花を求めていることが、心地よかった。その行為が蓮だらけのようだった。





 ここの蓮が好きなのは、そうだ、もうひとつ理由があった。それは古さだ。四十六年前(一九七一年)、この近くの工事現場を掘り起こしたら、偶然種が発芽し、開花したのだが、それが一四〇〇年から三千年位前のものだったという。
 なんという長い眠りだったのか。そしてその子孫たちが、この古代蓮の里で咲いている。かつての人々が見た花。もちろん個は変わっているが、その美しさは変わらない。同じものを見ている、そう感じられることも、好きなのだろう。



 あちこち、炎天下のなか、見て回ったあと、売店へ。ちょっとした野菜や、惣菜、おみやげなどを買う。そのあと、やはり行田市内にある埼玉(さきたま)古墳群へ。これも毎年のこと。五世紀末から七世紀にかけて成立したものという。こうした場所にくると、いつも気のようなものが違うと感じられる。たたずまい、気配、なんといえばいいのか、独特の静けさがある。わたしはこの気配を感じるためにここに来ているのだといつも思う。



 そのあと、今回はじめて訪れる場所、行田市郷土博物館へ。企画展として「古代の扉を開く〜行田発掘物語〜」を開催していると、もらったチラシで知ったから。
 博物館にきてはじめて知ったが、ここは忍城の本丸跡地なのだとか。城自体はもうないけれど、櫓などが再建されていて、お堀にも水がはられている。土塁も一部残り、屋敷門もあるので、こちらも佇まいというか、気配にどこか城をおもわせる独特の気がみちていた。秀吉の時代、石田光成の水攻めにも落ちなかった城(城主成田氏長)。開城したのは北条氏の小田原城が先に開城したことによる。江戸時代になってからは徳川氏の譜代大名や親藩の居城となっていた。
 展覧会では、昨日も郷土博物館(世田谷)にきたなあ、博物館づいているなあと、なんだかわれならがほほえましくなっていた。あちらは代官屋敷、こちらは城の跡だけれど。
 ここでも縄文時代の土器などが見れた。また土だ。土の気配。そして埴輪。旗を立てた馬のめずらしい埴輪。これはさきたま古墳群からではなく、それよりも利根川近くの酒巻古墳群から出土したとあった。こちらからも土器とはちがった、土の気配。
 博物館のなかの庭園をすこしだけ見た。往時から残る数少ないものとして時鐘の遺構がある。鐘自体は複製品(実物は博物館内)とのことだが、十分に往時をしのべるものだった。





 近くに小さな川が造られていて、水が噴き出るところがあった。池の中に四角い石の枠があり、そこから水が湧いているようなイメージ。循環式なのだろうけれど、夏のこの暑さのなかで、それらをみるのは心地よかった。それだけで空気がかわって感じられた。古代蓮から忍城。二千年前から安土桃山、江戸時代、そして今。今回はずいぶんと時間を旅した気がした。
 これを書いているのが、実はすこし時間がたってからなので、実際のところは忘れてしまったのだけれど、こんなに長く遊んでいた筈なのに、家に戻ったのは比較的早かった。三時ぐらいだったかもしれない。こうして日常がまた帰ってきた。いや、日常に帰ってきた。けれどもこれらを書いているからか、サギソウやホタル、蓮たちが、微妙に日常に影を、いや気配を漂わせてくれている。ようやくことばたちがもどってきてくれた。日常はこんなにも気配でみちているのだ。



 今日、怪獣みたいな雲をみた。夕方だった。大切な友人に宛てて書いた手紙をポストに投函した後だった。
 気配たちが祝福してくれている、そんな風に思ったかどうか、心が温かになった。道道で、ひまわりの大きな花たち。
18:20:59 - umikyon - No comments

2017-07-20

ホタルがともれば、鷺草がとぶだろう

 七月十五日の土曜から十七日の三連休。といってもわたしは通常どおり、土曜日と月曜日は早朝バイト、日曜だけ休みなのだけれど、連れが三連休なのと、時期を考えて、土曜と日曜に出かけてきた。日曜のほうは次回に。今回は土曜の「せたがやホタル祭りとサギ草市」だけ。
 数年前にこの祭りを知ったが、行ったのは二回目。ボロ市などがひらかれるボロ市通り、世田谷代官屋敷周辺のお祭り。神社(上町天祖神社)のほうでサギ草市、縁日、物産展など、そして代官屋敷のほうで、ホタル観賞、敷地内にある郷土資料館で、サギソウにちなんだ季節展が開かれる。あとで知ったのだけれど、夜になると神社境内で盆踊りも行われるらしい。そういえば盆踊りのやぐらがしつらえてあったが…。
 ホタル観賞は夕方五時からなのだけれど、特設ドームが造られて、そこに潜っての鑑賞なので、辺りの明るさは気にならない。代官屋敷の庭の数か所に、板枠を網でふさいだなかにもホタルが放されていたので、暗くなったらきっと輝くのだろう。





 先を急いでしまった。ついたのは三時半ぐらいだったか。バスで行った。自転車でも行ける距離なのだが、自転車を停める場所があるかどうか記憶が微妙だったので。着いてみると、駐輪スペース、あるにはあったが、もう満車だった。去年も、この光景をみて、ああ自転車でこようと思えば来れるんだな、でも難しいかなと思ったことを思い出す。だから微妙…とぼんやりと思っていたのだなと、腑に落ちる。去年と今年が、つながったような。
 ホタル観賞が五時からと知っていて、すこし早くきたのは、サギ草市をみたり、縁日の屋台でちょっと飲食をしたり、古本市などが見たかったから。ただ三時半の段階では、なんとなく縁日がまだもりあがっていなかった。準備中というわけではなかったが、飲み食いしている人がほとんどいない。それで、ざっと見渡して、代官屋敷敷地内の郷土資料館へいった。郷土資料館は、祭りの両日は、午後九時まで開館しているそうだが、ホタル観賞が始まると、ドームに入るまでの列ができたりする関係で、ちょっと入りづらいイメージがあったので、今のうちに見学しておこうと思ったのだ。たしか野毛大塚古墳の出土品(とくに国の重要文化財指定)なども所蔵しているので、見れるのではと。
 これらは、おそらく企画展(螢とさぎ草伝説)の関係で、見れなかったが、見学してよかった。
 常設展の石器時代から古墳時代までの展示・解説にひかれるものがあった。わたしが住んでいる場所、行き来したところ、なじみのところが、遺跡であったこと、出土品が展示されていること。いつも何気なく自転車を走らせていた橋付近に、横穴墓があったことにも驚いた。玄室内の線刻画の、その素朴な人の形に、どこかクレーの絵を思った。
 そして縄文土器、土偶たち。土の感触のようなものが、形からみなぎっていた。ああ、わたしはこれを感じたかったのだと、それらをみながら思う。
 ところで、サギ草。今年はどうしたことか、あまり咲いていなかった。去年はもっと咲いているものが売られていたと思うのだが。
 世田谷とサギ草の関係もしった。縁があったのだ。「世田谷城主・吉良頼康の側室「常盤姫」が亡くなる時、日頃可愛がっていた白鷺の足に遺書を結び、実父の居城・奥沢城に放ちましたが、白鷺は途中で力尽き、落ちて死んでしまいました。この白鷺の想いが「サギ」のかたちの花となって辺り一面に咲いたと言う事です。」と、代官屋敷内のサギ草展示スペースに書いてあった。そのことがあって、世田谷区の花になったのだと。
 サギ草。亡父が好きで育てていた。ミズゴケにくるまれた苗を小学校経由で購入していたと思う。しくみはよくわからないのだけれど、いろんな植物の種や苗が載っているカタログのダイジェスト版みたいなものが学校から配布され、それをみて、植物を注文していたのだった。わたしの要望でハエトリソウやオジギソウなんかも。そのほか、コバンソウ、ノハラアザミによく似たドイツアザミが記憶に残っている。
 サギ草は蘭科。蘭の系統は、基本的に育てるのも花を咲かせるのが難しかったと思う。けれども父はサギ草を咲かせていた。ほんとうにサギが羽をひろげたような、この世のものとも思えない花だった。繊細すぎて、はかなすぎて。わたしはサギ草がすきだった。花をみるたび、花の名前をきくたび、父が咲かせた花を思い出す。平たい、青い化粧鉢に植わっていたっけ。
 世田谷区の花と知ったのは、だいぶ前だけれど、今住んでいるのも、生まれたのも世田谷なので、縁がある花なのだなとも思ったはずだ。
 「ホタル祭りとサギ草市」。開催されていると知って、ホタルにもむろん心ひかれたけれど、サギ草に、おもいがけずノスタルジーを覚えたのは、これらのことが積み重なってのことだったのだろう。
 そして、ホタル。
 ホタルは実は大人になってからみたものだ。子どものときにみた覚えがない。正確には大人ではないが、はじめて実際にみたのは十八歳ぐらい。観光地に母親たちと泊ったとき、偶然に。この旅行にはいやな想い出がある。いまだに消化できてないのかと我ながら驚いてしまうけれど、まだ感情的になってしまいそうなので、今はそのことにふれられない。ただ、それとは別に、ホタルが河原に飛んでいるのをみたのだ。ホタルは観光の目玉ということでもなく、宣伝されず、ひっそりと舞っていた。いや、ホタルがいることがほとんど当たり前だったので、宣伝することなど考えられなかったのかもしれない。蝶や蝉がいるように。ホタルをみたのは、いやな出来事の起きる前だった。だからこそ、ホタルの光だけは、無傷のまま残っているのかもしれない。よかった。あの出来事の後のことは、もはやまったく、どこを回ったのか、帰ったのかすらも覚えていないから。
 この箇所を書く前から、ホタルを見たのは十八歳ぐらいだったが、小学生の時ぐらいから、もっと身近に感じている気がしていた、それはなぜだろうと漠然と感じていたのだが、理由がわかった。本の題名は覚えていないのだけれど、児童図書のたぐいでホタルの一生についての本を読んだことがあったからだ。小学生の高学年だっただろう。ゲンジボタルは清流に、ヘイケボタルは田んぼや池など、比較的にごった場所にいる。幼虫は獰猛で、カワニナなどを捕食する。成虫になってからは、一週間から二週間位しか生きられない。そのあいだは水しか飲まない…、など今でも覚えている。
 文字で親しんだのが先だったのか、だからなんとなく、身近に思っていたのかと、言葉に特別の想いがある身としては、すこしうれしくなる。心の中で、ホタルはずっと点っていたのだ。
 さて会場。五時になると門の前でくす玉が割れる。そして特設ドームに順番で入ってゆく。中は仕切りがあって右側と左側、二列になっている。とりたてて考えるでもなく、真っ暗ななか左に入る。ほんの数メートルの暗がりの道だ。ホタルがかたまって、天井のほうにいた。ときおり、一匹二匹と、飛んで、かたまりを乱す。天井にいるからか、星のようだ。そして飛んでいるホタルは、流れ星のようで。
 暗がりを、あちこち飛んでいる…それが本来の見え方なのだろうけれど、十分だった。あのまたたきに、また会えたことは。人の列があるので、ほとんど立ち止まることなく、進んでゆく、そうしてすぐに出口になる。なので、もういちど並んで、今度は右側をみてみた。ホタルはさきほどとは別のところでかたまっていた。流れ星のように、一匹、二匹飛んで。この子たちはヘイケボタル。また心のなかで、頁がめくられていた。文字と実際が出逢っていたのだろう。光たちが呼応して。やわらかく、つつまれたような。
 こうして、ホタルもサギソウも、わたしと関係してくれるのだろう。またひとつ想い出が重なってゆく。
11:17:45 - umikyon - No comments

2017-07-10

今年も朝顔がまた…

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 今年も朝顔の季節になった。
 ところで、これを書こうとして、ファイルを開く時、履歴に“あまのかわ 文月七日に”とあって、なぜか驚いてしまった。あまりに時機を得ているというか、なにかたちが響き合って、時に参加しているというか。履歴にあった題名は、もちろん自分の書いた詩作品なのだけれど、なんだか思いがけなかったのだった。
 七月八日、七夕の翌日、入谷の朝顔市に行った。この日は土曜日、早朝バイトがあったので、午後になってしまったが。
 そう、朝顔をみるなら、朝の方がほんとうはいい。けれども朝から開催されているようだけれど、メインストリートの言問通りの歩行者天国は、八日だとお昼十二時から。ならまあ、いいかと思ったりもする。


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 朝顔。毎年、ベランダで育てている。一年草なので、種から。というよりも、前の年に咲いた朝顔、勝手におちた種が、翌年また発芽して…の繰り返しだった。だからわたしのなかでは一年草というよりも、ほとんど多年草の感じだった。
 それが、今年は発芽しなかった。なぜだろう。たぶん、こまめにしぼんだ花などを取り除いていたからだろう。ほどほどに、いつもみたいに、放っておけばよかったのだ。
 朝顔鉢。雑草しかはえていないが、隣のつる性の植物(名前を忘れてしまった)が、支柱につるを伸ばしているので、鉢をどこかにやることもできず、朝顔が生えていない状態のままの鉢を毎日、水やりの度に眺めていた、というか、目につくのがどこか淋しかった。
 そんな時、つれあいから「明治の朝顔」が子規庵などで販売されるらしいと教えられた。子規庵がある鶯谷と入谷は近い。ほぼ同じエリア。江戸・明治に盛んだった変化朝顔を復活させたものだとか。正岡子規も見たことがあるかもしれない朝顔…。欲しいと思った。そして朝顔市のときに行けば、それらもろもろ、子規庵と朝顔市、縁日、屋台、楽しめると思ったのだった。
 入谷駅で、降りて、鬼子母神(鬼の字の上に、ほんとうはテンがつかない)へ。朝顔のついたちいさなお守りを求めた。クリップもついていて、服などにもつけられる。けれど、後日譚になってしまうが、こうしてこれを書いているパソコンからすぐみえる場所に、クリップではさんで、小さな朝顔を、よすがにしている。
 ついたのが午後二時ぐらいだったし、最終日だったから、かなりの朝顔が売れていたし、お店によっては、完売のところがあった。わたしは何が好きなのか。青や赤に近い紫色で、花の中央から縁にかけて白が入る、陽白朝顔というものが好きらしい。種類の名前は最近知った。朝顔は色々育てたけれど、やっぱりあの白い筋の入った朝顔がいいなあと、ただ、徐々に思っていったのだった。
 言問通りからスカイツリーが見えた。前回来た時はおそらくまだスカイツリーがなかったはずだ。そんなに前に来たのだ。

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 朝顔に見当をつけつつ、屋台でお酒と食べ物を。お祭りだなあと思う。
 明治の朝顔をみに、鶯谷駅のほうへ。売っていたけれど、花が咲いていない、というか、しぼんでしまったのではなく、若干開花時期が遅いらしく、葉ばかりだったから、どんな花が咲くのかわからなかった。写真でもあれば、参考になったが、それもなかったから、残念ながら、買わないことにした。子規庵にも入りたかったのだけれど、閉館近い時間だったし、そうなると、朝顔市の方に、早く戻りくなった。あの陽白朝顔を、手に入れたい…。完売御礼の言葉たちがよぎった。明治の朝顔も、陽白朝顔も、両方手にすることができなかったら、なんのために朝顔市にきたか、わからなくなってしまうではないか。
 ちなみに完売御礼は、鬼子母神近く、入谷駅からすぐのところで目立った。鶯谷駅は、その端のほうだから、まだ結構残っている。よかった。見当をつけていたお店、子規庵のほうからくるとほぼ一番手前(つまり最端)に、陽白が残っていた。それでも残り二鉢ぐらいだったろう。急いで買った。やっと目的を果たすことが。
 いや、お祭り的な雰囲気も楽しめたから、それでも良かったのだけれど。それらふくめて、目的なのだろう。
 次の日の朝、おそるおそる、すこしどきどきしながら、もとめてきた朝顔を見てみた。二輪新しく咲いていた。うれしかった。こんなに好きだったのかと思う。しばらく、その花の咲き具合、蔓の伸び具合に、やきもきするだろう。思うように行かない、それが愛しくて。

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00:01:00 - umikyon - No comments