Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2017-08-25

空想と現実、芸術と科学のはざまの頁で (紙の上のいきものたち!!展)

 夏なのに、気分がすこしすぐれない。それは八月にはいってずっと天気が悪いからだと気付く。二十日間も連続して雨。夏の記憶がとおざかってゆく。夏はじりじりするほど暑くなくては。陽射しが肌にやきつく感じ。ひまわりやカンナがかわいた明るさによく似合って。
 八月の最初の頃はそうでもなかったのだけれど、中盤ぐらいになって、雨やくもりの影響がでてきたみたいだった。身体がおもく、心がどこか暗くなっている。天気が心をうつす鏡であるかのように。いや、心が天気をうつす鏡であるのか。
 そんな雨の一日、車で町田市立国際版画美術館に家人に連れて行ってもらった。電車で何回か出かけたことがあるが、車ははじめて。こちらも森の中にある感じの美術館。そういえば森の中の美術館というのは、多い。森というか、公園というか。何故なのだろう。埼玉県立美術館、府中市美術館、せたがや美術館、宇都宮美術館、箱根の緑に囲まれた中の美術館たち、東京都庭園美術館は、森のなかではないけれど、隣が森(国立科学博物館所属自然教育園)だ。上野だって森といえば森ではないか。なぜ木々と美術館は親しいのだろうか。理由はわからないけれど、緑のなかで、美術館に出会うのは、ここちよい。ほっとする。
 雨が強かった。そして車だと、いつも駅から歩いてくるルートとまったく違って、森を感じる前に、裏口から美術館にはいる感じ。駅からだと、木々をぬけて、公園内をしばらく歩くと、ゴールのように美術館があるのだけれど、駐車場からかなり近く、端っこからいきなり美術館にきてしまう。その向こうに雨にぬれた公園があった。ちょっと新鮮だった。ほんとうは公園も散策したかったのだが、雨がかなり激しく降っていたので、この日はあきらめたのだったが。
 町田市立国際版画美術館、この日の展覧会は「紙の上のいきものたち!!」(二〇一七年七月二十九日─九月二十四日)。





 展覧会HPなどから。
 「古くから人間は動物や植物、虫などのいきものを版画であらわしてきました。紙の上で新たな命を与えられたこれらの生きとし生けるものは、人間を映し出す鏡といえるかもしれません。たとえば写実的に描かれた植物からは、科学的な考えやまなざしが芽生えたことがうかがえます。また動物の姿を借りた寓話は、人間の愚かさや滑稽さを教えてくれるものです。一方で、現代の版画家たちが魅力あふれる生命を表現しつづけていることも忘れてはならないでしょう。
 本展では身近なものから遠い異国のものまで、多種多様ないきものが息づく約一二〇点の版画を展示。植物から作られた町田産の色材を用いた若手作家の版画も紹介します。いきものの様々なすがた・かたちを通じて、自然がもたらす楽しみと恵みをご堪能ください。」
 博物誌的なもの、物語の挿絵などがメインだったので、たぶん、あまり感動することはないだろうとは思っていた。それでもなぜか、この頃、動物たちと聞くと、つい反応してしまうのだった。生あるものたちが、年と共にいとしくなってきている。みな死すべきものだからかもしれない。というか、そのことにようやく、ながいことかかって気付いたからかもしれない。
 展覧会は、一章と二章のほんの数点だけ、写真撮影が可能だった。ゆっくり見れるという点では、写真撮影可能は、かえって気が散ってしまうけれど、図録などを買わないですむので、一長一短だ。
 この第一章「いきものを版画にするということ」(十五世紀の西洋の草本誌や博物誌の紹介)に、サイがいた。サイについては、ここでも何回か触れている。最近だと二〇一七年五月十五日。
 〈日本経済新聞の二〇一四年五月十八日の連載コラム記事で、生物学者の福岡伸一氏が、アルブレヒト・デューラーのサイのデッサン、サイの木版画を挙げて綴っていた言葉が、心に響いた(「芸術と科学のあいだ」その十四「脱ぎ捨てられたサイの甲冑」)。
 一五一五年にインドからリスボンへ連れられてきたサイ。その噂をドイツでデューラーが聞き、伝聞を元に描いたもの。それは全身甲冑で覆われた、金属でできたような、恐竜のような力強いサイだった。この絵は以後、ヨーロッパでは広く流布され、なんと「二十世紀初頭まで教科書にもサイの図として掲載されていたという」。
 そうして。
 「のちに、動物園で実際にサイを観ることになったとき、人々はこう思うことだろう。実際のサイはなんてみすぼらしいのだろう。あの立派な甲冑はどこにいったのかと。甲冑はあなたの頭の中に脱ぎ捨てられているのである」〉(二〇一四年五月二十五日)。
 そのアルブレヒト・デューラーのサイの絵を、この展覧会で、はじめて見ることができたのだ。それは「ヤン・ヨンストン(一六〇三─一六七八年)著『動物図譜』一六五七─六五年刊)、ラテン語版第二版、エングレーヴィング」のなかの一頁だった。「博物学だけでなく神学・哲学も修めた多彩な学者のヨンストンが著した、水陸の動物、鳥や虫、爬虫類を網羅した図鑑です。必ずしも実物を見たわけでなく、他の版画や挿絵を引用したものや、空想のモンスターも数多く収められています。」と、キャプションにある。そうだったのか、空想のいきものたちと現実のいきものたちが、たがいに行き来していたのだ。想像と現実が未文化だったのだ。そのことをうらやましがるわけではない、これも一長一短なのだ(いやもっと短所のほうが多いかもしれない)。そう、間違えた情報ということでもあるのだから。けれども、そんなふうに語ってみたくなるのだった。
 この『動物図譜』のなかから何点か出品があった。これらが美しかったので、芸術と科学の蜜月的なものを感じた、そうしたことも、空想と現実の蜜月を感じることを手伝っていたのだろう。
 展覧会会場の照明は基本的にうすぐらい。その暗さのなかでこうしてサイをみれたのは良かった。おごそかな感じがした。スポットライト的に上から光があたっているので、光がじゃまになり、うまく撮れなかったが、



 美と科学、空想と現実のはざまにある書物の中に、甲冑のサイがいた。この絵の部分だけ、切り離したものは、もちろん見たことはあったが、書物のなかで見たのは初めてだった。こうした書物の中で、空想や想像が親しい、けれども厳かななかで、見たサイだけが、ほぼ本物だったとき、二十世紀になって、はじめて実物のサイを見たなら、なるほど違いに驚くだろうと、重ねることができたかもしれない。わたしの今までの見かたは、実際のサイを知っていた者の偏った反応だった。いや、実際のサイが先で、デューラーのサイが後の者の態度でしかなかった。教科書や『動物図譜』のサイが初めてだった者の驚きを、追体験することは難しいのだ。彼らのことを慮るということは。だが、ということが、わかって、それでもよかったと思う。この『動物図譜』の中のサイ、デューラーのサイのほうが素敵、とかではなく、ともかく、このサイは、ほとんど神々しいまでに、厳かな威厳をたたえていた。甲冑をまとった姿はりりしくもあったが、どこか哀しげで。
 ほかにも何点か、心ひかれたものはあったのだが、感想がうかんでくるほどではなかった。怠惰からくるのかもしれないけれど、サイをみたあとでは、もはやサイでいっぱいになってしまっていた。雨も手伝って、サイ以外のことが、流れてしまって。
 こんなふうにあのデューラーのサイは、それでも想像と現実のあわいで、わたしに何度も語りかけてくるのだった。
 八月下旬になり、ようやくまた夏らしい陽射しが戻ってきた。わたしが平日出かける午前四時四〇分頃の朝は、徐々にまた夜に戻ろうとしている、まるで日没のように、明るい朝から、暗い夜へむかっているのが日々、判るのだ。これを書いている二十五日の朝午前四時四十五分は、日の出前(日の出は五時七分位らしい)だったが、東の空がぎりぎり明るかった。けれども朝焼けがぞっとするほどきれいで。また西から天気が悪くなるらしい。西はといえば、まだ夜の気配、そして木々が多くみえて、これも森のようで。
21:18:49 - umikyon - No comments

2017-08-10

昨日も別の日。だから過去に涙するのかもしれない─ベルギー奇想の系譜展、クノップフ

 土曜日の夕方、都会に出る用事ができたので、午後にどこか美術館でも…と探して、見つけたのが『ベルギー奇想の系譜(ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで)』展だった。場所は渋谷Bunkamura ザ・ミュージアム、期間は二〇一七年七月十五日〜九月二十四日。
 実はこのごろ美術館、すこし食傷気味だった。なんというか、行く前に予測してしまうというか。予算の関係で大きな展覧会に余りいかなくなったこともある。それよりも小規模な展覧会だと、常設なども含め、なんとなくどこかでみたものたちに再会することが多くなってしまうのだ。もっと遠くの美術館に足をはこべば、またちがった出逢いもあるのだろうけれど。せっかくの大好きな北斎を展示する墨田区のあの美術館には、残念ながら二度と足を運びたくないし。
 わたしは気持ちにそぐわないことは書かないようにしている。なんというか感情的になってしまうことで、なにかがそこなわれてしまうから。にげかもしれないが、それはそのうち書けるようになることだとも思う。まだ書けないのだ。消化するまでは。たぶん最近美術館に前よりも行かなくなったことに、おそらくあの大嫌いな美術館は、一役買っている。そのことはわかっているが、まだ触れられない。けれども、外堀から埋めていこう。たとえば、こんなふうにほかの展覧会にそれでもゆくことで、いつか触れられるようになるだろう。
 渋谷まで。電車で行こうと思ったけれど、なんとなくバスで行くことにした。値段が安いのと、途中、かなり渋谷寄りの三軒茶屋ぐらいまでは自転車で行ったことがあるので、距離がすこし身近になっていたから。
 ただ道はわかっても、混んでいると結構時間がかかる。それもあって、早めに家を出た。一時間半ぐらいかかるかしら。あつい陽射し。バス停でバスを待つ。仙川が近くを流れている。すぐ近くにこっそりと湧水。ほんとうにこっそりと、といいたくなるほど、団地の端に、湧水を集めたきれいな池がある。自転車でよくきている大事な場所だ。暑さのなかで、あの湧水のことを考えるのは、心地よかった。すこし緑がこんもりした、あのあたりに、見えないけれど、湧水池はあるのだ。
 バスに乗って、すぐに池のほうをみやったが、バスからは見えなかった。ここも国分寺崖線。坂を登る。桜の時期は、両脇がちょっとした桜並木になる。
 そして自転車で通る場所たちが、車窓風景になるのだった。けれども早朝バイトの後だったから、すこし疲れていたこともあり、けっこう眠ってしまった。わたしはバスの中では読書ができない。本を読もうとすると車酔いしてしまう。それでもおばあちゃんの住んでいたマンションの前までは起きていた。わたしが小学校五年の時に亡くなった祖母の住んでいたマンション。もう数十年前なのに、まだマンションがそのまま、そこにあるのが意外だった、嬉しい驚きだった…と通るたびにいつも思い出す。
 渋谷についた。道が空いていたので、おもったよりもだいぶ早くついた。五十分乗っていたかどうか。これなら電車で行くよりもだいぶ早い。良かった。
 さて、渋谷。方向音痴だけれど、さすがに昔、近くにすんでいたことがあるので(バス停でいうと四停留所ほど向こう)、ブンカムラまでの道は迷わない。
 展覧会は、数カ月ぶり程度なのだが、気分的に久しぶりだった。そして展覧会会場のある渋谷は、ほんとうにもっと久し振りだった。とくにブンカムラへゆくまでの道、にぎやかなほうには、数年来たことがなかっただろう。
 ここのあたりを歩くたび、身近な街だったはずなのに、どこかよそよそしく感じられるのだった。四停留所離れた場所に住んでたのは、二十代後半から三十代半ば迄で、若かった筈なのに、渋谷の街中にいると、当時ですら、いつも自分が年とっているように感じたものだった。それよりさらに年をとった自分が今思うのは、おかしいような気もしたが、それ自体がなんだか遠い。
 遠さのなか、浮遊するように、街を歩いた。暑さのせいもあり、なにかリアルさがかけていた。





 大通りからいくと、東急内の、美術館がある方は、一番奥になるが、ともかく手前、涼しいところにはやく入りたくて、デパートの入口をめざした。これもブンカムラにくるといつもだ。寒い冬なら、寒さを逃れて、雨なら雨を逃れて。春や秋ならどうだったろう? やはりデパートにすぐに入ってしまった気がする。ほとんどデパートと無縁なので、たまにはなかの空気をすってみたくなって、というか。
 さて、展覧会。
 「現在のベルギーとその周辺地域では、中世末期に発達した写実的描写のもと、独自の幻想的な絵画が生まれました。ブリューゲルの奇妙な生物、アンソールの仮面や髑髏、マグリットの不思議な風景など、そこにはどこか共通する奇想・幻想の世界が広がっています。
本展は十五、六世紀を代表するボスやブリューゲルの流れをくむ作品から、象徴主義、シュルレアリスムの作家を経て、現代のヤン・ファーブルにいたるまで、約一三〇点の作品を通して、五百年にわたる「奇想」の系譜の存在を探ります」(展覧会HPから)。
 チラシもボスの工房の絵だった。ボスもブリューゲルも、すごいなとは思うし、どちらかというと好きなのだが、あまり感動したおぼえがない。ブリューゲルのほうはあった気がするが、それもここにあるような怪物や異想的生き物より、もっと静かな作品だった。だから、申し訳ないのだけれど、入ってすぐ、というか、ほぼ目玉である作品たちには、あまり興がわかなかった。土曜で夏休み。子どもたちもいて、かなり混んでいた、ということも理由になるだろうか。ただこれは想定内だったので、あまり気にならない。下調べした段階では、ルネ・マグリットの作品があるということだった。それとも食傷気味のわたしは、もしかして、好きなマグリットにも興を起こさないのだろうか、その方が不安だった。展覧会会場を行く。一章の[十五・十六世紀のフランドル美術]から、三章のマグリットが展示されている[二十世紀のシュルレアリスムから現代まで]まで、年代順になっている。そのまえに、二章[十九世紀末から二十世紀初頭のベルギー象徴派・表現主義]だ。 [この章では工業化・都市化が進む中で、科学の世紀に背を向け、想像や夢の世界など人間の内面を表現する美術家たちが現れる過程を見ていきます。][一八八〇年代の後半には、科学の世紀に背を向けて想像力と夢の世界へ沈潜しようとする芸術家たちが現れます。ボードレールに敬愛された画家ロップスは、中世からルネサンスにかけて北方美術が好んで採り上げてきた骸骨たちの舞台を近代的によみがえらせました。一方、クノップフの暗示に満ちた静謐な作品を観る者はこの画家の解けない謎にからめとられていきます。画家が抱えていた孤独や怯えが不穏な唸りとなって、観る者に圧をかけ、ついに叫びだす自我を描いたのがアンソールでした。アンソールがよく描いた骸骨と仮面は、隠されるもの・隠すもの・暴かれるものという性質を内包していますが、この関心は、次の世紀のマグリットから現代まで続く「言葉とイメージ」の問題へと展開していくことになります。](展覧会HPより)

 そう、象徴派のところにあったフェルナン・クノップフ(一八五八─一九二一年)。たぶんあるだろうなとは思っていた。ブンカムラとクノップフは相性がいい。というか、わたしがみた多くのクノップフ作品はここでの展示だったと思う。だから、おそらく一点ぐらいは…とは思っていた。だが何点あったろう? 会場で数えた。八点だ。副題(「ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで」)はむろん、チラシにもほとんど名前も載っていない、ただ小さな絵が一点掲載されているぐらいの扱いだったのに。ちなみにその絵は、《青い翼》。後述するけれど、チラシは会場で見たのがはじめてだったので、この絵がきているとは知らなかった。知っていたら、この絵をみるだけのためにきただろう。それぐらい好きな絵だった…。いや、先走りすぎた。元に戻る。
 ベルギー象徴派のコーナー、ジャン・デルヴィル、フェリシアン・ロップスがあるなあと思っていたら、いきなりのクノップフ。予想はしていたけれど、思いがけなかった。
 わたしはどうして彼の絵が好きなのだろう。この会場で、一番最初が《捧げもの》(一八九一年)。紙とチョーク、なかば横向き加減の女性のアップ。眼がこちらをむいている。ただ、これは別に大理石の胸像に花をそえようと手をのばした、上半身が映った作品もあり、その一部的な作品だということを、あとで知った、というか気付いた。けれども、この顔、そして次次に現れる女性たちの、独特な表情に、なつかしさがおしよせてきた。《内気》(一八九三年)《巫女シビュラ》《アラム百合》は、彫像や油絵作品を写真にして、それに彩色をほどこしたもの。
 今、もし、はじめて見る画家の絵だったら、こんなに心がざわめくだろうか。ふとそんな想いがよぎった。もしかすると、通り過ぎはしないかもしれないが、ここまで心ふるえることはなかっただろう。クノップフの名前を聞いたのは十九歳ぐらいだった。二十代でクリムトなどと一緒に、心惹かれる画家となった。世紀末、デカダンス。その頃のわたしの嗜好の体現者、あるいは勝手な想いなのだけれど、共有してくれる絵としての役割もになっているのではなかったか。彼の絵のタッチをみるたび、かつての自分がそこに…。



 クノップフの絵は、孤独者をゆさぶる絵だと思う。孤独をつきつめた、孤独をそれでも沿わせている。愛するというのと少しちがう。ただ影として、まとっている。寄りそわせている。彼の孤独が心地よかった。彼の風景画には、人がまったくいない。この展覧会にも一枚あった。《ブリュージュにて、聖ヨハネ施療院》(一九〇四年)。ただ運河と建物だけ。水は鏡のように、何かを写すのかもしれない。たとえば過去、のようなもの。と、この展覧会にはなかったけれど、鏡に映った自分の顔にくちづけする女性と、建物と運河がうっすらと重なってみえる《わが心は過去に涙す》(一八八九年)を、今、これを書きながら思い浮かべてみる。机のまわりに、クノップフの画集や絵ハガキたちが並んでいる。
 わたしの過去が彼の過去と呼応するのだろうか。そんなふうに感じられるのだろうか。わたしのなかでの世紀末の凝縮のような空間だった。
 ああ、そうだ《青い翼》(一八九四年)のことを書きたかったのだ。こちらも油彩作品を写真(撮影アレクサンドル)にし、それに彩色をほどこしたものだが、彩色のせいか古さのせいか、もともとの作品のもつ力なのか、写真であるかどうかはまったく気にならない。ヴェールをかぶった女性の腰近く、長細い画面の中央に、実際にクノップフの館にあったという擬人像ヒュノプスの頭像が置かれている。ヒュノプスは眠りの神。耳元にある翼は片方しかないが、この翼が青いのが題名の由来。片翼しかないのも、眠りの神であるのも象徴的だが、女性の孤高で崇高な、夢みるような表情とあいまって、夢幻かつ絶対の神殿への渇望を静かに凝縮させている…、いや、そんな言葉が書きたかったのだろうか。ただ、この静謐さにひかれたのだ。懐かしくも、あらたに心にゆさぶりをおこしてくれる、大切な。



 この後、ここに来る前にお目当てだったルネ・マグリットの絵たちを見る。それなりに惹かれたけれど、もうしわけないが、心がほぼクノップフ一色、クノップフ祭りになっていたので、あまり入ってこなかった。ただクノップフを観た、会えたということを余韻として残したいと思っていたから。

 展覧会会場とミュージアムショップはほぼつながっている。出口付近にショップはあるけれど、もしそこで展覧会会場に戻ろうと思えば、難なくゆける。そのかわり、展覧会は行かずにショップだけに行きたいと思っても、なかなか難しい。再入場ができないから。だいぶ以前、係の人に頼んで、ショップにだけ用があったので、入れてもらったことがあったが、今はどうなのだろう。ともかく、いちおう、最後まで見た後、ショップに行った。クノップフの作品が何か売ってないかどうか知りたかった。《捧げもの》の絵葉書が一枚あった。図録には、この東京会場以外の場所(宇都宮美術館、兵庫県立美術館)では展示されていた作品たちが載っていて、触手が動いたけれど、クノップフ以外の作品には、ほとんど興味がなかったので、買うまではしなかった。ただ、一枚、絵ハガキだけ、あとで買うことにして、またクノップフに会うため、会場に戻った、そのあとマグリットへ、またクノップフへ、マグリット、クノップフのあたりを、うろちょろして、そうしてようやく美術館をあとにした。手には一枚、絵ハガキ。あとは展覧会のチラシを。ここには《青い翼》が小さかったけれど、載っている。
 《青い翼》。うちに絵ハガキがあったはず。そして古い『美術手帖』の特集頁にも比較的大きく載っていたはず。家に帰って探すと、絵葉書のほうは同じ構図だけれど、パステル、水彩、グアッシュの《白、黒、金》(一九〇一年頃)とあった。翼が青くない。モノトーンではないけれど、セピア色というか、色を抑えたものになっている。『美術手帖』は一九八九年三月号。古い。リアルタイムに買ったものではなく、「特集・クノップフ─青い世紀末」ということで、たぶん、古書店で購入したものだと思う。大切な一冊だ。リアルタイムでないといっても、おそらく九十年代には買っているのだけれど。話がずれてしまった。こちらに載っていたのは《青い翼》だが、元の油彩作品のほうだった。一八九四年作。うれしいことに《捧げもの》《巫女シビュラ》《アラム百合》も別のバージョンのものが掲載されていた。展覧会でみたものたちの余韻にひたるには十分だった。
 ほかの展覧会にこの先、行こうという気持ちがわきあがったかどうかは知らない、なんともいえない。ただクノップフ祭り状態の、心のありかたが心地よい。いまはこれだけでいい。あとのことは、あとで。“After all, tomorrow is another day.”この台詞、『風と共に去りぬ』のラストの言葉が、ふと思い出される。字幕ではどうだったかしら。「明日は明日の風が吹く」が、かつての一般的な訳だったらしい。けれど、わたしが印象に残っているのは「明日、考えるわ」だった。だから、今、思い出されたのだ。そう、明日、また考えよう。ほかのことは。
23:15:21 - umikyon - No comments