Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2017-09-25

夏が行き、秋がきて。どちらも…。──曼珠沙華(彼岸花)、巾着田







 また雨の一日。台風がせまっているなか、毎年のように訪れている、彼岸花の名所……と書くと怒られるだろうか。曼珠沙華の里とうたっているから……埼玉県日高市の巾着田にいってきた。巾着のように蛇行した川(高麗川)のちょうど袋の下部分に、五百万本の曼珠沙華が咲いている。
 雨でなければ、河原でシートをひろげてお弁当を食べたりするのだけれど、その日は彼岸花(また彼岸花と書いてしまったが、やはりこちらのほうが親しんできた呼び名なので、以後はこの名前で基本的に統一する)を見て回るだけ。
 第一、川は増水しており、いつも座っているあたりも水で見えなくなっていた。それでもまだ浅瀬らしく、カルガモが泳ぐ、歩くをそのあたりで繰り返しているのが、なんだかかわいらしいと思ってしまう。泳いだと思ったらまた歩く。そして結局泳いでどこかへ向かって行った。増水しても水がきれいだったのが不思議だった。もともと清流なのだけれど。





 お目当ての彼岸花。今年はたぶん、いちばんいいときにこれたのではなかったか。場所によって、若干花の咲き具合に違いはある。けれども、大半が満開。盛りがすぎつつある花もあったが、蕾がめだつ区域もあって。開花状況としては、このぐらいが好きだ。おおむねの満開。けれどもまだ蕾、咲いていない彼岸花たちがあるのも、なにか、未来があるような気がしてしまう。咲ききらない薔薇の花、満開寸前の桜などのように。そこにはまだ淋しさが感じられない、まだ活気のようなものを…、というのは、こちらがわの勝手な感想なのだろうが。とはいっても、盛りをすぎた花たちもまたいいと思うのだろう。おわりゆくものへむけての哀しさ、淋しさが、今度は風情に変わるから。
 雨の中、傘をさして、彼岸花たちをみて回る。あいにくの空模様のため、今年は人が少ない…のだろう。実際、駐車場も一部閉鎖されていた。それは予想されていたことだった。だからだろうか。思っていたよりも人がきていた。予想していたことと実際はいつもちがう。だから、楽しいのだ。もちろん逆もあるだろうけれど。雨の中、彼岸花を見に来ている人達は存外多かった。それが何故かうれしかった。みんな静かに花をみてまわる。そこにはこんな会話も聞こえてきた。「案外、人が多いのね。これで天気だったら、どんなにすごいのでしょう」。それはわたしの感想でもあった。
 もっとも、晴れたときも、観光客は多くなるけれど、かれらは存外静かだ。しずかに真っ赤な花のなかを、みてまわり、時に感嘆の声をあげるが、わたしのようにカメラ(スマホや携帯も含めて)にその花の姿をおさめてまわる。だから混雑もあまり気にならないのだった。
 雨のほうが、花がきれいに見える。気のせいかもしれない。あるいは晴れたときとはまた別の趣きがあって、それを好ましく思うだけなのかもしれない。木々の下で、晴れたなか、陽がさすなかで、彼岸花を見て回るのも格別だが、雨のなか、木々の下で、川の近くで、花を眺めるのも、色が落ち着いてみえるようで、心地よかった。写真をとってまわる、そのファインダー越しの色も、いつもより明るさが抑えられていて、それが逆にしっとりと、ちょうどいい暗さをたたえていて、写真映りがいいような気もした。





 ただ、晴れたほうが、先もいったように、河原で休んだりして、くつろぐ時間がある。もしかすると、そうしたことができないから、ことさらにそれに代わるような、素敵なことを探し出しているのかもしれない。
 晴れの時は、公園の敷地に隣接した私営の牧場で、引き馬体験や馬へのえさやりなどが出来るのだけれど、今回は雨だったので、そちらも休業といった感じで、馬たちは厩舎で休んでいた。彼岸花たちの公園にむかう途中、車でちらっとその姿を見ただけだ。これは残念といえば残念だった。えさやりをしたりはしたことないのだけれど、馬やポニーが、草地にいるのをみたり、触ったりするのが、彼岸花をみるのとは別の楽しみだったから。
 そして。今年はなぜか、白い彼岸花がすこし気になった。シロバナヒガンバナ、シロバナマンジュシャゲ、名前はこんなふうによぶ。彼岸花とショウキズイセンとの種間交雑種らしい。いつもはあるな、ぐらいだったが、今年はなぜか写真におさめたくなった。基本的に真っ赤な彼岸花が好きだし、今ももちろんそうなのだけれど、白い彼岸花も、コントラストとしては、わるくないなと、ようやく思えるようになったのだ。両方を楽しむこと。わるくないといえば、増水した川をみるのも新鮮だったし。





 雨もわるくない、そして晴れもまた。そんな両者の楽しみ方を想う今回だった。
 この文章を載せた9月25日には、もう彼岸花もさかりを過ぎてしまったかもしれない。まだ、蕾だった花たちが咲いているかもしれないが。風にだいぶ秋が感じられるようになった。陽射しも幾分か、暑いのに弱くなった感じがする。家の近所の彼岸花はほぼ終わり。夏が往く、そして秋が来ていた。



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2017-09-20

ゆく夏に雨が送る。─ダ・ヴィンチ展

 雨の一日、「没後500年記念 レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(二〇一七年八月二日─十月十五日)に出かけてきた。前期展と後期展があったが、前期展はおもに夏休みの子どものためのものだったので、九月十二日から始まった後期展のほうへ。場所は横浜のそごう美術館。

 HPやチラシから。
「二年後に迫った二〇一九年の没後五〇〇年を記念し、レオナルド・ダ・ヴィンチ展を開催します。
 《最後の晩餐》や《モナ・リザ》の画家として知られているレオナルド・ダ・ヴィンチ(一四五二〜一五一九)は名画の他に、膨大な量の手書きのメモ(手稿)を遺しました。数十年にわたって書き綴ったその手稿には、機械工学、航空力学、天文学、幾何学、建築、解剖学、自然科学など広範囲にわたる研究がデッサンとともに鏡文字で記されています。本展ではその中から特に、水力学、飛行、ロボット、楽器、機械などの手稿にもとづいて立体化された大型模型六〇余点を中心に天才レオナルドの「手」から生まれた世界──未来へ抱いた夢を紹介します。」

 ダ・ヴィンチは、好きではあるけれど、実は感動した…という覚えがない不思議な人だ。小さい頃、《モナ・リザ》が日本に来日したのが話題になっていたのを覚えている。わたしがほとんど初めて名前を知った芸術家(なのだろうか、彼はそれだけではない枠を越えた活躍をしているので、使うのに語弊がある)になるかもしれない。いや、あと一人、候補がいる。家に複製画が飾ってあったロートレック。ともかく最初期に名前を知った人物のひとりだ。
 そんな記憶があるから、どこか好意を抱いているのだろう。とてつもない敬意とともに。わたしは科学に対しては、門外漢でよくわからない。だから、彼がどれほどの偉業をなしとげたのか、わかるようでわからない。すごいなとは思うのだけれど、実感がないのだ。けれども、ひかれる…。そんな不思議な人物なのだった。
 展覧会では、第一章にあたる、おもに立体模型がかざってあるところは、写真撮影が可だった。二章以降の手稿の展示が写真撮影不可ということらしい。手稿はちなみに「ファクシミリ版」という。「ファクシミリ版の「ファクシミリ」とは、FAXの機械が普及する以前からヨーロッパで使われていた言葉で、ラテン語の「facsimile=同一のものを作れ」からきています。いわゆる量産の印刷物とは異なり、オリジナルの手稿を保護し、研究する目的で精細に複製されています」とあった。
 精巧な複製だとは思ったし、紙の質感も、良さげだったが、当たり前だが、やはりどこか生の質感、手ごたえのようなものが、いや、時代を経たモノのもつオーラが欠けていた。それでも、ダ・ヴィンチの肉声に近いものは、もちろん感じられたので、十分ではあったのだけれど。



 第一章、入口近くにある、冒頭のあいさつのなかでの言葉を写真におさめた。そこには、こんな言葉があった。
 「人間の才能は多種多様な発明をして、その発明した人工物を用いて自然と張り合おうとして来た。しかし、自然が創造したもののように、驚くほどやすやすと、人工物も介さずに、しかも実に美しい発明をすることはできないだろう。実際、自然の発明したものには、なにひとつ欠けたものも、余分なものもない。」(ウィンザー紙葉19115r、ウィンザー城王室図書館)
 だからこそ、「自然こそ最もすばらしい芸術家だと考えて、自然から学んだ」のだと。
 解剖と徹底した観察。当時はおそらく、カトリック教会の禁止、というより時代を包んだ空気として、それを否定していただろう。そんななかでの、こうした考えに、心うたれる。そして、それとはおそらく違うだろうけれど、やはり共感めいたことを感じてしまうのだ。「自然の発明したものには、なにひとつ欠けたものも、余分なものもない」。だからこそ、自然に惹かれるのだと。
 ここ数年、ここ十年、いや、徐々になので、正確にはわからないけれど、自然というか、景色というか、そこここにある花や、雲のかたち、虫の訪れ、そうしたものが、心にしみるようになってきた。
 なんで、こんなに惹かれるのだろう。どうして、こんなにあざやかに、この花は咲くのか。それは一体化しつつ、ほとんど完結した美として、わたしに日々、語りかけてくれているからなのだった。
 ということを、ぼんやりと、思った。
 ほか、『竜の頭の形をしたリラ』(パリ手稿B Cr フランス学士院図書館)に惹かれた。模型とあるが、楽器。竜の頭の裏に弦があり、演奏するときは竜の角が腕にぴったりとおさまるらしい。
 科学と芸術の接点を想う。同時に、大切な遊び心を。音が聴いてみたいとも。竜が歌うような音だろうか。



 三章では、複製だけれど、主要作品のうち、殆ど(というのは現存が確認されている数が極端に少ないから)、ダ・ヴィンチの絵画作品の展示があった。複製とはいえ、一堂に会しているので、見れてよかった。《モナ・リザ》が先頭で。
 ダ・ヴィンチ展のあと、新横浜まで足をのばし、ラーメン博物館までいった。昭和三十年代の街を模した、この場所が好きだった。こちらももう数十年前から。だから楽しみにしていたのだが、連れが全く興味がなかったらしく、足早に、ラーメンだけ食べて後にした。そのことに少しショックをうけたが、後日、と言うか、今になって、すこしそのことがわかった。あの昭和の街並み、あれには、わたしが子どもの頃、ごく幼年時の香りがしていたのだ。正確にはそれは昭和四十年代だけれど、東京の夜の街、なつかしい映画の看板、どこかいかがわしい雰囲気、電柱、銭湯、それはわたしの個人的な体験が反映して、あの場所を好きだとしていたのだ。連れは住んでいた所が全く違うので、おそらくそうした体験がなかったのだ。あの街を懐かしく思うのと、ダ・ヴィンチを懐かしく思うのには、共通点があったのだなと思う。《モナ・リザ》来日に、長蛇の列だというニュース。それを見聞きした子どものわたし。
 雨は台風によるものだった。台風一過の後、季節外れの高温、真夏の暑さ。林のある公園の脇を通ったとき、晴天のなか、蝉の鳴き声を聞いた。繁茂する植物たちのなかで、最後の夏のなかで。完結している、美しさだと感じた、そして、その緑のなかに、やはり子供のわたしを見つけた。小学生、中学生の頃、よく遊びに行った林のイメージ。夏が往く。
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2017-09-05

夜明けのはざま、言葉で、追うよ

 覚えておこう。八月の終わりで、もう朝の五時近くはかすかな、明るさ。そして九月に入ったら、東の空もほとんど夜。五時前が明るい、朝といえる季節は、意外と短い。はじまりはいつだったかしら。覚えていないので、ずるをした。つまり、調べた。たぶん四月半ばすぎ。一年のうち、四か月半ぐらいか。そしてこの時期がわたしが一年で好きな季節とほぼ重なるということに気付く。もっともはじまりは三月だけれど。すこし暖かくなった春、三月から夏休みの終わりの八月三十一日まで。
 前回、ここを書いてから、原稿を何本か書いていた。めずらしくテーマだけはすこし前から決まっていた。いつもは直前までおりてこないのに。テーマにそって、書かないで、頭のなかで組み立てる。頭のなかで書く。こんなことを夢のなかですら、やっていた。夢のなかでは、書いていた。朝起きたら、書いたものが失われていた、いや、夢のなかにおきざりにしてしまったのだ。
 八月末が締切だったので、その数日前から、ようやく本当に紙に書いた。散文はそうでもなかったけれど、詩のほうは、おもったよりも、予習というか、シミュレーションしていたよりも難しかった。夢のなかで書いたもののほうが、豊かだったのではなかったか。そんなことすら思ったが、考えてみたら、そう思うのは当たり前なのだろう。夢の中のそれが優れているという意味ではない。もはや夢のなかのそれを見ることができないから、届かないものへの憧れというか、おなじ土壌にたっているわけではないものへの引け目というか、ともかく、想像してしまうのだ。あちらのほうが、いいのだろうと。夢の中やシュミレーションのほうが、よく思えるのは当然なのだ、それらのほうが想像することのほう、幻想に近しいのだから。対して、書いているわたしはそれでも現実に近いのだ。
 とくに詩のほうが難しかったと書いた。それは詩のほうが想像に近いからだと思う。日常の文体よりは、という意味で、夢の言語に近しいから。
 そして今回のものは、わたしのなかでは最初から、テーマが散文に近かったものだった。思い出や体験がからんだことだったから。実際に書いてみて、散文に流されてしまうような、距離感がとれない、日記のような、そんな印象をもった。数カ月前も、ちがうテーマで似たような体験や思い出のこと、書いた、その時は距離感がもてたのにな、どうしてかしらと思ったが、はたと気付いた。そのときも、かなり苦労して、距離感をもったのだと、いわば、なんとか距離感をたもとうと、にげるように、空想の領域へ、むかったのだ。現実と空想、そのはざまへ。
 だから今回も、なんとか逃げた。なんかいか逃げた。日記になりませんように、散文にかたむきすぎませんように。フィクションたちがさしこまれ、想像たちがすこしだけ歩み寄って。なんとかなっただろうか。わからない。思っていたよりは。最初思ったよりも散文だった、それから逃れて、収集がつかないのでは? 次にそう思ったよりは、なんとかさまになったのではないだろうか(自分でいうのもなんだが)。こんなふうに、思ったよりは、思ったよりはを繰り返して、そうして両方から押し出すようにして、はざまにいられたらいいなと思う。夢と現実、現実と想像のはざまに、宙ぶらりんに。
 これらの原稿にかかずらっているとき、図書館で『失われた時を求めて 全一冊』(マルセル・プルースト著、角田光代・芳川泰久編訳、新潮社)というものがあったので、つい借りてしまった。わたしは井上究一郎訳、鈴木道彦訳で、長いほうを昔読んだことがある。鈴木道彦訳のほうは、集英社で出した全二冊(あらすじと本文が混ざっている)でおさめたものを最初に読み、十年ぐらいたって、鈴木道彦訳の全訳を読んで。全二冊…読んだとき、まだ個人全訳が井上究一郎のものしかなかったのだ。だから順番としては全二冊の鈴木道彦訳、井上究一郎訳、鈴木道彦訳、となるのだった。
 数年前、光文社の文庫が出たとき、また買ってみたが、こちらはなぜか二巻目まで読まないうちに、挫折してしまった。これはたぶんわたしのせいなので、訳者の名前は出さない。
 先に出した鈴木道彦、井上究一郎は、読みたいと思った時期に合致した訳者だったのだと思うから。
 今回借りた『失われた時を求めて 全一冊』。あのとてつもなく長い本を、よくまあ一冊にしたものだ。四百字原稿用紙で一万枚ほどを、千枚へというから十分の一。〈一切の説明を加えず、すっきり通読できる物語に切り出したのが本書である〉。とあった。だから、主なストーリーは、話者とアルベルチーヌの恋愛にだけしぼってあり、時系列もすっきりとしていて、読みやすい。けれども、一長一短だ、やはり十分の一にするには無理がある。さまざまな人物たちのエピソードが話者によって語られるのを、ときに追体験したり、劇場にでもいっているように、感じるのが醍醐味だったのだが、それがないのが、少々淋しい。更に、説明もなく進んでゆくので、話者にとって大切な人物たちがどの時代に登場し、いつ退場したのか、わからなかったり、関係性がわからなかったり。個人的には大好きだったエピソードがかなり、抜けているのがショックだった。
 それでも、読了できたのは、うれしかった。たりないなと思いつつも、追ってしまう。それは、夢を追うのには似てないか。
 原稿を書いているとき、これは元々そうだったのだけれど、『失われた時を求めて』のエピソードを引用したい個所が出てきて、全一冊のほうではなく、結局、全二冊のほうで、目星をつけて、それから全訳に当たるということをした。おもに鈴木道彦訳を引用したのは、手にとりやすいところにあったから、というのが一番の理由なのだが、こちらは巻末に、エピソードの見出しついていて、探すのに便利、ということもあった。
 話者の祖母が亡くなったときの、祖母の美しさのこと、話者の祖母と亡くなったあと、話者の母、つまり祖母の娘が、親そっくりになったことなど。これらのエピソードを今回引用したりした。それらが、どこで語られたのかなどは覚えていなかったが、今聞いても美しい言葉、そして、それらの言葉に感動した当時の自分と再会をはたせたことなどがうれしかった。
 言葉をとおして、そんなふうに、こんなふうに。夜明けがますます遠ざかってゆく。だからこそ、朝がいとしく思えるのだろう。
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