Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2017-12-30

土器のかけら、土の息吹に託された過去の記憶

 十一月三日に出かけた、千葉県加曽利貝塚の、縄文秋まつり。このなかの加曽利貝塚博物館で、縄文土器のかけらに触れて以来、感触がこびりついて離れなくなった。当初、触った時はそうでもなかった筈だ。だがそれは皮膚からゆっくりと、時間をすこしだけかけて(縄文というながい時の変遷のまえで瞬く間だから)、わたしのどこかにゆっくりと染み込んでいったようだった。それが脳に告げるのだ、あの感触をどうか、もっとと。植物が根から養分を静かに吸収するように。そう思うと、楽しい。
 ともかく、土器にさわりたくなった。手もとにおいて、さわりたいときに思う存分。いや、さわろうと思ったら、すぐそばにいてくれる、そんな環境がほしくなった。まるで猫でもいるみたいに。


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 つまり、土器のかけらを手もとに置きたくなったのだった。そうして、ネットオークションで探すことにする。わたしは価値があると思っているけれど(こんなにさわりたがっているのだもの)、骨董的には、意外なことに、破片だったら、ほとんど値段はつかないぐらいなものらしい。くわしいことはわからないが…。そういえば、わたしが小学生の頃住んでいた、埼玉県のある場所には、貝塚があった。同級生の男の子たちが、よく、縄文土器を発見したとかいっていた。それは化石をさがしてきたというのや、沼で釣りをしていたとかと、同じ響きだった。素敵なこと、たのしいことではある、けれども、当時のわたしには、自分のこととしては、関心がなかった。今のわたしは、しまったと思う。その頃に、わたしも土器を探しにいったらよかったと、すこし悔やむ。ほんのすこしだ。当時のわたしは、ほかのことに熱中していて、それが楽しかったのだろうし、それが今につながっているのだろうから。
 毎日、ネット・オークションを覗く。何か掘り出し物はないかしら。現実世界で、骨董を探すように、仮想現実にめずらしくはまってしまった。一度、青森県出土のものが、手に入れやすい価格で出品されていたので、入札したことがあった。画像でみるかぎり、装飾的な感じが破片に残っていて、いい感じだった。終了は三日後の夜。美術館のチケットなども、よくこうしたところで買うのだけれど、たいてい、そのまま、わたしが落札することができたので、安心しきって、終了時に寝てしまっていた。だが、翌日、落札できなかったことがわかる。終了直前に高値が十円更新されており、他の人に落札されてしまっていたのだった。
 そのあと、なかなか、みた感じでいい土器は、現れない。数片セットで、いい形のものも見受けられたのだけれど、少し高いような気がして、手が出せなかった。さきほど、わたし自身は縄文土器のかけらに価値を置いているといったが、勝手なもので、あまり値段が高いのは、違うような気がしてしまうのだった。
 ますます、仮想現実の骨董市や蚤の市めいて、十日ほどだったか、パソコンを開くと、こればかり探してしまう自分がいた。普段、スマホはあまり活用していないのだけれど、スマホのほうが、すぐに情報が入ってくるので、こちらでも探せるようにした。手にいれるまでの、魔的な時間。禁断症状のような、麻薬的な狂騒的な時間だった。
 先日、とうとう、値や形などが、わたしのなかで均衡をとったものが出品されていたので入札した。前回の失敗があったから、少し不安だった。オークション終了の数時間前からそわそわしていた。実際、高値更新が何度かあったので、こちらもスマホで値をあげて入札する。目にみえるのは文字ばかりで、通常の、現実の世界のオークションとは違うのだろうけれど、やっていることはリアルだった。オークション終了まであと数分。時間が秒刻みで画面に表示される。
 オークションが終了した。わたしが落札したらしい。信じられなかった。だがこれで、リアルさに近づいたのだ。ネットでみていたもの、画像でみていたものが、このことにより、現実に、具体的にはわたしの手もとに届くことになる。
 数日たって、無事に届いた。縄文土器のかけらは、写真で見たよりも、ずっと形状が心地よいものだった。心に染まった。色もよかった。中には、煮炊きで使ったのかもしれない、黒ずんだ破片もあった。なんとなく、この手のものは、写真でみるほうが、いいことのほうが多いと思ったが、そうではなかった。さわり心地だろうか、そのもののもつ雰囲気、来歴なのだろうか、破片たちが、しずかに言葉にならない言葉をもっていた。無言で、けれども、そこには豊饒なものが、秘められていた。それがわたしにはわからないだけで、破片たちは雄弁だった。その気配だけがわかった、というべきか。それは写真では伝わりにくい言葉だった。
 土器片が手もとにきてからは、もうネットオークションへの憑き物は落ちた。たまにそれでも、覗くし、いいなと思うものもあるのだけれど、もう家にあるからなと思ってしまう。
 手にとって、たまに触る。さわらないまでも、目でみて、気配を感じる。わたしは焼き物とか、骨董のことは判らないけれど、こうした気持ちと似ているのだろうかと類推してみる。土の感触が、いとしい。深呼吸をしたような気になる。あるいはそれは、生き物のようでもあった。家に、縄文土器のかけらが居る。在るというよりも、居るという言葉がしっくりするほど、生き物に似ているのだ。なんとなく猫が丸まって寝ている感じ。自立した、飼われているのではない、たまたま、わたしのところで、休んでいるだけの存在。わたしはその言葉はわからない。わからないけれど、なんとなく、通じるものがある。そんな感覚が、猫を思わせるのかもしれない。
 たぶん、わたしは勝手なことを書いているのだろう。縄文土器のかけらは、こんな言葉では語りつくせないほどの、なにかを秘めているはずだから。
 もう、発売されてから、けっこう日が経つけれど、十二月になると、毎年のように『日経おとなのOFF』一月号を購入している。来年度の美術展のスケジュールがわかるからだ。今号のそれによると、来年二〇一八年七月三日〜九月二日、上野の東京国立博物館で[縄文展]が開催されるという。記事のなかで、東京国立博物館の主任研究員の品川欣也さんという方が、「機能性など二の次で、装飾に過剰に注力している土器が多い。文字のない時代だけに、装飾に自らが暮らす集落や地域の価値観を込め、表現したのかもしれません」と、書いていたのが、目にとまった。文字のない時代の表現手段。だから、しみるのだと思ったが、なぜなのかはやはり言えない。表現という文字に、詩的なものを、あてはめてみる。表現の可能性が、深みへ誘う。それは土の息吹に託された、過去の記憶だ。

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 年があけようとしている。
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2017-12-20

ボロは儚く、華やかで ─世田谷・ボロ市

 世田谷のボロ市に行ってきた。実は、ここ数年、毎年のように出かけている。
 ボロ市は、毎年、十二月十五日、十六日、一月十五日、十六日に開催。元は一五七八年(天正六年)の楽市に端を発したもの。現在は東京都の無形民俗文化財にも指定されている。古着やボロ布が沢山売られていたことから「ボロ市」の名が付いたといわれているが、今は日用品・書籍・骨董・玩具・食品・装身具・植木市など様々な店が並ぶ。露店数は約七〇〇店。場所は世田谷一丁目、ボロ市通り付近。中心に代官屋敷がある。
 開催日が十五日・十六日と固定されているのが、昔の市が開かれたことを物語るようで、どこか過去に想いを馳せる。この想いは、満月の夜にたまに重なる。十五夜お月さまの明るい晩だ。こんなに明るかったから、夜も市を開いていたのかしら。
 少し、調べてみたら、最初は毎月一と六のつく月六日、開かれた市が、時代とともに毎月十六日だけとなり、さらに年の瀬、十二月十六日だけになったという。明治にはいり、太陽暦採用により、もとの十二月十六日は、おおよそ一月十五日ぐらいになるので、今のように年二回になったとか。十五日、十六日と二日ずつ開催するのは、雨などで残った品物を翌日に売ったことからで、明治三十年代には、今の開催が定着したとあった。
 いつからだったか。子供の頃だったかもしれない。世田谷に住んでいたから、なんとなく名前は知っていた。なつかしい名前のひとつだったのかもしれない。違うかもしれない。子供の時に世田谷に住んでいたから、大人になって、世田谷から離れて後に知ったボロ市という名前に、なにか郷愁を、愛着を、感じたのかもしれない。市とか、ボロとか。ボロ市という名前は、それでなくとも、なにか、境界をおもわせ、ひかれる名前だ。そこにわたしは自身の幼年をかぶせ、愛着を重ねていったのかもしれない。

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 また、世田谷の地に舞い戻って、十年くらいだろうか。この間に、何回、ボロ市にいっただろう。日付が十五・十六日と固定されている関係で、こちらが休みの土曜日か日曜日にその日付が重なるときに出かけている。週は七日なので、意外と四日間のうち、一日は行ける日が出来てくれて、結構毎年のように出かけられている。今年は十二月十六日に出かけてきた。
 客としては、あまりいい客ではないだろう。ただ、賑わいを感じるだけ、売っているものを見るだけで、ほとんど買わないで気がすんでしまう。いつもは人ごみが嫌いだというのに、この日だけは別だ。もっともあまり人が多いと、店に近づけないことがあるので、ほどほどがいいが、それはわがままだろうか。賑わいのなかで、骨董や、古い書籍、特売の食品、お菓子、化粧品、古着、包丁、貴金属、石、時計、縁日的、駄菓子屋的な玩具、屋台、植木に盆栽、ごたまぜの商品たちを見てまわる。陶器、着物、あやしげな健康器具、刀の鍔、きいちのぬり絵、浮世絵、神棚、唐辛子、バッグにベルト、戦前の教科書、万年筆、古いガラス壜に勾玉。
 いつも午後に出かける。日がまだ高いが、帰るのは夕方、日が暮れる頃だ。夜になると、もっと祭りっぽくなるのだろうか。そう、いつも後ろ髪を引かれるが、このあたりで帰るのも、またどこかに余韻が残されるようで、いいのだと思う。
 今年は、古着でもなんでもない、豹柄の帽子を買った。買ってすぐ、かぶって街を練り歩いた。代官屋敷前に、くす玉が架かっていた。これは、やはり毎年夏に開催される「せたがやホタル祭りとサギ草市」で、同じ場所で架かっていたものに似てるなあと微笑む。代官屋敷の庭では、ホタルが舞う特設ドームがあった場所に、今回はせたがや土産などの出店が連なっている。
 祭りに華やぐ心というのは、どうしていつも、どこか淋しいのだろうか。それは夕暮れの美しさに魅入られる心に似ている。あるいはアセチレンランプ、セロファン、こうした言葉に惹かれることにも似ている。それらは儚い郷愁を感じさせる。こんなに賑やかで、華やかなのに。
 祭りも夕暮れの華やかさも、すぐに終わってしまう。だからこそ、美しいのか。アセチレンランプ、セロファン、実はわたしももうよくは知らない言葉なのだ、けれども、夜店のイメージをまとったものとして、懐かしく、やさしく灯っている。この灯は、こんなものたちにも光をあてる。夜店のひよこ、ミドリガメ、色々と問題があったのかもしれないが、それでも、子供のわたしには、かわいらしい、生き物との出会いの場でもあったのだ。
 りんご飴、チョコバナナ、スーパーボールすくい。これらの出店を見て、ふと、それらがよぎったかもしれない。
 古着屋さんで、おそらくマネキンの頭にウルトラマンとウルトラセブンのマスクをかぶせていたのに出くわした。二人のヒーローはどちらも下に傾きすぎ、俯いてみえて、とても悲しげだった。マスクの汚れが目だっていたこともあって、余計に哀愁をそそるのだった。ヒーローとして、地球を守ることに疲れたのだろうか。あるいは、これが祭りにふと見えてしまった本音なのだろうか。
 いつかのボロ市で、わたしのすきなルネ・ラリックのアンティークのガラス製品を発見したことがあった。乱雑に、ほかのコップやらグラスと一緒に並んでいたのに、値段はやはり数万円と高かったっけ。手が出せなかったけれど、眼福だった。今年もそんな出会いはないかしらと、つい、ガラス製品たちを探してしまうが、特にはなかった。ただ、古い陶片をペンダントトップに加工したものが売られていたのを、興味深く思った。縄文土器はないのかしらと、つい、縄文時代に惹かれる身としては思ってしまうが、それもなく。いや、だからどうというのではない。そうしたものたちが、ないかしらと思って探すのも、楽しいと言いたかったのだ。あれば幸い、なければないで、もちろん。だって、ここには、ほかに、たくさんのおもいがけない出会いがあるのだから。
 行きも帰りもバスだった。バス一本で、市という、不思議な場へ行ける。この敷居の低さも魅惑的だ。日常と非日常が繋がっている。あるいは儚さが、近しいことが。夕暮れだって、また明日になれば、会えるかもしれないのだ。
 いや、この一日、一日こそが、儚いのかもしれないが…。十六日現在、月は満月からだいぶ欠けて、有明月、ほとんど新月に近い細さだった。また、あと半分、と数えていいのだろうか。あと半月と少しで満月だ。夜店もどこかできっと立つ。

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2017-12-10

上野の森の秋の終わり

 やっと。重い腰をあげて、展覧会にいってきた。期限付きの券で、期日が迫っていたから。「北斎とジャポニズム」(二〇一七年十月二一日〜二〇一八年一月二八日)へ。場所は好きな上野の国立西洋美術館。
 美術館の外には、世界遺産に登録されたからか、あきらかに展覧会目的ではなく、建物をみにきている観光客風の人たちが多かった。外国人、そしてバスツアーらしき日本人の団体。ロダンの《考える人》の像のあたりでは、色づいた木々が目についた。特に黄葉した銀杏が、まぶしいぐらいだ。

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 重い腰。先日も書いたけれど、美術に関する興味が薄れてきている、そのせいばかりではなかったのかもしれない。
 大好きな北斎なのに、展覧会は、面白くなかった。平日の午後なのに、会場はかなり混んでいた。いや、そのせいでもなかったろう。混んでいても、かつてなら、そこから、展示された作品たちから、何かを受け取っていたはずだ。
 わたしのせいなのだろう。だが、北斎のことはそれでも好きなのだと思う。彼に対するがっかりはなかった。いいがかりなのかもしれないけれど、展示された北斎の浮世絵、『北斎漫画』などの絵本は、どれも版の状態が悪いような気がした。ただ、西洋の画家や彫刻家、工芸家たちが参考にした、影響された、その証拠のように付随されて展示されているように感じられた。なにかメインは北斎ではなく、影響された側であるかのように感じてしまった。なかには、どれが北斎っぽいのか、わからない、こじつけに思えるものもあった。
 海外のこんな人たちにインスピレーションを与えた、だから、北斎はすごいんだ、みたいな本末転倒を垣間見てしまって、それも展覧会に影を落としてしまったのかもしれない。会場内で、〈これは、すみだ北斎美術館以来の、感動のなさだなあ〉と心の中でつぶやいていた。そのせいか、今まですきだと思っていたルドン、ガレ、モネの作品をみても、素通りしてしまった。北斎に対するそれと同じように、彼らの作品にたいするわたしのシンパシーがなくなったからではなかっただろう。会場内では、一瞬それを疑ったが。展覧会自体がわたしにそぐわなかったので、それで拒否反応を起こしてしまったのだ。

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 そう気付いたのは、常設展にいったときだ。こちらも、入る前は、もはやわたしには絵画への興味がうすれてしまったのではないか、そう懸念がもたげてきていて、入らないで帰ろうとすら思った。けれど、この常設、特に松方コレクションは、若い頃から、好きというか、影響をうけてきたので、そのことに敬意を表して、入ることにした。結果、入ってよかった。
 常設はどこの美術館でも、たいていそうだが、企画展がどれほど混んでいようが、空いていることが多い。こちらも、さきほどの喧騒がうそのようで、静かで、人もまばらだった。それもあって、心の中で、一息ついたのかもしれない。ほっとして、絵たちを見た。最初は十四世紀〜十六世紀の後期ゴシック絵画、ルネサンス美術のあたりの、宗教的な一連の絵。感動したというほどではないが、絵のなかの祈りの真摯さが、響いてきた。それは過去から届けられた温もりのようだった。バロック、ロココ、そして十九世紀〜二十世紀。さきほどの企画展にも展示されていた画家たち、ゴッホ、モネなどの作品もあった。とくにモネ。あれはなんだったのだろう。うっかり、名前を忘れてしまった、というか、覚えてこなかったのだけれど、絵の中の植物たち、たとえばごつごつとした枝などが、生き生きとしていて、それが目にやさしかった。彼は光を捉える画家だと思っていたけれど、植物の瞬間を捉える画家でもあったのだと今更思う。あれほどジヴェルニーの自分の庭で植物を育てていたのだもの。
 美術館から外に出ると、行きにも見たが、まっさかりの紅葉が目にしみた。上野に来たついでに、東京国立博物館へ、ちょっと足をのばす。ミュージアムショップだけ覗きたかったのだ。博物館内のそれは、入場券が必要だが、正門外にも小さな店がある。そこ目当てで。
 国立西洋美術館から、東京国立博物館へ向かう途中、噴水がある。ちょうど吹き出していて、だいぶ傾いた午後の陽をあびて、生き物のように動いているのに、感じるものがあった。水しぶきと、陽射しで、波紋がきらきらしている。冬の噴水も、いいものだと思う。夏よりもしみて感じるのはなぜなのだろう。夏は涼しげだし、季節に合っている。冬はちがう。季節には合っていない。あるいはその違和が、心になにかを訴えてくるのかもしれない。
 美術館に行くのがおっくうだった理由もわかった。美術に興味が薄れているだけではなく、この展覧会に対しては、別の理由があったのだろう。
 でも、やはり、来てよかった。吹き出す水の輝きを眺め、真黄色な銀杏の瞬間を横切りながら、心がすこし、優しくなっていた。

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