Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2018-03-25

光の王国

 桜が咲きだした。気付いたら、あちこちに、コオニタビラコ、ハコベ、ペンペン草、春はあっというまにきた。木の芽たちも、つぶらで、うまれたての色で、あいらしい。オオイヌノフグリは、春の星のようだ。ユキヤナギ、レンギョウ、タンポポ。どこか、心がふさぎがちなのだけれど、かれらをみると、ぽっと火がともるように、温かさを感じる。

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 きょうは、すこし、自分のことを、書いてみる。
 一人遊びがすきな子どもだった。わたしはそのことをいまでも良かったと思っている。どうした事情なのかは、しらないけれど、幼稚園にいっていなかったから、小学校にあがるまで、ほとんど独りで遊んでいた。その頃のことは、わりとよく覚えている。絵を描いていたこと、紙をつかって、工作していたこと、空想していたこと、ビー玉や金色のボタンに光があたる。光の果てまで覗くことができ、その先に王国があると思っていたこと。
 ただ、そのかわり、同年代の子と接することをしてこないまま、小学校にあがったので、人との距離がつかめなかった。集団となじむことができなかった。具体的にはいじめにあった。かなしいとかつらいとかはあまり思わなかった。いやではあったが、どこか冷めていた。学校とは、級友とは、距離を置くこと。彼らと接したいとは思ったが、それはいじめという壁にぶちあたることでもあったから、保身だった。あるいはいじめられている自分を、ほんとうの自分ではないと思っていたかもしれない。放課後、ひとりになって、はじめて自分に戻れる。光の王国へ入れるのだ。わたしはそのなかで、絵を描いた。散歩をした。まだ、あちこちに原っぱがある頃だ。草たちにまぎれこみ、季節ごとに花たちと出逢った。飼い猫の黒猫、ロロもいた。大好きな父もいた。わたしはやはり幸福だった。空想の王国は、逃げ場所だったのかもしれないが、そうした意識はなかった。学校よりも、その王国とのつきあいのほうが長かったから。
 今日は、けれども、その光の王国のことを、書こうと思ったのではない。
 わたしは、彼らと、最初から、表面上でしか、付き合おうとしなかったのだとか、彼らに向けて、言葉を発することをしてこなかったのだなとか、彼らに言葉を届けようとしなかったのだとか、そんなことに、今更気づいた、ということを書こうとしたのだ。
 彼らとは、他者ではあるけれど、学校に端緒を発する、集団社会でもある。それは日常の喩でもある。大人に近づくにつれ、あまりいじめられなくなったが、本心をみせることをしなくなったからだと思っていた。それはもはや癖となってしまい、今でも、延々と続いている。あの頃の学校的な場所、勤め先その他、人が集まる場所では、事務的な会話か、上っ面の会話しかしない。あるいは、もはや会話にならない。わたしは無口になっていっている気がする。言葉が口にのぼってこないのだ。たまに反論しないといけないような事態に陥ることがあるが、そのあとで続くであろう会話を予想して、面倒になってしまい、口をつぐむこともある。
 「わたしは生き延びるために書いてきた。口を閉ざして語ることのできる唯一の方法だから書いてきたのだ。無言で語ること、黙して語ること、失われた言葉を待ち受けること、読むこと、書くこと、それらはみな同じことだ。なぜなら、自己喪失とは避難所だから」(パスカル・キニャール『舌の先まで出かかった言葉』青土社・高橋啓訳)
 わたしは、この言葉が好きだった。
 わたしにとって、口を閉ざして書ける言葉は、詩であり、絵を描くことだった。二十歳ぐらいのとき、このまま絵を描くか、詩を書くか悩んだことがあった。不器用だからか、どちらか一方に集中しようと思ったのだ。そうして、選んだのが詩を書くことだった。けれども、それは、口に出す言葉ではなかった。書くこと、描くことも、対象との対話であるけれど、日常的な会話ではけっしてなかったから。
 大人になって久しいわたしは、あいかわらず、人が苦手だ。彼らに本心をみせる術がもてなかった。うわべだけの会話を学んだ。ただ、そのときどきの恋人にだけは、もうすこし、ちがうものを求めていたが。それは、社会的な意味がほとんどない、非日常に近しい存在だから。
 いまも、会話というか、声にだす言葉は苦手だ。人と会話しているわたしは、ほとんど、なにかをとりつくろっている感じがしてしまう。電話も苦手だ。親しい人の電話でも、出ることができなかったりする。
 ただ、最近は、もはや、声にだす言葉は、どうでもよくなってしまっている。それよりも、対象にむけて、口をつぐんで、声をかけている、その言葉が気になっている。
 前を猫がよぎる。猫に心の中であいさつをする。モクレンの、あの猫の毛みたいな芽鱗、冬の寒さを守っていたふわふわの子たちは、その役割を終えて、花がさいた今は、毛をぬいで、ガクになろうとしている。その薄くなった毛にさわって、またあいさつをする。あたたかくなってきたからねえ。冬の寒さに耐えてたんだねえ。たわいのない言葉だ。紫陽花の葉、ドクダミの葉、そのほか、樹木のちいさな緑色の芽が、つぶつぶと色を持ち始めている。それらにあいさつを交わすのが、楽しい。それは幼児のころにすこし似ている。わたしはだんだん幼児に還っていっている気がする。
 数日前、ポスティングのバイトの途中で、土筆を見つけた。川に近い、駐車場の隅でだ。うれしかった。さわった。バイトを終えたとき、もう午後五時半近くだったけれど、まだ辺りは明るかった。その周辺にも、土筆が生えていた。駐車場にほどちかい空地だった。なつかしいなと思いつつ、いつか家が建ったら、この土筆たちはなくなるんだろうなと、すこし切なくなった。そういえば、わたしが住んでいるマンションの駐輪場にも、数年まえまで、土筆が生えていたのだけれど、管理会社の方が、こまめに草むしりとか、してくれているため、今年はみえなくなってしまったことを思い出す。
 いま、空地の、眼前の、土筆たち。そのありのままの姿を眼にやきつけておこう、それだけで、いいじゃないかと思った。けれど、気がついたら、土筆採りを始めていた。せっかく生えてきた土筆にたいして、もうしわけないと思ったのに。最初に摘んだら、もう、ためらいはうすれてしまった。かつて、土筆を採った記憶がよみがえる。たしか、ハカマをとらないといけないし、調理すると、少しになるんだよなとか。この街に来てからは、はじめてだけれど、過去に何回か土筆採りをしたことがあるのだった。こうした行為もまた、会話ではなかったか。過去や土筆との。せっせと採るのがおおむね楽しかった。土筆をとるときに、緑の粉が舞う。胞子だろう。指につく。それもこれも会話。
 もういいかげん辺りが暗くなったので、家に戻った。すぐさま土筆の下処理、採ってきた土筆のハカマを取って、土筆の佃煮を作った。これは日常、そして非日常。無言の会話が境目でいとしい。光の王国は、こんなところに、変わらずに門戸をひらいてくれている。

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09:24:49 - umikyon - No comments

2018-03-15

いちめんの梅源郷─越生梅林

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 今年も埼玉県の越生梅林に出かけてきた。三日連続の雨の翌日の土曜。まだ朝早い時間は、雨がわずかに残っていたが、それも止んで曇り。午後には晴れて、そんな、出かけるには、ぎりぎりの一日。
 はじめてここに来たのは、いつだったろう。十九歳ぐらいだったか。なんだか記憶がごっちゃになっている。十九の時に来たことは覚えているのだけれど、その前に、わたしが小学生だった時に、家族で来ているような気もするのだ。けれども、それはおなじ越生でも、梅林からほど近い、黒山三滝にいっていたのかもしれない。
 こう書いているうち、思い出してしまった。と書くのは、記憶があいまいな状態を、わたしがどこかで楽しんでいたから。謎のまま、滝と梅が、桃源郷ならぬ梅源郷を作っていてくれたらいい……。

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 そうなのだ、小学生の時に行ったのは黒山三滝のほうだった。梅林は十九歳が初めて。山にかこまれた、静かな梅林たち。梅農家の方々の栽培する梅たちを含めると二万本以上の梅が栽培されているという。はじめて行ったときは、すこし雨が降っていたかもしれない。いや、おぼえていないが、なにか梅の花たちが、だったのか、霞のように、むこうに拡がり、それが幻的な美となって、わたしに語りかけてくるようだったのを覚えている。声にならない、大切なささやきとして、誘ってくるようだった。あまたの、開花たちが、そこで息づいている。その景観、その姿にしずかに圧倒された記憶がある。おびただしい花たちなのだが、むせそうということではない。ただ、遠い夢が再現されたような、つつましさ、おくゆかしさのある、梅の花たちなのだった。
 そう、それはかそけき声といってもいい。梅は、そんなふうに、わたしのなかに足跡を残していった。その姿に会いに行くため、ながいこと、梅に会いに出かけている、といった面もあるのではないだろうか。
 ほとんど、変わらないように見える、梅林。けれども、おそらく長年の間、なにかがすこしづつ変わっているにちがいない越生の梅たちに、わたしはなにを見ているのだろうか。また春が来て、みずからの生のために、咲いている梅。売っている梅干し、そして今年も来たという自分を、梅の花たちに重ねているのだろう。そこにはかつてのわたしが、顔をだしている。そんなもろもろも含めて、梅はわたしに誘うのだ。それが、梅とわたしの接点をつくっているのかもしれない。

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 越生梅林。梅まつり会場は越辺川(おっぺがわ)沿いの二ヘクタールの場所。越辺川。ふしぎな響きをもつ川は清流だ。小学生の時にこの川に遠足で来たことがある。なんとなく、かわいらしいというか、ひょうきんな響きだなと思った記憶がある。今回、来たとき、雨の影響でいくぶん水が濁っていると思ったのだけれど、しばらくすると、また水の透明度が増してきたように思えた。澄んできた水と、対岸の梅を眺めるのはうれしい。“おっぺ”という響きと、子どもの頃から、清流として親しんできたものとの、数十年経っているのに、見た目にはほとんど変わらぬ再会。変わらないでいる梅林とともに、それは幻想を与えてくれるのだった。永遠では決してないけれど、そして、そうなるまでには、べつの力たちが積み重なった結果であるのかもしれないけれど、とどまっている姿、変わらないように見えるものがあるのだと。
 そういえば、梅たち。わたしは、つい、梅の花たちが、たくさん、むこうまで、咲いているような、つらなっている姿を写真におさめようとしてしまう。それは、十九歳の時に、みた梅源郷的な記憶が大きいのだろう。あんなふうな、みわたす限りの梅、霞がかった、いちめんの梅の記憶を、今ここで、再現したいという気持ちも、どこかで働いているのではなかったか。けれども、それに捉われているわけではない。今の、この梅は梅だ。この梅の瞬間を、写真に撮りたい。ただ癖として、そんなこともあるのだった。
 
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 今年は、三月十日に出かけたのだが、七分咲か八分咲ぐらい。見た目にはほぼ満開に見える。ちょうどいい頃だったと思う。花が盛りをすぎていない、盛りにむかって、謳歌しようとしている、そんな勢いが感じられる。終わりつつある花がほとんど見受けられない、暖かさをましていく春、陽射しが明るくなってくる春に、とてつもなく合っている、そんな春の使者としての梅たちの姿が優しかった。
 梅干しを買って帰る。先日訪れた府中でも買ったけれど。これらの梅干しを自宅で、食卓で食べる度に、土地の名を思い出す。それがなんだかゆかしい。わたしたちはこんなふうに、霞がかったようなあいまいななか、関係をもつことができるのだ。

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00:49:48 - umikyon - No comments