Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2018-07-30

知らなかったことたちの場所─「石神井川流域の縄文文化」展

 この夏は暑い。セミの声が今年はやはり少ないような気がする。ちょっとにぎやかすぎるアブラゼミ、夏らしく感じるミンミンゼミ、そして大好きなかなしげなヒグラシ…。ヒグラシだけは、もともと声を聞くことが少ないからか、前と同じように鳴き声を聞くような気がするのだけれど、ほかのセミは…。暑さと関係があるのかしら。

null

 前に江戸東京博物館「発掘された日本列島2018─新発見考古速報」展に出かけたとき、気になるチラシを何枚か見つけたので、もらって帰った。縄文展もそうだ。こちらは実はもう行ってきたのだけれど、そのことは後日。もう一枚、練馬区立石神井公園ふるさと文化館での企画展「石神井川流域の縄文文化」。会期が平成30年6月23日から8月12日までということで、終了まであまり間がないので、今回はこちらについて、すこし書いてみようと思う。

null

null

 わたしは、数年前…と思っていたけれど、多分もう十年前になってしまう、ともかく練馬区のお隣の板橋区に住んでいた。それも練馬区の境に近いところ。石神井公園も割と近くにあったので、何回か行ったことがあった。ボート池であそんだり。その他に子供の頃から、なんとなく愛着を持っていた場所でもあった。
 そんなところに博物館があったなんて知らなかった。調べてみると、できたのが2010年だそうだから、わたしが引っ越した後だ。けれども、知っていてもその頃だと、興味が持てたかどうか、微妙だ。それに、石神井公園駅から行くと、ちょうどボート遊びなどをする石神井池を挟んで向こう、三宝寺池と石神井池の境目にあるところなので、気づかなかったかもしれない。
 行く前に、こんなふうに少し調べてみると、知らなかったか、忘れていたこと、当時あまり興味をもっていなかったことが多くて、そのことに少し驚く。わたしはたしか石神井公園が、あの池が好きだったのではなかったか。なのになぜ…。
 たとえば、公園内には石神井池と三宝寺池の二つがあるが、後者が元々ある池で、石神井池は、三宝寺池とその景観を守るために1933年に作られた人工の池だったこと。そういえば、三宝寺池のほうは、実は行ったことがない。そのほか三宝寺池端に、室町時代以前、豊島氏の居城の石神井城があったこと、そして、これが一番驚いたのだが、ふるさと文化館は、池淵史跡公園に面しているのだが、ここは旧石器時代・縄文時代・中世の遺跡があることだった。竪穴式住居跡があり、発掘された縄文土器がふるさと文化館にあり…。
 石神井公園の近くを離れた今となって、それでも知れてよかったが。
 さて、石神井へ。台風の日、車で連れて行ってもらった。朝のうちは雨が降っていたが、日中は小康状態、というか曇り空。公園にはどうも駐車場が少ないようなので、こんな日のほうが、かえって停めやすいかもと思った。
 今まで来たルートである、駅からとはちょうど反対側からのアプローチなので、地名だけは覚えがあるのだけれど、なんだか知らない場所に来たようだ。二つの池のどちらも見えない。池と史跡公園やふるさと文化館のある辺りの間がすこし高くなっている。あの丘を越えればきっと池が見えるのだろう。
 おそらく野球場かなにかの利用者向けの駐車場なのだろう、最寄りの駐車場は夏休みの土曜日なのに、ガラガラだった。やはり来てよかった。すこしだけ雨。
 さて、ふるさと文化館へ。ちなみに入館料は無料。ありがたい。チラシから。
 「東京都・埼玉県・神奈川県にまたがる武蔵野台地は、関東ローム層に覆われた洪積台地で、台地上を流れる河川流域は遺跡の密集地となっています。
 練馬区内を流れる石神井川、白子川、中新井川(江古田川)流域も例外ではなく、河川沿いからは縄文時代の遺跡が数多く発見されています。
 本展では、石神井川流域の遺跡から出土した縄文土器や石器を中心に、未公開の資料も展示しながら、流域の縄文文化について紹介します。」
 展示されている縄文土器は、早期から中期のものが殆ど。後期や晩期は、低地への移住などで遺跡も少なくなっていて、それが原因のようだ。
 勝手なことをいうと縄文中期の、装飾的な土器が好きなので、中期のものたちを見れて、それだけで、なんだかほっとした。それに、土器片に触ることのできるコーナーがあったことも。
 いろんな人が触ったからだろうか。展示されているものよりも、テカテカしている気がした。でも、触る、それだけで、まるでたとえば木に触ったように、草に触れたように、なにかを感じて、うれしくなる。
 出土された遺跡の名前は、やはり覚えがなかったが、チラシなどにあった白子川は、以前住んでいた所のすぐ近くに流れていた川だった。
 丸山東遺跡の石棒。男根の形をしていて、豊穣などの祈り、祭りの道具として使われたのではなかったかと、あった。これを見て、思い出したというか、やはり、最近まで知らなかったことと照らし併せてみたりする。
 縄文時代から人々の信仰を集めてきた石の神を、ミシャグジというそうだ。石棒はその信仰の象徴では、と言われている。
 「石神井」の地名の由来は、「石神」(しゃくじ、いしがみ)に由来すると伝えられていて、関連があるとのこと。むかし、村人が井戸を掘ったときに、石棒が出てきた…それを石神として祭ったのが石神井神社の始まりで、村の名前も石神井になったとか。
 実感としては、まだわかないのだが、この頃、ミシャグジという言葉をよく見るようになっていた。とくに諏訪のあたりのことを読んでいると。シャクジイの名前がミシャグジと重なるなんて。
 なぜ、今まで知らなかったのかしら。わたしは何を知っていると思っていたのか。けれどもおそまきながらでも、知ることができて、それらが重なることができて、よかった。
 常設展示ものぞく。こちらにも縄文土器などがあった。そして練馬大根、昭和のなつかしい暮らしなど。
 そのあと池淵史跡公園へ。隣接していて、ふるさと文化館の裏口が入口になっている感じ。裏から突然、公園が始まる。木々の中、まず藁葺き屋根の古民家(旧内場家住宅)へ。昭和戦前期の姿に復元したものだとか。中をざっと見て、それからお目当ての竪穴式住居跡へ。縄文中期(約5000年前)のものらしいが、復元などはされていなく、柱のあった穴の上に丸太を模したものを5本ならべている。すこし味気ない感じがしたが、事前にこうしたものだと情報を得ていたので、がっかりはしなかった。跡地はほんの少しだけ地面が高くなっていて、古墳のようだなと、時代が違うのに、そんなことを思った。そういえば、確認しなかったけれど、ほかに庚申塔などもあったようだ。縄文、中世、明治が混在している。そう言葉でつぶやくと不思議な場所にいるのだなと、あらためて思う。幾千年もの時は、たとえばこんなふうに感じることができるのだ。台風のせいか、人もほどんどいなく、静かだ。

null

 このあと、三宝寺池のほうに行きたかったのだが、駐車場などの関係で、時間がなくなってしまったので残念ながら帰ることにした。石棒は三宝寺池の畔から掘り出されたとの説もあるとのことで、見てみたかった。第一、石神井公園にきて、水を見ないで帰るなんて。池淵という名前のところにいたのに、そこからも池は見えなかったし。
 車に乗って帰路に向かってすぐに雨脚が強くなった。ほとんど土砂降り。池の水ではなく、雨水に出会ってしまったなあと少しおかしくなる。車で来られてよかった。遺跡公園にいるときは天気とが保ってくれてよかった。
 うちに帰って、栃木県の縄文土器片、以前に購入したものをまた眺めてみる。雲母がすこしばかりキラキラして。場所も時代も違うけれど、展示室にあったものたちを思い出す、こうしてよすがになるのもうれしい。
 翌日は台風一過の晴れ。セミの声はまだ聞かない。いや、わたしが知らないだけで、どこかで鳴いているのかもしれない。
00:46:27 - umikyon - No comments

2018-07-15

緑の風と横たわる犬と ─「発掘された日本列島2018」

null

null

null

 久しぶりに都会に行った。電車に乗って。数ヶ月ぶりかもしれない。それも展覧会目的だと、もうどのくらいぶりか。めっきりそのてのものに行かなくなったから。
 体調のせいもあるけれど、興味が美術からすこし違うほうへ向いてきているということもある。考古学というほどではないけれど、縄文的なものに、心が向いてきている。
 ということで、出かけてきたのは、江戸東京博物館の「発掘された日本列島2018  ─新発見考古速報」(2018年6月2日─7月22日、巡回展、以降、石川、岐阜、広島、川崎へ)。これは、近年発掘された遺跡や、研究成果があがったもので、展示可能になったものなどを、文化庁主催で紹介するもの。


 それにしても、暑い一日。今が一番暑いのかしら。
 自宅最寄り駅から、小田急線で新宿へ。そこからのろのろと、各駅停車の総武線で両国に向かう。市ヶ谷あたりで見えるお堀を楽しみに。
 信濃町、四谷、水道橋、市ヶ谷、お茶の水。お堀目当てだったが、神宮外苑など、緑が意外と多いなと、ぼんやりと車窓をみて思う。お堀は真緑。違和感があるのは、わたしがいつも地元でみている水が、もっと澄んでみえるからだろう。
 都心に住んでいるときは、それほど、お堀に、あの不自然なにごった緑色に、違和感を感じなかったのだから。
 そういえば、ここにくる数日前、早朝バイトの帰りに、珍しく湧き水のある池の様子を見に行った。国分寺崖線上の、木々の多い崖下にある。水周りは保護されていて、道路脇の金網ごしにみる感じなので、あまり訪れていなかったのだ。
 目当ての場所は、残念ながら、すこし水量が減っていたような気がした。白いトタン板のようなもので草の侵入を防いでいる。
 地図をみると、この池のとなりにも池がある。やはり金網が張ってあって、入れないように保護してある。前も探してみたのだが、見ることができなかったところで、だめもとで、そちらにいってみたら、池は見えなかったが、湧き水は発見することができた。小さな滝のようになって、すぐに暗渠にもぐってしまう。
 だが見つかってよかった。清冽な水。ちなみにこの湧き水、いや池なのか、名前は上神明池(かみしんめいいけ)という。
 こちらは崖下だが、この崖上のほうを通ったとき、工事していて、「遺跡発掘調査中」とも書いてあった。
 ものすごくおおざっぱにいうと、崖のあるところは、遺跡がでることが多い。なんの遺跡で、なにが出たのだろう? 心が惹かれた。

null

 実は体調のせいか、江戸東京博物館の展覧会も、行こうかなあぐらいで、あまり気乗りがしなかったのだった。ああ、もしかすると、この工事のことが頭にあって、行こうという後押しをもらったのかもしれない。
 それと。上神明池を含む、国分寺崖線、緑深いあたりにきたとき、空気が変わった。それまで、うだるほど暑かったのに、冷たい、やさしい風が吹いたのだ。崖下は、片方が緑、もう片方は住宅地、緑に囲まれた、というほどではないのに、空気がひんやりとした。ここちよかった。
 電車に戻ろう。車窓から、にごった緑の堀、堀の際の街路樹などを眺め、そういえば、あのあたり、実際に歩いたり、自転車で通ったりしたことがあったが、空気が変わるほどの、ひんやり感を感じたことはなかったなあと思っていた。なにが違うのだろうか。ことばでは自分でも理解できていないのだが、暑そうな外を眺めていて、なんとなく、どこかで腑に落ちたような気がした。
 さて、展覧会へ、博物館の特別展ではなく、常設展示会場での企画展。何回かここに来ているので、江戸の紹介、展示などの常設は、ざっとみるだけにした。ただ歌舞伎の舞台を模したイベント会場で、なにかイベントをしているらしく、マイクまで使っているので、正直、かなりうるさい。企画展入口が見えたが、あきらかに音がみる妨げになるだろうと、終わるまで時間をつぶすことにした。どこにいったのか、おそらく江戸時代ではなく、明治あたりに逃げ込んだ。鹿鳴館、行灯とガス灯、裸電球の明るさの違い。
 やっと、イベントが終わったので、晴れて目的の企画展へ。
 HPなどから。「全国で毎年8000件近い発掘調査が実施されていますが、その成果に実際に触れる機会は極めて限られています。そこで、近年、とくに注目された出土品を中心とした展示を構成し、全国を巡回させることにより、多くの方が埋蔵文化財に親しみ、その保護の重要性に関する理解を深める機会となる展覧会を開催します。今年度は、特集として文様や彩色が施された装飾古墳の調査・保護についてもご紹介します。」とある。
 わたしの興味は、縄文時代に向いているので、とくに千葉県の加曽利貝塚のコーナーに心惹かれた。去年の秋に実際に訪れたところでもあるので、なおさらだ。南貝塚から剥ぎ取った地層断面の展示もあった。およそ4000年前から3000年前の断面。
 そして土偶、縄文土器を調べる指標となった加曽利E式、B式の、それぞれの土器の展示。
 あとで、このあたりのことも触れるけれど、これらの縄文や旧石器時代を長めにみて、後は簡単にすませて、一周がすんだ。企画展脇で、ビデオ上映がされている。六本ぐらい、計一時間。みたいものは、縄文だけなのだが、まだだいぶ時間がありそうだ。どうしようかなと迷いながら、また、企画展入口に戻ったら、ちょうど文化庁文化財調査官による展示解説が始まるところだったので、参加することにした。最初は申し訳ないが、時間つぶし程度に考えていたが、とんでもない、参加できて、とてもよかった。
 自分が興味なく素通りしてしまったものたちの、解説が、とくによかった。こうして解説されなければ、きっとその存在の大切さが無縁だったものたち。
 たとえば、剣の柄。柄の部分は木製だったりするので、ほとんど現存することが難しく、出土されないそうだ。だが、長年水に浸かっていたおかげで、見つけることができた漆塗りの柄とか、噴火災害によって、埋まった遺跡の発掘の、その生活跡の生々しさとか、秀吉が行った京都復興を物語る出土品とか。奈良時代、孝兼女帝から寵愛をうけたとされる道鏡一族ゆかりの、豪奢さがうかがえる建物跡とか。銅鐸は、どこから出るかわからない、工事現場で、突然出土することが多いとか。
 お話ししてくれた方は、古代が専門で、埴輪が大好きとのことだったが、縄文のこともだいぶ時間をかけて話されていたので(好きな古代よりも、時間をかけてしまっていると本人が語っていた)、ありがたかった。
 そのなかで、加曽利貝塚のこと。ここでは犬が丁寧に埋葬されている。そのことは前から知っていたのだけれど、去年の秋に訪れた加曽利博物館では、展示をみることがなかった。実は今回、はじめて、その埋葬された犬を見たのだ。ほんとうに、やさしく、そっと置かれたような埋葬のされかただった。横むきになった犬。ちなみにこの犬の存在があったから、加曽利貝塚のイメージキャラクターは、カソリーヌとなっている。
 それはともかく、展示解説でも、そのことが触れられていた。犬は狩猟などで供をしていたもので、いわばパートナーだったのでは、だから、こんなかたちで埋葬されたのではと。
 それが実感として感じられる横たわり方だった。
 日本では普通、骨はなかなか残らない。残るのは、貝塚の貝のカルシウムのおかげ、貝塚はゴミ捨て場と習ったと思うのですが、たしかにそうした面もあるけれど、人骨や、こわれた土偶などもあり、もっとちがう、豊かな意味もあった場所だったのではなかったかとも。
 個人的には、わたしは、貝などはあまりゴミと言った感じがしない。貝殻はきれいだもの。あるいは、ゴミという観念がいまとはだいぶちがったのではないかしら。土に還るものたちとか。壊された土偶の多さなども頭にいれて、土、死と再生のこととかも思う。
 展示解説、決められた時間は四〇分ということだったけれど、だいぶ時間オーバーして話してくださっていた。
 おわって、さきほどのビデオ上映コーナーにいったら、あと10分ぐらいで、加曽利貝塚の上映になるらしかったので、こちらもありがたかった。
 特別史跡になるということで、記念、紹介的につくったビデオだった。
 ちなみに、特別史跡。これも、今回、文化庁調査員の方のお話で知ったのだけれど、国宝と同じ、いや、それよりも狭き門で、貴重なものが選ばれるのだとか。加曽利貝塚は、今現在、62番目で、特別史跡も同じ数。つまりいちばん最後に認定されたもの。
 ビデオ上映もみて、また企画展のほうへ、足をはこぶ。さきほどの展示解説を、かみしめたかったのだ。
 そうこうしているうち、時間がだいぶ経ってしまった。三時間ぐらい館内にいたのだろうか。
 足がだいぶ疲れていたが、長いこといるこができて、それがうれしかった。
 
 帰りに、新宿に寄った。現在、上野で縄文展が開催されているので、その関連で、ミニフェアを紀伊國屋書店で行っているらしいと知ったので。
 そちらは、ごめんなさいだが、思っていたよりも? だったけれど、ふだん、もはや新宿ですら、ゆく機会がなくなってしまったので、確かめることができてよかった。ビルの一階に、標本や化石を売っている店があるので、そちらものぞく。このごろ、ほしいと思って探している珪化木、あったが、ちょっとちがう。でも、これも見ることができ、触ることができて、心がすこしうるおった。
 帰り道。通りはまだ明るく、暑かったので、なるべく地下街を通って過ごした。久しぶりだったので、地下街の出入り口を、間違えてしまう。つい、昔、勤めが新宿だったころ、利用していたところをのぼってしまったのだ。
 登ると魚の壁画がある。新宿もだいぶ変わってしまって、駅ビルも変わってしまったが、この魚たちだけは、変わらないなあと、眺めた。そこで、あれ、この魚たち、ずいぶん久しぶりにみるなあと、間違いに気づいたのだった。この魚のいる通路は、今は使わないのだと。
 都会や過去から離れてしまったのだなあと感慨がすこしおこったが、それだけだ。でも、壁画の魚たちに、久しぶりにあえてうれしかった。おそらく5年ぶり以上。
 少し疲れていたので、帰りは各駅停車で、座って帰ることにした。
 うたたねしていたので、最寄り駅についたら、もうほとんど、夜の気配。わずかに西のほうが、明るいぐらいだ。
 国分寺崖線下のスーパーに寄るので、駐輪場に自転車を停めた。すると、ヒグラシの声がした。
 今年はまだ、蝉の声を聞かないなあと思っていたら、いきなり、大好きなヒグラシの声を聞いた。カナカナカナと、さびしいような、かなしいような、そんなすこしの痛みをおぼえてしまう、せつない声だ。
 この声が、蝉のはじまりでいいのだろうか。いいのだろう。暑いことは暑いが、日差しがないぶん、暑さがだいぶ収まってきている。うちにかえったら、それでも二度目のシャワーを浴びるだろうけれど。
 家についても、足がじんじんしている。シャワーをあび、簡単な食事をすませたら、ほとんどすぐに寝てしまった。それでも、出かけることができてよかった。
 翌朝、というか、書いている今日。家のまわりでは、まだセミの声を聞かない。 
21:09:36 - umikyon - No comments