Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2019-05-22

川の近くの小高い緑に思いを寄せる横浜歴史博物館

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 そういえば最近、博物館的な施設に行ってないなあと、少しパソコンで調べたら、横浜歴史博物館を見つけた。企画展は「君も今日から考古学者! 横浜発掘物語2019」(2019年4月6日─6月2日)というもの。子どもむけのものだったが、好きな縄文時代も扱っていて、常設でも展示がある。また、以前から隣接して「大塚・歳勝土遺跡公園」という弥生時代の史跡があると知っていて、いつか機会があったら訪れてみたいなと思っていたので、出かけてきた。

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 車で連れてってもらった。電車だと、電車を乗り継ぎ、バスも使う感じで、少々面倒だったが、車だと存外近い。うちから十五キロぐらい。
 カーナビの地図などをみると、博物館隣接の遺跡公園はもとより、近くにはほかにも公園が多い。だからなんとなく緑が多い、のんびりしたところなのかしらと思ったが、実際に行ってみると微妙だった。傾斜が多く、たしかに緑も多かったが、商業施設や比較的背の高いマンションなども多い。丘陵的な緑と宅地を進んで、ああ、このこんもりとした緑のあたりが博物館や遺跡公園なのかなと思ったら、あてがはずれる。横浜歴史博物館は、駅に近いところらしい(最寄りは市営地下鉄「センター北」駅)。あたりに緑は点在しているのだが、商業施設や立体駐車場、マンションに囲まれた一角にあった。緑が遠く感じられて、すこし息苦しい。遺跡公園も隣接しているはずなのに、博物館入口からはわからなかった。
 そうだ、森の中にある美術館とか、そんなイメージを抱いていたので、なにか拍子抜けしたのだった。その感覚で、パーキングも屋外にあると思っていたので、ビルの中にあったので、やはり意外だった。ともかく横浜歴史博物館へ。

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 企画展は、平日は近隣の小学校の観覧などで混むらしかったが、行ったのが土曜日だったので、比較的空いていた。遺跡を掘る体験スペースなどがあり、子どもが発掘を体験している。
 発掘された縄文土器のかけらを触ることができる展示があり、それがよかった。手から感触を確かめる。ざらざらと、やさしい。しっくりする。時代を超えてここにあることに思いをはせる。
 企画展も常設も基本的にフラッシュをたかなければ写真撮影可とのこと(一部不可のところも)。写真を撮ることに気がいってしまわぬ程度に少しだけ。この案配が難しい。写真に収めてしまうと、実際は見ていないのに、見てしまったような気になってしまうから。

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 久しぶりの縄文土器たち。どうしてこれらがこんなにも好きなのだろう。常設展で歴史劇場での上映、横浜の辿った三万年の歴史を約十五分の映像で辿る、というものがあったので鑑賞した。縄文時代は自然とともにあり、弥生時代にはいってから鉄が使われるようになり、争いも起こった……そんなことを言っていた。あるいはそれもわたしが縄文時代に惹かれる理由なのだろうかとぼんやりと思う。
 たしか企画展のほうだったと記憶しているが、顔面取手土器の展示があった。横浜市都筑区の高山遺跡や大熊仲町遺跡から出土したもので、縄文中期のもの。ここには説明がなかったが、それほどこことは離れていない、およそ十キロの町田市の本町田遺跡に訪れたときに、顔面取手土器の一部が展示されていて、「現在の長野県や山梨県にあたる地域の縄文時代中期の人々が土器の一部として作り始めたと考えられています」と解説があったことを思い出した。わたしはどうもこの顔面取手土器が好きらしい。ああ山梨の釈迦堂遺跡博物館でこの系統のものを見たなあと頭のなかで反芻する。縄文土器に土偶の頭をつけたような、土器と土偶の混成のような。

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 話が前後してしまうが、帰りにミュージアムショップでこの顔面取手の部分、顔面だけをミニチュアサイスに復元したものが売られていたのでつい買ってしまった。縦横およそ二センチほど。この文章を書いている(作成しているといったほうがいいのか)パソコンからすぐ見えるところに飾って。こんなふうに小さなガラクタたちで、わたしの机のまわりは満ちている。囲まれてゆく。
 博物館は緑から離れた感じでそこにあったと書いた。大塚・歳勝土遺跡公園も、博物館に着いたときはどこにあるかわからなかったが、博物館の三階部分、屋上から道路にかかった連絡橋を渡って行けるのだった。遺跡公園はそれほど高いところにあるということ。橋を渡るという行為をそのときは気にすることはなかったが、象徴的ともいえそうだ。ビルたちに囲まれた場所から、緑深いところへ。現在から過去へ。弥生時代の遺跡、木柵や溝、土塁で囲んだ環濠集落のムラ、大塚遺跡と、そのムラの外に溝で囲んだ方形周溝墓と呼ばれる墓の歳勝土遺跡、さらに古民家もある公園。大塚遺跡のほうには、復元された竪穴式住居や高床式倉庫などもあった。
 公園内にはそのほかに、周辺地形の模型があり、この公園のすぐ近くに縄文遺跡が何カ所か点在しているのがわかった。車でここに来る途中に、鶴見川の支流の早渕川が流れているのを見た。この川の近くのすこし高いところ、ということなのかもしれない。
 車で来るときにあちこちに見えた点在している緑たちのどれかが縄文遺跡なのかなと思う。間違えているかもしれないが、おそらく一部はそうなのだろう。あの緑が……そう思うと気持ちよかった。
 この公園ではとくに大塚遺跡のほう、復元竪穴住居が点在しているところに惹かれた。あまり縄文時代のそれと違いがわからないからなのだろう。少し調べたが、外観的にも内部構造的にも大きな違いはないようだ。ただ縄文と明らかに違う高床式倉庫もあったけれど。

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 ともかく吹いた茅葺きの感じが心地よかった。この復元した住居跡群は、丘の頂上といった場所にあるのだが、そこに向かう途中、雑木林もあったが、竹林といったところも多かった。遺跡公園になぜ竹林なのだろうかと少し意外だったが、竹林の静かな感じも新鮮だった。

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 うちの近くまで帰ってきて、実際にはうちを通り過ぎて、崖の上、丘の上のこんもりとした緑たちのあたりを眺める。いつもの風景だ。この緑、この小学校のあたりも、縄文の遺跡があったんだよなあと思う。近くには川や湧水。
 そしてこの日、前回、神代植物公園に出かけたときに買った蚕豆に続いて、また蚕豆を買って食べた。出かけるたびに蚕豆だなあとすこしおかしくなる。もうすぐそれが枝豆になるのかしら。季節が変わりつつある。
18:34:58 - umikyon - No comments

2019-05-05

キンラン、ギンラン、令和に緑に会いに行く──神代植物公園

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 元号が令和になった。わたしのパソコンでも、知らないうちに令和の漢字変換が何の支障もなくできるようになっていた。まるで前から存在していたように。このところの、元号が変わったこと、それにともなう公式行事などに、あまり関心がない。どこか他人事だ。
 もともとあまり平成に思い入れがなかったからかもしれない。昭和生まれなので、どちらかといえば昭和のほうが愛着がある。平成は最後までなじめなかった。昭和は西暦と五の倍数という共通項があるので、計算しやすい。昭和の元号に二十五年足せば西暦になる。昭和二〇年が一九四五年、昭和五十五年が一九八〇年といった感じだ。平成はそれがないので変換しずらい。もっとも令和も元年が二〇一九年、二年が二〇二〇年だから、そうなのだが。ただ、令和という文字は意外と気に入っている。
 世間は十連休だが、わたしのバイトは祝日とか関係ないといえばいえる。そのこともあって、他人事なのかもしれない。その連休もそろそろ終わる。ちなみにバイトと祝日、関係ないと言い切らないのは、祝日や日曜は仕事量が少なくなる、いくぶん暇というか楽になることによる。こんなふうにどこかで何かが関係しあっているのだろう。
 連休はわたしは通常通り。五月四日は土曜日で、五日が日曜。日曜は週一回のバイト休みの日なので、土曜日はなんとなく、特別な日だ。休み前の日。

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 みどりの日でもある。その特別な日に、神代植物公園に出かけてきた。去年、たまたま、やはり五月四日に出かけたのだが、その折り、無料開放日だと知ったのだ。公園の新緑たちが見たかった。それに隣接した深大寺あたりの蕎麦も、食べたいと思ったのだった。
 連れ合いはずっと連休中は休みだった。だから、やはりわたしの生活に、連休が関係ないとは言い切れない。その連れ合いと車で行く。うちから神代植物公園は車だとかなり近い。十キロぐらい。途中の道は比較的空いていたが、去年、植物公園の駐車場に車を停めるのに結構並んだ記憶があったので、すこし不安だった。今年は十連休だし、もっと混むのではと。だが去年よりも出かけた時間がすこし早かったせいか、さして並ばずに停められた。時刻は午前十時をすこし回ったぐらい。まだお昼には早い時刻だったが、連休中だし、昼時は今よりもっと混むだろうと、最初に蕎麦を食べることにした。
 神代植物公園の駐車場からだと、深大寺の北参道からゆく感じ。いわゆる門前の蕎麦屋といったことなのだろうが、深大寺蕎麦として、二十軒ぐらいの蕎麦屋さんが並んでいる。国分寺崖線の育んだ湧水も各所に流れ、それを元にした池などもあり、深い緑と水、団子屋さんにお茶屋さん、植木屋さんに、観光みやげを売るお店もあり、家から十キロという距離をいつも忘れてしまいそうになる。どこかもっと遠いところに旅にきたような。この錯覚はいつも心地よい。
 去年食べたお蕎麦屋さんは、いまいちの味だったので、今年は別のお店へ。というか、有名な蕎麦どころであるのだけれど、これまで深大寺蕎麦ば、おいしいとおもった記憶がない。並ぶのがきらい、行列が出来るお店は避けている、ということもあるかもしれない。
 今回はいった店は、はじめてのところ、すこし端というか、にぎやかな目抜き通りではないので、それで比較的すいているといった感じ。おいしかった。ほどよいコシがあって。いままで深大寺で食べたなかでは一番だった。

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 そのあとで、植物公園へ。公園内も、蕎麦屋さん周辺もそれなりに人は多かったが、さして気になるほどではなかった。とくに植物公園のほうは、敷地が広いから、人は緑にまぎれてしまう。
 薔薇はまだ、すこし咲き始めたかんじ、藤はそろそろおわり、シャクヤクやボタンも咲き始め、ツツジ、サツキも……。植物は好きだが、これらの花たちは、じつはそれほど好きというわけではない。ただ、緑が多い、やわらかに、春というより初夏を満喫している、あの葉たちの色合いが心にしみた。
 芝生広場で、グリーン・マルシェというイベントをやっていた。食べ物や飲み物、植物や雑貨などのお店の出店、ワークショップ、コンサートなど。
 林の中で、エビネが咲いているのをみつける。蘭科の植物だが花が小さいこともあって派手さがあまりない。色も茶色だった。だが、林の下で、ひっそりと咲く姿は、それでも凜として存在感があった。山野草としては人気があったと思う。家で父が育てているのを見た。それからもたまに、デパートや、植木市の類いで鉢植えを見たおぼえがある。林の中で見るのは初めてかも……と感慨にふけろうとした矢先、エビネの近くでやはり蘭科のキンランを見つけた。こちらは久しぶりにその姿を見た。小学生高学年から中学生ぐらいのときに、父とよく近所の雑木林を散歩した。その林に生えているのを見た。それ以来だ。あの林の下のキンランが思い出の中からなにかを突き破って、立ち現れた。
 ただ、そのかつての林でも、中学生のある年からは、姿を見かけることがなくなった。もはや当時でも、減少しつつある花だったのだろう。
 植物公園から離れ、深大寺周辺をまた抜けて、こんどは神代植物公園水性植物園へ。湧水が湿地を作っていて、気持ちの良い場所だ。アヤメが少し咲いていた。菖蒲園もあり、稲作も行われるようだ。まだ水田に水が張ってあるだけだったが。ああ、田んぼ池だなあと、その水をいとしく思う。

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 今まで知らなかったが、ここに小高い場所があり、そこは深大寺城があったのだとか。空堀と土塁、腰郭などの遺構が残るのみで、緑の山といったところ。今回、そこを登ってみた。この一画に、キンランとギンランが咲いていた。キンランは目立つ黄色なので、目に付いたが、ギンランはなかなか最初、さがせなかった。白くて、キンランよりも小さい姿なのだ。でも、その白さをいったんみつけたら、もうあちこちに。びっくりした。
 これも、父と行った林に生えていたものだ。こちらはキンランを見なくなってもしばらく林で咲いているのを見た。林の下で、一面に咲いていた記憶がある。けれども、キンランもギンランも、ともにあの林で見た以来だ。キンランのほうはおおかた記憶どおりの姿だったが、ギンランのほうは、記憶のなかではもっと緑ががっていた。あの林の色を花びらににじませていたからだろうか。あの林の気配が、この神代植物公園のそれに流れ出す。これらの蘭は、菌根に依存する性質から人工えでは育てにくいことがあり、鉢植えで見たことがない。今はどちらも激減し、絶滅危惧種となっているらしい。ともかく見ることができて良かった。あの林を、そして父を思い出させてくれて。

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 湿地のほうへまた戻る。ヒメウツギが白い花を咲かせていた。名前はよく聞くのだけれど、実は最近まで名前と実際の花が一致しなかったもの。もう、おぼえた。ウツギ。卯木が咲く季節だから卯月。好きな季節、旧暦四月の花だから、ずっと名前とその姿を一致させたかった花のひとつだった。

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 それと、植物公園で、もうひとつ。ナルコユリか、アマドコロか、ホウチャクソウかわからなかった花がけっこうあちこちに咲いていた。どれも、白い釣り鐘状の花を下に向けて咲かせる。うちに帰って調べたら、どうやらホウチャクソウだとわかる。ナルコユリに比べて、つける花の数が少ないのだ。ホウチャクソウ…。記憶のなかでもごっちゃになっていて、このどれかを、やはり父が栽培していた。どれも昭和の話だ。その昭和の終わりに父も病気で死んだ。

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 帰る間際になって、雷の音。いそいで、車に戻ったら、とたんに雨…いや、雹が降ってきた。卯月をすぎ、初夏というより、夏の天気。
 家に帰って、蚕豆をゆでた。今年の初蚕豆。サヤからとりだすとき、残酷なことをしているなあとすこし思う。サヤの裏についた綿のような繊維質が豆を大切に守っている。緑の色たちに会いにいったあとだから、この緑を食したくなった。その日の締めくくりにふさわしいような気がしたのだった。だがというか、やっぱり、茹でた蚕豆はおいしかった。
 令和が始まった。平成をいつかそれでも懐かしく思い出すことがあるのだろうか。緑たちが新鮮だ。
23:45:06 - umikyon - No comments